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ヴィガノ大司教「無原罪の御宿りの崇敬の祈り:聖母は、私たちを栄光ある民、天主なる御子の遺産、聖人の群れとして選んでくださいました。」

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ヴィガノ大司教「無原罪の御宿りの崇敬の祈り」

Archbishop Viganò: Act of Veneration of the Immaculate Conception
ヴィガノ大司教「無原罪の御宿りの崇敬の祈り」

2021年12月8日

またも羊の群れは牧者に見捨てられました。教皇フランシスコは2年連続で、ローマのスペイン階段での天主の御母、童貞聖マリアの伝統的な公的崇敬を取りやめました。自分の新世界秩序(New World order)の主人を喜ばせるために、彼は自分が代理人になっている天主の統治ではなく、反キリストの統治を確立するために使用される「新型コロナウイルス感染症の恐怖」に貢献しなければならないのです。しかし、天主は、たとえ教会が小さな残骸になったとしても、決してその教会を見捨てられることはありません。カルロ・マリア・ヴィガノ大司教は、教皇フランシスコの不在と棄権によって残されたその場に入って、聖ベルナデッタに名を聞かれて「私は無原罪の御宿りです」とお答えになった聖母に公的な崇敬を捧げます。聖母の御名は、聖母が終生無原罪であり、終生童貞であることを表しています。読者の皆さんに祝福された祝日が訪れますように。ブライアン・マッコール


ACT OF VENERATION

ON THE SOLEMNITY OF THE IMMACULATE CONCEPTION OF THE BLESSED VIRGIN MARY

童貞聖マリアの無原罪の御宿りの大祝日の崇敬の祈り

2021年12月8日、ローマ・スペイン広場

Ab initio et ante sæcula creata sum, et usque ad futurum sæculum non desinam:
et in habitatione sancta coram ipso ministravi.
Et sic in Sion firmata sum, et in civitate sanctificata similiter requievi,
et in Jerusalem potestas mea.
Et radicavi in populo honorificato, et in parte Dei mei hæreditas illius,
et in plenitudine sanctorum detentio mea.
Eccli 24, 14-16

聖書が天主の知恵について語るこの荘厳な言葉は、典礼によって至聖なる童貞のこととされています。ここでお話しになっているのは、無原罪の御宿りである聖母です。

「私は、初めから、世より前につくられ、未来の世まで存在し続けるであろう。私は、その聖殿の中で彼に仕え、こうして私は、シオンにおいて固められ、聖い町では休息を見いだした。私の勢力はエルザレムにある。私は、天主の世嗣なる栄光ある民の中に根をはり、そして、私の住居を、聖人の集いに置いた」(集会書24章14-16節)。

時代を超えて選ばれ、教会に固められた聖母は、聖なる住居(すみか)で私たちのために取り成しされ、私たちのうちに住まわれ、私たちの元后となっておられます。聖母は、私たちを栄光ある民、天主なる御子の遺産、聖人の群れとして選んでくださいました。そして、重要なのは、昨日その祝日を祝った聖アンブロジオが作った教会奉献の賛歌「Cœlestis urbs Jerusalem」(「天の都エルザレム」)が、特異的な対称性を通じて、聖母に適用できることです。

O sorte nupta prospera, dotata Patris gloria, respersa Sponsi gratia, Regina formosissima, Christo jugata principi, cœli corusca civitas.
「幸いな運命によりて浄配となり、御父の栄光で飾られ、花婿の恩寵をふり撒かれ、いとも美しき元后、君主たるキリストと結ばれ、天の輝く都(くに)よ」。


この祝されし日に、いと高き御者の生ける汚れのない聖櫃となるために、原罪のあらゆる汚れから保護された、童貞聖マリアの無原罪の御宿りの教義が宣言されたことを思い起こしましょう。そして、罪によって堕落し、罪の奴隷となったこの世は、堕落した悪徳の女性をモデルとして提示して、童貞性、純潔性、母性を軽蔑しています。しかし、私たちは、終生童貞なる天主の御母であり、また正しくも教会の母にして私たちの母であるお方をたたえます。

私たちは童貞聖マリアの子であり、教会の子です。なぜなら、童貞聖マリアは、キリストにおいて私たちを御父のもとへ生み出し、十字架の下で私たちは子として主から聖母に委ねられ、聖母は私たちに母として委ねられているからです。そして教会もまた、洗礼によってキリストのうちに私たちを御父のもとへ生み出しています。祭壇のふもとで私たちは子として教会に委ねられ、主の脇腹から流れ出た水と血は、その秘跡と聖なるミサにおいて豊かに流れ、天主なる花婿の花嫁への愛、そのかしらであるキリストの、神秘体への愛を私たちに示しています。

親愛なる兄弟の皆さん、忘れないでください。御父のもとへ行くにはその御独り子を通してでなければできないように、御子のもとへ行くには、私たちの元后であり、私たちの代願者であり、天主の玉座での私たちの仲介者であり、私たちの命であり、私たちの甘美であり、私たちの望みである、童貞聖マリアを通してでなければできないということを。ですから、私たちの母であり、教会の母であるマリア、私たちの元后であり、教会の元后であるマリアがおられないところに教会はありません。

それゆえ、私たちは、新しいエルザレム―聖なる教会―に自分の住居(すみか)を置き、集会書が言うように、「栄光ある民の中に」住むことを選ばれた聖母をたたえます。自らの徳によるのではなく、天主の恩寵によって、私たちすべてが召されている聖なる都に属することによって聖化された、栄光と誉れある民です。今日、自分たちのアイデンティティーの誇り、キリストに属することの誇り、王の中の王の聖なる記章(しるし)の下に立つことの誉れを回復しなければならない民です。何世紀にもわたって、キリスト教社会を築くことができた民、しかしその社会が、現在では、キリストに反抗し、キリストの至聖なる御母マリアの聖なる御名を発することさえ許さない人々に軽蔑され、禁止されている民です。

スペイン広場に集まり、政府当局がその母にして元后をたたえるために建てた無原罪の御宿りの像の前で、私たちは敬意を新たにしましょう。背教的なこの世の瓦礫の上に、人類の平和、民族間の調和、国家の繁栄、霊魂の救いを保証することができる唯一の「ordo Christianus」(キリスト教の秩序)を再建することを目的としましょう。この再建、私たち一人一人が切望している霊的かつ道徳的な再生は、私たちが私たちの主の社会的王権を認め、私たちが告白している信仰を一貫して生きる方法を知っている場合にのみ可能となります。

私たちは、天主の御母への堅固にして信頼する信仰をもって、これを求め、これを懇願します。
Salve Regina, Mater misericordiæ... 「元后あわれみ深き御母、…」

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ


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