2024年8月11日 東京 10時30分のミサ説教
トマス小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆さま、今日は聖霊降臨後第十二主日です。
来たる木曜日は、マリアさまの被昇天の大祝日ですから、この祝日を一緒に準備するために、マリアさまの被昇天について一緒に黙想いたしましょう。
もしも私たちが、金メダルを獲得した選手たち、とくに日本の選手たちをよくやったと褒め讃えるのが当然であるならば、この地上での人生を最高のやり方で走り抜いた、そして天の最高の王冠を受けとったマリアさまこそ褒め讃えなければなりません。今日の集祷文にあるように、マリアさまこそ、(promissiones tuas sine offensione cucurrit) 間違いなく約束されたところに走りぬいた方であるからです。
もしも私たちが、祖国のために自分の命を捧げた軍人たちの尊い命を追悼して感謝しなければならないとしたら、私たち人類すべてが天の祖国に戻ることができるために、天のわたしたちの本当の祖国のために、最高の犠牲を捧げた天主の御母マリアさまに、私たちの母にこそ、私たちがこぞって感謝と賛美を捧げなければならないはずです。
【聖母の威厳の理由】
マリアさまは、霊魂も肉体も ともに天の最も高い所まで挙げられました。被造物が挙げられることができる最高の、天主イエズス・キリストのすぐ下の最高のところまで挙げられました。いったいなぜ?すべてにまさって、天主以外のすべてにまさって、マリアさまは、遥か高く最高の威厳にまで高められたのでしょうか?
それは、マリアさまのご謙遜のためです。それはマリアさまがご謙遜ゆえに、天主への愛にみちた生活をおくられたがためです。それは、マリアさまがご謙遜のゆえに、ありとあらゆる聖寵をマリアさまの霊魂に受け取ることができたためです。
マリアさまを、ありとあらゆるものにまさる威厳にまで高めてくださったのはいったい誰でしょうか?それは、地上の王様でも権力者でも偉人でもありませんでした。それはこの全宇宙を無から創造されたまことの天主、三位一体の天主御自身でした。
マリアさまのご謙遜を嘉(よみ)された至聖なる三位一体が、マリアさまをこの栄光の玉座に座らせたのです。そして天主は、聖母を天と地の元后・女王であると宣言して、マリアさまに王冠を被らせて、無限の天の宝の尽きせぬ宝庫の管理者と委ねたのでした。すべての被造物で、マリアさまはもっとも偉大で、もっともすぐれた、天主の最高の傑作、聖徳の驚異、愛の驚異でした。
マリアさまの燦然と輝く栄光は、地上の全ての栄華あるいは栄光をあたかもガラクタであるかのように、おもちゃであるかのように見なさせます。私たちがマリアさまの偉大さ、そして御子イエズス・キリストが聖母に与えたその力を理解しようとしますが、完全に理解することは決してできないでしょう。なぜならばあまりにも偉大であるからです。
ですからマリアさまについては全てが計り知れなくて、私たちが理解することがたとえほんの少しであったとしても、私たちが見たことを見る目は、なんとしあわせでしょうか。私たちがマリアさまについて聞くことができる耳は何と恵まれていることでしょうか!なぜかというと、マリアさまという母がわたしたちに与えられたということは、私たちにとって驚くべき幸せなことであって、わたしたちの救いにとって、きわめてすばらしいことであるからです。そしてわたしたちがそれを垣間見ることができるからです。
では聖母の被昇天を準備するために、今日はマリアさまの偉大さを黙想しましょう。そして、その次に、このようなマリアさまを賛美して“そのマリアさまの保護のなかに入るために、わたしたちが一体その何をすべきなのか”を考えて、選善の決心を立てましょう。
【聖母の偉大さ】
マリアさまの偉大さについては語り尽くせません。これはさきほども申し上げた通りです。これはわたしの意見ではありません。聖アンブロジオがたとえばこう言っています。「聖母は天使たちでさえも理解できないような最高度の栄光、名誉、力を受けて、高められておられる。聖母の栄光を知り尽くすことができるのは、ただ天主だけだ」と言っています。ですから聖アンブロジオは、こう言葉を続けるんです。「私たちが聖母に関してどれほど深い神秘を聞こうとも、天主の目から見た聖母の本当の姿に比べれば、それはほとんど無に等しいものである。」
では私たちができるかぎり限られた力を使ってマリアさまを讃えるとしたら、どうすればよいのでしょうか。教会がわたしたちに教えるマリアさまに関する最も美しい賛美は、この三つの言葉があります。
「聖母は、永遠の御父から最高に愛された娘である。」
また、「マリアさまは、私たちの救い主である天主御子の御母である。」「天主の御母である。」
また次に、「マリアさまは聖霊の浄配…聖霊と婚姻では結ばれなかった…しかし、清い花嫁である。」ということです。
もしも永遠の御父が、マリアさまを最愛の娘としてお選びになって愛されたのであるならば、御父は聖母の霊魂にどれほどのお恵みをその奔流を注ぎ込まれたことでしょうか。永遠の御父は、聖母が為すべき使命の偉大さに比例して、天の賜物でマリアさまを豊かに、恵まれました。言いかえると、天主御父は、被造物のためにできる最高のことを、マリアさまのためにすべて行いました。マリアさまのためにできることでしなかったことは一切ありませんでした。
もしも天主御子が、マリアさまをご自分の母として選ばれたならば、御子はどれほどの愛と聖寵のあふれをマリアさまに注がれたことでしょうか。もしも聖霊が、マリアさまをご自分の浄配としてされたならば、どれほどの聖霊の賜物・聖霊の祝福・愛の祝福で満たされたことでしょうか。マリアさまが存在し始めたその最初の瞬間・受胎の最初の瞬間から、三位一体の特別の祝福を受けるように、すべての霊的な賜物でマリアさまの霊魂を飾られました。聖母はすべての天使やすべての聖人たちを合わせたよりもより多くの恵みを受けた、と教父たちは口をそろえて言っています。
【無原罪の御やどり】
マリアさまはその最初の瞬間からお恵みで飾られたと申しあげましたが、それは無原罪の御やどりと言われています。これは聖母だけに与えられた特別なお恵みで、天主はマリアさまを原罪の汚れから守ることをお望みになりました。そしてこの聖寵の恵みを決して一瞬たりとも失うことがないように、完全な保護・保証をもって、マリアさまを聖寵において固められたのでした。こうして、マリアさまは、聖三位一体の生ける最高の御聖櫃となられたのでした。
天主が、悪の帝国を打ち倒して破壊させるために用いられた道具は、聖母でした。三位一体が、贖い主をこの世に与えること、そしてこの世を救うことを、そのために使われた道具が、マリアさまでした。マリアさま以外の何者でもありません。聖母こそが、このような偉大さ・力・そして愛の深い淵源であるのです。マリアさまのご生涯はすべて愛に満たされたものでした。
【聖母の被昇天】
天におけるマリアさまの勝利、つまり被昇天――今度祝う祝日――被昇天は、マリアさまのすべての功徳と愛の頂点であると言うことができます。天と地のいとも高い元后…天主の母にして比類ない尊厳の最終的な栄光を受けたのは、この被昇天の瞬間でした。
マリアさまはしばらくの間、たとえイエズス様が天に昇られても、この地上に残って人生のいろいろな多くの苦しみと屈辱を苦しまなければなりませんでした。しかしそれは――イエズス様がこの地上に残しておかれたその理由は――こうして天国に入ることを遅らせることで、聖母により大きな栄光を得させようとされたためでした。また、使徒たちが聖母の慰めと導きを必要としているということをよく御存じだったので、聖母はあえてマリアさまを地上にしばらくの間とどめられておかれたのでした。
もしも、わたしたちがイエズス・キリストの隠された生涯の最大の秘密を知るようになったのは、これはマリアさまが使徒たちに教えてくださったからです。もしもわたしたちが童貞というものがどれほど美しいもので輝きに満ちているかということを知っているならば、またイエズス・キリストを愛する者に与えられる計り知れない報いがなんであるかということを知ることができるならば、これはマリアさまが使徒たちを通して私たちに教えてくださったからです。
【聖母の最期】
しかし時は来ました。マリアさまは、ついにこの地上を離れなければならないときが来ました。なぜかというと、マリアさまは、ご自分の霊魂がゴーゴーと燃える竈(かまど)のように燃え立ってしまって、愛に燃え立ち、すべてを超えて、すべての力を尽くし、すべての霊魂を尽くし、すべての精神を尽くし、天主を愛していたので、もはや、その霊魂は肉体に留まることができなかったのです…‥それほど天主への愛に燃えていました、なんという幸せな霊魂でしょうか。
マリアさまの被昇天は、イエズス・キリストが悪魔から霊魂を奪い取ったすべての勝利の中で、最大の勝利でした。これ以上のものはあり得ませんでした。また、天主の御母が死ななければならないとしたら、聖母は愛の情熱によってのみしか死ぬことができませんでした。
天主を愛するというのは、罪の真逆のことを云います。なぜかというと、罪とは被造物に対する愛着であるからです。天主に反する愛着であるからです。しかし、マリアさまは天主への愛に燃え立っていたので、罪を知りませんでした。ですからマリアさまは、死も恐れませんし、なにも恐れませんでした。なぜかというと聖母はいつも主を愛しておられたからです。
もしもわたしたちが、死を怖れたくない、あるいは、怖れずに安らかな死を迎えようと望むのならば、聖なる死を望むのならば、マリアさまのように罪を避けて、罪から逃れて生活しなければなりません。罪というのは、時と永遠とにとって、わたしたちすべての最大の不幸です。もしもマリアさまのように悲しみのない死を望むのならば、平和のうちの死を望むならば、マリアさまのように被造物に愛着することなく生活しなければなりません。聖母がしたように天主だけをお愛しし、天主だけを望み、すべてのことにおいて主を喜ばせるようにしなければなりません。マリアさまはすべてを見いだすために、すべてである天主を見いだすために、すべての被造物を棄てました。なんと幸せな霊魂でしょうか。
こうやって、天の元后が地上を去り、そのマリアさまの霊魂の偉大さによってその功徳と尊厳の偉大さによって天国に入ろうとされます。これほど美しく これほど完成された これほど完全で これほど聖徳に富む霊魂がその中に入るのは、天国はそれまでみたことがありませんでした。
喜びと愛に満たされて、天の門が開かれるのを信仰の眼でご覧ください。天の宮廷・天使たちそして諸聖人たちが、マリアさまの前にひれ伏しているのがわかります。マリアさまをイエズス御自身が導いて、そして天国の最も高い美しい玉座に座らせます。三位一体はマリアさまに輝く王冠を被せます。天国のすべての聖寵の宝の管理者とあわれみの女王と宣言されます。マリアさまはなんとすばらしい栄光をお持ちでしょうか。
【聖母への信頼】
そしてこのマリアさまはいったい何を思ってこのような栄光の座に着いたでしょうか。マリアさまは天のいと高き所に挙げられたマリアさまは、私たちをイエズス・キリストとともに霊的な命に生み出したわたしたちの本当の母です。本当の霊的な母親です。わたしたちがいま成聖の状態にいるのはマリアさまの協力がなければ、できなかったことです。
ですからマリアさまは、母としてわたしたちを愛しておられます。天国のいと高いところから、ものすごい絶大な力を持って、母としてわたしたちを愛しておられます。マリアさまはわたしたちを本当の子どもとして、見守っておられています。そして最高の天国の力を使って、わたしたちの救霊に最も役立つことを祈り求めておられます。
だからこそ、天主から与えられた力をいま喜んでいます。自分のためではなく、わたしたちのために使うことができるから、お喜びです。母として、わたしたちの仲介者として立つために、天の高いところに挙げられたことを喜んでいます。ですから、天の元后わたしたちの母は、私たちの祈り わたしたちの涙 悲しみ 呻き 辛いこと 苦しみ そしてわたしたちの救いに必要なすべての恵みを、わたしたちのために一生懸命に取り次いで祈ってくださっている――それがマリアさまです、それが被昇天の神秘です。
聖ベルナルドは、こういいました。「かつてマリアさまに祈って聞き入れられなかったことは、捨てられた者は、誰一人としていない、そんなことは聞いたことがない。そして将来にわたって、一度も聞くことがないでしょう。」
マリアさまは私たちを決して見捨てることはありません。たとえ、この地上の母親が子供を見捨てることがあったとしても、マリアさまは決してそんなことはありません。このような母、霊魂の救いのために献身してくださる母、しかも力強い母が天に居られるということは、私たちにとって何というしあわせ、なんという特権でしょうか。わたしたちはなんという母をすばらしい母を持った子どもでしょうか。
見てください。世界中は、聖母がわたしたちのためにしてくださった特権を讃え証明する記念碑で 教会で 絵画で 歌で満ち溢れています。もしもわたしたちが聖母に祈りを捧げるなら、愛を捧げるならば、わたしたちはどれほど救いのために大きな恵みを受けることでしょうか。もしもわたしたちが毎日マリアさまのご保護のもとに身をゆだねるなら、奉献するならば、どれほどわたしたちは多くの保護・完璧な保護を受けとることでしょうか。
ここにいらっしゃるお父さんとお母さんたち、どうぞ毎日ご自分のお子さんたち、愛する息子や娘たちをマリアさまの保護のもとにおいてください。マリアさまにお祈りなさってください。聖母はわたしたちのために、わたしたちの聖母の保護のもとにある者のために、すべてを尽くして守ってくださいます。そして、わたしたちをも守ってくださいます。悪魔はマリアさまに奉献された霊魂を非常に恐れています。なぜかというと太刀打ちができないからです。
悲しみの、そして苦しみのこの世に生きている私たちにとって、聖母という偉大な母親がわたしたちを天から祈り助けて見守ってくださるということを知るのは、なんという喜び、なんという慰めでしょうか。マリアさまに大きな信頼を寄せるという幸せに恵まれた人は、わたしたちの救いを自分の救いを保証しているということができます。
では私たちはマリアさまを模範として、マリアさまの祈りに助けられながら、天国への道をしっかりと歩むようにいたしましょう。マリアさまのご謙遜、マリアさまの貞潔・純潔、マリアさまのあわれみ深さ、またマリアさまが持っていたこの地上の栄華に対する軽蔑、天主御子に対する愛、そして霊魂の救いに対する熱意を、毎日黙想いたしましょう。そして、特に聖母の被昇天を準備して、聖母に自分を奉献して委ねましょう。マリアさまの御保護の下に生活いたしましょう。マリアさまの御保護の下に生き、そして死ぬ者はどれほど幸せでしょうか!
八月十五日にはぜひできる限り、マリアさまのミサに与ってください。被昇天のミサに与り聖母行列をしてマリアさまを讃えましょう。どれほど素晴らしい母親を持っているかということを感謝いたしましょう。
ではマリアさまに賛美をしつつ、このミサを続けていきましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。