2022年2月23日(水)司教証聖者教会博士聖ペトロ・ダミアノのミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(修道院)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
今日は、多くの方がミサに与って下さってとても嬉しく思います。今日は新しい小さなお友達もいらして本当に嬉しいです。
何でこんなにミサが大切なのでしょうか?ちょうど今日のミサの聖人、聖ペトロ・ダミアノの話と全くそっくりです。
聖ペトロ・ダミアノという方は、西暦の1007年に生まれた方です。遂には司祭、修道院長、司教様、そして枢機卿という、教会で最も高い地位についた方です。
でも、生まれた時にはお母さんが、子供があまりにも多いので、お母さんが、まだ赤ちゃんだった時に捨ててしまったのです。「あぁ、こんなに子供が多いと、貧しくてもう育てられない。」
お母さんも辛かったと思います。でも捨ててしまったのです。「とても育てきれない。」
しかし、その家で働いていた女中さんが、半分死にかかっていたその子を拾って、「でも奥様、でもこの子がかわいそうじゃありませんか。」と言って、お母さんの元に戻したのです。
お父さんは亡くなり、孤児となり、兄弟たちのうち一人の兄がペトロを育てるのですが、ペトロを奴隷か召使のように厳しく取り扱いました。貧しくて、生活は大変でした。ある日、たまたまコインを、お金を道で拾ったのです。ペトロくんは「あ、お金!」と、そのお金で、自分の何か好きな物を買う事もできたかもしれません。でもこの子は「いや、これのお金で、神父様にミサを立ててもらう。特に亡くなったお父さんの為にミサを捧げてもらおう」と言って、神父様にお願いしました。そして神父様はその子供のペトロ君のお金をもらって、それでお父さんの為にミサを捧げて、おそらくこの家族の為にミサを捧げたと思います。
すると、全てが変わりました。このそれを見た別のお兄さんが、このペトロの教育の面倒を見ようと決心してペトロを養子にしました。「こんなに良い子だったら、僕が面倒を見よう」と。そのお兄さんはダミアノという名前でした。ですからこのペトロ君は、苗字としてお兄さんの名前を付けて、ペトロ・ダミアノとなりました。またお姉さんのロザリンダ母親のようにしてくれました。
そして非常に頭の良い子で、優秀でした。祈り、苦行し、愛徳を実践せていました。25才になると、教える仕事につくようになりました。特にラテン語が得意で、「当時最高のラテン語学者」「中世のもっとも偉大なラテン語著述家の一人」とされています。美しさを敏感に感じ取ることができた人でした。1034年ごろには、天主の絶対性をもっと黙想し、もっとお祈りしたい、儚いこの世をから離脱したいとますます思うようになりました。1035年には司祭に叙階され、厳しい生活を送るために「聖十字架修道会」のフォンテ・アヴェラナ修道院に入るのです。修道者たちのために創立者の聖ロムアルド・デ・ラヴェンナの伝記も書きました。
「聖十字架修道会」の修道者として、十字架の神秘は聖ペトロ・ダミアノにとってもっとも大切な黙想の主題でした。「キリストの十字架を愛さないものは、キリストを愛さない。」ミサ聖祭は、十字架の犠牲の再現ですから、聖ペトロ・ダミアノにならえば「キリストの十字架の再現である聖伝のミサを愛さないものは、キリストを愛していない」と言うことができるかもしれません。
また、自分のことを「キリストの十字架のしもべたちのしもべであるペトロ」Petrus crucis Christi servorum famulus と呼び、手紙の末尾にそう書いていました。聖ペトロ・ダミアノは、十字架の人、祈りの人、黙想の人、観想の人でした。
しばらく経つと、フォンテ・アヴェラナ修道院の修道院長が亡くなります。1043年、このペトロ・ダミアノが修道院長になりました。そしてついに後には司教様に、枢機卿様になります。でも、聖ペトロ・ダミアノにとって、地上の財産とか、地上の名誉というのは全く関心がありませんでした。「霊魂を救いたい。霊魂を天国に導きたい。十字架の神秘を黙想したい」というその事だけでいっぱいでした。1072年に帰天するまで、聖ペトロ・ダミアノは、つねに「キリストの十字架のしもべたちのしもべであるペトロ」として教会の為にものすごい活躍をしました。どのような活躍をしたかはたくさん話がありますが、しかし、今日はそれは省略して、最後に、私がつい最近YouTubeで見た神父様の話をさせて下さい。聖ペトロ・ダミアノと核心のところで関係があると思うからです。
この神父様はイギリスで、やっぱり皆さんが与っているミサと同じ聖伝のミサを捧げている、ジェームス・モスリー神父(Fr. James Mawdsley)という方です。聖ピオ十世会の司祭ではありません。この神父様が何で司祭になったかという、昔の話をしたインタビューを、私がちょうどたまたま見る機会がありました。
それによると、ジェームズ・モーズリー神父はまだ大学生だった頃、歴史の本をたくさん読んで、そしてビルマで政府が人々を、国民を非常に残酷に不正義に取り扱っているので、非常にかわいそうになって、ビルマの人を助けたいと思ったそうです。でもその頃は、カトリックだったけれども、熱心に教会でお祈りをするというよりはむしろ、そういう活動をして人々を助けたい、と思っている方でした。
それで大学を卒業するかしないかすると、ビルマに行って、ビルマの人と連帯して、政府に抗議して、「この人々を助けて欲しい」という活動を始めました。するとビルマの政府は面白く思わなくて、この神父様を投獄しました。牢屋の中に入れました。そういう機会が3回ありました。最初は15日、2回目は15週間、次は15ヶ月、牢屋の中にいたそうです。
しかし、この牢獄は、のちに天国に変わったそうです。その理由は聖書と、悔悛と、愛徳でした。
牢屋の中にいると、最初は「なんだ!」と怒ったり、悲しかったりしたのですけれども、牢屋の中にいた間に、聖書が送られてきたそうです。聖書を読んで、ずっと読んでいたのだそうです。
すると「あぁ、自分はどれほどそのような愛に逆らってきたのか」と罪を痛悔しだしたのです。「自分の今までの人生は、本当にイエズス様の聖心に適うものだっただろうか?」と思ったことでしょう。痛悔して、回心があったのだそうです。
その次に、今まで監獄の見張りをしていた人が、非常に乱暴に残酷に扱っていたので、いつも怒っていたのでしょう。「何だこいつ!下らないやつだ!」などと。しかし、それが却って憐れみに変わったそうです。「いや、そうではなくて、この彼を愛そう」と「私をこう悪く取り扱うこの彼を憐れもう、愛そう」と思ったのでしょう。愛徳を行ったそうです。
その聖書を読んで、罪を痛悔して、そして隣人を、難しかったのですけれども、愛したのです。そうすると「牢獄が天国に変わった」と言います。そしてその何ヶ月もいた牢屋は本当に幸せな場所になり、出ると「あぁ、もう一度あの幸せを戻したい。あれほどの幸せな時はなかった」と思ったそうです。
それでイギリスに戻って、そして「何かそれに代わるものはないか?」とずっと探していたそうです。それに唯一代わる事が、地上を天国にする事ができる唯一のものを見つけた。それが、今皆さんが与っているこの「ラテン語のこのミサ」だったのです。
このミサは、地上の最高の宝であって、これ以上の善はない。これ以上の宝はない。なぜかというと、私たちの主イエズス・キリスト様が、私たちの為に十字架に付けられて、聖血を流されて、そして私たちを愛して下さって、その御恵みを全て下さるから。これ以上に勝るものはない。最高の宝だ、と。それで遂には「司祭になろう」と思って、司祭になった、というインタビューを見ました。
皆さんもきっと「あぁ、私も思い当たるところがある」と仰るかもしれません。
ですからこの皆さんが与っているミサは、どれほど多くの霊魂たちに多くの恵みを与えてきて、多くのこの地上での苦しみを喜びの元に変えてきた、という事をご存知になって下さい。
今日は、聖ペトロ・ダミアノに、ぜひ私たちにこのミサの御恵み、十字架の神秘をよく理解する事ができるように、お祈りしましょう。
マリア様にもお祈り致しましょう。
それから今日は天皇誕生日ですから、天皇陛下の為にもお祈り致しましょう。皇室の為にお祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。