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【教会の危機】教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのでしょうか?・・・

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アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、以下は2007年3月の記事からの再掲です。






【質問】
現在、カトリック教会は危機に襲われているのでしょうか?」の記事で、カトリック信者の信仰が危機にあるのは結果で、その原因は、聖職者達の信仰の喪失の危機であることが触れられていますが、教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのでしょうか? 教皇様なのでしょうか? それとも第二バチカン公会議なのでしょうか?


【答え】
 セペール枢機卿(Cardinal Seper)は「教会の危機は司教たちの危機である」と言いました(in Georg May, Gefahren, die der Kirche drohen, St Andrae-Woerden, Mediatrix, 1990, p.27)。


 現代の教会の危機には、その能動因として司教様たち(そして究極の責任を問われるものとして教皇様)、その切っ掛けと原理を与えたもの(形相因)として第二バチカン公会議があります。


【司教たちの危機】
 カトリック教会にいる4000名の司教様たちの中には、確かに正統カトリックたろうとしてカトリック信仰のために働こうとしておられる方々が何人かおられます。しかし、大部分の司教様たちにおいては、カトリック信仰を擁護する代わりに、信仰の真理を公に否定する司祭や神学者たちに自由にさせています。中にはそのような司祭たちを激励したり、支援したりし、或いは司教様自身で、カトリック信仰とカトリック道徳とは相容れない立場を取っています。


● たとえばフランスでは、以前のパリの大司教であったリュスティジェ枢機卿(Cardinal Lustiger)は、ユダヤ教徒たちはキリスト教に改宗する必要はないと公に教えています。


● ストラスブールの大司教であるドレ大司教(元パリ・カトリック神学院の神学部長)は、イエズス・キリストを拒否したユダヤ教徒たちを不信仰者(infideles)とか盲目者(aveugles)であると考えることはできない、回心する必要があるのは彼らではなく、むしろ「新しいイスラエル人」という名前を横取りしたカトリックのほうだ、と主張しています。(Mgr Joseph DORE, message addresse a la loge juive "Rene Hirschler" (de l'ordre des B'nai B'rith) et publie dans le bulletin diocesain l'Eglise en Alsace, juillet-aout 2003, p. 1-3.)


 しかし聖パウロは「かれらは不信によって切られ、あなたは信仰によって立っている。」と言い、ユダヤ人の「にぶい心、見えない目、聞こえない耳」、「かれらの目はくらんで見えなくなれ」(ローマ11章)、「今日も、モイゼの書を読むとき、かれらの心におおいが垂れている」(コリント後書3章)と言い、この状態では「天主によろこばれず、人類の敵となり」、「ここにおいて、かれらの上に天主の怒りは、極みに及んだ」(テサロニケ前書2章)とまで言います。

 聖ペトロは、聖霊降臨の日に「イスラエルのすべての人は、あなたたちが十字架にかけたそのイエズスを、天主が主とし、キリストとされたことを、しかと知らねばなりません。・・・くいあらためなさい、おのおの、罪のゆるしを受けるために、イエズス・キリストのみ名によって洗礼を受けなさい。」と宣言しました。


● 2001年には、フランスの司教教義委員会(la commission doctrinale des Eveques de France) は、「天主の啓示に深く忠実」であるとして、バイヤール版の聖書(la Bible des editions Bayard)勧めました。しかし、この版の聖書は聖福音に書かれている事実の歴史性を否定しているものです。曰く「初代のキリスト者たちは、歴史のイエズスよりも信仰のキリストにもっと関心を抱いていた」と。


● 2003年、リモージュの司教であるデュフール司教(Mgr Dufour)は、ミサの時に説教台からこう説教しました。「私たちは天主が存在するのかよく知らない。私たちはそのことを科学的確実性で知るのではなく、信仰において知るだけだ。」


 しかし聖パウロは、天主の存在は信仰なくしても理性だけで確実に知りうると教えています。第一バチカン公会議もこう宣言しています。
「3026(1806)(1) 創造者であり,われわれの主である唯一の真の天主を人間理性の自然的な光によって被造物の中から確実に認識することができないと言う者は排斥される(*3000参照)。」

● 1996年、ベルリンでの講話会の際に、ドイツの司教協議会委員長であるカール・レーマン司教(現在は枢機卿)は、ルターのことを「共通博士」(der gemeinsame Lehrer)と呼びました。しかしこれは通常聖トマス・アクィナスに対してなされる呼び方です。


● 2006年に出版された「フランス司教黒書」(Le livre noir des eveques de France, par Remi Fontaine)というがあります。

 その中で、著者のルミ・フォンテーヌは「フランスの迫り来ている嘆かわしい背教とその現行の無能性」を示しています。この「黒書」からの幾つか例を拾ってみると、

 フランスの司教たちは「フリーメーソンが語るように」、フランスの国家が無宗教であり政教分離しているために戦っています。しかし哲学者ルネ・ジラール(Rene Girard)は、1905年に成立したフランスの政教分離の法律について、「その他これと同類のいかなる法律よりも、キリスト教にとって悪しきものである」と表現しています。


● この「黒書」はフランスで1975年に堕胎の法律が成立したのは、フランスの司教たちが沈黙を守り反対の声を上げなかったからであることを示しています。堕胎賛成をしていたイスラエル・ニザンは「事実上、カトリック教会はこのことについて賛成していたことを多くの人々は知らない」また「カトリック教会は根本的にこの法律に反対しなかった」告白しています。当時、この法律に反対していたカトリックのルジョン教授(Professeur Lejeune)は、パリの補佐司教から「天主の御前で私はあなたに言う。あなたは悪しき信者だ。」と罵られました。サンスの大司教は、堕胎をする人々の回心を願って抗議のためにロザリオの祈りを唱えているカトリック信者たちに向かって「手段の腐敗させている」と非難しました。


● バルバラン枢機卿(Cardinal Barbarin)は、堕胎法律を推進していたフェミニスト議員、シモーヌ・ヴェーユ(これは有名なフランスの女性哲学者とは別人)とリヨンで親しく会っていました。


● サンチエ司教はカトリックの道徳のせいで「男性と女性とが彼らの個人的・社会的生活において教会の強制によって苦しんだ」ことを謝っています。


● ポワチエでは、ルエ司教がコンドームを賞賛して「唯一の病気を防ぐ手段」として必要であると言い、堕胎の法律に反対している国民戦線(Front National)の党員の子供には洗礼を授けることを拒否しました。ルエ司教曰く「国民戦線のイデオロギーはナチと関係があると私は断言する。」


● 1998年、フランス司教協議会委員長であるダヴィド司教は国民戦線の党について「キリスト教の価値と多くの点で」反すると言います。2002年にはジプソン司教は司教の権威を使って「私は、ル・ペンとその党(=国民戦線)に反対することに投票します」と宣言しています。


● レユニオンでは、オブリ司教は、フランスの国民的一致のために、キリスト教的祝日を廃止することを説教しました。


● アミアンでは、ノワイェ司教はル・モンド紙に、司祭独身制について「教会の規律を緩和すべきだ」という望みを掲載させています。


● サン・ドゥニではド・ベランジェ司教は、パリ郊外の暴動事件について「民主主義に対する脅威」であるけれども、「民衆に関して経験がある効果的な組織である」共産党が幸いにもある、と安心しています。だから共産党という「むしろ良い」存在は、「危険な現象」である国民戦線の存在を打ち消すと言います。


● カトリック教会は教会法(1398条)で、堕胎をする母親、医者、手伝う看護婦、堕胎を励ます・勧める・同意する・協力する全ての人々、たとえば父親・友人などを自動破門にしています。司教たちは、堕胎をゆるす立法に賛成する議員やそれに賛成の投票をする者たちは皆、破門であることを宣言しなければなりませんでした。しかし司教たちは沈黙を守ることによって堕胎の罪に協力したのでした。(つまりほとんどのフランス司教たちは、自動破門に相当する罪を犯していたのでした!)


● オンタリオ(カナダ)の司教とボストン(アメリカのマサチューセッツ州)の司教は、自分の教区の司祭たちの半数は全実体変化を信じていないと認めています。しかしそれに対して何もしていません。
Archbishop Marcel Lefebvre: A Living Saintを参照のこと)


● オコーナー枢機卿は、多くのアメリカの司教たちが「教皇様を憎んでいる」と言っている。ガニョン枢機卿は「ほとんどのアメリカの司教たちは宣言されていない離教状態にいる(Most American bishops are in material schism.)」と認めました。
Archbishop Marcel Lefebvre: A Living Saintを参照のこと)


 歳月が経つにつれて、状況は良くなるどころか、ますます悪化の一方で止まるところを知りません。


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