家族についての説教(2)香
ドモルネ神父さま 2022年1月16日
はじめに
先週の主日には、教皇ピオ十二世が、三人の博士たちの三つの贈り物を、結婚の三つの善に例えたことを、お話ししました。夫婦の黄金とは、夫婦の結びつきの堅固さと美しさを保証する、婚姻の貞節のことです。夫婦の香とは、二人の婚姻の秘跡のことです。今日は、このことについてお話しします。
1.聖人たちの祈りの象徴としての香
まず、この教皇が、なぜ、香を、婚姻の恩寵に例えたのかを、ご説明しましょう。
香とは、燃やされる香料で、その煙は、天に立ち上ります。黙示録によると(黙示録8章4節)、香は、聖人たちの天主への祈りを意味します。ここで、「聖人たち」というのは、天にいる聖人だけでなく、成聖の恩寵の状態にある、すべての霊魂を意味しています。「祈り」というのは、私たちがひざまずいて唱える祈りだけでなく、それがどんなにありふれたものであっても、天主をお喜ばせしたい、そして、永遠の命に到達したい、という願いを持って行う、あらゆる行為を、意味しています。主は私たちに、こう命じられました。「だから、いつも警戒し、そして祈れ」(ルカ21章36節)。聖パウロは、このように教えています。「食べるにつけ飲むにつけ、何事をするにも、すべて天主の栄光のために行え」(コリント前書10章31節)。
ですから、「聖人たちの祈り」とは、成聖の恩寵の状態にある人々が、天主をお喜ばせしたい、そして、永遠の命を得たいと願って行う、あらゆる行為を意味するのです。そのような行為は、目に見えない香のように、彼らの霊魂から、絶えず、天主に向かって立ち上るのです。
2.夫婦の香=婚姻の恩寵
教皇ピオ十二世は、キリスト信者の夫婦に対して、婚姻の秘跡が二人の香である、と語っています。なぜ、そうなのでしょうか? それは、結婚生活および家庭生活の全体を、絶え間のない祈りに変えるのは、婚姻の秘跡による恩寵だからです。夫婦が、あらゆる行為を天主の栄光のために行うことができるのは、その夫婦の霊魂に存在する、婚姻の秘跡による恩寵によるのです。教皇ピオ十二世の言葉はこうでした。「この香は、皆さんの生活全体をかぐわしい香りで満たします。また、この香は、皆さんの日々のわざを、たとえそれが、どんなにたわいない行為であっても、それによって、天国で天主の直観を獲得することのできる行為にしてくれるのです。この、目に見えない、真の香が、恩寵による超自然的な生活なのです。洗礼によって与えられ、悔悛によって新たにされ、ご聖体によって養われる、この恩寵が、婚姻の秘跡によって、特別な形で、皆さんに与えられるのであり、この婚姻の秘跡において、皆さんは、皆さんの新しい義務に応じた、新しい助けを受けるのです」。
3.婚姻の秘跡
洗礼を受けた人同士が結婚するとき、その結婚は、契約であるだけでなく、秘跡でもあります。秘跡とは、霊魂において、恩寵を生み出したり、増やしたりするために、私たちの主イエズス・キリストが制定された、外的なしるしです。したがって、秘跡には、二つの側面があります。秘跡は、外的なしるしであり、また、恩寵の源でもあります。
キリスト信者の夫婦の結びつきは、外的なしるしです。それが、目に見える形で表しているのは、キリストとキリストの教会との結びつきという、目に見えない現実です。キリスト信者の結婚が、解消されえないものであるのは、キリストとキリストの教会との結びつきが、解消されえないものだからです。キリスト信者の結婚が、一人の男と、一人の女の間でしか、成立しえないのは、キリストはただひとりであり、キリストによって設立された教会も、ただ一つだからです。キリスト信者の結婚が、生涯続く結びつきであるのは、キリストとキリストの教会との相互の愛が、永遠に続くものだからです。
キリスト信者の夫婦の結びつきは、恩寵の源です。教皇ピオ十二世の言葉は、次のとおりです。「キリスト信者の家庭が、秘跡の上に成り立っていることを、思い起こしてもらいたいと思います。これが意味するのは、婚姻は、ただ単なる契約ではなく、あるいは、人生における重要な日を記念するための儀式や公的行事であるだけではない、ということです。それどころか、婚姻は、その本来の意味における、超自然的な生活に関する宗教的行為なのです。結婚生活を聖化し、夫婦としての義務を果たし、その困難を克服し、その約束を守り、その理想を最も完全に実現するのに、必要かつ有用な、あらゆる恩寵、あらゆる助けを、天主から得るための永久の権利が生じるのは、このためなのです。キリスト信者の結婚を、キリストと教会との、解消され得ない結びつきの永遠の象徴、という尊厳にまで高めることで、天主は、これらの恩寵をお与えくださることを、約束されたのです」。
そして教皇は、キリスト信者の夫婦を喜びと勇気で満たす、次の言葉を付け加えました。「したがって、キリスト信者の家庭は、それが理論においても、実践においてもキリスト的であるならば、それは聖性を保証するものである、と、私は断言することができる」。
4.信仰の違いによる婚姻障害
今までの話によって、カトリック信者が、洗礼を受けていない人と結婚することを、なぜ教会が禁じているのかが、お分かりいただけたと思います。これは、信仰の違いによる婚姻障害、と呼ばれています。教会は、これによって、カトリック信者個人の自由を侵害しているのではなく、むしろ、信者が正しい選択ができるように、助けているのです。教会は、洗礼を受けていない人と結婚するカトリック信者に対する、あらゆる危険、困難、短所を、よく承知しています。教会が、重大な理由によってそのような結婚を許さざるを得ない場合、それを許すことができるのは事実ですが、しかし、教会は、非常に不本意ながら、それを許すのです。
結論
今日の結論として、三つのことを述べたいと思います。
・ まず、洗礼を受けていない人との結婚を考えている若い皆さんへ。相手の人に、カトリック信者になってもらい、その後、カトリックの結婚をするように説得するために、祈り、そして、できる限りのことをしてください。もし相手の人がカトリックになりたくないのなら、結婚しないで、仲の良い友人でいてください。だれか他の人を探してください。
・ 次に、配偶者が洗礼を受けていないカトリック信者の皆さんへ。皆さんの配偶者をカトリックの信仰に導くために、忍耐と辛抱をもって、祈り、そして、あらゆる努力をしてください。皆さんの結婚が秘跡になるのですから、皆さんの配偶者の救いのため、また皆さん自身のための行いをしていることになるのです。
・ 最後に、婚姻が秘跡であるカトリック信者のご夫婦の皆さんへ。教皇ピオ十二世の感動的な言葉を通して、もう一度だけ、言わせてください。「皆さんは、結婚生活を聖化し、夫婦としての義務を果たし、その困難を克服し、その約束を守り、その理想を最も完全に実現するのに、必要かつ有用なあらゆる恩寵、あらゆる助けを、天主から得るための永久の権利を受けたのです」。皆さんは、願えば願うだけ、これらの恩寵を受けることになるでしょう。