2022年4月27日(主日)白衣の主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(名古屋)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、聖伝のミサにようこそ。今日は2022年4月27日、白衣の主日のミサを行なっております。
今日フランスで、聖ピオ十世会のシスター会の修練院で、日本で初めての聖ピオ十世会のシスター会の修練女が初誓願を立てます。「清貧」「貞潔」「従順」の初誓願を立てる予定です。今その式の最中かもしれません。どうぞこの方の為にお祈り下さい。シスター・マリ・エスペランスです。
そして多くの聖なる召し出しが与えられて、多くの方が修道者となることができますようにお祈り下さい。
一週間遅れましたけれども、私たちの主イエズス・キリストの御復活の御慶びを申し上げます。
私たちの主は本当によみがえりました。真に肉体を以ってよみがえりました。
復活のその日に、ユダヤ人たちを恐れて部屋にドアをして、鍵をかけてこそこそと隠れて、姿を隠していた弟子たちに、イエズス様は壁をつき通して、復活した体を以って現れて、弟子たちに言いました。
最初に言った言葉は、「お前たちに平和あれ!」でした。
この弟子たちはイエズス様を、あるいは「知らない」と三度裏切った者、あるいはイエズス様を見捨てて逃げてしまった者、あるいは中には、服を取られたのに、その服をさえ脱ぎ捨てて裸で逃げた者さえも、イエズス様があれほどの善をしたにも関わらず、あれほどまで三年間親密に生活したにも関わらず、逃亡してしまいました。裏切ってしまいました。誰も助けようとしませんでした。見放したままでした。十字架の下にさえも来ませんでした。たった来たのはヨハネだけでした。他の女性たちは婦人たちは居たにも関わらず、弟子たちは逃げてしまいました。
その彼らに、何の一言も叱責や恨み言も言うことなく、仰った言葉は、「お前たちに平和あれ。」
そしてその次に、本当に復活したということを見せる為に、御自分の手足、脇腹を見せて、本当に私だよ、ということを優しく示しました。そしてその見せて後に、「お前たちに平和あれ。」その言葉だけでした。
それのみならず、このそこにいた弟子たちに息を吹きかけて、罪を赦す力を与えました。イエズス様は裏切った弟子たちを赦したのみならず、彼らに赦す力さえも与えたのです。赦しと、憐れみと、そして愛と、親切、慰めに満ちた光景です。本当にこれは天主のみがすることができる、愛の御出現でした。
その時に一緒にいなかった使徒聖トマは、「俺、信じない」と言います。
他の婦人たち、他の聖ペトロが、「イエズス様を見た。」「会った。」「触った。」
「あぁ、信じない。」「あぁ、信じない。」
皆が、「じゃあどうしたら良いのか?」
「あぁ、それはね、俺の指をその釘の穴に入れて、手を脇腹に入れたら、まぁ信じようか。」
使徒トマはあくまでも信じませんでした。「他の人が一体何を言っているか知ってるか?皆が何と言っているか知ってるか?もうごめんだ。」トマは、使徒たちの言葉よりも、他の人が何と言っているか、世間がどうだ、ということだけを信じていたかのようです。
すると八日目、つまり復活の後の八日目、つまり今日、イエズス様は夕方、18時頃かもしれません、ドアを閉め切っている弟子たちの中にもう一度現れて仰います。「お前たちに平和あれ!」そしてトマスには、何の叱責の言葉も言わずに、「さぁ、お前の指をここの中に入れてごらん。お前の手をここに入れてごらん。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
何と優しい、何と憐れみに満ちた親切なイエズス様でしょうか。ただ、ただひたすらに、弱い私たち使徒たちに、イエズス様が本当に真に復活したということをただ見せたい、ということだけを思っていました。誰の責任だ!誰が十字架に付けた!誰が…ということは一切ありませんでした。
イエズス様が求めたのは、「ただその後には、十字架の後には栄光が待っている。その栄光をお前たちにあげたい。永遠の命を伝えたい。永遠の喜びを受けてもらいたい。その為にこれを信じろ」と、「さぁ、復活があるよ。本当に復活があるんだ。」それだけでした。そしてその為に、触らせたり、魚を食べたりして何を食べたりして、御自分の本当の復活を見せました。
今日、私たちにも同じことを仰っています。「お前たちに平和あれ。何も心配するな。十字架があるだろう。全ては難しい事だらけかもしれない。でも、私と一緒に十字架を担いで捧げるならば、必ずその十字架は喜びと栄光に変わる。全ては、私たちの目から全ての苦しみや悲しみは取り去られる、死は無くなる。喜びと、平和と、命だけしかなくなる。だから、イエズス・キリストの十字架の跡を慕って、復活まで付いてこい。」
イエズス様は私たちに仰っています。このイエズス様の十字架の勝利、これこそ私たちの信仰の勝利です。
旧約時代、エジプトで奴隷状態になっていたイスラエルの民、ファラオの下で強制労働がありました。その時にヤーウェ天主は、指導者としてモーゼを送りました。モーゼの指導の下に、イスラエルの民はエジプトの奴隷状態から脱出します。その奴隷のくびきを捨て去って、そしてその大群がモーゼの指導の下に、紅海と言われている海の中を通って、壁のようになった海の底を通って、全く濡れずに、エジプトから出て行きました。
それを見て怒ったファラオとそのエジプトの大群は、当時最高の技術と最高の軍事力を持っていたエジプト、財産のあったエジプトは、全ての軍力を戦車を使って追いかけます。イスラエルの人たちが紅海を渡ったその瞬間、それを渡り終わった途端、モーゼがアーロンの杖を取り払うと、海は元の通りに戻って、エジプトの大群は皆海の中に水没してしまって、全敗します、完敗します。
その直後に、モーゼは天主の十戒をシナイ山で受け、そして啓示によって特別の指導によって、ヤーウェの指導によって、天主の指導によって、契約の櫃を作ります。その契約の櫃の中には、「マンナ」と「十戒の石板」と「アーロンの杖」を入れるように、と。そしていつもその契約の櫃を先頭に旅立っていました。
紅海を渡って、そしてマンナに、天から降るパンに養われて、そして約束の地まで、契約の櫃が先頭を立って動いていました。もしも敵が攻撃したら、契約の櫃が先頭に立って敵と戦います。もしも契約の櫃がないと、イスラエルは負けてしまいました。契約の櫃があるならば、いつも勝っていました。
ある時、この契約の櫃を先頭についに約束の地に入り、そしてソロモンが神殿を建てるのですが、その神殿の中の至聖所と言われる最も聖なる所に、この契約の櫃が置かれました。毎年一年に一度、大司祭はこの契約の櫃のところに最高の生贄を捧げて、生贄の血を降り注いで、そして罪の償いの為に儀式を捧げました。
これは単なる影に過ぎませんでした、前兆に過ぎませんでした。旧約はイエズス・キリストの復活によって成就しました。私たちこそが本物のイスラエルであって、私たちは今、本当の新しいエジプト脱出、出エジプトを行なっています。悪魔の支配から逃れて、洗礼の水を通って、御聖体に養われて、そして契約の櫃を先頭に、私たちは天国へと移動しています。旧約で起こったその影が、この現実に今、この地上で、この2022年、今、このここで行われています。その先頭に立つ勝利者はイエズス・キリスト、モーゼであります。イエズス・キリスト、第二のモーゼイエズス・キリスト。そして私たちに先立って、復活の命に満ちて、私たちに「お前たちもこうなる」と御見せになりました。
愛する兄弟姉妹の皆様、ですからイエズス・キリストの復活を深く確信なさって下さい。そしてイエズス様の跡に従うことに致しましょう。苦しいこと、あるいは十字架がありますが、イエズス様と共にこれを御捧げ致しましょう。
マリア様に最後にお祈り致しましょう。マリア様こそ実は御聖体を、イエズス・キリストを宿された本当の新約の契約の櫃であります。聖母の連祷にもある通り。マリア様を先頭に私たちも、イエズス様を胎内に入れたマリア様を先頭に私たちも、天国まで行かなければなりません。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。