ブノワ・ワリエ神父のご紹介と歓迎の言葉
2024年2月23日 トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
愛する兄弟姉妹の皆様、
ワリエ神父様のご紹介をいたします。
神父様は、1972年にベルギーのブリュッセルで10人の兄弟の6番目の子供としてお生まれになりました。ご両親さまは昔からルフェーブル大司教様を家族ぐるみで支援しておられ、聖伝のミサの環境で成長されました。聖ピオ十世会の「暁の星」学校で勉強され、1991年10月にフランスのフラヴィニーにある聖ピオ十世会の神学校に入学されました。小野田神父はその時エコンの神学校におりました。
エコンで1997年6月27日に司祭として叙階され、すぐにアジア管区に任命されました。
最初の任命地はインド(パラヤンコッタイ)です。
次に1998年、マニラに任命されました。(クチュール神父様の下で小野田神父と一緒に仕事をしました。)
1999年にイロイロの修練院の院長として任命されました。
その後、アメリカ管区、オーストリア管区に任命されましたが、2008年から2014年まで6年間ベネルクス管区の管区長を勤め、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクを任されました。その後、一年間アイルランドに任命された後、アジア管区に戻ってこられました。アジア管区では、スリランカ、シンガポール、マニラで、その修道院長と同時に管区長補佐を勤められ、今回は日本の暁の星聖母修道院の修道院長となられました。神父様は今でも管区長補佐です。
母国語はフランス語ですが、英語をネイティブのように話されます。
これで紹介を終わります。
【歓迎の言葉】
ワリエ神父様、Dear Fr. Wailliez
神父様を私たちの暁の星聖母修道院、修道院長としてお迎えできることを大変嬉しく思います。天主の摂理により、神父様は修道院長として、天皇誕生日に大宮の聖堂で "最初の "ミサを捧げられ、私、小野田神父は神父様に歓迎の言葉を述べたいと思います。
この歓迎の集いは、日本にいる霊魂たちとその宣教の世話を喜んでしてくださる神父様の愛徳に対する私たちの感謝の表現です。この大宮の歓迎会は、神父様が修道院長の仕事をできる限り容易に引き継ぐことができるようにとの私の心からの願いからです。
神父様の司祭としての最初の赴任地はアジア地区でした。神父様と私は、フィリピンのマニラで1年間一緒に働きました。その後で神父様はイロイロで3年間働きました。私たちはクチュール神父様と一緒に秋田と長崎に巡礼したこともありますね。日本のこと、東京や大阪のミッションのこと、韓国のことなどについては、神父様はすでにご存知でしょう。しかし、前回のご訪問以来、天主の恵みにより、多くの新しい信者たちがカトリックの聖伝を発見して、各地から集まってきました。今では大宮と大阪に常設の礼拝堂があり、毎週日曜日に聖伝のミサを行っています。
それぞれの国の異なる精神性、言語、性格を理解し、それらに適応していくことの難しさは想像に難くありません。神父様がすでに日本語の勉強を始めていることを知り、とても嬉しく思います。
アドリュー・ロスの著書『裏切られたビジョン』から、いくつかの文章を引用させてください。この本はアジア管区長のサマース神父様から読むことを勧められて読んだものです。
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1570年、イタリアのイエズス会士、オルガンティーノ・グネッチ=ソルディ神父が来日した。彼は日本語が上手になり、日本人の礼儀作法や考え方に関して非常にこころを配っていた。オルガンティーノ神父は可能な限り日本的な生き方をするように常に心がけていた。織田信長の個人的な友人にさえなった。信長はオルガンティーノに、安土の自分の新しい城の近くに新しい神学校を建てるための素晴らしい場所を与えた。オルガンティーノはそこに立派な建物を建て、信長は時々そこを訪れ、神学校の維持のために米を与えて支援した。毎週、修道士あるいは司祭は、神学校から信長のために果物などの小さなお土産を持って安土城を訪問し、信長の息子たちは、その訪問にしばしば応じて神学校を訪問していた。1578年、オルガンティーノ神父は、イエズス会総長にこう書いた。「もしこの国が信仰に服するならば、世界のどの教会も日本の教会を超えることはないだろうと私は思う。」
また1589年3月にも、彼は日本の教会を「天主の花嫁」と書き、こう続けている。「日本にやってきて、この不思議な美しさを持つ花嫁への愛を育まず、すぐに彼女の言葉を学ぼうとせず、彼女のやり方に合わせないイエズス会会員は、主のぶどう園で働く無能で不採算な働き手として、ヨーロッパに連れ戻されるに値する。」
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神父様は、この "天主の花嫁 "の世話をする、もう一人のオルガンティーノ神父となるために、総長からここに遣わされたのだと思っています。不思議な美しさを持つこの花嫁への愛を育んでくれていることに感謝します。
神父様と私は、ともに使徒となるためにここにいます。ルフェーブル大司教が言われたように"特別な使徒 "と言えるかもしれません。「なぜなら、司祭は教会を再建し、この精神を失いつつある人々、すなわち異教的で異教化された世界、信仰を失い無神論者となった世界のすべての人々の中に、主の精神を新たに形成しなければならないから」です。
親愛なる神父様、私たちを導くために来てくださり、永遠の司祭である私たちの主の御業を継続し、ここ日本と、そのもとにあるすべての宣教地で、何百万もの霊魂を救い、彼らを聖化してくださるその仕事を感謝します。