2022年4月14日(木)聖木曜日 最後の晩餐のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、聖木曜日、聖なる三日間が始まります。
今日、私たちの主イエズス・キリストは、私たちの為に、この被造の世界で、私たちの持てるものの中で、全宇宙の中で、最も価値のある、最も貴重なものを私たちに下さいました。それは「御聖体」です。今日、私たちは主の最後の晩餐の高間に霊的に参りましょう。同じこの高間で主は御聖体を制定され、そして復活の日には弟子たちに現れます。
ユダヤの暦によれば、一日は夕方から始まります。ですから、この御聖体の制定から十字架に付けられるその日は、ユダヤの暦によれば一日です。その一日が、イエズス様の生涯の最後の一日が、御聖体の制定で始まりました。
御聖体は、私たちが持つもので最も価値のあるものです。なぜかというと、これは私たちの天主、世界の創造主、贖い主、救い主、王の王の真の御体であるからです。
主は私たちの罪の償いの為に、御血を全て流されて、苦しみを受けて、罪の償いを果たしたのみならず、贖いを果たしたのみならず、その御体を以って、私たちに御自分の全てを与えようと思われました。主の御恵みを与えるのみならず、聖寵を与えるのみならず、御自身も全くそのまま与え尽くして、全てを残りなく与えようと思いました。それが御聖体です。七つの秘跡の中核です。私たちの救いの最も大切なものです。
この御聖体が、世の終わりまで私たちと共に留まりますように、私たちを養い、慰め、恵みを与え続けるように、ミサ聖祭を制定し、カトリック司祭職を制定しました。
何と聖なるこの夕方、何と主の憐れみ深い愛でしょうか。この御聖体を制定するその値は、主の御血潮、全ての命でした。そのどんな値を払っても御聖体を、御自分の御体を与えたい、という思いでした。世の終わりまで与えたいと思っていました。
主はこの御体が冒瀆されることを、信じられないこと、粗末に扱われること、冷たい心で受けられることなどを、あらかじめ御存知でした。それにも関わらず、今日いらしてミサに与っている愛する兄弟姉妹の皆様のため、私の為に、御聖体を与えたい、私たちに一致したい、全てを与え尽くしたい、私たちの愛を受けたい、と思って、御聖体を制定されました。
今日、このミサを捧げることができることは、何という私たちにとっての喜びであり、栄光でしょうか。主の愛を私たちはどれほど受けているか、私たちは天国に行って初めて理解することができます。
今日、どうぞこの愛を、主のとてつもない御恵みを理解する御恵みを乞い求めましょう。マリア様の御取り次ぎを乞い求めましょう。御聖体から私たちが決して離れることがないように、イエズス・キリストの御聖体をいつも愛し続けることができるように、感謝することができますように、そしてもしも天主様の御恵みであれば、そして御望みであれば、イエズス様に私たちの体も、心も、命も、捧げることができますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。