2023年1月22日 東京 説教
日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。
ついに一週間後、私たちには堅振の秘跡の儀式があります。堅振をうけようと準備されている方はいま23名おられます。その方々の多くは今日告解の秘跡を受けられると思います。
もしもできないという方々もいらっしゃると思うので、堅振の日には来週の主日の9時には、その前に堅振を受ける方々が告解を受けることができるようにと配慮してくださると非常にうれしく思います。もしも大罪の状態で堅振を受けてしまうと、堅振は有効ですけれども、しかし涜聖の罪を犯してしまうことになり、そしてお恵みがブロックされてしまうからです。どうぞ寛大な配慮を感謝いたします。
二回目のミサののちに堅振を受ける方のリハーサルがあります。今日ミサに与っている方で、もしも二回目のミサの後のリハーサルに参加することができればうれしく思います。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん。
私たちは先週、聖霊の七つの賜物について黙想しました。上智、聡明、賢慮、剛毅、知識、孝愛、そして敬畏です。今回は堅振の秘跡の儀式についてお話ししたいと思います。
まず堅振の儀式の一番大切な部分、それから次にどのような順序で儀式が行われるか、そして最後に新しい堅振と聖伝の堅振はどのような違いがあるかということを、少し垣間見たいと思っています。
堅振の儀式の最も大切な部分は、司教さまが堅振を受ける人々にするしぐさ、質量、そしてもう一つは仰る言葉、つまり形相です。
【堅振の質量】
堅振の質量というのは、たとえば、洗礼のときには水が必要だったように、堅振のときにはこの二つのことが必要です。一つは司教様が堅振を受ける方の頭に按手するということ。もう一つは、聖香油という特別に祝別されたオリーブオイルを使ってそれを塗りながら堅振を受ける方の額に十字架のしるしをすること、この二つが必要です。もしもこの二つが無ければ質量がないということなので、堅振は無効になってしまいます。
聖香油というのは、聖木曜日に司教様が「聖香油のミサ」という特別のミサで、多くの司祭や助祭などと一緒に捧げるにおいて、オリーブ油に特別な香バルサムという香を混ぜながら祝別する特別な油です。
オリーブ油を使うということは旧約時代から聖伝であって、王さまあるいは預言者あるいは大司祭を聖別するために作るためにオリーブ油が必ず使われました。そして新約時代にも、使徒の時代から二千年間オリーブ油だけを使って、これ以外の油を使わずに堅振の秘跡を授けてきました。
ちょうどお酒といえば日本語でこれはお米からできるものであって、サツマイモからできたものは これは日本酒とはいいません。それと同じように、オデウという言葉では、これはオリーブから搾られた油を指しています。バルサムを入れるというのは、これは非常によい香りがする材料で、そして腐敗を防止します。特に死者の悪臭を防ぐために、そして腐敗を防ぐために、古代からバルサムを額に塗って腐敗を防止するということをしていました。これが意味するところは、オリーブ油が、聖霊の働きが霊魂に染み通るということを意味し、力をつけるということを意味し、養うということを意味し、同時にバルサムが私たちを罪という腐敗の悪臭から守ってくれる、ということを意味します。これが意味するのみならず、それに対応する聖霊が働くということです。聖寵が与えられるということです。こうすることによって私たちはキリスト者、つまり油を注がれた方キリストに倣うものとなって、完成されたキリスト者となるのです。
司教様が按手するということも必要な質量です。按手というのは、受堅者の堅振を受ける方の額に直接に触れていなければなりません。なぜ額に十字架の印をするかというと、額というのは恥ずかしいとか恐れる時に青くなったり赤くなったりして最も人間の弱さが現れるところなので、そこに十字架の印をしながら、キリストの敵に対して恐れることもなく恥じることもなく、堂々と堅固たれ!ということを意味します。
【堅振の儀式】
ではいったい堅振の秘跡はどのように行われるか簡単に見てみましょう。詳しくはリハーサルをする時に申し上げます。
【準備:ヴェニ・クレアトルと説教】
私たちの聖ピオ十世会の習慣では、まず司教様と一緒にヴェニ・クレアトルを歌います。これはポンティフィカルという典礼書には載っていないのですけれども、私たちは伝統的にそれをいつも歌っています。ここでもそうします。その次に司教様は、私たちにお説教をしてくださいます。そして堅振を受ける方の霊魂を準備します。
こうしてから典礼書に書かれている通りの儀式になります。典礼の儀式書によれば、堅振の典礼は四つの部分に分かれています。三つの部分と、あとは最後の四つ目は付属の祝別です。
【聖霊を呼び求める】
まず第一に聖霊を呼び求めます。司教様は立ったまま堅振を受ける人々に、特に罪から罪を犯すことから守られるように、なぜかというと聖霊の賜物は罪とは共存することができないからです。それから特にこの後で、両手を伸ばして、堅振を受ける方々に聖霊の恵みが伝わるようにと、祈ります。特に悪魔の奴隷状態から解放されるように、そしてその代わりに聖霊が注がれるように、と祈ります。その次に、やはり手を伸ばしながら聖霊の七つの賜物を一つ一つはっきりと「この賜物を与え給え」と祈ります。皆さんはその名前を聞いたら「アーメン」と、儀式書に従って答えてください。
【堅振の秘跡の核心部分】
聖霊を呼び求めた次は、堅振の秘跡の核心部分に行きます。その堅振を受ける方はこの前に行列をつくってください。司教様は祭壇の前に座ります。そして一人ずつ司教様の前に行って跪きます。代父母の方は堅振を受ける方の右の肩に右の手で触って直接触れながら、立っていてください。
司教様は ミトラという司教様だけが被る司教帽を被りながら、聖香油を親指に浸して堅振を受ける方の名前を聞き、その名前を呼んで、そして秘跡のことばを言います。例えば、ヨゼフという方が堅振を受ける時には、「ヨゼフ、私はあなたに十字架の印をして」と言いながら、頭に按手して、この親指で、額に聖香油で十字架を塗油します。「助かりの聖香油を持って汝に堅振を施す」あるいは「汝を堅固にする」と言います。そしてその次に手を離され「聖父と聖子と聖霊との御名によりて」と言いながら 三回堅振を受けている人に十字架のしるしをします。堅振を受けた方はここで「アーメン」と答えてください。
こうして堅振を受けた方は司祭から聖香油を受けた部分を拭き取ってもらって、そして自分の席に戻ってください。堅振を受ける方には、一人一人同じことをされます。最初に男性、次に女性です。
【「平和があなたと共に」】
その帰る前に、司教様は第3の部分を行います。その部分は非常に簡単です。しかし非常に深い意味があります。つまり堅振を受けたので、これからは立派なキリスト者だ、聖霊の充満を受けた、もう赤ちゃんではない、大人だ、兵士だ、という意味で「平和があなたと共に」「 パックス・テクム」と言いながら堅振を受ける方の頬を平手打ちします。ビンタをします。びっくりしないでください。なぜ司教様がビンタをするのかというと、イエズス・キリストの信仰のためには苦しいことも屈辱も雄々しく耐え忍びなさい、ということを示しています。でも同時に「平和があなたと共にありますように」と祈るのは、しかし勇気ある態度でイエズス様の信仰を耐え忍ぶのだ、イエズス様のために苦しみを耐え忍ぶのなら屈辱を耐え忍ぶのなら本当の平和が与えられる、ということを意味しています。約束されています。こうして自分の席にお戻りください。
その後、司教様は手を洗います。その手を洗っている間に聖歌隊はアンティフォナを歌います。今まで私たちが受けたこの秘跡がさらに固められますように、という祈りです。
【特別の祝福】
その次に司教様は堅振を受けた人に向かって特別の祝福を与えて、最後には皆さんに、立って主祷文・天にまします、めでたし、それから使徒信経を唱えるようにと命じます。堅振を受けた方は大きな声で恥ずかしがらずにそれを信仰宣言してください。
以上がどのような儀式が行われるかということの説明です。その直後にミサ聖祭が始まります。
【聖伝の堅振を行う理由】
では、なぜわざわざ司教様は日本までやって来られて、そして昔ながらの堅振をするのでしょうか。新しい堅振はどうなんでしょうか。それについて、ひとつ簡単に説明します。
新しい堅振は50年前にできました。1971年に変更され、1972年にもさらに変更が加わりました。そこで大きく変わってしまいました。変わったその理由は、エキュメニズム、それから新しい神学です。
今までの秘跡は全て、エキュメニズムのために、他の宗教と似通った儀式を取り入れるようになってしまいました。詳しく研究された方は、新しい堅振の秘跡は ルター派の「堅信礼」といわれている信仰宣言によく似ていると指摘しています。
もともと堅振の秘跡というのは 私たちに特別のお恵みを与えて、そして私たちをキリストの兵士とすることです。信仰のために潔(いさぎよ)しとするものですが、しかしエキュメニズムのために私たちがその信仰のために戦うということを放棄するようになってしまいました。ですから非常に残念なことに堅振の儀式がプロテスタントに似てしまっています。しかしたとえプロテスタントと似ていても、それだけならば有効は有効ではないのか?――はい、それだけならば有効であり得る、と言えます。
しかしさらに形相が、つまり祈りの言葉が、変わってしまいました。もともとは「誰それ、我汝に十字架の印をなし、救いの聖香油を持って汝を堅固にする、聖父と聖子と聖霊との御名によりて」という言葉でした。しかし新しくなり、「賜物である聖霊の印を受けなさい」に変わってしまいました。これは東方教会のある堅振の儀式から取られたとされています。
またオリーブ油を使うということは 旧約時代からの聖なる伝統でした。聖伝によれば、オリーブ油で作る聖香油だけが有効な堅振を行うことができ、他の植物油では無効だと考えられていました。カトリック教会の今までの教えに従えば、もしもオリーブ油以外のものを使われた場合には無効になる疑いがあると教えられてきました。しかし1972年にパウロ6世がどんな植物から出た油でも良いとしてしまいました。一体なぜそれが許されたのか、その根拠には非常に大きな疑問があります。有効性に疑いが生じます。これは私たちの意見ではなくて、以前昔ローマでそのような報告があった時にもう一度やり直すようにという指示があったことからも、それがいえます。それもオリーブ油でなければならない理由の一つです。
また確かに新しい堅振では、掩手(えんしゅ)、司教様が他の司祭たちと一緒に手を伸ばす儀式はあるのですけれども、直接に手をつける按手(あんしゅ)というのがなされるかどうかについては、疑問があります。翻訳の違いによって色々なやり方がなされています。アメリカの方ではその手を置くということについて特に言及がないようです。ですからもしも按手がないと、その有効性に疑問が生じます。
【遷善の決心】
では最後に遷善の決心を立てましょう。
私たちは、それでも世界中を回って私たちが聖霊の充満を受けることができるように堅振を授けてくださる司教様がいらっしゃる、そして今回この二千年間のままの堅振式の儀式を秘跡を受けることができるこのお恵みを感謝いたしましょう。これは探しても見つけることが非常に難しい特別のお恵みです。この堅振の秘跡が私たちに伝わるためにどれほど多くの犠牲をルフェーブル大司教様が払ってくださったかということは、私たちはその伝記で読むことができます。
私たちが聖霊の充満を受けてイエズス様の信仰をいつも誇らしく守ることができるように祈りましょう。イエズス様はこういいます。「私と私の言葉を恥じる人を、人の子もまた自分の栄光と御父と聖なる天使たちとの栄光を持って来るその日に恥じるだろう」。私たちは決してイエズス様の信仰を恥じてはなりません。そのためにも堅振のお恵みをよく受けるようにいたしましょう。
二週間後 2月5日はこの巡回教会の守護の聖人の大祝日です。そのうちの二十六聖人の中には子供たちも三人いました。そのうちの一人の話をして、今日のお説教を終わります。
最年少の12歳のルドヴィコ茨城は、長崎でも、旅の途中いつも苦しみの中でいつも朗らかにしていて、 そして明るくしていました。ある時、唐津城主の弟であった寺沢八三郎が、ルドヴィコを――子供を見て「お前、 信仰棄てろ。そうすれば俺の家に引き取ってやるから。武士にしてあげる。どうだ、いいじゃないか。武士だよ。」と言うと、ルドヴィコは「お奉行様、あなたこそキリシタンになってください。そして一緒にパライソに天国に行きましょう。」ときっぱりと断ったのです。
武士になるよりも武士になって天国を失うよりもこのまま天国に行った方がよっぽど良いということです。そして長崎に行くと「僕の十字架どこ?」と探して、「あぁ、あれだ!」と喜んで走って行って、そして最後には「パライ!パライソ!」と「天国!天国!」と「イエズス!マリア!」と言って殉教していきました。聖霊に満たされていた子供です。私たちも堅振の秘跡で聖霊に満たされるお恵みを請い求めましょう。
昔ながらの堅振の秘跡によって聖なるカトリック信仰を強めてください。完全な信者として成長させてくれるそのお恵みに心からそして感謝いたしましょう。そしてこのお恵みをけっして無駄にすることがないよう、特にお祈りいたしましょう。マリア様にお願いいたしましょう。
聖父と聖子と聖霊と御名によりて、アーメン。
【追加情報】
Prümmer "Manulae Theologiae Moralis III" にはこうある:
156. 3. Unctio debet fieri cum pollice manus dexterae, non autem cum penicillo aut alio instrumento, ut iam dictum est. Si tamen episcopus pollicem habet infirmum, licite potest ungere pollice manus sinistrae vel alio digito (46: Cf. S. Alph. 1 . c. n. 165).
日本語訳 「156. 3. 塗油は右手の親指でなされなければならなず、すでに述べたように、棒状のものやその他の道具でやってはならない。しかしもしも司教の親指が病む場合、左の親指あるいはその他の指を使って塗油をすることができる。」(強調は筆者による)