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ロシアの誤謬とは何か?1858年:ダーウィンの「種の起源」ミルの「自由論」マルクスの「経済学批判」とルルドの聖母の御出現

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インサイド・ザ・バチカン 手紙第60号 2022年3月30日 中心ポイント

Letter #60 2022, Wed, Mar 30: The main point

「その答えは、教皇レオ十三世の回勅『レルーム・ノヴァルム』(Rerum Novarum)の内容にあります。その中で教皇は、共産主義への教会の応答を述べています。不平等と階級闘争は修正されるべき異常なものではなく、むしろそれらは人間の条件の一部なのです。人間は堕落した世界、人間が天主に背くことによって堕落した世界に生きています。天主を通して、天主と共に、教会を通してのみ、平和と調和は可能となるでしょう。共産主義者や社会主義者が世界を「修正」できると考えているすべてのセクト、組織、協会、友愛会、すべての政府の解決策は、無駄であり妄想です。天主を離れては、どんな組織も国家も、世界に平和をもたらすことはできないでしょう。社会問題は、天主とその教会を離れては解決できません」――元マルクス主義無神論者バーバラ・J・ファラー、「クライシス・マガジン」3月29日(昨日)付の小論(以下に全文)

「そして、人間の拒絶に再び応え、天主と聖母マリアのもとへ私たちを導いてくださるのは、これもまた、私たちの天主らしくないでしょうか? マリアの祝日である天主のご托身の告知の日に、教会の歴史の中で最も近代主義的な教皇がひざまずいて、全世界に、東洋にも西洋にも同じように、すべての司教、すべての国民がひざまずくように呼びかけ、最終的に無原罪の聖母を認めるだけでなく、それ以上に、私たち自身と全世界を、聖母の汚れなき御心に、無原罪の御宿りの汚れなき御心に奉献し、それによって、ついに、これらの年月を経て、これらの出現を経て、ついに、こう言うのです。『そうです、天主はいます。そうです、天国はあります。そうです、私たちは単なる物質以上の存在です。そうです、私たちは皆、罪人です。そうです、私たちは天主に従い、罪の償いをしなければなりません』。これは、私たちの天主らしくないでしょうか?」――バーバラ・J・ファラー、「クライシス・マガジン」同3月29日付の小論

手紙第60号 2022年3月30日 中心ポイント

元マルクス主義無神論者バーバラ・J・ファラー(リンク)による3月29日の小論(以下)は、ファラーが故フルトン・シーン司教(1895-1979年、リンク)の思想を引用して、1917年にポルトガルのファチマで童貞マリアが3人の羊飼いの子どもたちに求めた「ロシアをマリアの汚れなき御心に奉献する」ことの深い意味について分析したものです。
作品のタイトルは「聖母マリア、西洋、そしてロシアの誤謬:ヴィガノ大司教を擁護する」です。

なぜファラーはヴィガノ大司教を擁護する必要があると感じているのでしょうか?なぜなら、ヴィガノは最近、ウクライナの戦争について書いた内容に対して、鋭い攻撃にさらされているからです。

批判者たちは、ヴィガノがウクライナの戦争についてコメントしようとして、(彼の批判者たちが言うところの)大司教として関心を持つべき霊的な問題とはかけ離れた政治的な領域の問題を論じ、「自分の能力を超えている」と言っているのです。

ファラーの中心ポイントは――元は熱心なマルクス主義者だったという特権的な視点から――「ヴィガノ大司教は政治に没頭してはいません。彼は、永遠のもの、つまり、今日の事件の中に永遠のものを見ることに没頭するようになったのです」という趣旨の発言をしています。

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ファラーの作品は、「クライシス・マガジン」(Crisis magazine)に掲載されたばかりですが、読んで黙想する価値があります。現代世界の状況全体と、近年のさまざまな、しばしば不可解な出来事を、より明確な文脈で捉えています。そこで私は、以下に全文を掲載することが重要であると考えました。

重要なファラーの文章の下に、米国のカトリックの学者ジョージ・ワイゲルによるヴィガノ大司教への攻撃と、ヴィガノの応答という二つの小論を掲載します。攻撃と応答の文章すべてを掲載しておくことが重要だと思われます(ロバート・モイニハン)。

聖母マリア、西側、そしてロシアの誤謬:ヴィガノ大司教を擁護する
バーバラ・J・ファラー

ファチマとロシアに関する著作の中で、尊者フルトン・シーン大司教は、この世が「現世の出来事を他【の現世】の出来事で判断することに慣れてしまい」、「もっと大きな判断の基準、すなわち永遠」を見失ってしまったと指摘しています。マイケル・ウォーレン・デイヴィスは、「クライシス」(Crisis)の記事の中で、最近、別の大司教であるカルロ・マリア・ヴィガノが、まさにこの誤謬に陥ってしまい、この世の出来事に没頭して、「現代政治のトレンドに流され」「時事の喧騒が天主の声をかき消し」「ロシア政府の悪事に対して盲目になった」のだ、と非難しています。

私は強く反対します。実際、ヴィガノの著作を、フルトン・シーンのファチマに関する議論に照らしてみると、正反対であることが分かります。ヴィガノが天主の声をかき消しているのではありません。実際は、西側世界全体が、天主の声をかき消しているだけでなく、この世の出来事を通じた天主のご介入および運動を示している非常に明確なしるしさえも、かき消すという罪を犯しているのです。

このことを理解するためには、私たちは過去に戻って、聖母マリアが"ロシアの誤謬"について語った意味が何であったかを考察する必要があります。

最も一般的な解釈は、マリアが共産主義の誤謬に言及したのだというものです。しかし、この解釈を否定する理由がいくつかあります。

第一に、マリアは共産主義者が政権を取る数カ月前の7月に、これらの誤謬について話しています。二月革命は「ブルジョア民主主義」の革命であり、それまで天主によって任命されたツァーリ(ロシア皇帝)の君主制とみなされていたものを終わらせる革命でした。もしマリアが共産主義の誤謬のことを言っていたのなら、なぜ共産主義者が政権を取る前に御出現なさったのでしょうか? 当時の人々が、マリアが民主主義革命のことを述べていると考えたであろうときに、なぜ出現したのでしょうか?

さらに言えば、共産主義は、1917年にロシアで新しく生まれたものではありません。その時まで、共産主義は70年以上にわたって欧州をはじめ世界中にその誤謬を広めていたのであり、教会はその間ずっと、それについて警鐘を鳴らしていたのです。共産主義も、その拡大も、ロシアにとっては新しいものでした。第三に、もしマリアが共産主義のことを言っていたのなら、なぜ、きちんと共産主義や共産主義の誤謬と言わないのでしょうか? なぜ、単に誤謬なのでしょうか?

フルトン・シーンは、私たちに別の方向、つまり1858年という年を指し示しています。彼は、その年のこの世の出来事だけでなく、永遠の出来事にも目を向けるよう求めています。シーンは、"近代は科学の台頭で始まり、科学は信仰と相容れないものである" とする通説を否定し、近代は3冊の重要な著作の執筆で始まったと主張します。それは、ダーウィンの「種の起源」、ミルの「自由論」、マルクスの「経済学批判」です。この3冊の著作で、人間は近代の誤謬をまとめ上げ、天主からの独立を宣言したのです。つまり、「われわれ人間は、天主によって創造されたのではなく、単なる物質から進化した。われわれが答えなければならない人間より上位の権威は存在せず、自由とは放埓であって、法というものはわれわれ選んで作ったものにすぎない。人間と歴史は経済と政治によって動いており、宗教や霊的なものによって動いているのではない」というのです。【上記の3冊の出版は1859年】

これらは共産主義の誤謬ではなく、近代主義の誤謬なのです。これらは、天主、被造物、人間に対する天主の権威、天主への服従といったものを否定する現代人と関係する誤謬です。シーンが指摘しているのは、1858年当時、これらの著作で実質的に語られたのは、すべての人間は原罪なく受胎し、原罪を持たずに生まれる、ということです。なぜなら、天主の創造がないなら、堕落もないからです。堕落がないなら、原罪もないのです。原罪がなければ、すべての人は無原罪で生まれて自由に何者にもなれるのであり、責任を取るべき自分より高い権威はなく、その権威の必要性もないことになるのです。

これらは、1858年に起こった鍵となる人間的出来事であり、シーンは私たちの関心をそれに向けさせます。そして、その同じ年に起こった天主の応答、天主の永遠の審判、すなわちルルドの出現に私たちの関心を移します。マリアは天から出現し、こう告げました。「私は無原罪の宿りです」。シーンは、こう指摘しています。「この世が原罪を否定しようとしていたまさにその時、聖母は、その特権を自分だけのものとして主張しました…マリアだけが唯一、無原罪で宿り、他の者は皆、原罪のうちに生まれたのです」。

ルルドでの聖母の出現において、天主は人間の傲慢な独立の主張に答えて、その誤謬の証明を与えた、とシーンは記しています。まさに出現した聖母は、こう言いました。「そうです、物質以上のものがあります。そうです、天主がいます。そうです、天国があります。そうです、人間は原罪のうちに生まれました。そうです、人間は天主に服従し、天主に対して犯した罪の償いをしなければなりません」。

これら3冊の影響力のある著作に含まれるすべての誤謬は、「私は無原罪の宿りです」というこの一つの宣言で否定されました。

かくしてシーンは言います。科学や理性ではなく、原罪の否定と天主の応答によって、近代が始まったのだ、と。

しかし、人間はその永遠の宣言、永遠の審判に目を留めることも、耳を傾けることもありませんでした。

それどころか、近代主義の誤謬は、合理主義、社会主義、共産主義など、教皇ピオ九世が「クアンタ・クーラ」(Quanta Cura)とその付属文書「誤謬のシラブス」(Syllabus of Errors)に列挙した他のすべての誤謬と共に、欧州中に広まり続けました。

しかし、それは1864年のことでした。1917年まで、これらの誤謬は、ロシア革命とファチマでのマリアの出現の前のさらに50年余りの間に存在し、広まっていたのです。それらはロシアに特有のものでも、共産主義に特有のものでもありませんでした。では、聖母マリアがロシアを特別視するほど、ロシアのどこが異なっていたのでしょうか?

その答えは、教皇レオ十三世の回勅「レルーム・ノヴァルム」(Rerum Novarum)の内容にあります。その中で教皇は、共産主義への教会の応答を述べています。不平等と階級闘争は修正されるべき異常なものではなく、むしろそれらは人間の条件の一部です。人間は堕落した世界、人間が天主に背くことによって堕落した世界に生きています。天主を通して、天主と共に、教会を通してのみ、平和と調和は可能となるでしょう。共産主義者や社会主義者が世界を「修正」できると考えているすべてのセクト、組織、協会、友愛会、すべての政府の解決策は、無駄であり妄想です。天主を離れては、どんな組織も国家も、世界に平和をもたらすことはできないでしょう。社会問題は、天主とその教会を離れては解決できません。

今の時代の教会のすべての著作を見ると、誤謬そのものについてだけはなく、強まりつつある一つの信条について関心が高まっていることが分かります。その信条とは、天主のいない国家の創設によって、また人間が単なる経済的、政治的変革の実施によって、人間の条件を解決できるというものです。

そして、これこそが、ロシアにおける、二月革命における新しいもの、ボルシェビキ革命で完成した新しいものなのです。つまり、天主への言及を一切排除しながら、人間の条件に内在する問題を解決できると主張する世俗的な国家、天主も自分より上位の権威も自然法も認めない国家、そしてそれらの誤謬を世界中に広めるほど強力な国家です。シーンが言うように、「ロシアは西側世界の脱精神化」に、「政治的な形態と社会的な実体を与えた」のです。

聖母マリアが特に共産主義とロシアを指し示していると信じることの危険性は、問題はロシアであり、誤謬は共産主義であると信じることにあります。しかし、実際には、誤謬は、人間は世俗的国家によって制定された政治・経済政策によって全ての社会問題を解決することができる合理的動物に過ぎない、と信じることにあります。

聖母がファチマに現れた時、最初の告知はこうでした。「私は天から来ました」。1858年に、人類が天主からの分離を宣言したことに天主が応えたように、1917年に、人類が人間の幸福と自由への新しい道として天主のいない国家を建国したことに天主が応えたのです。マリアは時の中に入って、天国が存在することを告げました。そして、天国が存在するならば、より高い権威が存在します。救いと贖いは人間が作った国家からではなく、天主から、そして天主のみからもたらされるのです。このことを証明するために、また、このメッセージを徹底させるために、マリアは6回現れます。そして最後には、聖母は天からの直接の証拠、奇跡をもたらすのです。その奇跡は、人間が地上での最高権威者であり、人間だけが地上を修正することを望むようにその地上を修正することが完全にできる、という嘘を証明するのです。

しかし、何万人もの人が目撃した奇跡にも、現代人はまたしても「ノー」と言い、そのメッセージを聞き入れようとはしませんでした。

ソビエト国家は成長し、実際にその誤謬を世界中に広めました。共産主義の誤謬ではなく、人間は自立しており、世俗的な国家によってユートピアへの道を自ら切り開くことができるという近代主義の誤謬です。西欧諸国全体を通じて、次から次へと、人間はますます多くの社会問題の解決を、政府に、国家に求め始めました。貧しい人々の世話は国家に移りました。階級闘争の調停は国家に移りました。差別の緩和、人種間の対立の緩和、所得格差の緩和、これらすべてが国家に移りました。個人の慈善事業は、国家が運営する慈善事業に取って代わられました。

教会でさえ、社会の問題、人間の条件を解決するために国家に目を向け、公共政策に影響を与えることに重点を移したのです。あらゆる社会問題は、新しい国家政策、新しい制度的あるいはシステム的な変化によって解決できるとみなされるようになりました。社会問題も、人間の本質にある傷ではなく、政府の政策不備の結果だとみなされるようになるのは、時間の問題でした。天主が人の霊魂を癒やすために創った教会を通して得られる恩寵によって心と霊魂を癒やすのではなく、国家によってすべてが解決されるのでした。

この誤謬は、ロシアや共産主義に特有のものではないという点を、シーンは何度も何度も強調しています。この誤謬は、資本主義国でも共産主義国と同じように簡単に火がついたのです。彼は、こう指摘しています。「共産主義と独占資本主義の間には、ほとんどの人が疑っているよりも密接な関係があります。彼らは、文明の物質的基礎については同意していますが、同意していないのは、その基礎を誰が支配するのか、資本家なのか、それとも官僚なのか、についてだけです」。そしてさらに、彼はこう述べています。「資本主義経済は天主なきものであり、共産主義は経済学を天主とします…。資本主義は、経済がより高い道徳的秩序に従うことを否定しています。共産主義は、経済学が道徳であると言っています」。

実際、彼は、教会は、共産主義と同じように独占資本主義に反対していることを強調しています。どちらにもこの誤謬が浸透しています。どちらも人間を単なる経済的動物に貶めています。どちらも支配するために国家を利用します。

問題は、ヴィガノがロシア政府の悪に目をつぶっていることではありません。自らの存在を根底にまで広がっている悪に目をつぶっているのは、西側なのです。秘跡を社会活動に置き換え、霊魂を養うことを犠牲にして腹を満たすために政府の金を使うことが正しいと考えるという悪に目をつぶっているのは、近代主義の教会なのです。

ヴィガノは、WEF、IMF、国連、NATO、EU、その他西側で作られてきたあらゆる団体を見て、それらの団体を、この世の別の出来事という観点ではなく、永遠という観点で見ているのです。教皇レオ十三世が、当時の世俗的な組織を見たように、それらの団体を、ヴィガノは、天主と教会からこの世界を離させて戻さないようにしようとする人間の努力と見ているのです。

ヴィガノは、彼らがしようとしていることは、マリアが私たちに警告したロシアの国家よりもさらに強力な新しい国家の創造、つまり、新世界秩序および新しいトランスヒューマニズムの人間を創造するという宣言目標を持つグローバル国家を創造することだとも見ているのです。近代主義は、人間から霊的な本質を奪い去りました。トランスヒューマニズムは、人間から最も基本的な本質を奪い、人間を、テクノロジーと微生物学によって完成される、単なる機械へと貶めようとしているのです。

ヴィガノは政治に没頭しているのではありません。天主に動かされていると思われるもの、サタンに動かされていると思われるものの両方を含む、日々の事件に永遠を見ることに没頭しているのです。私たちには、聖母マリアが求めた通りに【ロシアの】奉献が行われたかどうかは分かりませんが、ヴィガノは、この世の出来事を、他のこの世の出来事という観点だけでなく、霊的な出来事という観点で見ることを私たちに求めているのです。私たちが知っているのは、1989年にソビエト国家が崩壊したことです。また、その時以来、ロシアが再キリスト教化する一方で、西側世界全体が脱キリスト教化を経験したことを知っています。

ヴィガノは、私たちが戦っているのは、実際にはロシアでも、共産主義でも、資本主義でもなく、むしろ、すべての人を天主のいないグローバル国家の奴隷にしようとするサタンの力、邪悪な権天使(プリンシパリティー)なのだと知るように求めています。ヴィガノは、天主がロシアに対して、再キリスト教化したロシアに対して、まさに、グローバル国家が創設されるのを阻止する存在となることで、その罪を償う機会を与えているのだ、とみなすように私たちに求めているのです。

それは、想像するのがそれほど難しいことでしょうか? それは、私たちの天主らしくないでしょうか? ロシアに罪を償わせ、多くの霊魂を救う手段とさせることが?

天主と聖母マリアのもとへ私たちを導くことで、人間の拒絶に再び応えるのは、これもまた、私たちの天主らしくないでしょうか? 天主のご托身の告知というマリアの祝日に、教会の歴史の中で最も近代主義的な教皇がひざまずいて、全世界に、東洋にも西洋にも同じように、すべての司教、すべての国民がひざまずくように呼びかけ、最後には無原罪の御宿りを認めるだけでなく、それ以上に、私たち自身と全世界を、聖母の汚れなき御心に、無原罪の御宿りの汚れなき御心に奉献し、それによって、ついに、これらの年月を経て、これらの出現を経て、ついに、こう言うのです。「そうです、天主はおられます。そうです、天国はあります。そうです、私たちは単なる物質以上の存在です。そうです、私たちは皆、罪人です。そうです、私たちは天主に従い、罪の償いをしなければなりません」。これは、私たちの天主らしくないでしょうか?

私たちの目と心を聖母に向けるなら、私たちは最終的に、教皇レオ十三世と同じように、天主から離れては平和はありえないということを認めるのではないでしょうか? 天主なしには、単なる人間の制度は、天主なき国家は、たとえそれがどれほど大きく、どれほどグローバルなものであっても、私たちを救うことはないのです。

それは、私たちの天主らしくないでしょうか? 全時代で最も近代主義的な教皇が、近代主義の最も基本的な誤謬を放棄するようこの世を導くのが?

それは、永遠が、近代の終わりを告知するのにふさわしい方法ではないでしょうか?

【アメリカ最高裁判事の任命に関連して】人間が女性とは何かを定義することもできないという、まさにその時に、天主が悪に打ち勝つ力を与えたのは女性であり、蛇の頭を砕くのは一人の女性であることを、天主は私たちに思い起こさせるのです。現代人はイエズスを失いました。イエズスの母は、私たちがイエズスを発見するのを助けるために戻ってきました。聖母には、それについての経験があるのですから。

[バルバラ・ファラーの記事の引用終わり]

ここ数週間、ウクライナの戦争に対するヴィガノ大司教の立場をめぐって論争が起きています。

3週間前の3月6日のヴィガノ大司教(リンク)の記事(日本語訳その1日本語訳その2)です。これがさまざまな反応を呼び、大司教を鋭く批判する者がいれば、大司教を支持する者もいました。

中でも、米国のカトリック作家ジョージ・ワイゲルは、ヴィガノが愚かで危険な「不条理」である議論をしていると、厳しい批判をしました。すると、ヴィガノ大司教がワイゲルに反論しました。この論争における二つの重要な文章を読者に提供するために、両論文を以下に再掲します。

以下は、ワイゲルが3月16日に「First Things」に書いたものです。

ヴィガノ大司教とグレース・グランドリング・マーチポール大佐(リンク
ジョージ・ワイゲル

2022年3月16日

イーヴリン・ウォーの第二次世界大戦の三部作「名誉の剣」の脇役の一人に、軍の秘密情報部隊の司令官、グレース・グランドリング・マーチポール大佐がいます。彼は、合理的な人ならつながりを想像しない、あるいはつながりが可能であるとさえ思わない点を常につなぎ合わせる陰謀論者でした。大佐はまた、救世主コンプレックスを持っていました。

「彼の心の中の渦を巻く最深奥に、プランがあったのである。時間があれば、十分な機密資料があれば、彼は諍いの絶えない世界全体を、一つの陰謀の網に編み込むことに成功することだろう。そこには敵対者はおらず、ただ同じ目的のために、互いに知られることなく働いている何百万人もの人間がいるだけである」。グレース・グランドリング・マーチポールにとって、連合国とナチスは実は同じ側であり、そのことが明らかになりさえすれば、すべてが世界とうまくやっていくことになるのです。

このカトリックの現代における悲劇の一つは、そのグレース・グランドリング・マーチポールが、前駐米教皇大使であるカルロ・マリア・ヴィガノ大司教であるということです。

大司教はここ数年、教会の、政治の、疫学の、ワクチンの問題の分析において、ますます多くの陰謀論的な「宣言」を発表してきました。ヴィガノ大司教の3月6日の回勅は、1万語に及ぶ「ロシア・ウクライナ危機に関する宣言」であり、この陰謀マニアをグレース・グランドリング・マーチポールの領域に踏み込ませました。その明白に誤った主張の数々は以下の通りです。

●ウクライナの戦争について皆さんが知っていると思っていることはすべて、事実上「主流メディアの重大な改ざん」であり、大司教の主張を受け入れない者は「主流メディアによって行われた洗脳」の犠牲者である。
●バイデン大統領と欧州連合は、「ウクライナ危機の平和的解決の試みを不可能にし、ロシア連邦を刺激して紛争を誘発する」という「犯罪計画」を実行している。皆さんが、ロシアのミサイル、爆弾、砲撃によって意図的に破壊された民間人の死体や民間インフラ(産院を含む)を見たと思っているものは、本当は西側のせいである。
●真実について気にかける人は、西側が「ロシア・トゥデイ」と「スプートニク」をブラックアウトしていることを嘆くべきである。
●2013~14年のウクライナのマイダン「尊厳の革命」は「ジョージ・ソロスがスポンサーになった作戦」だった。
●ウクライナには「ネオナチ軍」が存在する。
●ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、「もう8年間もロシア語を話すウクライナ人を平気で迫害し続けている」。
●したがって、「ウクライナの人々は、どの民族に属するかにかかわらず、世界人口を減少させ、生き残った者を取り返しのつかないほど免疫力の低下した慢性疾患患者に変える必要性を公に理論化した後、新型コロナウイルス感染症の欺瞞によって全世界の経済を屈服させた、超国家的全体主義体制によって知らないうちに人質となってしまった最新の人々に過ぎない」。
●しかし、希望はある。「第三のローマ」――ロシア正教会のモスクワ総主教座――が、人類をより良い未来に導くかもしれない。

このような不条理な記事を書いている人は、彼、彼女、あるいは彼らがクレムリンの偽情報とプロパガンダを一点一点再現していることを気にしていないようです。典型的な左翼傾向の西側メディアが突然、反ロシア的で好戦的な態度を取るようになったのは、ばかばかしいことです。私が敬愛していないジョージ・ソロスが尊厳の革命のスポンサーになったことは、私たちが議論したカトリックの社会教義をマイダンで実践するために、氷点下の冬の天候の中、命がけで戦った私のかつての教え子たちには衝撃的なことだったでしょう。「ロシア・トゥデイ」と「スプートニク」はクレムリンの偽情報機関です。ロシアの侵略者と勇敢に戦ってきたウクライナ軍の多くが、ロシア語を話す人々で構成されているのはなぜでしょうか? ゼレンスキー大統領は就任して3年足らずなのに、どうして8年間もロシア語を話す人々を迫害してきたのでしょうか? 大司教とその周囲の人々は、プーチン大統領を「挑発」したのは独立した主権国家ウクライナという事実であると強調した2月20日の彼の演説を読んでいないのでしょうか? プーチンの言いなりであるロシア正教会のキリール総主教は、あなたの地元のタロットカード占い師と同じくらい、文明のルネッサンスを導くことはなさそうです。

私は以前から、ヴィガノ大司教が自分の名前で出したこれらの「宣言」を本当に書いているのか疑っています。この宣言は、悲劇的なことに、時とともにぐらつきを増しています。というのも、私はかつて大司教を友人とみなし、バチカン(彼はしばしば不誠実な環境の中にいながら正直な人でした)や米国の教会(彼は教皇大使としてよく奉仕しました)への彼の奉仕に感謝し続けているからです。しかし、ウクライナの戦争に関するこの最新の宣言は、一線(red line)を越えています。嘘、中傷、クレムリンのプロパガンダを自分の名前で出させることによって、カルロ・マリア・ヴィガノ大司教は、かつて相当な宗教的、道徳的権威を有していた彼の亡骸のために死亡記事を書いたのです。

そして、それは悲劇以上のものなのです。

[ジョージ・ワイゲルの記事の引用終わり]

すると、ヴィガノはワイゲルの批判に対して反論を発表しました。

(続く)


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