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洗者聖ヨハネは、真理と正義を説くという使命に完全に忠実で、この理由で苦しみ、殺された:

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洗者聖ヨハネの殉教と教導教会についての説教

ドモルネ神父

はじめに

明日、8月29日は、洗者聖ヨハネの殉教をたたえます。洗者聖ヨハネは、まったく不当な方法で投獄され殺害されるという段階にまで至っても、教えを説くという自分の使命に忠実でした。洗者聖ヨハネは、あらゆる脅迫や迫害にもかかわらず、カトリックの信仰と道徳を告白するという義務を負っている私たちが倣うべき模範を見せてくれました。今日は、洗者聖ヨハネが、教導教会と私たちに示してくれた模範についてお話しします。

洗者聖ヨハネの使命

洗者ヨハネは、真理と正義を説いて、人々が私たちの主イエズスを迎える準備をするという使命を天主から受けました。洗者聖ヨハネの父ザカリアは、聖霊に動かされて、自分の子についてこう宣言しました。

「幼子よ、(中略)主に先立って、その道を準備し、(中略)闇と死の陰に座る人々を照らし、平和の道に導き入れる」(ルカ1章76-79節)。真理、それは、現実をありのままに知ることです。真理を説くとは、自然かつ超自然の現実を、特に天主について、また私たちと天主との関係についての現実を、人々に知らせることです。正義、それは、厳密に言えば、天主がこの世に定められた秩序に従って、すべての人にその人に当然あるべきものを与えることです。広い意味では、正義とは、天主によって定められた法に忠実に従って生きることを意味します。ですから、正義を説くこと、それは、天主をお喜ばせし永遠の幸福を得るために、人々が行うべき善を教え、避けるべき悪を戒めることなのです。

福音の中で、洗者聖ヨハネは、兵卒、税吏、ファリザイ人、そしてすべての人々に教えを説くという使命を完全に果たしたことが分かります(ルカ3章7-17節参照)。洗者聖ヨハネは、世俗の指導者たちに対しても、その使命を果たしました。ですから、兄の妻ヘロディアデとの姦淫の状態で生活していたヘロデ王に対して、洗者ヨハネは、繰り返し、断固として、勇気をもって、こう言ったのです。「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」(マルコ6章18節)。

洗者聖ヨハネは、このようにヘロデ王の罪深い振る舞いを糾弾することで、報復や迫害にさらされることを十分に承知していました。しかし、彼は、自分の使命に忠実であり続けました。洗者聖ヨハネは、天主への愛に動かされ、天主の超越性と権威を擁護したのです。また、彼は、ヘロデ王への真摯な愛にも動かされ、ヘロデ王を罪から抜け出させ、王を地獄から救おうとしていたのです。実際、人を愛するということは、その人の善を望むことであり、その人が永遠の幸福を得るの望むことです。人を誤謬や罪の状態のままにしておくことは、その人への愛がないことを意味します。

洗者聖ヨハネは、ヘロディアデの激しい憎悪の犠牲となりました。そして、最後には、ヘロデ王によって投獄され、残酷かつ最も不当な方法で暗殺されたのです。私たちは、この死に衝撃を受けるかもしれません。なぜ、天主はご自分の忠実なしもべを、このように虐待されるようになさったのでしょうか。それは、彼が、私たちの主イエズス・キリストとともに、贖いのわざにあずかるためだったのです。実際、贖いは苦しみを通して実現します。苦しみを通して、私たちは、被造物への乱れた愛を償い、聖徳を英雄的な段階で実践し、永遠の報いを受けるのにふさわしくなるのです。

洗者聖ヨハネは、真理と正義を説くという使命に完全に忠実でした。そして、彼は、この理由で苦しみ、殺されたのです。私たちの主イエズスは、このような忠実さに対して、洗者聖ヨハネを高くほめたたえられました。「女から生まれた者の中で、洗者ヨハネよりも偉大な預言者はいない」(ルカ7章28節)。

教導教会

教導教会は、洗者聖ヨハネに与えられた使命、真理と正義を説くという使命と同様の使命を、私たちの主イエズスから受けました。教導教会とは、教皇、司教、そして司教と共に働く司祭のことを意味します。使徒たちとその後継者たちに対して、私たちの主イエズスは、こう言われました。「行け、諸国の民に教え、聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊の名によって洗礼を授け(よ)」(マテオ28章19節)。これが、真理を説く使命です。「私が命じたことをすべて守るように教えよ」。これが、正義を説く使命です。教導教会のこの使命は、この世の終わりまで、皇帝、王、大統領、首相など、この世の権力者を含むすべての人々に対するものなのです。

教導教会は、自らの使命を果たすとき、邪悪な人々の憎悪と迫害のために、トラブルに巻き込まれる危険があることを十分に承知しています。この世の権力者のカトリック教会に対する迫害はたくさんあります。真理と正義を忠実に説いたために、この世の権力者によって虐殺された教皇、司教、司祭はたくさんいます。教会の歴史において、教皇が自分の使命を裏切るよりも、すべてを失う方を選んだ場合はたくさんあります。最も有名なケースの中でも、イングランド王ヘンリー八世に反対した教皇クレメンス七世のことについて触れましょう。この教皇は、結婚の不解消性についてのイエズスの教えを裏切って、王の離婚を認めるよりも、イングランドにある教会のすべての財産を失い、ひどい迫害に耐えることを選んだのです。フランスのフリーメーソンの政府に反対した教皇聖ピオ十世のことにも触れましょう。この教皇は、世俗社会に対する王たるキリストの権利を裏切って、世俗主義を承認するよりも、フランスにある教会のすべての財産を失い、厳しい迫害に耐えることを選んだのです。

教導教会は、その使命のために多くの苦しみを受けました。しかし、私たちは、驚くべきではありません。私たちの主イエズスは、私たちにこう言われました。「私のために、人々があなたたちをののしり、あるいは責め、あるいは数々の讒言(ざんげん)を言うとき、あなたたちは幸せである。喜びに喜べ、あなたたちは天において大きな報いを受けるであろう。先人の預言者たちも同じように迫害された」(マテオ5章11-12節)。真理と正義を説く者が苦しむことを天主が許されるのは、彼らが贖いのわざの仲間となり、英雄的な段階で聖徳を実践し、永遠の報いを受けるのにふさわしくなるためなのです。

結論

親愛なる信者の皆さん、今日(こんにち)、教皇と大多数の司教が、どれほど自分の使命を裏切っているかを見るのは、心が痛むことでしょう。彼らは、断固として、勇気をもって、真理と正義を説く代わりに、邪悪な人々を喜ばせるために、私たちの主イエズスを裏切っているのです。例えば、すべての宗教は永遠の幸福への道であると教えることで(第二バチカン公会議「エキュメニズムに関する教令」(Unitatis Redintegratio)3番参照)、彼らは真理を裏切っています。例えば、結婚の問題で、離婚して再婚した者の姦通の状態を非難するのを拒否することで(使徒的勧告「アモーリス・レティチア」(Amoris Laetitia)参照)、同性愛を非難するのを拒否し(2013年の教皇フランシスコの「私は何様なのでしょうか」参照)、中絶を非難するのを拒否することで(米国のジョー・バイデン大統領のケース参照)、彼らは正義を裏切っているのです。今日(こんにち)の教導教会は、洗者聖ヨハネの模範に倣うことから、いったいどれほど離れてしまっていることでしょうか。

私たちの主イエズスは、すべてのことをまったく見事に行われます。主には、今日(こんにち)の教導教会の大多数が、このようにご自分を裏切るようにさせるという、決定的に良い理由がおありなのです。その理由を、私たちは天国で知ることになるでしょう。私たちの主イエズスが、私たちカトリック信者一人一人に求めておられること、それは、全時代のカトリック信仰、全時代のミサを守り、主のすべての掟を守ることです。そのために、私たちは中傷され、軽蔑され、教会や霊的黙想会の会場のような施設から締め出され、多くの犠牲を払わなければなりません。この私たちの苦しみが、天主に栄光を捧げるものであり、私たちを天国で大きな報いを受けるに値する者とさせるものなのです。ですから、常に忍耐と勇気を持ち続け、私たちの主イエズスの知恵と善意に対する確信を持ち続けましょう。洗者聖ヨハネが私たちの模範となってくださり、天から私たちを見守ってくださいますように。

photo credit


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