2021年8月8日(主日)聖霊降臨後第11主日のミサ聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(東京)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄妹の皆さん、今日、私たちの主イエズス・キリストは奇跡を行ないました。耳は聞こえずに、話をする事もできない人を、御自分の唾を付けて、「エフェタ」とお祈りをすると、耳が開けて、正しく話をする事ができるようになります。これは、人類がイエズス様と出会った時に行なわれる事の象りです、そのイメージです。
何故かというと、私たちは皆、天主の言葉を聞く事もできないし、天主に正しい讃美も、正しい祈りもする事もできずにいる、病を持った状態で生まれてきたからです。
なぜ病を持った状態であるかというと、これは罪のためです。天主は私たちを最初、アダムとエヴァを創った時に、完璧に創りました。どれほど完璧かというと、私たちが今失ってしまった2つの特別の御恵みを、アダムとエヴァは原初に持っていたからです。
その2つの御恵みというのは、まず「超自然の命、天主の命」を受けていました。成聖の状態にいました。
第2には、自然を補足する、それの付録が付いていました、おまけが付いていました。これを特別に、「外自然、自然の外の御恵み、賜物」と言います。それによって特別の4つの特権があります。おまけです。おまけに過ぎなかったのですけれども、これを見ると、どれほどのものが与えられたか、という事が分かります。
まず、私たちの「知性」は真理を、真理だけを求めるようにうまく秩序付けられていました。それを罪で失ってしまってから、私たちは真理が何かよく分からなく盲目になってしまいました。
また「意志」は、善だけを求めるようになっていました。しかし罪のためにそれは、悪意さえも持つようになってしまいました。
また私たちの「心」には、悪に対して強い意志を持って強い怒りを持って、この悪に打ち勝つ心がありました。善と悪に対して、対処が困難であると認識された時の能力で、困難に立ち向かって戦う時の力としての、義憤です。
しかし罪が入る事によって、惰弱に弱々しくなってしまいました。悪に打ち勝つ事が非常に難しくなってしまいました。
あるいは私たちの「欲望」は、全て理性の支配の下にあったので、節制がありました。しかし罪が入る事によってそれは、私たちには節制が難しくなり、邪欲に簡単に負けやすくなってしまいました。
しかしアダムとエヴァの時には、全ては真理と善とによって、そして知性と理性によって全て支配されていました。
人間の体が全て知性によって支配されているという事は、すなわちこれは「完全性」と言います。この完全性から更に生まれた、派生したのは、人間が苦しまないということです。人間の霊魂が肉体を完全に支配していたので、また人間が天主様の支配下に完全にあったので、御摂理によって、自然は私たちに害を与える事がありませんでした。どのような獰猛な動物も、昆虫も、私たちに危害を与える事はありません。
また肉体もいつも霊魂の通りに動いていたので、病気になる事も、苦しむ事も、傷を受ける事も全くありませんでした。いつも私たちは幸せに、楽しく、喜びに満ちて生きていました。これは「不可苦」、苦しみを受ける事ができない、という特別の御恵みでした。
それのみならず、更に死ぬ事もできませんでした。「死なない」という特権を持っていました。霊魂は肉体といつも一致していて、何百年でも何千年でも生きる事ができるようになっていました。そしてちょうど私たちが夜眠るように、自然と苦しみなく、天国に入る計画でした。しかし、それも罪によって全て破壊されました。失われました。
更に天主様は、私たちが苦労する事なく真理を知る事ができるように、「知識」を私たちの中に注入して下さいました。ですからもちろん教わる事もできましたけれども、しかしあらかじめ必要な知識は知っていました。自然の神秘を知っていました。
これはただ付録に過ぎません。これよりも更にこれを超越する御恵みが、「超自然の御恵み」、すなわち成聖の恩寵です。
そしてイエズス様は、この病を受けた私たちに近寄って来て下さって、御自分の唾を付けて下さいました。これは「秘跡」の象りです。「七つの秘跡」の象りです。
「洗礼」の時には、特に私たちは司祭からイエズス様がなさった事と同じ仕草を受けます。耳に「エフェタ」と言って、鼻にも付けられます。またこれは、イエズス様はこうする事によって、秘跡を通して、私たちに超自然の御恵みを返して下さいました。
超自然の御恵みは、私たちが付録でもらった、死なないとか苦しまないとかという事よりも、更にもっと重大な、最も大切な御恵みでした。それをまず返して下さいました。
では、外自然という付録の御恵みはもう失われたままですか?はい。もう元には戻りません。罪のためにもう永久に失ってしまいました。
ですからもしも、皆さん誰かがやって来て、「あぁ、このペンダントを買うと病気にならない。」「このツボを買うと健康になる。」あるいは「この薬を、注射を打つと死なない」などという人が来たら、眉に唾を付けて下さい。そのような事は一切ありません。医学がどんなに発達しても、どんなに科学がどんなに進歩しても、苦しみがない事や、あるいは死がないという事は、もう避ける事ができません。これはあり得なくなってしまいました。
しかしイエズス様は私たちに、復活の後に、天国でこれをもう一度、更にこれよりももっとすごい事を与えてくれます。不死・不可苦・注入された知識・完全性をはるかに超えた、栄光に満ちた、栄光の不死の喜びを与えられるようになっています。これは最後の最後のお楽しみです。
しかし、すでに私たちは超自然の命が、洗礼、そして秘跡によってますます与えられ続けています。この御恵みを私たちに与える事ができるのは、私たちを癒やす事ができるのは、全世界で歴史上たった一人しかありません。この事ができる名前はたった一つしかありません。イエズス・キリスト、真の救い主、真の天主、贖い主、私たちの王イエズス・キリストです。私たちはこの方と出会いました。御恵みを受けています。感謝致しましょう。
そして多くの方が、このイエズス様と出会って、憐みを受ける、超自然の、自然をはるかに超える御恵みを受ける事ができますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄妹の皆さん、今日、私たちの主イエズス・キリストは奇跡を行ないました。耳は聞こえずに、話をする事もできない人を、御自分の唾を付けて、「エフェタ」とお祈りをすると、耳が開けて、正しく話をする事ができるようになります。これは、人類がイエズス様と出会った時に行なわれる事の象りです、そのイメージです。
何故かというと、私たちは皆、天主の言葉を聞く事もできないし、天主に正しい讃美も、正しい祈りもする事もできずにいる、病を持った状態で生まれてきたからです。
なぜ病を持った状態であるかというと、これは罪のためです。天主は私たちを最初、アダムとエヴァを創った時に、完璧に創りました。どれほど完璧かというと、私たちが今失ってしまった2つの特別の御恵みを、アダムとエヴァは原初に持っていたからです。
その2つの御恵みというのは、まず「超自然の命、天主の命」を受けていました。成聖の状態にいました。
第2には、自然を補足する、それの付録が付いていました、おまけが付いていました。これを特別に、「外自然、自然の外の御恵み、賜物」と言います。それによって特別の4つの特権があります。おまけです。おまけに過ぎなかったのですけれども、これを見ると、どれほどのものが与えられたか、という事が分かります。
まず、私たちの「知性」は真理を、真理だけを求めるようにうまく秩序付けられていました。それを罪で失ってしまってから、私たちは真理が何かよく分からなく盲目になってしまいました。
また「意志」は、善だけを求めるようになっていました。しかし罪のためにそれは、悪意さえも持つようになってしまいました。
また私たちの「心」には、悪に対して強い意志を持って強い怒りを持って、この悪に打ち勝つ心がありました。善と悪に対して、対処が困難であると認識された時の能力で、困難に立ち向かって戦う時の力としての、義憤です。
しかし罪が入る事によって、惰弱に弱々しくなってしまいました。悪に打ち勝つ事が非常に難しくなってしまいました。
あるいは私たちの「欲望」は、全て理性の支配の下にあったので、節制がありました。しかし罪が入る事によってそれは、私たちには節制が難しくなり、邪欲に簡単に負けやすくなってしまいました。
しかしアダムとエヴァの時には、全ては真理と善とによって、そして知性と理性によって全て支配されていました。
人間の体が全て知性によって支配されているという事は、すなわちこれは「完全性」と言います。この完全性から更に生まれた、派生したのは、人間が苦しまないということです。人間の霊魂が肉体を完全に支配していたので、また人間が天主様の支配下に完全にあったので、御摂理によって、自然は私たちに害を与える事がありませんでした。どのような獰猛な動物も、昆虫も、私たちに危害を与える事はありません。
また肉体もいつも霊魂の通りに動いていたので、病気になる事も、苦しむ事も、傷を受ける事も全くありませんでした。いつも私たちは幸せに、楽しく、喜びに満ちて生きていました。これは「不可苦」、苦しみを受ける事ができない、という特別の御恵みでした。
それのみならず、更に死ぬ事もできませんでした。「死なない」という特権を持っていました。霊魂は肉体といつも一致していて、何百年でも何千年でも生きる事ができるようになっていました。そしてちょうど私たちが夜眠るように、自然と苦しみなく、天国に入る計画でした。しかし、それも罪によって全て破壊されました。失われました。
更に天主様は、私たちが苦労する事なく真理を知る事ができるように、「知識」を私たちの中に注入して下さいました。ですからもちろん教わる事もできましたけれども、しかしあらかじめ必要な知識は知っていました。自然の神秘を知っていました。
これはただ付録に過ぎません。これよりも更にこれを超越する御恵みが、「超自然の御恵み」、すなわち成聖の恩寵です。
そしてイエズス様は、この病を受けた私たちに近寄って来て下さって、御自分の唾を付けて下さいました。これは「秘跡」の象りです。「七つの秘跡」の象りです。
「洗礼」の時には、特に私たちは司祭からイエズス様がなさった事と同じ仕草を受けます。耳に「エフェタ」と言って、鼻にも付けられます。またこれは、イエズス様はこうする事によって、秘跡を通して、私たちに超自然の御恵みを返して下さいました。
超自然の御恵みは、私たちが付録でもらった、死なないとか苦しまないとかという事よりも、更にもっと重大な、最も大切な御恵みでした。それをまず返して下さいました。
では、外自然という付録の御恵みはもう失われたままですか?はい。もう元には戻りません。罪のためにもう永久に失ってしまいました。
ですからもしも、皆さん誰かがやって来て、「あぁ、このペンダントを買うと病気にならない。」「このツボを買うと健康になる。」あるいは「この薬を、注射を打つと死なない」などという人が来たら、眉に唾を付けて下さい。そのような事は一切ありません。医学がどんなに発達しても、どんなに科学がどんなに進歩しても、苦しみがない事や、あるいは死がないという事は、もう避ける事ができません。これはあり得なくなってしまいました。
しかしイエズス様は私たちに、復活の後に、天国でこれをもう一度、更にこれよりももっとすごい事を与えてくれます。不死・不可苦・注入された知識・完全性をはるかに超えた、栄光に満ちた、栄光の不死の喜びを与えられるようになっています。これは最後の最後のお楽しみです。
しかし、すでに私たちは超自然の命が、洗礼、そして秘跡によってますます与えられ続けています。この御恵みを私たちに与える事ができるのは、私たちを癒やす事ができるのは、全世界で歴史上たった一人しかありません。この事ができる名前はたった一つしかありません。イエズス・キリスト、真の救い主、真の天主、贖い主、私たちの王イエズス・キリストです。私たちはこの方と出会いました。御恵みを受けています。感謝致しましょう。
そして多くの方が、このイエズス様と出会って、憐みを受ける、超自然の、自然をはるかに超える御恵みを受ける事ができますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。