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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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私は神殿の右の脇から流れ出る水を見た アレルヤ Vidi aquam egredientem de templo

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様

 復活節には、主日のミサ聖祭の前に Vidi Aquam を歌いますのでご紹介します。

Vidi aquam egredientem de templo, a latere dextro, alleluia:
et omnes, ad quos pervenit aqua ista,
salvi facti sunt, et dicent, alleluia, alleluia.

V. Confitemini Domino quoniam bonus:
R. Quoniam in saeculum misericordia eius.

V. Gloria Patri, et Filio, et Spiritui Sancto:
R. Sicut erat in principio, et nunc, et semper, et in saecula sæculorum. Amen..

この日本語訳は次の通りです。

私は神殿の右の脇から流れ出る水を見た。アレルヤ。
この水が到達した人々は全て、救われた。そして言うだろう。アレルヤ、アレルヤ、と。
主に賛美を捧げよ、主は良い方である。
その憐れみは代々にいたる。

聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを
始めにありしごとく、今も、いつも、代々に至るまで、アメン。



これはエゼキエルの預言(第47章)にインスピレーションを得ています。

[1] Et convertit me ad portam domus, et ecce aquae egrediebantur subter limen domus ad orientem: facies enim domus respiciebat ad orientem, aquae autem descendebant in latus templi dextrum, ad meridiem altaris.
[2] Et eduxit me per viam portae aquilonis, et convertit me ad viam foras portam exteriorem, viam quae respiciebat ad orientem: et ecce aquae redundantes a latere dextro.

[8] Et ait ad me: Aquae istae quae egrediuntur ad tumulos sabuli orientalis, et descendunt ad plana deserti, intrabunt mare et exibunt: et sanabuntur aquae.
[9] Et omnis anima vivens, quae serpit quocumque venerit torrens, vivet: et erunt pisces multi satis, postquam venerint illuc aquae istae: et sanabuntur et vivent omnia ad quae venerit torrens.

第47章
47:1そして彼は私を家の門に向かわせた。すると見よ、家の敷居の下で、水は東の方へ流れていた。家の表は、東に面していた。水は、神殿の右の脇を、祭壇の南に流れ下っていた。
47:2そして彼は、北の門の道と通って、私を連れ出した。そして私を外の道に、外の門に、東に向かっていた道に、向かせた。すると見よ、水は右の脇から流れ出ていた。
47:8彼は私に言った。「東に砂の丘へと向かって流れて行き、砂漠の平地に流れ下るこの水は、海に入って出るだろう。すると水は癒やされるだろう。
47:9おおよそこの流れの中を動く生き物は全て、来て生きるだろう。この水がそこに来る後では多くの魚がいるだろう。魚は癒やされるだろう。この流れの来るところに行きる者たちは全てが生きるだろう。

【解説】
 ここで言われている「水」とは、神秘的な水で、あるいは「この神殿を壊した後に三日で立て直そう」と言われたご自分の神殿(十字架につけられた御体)の脇から流れる水のことです。洗礼の水のことであり、サマリアの女に語った「聖寵」のことです。
魚とは、神秘的に、キリスト者のことであり、イエズス・キリストの聖寵の中を生かされて泳ぐ信者のことです。漁夫は使徒達です。教会(神殿)から離れると、水が届かなく、癒やされないのですが、水(洗礼の水、聖寵の水)に触れると癒やされる、ということです。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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