アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
先週はマニラでアジア管区の司祭たちのために毎年行われる研修会がありました。フィリピンで働いている司祭たちはもちろん、スリ・ランカの修道院長のワリエ神父様、シンガポールの修道院長ロスキ神父様、インドではたいているハトラップ神父様など、全員で15名の司祭たちがマリア様について考察し研修会を行いました。大変有意義な時を過ごすことができたことを天主様に感謝します。ただ、研修会のために今回は大阪での金・土曜日のミサをすることができなかったことが残念です。
2月21日、東京で、四旬節第2主日ミサを歌ミサで行いました。子供達を含めて40名の霊魂たちが聖伝のミサに与ることができ、天主に感謝します。福音では私たちの主イエズス・キリストの御変容の記事がありました。イエズス・キリストが三人の弟子達を選んで、彼らの前でご自分の本当の姿を見せた事実です。そこで、主の御変容は私たちに何を教えようとしているのか? 何故、四旬節に御変容のことを読むのか? 主の御変容が私たちに与える中核のメッセージは何なのか? そのメッセージを理解したと言うことを、私たちはどういうことで示すことができるのか? 主の御変容を理解すると、私たちはどう変化するのか? ということを黙想するために、そのガイドとして、百年前にファチマで、聖母がやはり三人の子供達にご自分の姿を見せた事実を考察しました。子供達がどのように変わったのか? 私たちはどのように行動しなければならないのか? 私たちの四旬節の決心はどうあるべきか? という黙想を提案しました。
御聖体拝領後の祈りのあとで、灰の水曜日に灰を受けることができなかった方々のために灰の儀式を行いました。グレゴリオ聖歌と荘厳な祈りの元にこの儀式ができ、四旬節をよりよく過ごすことができるお恵みを祈ることができ、大変幸福です。
午後は、公教要理として、「玄義」「奥義」と言うことについて復習しました。「奥義」信仰の玄義・ミステリーを信じるということは、よく理解できないけれどただ鵜呑みに信じるということなのか? もしもそうなら「鰯の頭も信心」とどう違うのか? 「鰯」の信心と、日本カトリック教会の生んだ知的指導者である「岩下」神父様のいう玄義を信じることと、どこがどう違っているのか? 玄義を信じるとは何なのか? 鰯の頭を信心するとはどういうことなのか? 聖ピオ十世の公教要理を基に、岩下神父様の「カトリック信仰」の本を引用しながら、17~18名の公教要理参加者の方々と一緒により深い理解へと深めていきました。
カトリック信仰は、理性を使って真理を信じると言うこと。天主の啓示した信仰の真理のなかには、理性を超越するものがあるけれども、それは理性に反していないこと。何故なら、真理の源である天主が啓示したことと、天主が創った理性とは、矛盾することがあり得ないこと。人間の視力は光を感じる能力だけれども、太陽光線のようにあまりにも光が強烈すぎると目がくらんでしまうように、天主の真理の輝きが、人間理性の能力を超えるほど強烈すぎる場合があること。など、「真理」「理性」「啓示」というキーワードが大切であることを理解しました。理性は、それが真に天主からの啓示であるか否かを探求すること。それが真の天主からのものであると分かるやいなや、理性は、真理を啓示された天主の御稜威に跪く、それが玄義を信じることであること、を見ました。
カトリック信仰の玄義に対して、鰯の信心には、真理に関する理性による探求も、啓示も存在しないことを見ました。参加者の中には大変鋭いご指摘をした方がいられました。鰯の信心には「ご利益」の追求しかない、この世において「儲かる」「都合が良い」「自分の思い通りに何でもうまくいく」、だから信心が成立するのだ、と。おかしな新興宗教に走るのだ、と。
たしかに、その通りです。よくあるのは、それを買うと、交通安全・家内安全・商売繁盛・開運厄除・社運隆昌・病気平癒・試験合格・良縁成立・工事安全・旅行安全・心願成就・国土平穏・五穀豊穣・出世開運・招福除災・豊漁繁栄・航海安全・金運良好・産業繁栄・家系繁栄、云々のご利益があるよ、というものです。このようなご利益のための信心には、真理と理性とが、全く無関係です。また、このような信心は、人間の前に、人間の奉仕のために、神々が奉仕しなければならないということを前提としています。
ある方は、では理性を超える玄義を友人たちに伝えるために、どのような順序を撮ると良いのか? といういつも日常で体験している疑問を投げかけてくれました。
大変有意義な公教要理の時を過ごした後に、天主の啓示を知るための二つの源の一つとして、聖書に話が移りました。しかし、時間が切れてしまったので、これについてはまた次回に続きをすることになりました。
来月の3月には、やはりミサが二回あります。東京では、3月6日の四旬節第4主日と、3月20日の枝の主日です。3月には聖ピオ十世会の総長補佐のネリー神父様が私と一緒に日本に来てくださることになりました! 神父様には、午後に特別の講話をしていただく予定です。愛する兄弟姉妹の皆様のお越しをお待ちしております。
次のようなご報告をいただいたのでご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
Dear Fr Onoda:
今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。
ミサの参列者数
男: 15人(内、子供1人)
女: 25人(内、子供2人)
計: 40人(内、子供3人)
愛する兄弟姉妹の皆様、
先週はマニラでアジア管区の司祭たちのために毎年行われる研修会がありました。フィリピンで働いている司祭たちはもちろん、スリ・ランカの修道院長のワリエ神父様、シンガポールの修道院長ロスキ神父様、インドではたいているハトラップ神父様など、全員で15名の司祭たちがマリア様について考察し研修会を行いました。大変有意義な時を過ごすことができたことを天主様に感謝します。ただ、研修会のために今回は大阪での金・土曜日のミサをすることができなかったことが残念です。
2月21日、東京で、四旬節第2主日ミサを歌ミサで行いました。子供達を含めて40名の霊魂たちが聖伝のミサに与ることができ、天主に感謝します。福音では私たちの主イエズス・キリストの御変容の記事がありました。イエズス・キリストが三人の弟子達を選んで、彼らの前でご自分の本当の姿を見せた事実です。そこで、主の御変容は私たちに何を教えようとしているのか? 何故、四旬節に御変容のことを読むのか? 主の御変容が私たちに与える中核のメッセージは何なのか? そのメッセージを理解したと言うことを、私たちはどういうことで示すことができるのか? 主の御変容を理解すると、私たちはどう変化するのか? ということを黙想するために、そのガイドとして、百年前にファチマで、聖母がやはり三人の子供達にご自分の姿を見せた事実を考察しました。子供達がどのように変わったのか? 私たちはどのように行動しなければならないのか? 私たちの四旬節の決心はどうあるべきか? という黙想を提案しました。
御聖体拝領後の祈りのあとで、灰の水曜日に灰を受けることができなかった方々のために灰の儀式を行いました。グレゴリオ聖歌と荘厳な祈りの元にこの儀式ができ、四旬節をよりよく過ごすことができるお恵みを祈ることができ、大変幸福です。
午後は、公教要理として、「玄義」「奥義」と言うことについて復習しました。「奥義」信仰の玄義・ミステリーを信じるということは、よく理解できないけれどただ鵜呑みに信じるということなのか? もしもそうなら「鰯の頭も信心」とどう違うのか? 「鰯」の信心と、日本カトリック教会の生んだ知的指導者である「岩下」神父様のいう玄義を信じることと、どこがどう違っているのか? 玄義を信じるとは何なのか? 鰯の頭を信心するとはどういうことなのか? 聖ピオ十世の公教要理を基に、岩下神父様の「カトリック信仰」の本を引用しながら、17~18名の公教要理参加者の方々と一緒により深い理解へと深めていきました。
カトリック信仰は、理性を使って真理を信じると言うこと。天主の啓示した信仰の真理のなかには、理性を超越するものがあるけれども、それは理性に反していないこと。何故なら、真理の源である天主が啓示したことと、天主が創った理性とは、矛盾することがあり得ないこと。人間の視力は光を感じる能力だけれども、太陽光線のようにあまりにも光が強烈すぎると目がくらんでしまうように、天主の真理の輝きが、人間理性の能力を超えるほど強烈すぎる場合があること。など、「真理」「理性」「啓示」というキーワードが大切であることを理解しました。理性は、それが真に天主からの啓示であるか否かを探求すること。それが真の天主からのものであると分かるやいなや、理性は、真理を啓示された天主の御稜威に跪く、それが玄義を信じることであること、を見ました。
カトリック信仰の玄義に対して、鰯の信心には、真理に関する理性による探求も、啓示も存在しないことを見ました。参加者の中には大変鋭いご指摘をした方がいられました。鰯の信心には「ご利益」の追求しかない、この世において「儲かる」「都合が良い」「自分の思い通りに何でもうまくいく」、だから信心が成立するのだ、と。おかしな新興宗教に走るのだ、と。
たしかに、その通りです。よくあるのは、それを買うと、交通安全・家内安全・商売繁盛・開運厄除・社運隆昌・病気平癒・試験合格・良縁成立・工事安全・旅行安全・心願成就・国土平穏・五穀豊穣・出世開運・招福除災・豊漁繁栄・航海安全・金運良好・産業繁栄・家系繁栄、云々のご利益があるよ、というものです。このようなご利益のための信心には、真理と理性とが、全く無関係です。また、このような信心は、人間の前に、人間の奉仕のために、神々が奉仕しなければならないということを前提としています。
ある方は、では理性を超える玄義を友人たちに伝えるために、どのような順序を撮ると良いのか? といういつも日常で体験している疑問を投げかけてくれました。
大変有意義な公教要理の時を過ごした後に、天主の啓示を知るための二つの源の一つとして、聖書に話が移りました。しかし、時間が切れてしまったので、これについてはまた次回に続きをすることになりました。
来月の3月には、やはりミサが二回あります。東京では、3月6日の四旬節第4主日と、3月20日の枝の主日です。3月には聖ピオ十世会の総長補佐のネリー神父様が私と一緒に日本に来てくださることになりました! 神父様には、午後に特別の講話をしていただく予定です。愛する兄弟姉妹の皆様のお越しをお待ちしております。
次のようなご報告をいただいたのでご紹介します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
Dear Fr Onoda:
今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。
ミサの参列者数
男: 15人(内、子供1人)
女: 25人(内、子供2人)
計: 40人(内、子供3人)