ドミニコ会神学者ヴォイチェフ・ゴワスキ神父の公開書簡
「私は教会の聖なる典礼という宝の証人とならねばならない」
以下の教皇フランシスコへの公開書簡は、ヴォイチェフ・ゴワスキ神父(ドミニコ会)が作成したもので、すでにポーランド語で発表されています。以下は、著者からRorate Caeliに提供された英語の翻訳からの日本語訳です。聖ピオ十世会の問題についてどのような立場にあるかにかかわらず、この書簡は「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)に対する恐るべき批判であるため、注意して読むに値するものです。
ヴォイチェフ・ゴワスキ神父(ドミニコ会)【Fr. Wojciech Gołaski O.P.】
2021年8月17日、ヤムナ(ポーランド)にて
バチカン・シティ
聖座
サンタ・マルタ館
教皇フランシスコ聖下
ドミニコ会総長ジェラード・フランシスコ・ティモネル三世神父様
ドミニコ会ポーランド管区長パーヴェル・コザツキ神父様
タルヌフ教区アンジェイ・イェズ司教閣下
ドミニコ会ヤムナ修道院長アンジェイ・クレヴィツキ神父様
ドミニコ会ブラザーおよびシスターの方々
聖ピオ十世会ポーランド管区長カール・シュテーリン神父様
関係するすべての方々
教皇聖下、
私は57年前に生まれ、35年前にドミニコ会に入会しました。29年前に終生誓願を立て、司祭になって28年目になります。1970年の【典礼】改革以前の聖なるミサについては、幼少の頃からの漠然とした記憶しかありませんでした。叙階されてから16年後、2人の信者の友人(2人は互いに知り合いではありません)が、聖伝の形式の聖なるミサの捧げ方を学ぶように私に勧めました。私は彼らの言葉を聞き入れました。
それは私にとって衝撃的でした。私は以下のことを再発見しました。古典的な形式の聖なるミサは、
・司祭と信者の両方の全注意を神秘へと向けます。
・今ここ祭壇上で起こっていることへの教会の信仰を、素晴らしい正確さの言葉と体の動きで表現します。
・その正確さにふさわしい力で、司式司祭と会衆の信仰を強めます。
・典礼の間、司祭も信者も、自らの発明物や創造物に至ることはありません。
・それとはまったく逆に、司祭や信者を沈黙と観想の道へと導きます。
・その体の動きの数と性質によって、天主への絶え間ない敬虔かつ愛の行いの可能性を与えます。
・司祭と信者を一致させて、彼らを祭壇の同じ側に配置し、同じ方向に、つまり十字架へと、天主へと(versus Crucem, versus Deum)向けさせます。
私は心の中で言いました。「では、これが聖なるミサなのか!」と。16年間司祭だった私はそれを知らなかったのです! それは強力な「エウレカ」(eureka)、発見であり、それ以降、私のミサについての考えが同じであるはずはありませんでした。
私は最初から、この典礼は固定観念とは正反対のものだと思いました。形式主義ではなく、天主の御前での霊魂の自由な表現です。堅苦しさではなく、天主への崇拝の熱意です。距離を感じるのではなく、近しさを感じます。奇妙な感じではなく、親密な感じです。硬直ではなく、安心感です。信者の受動性ではなく、信者の神秘への深く生きたつながりです(結局、私が聖伝のミサに導かれたのは、信者を通してでした)。司祭と信者の間にある溝ではなく、典文の沈黙によって守られ表される、その場にいるすべての人の間にある緊密な霊的一致です。この発見をすることにより、私には、はっきりと分かるようになりました。それは、この形式こそが、私たちよりも前に生き、信仰を伝えてきた世代との橋渡しであることです。すべての時代を超えたこの教会の一致への私の喜びは、非常に大きなものでした。
私は最初から、聖伝の形式のミサが持つ霊的な魅力という強い力を経験しました。私が引かれたのは、しるしそのものではなく、しるしの意味であって、霊魂はそれを読み取る方法を知っているのです。次回のミサを捧げることを考えるだけで、私は喜びでいっぱいになりました。ミサを捧げるあらゆる機会を、熱望をもって待ち望みました。私の中にすぐ、完全な確信が熟してきました。それは、もし私が生涯の終わりまで聖伝の形式でしかミサ(そしてすべての秘跡と儀式)を捧げられないとしても、公会議後の形式を名残惜しく思うことは少しもないだろうという確信です。
改革された典礼の観点から見て、聖伝のミサに対する私の気持ちを一言で表すように言われたなら、私は「安心感」と答えるでしょう。というのは、それは、実際に安心感だったからです。言い表せないほどの深みがあるものでした。まるで、小石の入った靴を履いて足が擦れて痛くて苛立たしい状態でずっと歩いてきて、他の方法で歩いた経験がない人が、16年後に小石のない靴を差し出されて、「さあ」「履いてみて」「試してみて」と言われたような安心感でした。私は聖なるミサを再発見しただけでなく、何世紀にもわたって使用されてきたミサと、公会議後のミサという二つの形式のミサの間にある驚くべき違いも再発見しました。この違いを知らなかったのは、以前の形式を知らなかったからです。聖伝の典礼との出会いは、私を養子にして養い親になってくれた人との出会いとは比べものになりません。それは、実母との出会いだったのです。ずっと私の母だったにもかかわらず、私はその人のことをそれまで知らなかったのです。
このすべてにおいて、私には教皇様方による祝福がありました。彼らは、1962年版のミサ典礼書は「法的な意味で廃止されたことは決してありません。したがって、このミサ典礼書は原則的にはつねに認められてきたということです」と教え、加えてこう述べられました。「過去の人々にとって神聖だったものは、わたしたちにとっても神聖であり、偉大なものであり続けます。それが突然すべて禁じられることも、さらには有害なものと考えられることもありえません。わたしたちは皆、教会の信仰と祈りの中で成長してきた富を守り、それにふさわしい場を与えなければなりません」(ベネディクト十六世、司教への手紙、2007年)【教皇ベネディクト十六世の全世界の司教への手紙-1970年の改革以前のローマ典礼の使用に関する「自発教令」の発表にあたって】。信者たちもこう教えられました。「その尊く古代から使用されていることのために、特別形式(forma extraordinaria)は適切な敬意を持って維持されなければならない」。それは、「守るべき貴重な宝」と表現されています(教皇庁エクレジア・デイ委員会訓令「ウニヴェルセ・エクレジエ」(Universae Ecclesiae)、2011年)【自発教令として発表された教皇ベネディクト十六世の使徒的書簡『スンモールム・ポンティフィクム』の適用に関する訓令(UnaVoceJapanウェブサイトより引用)】。
これらの言葉は、1970年の改革後、信者が聖伝の典礼を使用することを可能にした以前の文書に続くもので、その最初のものが1984年の「クァットゥオル・アビンク・アンノス」(Quattuor abhinc annos)【教理省の書簡】です。これらの文書の基礎となっているのは、聖ピオ五世の勅書「クオ・プリームム・テンポーレ」(Quo primum tempore)(1570年)です。
教皇様、私たちが、教皇ピオ五世の荘厳な文書を忘れることなく、教皇様のすぐ前の前任の教皇様たちのなした複数の宣言をカバーする時の経過を考慮するなら、教会は1984年から2021年までの37年間、信者たちに、聖伝の典礼に関して、かつてないほど強く「このような道がある。あなたはその道を歩くことができる」と言ったのです。
ですから、私は教会から提示された道を選びました。
この道を歩む人、つまり、天主の現存および天主への供え物の器であるこの典礼を、自分の人生において実りあるものにしたいと思う人は、自分の心を完全に開いて、この聖なる典礼という器を通して私たちのうちに現存し、働いておられる天主に、自分と他人をお委ねしなければなりません。これを、私は全幅の信頼をもって行いました。
その後、2021年7月16日を迎えました。
教皇様、教皇様の文書から、私が12年間歩んできた道が存在しなくなったことを知りました。
私たちには、二人の教皇の確言があります。教皇ベネディクト十六世聖下は、聖ピオ五世が公布したローマ・ミサ典礼書は、「ローマ典礼のカトリック教会の祈りの法(lex orandi)の特別な表現と考えなければなりません」と述べられました。しかし、教皇フランシスコ聖下は、「聖パウロ六世と聖ヨハネ・パウロ二世が公布した典礼書は、(中略)ローマ典礼の祈りの法(lex orandi)の唯一の表現です」と述べておられます。ですから、後継者の確言が、まだご存命の前任者の確言を否定しているのです。
遠い昔から何世紀にもわたる古い聖伝によって確認され、2021年7月16日まで教皇様を含むすべての教皇によって認可され、何世紀にもわたる実践によって聖化された、特定のミサを捧げる方法が、突然、ローマ典礼の「祈りの法」(lex orandi)でなくなることがあるのでしょうか? これがもしそうだとすれば、そのような特徴は儀式に内在するものではなく、高い権威を持つ場所を占める人々の決定に従うという外的な属性を意味することになります。実際には、聖伝の典礼は、そのすべての体の動きとすべての文によって、そしてそれらが構成する全体によって、ローマ典礼の「祈りの法」を表現しています。教会が遠い昔の時代から途切れることなく使用してきたという理由から常に保持したように、この「祈りの法」を表現することも保証されています。私たちは、第一の(ベネディクト)教皇の確言は、確固とした基盤を持ち、真実であり、第二の(フランシスコの)確言は、根拠がなく、虚偽であると結論づけなければなりません。しかし、それは虚偽であるにもかかわらず、法の力が与えられています。このことは、以下に書くような結果をもたらします。
1962年版ミサ典礼書の使用に関する譲歩は、これまでの譲歩とは異なる性格を持っています。それはもはや、聖伝の形式を固守する信者の愛に応えることではなく、改革された典礼に「戻る」ための時間―どれほどの時間かについては聞かされていません―を信者に与えることなのです。教皇様の自発教令と司教たちへの書簡の言葉から、聖伝の典礼を教会の生活から取り除き、忘却の淵に投げ込むという決定がなされ、すでに実行に移されていることが本当に明確になっています。それは、小教区の教会で使ってはならない、新しいグループを作ってはならない、新しい司祭が行う場合はローマに相談しなければならない、というものです。司教たちは今、確かに「トラディティオーニス・クストーデス」、つまり「聖伝の守護者」ですが、それは聖伝を守る保護者という意味ではなく、むしろ牢獄の管理者という意味です。
このこと【聖伝のミサの消滅】は起こらず、この作戦は失敗するだろう、という確信を述べさせてください。この確信の根拠は何でしょうか? 7月16日の両方の書簡を注意深く分析すると、四つの要素が見えてくるのです。それは、ヘーゲル主義、唯名論、教皇が全能であると信じていること、そして集団責任です。それぞれが教皇様のメッセージの本質的な構成要素であり、いずれもカトリックの信仰の遺産とは両立できません。信仰と両立できないのですから、理論的にも実践的にも信仰の中へと統合されることはありません。では、それぞれを順に見ていきましょう。
1)ヘーゲル主義。この言葉は、従来使われている言い方ですが、ドイツの哲学者ヘーゲルの体系を文字通り意味するのではなく、この体系から派生したものを意味しています。すなわち、歴史を善良で合理的かつ必然的な連続的変化の過程として理解することを意味します。この考え方は、ヘラクレイトスやプロティノス、フィオーレのヨアキムから、ヘーゲル、マルクス、そして現代における彼らの後継者に至るまで、長い歴史を持っています。
この考え方の特徴は、歴史をいくつかの段階に分割し、それぞれの新しい段階の始まりと、その前の段階の終わりとを接合することです。ヘーゲル主義に「洗礼を施す」試みは、これらの歴史的段階とされるものに聖霊の権威を与えようとする試み【聖霊がそのような歴史的段階を歩むように導いたと主張すること】にほかなりません。それによると、聖霊は、前の世代には語らなかった何かを次の世代に伝える、あるいは、前に語ったことと矛盾する何かを授けるということが想定されているのです。後者の場合、次の三つのうちの一つを受け入れなければなりません。ある段階で教会が聖霊に従わなかったのか、または聖霊は変化するものなのか、あるいは聖霊は矛盾を内包しているのか、です。
この世界観のもう一つの帰結は、教会と聖伝を理解する方法が変化することです。教会はもはや、カトリックの信仰が保持するような、時間を超越して信者を一致させる共同体ではなく、さまざまな段階に属するグループの集合体として捉えられています。これらのグループはもはや共通の言語を持っていなくなってしまいます。私たちの祖先は、今日、聖霊が私たちに語っていることを知ることはできなかったのです。聖伝そのものは、もはや継続的に研究される一つのメッセージではなく、むしろ聖霊から何度も何度も新しいことを受け取ることにされてしまいます。
教皇様、私たちはこうして、聖下の「司教たちへの書簡」にあるように、「聖伝の原動力」(dynamic of Tradition)という言葉を、しばしば特定の出来事に当てはめたものとして、聞くようになります。その例として、教皇様は、この原動力の「最後の段階は第二バチカン公会議であり、公会議では、カトリックの司教たちが聖霊によって教会に示された道に耳を傾け、識別するために集まりました」と書いておられることです。この論法は、新しい段階には新しい典礼様式が必要だということを意味しています。なぜなら、以前の典礼様式は、終わりを迎えた前の段階に適したものだったからです。このような一連の段階は、聖霊が公会議を通じて承認したものであるため、新しい形式を利用できるにもかかわらず古い形式を固守する人々は、聖霊に反することになります。
しかし、このような世界観は、信仰に反しています。カトリックの信仰の規範である聖書には、そのような歴史認識の根拠はありません。むしろ、まったく別の理解を教えてくれています。ヨジア王は、古い律法の書が発見されたことを知り、半世紀もの間中断していたにもかかわらず、その書に従って過ぎ越しの祭りを行うように命じました(列王の書下22-23章)。同じように、バビロン捕囚から帰還したエズラとネヘミアは、前回の祭りから何十年もたっていたにもかかわらず、律法の古文書に厳密に従って、民全体で小屋の祭り【仮庵の祭り】を祝いました(ネヘミア8章)。いずれの場合も、混乱した時代を経て、天主への礼拝を更新するために、古い律法の記録が用いられました。新しい時代が到来したことを根拠に、儀式の変更を求める人はいませんでした。
2)唯名論【実体はどうであれ、名前・レッテルだけが物事を決定するとする主張】。ヘーゲル主義が歴史についての理解に影響を与えるのに対し、唯名論は一致についての理解に影響を与えます。唯名論とは、(トップダウンによる行政的な決定によって【名目上のみの】)外的な一致を導入することが、本当の一致を実現することに等しいとするというものです。これは、唯名論が、霊的な現実を物質的な手段で把握して調整しようとすることにより、霊的な現実を廃止するからです。教皇様、あなたは次のように書かれています。「私が先任者たちによって許可された権限を撤回せざるを得ないのは、キリストの体の一致を守るためです」。しかし、この目標、真の一致に到達するために、教皇様の先任者たちは逆の決断をなさったのであり、それは理由がないわけではありません。真の一致は、霊的かつ内的なものを含んでおり、したがって単なる外的な一致とは異なることを理解すれば、もはや外的なしるしを統一するだけでは、真の一致を求めることはできません。このような方法では真の一致は得られず、むしろ不毛なものとなり、一致の反対である分裂が生じてしまいます。
権限を奪ったり、同意を撤回したり、制限を課したりすることからは、一致は生まれません。ユダ王国のレハブアム王は、多く改善を望むイスラエル人をどう扱うかを決める前に、二つの助言者グループに相談しました。長老の助言者たちは、寛大さと人々の重荷の軽減を勧めました。年を取っていることは、聖書では、しばしば成熟を象徴しています。一方、王と同世代の若者の助言者たちは、重荷を増やし、厳しい言葉を使うことを勧めました。若さは、聖書では、しばしば未熟を象徴しています。王は若者たちの助言に従いました。このため、ユダとイスラエルの間に一致をもたらすことはできませんでした。その反対に、王国が二つの国に分裂するきっかけとなりました(列王の書上12章)。私たちの主は、柔和さの欠如が分裂の原因となったことを知っておられ、柔和の聖徳によって、この分裂を癒やされました。
聖霊降臨以前、使徒たちは外的な基準で一致を評価していました。この方法は、救い主ご自身によって修正されました。救い主は、聖ヨハネの「先生、あなたのみ名によって悪魔を追い出している人を見ました。その人は私たちとともにあなたに従っている人ではなかったので、私たちはその人のすることに邪魔を入れました」という言葉に対して、「邪魔をしてはいけない。あなたたちに逆らわぬ者は味方なのだ」(ルカ9章49-50節。マテオ9章38-41節参照)と答えられました。教皇様、教皇様には「逆らわぬ」何十万人もの信者がいました。でも、教皇様は彼らに困難な状況をもたらすようなことをなさってきました。一致についてのより深い霊的な基本を指摘しておられる救い主の言葉に従う方が良かったのではないでしょうか? ヘーゲル主義と唯名論はしばしば同盟関係になります。それは、唯物論的な歴史理解のせいで、各段階が元に戻れない形で終了しなければならないと確信してしまうからです。
3)教皇が全能であると信じていること。教皇ベネディクト十六世は、古典的な典礼の使用をより自由にするために、何世紀にもわたる慣習や慣用に言及されました。これらは、彼の決意の確かな根拠となりました。今回の聖下の決定は、そのような根拠に基づくものではありません。それどころか、非常に長い間、存在し、存続してきたものを取り消すものです。教皇様、教皇様は、聖ピオ五世の決定に【自分への】支持を見いだすと書いておられますが、聖ピオ五世は、教皇様の決定とは全く逆の基準を適用しました。聖ピオ五世によれば、何世紀にもわたって存続してきたものはそのまま継続し、新しいものだけが破棄されます。ですから、教皇様の決定に残された唯一の根拠は、ローマ教皇の権威を持つ一人の人物の意思だけです。しかし、この権威がいかに偉大なものであっても、古代の典礼習慣がローマ教会の「祈りの法」の表現であることを妨げることができるでしょうか? 聖トマス・アクィナスは、天主は一度存在したものを決して存在しなかったものとすることができるのか、と自問しています。矛盾は天主の全能の一部ではないため、その答えは「いいえ」です(神学大全第1部第25問題第4項目)。同様に、教皇の権威は、何世紀にもわたって教会の信仰(祈りの法)を表現してきた聖伝の儀式が、ある日突然、同じ教会の祈りの法を表現できなくなるような事態を引き起こすことはあり得ません。教皇は決定を下すことができるかもしれませんが、教皇の在位期間をはるかに超えた過去と未来に及ぶ【教会という神秘体の】「一致」(unity)を侵害するような決定はできません。教皇は、自分の権威よりも大きな「一致」に仕えています。それは天主から与えられた「一致」であり、人間が作り出したものではないからです。したがって、権威よりも優先されるのは一致であり、一致よりも権威が優先されるのではありません。
4)集団責任。教皇様、教皇様の決定の動機を示すために、教皇様は教皇ベネディクト十六世がお認めになった権限を行使する人々に対して、さまざまな重大な申し立てをしておられます。しかし、誰が、どこで、どのくらいの数の濫用を行っているのかは明記されていません。「頻繁に」とか「多くの」という言葉があるだけです。それが大多数であるかどうかも分かりません。おそらく、そうではないでしょう。しかし、大多数ではない、上述の権限を利用するすべての人々が、厳しい制裁の影響を受けています。彼らは、今すぐに、あるいは将来的にも、霊的な道を奪われてしまったのです。ナイフを悪用する人々は確かにいます。でも、そのために、ナイフの製造と流通を禁止すべきでしょうか? 教皇様、教皇様の決定は、ナイフの製造を全面的に禁止するという想定上の不条理よりもはるかに痛ましいものなのです。
教皇様、なぜこんなことをなさるのですか? なぜ、私たちの主の至聖なる犠牲を古代の形式で行うという聖なる実践を攻撃なさったのですか? 他の形式で行われている濫用には、それが広まっていたり、普遍的であったりしても、【教会の対応は】言葉を超えるものには至らず、一般的な用語で表現された宣言になるだけです。しかし、「文化の消滅は、植物や動物の種の消滅と同じくらい、あるいはそれ以上に深刻になり得るのです」(回勅「ラウダート・シ」〈Laidato si〉145)と権威をもって教えておられる方が、その数年後、たった一つの行為によって、教会自身の霊的かつ文化的な遺産の大部分を消滅させてしまうことができるのでしょうか? なぜ、教皇様がまとめられた「ディープエコロジー」(deep ecology)【すべての生命が人間と同等の価値を持つとされる環境保護思想】のルールは、この場合に適用されないのでしょうか? そうなさるのではなく、聖伝の典礼にあずかる信者の数が着実に増え続けているのは、聖霊からのしるしではないかと、なぜお尋ねにならなかったのでしょうか? 教皇様は、ガマリエルの助言(使徒行録5章)に従われなかったのです。その代わりに、教皇様は、「猶予期間」(vacatio legis)さえもない禁止令で彼らに打撃をお与えになったのです。
この世の統治者の模範であり、かつ、そもそも教会の権威の模範である主なる天主は、その権勢・権力をこのようにはお使いになりません。聖書は天主に対してこのように語っています。「あなたの正義のもとは権勢で、あなたは万物の主であるから、すべてを寛容に扱われる。(中略)権勢の主であるあなたは、柔和に裁きを下し、大いに寛容に、私たちを治める」(知恵12章16-18節)。本当の権勢は、厳しさによって自らを証明する必要はありません。そして、厳しさは、天主の模範に従ういかなる権威の属性でもありません。救い主ご自身が、このことについて正確で信頼できる教えを残してくださいました(マテオ20章24-28節)。天主に向かって歩んでいた人々の足元から、いわばカーペットが引き剥がされただけでなく、彼らが歩いている地面そのものを奪おうとする試みがなされています。この試みは成功しないでしょう。カトリシズムと対立するものは、天主の教会では受け入れられないでしょう。
教皇様、足元にある土台を12年間経験しているのに、突然そこにはもう何もないと断言することはあり得ません。長い年月をかけて見つけた自分の母を、自分の母ではないと結論づけることはあり得ません。教皇の権威は絶大です。しかし、この権威でさえも、私の母を私の母でなくすことはできません。唯一の人生は、二つの相互に相容れないものの断裂に耐えることはできません。その一方は宝を開くものであり、他方は、価値の期限が切れたのでこの宝を放棄しなければならないと主張するものです。もし私がこの矛盾を受け入れたとするならば、私はもはや知的生活を送ることはできなくなり、したがって霊的生活を送ることもできなくなってしまいます。矛盾した二つの命題からは、真であれ偽であれ、どのような肯定命題も可能になります。これは、理性的・合理的な思考の終わりを意味し、あらゆる実在という概念の終わりを意味し、何かを人に効果的に伝達することの終わりを意味します。しかし、これらのことは、人間の生活全般の、特にドミニコ会の生活の、基本的な構成要素です。
私は自分の召命について何の疑いも持っていません。私は聖ドミニコ修道会で人生と奉仕を続けることを固く決意しています。しかし、そうするためには、私は正しく論理的に結論を下すことができなければなりません。2021年7月16日以降、既存の構造の中では、私にとって、これはもはや不可能です。私は、教会の聖なる典礼という宝、その典礼を実践する人々の足元にある土台、そして彼らの敬虔さの母体が存在し続けていることを完全な明確さをもって理解しています。同様に、私がその証人とならねばならないということも明確になりました。
今、私に残された選択肢は、急激な変化(指摘しておきますが、この変化は第二バチカン公会議の意志をはるかに超えています)の最初から教会の聖伝を守り、理性という必要条件に対する教会による尊重の態度を持ちつつ、不変であるカトリック信仰の遺産を忠実に伝え続けている人々、すなわち聖ピオ十世司祭会に頼るしかありませんでした。聖ピオ十世会は、私がドミニコ会司祭であるという身分を完全に尊重しつつ、そのような私を喜んで受け入れる態度を私に示してくれました。このことは、天主と教会への奉仕の人生、つまり矛盾によって妨げられることのない奉仕の人生を与えてくれるだけでなく、真理の敵であり、教会を激しく攻撃してきたこれらの矛盾に反対する機会も与えてくれています。
聖ピオ十世会と教会の公式機構との間には、論争状態があります。これは教会内部の論争であり、非常に重要な問題に関するものです。7月16日の文書と決定により、この問題に関する私の立場は聖ピオ十世会の立場に合流しました。どのような重要な紛争でもそうですが、この問題も解決されなければなりません。私はこの目的のために努力を惜しまないことを固く決心しています。この書簡は、この努力の一部であるつもりです。使う手段としては、真理への謙虚な敬意と優しさであり、どちらも超自然的な源から湧き出るものです。このようにして、私たちは、この論争の解決と、現在生きている人だけでなく、過去と未来のすべての世代を包含する一致の再構築を望むことができます。
私の言葉に目をとめてくださったことに感謝し、教皇様、教皇様の使徒としての祝福を請い願います。
キリストにおける子としての愛をもって
ヴォイチェフ・ゴワスキ神父(ドミニコ会)
【Fr. Wojciech Gołaski, O.P.】
WAŻNY LIST DO FRANCISZKA - BISKUPA RZYMU
Wojciech Gołaski OP Jamna, 17 sierpnia 2021 roku ul. Szyszkowa 10 62-0...