【参考文献】新しく壮大な聖ピオ十世会の教会、司教たち、そして概念実証(コンセプトの証明)
普通の人なら、何かをやろうとしてうまくいかなかったとき、他の人が成功するのを見れば、彼らはどうやったのだろうかと考え始めるものだ。彼らは何か違うことをしているのだろうか? 彼らの成功の鍵は何なのだろうか? さらには、普通の人なら、何度も失敗すると変えてみるものだ。この格言はご存じだろう。
New, grand SSPX church, Bishops, and Proof of Concept
投稿日:2023年5月8日 投稿者:ジョン・ズールスドーフ神父
「クライシス・マガジン」(Crisis Magazine)に、エリック・サモンズによる「関心を持たない司教たち」(Our Incurious Bishops)というタイトルの文章がある。
その考えはこうだ。聖ピオ十世会は、カンザス州にある巨大で美しい教会の献堂式を行ったばかりである。その教会には、敬虔な人、若い人、大家族など、まさに司教たちが見たいと思うような人たちが集まっていた。その翌日には、本当に多くの受堅者の堅振があった。
「カトリック・ワールド・リポート」(Catholic World Report)には、司祭の召命がどのように減少しているのか、そしてなぜ減少しているのか、について書かれている。ミラノでは、解決策を見つけようと急いでいるが、その中には良いものもあれば、本当に悪いものもある。しかし、この問題は、これやそれやの司祭養成教育を何年ぐらいにするのかとか、神学生が聖職者の服を着るべきかどうかということよりも、もっと深いものである。この筆者は、昔から言われているように、問題は頭にあるのではないかと考えているのだ。
普通の人なら、何かをやろうとしてうまくいかなかったとき、他の人が成功するのを見れば、彼らはどうやったのだろうかと考え始めるものだ。彼らは何か違うことをしているのだろうか? 彼らの成功の鍵は何なのだろうか? さらには、普通の人なら、何度も失敗すると変えてみるものだ。この格言はご存じだろう。
私は、メル・ギブソン主演の映画「パトリオット」のシーンを思い浮かべる。冒頭で、メル・ギブソンが非常に軽いロッキングチェアを作ろうとするシーンがある。揺らしていると、2回目でその危なっかしいロッキングチェアが壊れ、彼は破片が飛び散った床に叩きつけられた。怒った彼は、そのロッキングチェアを、以前の実験的に作ったものが山積みになっている隅に投げ捨てる。映画の後半で、彼は戦っている相手の英国人将軍の家にいる。将軍が現れるのを待つ部屋には、彼が作ろうとしていたのと同じようなロッキングチェアがある。彼が座って揺らすと、いい出来栄えだ。彼はブツブツ言っている。シーンが進むと、彼が床に伏せてその椅子の裏側を近くで見ているのを将軍に見られてしまう。
「クライシス・マガジン」の記事には、聖ピオ十世会が成長しており、各教区がいろいろな形で衰退していると書かれている。なぜなのか? 聖ピオ十世会は何をやって信者を惹きつけているのか? なぜ彼らはバージニア州に巨大な新しい神学校を、カンザス州に巨大な新しい教会を建設することができるのか?
「カトリック・ワールド・リポート」の記事は、枢機卿会が教会の将来について真剣に考え直す必要があると示唆している。今の状況は、うまくいっていない。もう一度やってみたいのか?
サモンズは「クライシス・マガジン」にこう書いている。
悲しいことに、われわれの司教たちはこのような疑問を抱いていないようだ。実際、司教たちは、このような並存状態について、全く無関心で、時には敵対的でさえあるようだ。(…)
司教たち…枢機卿たち… どちらでもいい。
聖ピオ十世会による無原罪聖母教会の建設が、米国や他の司教たちの目覚めのアラームや転機となるかどうかを見るには、まだ少し早すぎる。そうなるべきだ。しかし… まあ、われわれは司教たちのことを話しているんだよね。
枢機卿たちについては…、そう、彼らには時間はあったんだよ、もうないけれど。
しかし、聖ピオ十世会と無原罪聖母教会に話をもどそう。
しかし、聖ピオ十世会の「無原罪聖母教会」の献堂式の本当の重要性は、単にそれが人で混んでいて、献堂式を見ている人が非常に多かったということではない。
司教閣下の皆さん全員が理解する必要があるのは、こうだ。
無原罪聖母教会の建設と献堂式とは、
概念実証(Proof of Concept)【コンセプトの証明】だったのだ。
概念実証とは、大まかに言うと、ある考えを具体的にテストして成功させることで、さらに大きなことができるということを実証することだと言える。ある考えの実現可能性を最初の試みで検証するのである。成功すれば、特に試行から学んだことを使って、「さらに大きな」規模で、実行に移すのだ。
みんな、カンザス州のこのちっぽけな小聖堂の写真を見ながら、このことを心に留めておいてくれ。
ちっちゃいね
「これで十分だ」とほうり出された、たんなる地味で小さくて実用的な場所。
概念実証。
ね、司教様たち!
彼らはそれをやったんだ。彼らはそれを建てた。考えだけのことでもない、図面でもない、夢でもない。具現化して、オープンして、機能している。
彼らは、自分たちがそれを建てることができると証明した以上、他のものも建てるだろう。彼らの支持者たちもそのことを知っている。人々は具体的なプロジェクトに寄付をしたがるものだし、今彼らは記録を一つ作ったのだ。
概念実証。
「カトリック・ワールド・リポート」の記事には、別の概念実証の例がある。ただし、これほど劇的でもなく、あるいは長期的な意味合いで重みがあるのでもない(私にはそう思われる)が。それは、一つの「ノブス・オルド」の小教区が、ノブス・オルド的なことを正しく行うと"成功"を収めるということだ。言いたいポイントは、カトリック的なことを常識的にやれば、分かるよね、物事がうまくいくらしいということだ。このことは、われわれに何を教えてくれるのだろうか。
あのロッキングチェアは、ギブソンの登場人物が持っていた概念実証だった。彼が思い描いた椅子は作ることが可能だという証明だった。
無原罪聖母教会。
次がもっと続くのだろうか?
あ、それから、新たな受堅者たち…。これは言ってみただけ…。
ジョン・ズールスドルフ神父について
Z神父はこのブログを運営している人であるo{]:¬)
【訳者注:ジョン・ズールスドルフ神父は、ルター派からカトリックに改宗し、1991年にローマでヨハネ・パウロ二世教皇によって叙階された。アメリカで司牧しているアメリカ人司祭。聖ピオ十世会司祭ではない。】