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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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「天の国は、婚姻の席を準備する王のようだ。」 キリストの神秘体について 聖ピオ十世会小野田神父説教

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 皆さま、すごいですね!モーゼの義理の父の名前は、イエトロです。イエトロは、娘のジッポラをモーゼに嫁がせています。

 では、モーゼの生みの親の、父親と母親の名前は何でしょうか?コメント欄に書き込んでくださいね。

 さて、10月4日の主日の東京で聖伝のミサを捧げました。その時の説教をご紹介いたします。

 最近、コンピューターのキーボードの調子が良くなく、苦労していました。今回、ようやく、新しくコンピューターを購入することにしました。まだ慣れていないのですが、何とか普通に文字が打てるようになりました。天主に感謝します。


天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


2015年10月4日 聖霊降臨後第19主日
小野田神父 説教

日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。今日は2015年10月4日、聖霊降臨後第19主日のミサをしています。聖ピオ十世会の聖伝のミサにいらした皆さんに、歓迎の言葉を申します。今日のミサの後、14時30分からいつものように公教要理と、それから16時には主日の晩課があります。月曜日の明日は、いつものようにミサがありますが、ミサの時間が6時15分です、どうぞご了承ください。それから来月のミサは、11月8日と9日です。8日はいつものように10時30分からミサがあります。

3つほどお祈りのお願いがあります。1つは、すぐ今週、私の理解が正しければ、ローマで家族に関する特別の司教会議「シノドス」が開かれます。そしてこのシノドスでは、カトリックの倫理や道徳に反するような教えが交付されるのではないか、という懸念があります。それは既に、幾名かの司教様や枢機卿様たちがその懸念を発表して、今、司教様や枢機卿様たちが2つに分かれて戦っている、という報道が流されています。これについて、聖ピオ十世会総長のフェレー司教様も教皇様に、「どうぞ、カトリックの教えをはっきりと表明して下さるように。」と、懇願の手紙を書かれました。どうぞこのローマのシノドスの為にお祈り下さい。今日、このミサの特別の集祷文が使われているのも、私たちが困難な状況から救い出される為のお祈りです。

第2のお祈りのお願いは、今週の月曜、明日から、アジア管区の特にフィリピンで働いている司祭の為に黙想会があります。月曜から土曜までで、皆さんの温かいお祈りを、良い黙想会の実りの祈りをお願い致します。

最後のお願いは、お祈りのお願いは、10月の中旬頃にマニラで、フィリピンの修道院長の会議があって、そして来年の計画について話し合って、そしてその計画について、それを管区長様に提出して、という会議がありますが、非常に重要な会議で話し合いで、それで私はその時に、2016年の日本でのミサ倍増計画を提出しようと考えています。それがうまく受け入れられる事ができるように、どうぞ皆さん、お祈りをお願い致します。できれば東京で主日に、2回、月に2回ミサがありますように、計画を立てています。どうぞお祈り下さい。


「天の国は、婚姻を催す王のようである。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日はイエズス様の福音の例えに従って、天の国について、一体、「天の国が婚宴の披露宴のようだ」という事は一体どういう事なのか?その誰と誰の婚姻で、一体どういう何が起こるのだろうか?という事を黙想して、次に、それに反対、その婚宴に反対、それの式に与れないようなものは何なのか?それの結果はどんな事が起こるのかをみて、最後に、結論として、遷善の決心を立てる事に致しましょう。

では、婚宴の、「天の国は婚宴の式」というのは一体どういう事なのでしょうか?私たちはこの事についてよく黙想してきたので、皆さんよくご存知のはずです。御子イエズス・キリストがまず、天主の御言葉がまず人となって、天主の本性と人間の本性が天主の第2のペルソナに於いて一致している事、位格的融合、これがまず、天主と人間との一致の最初です。

そしてその結果何を望んだか、というと、イエズス・キリストは、御自分と贖われた人たちを全て一つにしよう、と思われました。一つの体としようと思われました。贖われた人たちの組織は、教会と呼ばれます。一なる聖なる公教会です。その公教会とイエズス・キリストが、婚姻の様な、更に婚姻よりももっと緊密な結合によって結ばれる、一つの体となる、という事です。そしてこのイエズス様と公教会、キリストの花嫁である公教会、カトリック教会との一致をうまく表す表現は、「婚姻」というほか、それよりも良いものはありませんでした。そこで、婚姻という事を言います。そして私たちは、その婚姻の席に与るように招かれた者です。ただ単に、「あぁ、結婚している人がいるから、お友達だから与って、『おめでとう』って言う」だけではありません。そうではなく、私たちの霊魂も、一人一人の霊魂が、イエズス・キリストとの霊的な、神秘的な、しかし本当の一致に与る、という婚姻です。

聖パウロは、このイエズス様と公教会の一致の事を、キリストの神秘体としてうまく話しています、「夫よ、妻を愛せ。キリストが公教会を愛したように、キリストがその教会の為に血を流して、命を与えたように、夫よ、妻を愛せ。」そして、「妻よ、夫を愛してこれに従え。教会がキリストを愛して、それに従うように、何故かというと、婚姻というのは、キリストと教会との一致の、ちょうどおぼろな影の様であるから。」と、言います。

当時2000年前、婚姻というものの純粋さ、清さ、或いはその汚れの無さ、という事についてあまり知られていなかった時代に、このような事を言うのは、聖パウロにとって勇気がいったかもしれません、言う必要があったかもしれません。しかし、聖パウロはどうしてもそう言わなければなりませんでした。

そればかりではありません、イエズス様は、御自分と霊魂との一致について、御自分と教会との一致について、婚姻の例えのみならず、別の例えも使っています。それは、「私はぶどうの木である。私の父は農夫である、お前たちはその枝だ。私に留まれ、もしも留まらないならば、お前たちは実を結ぶ事ができない。枯れて死んでしまう。そして死んでしまったら、焼かれて、そして捨てられてしまうだけだ。私に留まれ。」と。

聖パウロも同じ事を言います、「私たちはオリーブの木だ。ユダヤ人は天然のオリーブだけれども、そのオリーブの木から離れて、わざと離れてしまった木であって、私たちは接ぎ木されたオリーブの枝だ。」聖パウロはそればかりではありません、「私たちは生ける石だ。そして生ける建物、神殿、キリストの神殿を、天主の神殿を建てている。その基礎が使徒であり、預言者であり、その隅の親石がキリストである。その石の材料の一つの、生ける石である。」或いは、「私たちは、天主の家族の一員、メンバーの一員だ。」と言います。

これは一体どういう事を意味するのでしょうか?イエズス様が私たちを贖って、私たちを「婚姻に与りなさい。」と言った時に、お客さんとして、「あっ、よく来た来た。ここに招待券があって、ここで、あのこれで飲み物をもらって下さい。」ではなくて、私たちは、イエズス・キリストの家族、その一部として、そこの中に、その団居(まどい)に入っている、という事です。

イエズス様は、私たちの罪の贖いの為に、ちょうどこの税務署に行って、「この子の、何とかさんの税金が払えない、未納なので、それを私が代わりに納付します。何番のいくらです。じゃ、これで領収書です。」とやって、私たちを贖ったのではなくて、イエズス様は私たちを、御自分の一部として、私たちを受け取り、私たちはイエズス様の一部として、そして私たちとイエズス様は、まさに一心同体のものとして、私たちの償いを、負債を支払って下さいました。

聖パウロは実は、その書簡の中で、非常にこのギリシャ語の文法的な誤りを犯しながらも、色々な事を言います、「私たちは、キリストと共に死んだものだ。私たちはキリストと共に葬られた者だ。」“それと共に葬られた”という、そのような単語は無いのですけれども、“共に葬られた”という単語を作り出してしまいます。“共に死んだ”という単語を捏造してしまいます。「そして私たちは、キリスト共に復活した者だ。キリストと共に生きる者だ。キリストと共に、天国に於いて支配する者である、君臨する者である。キリストと共に、天主の右に座す者である。キリストと共に、12のイスラエルの部族を裁く者である。」と、言います。そして更にそればかりでなく、「私たちは、イエズス・キリストの一部として、私たちに於いて、キリストが生きている。貧しい者の内に於いて生きているし、捕われ人の者の内に生きているし、そして迫害された者に於いて苦しんでいる。私たちに於いて、キリストは祈っておられる、祈る私たちと共に、キリストは祈っておられる。」と、言います。

つまり、天主様天主御父は、私たちを見る時に、「単なる人間」ではなく、「イエズス様の一部」として、私たちをご覧になる、という事です。

考えてもみて下さい、どんなに小さな産毛の一つであろうが、私たちの体の一つだとして、天主御父は、私たちをご覧になって下さる。もう分かち難く、一つの体としてご覧になっている。そして私たちのする事は、キリストの行動となって、キリストは私たちの為に祈り、行動し、ちょうど夫婦が一つの家族として行動するかのように、更に更に更にもっと、イエズス・キリストは私に於いて生き、私はキリストに於いて生き、キリストと私は一つだ、という事を示しています。

これが、私たちが招かれている「婚姻の席」なのです。

そして第2に、この婚姻の席に、このような一致に、このような緊密な愛による一致に対して、私たちをそれに与らせない、何か邪魔ものはあるでしょうか?どうしたら、それにより良く与る事ができるでしょうか?

それが、「天主の聖寵」です。罪のない状態です、罪が赦された状態です。イエズス様がその御血潮を以って、私たちの為に買い取って下さった、贖って下さった、天主の命です。私たちに於いて生きている、成聖の恩寵こそが、唯一私たちをして、イエズス様と一つにならせて下さいます。そして私たちに、天の遺産を相続させる権利と、イエズス・キリストの名前に於いて、天主御父の右に座す。或いは、天の栄光を、終わりなく喜ぶ、楽しむ、キリストと共に楽しむ、その権利を与えてくれるものです。

もしもこれがなければ、私たちは全てを失ってしまいます。天主の聖寵というのは、それほど大きなお恵みなのです。目に見えないのですけれども、それほどの効果を持っています。でもそれを失うには、たった1つの事をすればよいのです。この服を脱ぎ捨てるには、成聖の恩寵を脱ぎ捨てるには、たった1つの事をすればよいのです。それは何かというと、大罪を1つでも犯せば、それで終わりなのです。

大罪を犯してしまうと、もはや私たちは、天主の敵となってしまいます。何故かというと、私たちはそうだと知りながら、罪であると知りながら、天主に背くと知りながら、自由に、それに同意して、天主の国に「嫌だ。」と言うからです。天主様が嫌がっている、御望みにならない、というのを知りながら、「嫌だ。」と言う事であるからです。その時に私たちは、「何故お前は、大罪の状態で、婚姻の服を着ずにここに来たのか?外に出なさい。私はお前を知らない。」「呪われた者よ。私を離れて、永遠の地獄に火に入れ。」と、言われるしかありません。

これは、天主のイエズス様のせいではありません。私たちがそうと知りながら、自由に、犯した罪の為です。その時に敢えて、罪の状態を選んだ私たちは、どれほど悲しみ嘆く事でしょうか。

ダビドの王に、アブサロンという子供がいました。そのアブサロンは、ダビドの言いつけに背き、「もう、お前は子供だけれども、俺の目の前に来るな。」と、言われました。非常にそれに失望して、嘆いて、そして自分の弟子を召使いを使って、「何とか、何とかもう一度目の前に行く事ができるように。」と、頼んだ事があります。

私の読んだところでは、スペインの王のフィリッポ2世は、あるどこかの貴族が、教会の中でちょっと不適切な行動をして、天主の御前に背く事をした、という事を受けて、「もうお前は目の前に来るな、帰れ。」と言ったそうです。そしたら、その貴族は非常にそれに失望して、それにがっかりして、その後息を引き取ってしまったそうです。

考えてもみて下さい。皆さん、この前私たちは一緒に、宮中に晩餐会に呼ばれる事について、色々話しましたが、想像してみましたが、考えて下さい、「聖ピオ十世会の聖伝のミサに与っている方々は、皆例外なく、これからは宮中の特別のお友達で、天皇陛下の皇族の一部で、そしてもう自由に、特別のお友達として自由に皇居に来て下さい。自由に使って下さい」と、なっていたはずが、いけないと知りながら、悪いと知りながら、私たちが罪を犯したが為に、「もう来ないで下さい、もう今までの特権はもう終わりです。」という事になったら、私たちはどれ程がっかりするでしょうか。「私は養子の王様の子ですよ、天皇陛下の養子ですよ。」もう終わりです。それは罪を犯す事によって失われてしまいました。

これが、この福音の中で、婚礼の礼服を着ていなかったが為に、外に出される人の運命です。

では最後に、私たちはどのような遷善の決心を立てたら良いでしょうか?まず第1に、私たちが受けたイエズス・キリストの養子となり、イエズス・キリストの神秘体の一部となり、イエズス・キリストの、天主の命に与り、それに接ぎ木された特別の恵みを受けた者である、というそのとてつもないお恵みを感謝致しましょう。第2に、それに反するものは唯一、罪を犯す事である、という事をよく知る事に致しましょう。そして罪を避け、罪の機会を避ける決心を立てる事に致しましょう。最後に、(イエズス様が)私たちに、どれほどの努力とどれほどの苦しみを以って、この婚姻の席に招いて下さっているか、という事を一番よく理解する事を助けてくれるのは、ロザリオのお祈りです。ロザリオのお祈りをする事によって私たちは、価値がますます分かってきます。そしてそのお恵みを失わない力も、ますます受ける事ができます。ですから特に10月は、ロザリオのお祈りをよくする事に致しましょう。

「天の国は、婚姻の席を準備する王のようだ。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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