コロナ:ミュラー枢機卿、司教の義務を思い起こさせる
Covid-19: Cardinal Müller Reminds Bishops of Their Duties
2021年12月16日 FSSPX.NEWS
新型コロナウイルス感染症の流行を政治的な目的のために利用し、健康のための制約を適用することに過剰な熱意を示す教会人たちに対して警告を発する。
ゲルハルト・ルートヴィヒ・ミュラー枢機卿は、一部の人々を刺激する危険を冒しながらも、自分の考えをストレートに伝えています。
義務から解放された闘志ある引退者。これが、この数年間、この教理省(CDF)の前長官が与えてきたイメージです。
2021年12月2日に公表された、保守的なカトリック系メディア「ナショナル・カトリック・レジスター」(National Catholic Register)とのインタビューで、ゲルハルト・ルートヴィヒ・ミュラー枢機卿は、政治家やメディアの特定のメンバーを攻撃しています。枢機卿によれば、彼らは全体主義の目的のために新型コロナウイルス感染症を利用してきたからです。
中傷する人々から「陰謀論者」と非難される危険を冒して、この高位聖職者(ミュラー枢機卿)はこう宣言しています。「かなりのケースで、規制はイデオロギー・ロビーと製薬大手の財政的、政治的利益によって妥協させられ、汚染されています」。
そして、次のような非難をします。「パンデミックとの戦いで社会を団結させる代わりに、政治や主流メディア、ビッグテックの権力者たちは、この状況を冷酷に利用して、『グレート・リセット』のアジェンダ(行動計画)、すなわち全体主義的考えを推進しています」。
また、ベルリンを含むいくつかの教区で、ワクチン接種者やコロナから回復したばかりの人々だけに主日ミサに参加させるという制限をすることをためらわなかったドイツの司教たちに対する批判も惜しみません。
「司教でさえ、教会を閉鎖したり、助けを求める人々に秘跡を授けたりするのを拒否していることは、天主から与えられた自らの権威に対する重大な罪です」と枢機卿は警告し、続けて「これは、思想の世俗化と脱キリスト教化が、すでにキリストの群れの牧者たちにどれほど到達しているかの衝撃的な証拠です」と言っています。
ドイツの教会の数人の高位聖職者の反応に対して、ミュラー枢機卿は、ミラノの栄光ある大司教、聖カルロ・ボロメオの例を挙げます。彼は、1576年にこの街を襲ったペストの犠牲者たちを、自ら治療することもためらわなかったのです。
なぜなら、この高位聖職者にとって、SARS-CoV-2の流行によって明らかになったのは、まさに現在の教会とこの世との関係だからです。「使徒職にあるキリストのしもべは、この世の支配者たちの廷臣として身を捧げたり、その宣伝者となったりしてはなりません。(中略)そうではなく、司教は、使徒の後継者として、この世の在り方に従う支配者ではなく、み言葉の役務者、キリストの恩寵の役務者なのです」と、彼は警告しています。
そして、忘れてはならないことは、「どんな薬も技術的な発明も、私たちをこの世の死と永遠の死から救うことはできません。イエズスが与えられるパンだけが、永遠の死に対する治療薬であり、消費期限のない、永遠の命のための食物なのです。『このパンを食べる者は、永遠に生きる』(ヨハネ6章51節)。こういう訳で、2世紀の初め、司教殉教者アンティオキアのイグナチオは、その『エフェゾの教会への手紙』(20章2節)の中で、ご聖体を『不死の薬』と呼ぶことができたのです」。
最後に、サンタマルタ館の主人役をつとめる枢機卿の良き思い出を思い起こすために、この元レーゲンスブルク司教は、次のように強調します。「私たちのカトリック信仰によれば、教皇は、イエズス・キリストにおける天主の超自然的啓示の最初の証人であると同時に、自然道徳律の最高の保護者でもあります。したがって、教会の教導職には、信仰と良心の自由を目的とする、この世の権力の限界を指摘する権利と義務があるのです」。
衛生上の制約の厳格な適用に関して非常に熱心なアルゼンチン人教皇の方向性への控えめな注意喚起であり、それはきっとローマで十分に理解されるでしょう。
(Source : National Catholic Register – FSSPX.Actualités)