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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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「ロザリオの秘密」聖ルイ・グリニョン・ド・モンフォール著 第18と19と20番目のバラ:一つ一つのめでたしは、十五個の宝石の価値があり、すべての富を合わせたものよりも聖母を御喜ばせする。

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十八番目のバラ:「めでたし」ー祝福

この天的な祝詞は、イエズスとマリアからの祝福を私たちの上に豊かに引き寄せる。なぜなら、イエズスとマリアは、彼らを讃美する者に驚くべき方法で報いてくださるというのが、確実な真理だからである。私たちがイエズスとマリアを讃美すると、彼らは百倍の報いを以って私たちに返して下さるのだ。
“私を愛する人を私は愛する。......それは、私を愛する人々に財産を与え、彼らの金庫を満たすだろう。”イエズスとマリアはいつも仰せられている、「私たちは自分を愛する者たちを愛し、彼らを豊かにし、彼らの宝をあふれるほどに満たす。」
“豊かにまく者は、豊かに刈り取るであろう。”
さて、もし私たちが「めでたし」を正しく唱えるなら、これはイエズスとマリアを愛し、祝福し、栄光を捧げる方法なのではないだろうか。

「めでたし」のたびに、私たちはイエズスとマリアの両方に祝福を捧げる。『御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。』

天主が大天使聖ガブリエルを送って聖母に挨拶させ、そうすることによって彼女に与えられたと同じ名誉を、私たちは「めでたし」を唱えるたびに聖母に捧げるのだ。自分たちを呪う者にでさえもしばしば善をなされるイエズスとマリアが、「めでたし」によって自分たちを祝福し敬う者を呪うようなことをされるとは、誰も考えられないだろう。

聖ベルナルドと聖ボナヴェントゥーラは共に、天の元后は確かに、この世の優雅で礼儀正しい人々と同様、感謝の念と誠実さとをお持ちである、と述べている。聖母は他のすべての完全さにおいて優れておられるように、感謝の美徳においても私たち全員を凌駕しておられる。であるから、聖母は私たちが愛と尊敬をもって彼女を敬うことに対して、百倍のお返しをしなければ決して承知しないのである。聖ボナヴェントゥーラは、私たちが「めでたし」で聖母を迎えれば、マリア様は「御恵み」をもって私たちを迎えてくださる、とも述べている。

聖母の挨拶と優しい配慮が私たちにもたらす御恵みと祝福を、誰が理解することができるだろうか?聖エリザベトが天主の御母からの挨拶の言葉を聞いたその瞬間、エリザベトは聖霊に満たされ、彼女の胎内にいた子供は喜び躍った。もし、私たちが聖母の挨拶と祝福を受けるに相応しい者となることができれば、必ずや御恵みに満たされ、霊的な慰めの満ち溢れが私たちの霊魂に降り注ぐことになるだろう。

十九番目のバラ:幸いな交換

聖福音には、“与えよ、そうすれば与えられる。”と書かれてある。福者アランの図解を例に取ると、「毎日、百五十個のダイヤモンドをあなたにあげたとしたら、あなたが私の敵であったとしても、私を赦してくれるのではないだろううか?私を友人として扱い、あなたが与えることのできるすべての恵みを私に与えてくれるのではないだろうか?御恵みと栄光の富を得たいのであれば、聖母に敬意を払い、良き御母に栄光を捧げなさい。」
“自分の母を尊ぶ人は、宝物を積むに等しい Sicut qui thesaurizat, ita et qui honorificat matrem.” だから毎日、少なくとも五十回のめでたしを聖母に捧げよ。一つ一つのめでたしは、十五個の宝石の価値があり、この世のすべての富を合わせたものよりもはるかに聖母を御喜ばせすることができる。

そして、聖母のその寛大さから、あなたはそのような素晴らしいものを期待することができるのだ!聖母は私たちの御母であり、友人でもあられる。聖母は全宇宙の元后であり、世界中の母親や女王が誰かを愛したことがある以上に、私たちを愛しておられる。これは本当にその通りであるが、聖アウグスティヌスが言っているように、聖母の愛は、全人類、さらには全ての天使たちの自然の愛をはるかに超えておられるからだ。

ある日、聖女ジェルトルードは、金貨を数えておられる主のヴィジョンを見た。彼女は勇気を出して、何をしておられるのか主に尋ねた。主は答えられた。“私は、おまえが唱えた「めでたし」の数を数えている。これは、お前が天国への道を支払うための金貨なのだ。”

聖なる学識者であるイエズス会のスアレス神父は、天使祝詞の価値を深く理解しており、正しく唱えられた一つのめでたしの代わりに、自分のすべての学識を喜んで差し出すと言ったそうである。

福者アラン・ド・ラ・ロシュはこう言った。"御身を愛するすべての者たちよ、ああ、最も聖なるマリアよ、これを聞き給え、これを聞き入れ給え。

私が「めでたし」を唱えるとき、いつでも
天の宮廷は喜び、地は驚嘆に包まれる。

すると私はこの世を軽蔑し、
心は天主の愛で満たされる。

私がめでたしを唱えるとき、
すべての恐れは枯れ果てて、情欲は鎮められる。

私がめでたしを唱えるなら、
信心は成長し、罪の悲しみを悟らせる。

私がめでたしを唱えるとき、
希望は胸の中で強められ、ますます多くの慰めの露が、私の霊魂に降り注ぐ。

なぜならそれは、私がめでたしを唱えるから。
その時私の精神は喜び、悲しみは消え去っていく、
私がめでたしを唱えるとき. . .。

この祝福された挨拶の甘美さは、言葉では十分に説明することができないほど偉大であり、その不思議さが歌われたとしても、私たちはそれが神秘に満ちており、その奥深さは決して測ることができないほど深遠であることに気付く。言葉は少なくとも、非常に神秘に富んでおり、蜜よりも甘く、黄金よりも貴重なものなのである。私たちは心の中でしばしばこの言葉を黙想し、敬虔な気持ちで何度も何度も口にすべきである。」

福者アランによると、常に聖なるロザリオに対して優れた信心を持っていたある修道女が、死後、修道院にいる一人の修道女の元に現れてこう言ったそうである。「もし私が自分の体に戻ることが許されるならば、たった一度でもめでたしを唱えるチャンスを得るために、たとえそれが早口で熱心なものでなかったとしても、この祈りの功徳を得るために私は喜んで、最後の病床の苦しみをもう一度耐え忍びたいと思います」。(福者アラン・ド・ラ・ロシュ『詩篇の尊厳』第69章)
死の前、彼女は数年間寝たきりで苦しい痛みを忍んでいたので、この言葉にはより説得力がある。

サリュブル(Salubre)の司教ミカエル・ド・リル(Michel de Lisle)は、聖なるロザリオの再確立において福者アランの弟子であり協力者であったが、聖母を讃えて敬虔に唱える限り、天使祝詞は私たちが苦しむすべての病の治療法である、と述べている。


二十番目のバラ:「めでたし」ー解説

あなたは罪の惨めな状態にあるのだろうか?それなら、天主的なマリアを呼び、彼女にこう言うがよい:『めでたし』、これは、「最も深い敬意を以って御身に挨拶申し上げます。罪の汚れなき御方よ」という意味で、そうすれば、聖母はあなたを罪の悪から救い出してくださるだろう。

あなたは無知と誤りの暗闇の中で手探りしているのだろうか?マリアの元に行き、こう言うがよい:『マリア』、これは、「めでたし、正義の太陽の光を浴びる御方よ」という意味で、そうすれば、聖母は彼女の光の一筋をあなたに与えてくださるだろう。

あなたは天国へと続く道から外れてしまったのだろうか?それなら、マリアの御名を呼ぶがよい。彼女の名は、「海の星、この世の航海のさ中に、私たちの霊魂の船を導いてくれる北極星」を意味しており、聖母はあなたを永遠の救いの港へと導いてくださるだろう。

あなたは悲しんでいるのだろうか?マリアを頼りなさい。マリアの御名は、「この世では鋭い痛みに満ちていた苦味の海が、天国では最も純粋な喜びの海に変わる」という意味でもあり、聖母はあなたの悲しみを喜びに、あなたの苦悩を慰めに変えてくださるだろう。

あなたは恩寵の状態を失っているのだろうか?天主が聖母を満たした無数の恩寵を讃美し、敬意を表して、聖母にこう言うがよい:『聖寵充ち満てる御方』、「あなたは御恵みに満ち、聖霊のすべての賜物に満たされています。」すると、聖母はあなたにこれらの御恵みの一部を与えてくださるだろう。

あなたは天主の保護を失って孤独でいるのだろうか?マリアに祈り、こう言うがよい:『主、御身と共にまします』ーー「この一致は、聖人や義人たちの一致よりもはるかに崇高で親密なものであります。なぜなら、御身は御子と一体だからです。主は御身の子であり、その肉は御身の肉であり、御身は完全に主と似通った者であられるために、また相互の愛によってーー主の御母であるために、主と一体となっておられるのです。」そして、彼女にこう言うがよい。「御身は、最も祝福された三位一体の神殿であられるので、天主三位のペルソナが御身と共にましますのです。」そうすれば、聖母はあなたを再び、全能の天主の御保護と配慮の下に置いてくださるだろう。

あなたは追放され、天主に排斥されてしまったのだろうか?それなら、聖母にこう言うが良い:『御身は女の内にて祝せられ』、「御身はその純潔さと実り豊かさによって、すべての女性に優って、すべての民々に優って祝福されておられます。御身は、天主の私たちへの呪いを祝福へと変えられたのです。」そうすれば、聖母はあなたを祝福してくださるだろう。

あなたは恵みのパンと生命のパンに飢えているのだろうか?天から降られた、生けるパンである御方をお産みになられた聖母に近づき、こう言うがよい:『御胎内の御子、イエズスも祝せられ給う』、「御身の童貞性を少しも損なわれることなく、不快を感じられることなく身ごもり、産みの苦しみを伴われることがなかったあなたの御胎内の実が祝福されますように。祝福されたイエズスは、私たちが罪の鎖に縛られていたとき、私たちの苦しみの世界を贖い、全世界の病を癒し、死者をよみがえらせ、追放された者を家に帰し、罪人を恩寵の生活に戻し、人類を天罰から救ってくださいました。」間違いなく、あなたの霊魂はこの世では御恵みのパンで満たされ、後の世では永遠の栄光によって満たされるでしょう。アーメン。

そして、祈りの最後に、聖にして母なる教会と共にこう祈るがよい。

「聖マリア、
御体と御霊魂において聖なる方
天主への奉仕に対して、御身の比いなきかつ永遠なる献身の故に聖なる方、
天主の御母という偉大なる地位において聖なる方、
天主は、この偉大な尊厳にふさわしい特徴である、卓越した聖性を御身に授け給うた。

天主の御母、
そして我らの御母、
我らの代弁者であり仲介者、
御身は、天主の御恵みの宝庫であり、
その恩寵を、御自身が適切と思われるやり方で分配し給う。

ああ、我らは御身に願い奉る、
我らの罪の赦しをすみやかに獲得し給いて、
我らが天主の無限の御稜威(みいつ)と和睦し得るように。

罪人なる我らのために、祈り給え。
御身は、助けを必要とする者たちへの同情に常に満ちておられる方なり、
御身は、罪人を決して軽蔑したりせず、顔を背けることもせず、
彼らのためでないならば、御身は贖い主の御母となり給うことはなかった。

今、我らの為に祈り給え。
今、悲しみと不安に満ちたこの短い人生のさ中において、
今、我らの為に祈り給え。
今、なぜなら、我らはこの瞬間を除いては、何も確かではありえないから。
今、我らの為に祈り給え。
今、なぜなら、我らは、昼夜を問わず、強力で残酷な敵に攻撃されているから。

今も、臨終の時も、我らの為に祈り給え。
非常に恐ろしく危険に満ちた、臨終の時、
我らの力が衰え、精神は沈み、霊魂も肉体も、恐怖と痛みで消耗し尽くすその時、
我らの臨終の時、
悪魔が我らを陥れ、滅びに追い込もうと、力強く働いているその時、
我らのために祈り給え。
永遠の天国か、あるいは、永遠の地獄か、我らの永遠の行く末がはっきりと決定する最後の運命の時に、我らの為に祈り給え。

憐みの優しい御母よ、哀れな子供たちを助けに来給え、
ああ、罪人の避難所であり代弁者よ、
死の瞬間に我らを守り、我らを恐怖に陥れ、我らを告発する恐ろしい冷酷な敵である悪魔を、我らから遠くへ追いやり給え。
死の影の谷を通り抜ける、その我らの道を照らし導き給え。

願わくは、御母よ、我らを審判する御子の裁きの座に私たちと共に立ち給え。
御身の御子が我ら赦し給うよう、永遠の栄光の王国において、御身の選ばれた者らの中へ我らを受け入れ給うよう、我らのために祈り、執り成し給え。

アーメン。」

「主祷文」と「天使祝詞」という二つの天上的なもので構成される聖なるロザリオの美しさには、誰もが感嘆せずにはいられない。この二つの祈りよりも全能の天主と聖母に喜ばれる祈りや、より簡単で、より貴重で、より助けになる祈りがあるだろうか?最も祝福された三位一体、私たちの救い主であるイエズス・キリスト、そしてその最も聖なる御母を讃美するために、私たちは常にこの二つの祈りを心に留め、口にすべきである。

さらに、それぞれの一連の終わりに、「願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを... ... 」を加えることはとても良いことである。『願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。始めにありし如く、今もいつも、世々に至るまで、アーメン。』


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