《汚れなく宿り給いし聖マリアよ、
御身により頼み奉る我らのため、
また、全て御身により頼まぬもののため、
とくに、秘密結社の回心のために、祈り給え。》
汚れ無き聖母の騎士会の構想
1917年1月20日の朝、神学生たちは例のごとく祈りをするために集まっていました。マキシミリアノ神学生も中に混じって、慎ましく自分の席で祈っていました。この日は、聖コルベの生涯のうちで最も荘厳かつ決定的な日の1つになろうとしていました。校長ステファノ・イニューディStephano Ignudi神父は、黙想書を朗読し、その日の祝日の注解をしていました。実にその日は、汚れ無き聖母の勝利の日だったのです。その年、ローマではその日ユダヤ人ラティスボンの回心の75周年を祝っていたのです。
ちょうど75年前の1842年1月20日、フラッテの聖アンドレア教会でユダヤ人のアルフォンソ・ラティスボンに御出現になり、ラティスボンはカトリックに改宗しました。彼はこう語っています。「聖母は私に何もおっしゃりませんでした。しかし、私は全てを理解しました。」
ラティスボンは回心の後、司祭となりマリア神父と呼ばれることになります。校長イニューディ神父は敬虔な雄弁をふるい、ほとんどが外国人である若い神学生たちに向かって、このラティスボンの回心の話をしていました。校長神父はその時、ラティスボンが、回心の時、手元に不思議のメダイを持っていたことを付け加えました。そうです、ラティスボンの回心は、不思議のメダイの効果を保証する多くの奇跡の一つだったのです。
1830年、パリで聖カタリナ・ラブレに純白な姿の聖母が御出現になったちょうどその時のように、1917年1月20日、マキシミリアノ神学生の眼前に汚れ無き聖母が浮かび上がり、不思議なメダイを楯とも旗印ともする聖母の騎士会Militia Immaculataeの創立を思いついたのです。
神学校での生徒長であったヨゼフ・パル神父の証言を聞いて下さい。彼は、ルーマニア人であり、聖コルベの親友であった方です。
「あの瞬間から、マキシミリアノ神学生はなすべきことについて確信を抱いたようである。彼は顔を輝かせ、喜びにあふれながら、ラティスボンの改宗について、聖母マリアの偉大な御力の働いたことを話し、微笑みながら私に向かって、全ての異端者、とりわけ秘密結社の撲滅のために聖母マリアに祈らなければならないといった。1月から夏休みまで、彼はたびたびこの問題について話した。・・・」(アントニオ・リチャアド神父著『福者マキシミリアノ・マリア・コルベ』1971年愛社発行p56)
1917年1月20日、朝の黙想の決心から、汚れ無き聖母の騎士会の構想が出来上がった。と言うよりも現実化されたのです。何故なら、その後のことは、単に教会の認可を得て正式に会を発足させる準備に過ぎなかったからです。
秘密結社設立200年祭
1917年は、秘密結社がロンドンで結成されて(1717年)からちょうど200年目に当たっていました。秘密結社は、以前からカトリック教会破壊のために特にローマを目標に盛んに教会破壊工作を仕掛けていました。ローマを訪れた外国の巡礼者たちは、カトリック教会の中心地、キリストの代理者のお膝元において、最も悪魔的な反教会主義、反聖職者主義の宣伝が行われるのを、何とも複雑な思いで眺めねばなりませんでした。
1894年には、天主を天主とも思わない破廉恥な冒涜者エミリオ・ゾラが、ローマ市議会から歓迎会を受け、反教会的な政府代表者どもは、ポンペイの聖母の巡礼所に反対宣伝工作を働き、教皇ピオ9世からベネディクト十五世に至るまでの歴代の諸教皇たちに絶えざる冒涜的な攻撃を浴びせかけていました。
秘密結社設立200年祭には、ローマでかつて無いほどの汚聖と悪魔的なお祭り騒ぎとが荒れ狂ったのです。秘密結社の行列は、大天使聖ミカエルがルチフェルに踏みつけられているのぼりを掲げてローマの町を練り歩いたのです。しかも、バチカンの聖ペトロの広場には「サタンはバチカンから世界を支配する。教皇はサタンに仕えなければならないだろう」と書いた冒涜的なのぼりや悪魔崇拝の旗までが現れたのです。
天主はこの悪魔的破壊工作に対して、新しい戦士を準備されたのです。汚れ無き聖母の戦士たちです。マキシミリアノ神学生は、天主のご計画に従って「汚れ無き御やどり」の旗印を打ち立てた大きなフランシスコ会の船を再出航させるために、錨を上げようとしていました。天主は、聖コルベを使って、汚れ無き聖母の御導きのもとに戦う、新しい霊戦を始め給うのです。
騎士会の最初のメンバーたち
それから10ヶ月後の10月16日夕暮れ、つまり、10月17日の聖女マルガリタ・マリア・アラコックの祝日の前日に、そして図らずもファチマの聖母の最終の御出現と太陽の大奇跡の4日後、聖コルベは校長室に隣接する部屋に6名の神学生すなわち「新しい騎士」志願者を集めたのです。そして自分が一人で練り上げたプログラムを書いた小さな紙切れを朗読しました。それは現在では誰でも知ることになったあの聖母の騎士会証書と同じものでした。この騎士会創立に参加し、司会者であったヨゼフ・ペトロ・パル神父の言葉をまた聞いてみましょう。
「彼は我々に承認と署名を求めた。最初に署名したのは司祭であり年長者である私だった。マキシミリアノ神学生は最後に署名したように思う。・・・この個室から誰にも気がつかれないように全神学校の聖堂[の汚れない聖母の祭壇]におもむいた。そこで私は不思議のメダイを祝別し、それを騎士会の最初のメンバーたちの肩に掛け、更に私にも、マキシミリアノ神学生にもかけた。これが終わると我々は密かにめいめいの個室に引き下がった。いっさいは秘密のうちに行われた。知っているのは校長神父だけだったが彼は出席しなかった。こうして聖母の騎士会の土台はおかれたのである。」(前掲書p60)
聖母の騎士会のプログラム
このときのプログラムの原文はラテン語で書かれていました。この規約の内容は次の通りです。
汚れ無き聖母の騎士会
「彼女は汝の頭を踏み砕くべし」(創3:15)
「御身一人よく全世界の異端を滅ぼし給えり」
1目的
罪人、異端者、離教者、ユダヤ人、ことに秘密結社の回心、及び汚れ無き童貞聖マリアの御保護と仲介のもとに全ての人の成聖に努力する。
2条件
イ、汚れ無き聖母のいと清き御手の中の道具として、自己を全く奉献する。
ロ、不思議のメダイを身につける
3手段
イ、少なくとも一日一回次の射祷と共に聖母マリアに祈る。
ロ、身分・状態・境遇などに応じたあらゆる正当な手段を使い、ことに不思議なメダイの配布につとめる。
聖なる童貞女、インマクラータ(無原罪聖母)マリアへの奉献の祈り
聖マキシミリアノ・マリア・コルベ(1917年10月16日)
トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)訳
ああ、インマクラータ(無原罪聖母)よ、
天と地の元后、
罪人の拠り所、
愛深き我らの母よ、
天主は、あわれみの秩序のすべてを
御身に委ねることを望まれ給うた。
不肖なる罪人、我(名前)は、
御身の足もとにひれ伏し、
御身にひれ伏してこいねがい奉る。
我がすべてを全く、
御身のもの、御身の所有物として
受け取り給え。
また、我について、
霊と肉体のすべての能力について、
我が全生涯、死、永遠について、
御身がよりお望みになることを全て成し給え。
もしそれが御身の御心にかなうなら、
我が、 御身のインマクラータ(無原罪)の憐れみ深い御手のうちに、
道具としてあるように、
御身について言われた「かの女は、おまえの頭を踏みくだく」
また「御身は、ひとりで全世界の異端をことごとく滅ぼされた」
が実現されるべき御業のために、
我が全てを全く使い給え。
道を迷い、生ぬるくなった、
かくも多くの霊魂たちに、
御身を知る喜びを引き起こさせ、
御身の栄光をこれ以上ないほど最高にいや増し、
かくてイエズスの至聖なる聖心のいとも甘美なる御国が、
最高度に拡張するために、
御身に役立つ道具として。
御身はイエズスの聖心に入り給い、
そこで御身は回心と成聖の聖寵を祈り求め給い、
御身のみ手を通してイエズスの至聖なる聖心から、
全ての聖寵は、我らにたどり着くなり。
R 聖なる童貞女よ、我をして御身を讃えしめ給え。
V 御身の敵に立ち向かう力を我に与え給え。
聖母の騎士会とは?
以上の規定を持った聖母の騎士会とは何なのでしょうか。
聖母の騎士会M.I.は、純粋な信心会であり、入会者は聖母マリア様の光栄のために働かなければなりません。入会者は聖母の御徳、特権、聖母に関する教義をよく理解しなければなりません。聖母の騎士会は、キリストとその教会に敵対する、公然たる或いは秘密な悪の力に対する解毒剤なのです。聖母の騎士会とは、汚れ無き聖母のご指導のもとに、キリストと、キリストの建てた教会とを擁護するために戦う十字軍の運動なのです。
秘密結社とその陰惨な起源に対して、聖コルベはとりわけ深い歴史的、哲学的な深い知識を要しませんでした。何故なら、聖マキシミリアノはローマでまざまざと秘密結社フリーメーソンの真の姿を見せつけられたからです。秘密結社には、政治を支配し、権力を握ろうという単なる政治運動以上のものがあります。秘密結社は、結社員に聖会進出の近道を与えるという政党以上のものがあります。はっきり言います。聖コルベは秘密結社がキリストとその教会に敵対することを目標とする団体であることを見抜いていたのです。
若き神学生マキシミリアノ・マリア・コルベは、創世記の言葉「おまえと女との間に、おまえの子孫と女の子孫との間に敵対をおこう。彼女はおまえの頭を踏み砕き、おまえは彼女のかかとをかむであろう。」の中に、世界を二分する陣営の姿を認めていたのです。この聖書の言葉はマリアのことサタンのことの間に繰り広げられる個人的と言うよりも、社会的闘争を預言しているからです。この鮮やかで慰めに満ちた預言には、光の子らと闇の子ら、天主の御国とサタンの国、キリストを認めるものとキリストを否定するもの(反キリスト)、教会と反教会、と言う世界を二分する避けることの出来ない対立があることが語られています。
秘密結社は起源が有史以前に遡るものです。秘密結社は、真の天主に逆らい、教会の生命に対してやむことなく戦う地獄の勢力の化身なのです。天主の国に属するものは、最後に勝つでしょう。キリストに属するものは、反キリストをうち砕くでしょう。光の子に属するものは、この預言された勝利者である汚れ無きマリアによって勝利するでしょう。
マキシミリアノ神学生の言葉
聖なるマキシミリアノ神学生の言葉を聞いてみましょう。
「天主の敵が優位に立つのを放っておけるだろうか。そして、祈りはするが活動はしないと言うことが考えられようか。
私たちには、天主と汚れ無き聖母の御保護という最も強力な武器があるではないか。全ての異端者の撲滅者にまします〈汚れ無き聖母〉は、ご自分の指導に従順で忠実な僕を見出すなら、鎌首をもたげる敵に戦場を譲ることは決してなさらないだろう。かつ、聖母は思いも及ばない新しい大勝利を納め給うだろう。
確かに、聖母は私たちを必要とはなさらない。しかし私たちに報いを得させようと、私たちをお使いになる。また、世間が軽蔑し、嘲笑するようなみすぼらしい人間、方法を使って、より大きな勝利を得ようとなさるのだ。
私たちは聖母の御手の中の従順な道具となって、あらゆる正当な手段、例えば聖母に関する出版物、不思議のメダイの普及、また祈りと良い説教などを持って働く必要がある。
だから、マリアの使徒職の手段は、汚れ無き聖母の御旗のもとに戦う意志を定め、騎士会に入会することだと言えよう。入会者は会員証として不思議のメダイを身につけ、聖母の御保護を願うために日中たびたび射祷を唱える。分けても教会の最大の敵である秘密結社の回心のために祈るのである。」
聖母の騎士会は特定な人々の育成を目的とする信心会ではありません。マキシミリアノ神父はこう述べています。
「騎士会は群衆を動かして、群衆を悪魔の手から奪い返し、聖母に捧げられたものとし、汚れ無き聖母を通じて天主の御国の拡張のために英雄的な自己放棄の頂上にまで至らせるのである。騎士会にはあらゆる修道会、信心会、施設が参加することが出来る。騎士会に属すると言うことは、各メンバーに出来るだけ使徒活動に従属することを可能にする。このようにして、めいめいの身分、職業においてキリスト教的完徳が完成されていく。」
「愛する兄弟たちよ、聖母に信頼しましょう。聖母がましますことを信じましょう。聖母の光栄を表すことが必要であると信じましょう。聖母が私たちをご覧になり、私たちの願いを聞き入れ給うことを信じましょう。また、私たちは彼女のものとして、全く彼女に依存していることも、信じましょう。イエズス・キリストは人間として、天の御父の御もとにおける私たちの仲介者です。聖母マリアは、私たちとイエズス・キリストとの間に立つ仲介者であり、全ての聖寵は彼女を通して下るのです。聖母はイエズス・キリストによって仲介者と定められました。私たちはそれを堅く信じます。私たちは、聖母から聖寵を受け、聖母は私たちをイエズスの至聖なる聖心にお導き下さるのです。私たちの勝利というのは霊魂の救いです。」
「霊魂の成聖のために働こうと思うものは、まず自分から始めなければなりません。それゆえ、彼は真っ先に汚れ無き聖母と最も親密にならなければなりません。それで彼女から、人生のあらゆる瞬間毎に、より完全に天主の愛に進むことが出来るように、お恵みを受けなければならないのです。最も完全な方法で聖母に近づくものとは、自分の聖母の持ち物として捧げる人です。汚れ無き聖母へのまったき奉献、これが第1のかつ本質的な条件です。」
聖コルベは、この聖母の戦士たちが世界中に広がらなければならないことを確信していました。或る証人はこう言っています。
「彼は布教活動について、熱情を込めて話をしていました。そしてある日、「汚れ無きマリアの戦士たちがポーランドだけではなく、ヨーロッパ、中国、日本、そして全世界に必要だ」と私が彼にいうと彼は非常に興奮し体をわなわなと震わせていました。」
「汚れなく宿り給いし聖マリアよ、御身により頼み奉る我らのため、また、全て御身により頼まぬもののため、とくに秘密結社の回心のために、祈り給え。」
ローマで聖マキシミリアノ神学生と神学校生活を共にした同級生の証言によると、「私は一生の間、生きている人々の中で、マキシミリアノ神父よりも聖母を愛したという人に出会ったことがありません。彼は至聖なるマリアの本当の子でした。」(ヨゼフ神父)
国際大神学校の校長イニューディ神父も、生徒名簿の277番にこう記録しています。
「マキシミリアノ・コルベ。ガリチア管区出身。1912年10月29日入学。1918年4月28日司祭叙階。グレゴリオ大学にて哲学博士号修得。1919年7月22日、本校にて神学博士号授与。1919年7月22日卒業。聖なる青年sanctus juvenis。」
聖コルベの決心
聖コルベは1920年2月、ポーランドのクラコビアで黙想会を行いました。彼は、こう決心しました。
《〈毎日読み返すべき生活の規則〉
1 私は聖人、しかも、大聖人にならなければならない。
2 天主の光栄のために汚れ無き聖母を通じて、私、並びに全ての霊魂たちを救わなければならない。
3 あらかじめ大罪からだけではなく、意識してする小罪も避けること。
4 許してはならないこと
イ 悪が償いとその根絶なしに残ること
ロ 善が実らないこと、または、善が増大しないこと
10 おまえは汚れ無き聖母の独占的、無条件的、不解消的、かつ完全な所有物であることを覚えよ。おまえが持つ、或いは、持つであろう全ての言葉、考え、行為、傾向(好み、無関心)などは、全て聖母の完全な所有物であることを忘れてはなら無い。あらゆることについて「おまえが」ではなく「聖母が」お望みのままになし給わんことを。同じく、おまえの全ての意向も、聖母のものであり、聖母がそれを自由に支配し、改め、実施し給わんことを。何故なら、聖母は誤ることが出来ないからである。おまえは聖母の御手の道具だから、聖母がお望みになることのみをしなければならない。全てを聖母の御手よりいただけ。幼子が母に頼るように聖母に頼れ。聖母に信頼せよ。聖母の光栄のために働き、おまえとおまえのことについては聖母に委ねよ。いっさいのものは聖母から受けたものであることを認識しなければならない。おまえの働きの実りは全て聖母との一致にかかっている。あたかも聖母が天主のあわれみの道具であるように・・・。
生(各瞬間)、死(いつ、どこで、どのように)、私の永遠、全ては聖母よ、御身のものなり。私のよりどころである聖母によればいっさいは可能。
内的生命---何よりもまず、自己の成聖、同じく他人の成聖のために尽くす。》
コルベ神父の日本で受けた秘密
「1937年1月10日、日曜日、夕食後私たちはヤセルカと呼んでいたかわいらしいクリスマス劇を見ることになっていました。それはホールで上演されることになっており、修道士や小神学生が役者でした。誰もがこの夕べを楽しみにしていました。マキシミリアノ神父は夕食の時に劇の発表をしましたが、終生誓願者で自分と話をしたいものは食堂に残っても良いと告げました。
夕食が終わって、ほとんどのものは劇を見に行きましたが、かなりのもの、ヒラリオ、カミロ、ルカ、エミリオ、ピオ・バルトシらの神父は食堂に留まりました。マキシミリアノ神父は『年齢に従って机を囲みましょう。打ち明け話があります。』と簡単に言いました。
私たちは座りました。コルベ院長の右にピオ神父、そしてその周りに一同修道誓願をたてた順に席を占めました。マキシミリアノ神父は、慈愛の波に押し流され、かすかな感動に打ち震えながら話し出しました。
『私はおまえたちと一緒にいます。おまえたちは私を愛しており、私はおまえたちを愛しています。私は死にますが、皆さんは生き残るでしょう。
この世を去る前に、記念を残しておきたいと思います。汚れ無き聖母のみ旨を果たすことを望みつつ、私は各自の自由に任せて、終生誓願者だけが残るようにしました。汚れ無き聖母がおまえたちをしてここに残るようにお望みになったのは1つの試しだと思います。
おまえたちは私を院長神父と呼びます。その通りです。また私を編集長神父と呼びますが、それもその通りです。私が修道院と印刷所において、院長であり、編集長です。しかし、それにもまして直接に私はおまえたちにとって何者でしょうか。私はおまえたちの父親です。おまえたちの肉親の父親より以上に、私はおまえたちの父なのです。
おまえたちは私を通じて霊的生命を受けました。おまえたちは私を通じて、この世の生命を越え、聖なる生命つまり修道生活への召命を受けました。私の言うことは本当のことではないですか。』
『確かに本当です。あなたがおいでにならなかったなら、聖母の騎士も、ニエポカラヌフも、私たちも、皆今ここにはいないでしょう。』と一人が答えると、別の一人は、『わたしは聖母の騎士誌を読んで、フランシスコ的使徒職を知りました。』と付け加えました。
また別のものは、『汚れ無き聖母の騎士誌は、私の中に修道生活への召命を芽生えさせました。』と述べました。
このように各人様々な経験を淡泊に打ち明けたのですが、その後でマキシミリアノ神父は再び語り始めました。
『そうです。私はおまえたちの父です。私に対して院長とか編集長とかとして対するのではなく、単に父として接して下さい。おまえたちも気がついていると思いますが、私が話すときはいつも「おまえ」という呼びかけを使うのを知っているでしょう。そのわけは父親はそのこを呼ぶのに「おまえ」という親しい表現しか使わないからです。」
『愛する子供たちよ、聖母を愛しなさい。知っている限り、出来る限り、愛しなさい。』
「皆を見回しながら、神父は心にある何か大きな秘密を打ち明ける様子を示していました。ただ、彼の深い謙遜がそれを妨げているようでした。遂に、恥ずかしそうに頭と目をおろし、感動を隠しきれなくなりました。その時の空気は何かしら、今から打ち明けられようとする神秘のように、厳かでした。神父は話し始めました。
『愛する子供たちよ、おまえたちは私がずっとおまえたちと一緒にいることが出来ないと言うことも知っているね。だから、記念として、何か言い残したいと思います。』
皆は異口同音に『どうぞおっしゃって下さい』と叫び、息をのみました。
『愛する子供たちよ、私がどんなに幸福か知ったなら・・・。私は幸せと平和であふれています。こんなに大きな幸せと平和を、この世でも味わうことが出来るのです。生活の矛盾の中にありながら、私の心の奥底には、いつも変わらない静けさが漂っています。愛する子供たちよ、汚れなき聖母を愛しなさい。聖母を愛するなら、聖母はおまえたちを幸せにして下さるでしょう。聖母に限りない信頼を寄せなさい。全ての人に汚れなき聖母を理解する恵みが与えられているのではありません。祈りによってのみ得られるものなのです。天主の御母は、至聖なる御母です。私たちは、〈母〉と言う言葉が何を意味するかを知っています。しかし、聖母は天主の御母であり、聖霊のみがご自分の花嫁を望む人に、望むときに、お知らせになるお恵みを与えになられます。・・・まだ、何か言いたかったのですが、これで十分でしょう。』
神父は一同を遠慮がちに見回されました。
私たちは、彼に、何も余すことなく打ち明けて下さるようにと願いました。彼は続けました。
『分かりました。言いましょう。先ほど私は非常に幸福で喜びに満ちあふれている、と言いましたね。それは、私が確実に天国に行けるという保証を与えられているからなのです。・・・愛する子供たちよ、聖母を愛しなさい。知っている限り、出来る限り、愛しなさい。』
神父は、以上のことを感動にふるえつつ、目に涙を浮かべながら言いました。しばらく沈黙が続きましたが、ややあって彼はその沈黙を破りました。
『このことを教えたのは、もう充分でしょう。』
『まだ少なすぎます。もっと言って下さい。神父様、私たちはもうこのような最後の晩餐を過ごすことがないでしょう。』
『おまえたちがそんなにもせがむから、これだけ付け加えます。私が言ったことは、日本であったことなのです。愛する子供たちよ、もうこれ以上は言いません。このことについてもうこれ以上何も尋ねないで下さい。』
・・・
『私は秘密を明かしました。それはおまえたちに、艱難の時に力と精神的エネルギーを注ぎ込むためです。・・・愛する子供たちよ、素晴らしいことは望まないようにしましょう。けれども汚れなき聖母のみ旨を果たすようにして下さい。私たちの意志ではなく、聖母のご意志をです。・・・』
例外的な集いは終わりました。私たちは心だけではなく、唇にさえも、『汚れなき聖母を愛しなさい!愛する子供たちよ、汚れなき聖母を愛しなさい!』とつぶやきながら食堂を出ました。」(pp. 256-261)
聖母の御像がモスクワの中心に
ロシアについてもマキシミリアノ神父はある程度その未来を承知していたと思われます。1937年2月、聖母の騎士会の20周年記念行事の際、聖コルベは講演しました。その公演中、聖なる創立者はこう主張したのです。
「汚れ無き聖母の騎士たちの手によって、聖母の御像がモスクワの中心に押し立てられるだろうと言うことが、遠い将来のことであるとか、単なる夢に過ぎないとか思わないようにしましょう。」(p265)
そうです。汚れなき聖母を愛しましょう。汚れない聖母を私たちの知りうる限り、出来る限り愛しましょう。聖コルベに続きましょう。汚れなき聖母の戦士として戦いましょう。日本の回心のために、聖母の汚れなき御心に祈りましょう。我が祖国日本が、聖母の汚れなき御心にかなう、汚れなき御心の御国となるように、祈りましょう。日本のあらゆるところで、聖母の汚れなき御心が讃えられ愛されますように!
「汚れなく宿り給いし聖マリアよ、御身により頼み奉る我らのため、また、全て御身により頼まぬもののため、とくに秘密結社の回心のために、祈り給え。」