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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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教会は喜びの主日、レターレの主日で、パンの増加の奇跡を感謝しつつ、御聖体の秘跡を私たちが頂いている、ということをも感謝している

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2022年3月27日(主日)四旬節第四主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(名古屋)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、聖伝のミサにようこそ。
今日は四旬節の第四主日で、レターレの主日、喜びの主日を祝っています。

つい先日の金曜日の25日に、ローマで教皇様が全世界の司教様と一緒に一致して、ロシアをマリア様の汚れなき御心に奉献しました。これはファチマという所で100年前に、マリア様がそうして下さい、と要求したものでした。今回教皇様によってこれがなされました。教皇様は、全世界の司教や司祭たちも一緒にそれをやって取り囲んでもらいたい、と仰いました。3月25日にはもしかしたらすると機会がなかったかもしれませんので、今日、このミサの直後には、ファチマのマリア様の御像の前で奉献の祈りを捧げたいと思っています。

今日の主日は、「喜びの主日」「レターレの主日」と言います。何故かというと、四旬節という復活祭の間の準備の40日間の、ちょうど真ん中に来ているからです。

今日は福音では、イエズス様がパンを奇跡的に増やした、という歴史的な事実があります。教会はそのことについて私たちに黙想を提供しています。ですから一緒に、イエズス様のなさったこの奇跡の意味を考え、黙想致しましょう。

一体何が起こったかというと、ユダヤ教の過越祭、これは時期的にはキリスト教の復活祭に当たりますが、過越祭の前に、おそらく今頃、ガリレア方面の池の湖の近くで、大群衆がイエズス様の後を慕って来ました。

イエズス様は山に登ります。大群衆はその後もついてずっとやって来ました。何故かというと、「この方こそ、私たちを癒して下さることができる、私たちの求めていることを与えて下さることができる方だ」と皆確信していたからです。

このものすごい大群衆は男だけで約5000名いました。するとイエズス様は、彼らが何も食べていなくてずっとここまでやって来た、ということを心配して、「どうやったら彼らを食べさせることができるだろうか?」と言われます。

弟子が、ここにちょっとお金があるけれども、あれだけの大群衆のためにはとても足りない、と言います。すると別の弟子の一人が、「ここに子供がいます。パンを五切れ持って、魚も二匹、小魚を持っています。でもこれが一体なんでしょうか、これじゃ全然足りません。」

するとイエズス様は、「彼らを座らせよ」と言います。そして皆が座り始めて、するとこの五つのパンと二匹の魚を取って、感謝して、そしてこれを弟子たちに配らせます。すると、配っても、配っても、配っても、配っても、無くなることはなかったのです。欲しいという人には欲しいだけ与えて、そして食べたいだけ食べて満腹して、そしてそれでもまた余っていた。5000人を、これ以上もう食べられないというほど、もう十分だというほどになって、じゃあ残り集めろと言うと、十二のカゴにまだいっぱい残っていた、ということがありました。

何でこのようなことがあったかというと、これは御聖体の予告だったからです。実はこの出来事があったその直後で、ガリレアの湖畔のカファルナウムという所の会堂で、イエズス様はこう仰るのです。「私は天から来た、生きるパンである。私が与えるパンを食べる者は、永遠に生きる。死んでも永遠に生きる。そして私の血を飲む者は、永遠に渇かない。私の与えるパンというのは、私の体である」と言うのです。人々はこれを聞いて、「一体何のことだろうか。」理解するのが最初は非常に難しかったのです。

しかし、イエズス様が最後に、この地上での最後に、聖木曜日に、十字架に付けられるその直前に、このイエズス様が既にこのパンの奇跡を起こして、そして予言した通り、御聖体という特別の秘跡を制定しました。

それは、私たちが今、ミサで行なっていることで、パンがイエズス・キリストの真の体になる、という奇跡が、毎日、私たちの祭壇で起こることができるように、新約の司祭も、そして御聖体という秘跡を制定しました。

パンを取って、感謝して、「これは私の体である」と断言して、そして弟子たちに与えました。そして「これを私の記念として行え。」初代の教会から弟子たちは、この意味をよく理解していました。

「これは真のイエズス・キリストの体であって、パンではない。パンのように見えるけれども、しかしパンではなくなって、キリストの体となるのだ。」これは、初代の教会から教父たちが常に、教皇たちが常に教えてきたことです。公会議がいつも教えてきたことです。

そしてこの御聖体によって、多くの奇跡も行なわれました。ある時、異端者が「この秘跡を、御聖体を信じない」と言いました。すると色々な聖人が出て、「お前たちはもう間違っている。」例えば、パドワの聖アントニオという有名な聖人は、御聖体の秘跡を信じないような人々を嘆いて、「お前たちは動物よりも劣っている。動物でさえも、この御聖体が真のキリストの体である、ということを信じているのに」と言って、動物を連れて来させたのです。するとその動物たちが、御聖体の前でいきなり跪いて、礼拝しだした。

あるいは御聖体によって奇跡が起こった、もう不治のどうしても治らないと言われたような病が突然治った、等という話が数多く無数にあります、多くのものが記録に残っております。主はその2000年前に、5000人を養いましたが、御聖体の奇跡は一回や二回ではありません。

何故聖体を制定したかというと、現代でも、数億の私たちの霊魂を、イエズス・キリストの後を慕って来る人々の霊魂を、御自分の体で、毎回、ミサの時に、養おうと思われたからです。世の終わりまで、御自分の体で養おうと思われたからです。そしてその為に、このミサ聖祭を制定しました。

主はこの御聖体において、私たちの主の憐れみと愛の大きさ、あるいは御自分が私たちをどれほど世話をしたい養いたいか、ということがしみじみと表れています。

ですから、今日、教会は喜びの主日、レターレの主日で、このパンの増加の奇跡を感謝しつつ、そしてミサの、御聖体の奇跡を、秘跡を私たちが頂いている、ということをも感謝しています。

ですから愛する兄弟姉妹の皆様、もしも私たちに必要なものがあれば、もしも私たちが何か望みのものがあれば、イエズス・キリストにどうぞ願って下さい。御自分の体を御聖体として私たちに全て与えられるほどの御方ですから、私たちに必要なものは全て与えて下さるに違いありません。

特に私たちの真の平和と、正しい道を歩むことができる光と力を求めて、お祈り致しましょう。そしてマリア様にも、その特別の御恵みを私たちの為にお祈りして下さるように願いましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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