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「天使のパン」である御聖体を実り豊かに受けるために、信仰、謙遜、清さ、敬い、愛によって、天使たちに倣いましょう。

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天使のパンとそれを受ける心構えについての説教

ドモルネ神父(2022年10月2日)

はじめに

今日は、守護の天使の祝日をお祝いしています。また、今日、この聖堂にきている子どもたちのうちの一人が、初聖体を受けます。この二つにからめて、今日は、ご聖体の「天使のパン」という名前についてお話しします。

1.天使のパンであるご聖体

ご聖体に対する「天使のパン」という表現は、詩篇77篇に由来します。そこでは、次のように言われています。「天主は、人々に天のパンを与えられた。人は天使のパンを食べた」(詩編77篇24-25節)。天使のパンとは、天のパンのことです。しかし、地上に下った天のパンは、ご聖体にまします私たちの主イエズス・キリストです。「私は、天から下った生きるパンである。このパンを食べる者は、永遠に生きる。そして私の与えるパンは、世の命のためにわたされる私の肉である」(ヨハネ6章51-52節)。

ですから、ご聖体は「天使のパン」と呼ばれます。これは、善き天使たちが、私たちと同じようにご聖体を受けるということを表しているのではありません。そうではなく、これは、食べ物が、私たちを生かし続け、また私たちに力と喜びを与えるように、私たちの主イエズスが、天使たちに超自然の命とあらゆる恩寵、また力と永遠の幸福をお与えになることを表しています。大天使ラファエルは、トビアにこう言いました。「私は、確かに、あなたたちと食べたり飲んだりしているように見えたかもしれないが、私は目に見えぬ肉を食べ、目に見えぬ飲み物を飲む」(トビア12章19節)。

2.天使のパンとご聖体を受ける心構え

この「天使のパン」という表現は、ご聖体を正しく受けるためには、天使のような心構えをしなければならない、ということを、私たちに示しています。その心構えとは、どのようなものでしょうか。

a)第一の心構えは、ご聖体に対する信仰を持つことです。ご聖体は、パンとぶどう酒の外観の下に隠れて、実際に現存しておられる私たちの主イエズス・キリストです。天使たちは、そのことを非常によく知っています。聖ヨハネ・クリゾストモは、特にミサの犠牲の間、聖なる天使たちが内陣にいるのを、しばしば見ることができました。司祭が奉献唱を唱え始めると、天使たちが祭壇を取り囲み、聖体拝領が終わるまでそこに留まっているのを、見ることができたのです。私たちが天使のパンを受けるためには、信仰によって、天使たちに倣わなければなりません。もし、ミサの間、これらすべての天使たちが礼拝しているのを私たちも見ることができたとしたら、私たちは、自分には信仰や注意力や、敬虔さが欠けていることに、恥じ入ることでしょう。

b)第二の心構えは、謙遜です。先週、大天使聖ミカエルの謙遜についてお話ししました。善き天使たちは、すべて謙遜です。彼らは、自分が天主に依存していること、また自分が受けたすべての賜物は天主からのものであることを認めます。そして、天主に完全に従い、本来自分のものではない卓越性を自ら誇ることなく、すべての栄光を天主に捧げます。例えば、黙示録の中で、聖ヨハネはこう言っています。「私はそれらを見聞きしてから、それらを私に示した天使を礼拝しようとして、その足元にひれ伏した。しかし、天使は私に言った。『そうするな。私はおまえと…同様に、しもべである。天主を礼拝せよ』」(黙示録22章8-9節)。「天使のパン」を受けるには、私たちも、私たちの主イエズスに対して、同様に謙遜な態度を取らなければなりません。私たちは、被造物として完全にイエズスに依存し、すべてのことについてイエズスを必要としています。そして私たちは、罪人として罰せられるに値する者であり、イエズスの御あわれみを必要としているのです。

c)第三の心構えは、霊魂の清さです。天使は、肉の欲望を持っていません。私たちの主イエズスは、こう言われました。「復活の時の人間は、めとりもせず、嫁ぎもせず、天にいる天使と同じようなものになる」(マテオ22章30節)。天使は、富に対する歪んだ愛を持っていません。例えば、若いトビアが、大天使ラファエルに助けてもらったことへの感謝のしるしとして、自分の巨大な富の半分を差し出したとき、この大天使は、それを全く気にも留めませんでした(トビア12章5節)。すでに述べたように、天使たちは高慢ではありません。天使たちは、いかなる罪もなく、清らかです。「天使のパン」を受けるためには、私たちの霊魂は清くなければなりません。もし、私たちが大罪を犯したなら、まず悔悛の秘跡で天主のお赦しを願わなければなりません。もし、小罪を犯したなら、心からの痛悔の祈りによって、天主にお赦しを願わなければなりません。それから、自分の歪んだ情欲と戦う決心をしなければなりません。

d)第四の心構えは、敬いの態度です。聖書のマカべ書の中で、ヘリオドロに起こったことを思い出してください。ヘリオドロは、エルザレムの神殿の宝を盗むよう、王によって派遣されていました。ヘリオドロが宝を持ち去ろうとしたとき、突然、「美しい馬具で飾り立てた馬が現れ、それには恐ろしい騎手が乗っていた。その馬は、激しく跳ね上がり、前足のひづめで、ヘリオドロに打ちかかった。騎手は金のよろいを着け、二人の若者を従えていた。この二人の姿形は力強く、輝くばかりに美しく装っていた。二人はヘリオドロの両側に立ち、絶え間なく、彼を打ち続けた」。(マカバイ後書3章25-26節)。この二人は、聖なるものを敬わないヘリオドロを罰する天使たちでした。私たちの主イエズスが、ご聖体に対する冒涜を犯すすべての人々に対して、天使たちに同じような罰を与えさせられることを、私たちはどれほど望んでいることでしょうか…。「天使のパン」を受ける準備をするために、私たちは、聖堂内で敬いの態度を保つ必要があります。それは、きちんとした身なりをし、行儀をよくし、小声で話し、正しくひざまずき、気を散らさないようにする、などのことです。

e)最後の心構えは、私たちの主イエズス・キリストと共にありたいという愛と望みです。天使は、イエズスに対する、燃えるような愛を持っています(詩編103篇4節参照)。思い出してください。イエズスのご誕生のときの、ベトレヘムの天使たちの喜びを。砂漠での誘惑の後、イエズスにお仕えする天使たちの熱意を。私たちの主のご苦悶のとき、主をお慰めするための天使の訪問を。イエズスが十字架上で亡くなられたときの、天使たちの悲しみを。「神殿の幕は、上から下に二つに裂け、地は震い、岩は割れた」(マテオ27章51節)のは、天使たちによってなされたものだったのです。黙示録が啓示するのは、天国では、天使たちが、イエズスへの愛を絶え間なく宣言していることです。「天使たちは、大声で、こう言っていた。『ほふられた小羊は、力と、神性と、知恵と、勢力と、誉れと、栄光と、賞賛を受けるのにふさわしいお方である』」(黙示録5章12節)。「天使のパン」を受けるためには、私たちは、私たちの主イエズスへの愛と、この世と永遠にわたって、私たちの主イエズスと共にありたいという強い望みを、強く心に抱いていなければなりません。ご聖体を受ける前に行う3時間の断食は、私たちが、何よりも私たちの主イエズスを望んでいることを意味しているのです。

結論

親愛なる信者の皆さん、「天使のパン」を実り豊かに受けるために、信仰、謙遜、清さ、敬い、愛によって、天使たちに倣いましょう。私たちがそのような心構えを持てるよう、私たちの守護の天使と天使の元后が、私たちを助けてくださいますように。

 

 


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