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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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カトリック聖伝のミサ報告(聖ピオ十世会)Traditional Latin Mass in Tokyo and Osaka, SSPX Japan

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アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
いかがお過ごしでいらっしゃいますか?2021年8月29日の主日は、良い天気に恵まれて、東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計112人でした。大阪では24人でした。
東京では新しく来られた外国の家族がおられました。8月には任地が変わって帰国された家族がおられましたが、新しい友人たちができて感謝しております。大阪でも、始めて大阪のミサに与った家族がおられました。天主に感謝いたします。
ミサ聖祭という、霊的な命を生かすために絶対必要なお恵み、教会の生命活動の中心が私たちに与えられていることを感謝いたします。

【報告】【東京】Dear Fathers:Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today.The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 112, including children.
09:00 massM: 20 (incl. 5 children)F: 24 (incl. 4 children)Total: 44 (incl. 9 children)
11:00 massM: 18 (incl. 4 children)F: 20 (incl. 4 children)Total: 38 (incl. 8 children)
12:30 massM: 15 (incl. 4 children)F: 19 (incl. 5 children)Total: 34 (incl. 9 children)
Total of 3 masses (excl. 4 people who participated in multiple masses)M: 51 (incl. 13 children)F: 61 (incl. 13 children)Total: 112 (incl. 26 children)
最後に、一年前のヴィガノ大司教の言葉を引用します。
「信徒たちは、自分たちの役務者たちがそのように振る舞うことを期待し、現代の誤謬に汚染されていないことを自ら証明する役務者たちを好みます。もしあるミサが信徒たちにとっての拷問の機会となるならば、あるいは信徒たちが冒涜に参加したり、主の家にふさわしくない異端や迷言を支持したりすることを強いられるならば、司祭が聖伝によって私たちに伝えられた儀式で聖なるいけにえをそれにふさわしく執り行い、健全な教理に則った説教をする教会に行く方が、千倍も好ましいのです。
キリスト教徒たちが新しい教会の石やサソリではなく、信仰のパンを求めていることを教区司祭たちや司教たちが理解するとき、彼らは恐れを捨てて、信徒たちの正当な要求に従うでしょう。まさしく雇われ人であるそれ以外の司祭たちや司教たちは、自分たちが何者であるかを明らかにし、自分たちの誤謬と倒錯を共有する人々だけしか自分たちの周りに集めることができなくなるでしょう。彼らは自ら消滅していくのです。主は沼地を乾かし、茨の生えた土地を乾燥させられます。主は、堕落した神学校や規則に逆らう修道院での召命を消滅させられるのです。
今日の平信徒たちには聖なる任務があります。それは、羊飼いたちの周りに羊の群れのように集り、良き司祭たちや良き司教たちを慰めることです。彼らが試練に遭うとき、彼らをもてなし、彼らを助け、彼らを慰めてください。不平や分裂が支配するのではなく、むしろ信仰の絆における兄弟愛が支配する共同体をつくってください。そして、天主によって確立された秩序(κόσμος)【コスモス】の中では、民は権威に服従する義務があり、権威がその権力を乱用するときにはその権威に抵抗する以外のことはできないのですから、指導者たちの不忠実のために民が過ちに問われることはありません。
指導者たちは、自分たちに与えられた代理者としての権能を行使する方法について、非常に重大な責任を負っています。私たちは反乱をおこすのではなく、反対をしなければなりません。私たちは私たちの牧者たちの誤謬を喜ぶのではなく、彼らのために祈り、敬意をもって彼らに忠告しなければなりません。私たちは彼らの権威を疑うのではなく、彼らがその権威を使用する方法を疑わなければなりません。
主が、教会人たちの過ちのゆえに私たちを罰された後、私たちに聖なる司祭たち、聖なる司教たち、聖なる枢機卿たち、そして何よりも聖なる教皇を与えてくださることで私たちの忠実さに必ず報いてくださることを、私は信仰から来る確信をもって、信じています。
しかし、これらの聖人たちは、私たちの家庭や共同体、教会から生まれます。ですからそこでは、絶え間ない祈りや聖なるミサと秘蹟への頻繁な参列によって、また諸聖人の通功の許しによって私たちの罪と権威を行使する人々を含む兄弟たちの罪を償うために天主の御稜威にお捧げする犠牲と償いという捧げ物によって、天主の恩寵が培われなければなりません。信徒はこの点で基本的な役割を果たします。つまり、天主への愛と畏れにおいて教育を受けた若者たちが、いつの日か責任ある父親と母親になるだけでなく、ふさわしい主の役務者、男女の修道会における主の使者、そして市民社会における主の使徒となることができるように、信徒が家庭内で信仰を守ることです。
反逆の治療法は従順です。異端の治療法は聖伝の教えへの忠実です。離教の治療法は聖なる牧者たちへの子としての献身です。背教の治療法は天主とそのいとも聖なる御母への愛です。悪徳の治療法は聖徳の謙虚な実践です。道徳の堕落の治療法は常に天主の御前で生きることです。
しかし、従順を無神経な追従に貶(おとし)めてはなりませんし、権威への敬意を宮廷におけるへつらいに貶めてもなりません。そして、牧者に従うことが信徒にとっての義務であるならば、usque ad effusionem sanguinis.(自らの血を流すまで)天主に従うことが、牧者にとっての更に重大な義務であることを忘れないようにしましょう。
+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ」
https://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/f7d298c246ab95ebda7c800f8f8fff46

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