2021年7月4日(主日)聖霊降臨後第6主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父様 説教(大阪)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
7月23日金曜日は、日本ではスポーツの日で休日です。その日に大阪では昨年に続いて、昨年のようにマーチ・フォー・ライフを行ないたいと思っています。
午後の15時から市役所の前からマーチをする予定です。いらして下さい。多くの方が参加して下さるように期待しております。
今日は聖霊降臨後第6主日です。
私たちの主の御言葉が、聖心の想いをピタリと表しているように思われます。
「私は、この群衆を憐れむ。」“Misereor super turbam.”
私たちの主は私たちを憐れんで下さったので、つまり私たちの弱さに同情して、私たちが無力で何もできなくて、このままではもうどうなってしまうか分からない、このまま道の途中で、目的地にも届かずに、そのまま倒れてしまう、そのまま不幸になってしまう、という事を御存知だったので、何とかして私たちを助けようと同情されました。今日の福音での出来事は、そのほんの一部です。
しかし永遠の昔から、この憐れみ、私たちを憐れむという心は、永遠の未来まで続いています。
私たちは何と幸せな民でしょうか。何故かというと、天主が私たちを憐れんで、王の王が私たちを憐れんで、私たちを綺麗に浄めて下さる為に、御自分の血潮を全て流されようとしたからです。天主が、御血を流す事ができるように人間となって、わざわざ、わざわざ苦しまれる事を御望みになって、浄めようとされました。
私たちが一人で、友達から捨てられて、裏切られて、馬鹿にされて、あるいは私の大失敗、愚かさで、もう辛い思いをしている時、がっかりしている時に、イエズス様は天主は、私たちのすぐ傍に寄り添って下さって、励ましたり、慰めたり、力付けたりして下さいます。
私たちが罪を犯して、弱さに倒れて、そして辛い、「何でこんな罪を犯してしまったのか」と痛悔をするならば、イエズス様はその御血の功徳で、更にまた、更にまた赦そうと、私たちの元に身を屈めて下さいます。何度でも、何度でも、私たちの過ちは、イエズス様によって憐れまれて、そして赦されます。
私たちが天国への道を歩むには、せっかく浄めてもらったにも関わらず、あまりにも力がないので、弱いので、弱々しいので、このままではおそらく辿り着かないだろうと憐れんで下さって、御聖体を制定して下さいました。御自分の体で、清い体で養おうと思われました。
私たちがもしも、誰も助けがなくて、絶望のどん底に落ちいっているかのようになったとしても、イエズス様だけは決して私たちを離れずに、そのすぐ傍に寄って助けて下さいます。イエズス様に叫べば、すぐに来て下さいます。そしてもしも危険があれば、「危ないよ。土砂崩れが起きるよ。さぁ避難しなさい。」聖霊の助力で、聖霊の声を私たちに聞かせて下さいます。
私たちが御血の功徳を、無限の功徳を受ける事ができるように、司祭職さえも制定して下さいました。私たちに日々、この御血の功徳が、そして御聖体の功徳が適用されますように、十字架の御血のその憐れみの御業が、私たちの目の前で毎日行なわれる事ができますように、イエズス様の聖心の憐れみは、特に司祭には、特別の憐れみをして下さいました。
御血の聖変化の時には、「これは罪の赦しの為の私の血の盃である。『お前たち』と、そして多くの人々の為に流される血である。」司祭だけが、特別に、「お前たち」と、使徒たちの為に、使徒の後継者の為に、そして多くの人々に特別な憐れみを示して下さいました。
私たちはそのような憐れみの主を持って、どれほど感謝しなければならないのでしょうか。
皆さんもご存知の通り、このような憐れみの主は、感謝されていません。その主の同情に対して、多くの人は拒否と冷淡を示しています。私たちは少なくとも、その憐れみに感謝致しましょう。今日はその御聖体を、イエズス様の御体を、感謝を以って聖体拝領なさって下さい。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。