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【書評 2】谷口幸紀神父の書評「『LGBTとキリスト教―20人のストーリー』を読んで」を読んで(2)

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【書評 2】谷口幸紀神父の書評「『LGBTとキリスト教―20人のストーリー』を読んで」を読んで(2)

【小宇佐敬二神父は、谷口神父の書評を断罪する】

谷口神父の書評は、日本カトリック正義と平和協議会のみならず、カトリック新聞の連載記事でも断罪された。連載2の記事を書いた小宇佐敬二神父は、谷口神父の書評を「谷口幸紀氏【ママ】(カトリック司祭)のLGBTQ+の方々に対する無知と偏見、差別や侮辱、憎悪に満ちたヘイト記事」「言葉による暴力」であると決めつけた。



小宇佐神父は、善と悪との戦いという次元(「神と悪魔の戦い」)と、唯一の創造主という次元とを混同している。だから「善悪の二元論」は「主のみを神とする一元論」となじまないと主張する。従って小宇佐神父によれば、天主と、天主の愛に逆らう悪魔との間に戦いがあるとする聖書の読み方は、つまり、カトリック教会がそれまでやってきた聖書解釈は、唾棄すべき「原理主義」である。

創世記1:27「天主はその御姿のごとく人間を造り給えり。天主の似姿のごとくに、そを造り給えり。そを男性と女性とに造り給えり。」これはユダヤ教の時代から使徒たちと教父たちを経て、カトリック教会はつねに男性と女性の二つだけがあることを理解してきた。「性別二元論」という「論」ではない。カトリックの教えだ。しかし小宇佐神父は、自分の権威に訴えて、カトリック教会の二千年間の解釈を「偏った解釈」とうち捨てている。

LGBTQ+の本質は、天主が打ち立てた自然の制度である家庭を否定することだ。一人の男性と一人の女性が子孫の出産と養育のために一体となるという天主の御計画による家庭とは無関係に、"自分の好きなように自分の思うように、子供の出産と関係なく、誰とでも、どのようにでも性行為を行うこと"を正当化するイデオロギーだ。男と女とによる人類の繁殖のための自然の構造を、それとは無関係に使うことだ。それを法制度として認めるように要求することだ。

【アンウィン著「性と文化」による分析】

JD Unwin (1895–1936) は「性と文化」(1934)で、86の社会と文明を分析した。その結果、社会は、婚前の貞潔を守るか否かによって文化が発展するか否かが決まる。婚前の貞潔こそが社会の発展と存続のために最も重要な要素だという。

ちなみにアンウィンは、キリスト教信者ではなかった。オックスフォード大学の社会学の教授だった。アンウィンによれば、婚前の貞潔を守り、かつ絶対的な一夫一妻制を取る社会は、三世代のうちに、文化、芸術、科学、家具、建築、工学、農業全ての分野で他の文化を遥かにしのぐようになる。婚前の貞潔がなくなってしまうと、一夫一妻制、信仰、理性的思考力が三世代の内に消滅する。ある文化に完全な性の自由が認められると、三世代の内にその文化は崩壊する。自分の欲求と必要しか考えなくなり、他のより大きな社会的エネルギーを持った文化に征服される。性に関する制限の変化の全効果は、三世代たたないと完全に実現しない。

LGBTQ+は、性文化革命が進行することによって生ずる一過程だ。LGBTQ+はさらにその原理を推し進めて、アンウィンの言うように私たちの社会を崩壊に導くだろう。何故なら「性自認」はLGBTQIA2S+ とさらに呪文が続き、その次の段階があるからだ。その例証は、バイデンが昨年2月に任命したエネルギー省の高官サム・ブリトン(Sam Brinton)だ。ブリトンは、犬を自認している男と"関係"を持っている。つまり「犬自認」の男性だ。いや犬だけに限らない。Ant, Batterfly, Cat, Dog, Eagle, Fox, etc. etc. いわば、ABCDEF+ だ。革命は、誰かが止めなければ、社会の完全な崩壊まで続く。


ちなみにブリトンは昨年12月に飛行場で女性の荷物を盗んで逮捕され、エネルギー省を休職していると報道があった。彼は解雇されなければならなかったはずだ。

【LGBTQ+の問題は、法律によって公共の社会生活に影響を与える】

LGBTQ+の問題が公共の社会生活に法律によって影響を与えていること、社会の存続に関わる大問題になっていることに、小宇佐神父はまったく気づいていない。小宇佐神父は「自分はトランスジェンダー女性だ」と偽る男性が女性用の浴場やトイレに闖入することを「確かに犯罪」としつつ、「警察が扱う問題」だから「問題のすり替え」をしてはならないと、議論を放棄しているに過ぎない。いったいどうやって「偽る」ということを客観的に証明するつもりなのだろうか?

「差別禁止」という名前のもとで、社会生活において女性が差別をうけることを考えて見たことがあるのか?「自分はトランスジェンダー女性だ」という「性自認」を社会全体が受け入れなければならないと罰則規定がある法律ができた時、女性たちや子供たちはどう身を護ればいいのか?これこそが、核心的な問題だ。「差別禁止法」ができた場合、「自分はトランスジェンダー女性だ」と自認する男性が女性用の浴場やトイレに闖入することを「確かに犯罪」だと断言することさえも処罰の対象となるからだ。

ある司祭があるいは信徒が、カトリック教会の伝統的な教えを主張した場合、今現在は、日本カトリック正義と平和協議会あるいはカトリック新聞が、批判するだけだ。あるいは司祭は僻地に左遷させられるだけですむ。しかし「差別禁止法」ができてしまうと、逮捕され、投獄される危険がでてくるだろう。

【「NO!セルフID 女性の人権と安全を求める会」とノートルダム清心女子大】

最近、ノートルダム清心女子大が自主的に「自身の性自認にもとづきトランスジェンダー女性」を受け入れることとした。谷口神父が書評で指摘しているように、これに対して、「NO!セルフID 女性の人権と安全を求める会」は、ノートルダム清心女子大・津田学長宛に抗議の文書を送った。

「NO!セルフID 女性の人権と安全を求める会」が取り組むことは、次の三つだ。
1、私たちは、自認にもとづく性別が法律・制度・公共施設の運用などに適用されることに反対します。
2、私たちは、生物学的性別にもとづく権利(sex-based rights)が保障され、女性の人権と安全が守られることを求めます。
3、私たちは、性自認至上主義的な言動に対して異論を唱えても不利益を被らない民主主義的な社会を求めます。

【女性の人権と安全を求める立場からの抗議の手紙】

ノートルダム清心女子大・津田学長宛の抗議の手紙を参考資料として以下に転載する。

ノートルダム清心女子大学 学長 シスター津田葵様
ノートルダム清心女子大学 多様な学生受入れ委員会委員長 本保恭子様
 女子大である貴学が2023年度からトランスジェンダー学生を受け入れるというニュースに接してたいへん驚きました。これは一大学の方針転換にとどまらない大きな問題だと考えます。そのため、女性の人権と安全を求める立場から、いくつかの看過できない問題を指摘するとともに、強い抗議の意思を表明いたします。

1.他者から確認することができない「自認」によって入学の可否が決められ、しかも入学後は自認が不問とされること
 『山陽新聞』の6月16日付の報道(https://www.sanyonews.jp/article/1273504)によると、「診断書の提出は求めない」とあります。つまり、医師のまったく介入しない、純粋な自己判断による性別認識での出願・入学が可能です。これは根本的に客観性を欠き、女子大学としてのあり方を根本的に損なうものです。そもそも女子大学ができたのは、女性がその生物学的性別ゆえに高等教育から排除されてきた歴史があるからです。けっして性自認が女性だから教育の場から排除されてきたのではありません。女性であるがゆえに学ぶことを許されなかった女性たちに高等教育の機会を与えるためにこそ、女子大学が設立され、存続してきたのです。貴学の新しい方針は、このような女子大学の歴史と理念を真っ向から否定するものです。

 一方、貴学ウェブサイト内の「多様な学生(トランスジェンダー女性)受入れガイドライン」(https://www.ndsu.ac.jp/life/support/pdf/transgender.pdf)(以下、ガイドライン)には、「男性が自認を偽って入学するいわゆる『なりすまし』が発覚した場合、学則に基づき退学とします」とあります。しかし、医師の判断によらない主観的な自認にもとづくかぎり、なりすましなのかそうでないのか判断材料は存在しませんし、そもそも、貴学の「多様な学生受け入れ委員会」を含む他者から確認できるものではありません。確認することができないものを根拠に入学や退学を決定するならば、そこに必然的に恣意性が生じますし、それは教育機関としてあるまじきことです。しかし、実際に「なりすまし」であったとしても、ガイドラインには「入学後に、性自認や戸籍がどのように変わっても、そのことを理由に退学になることはありません」とあるのですから、それが適用されれば、問題は何もなかったことになるでしょう。それもまた教育機関としてたいへん不誠実なありかただと言わざるをえません。

2.「トランスジェンダー女性は『多様な女性のうちの一人』です」というメッセージは、現実においては女性の人権を侵害するものであること
 前述したガイドライン、および貴学学長のメッセージにおいて「トランスジェンダー女性は『多様な女性のうちの一人』です」とされています。しかし、「トランスジェンダー女性」であることの根拠は本人の主観と自称しかなく、それをもって「多様な女性のうちの一人」と断定するのは、女性の権利と安全を脅かすものです。

 女性はその身体性が男性とは異なることで、男性に比べて低く見られ、性暴力の対象となり、搾取されてきました。つまり、体格や筋肉・骨格などが男性に比べて相対的に脆弱であること、月経があること、妊娠する可能性のある身体であること、などです。だからこそ、女性を男性による侵害の可能性から保護し、その権利を守るために、女性専用のトイレや浴室、更衣室、女子スポーツなどが存在するのです。しかし、ただ性自認だけで決まる「トランスジェンダー女性」を「多様な女性のうちの一人」とみなすことは、このような男女間の身体差を否定することと同じです。それを押し付けるならば、女性の人権と安全を根本的に侵害することになります。実際、自認に基づく性別変更を安易に認めている国々において以下のような問題が起こっています。

・ 女子スポーツに身体的男性、とくに男性器を保有したままの人たちが女性を名乗って参加し、優勝し、賞金、栄誉、奨学金を得ています(アメリカの大学水泳選手権で優勝したリア・トーマスなど)。

・ 米国などで、性犯罪者を含む男性身体者が女性を名乗るようになった結果、女子刑務所に収監されるようになり、その中で性暴力事件を起こしています。妊娠させられた女性もいます(イギリス、カナダ、カリフォルニアなど)。

・ スパ施設などの女性用エリアに男性器を露出させ半勃起させている人物が入ってくることが可能になっており、施設側は法律の規定によりその人物を追い出すことができません(カリフォルニアのWi Spa事件など)。

 以上の事例は極端なものに思われるかもしれませんが、いずれも自認優先の性別変更がなければ起こりえなかった問題です。

3.女子トイレの使用の可否および『みんなのトイレ』の問題性
 貴学のガイドラインでは、「多くのトイレは女子トイレ/男子トイレにわかれていますが、男女の区別なく使用できる『みんなのトイレ』を……2か所に設置しています。どなたでも自由に利用でき更衣室としても使用できます」とありますが、「トランスジェンダー女性」にこのトイレを使うことを義務づけるものになっていません。ということは、貴学の女子学生には、男性器を具えたトランスジェンダー学生とトイレや更衣室をいっしょにしたくないという選択権は何ら与えられていないことになります。女性にとって男性から自分の無防備な姿を見られるだけでも生涯にわたる心の傷を残す可能性があります。トランスジェンダー学生には最大限の配慮をしながら、どうして女子学生たちの選択権や意向はないがしろにされるのでしょうか? あなた方は「女子大学」を名乗っているというのに!

 他方で、トランスジェンダーの学生にこの「みんなのトイレ」を使うよう促すとすれば、おのずとそのトイレのみを使う学生がトランスジェンダーであることを外部に示してしまうことになり、したがって、「それ自体がトランス差別でありアウティングである」との非難が起こりえます。もしトランス権利運動家からトランスジェンダーの学生に女子トイレを使わせないのは差別だと非難されたら、それに反論できるでしょうか。

4.「アウティングしてはならない」という心理的負担を学生たちに負わせること
 性自認は客観的なものではありません。入学審査はパスしたとしても、日々ともに過ごす女子学生たちの間で、「女性」として受け入れることに抵抗が生じる可能性は十分にあります。そうしたときにも、ガイドラインに従うならば、アウティングは「絶対にしてはいけない」ものとして「ハラスメントとして対処」されるものであるため、疑問に思ってもその感情を学生同士で話し合うことができません。  十代後半から二十代初めは、見聞を広めそれらについて考えをめぐらせ、その後の人生の基盤となる考えや価値観を形成する大切な時期です。その際に重要なことは、真実の追求が妨げられることなく、欺瞞なく、所与のものを疑ったり検討したりする場や雰囲気を持つことであり、大学とはそのような空間であるべきです。しかし、「トランス女性は女性である」と掲げられている大学の中では、自分の感覚や考えがそれに沿わないと入学後に気づいても、逃げ場がありません。それは思想信条の自由が十全に保障されないということであり、青年期の心の発達に対してもマイナスの影響が生じかねません。これもまた、教育機関としてあるまじきことです。

 貴学は来年の2023年度からトランスジェンダー学生の受け入れを開始するとの方針を公表しています。他の女子大学では、在学生の抵抗感を考慮して、在学生が卒業してからのトランスジェンダー学生の入学を決めた女子大学もあります。しかし、貴学はそのような配慮すらせず、2022年5月にガイドラインを発表し、6月1日に学長メッセージで全学生に伝えました。安心で安全な女子大学に入ったつもりなのに、何の相談も受けることなく、いきなり来年度から、男性器を有した学生といっしょに大学生活を送らなければならなくなった女子学生の気持ちを考えたことがあるでしょうか?

 貴学の教育理念の一つは、「時のしるしをよみとりながらも、時代の流れにおしながされることなく、人々が真に求めるものにまなざしを向け、人びとに奉仕する大学である」となっています。しかし、貴学の新しい方針のもととなるトランスジェンダリズム(性自認至上主義)は、「人びとに奉仕する」思想ではありません。それは女性を迫害し、女性の人権を抑圧する思想と運動です。どうか、人権擁護や多様性という美名に「おしながされることなく」、実際に世界中で何が起きているのかをよく調べ、貴学の方針をどうか再検討してください。貴学の女子学生たちの人権と尊厳を守ってください。

2022年6月25日
No!セルフID 女性の人権と安全を求める会
共同代表 石上卯乃 桜田悠希

【なぜ、今、女性の方々が声をあげて抗議しているのか?】

なぜ、今、女性の方々が声をあげて抗議しているのか。嫌ならノートルダム清心女子大学から退学する、入学を希望しない、転校する、ですむのではないか?いやノートルダム清心女子大学だけの問題ではないからだ。これが、小さな亀裂となって女性の安全を守っていたダムが決壊することが危惧されるからだ。同じことが日本中の女子専用施設に広がる危険があるからだ。「差別禁止法」ができると、女性の人権と安全が守られなくなるからだ。今が声を上げる最後のチャンスだからだ。だから私たちも、今、声を上げなければならない。

同じ原理が女子修道会にも適応されなければならなくなる。自認女性(外見男性)が入会を希望した場合、入会を認めなければならなくなる。自認年齢も認めなければならなくなる。若い修練女たちがレイプされることも覚悟しなければならなくなる。女子修道会の存続も危ぶまれるようになる。同じことがカトリックの神学校にも適応される日が来てしまうかもしれない。

カトリックの司教たちこそ、性文化革命に対してNO!と言わなければならないはずだ。女性や子供たちがジェンダーイデオロギーの犠牲者とならない前に。

(つづく)


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