大天使聖ミカエルの謙遜についての説教
ドモルネ神父
はじめに
9月29日には、大天使聖ミカエルの祝日をお祝いします。聖ミカエルは、マリアの汚れなき御心に次ぐ、日本の守護聖人ですから、私たちには、聖ミカエルに対して特別な注目をし、特別な信心を行う義務があります。
1.大天使聖ミカエルがルチフェルに勝利した理由:謙遜
大天使聖ミカエルは、ルチフェルと反乱の天使たちに勝利したことで、最も有名です。黙示録では、次のことが私たちに啓示されています。「そうして天に大いなる戦いが始まった。ミカエルとその使いたちは竜と戦い、竜とその使いたちも戦ったが、しかし竜は負けて、天に彼らのいるところがなくなった」(黙示録12章7-8節)。そのため、聖ミカエルは、ルチフェルに打ち勝つ力強い戦士として描かれることが、よくあります。しかし、もっと正確なのは、聖ミカエルを、ルチフェルを踏み砕く小さな子どもとして描いている御絵です。それはなぜでしょうか。聖ミカエルの祝日のミサの福音で、教会は私たちに、私たちの主の、次のみ言葉を読ませます。イエズスは、ご自分のもとに一人の子どもを呼び寄せられ、使徒たちの真ん中に立たせて、こう言われました。「だれでもこの子どものようにへりくだる人が、天の国でいちばん偉い人である」(マテオ18章4節)。聖ミカエルは、天主の御前で最も謙遜であった天使であり、その力と栄光は、すべて彼の謙遜から来ているのです。もう少し詳しく説明しましょう。
2.天使たちの試練
天主は、すべての天使たちをお造りになり、また彼らをすべて、善きものとしてお造りになりました。しかし、天主は天使たちに、すぐに天国の幸福をお与えになったわけではありません。天使たちは、天主への愛を証明することで、その幸福をいただくのに値する者とならなければなりませんでした。さて、天主を愛することは、天主の掟を守ることによって証明されます(ヨハネ15章14節参照)。ですから、天主は天使たちに、ある掟を課されましたが、その掟の正確な内容は、私たちには明らかにされていません。しかし、天主が天使たちに、天使たちには理解することのできない、ある神秘を明かされたことは確かです。そして、天主は天使たちに、その神秘を信じ、それに服従することをお求めになりました。それが天主のみ旨だったからです。
3.ルチフェルの高慢
この試練に直面して、天使たちの中で最も美しいものであったルチフェルは、高慢から、反乱を起こしました。ルチフェルは、自分が理解できないものを信じてそれに服従することを、受け入れませんでした。ルチフェルは、この神秘と、その他すべてのものを理解する力を、天主が自分に与えることを望んだのです。言い換えれば、ルチフェルは、天主が、自分を天主と等しいものにすることを望んだのです。預言者エゼキエルの次の言葉は、聖伝によれば、ルチフェルに対する天主のみ言葉であると理解されています。「私は守護の輝かしいケルブのように、おまえを置いた。…おまえは自分が造られた日から、その中に罪が見つかるまでは、完全なものだった。…おまえの心は自分の美しさにおごり、その栄華のために、知恵を失った。私は、おまえを地に倒した。…私は、おまえの中から火を噴かせた。その火はおまえを焼き尽くした」(エゼキエル28章14-18節)。ルチフェルは、高慢から、天主に敵対しました。ですから、彼の高慢は、この一文にまとめられます:「私は仕えない」(エレミア2章20節参照)。
4.聖ミカエルの謙遜
ルチフェルの高慢の対極に、大天使聖ミカエルの謙遜があります。天主が天使たちに示された神秘と掟に直面したとき、聖ミカエルが、最も完璧に服従した天使でした。聖ミカエルは、自分が、創造主に依存する被造物であるという状態を、完全に認識していました。聖ミカエルは、本来自分のものではない卓越性を、自分が持っているかのように振る舞おうとはせず、自分自身の限界と、天主の超越性を認めました。聖ミカエルは、自らを、完全に天主のみ旨に委ねたのです。言い換えれば、聖ミカエルは、天主の御前に完全に謙遜であることを選んだのです。ですから、この完全な謙遜の行いが、まさに彼の名前となったのです。「ミカエル」とは、ヘブライ語で、「だれが天主のごとき者か」という意味です。
5.ルチフェルと聖ミカエルの戦い
聖ミカエルとルチフェルの戦いは、ルチフェルの「私は仕えない」と、聖ミカエルの「だれが天主のごとき者か」との戦いです。ルチフェルは、このように言いました。「私が理解できないことは、信じたくない。天主に、私を他の者より劣った者としてほしくない。他の者に仕えたり、従ったりしたくない。私は、天主のような者になりたい」。それに対して、聖ミカエルは、このように答えました。「だれが天主のごとき者か。あなたは、天主と等しい者になるなどと、なにをうそぶくのか。あなたを偉くさせているのは、いったいだれなのか。あなたの持っているもので、もらわなかったものがあるか。もらったのなら、なぜもらわなかったもののように誇るのか(コリント前書4章7節)。天主のみが、すべての賜物を与えられ、み旨のままに、おのおのに分け与えられるのである(コリント前書12章11節)。栄光と誉れと力は天主のものである。それは天主がすべてのものを創造なさったからであり、天主のみ旨によって、すべてのものは創造されたのである(黙示録4章11節)」。
天主は、この謙遜の行いに対して、直ちに聖ミカエルに報われました。聖ミカエルを、すべての天使の上に上げられ、ルチフェルとすべての反乱の天使たちを倒す力を、彼にお与えになったのです。こうして、聖ミカエルの勝利がもたらされたのです。それは、聖母の次のお言葉の通りです。「天主は、おごる思いの人々を散らし、権力者をその座から下ろし、低い人々を高め(られます)」(ルカ1章51-52節)。
結論
親愛なる信者の皆さん、聖ミカエルの強さは、彼の謙遜にあります。謙遜の徳は、自分が卓越しようという、歪んだ欲望を抑えることにあります。具体的に言えば、謙遜であるということは、次のようなことです。自分が天主に依存していることを認識すること、天主の法に従うこと、天主の正当な代理者を尊敬し、彼に従うこと、困難なときに落胆しないこと、自分の過ちを認め、赦しを請い、忍耐強く罰を受けること、イエズス・キリストの助けなしには、自分は何も善いことができないことを認めること、他人が自分よりもいかに優れているかを認め、それゆえに、自分自身よりも他人に配慮すること、です。
謙遜は、高慢なルチフェルに打ち勝って天国に行くために、必要な聖徳です。聖アントニオは、あるとき、地上全体が数多くの網で覆われ、その網で、悪魔たちが多くの霊魂を捕らえ、地獄に引きずり込んでいるのを見ました。聖人はおびえて、こう叫びました。「主よ、だれが、これほど数多くの網から逃れることができるのでしょうか」。「謙遜な者である」というのが、天主のお答えでした…。
謙遜で力ある聖ミカエルが、私たちの模範、守護者、そして天国への導き手となってくださいますように。