「地獄の門も私の教会に勝てないだろう」
「むしろ体と霊魂をゲヘナで滅ぼせるお方を恐れよ」
「世にいる兄弟たちも同じ苦しみに耐えていることを思い、信仰を固めて彼に抵抗せよ」
ヴィガノ・テープ:「恐れてはなりません」
質問17
The Vigano Tapes:“Let us not be frightened”
Question #17
【質問番号17】大司教様、大司教様は、私たちの人間性、伝統、自由の理解に対する大きな挑戦と、その自由が失われる可能性について、ある種の厳しい絵を描いてくださいました。このような大きな課題に直面している私たちの将来の可能性について、何か希望のようなものをお持ちですか?
【回答】私は、これまで何度も使ってきた言葉を使って、私の話を聞いてくださるすべての人の心を強めたいと思います。穏やかな気持ちになるためには、「portæ inferi non prævalebunt」(地獄の門も勝てぬ)【マテオ16章18節】という私たちの主の言葉を繰り返すことで十分です。これは、私たちがよく知っている言葉であり、その言葉に基づいて、最終的な勝利は天主にあることを私たちは知っています。しかし、終末論的な真理を考えるのと同時に、私たちのより直近の運命、つまり、これからの数カ月、数年の間に自分に何が起こるかを心配するのも理解できます。私たちは、自分の愛する人々、子どもたち、お年寄りたちを心配しています。今から数週間後に自分たちに何が起こるのかを心配しているのです。なぜなら、統治する人々は毎日のように新しい規範、制限、義務を押し付けているからです。多くの要素が私たちを終末の時代に近づけていると思わせているとしても、それによって現在および直近の将来の私たちの苦しみが減るわけではありません。
私が最初に考えたのは、私たちの主の言葉です。「むしろ体と霊魂をゲヘナで滅ぼせるお方を恐れよ」(マテオ10章28節)。恩寵の生活、天主との友情、頻繁に秘跡を受けることは、私たちにとって、人類を襲う霊的な疫病に対する無敵の薬です。迫り来る脅威に怯えてはいけません。悪魔が吠えるのは、主が彼に噛みつくことをお許しにならないということなのです。私たちのそばには、私たちの母であり元后である至聖なる童貞がおられます。私たちは、自分自身と愛する人たちを聖母のご保護にお委ねしましょう。聖母は【私たちを食い尽くそうとしている】飢えた獅子をどうやって叩きのめすかのやり方をご存じだと、私たちは確信しています。「世にいる兄弟たちも同じ苦しみに耐えていることを思い、信仰を固めて彼に抵抗せよ」(ペトロ前書5章9節)。
ヴィガノ・テープ:「これらの司祭たちを感謝して助けなさい」
質問18
The Vigano Tapes:“Help these priests with gratitude”
Question #18
【質問番号18】大司教様、希望ある言葉をありがとうございます。では、最後の質問をさせていただきます。大司教様は一つの小さな面を残しておられます。パンデミック、ワクチン、健康パスポートとは別に、カトリック信者の多くは、古いミサに結びついている共同体の運命を心配しています。これらの共同体の運命と、多くの人が懸念しているカトリック教会の古い祈りの方法について、何か言えることはおありですか?
【回答】この場合も、報復や破門で脅かしている吼える獅子には歯がありません。信者たちや司祭たちは、彼の脅し、聖像破壊的な怒り、カトリックのミサに対する今や露骨になった憎しみが、彼の本当の姿を明らかにしたことをよく理解しています。彼は聖なる犠牲【聖伝のミサ聖祭】を捧げ続ける司祭に何ができるでしょうか? 「divinis」(聖職)の停止、あるいは破門でしょうか? 小教区から追い出すでしょうか? 平信徒に格下げするのでしょうか? このようなことがあっても、良き司祭たちは、謙虚さと変わらぬ心で、密かに使徒職を続けることをやめないでしょう。これは初めてのことではなく、おそらく最後でもないでしょう。そして、危機に瀕している最重要課題、つまり永遠の救いを理解している人々は、サンタ・マルタ館の見苦しい叫び声におじけづくことはないでしょう。
また、信者の皆さんにお願いします。これらの司祭たちを感謝の気持ちで迎え入れて助け、迫害に直面しても屈しないように彼らを励ましてください。信者の皆さんをお招きします。天使のパンをいただくために、家庭用の祭壇を作って、その周りに信仰の兄弟を集めてください。聖なるミサの計り知れない恩寵は、私たちの小さな共同体にも、教会にも、そしてこの世にも惜しみなく注がれるでしょう。良き聖職者が自分の召命に忠実であり続けることができるよう、また、生ぬるい者が天主の栄養の中に、「opportune importune」(良い折があろうとなかろうと)【ティモテオ後書4章2節】、み言葉を説く勇気を見いだすことができるよう、また、司祭の塗油の価値を忘れてしまった人々が回心して自分の道を正すことができるよう、祈りましょう。
迫害の中で、常に恩寵は増大し、霊的な盲目が真と善の観想へと開かれ、心のかたくなさが天主の声への素直さへと溶けていくのです。
+カルロ・マリア・ヴィガノ大司教