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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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「御変容」とは一体何なのか。その教えとは?私たちのなすべきことは何か。

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 2016年2月21日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) 

2016年2月21日 四旬節第2主日
小野田神父 説教

 聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。今日は2016年2月21日、四旬節の第2主日のミサです。

 ミサの後、いつものように聖体拝領後の感謝の祈り、お告げの祈りを唱えた後に、灰の水曜日に灰を受けていない方の為に、灰の授与式を行いたいと思います。どうぞいらして下さい。

 14時半から、ここでまた公教要理の勉強会があります。今日はイエズス様の玄義とは何なのか。或いは、この公教要理の続きで、聖書とは一体何なのか。聖書にはどのような価値があるのか、という事を黙想したいと思います。

 来月は3月6日と20日です。3月6日には、ネリ神父様が、総長様の第2補佐である、聖ピオ十世会では第3番目の神父様がいらっしゃいます。10時半からミサをします、私はここで9時からミサする予定です。いらして下さい。沢山のお友達を誘って連れて来て下さい。そして午後にはネリ様のお話を聞こうと思っています。3月20日は、枝の主日です。どうぞいらして下さい。明日は朝7時からミサがあります。

 また、秋田の巡礼は今年で第10周年になり、シュテーリン様の特別の意向で、今年は10周年を記念して、その秋田への準備の為にも、長崎にも行きたい、コルベ神父様の元に馳せ寄りたい、殉教者にもお祈りしてから秋田に行きたい、と、今年は特別に、長崎と秋田に行く事になっています。そしてこれはゴールデンウィークなので、飛行機のチケットとかを早めに安く取らなければなりません。どうぞ、2月の終わりまでには皆さんの名簿を完成して、この席を確保しなければなりませんので、是非、皆さん秋田に巡礼にいらっしゃる事をご招待いたします。両方難しい方でも是非、長崎或いは秋田にいらして下さい。

 また、つい最近アメリカで、聖ピオ十世会の信徒の方々が、弁護士の方々が、教皇座空位主義者について反論を書いた厚い本が販売されました。それが出来たてのホヤホヤが3冊届いていますので、送料を入れてこれを一冊6,000円ほどでお分けする事ができます。どうぞご希望の方は仰って下さい。

 「彼らの前で、御変容なさった。」

 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 愛する兄弟の皆さん、今日四旬節の第2主日ではいつものように、イエズス様の御変容の記事が読まれました。イエズス様が特別に3人の弟子を選んで、ペトロとヨハネとそしてヤコボ、この3人を連れて山に登り、高い山に登り、そしてそこでイエズス様が宙に上がって、体が光り輝いて、御自分の本当の御姿をお見せになった、と。ペトロはこの事を一生涯忘れる事なく、脳裏に深く刻み込んで、自分の手紙の中に書いています。「私たちは、主イエズス・キリストの力と来臨とを知らせたとき、巧みな作話をしなかった。私たちはそのみいつの目撃者であったからである。おごそかな光栄の中から、"これは私の愛する子である。私はかれをよろこびとする"、と声があって、主は父なる天主から、ほまれと光栄とを受けられた。私たちも、かれとともに聖なる山にいたとき、天からくるこの声を聞いた」と。
 ヨハネもその手紙の中で、「私は、私の見た事、触った事、触れた事、この聞いた事をお前たちに言う。」と言っています。イエズス様の御変容は3人の弟子たちに、特別の印象を、特別の教えを与えました。

 そこで公教会は、四旬節に入ったその直後に、私たちに御変容についてはっきりと知ってもらいたい、と思っています。では今日の、今日の黙想のテーマは、御変容とは一体何なのか、御変容を以って、イエズス様は私たちに何を教えようとしたのか、私たちは御変容の事を知る事によって、一体何が期待されているのか、私たちは一体、御変容の時に何が起こって、私たちはそれを知って、それを聞いて、その証言を聞いて、一体何をしなければならないのか、私たちからイエズス様は何を求めているのか、という事を黙想してみましょう。

 そこでまず、この御変容で一体何が起こったのか、を第1に黙想します。
 第2には、御変容に似たような事が100年ぐらい前にあった、その御変容に似たような事を体験した3人の人たちは、一体どのような事が身に起こって、何をしたのか。
 最後に、私たちは今日、その御変容を疑似体験したその結果、遷善の決心を、四旬節の決心を取る事に致しましょう。

 イエズス様が御変容なさったのは、御自分の本当の姿、御自分が「天主である」という事を、特に3人の弟子たちに表す為でした。これこそイエズス様の御憐れみの業で、イエズス様からの特別のお恵みでした。イエズス様は、「私は天からものである。私は、天の天主の聖子である。生ける天主の聖子である。キリストである。」という事を、目に見える形で、そのまま本当の姿を御現しになったのでした。イエズス様は御謙遜でありましたから、その事をいつも隠しておられました。その事をはっきりとは仰いませんでしたが、今回は特別にそれを、ありのままをお見せになったのです。



 見て下さい、イエズス様の顔が、御顔が太陽のように輝きました。太陽の創り主ですから、おそらく太陽よりももっと更に神々しく輝いた事でしょう。その輝きは見ても、直接見ても眩しいとは思われずに、燦然と輝いていて、その太陽の光の強さに反射するかのように、御服も雪のように真っ白に汚れなく変わりました。そしてそのイエズス様の隣には、立法を人類に与えた、天主がそれをその人を通して私たちに立法を、十戒を示したモーゼと、そして預言者の中の預言者、代表であるエリアが現れて、聖ルカの福音によれば、「この3人は、イエズス様の来たる御受難について話をしていた。」とあります。

 すると突然、それを見るとペトロは非常に幸せになり、もうこの世のものではない、ここにずっと留まりたい、「私たちがここにいるのは本当に良い事です。何と美しい事でしょうか、何と幸せでしょうか。もしも必要であれば、ここにずっと留まる事ができるように、あなたの為にテントを1つ、モーゼに1つ、エリアに1つ立てましょうか。さぁここに留まって下さい、私もここに留まります。」

 すると突然、雲が彼らを覆い、天の聖父からの声が聞こえてきました。「これは、私のいとも愛する子である。彼の言う事を聞け。」その声の証言は、あまりにも厳かで荘厳であったので、彼らは非常に恐れました。そしてあたかも気絶したかのように地に倒れると、イエズス様が彼らを起こして、「恐れるな、心配するな。」その時には、もうその今まで見たものがすっかり消えていました。

 想像して下さい。愛する兄弟の皆さんは、今日ご自宅からこの日本の聖なる殉教者のミサ会場にやって来ました。そしてミサに与っている時に突然、例えば御聖体奉挙の時に突然、司祭の高く上げたホスチアが、皆さんの前で太陽よりももっと輝いた。そしてその太陽の、天主からの光のあまりにも輝かしさに、祭壇がクリスタルのように真っ白になった。そしてこの会場が、えも言われないように真っ白に輝いて、その白さのその純潔さは、とても口では表現できないほどだ。そしてもう全ては光に満ちていた。

 すると見て下さい。このカーテンで隠された、そしてこの私たちの周りに実は、今、目では見えないのだけれども、しかし本当に実存存在している天国の天使たちが、イエズス様を礼拝しようと、何千何万という、ものすごい天使たちの大群が、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、」と跪いて、イエズス様を礼拝している。そして天国の聖人たちが聖女たちが、何千何万とこの周りにいて、輝くばかりの美しい姿を持って、御聖体におられるイエズス様を礼拝しておられる。それを、皆さんがそのこの目で見た。その美しさ、その神々しさ、その御稜威、そのあまりにも力強いその厳々しさに、もはやこの、この世のものを全て超えるかのようである。あたかもこれが天国であるかのように。

 もちろん天国は私たちの想像を遥かに超えた、もっと素晴らしいものですけれども、そのような現実が私たちの前に、その目で見える形で輝き、そして光に満ちて喜びに、そして私たちの心が喜びに満たされて、心の中に何か美しいメロディーが鳴り響くかのように、そして目でも、耳でも、そして香りでも、全ては天的な天国的なものを私たちが体験した。

 そのような事が、実は今から100年前に、3人の人たちに起こりました。

 その私たちがもしも、イエズス様の御変容を今日、四旬節の第2主日で疑似体験したとしたら、一体私たちがどのような行動を起こさなければならないかを、この100年前の話から何か教訓を得る事にしましょう。

 100年前、1917年5月13日、ファチマで、マリア様が非常に美しい姿で現れました。マリア様は、「恐れないで下さい、私はあなたたちに何も危害を与えません。私は天から来ました。」と仰いました。「3人の人たち」というのは、幼子でした。羊の番をしていたルチアと、そしてジャシンタと、そしてフランシスコでした。この3人はマリア様のビジョンを6回、1917年の5月から10月まで見ます。

 もしかしたら、ペトロとヨハネとヤコボは、確かにビジョンは見たけれども、もしかしたらそのうちの1人は、イエズス様がモーゼとエリアとお話ししているのを聞かなかったかもしれません。何故かというと、3人の子供達も、ルチアとジャシンタは、マリア様がお話しするのを聞きます。しかしフランシスコは、何と言っていたのかを6回とも聞く事がありませんでした。これは、フランシスコが何か劣っているとか、良くない子供だったというわけではありません。特別の使命があったからです。

 フランシスコは、耳で聞けなかったが為に、視覚に全ての神経を集中していました。そしてマリア様のお姿、そしてその表情に特別の注意を払っていました。ちょうど、聴覚に障害がある方は、よく見る事に非常に発達しているとか、或いは見る事ができない方は、聞く事や触る事に非常に発達していると同じように、フランシスコも見る事にずっと集中していました。そこでフランシスコは、「マリア様お慰めしたい。」という事に、「マリア様があまりにも悲しんでいる、それでお慰めしたい。」という事に一心になりました。

 ジャシンタはその観想、フランシスコのように観想的な、というよりは、もっと積極的に、「病気や、辛い事を我慢して、多くの霊魂を天主様の元に連れて行きたい。」と励むようになりました。



 アロンソ神父様というファチマの専門家によると、「この3人の子供たちが最初に受けた3回のビジョンが最も大切であって、一番重要である。」と言います。何故かというと、ルチアの手記によると、この3回のビジョンの時に、マリア様が現れただけでなく、「自分たちが天主の中にいる」という事を彼らは見た、と言うからです。ペトロとヨハネとヤコボも、「雲に覆われて、天主聖父からの声を聞いた」「その時に、あまりにもそれを、それの為に恐れて地に伏せてしまった。」とありますが、この3人は、「天主の中に生かされている」「天主の憐れみの中にいる」というものを見ます。

 そしてこれこそが、最も重要な、この3人が体験した、「このファチマの特別のお恵みだった」と言います。そしてこの3人は、「私たちをこれほどまで愛して、これほどまで憐れんで、これほどまでに私たちに恵みを与えるにもかかわらず、無視されている天主を慰めたい。その天主に霊魂を引き寄せたい、連れて行きたい。」という望みにますます駆り立てられたのでした。「これが最も深い神秘的な体験だ」と言われています。

 最後のこの最も重要な3回の内の最後では、子供たちは地獄の光景を瞬間的に見る事ができました。マリア様が手を大きく開けると、地が開いて、地獄に堕ちた多くの霊魂が、数え切れないほど多くの霊魂が苦しんでいるのを見ます。雪のように吹雪のように、霊魂が地獄に落ちているのを見ます。あまりの恐ろしさに、「子供たちは大きな叫び声をあげた」と記録に残っています。



 でも、この地獄の光景こそが、私たちの本当の姿です。私たちがもしも、天主様が憐れんで下さらなければ、天主様が私たちを助けて下さらなければ、御恵みを下さらなければ、どうしても行かなければならなかった行き先でした。そしてこの、これこそが私たちの本当の惨めさであって、憐れさであって、悲惨さであります。この悲惨さを、この憐れな私たちを、何とか地獄の火に落ちないように救う為に、イエズス様が私たちを憐れんで下さったのです。そしてその為にマリア様を使って下さったのです。

 シスター・ルチアは、トゥイという所で、やはり三位一体の姿を見ます。聖父と聖子と聖霊が、聖子が十字架の上にかかっており、その上に、聖父そして聖霊があって、そして御脇腹からは御血が流れ、その流れた所をその御血を受けるかのようにカリスがあって、御聖体があってカリスがあって、そしてその隣にマリア様がおられる。左手側には字が書かれていて、「憐れみとお恵み」と書かれていた。

 まさに私たちの本当の憐れさから救う為に、憐れみとお恵みが必要だったのでした。そして私たちをどこに、この連れて行くかというと、イエズス様が私たちに見せてくださった「御変容」なのです。私たちがその為に創造されて創られた、天国のえも言えない喜びと光に満ちた、イエズス様の懐の場所なのです。

 マリア様は子供たちに、「天主があなたたちに送る苦しみを、罪人の回心の為に、罪の償いの為に捧げる事を望みますか?」と聞きます。「天主のお恵みがあなたの慰めとなるでしょう、力となるでしょう。」とマリア様は言葉を続けます。すると子供たちは、「はい、そうします。苦しみを捧げます。」と答えました。

 では最後に、私たちはどのような遷善の決心を立てたら良いでしょうか。

 今日、聖変化の時に、残念ながら御変容を皆さんにお見せする事はできませんが、しかし本当に起こる事は、「イエズス様が天国の栄光を以って、私たちの元にいらっしゃる」という事です。そして、「その天国の栄光の為に、私たちは創られて、その為に産まれてきた」という事です。そして、「その為にイエズス様は御血潮を流され、御体をその苦しみに渡された」という事です。そしてこれこそが、「私たちの本当の惨めさである地獄から救う為になさった」という事が、本当の憐れみであって、「私たちはその憐れみに一致するように、御恵みに与るように招かれている」という事です。

 私たちは今、憐れみの聖年におりますので、この是非、今年の四旬節こそは、イエズス様のその本当の憐れみに合わせて、私たちの四旬節をより良いものとする事に致しましょう。ファチマの子供たちに倣って、私たちの日常の苦しみや、日常の辛い事や、日常の祈りを、罪人の回心の為に、霊魂の救いの為に、日本の多くの兄弟姉妹の方々の救いの為に、救霊の為に、教皇様の為に、お捧げする事に致しましょう。そしてファチマのマリア様を通して、良い四旬節を送る恵みを乞い求めましょう。

 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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