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聖母の被昇天をお祝いするとは?聖母マリアは全てのことを、天主への愛のためになさった

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聖母の被昇天についての説教

ドモルネ神父 2023年8月15日

私たちは、聖母の被昇天をお祝いします。原罪以降、全ての人間は、死に、そして死んだ後、その体は腐敗することとなっています。被昇天の特権とは、聖母が、その体が腐敗することなしに、その体とともに、天に挙げられたということです。

天主は、被昇天の特権を、なぜ聖母マリアにお与えになったのでしょうか?その理由は、聖母の無原罪の御宿りでした。被昇天の特権は、無原罪の御宿りの特権の論理的な結果です。実に、死と体の腐敗は、原罪の罰です。天主がアダムに対して次のようにおっしゃったのは、原罪の結果としてでした。「ひたいに汗して、あなたは、かてを得るだろう、土にかえるまで。あなたは、土からとられたものだから。あなたは、ちりであり、ちりにかえらねばならないものだから。」(創世記3章19節)聖母は、原罪から守られたため、原罪の罰を受けられる必要がなかったのです。

聖母の被昇天をお祝いすることは、聖母が天国の栄光と幸福に入られたことをお祝いすることです。次の質問について考えてみましょう。聖母が天国の栄光に入るに値するお方であったのは、聖母の無原罪の御宿りのためでしょうか?そうではありません。もしそうであるとしたら、聖母以外、誰も天国に行かないことになってしまいます。聖母が天に挙げられたのは、聖母の御生活における特別な出来事のためでしょうか?そうではありません。福音によれば、聖母の地上での御生活はごく普通のもので、大多数の人々の生活と似たものでした。ですから、皆さんの中のお母さんや奥さんのように、聖母も、何十年にもわたって、ナザレトの町で、妻と母としての日々の家事をなさいました。皆さんのご家族と同じように、聖母も、家庭生活の喜びを経験され、家庭内の義務を果たされたのです。皆さんの中には突然の試練に見舞われた方がいらっしゃるように、聖母も、突然の試練に見舞われたのです。エジプトへの逃避のことを思い出してください。皆さんと同じように、聖母も、友人たちと喜びを分かち合われました。カナの婚姻のことを思い出してください。皆さんの中には他の人たちからの迷惑に耐えなければいけない方がいらっしゃるように、聖母も、そのような迷惑を被られなければなりませんでした。例えば、イエズスの従兄弟たちがイエズスに対して見せた敵意は、イエズスの御母にも向けられたことでしょう。皆さんの信仰が試されるように、聖母の信仰も試されました。神殿でイエズスを見失しなった時のことを思い出してください。皆さんの中には、肉体的に、あるいは精神的に苦しんでおられる方がいらっしゃるように、聖母も苦しまれました。御受難の時の恐ろしい苦しみのことを思い出してください。皆さんと同じように、聖母も、慰めや、霊的な啓蒙を受けられました。聖母のマグニフィカトを思い出してください。要するに、聖母の地上での御生活は、私たちの生活とよく似たものだったのです。聖母が天に挙げられたのは、聖母の一生における特別な出来事のためではなく、聖母が天主の御母であったからでさえありませんでした。では、なぜだったのでしょうか?聖母がご自分の一生を送られた、そのなさり方のためです。聖母マリアは、全てのことを、天主への愛のためになさいました。これこそが、聖母と私たちの違いです。

聖母の唯一の願いは、天主が求められる全てのことにおいて、天主をお喜ばせすることでしたが、それに比べて私たちは、しばしば利己的に行動し、自分のわがままを通します。聖母マリアは、全てのことにおいて天主の栄光のみをお求めになりましたが、私たちはしばしば、自分自身の栄光を求めます。聖母マリアは、全ての物事を、それが最も単純なことであっても、完全になさいましたが、私たちはしばしば、物事をするのに失敗してしまいます。聖母マリアは、信仰と忍耐をもって試練に立ち向かわれましたが、私たちはしばしば、試練を嫌がってしまいます。聖母マリアは、すべてのことについて天主に感謝し続けられましたが、私たちはしばしば、感謝するのを忘れてしまいます。聖母マリアは、いつも節度をもって、地上のものをお使いになりましたが、私たちはしばしば、過度に物事にふけってしまうのです。

聖母を忠実に真似ようとした幼きイエズスの聖テレジアは、こう言いました。「私は、深い喜びをもって、ナザレトでの聖母の御生活を黙想して、聖母を私の模範と決めて、何も特別なことはないものの、とりわけ小さな、単純な、隠れた徳の行いを完璧になす、という道を、聖母の模範に従って歩んだのです。私は、聖母マリアのことが大好きでした!私は、聖母について教える司祭になって、福音が私たちに垣間見せてくれる、聖母の本当の、そして私たちにも真似ることができる御生活を、人々に示したいのです。それは、聖母の無原罪の御宿りや天主の御母としての特権にもかかわらず、すべてが単純さと愛と信仰からなる聖母の御生活が、私たちの生活と似たものだったからです。」

結論

親愛なる信者の皆さん、被昇天をお祝いすることが、私たちのうちに、聖母マリアととともに天国に行く望みを起こさせることでしょう。聖母とともに天国に行く望みが、私たちのうちに、聖母にならって、すべてのことを天主への愛のためにする望みを起こさせることでしょう。幼きイエズスの聖テレジアは、私たちに次のことを勧めます。それは、良心の究明を細かくしすぎて時間を無駄にしないことや、自分自身のことをいつも気にしすぎないことです。自分の欠点や過去の怠慢を謙遜の目で見つめて、それを私たちの天の御父の慈しみ深い愛にお任せしましょう。最も大事なことは、私たちの人生のあらゆる場面において、私たちの主イエズス・キリストをもっともっと愛するよう努めることです。


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