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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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聖ピオ十世会 日本における4月の聖伝のミサ報告(その1)SSPX Japan Traditional Latin Mass

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 復活祭が終わって、こちらフィリピンのマニラではいろいろな行事がありました。まず、マニラの教会付属の学校の卒業式(3月30日)です。
 また4月7日から10日までは毎年恒例のボホル巡礼が計画されています。

 復活祭の直後の金曜日と土曜日には大阪で、また、白衣の主日には東京で聖伝のミサを捧げることができ、大変幸せでした。

 4月1日の初金曜日には、ミサ聖祭の直後に御聖体の前で聖時間を過ごし、御聖体を心から礼拝しました。大阪に常設の御聖堂が与えられるという意向で、聖ヨゼフの連祷をも付け加えました。

 4月2日の土曜日には、初土のミサで、聖母の汚れなき御心の信心を行いました。ミサ聖祭では、カルワリオは、聖母の汚れなき御心とうり二つだ、ということを黙想することを提案しました。

 ミサの後には、イエズス様の御復活についての公教要理をしました。導入として、The Visual Bible: The Gospel of John (2003) から、御復活の部分の動画も鑑賞しました。



 映画については、イエズス様役の俳優がクチュール神父様に似ていた、背が低い、その他いろいろのコメントがありました(公教要理の後で)。

 導入の後には、イエズス様が復活して弟子達に現れたその前後で、弟子達の態度が大変化した事実を確認しました。その後、イエズス・キリストの御復活を否定しようとする説を、いくつか提示して、公教要理の参加者の方々には、刑事コロンボやシャーロック・ホームズになったつもりで、真相の解明をお願いしました。

 復活否定説の持っている矛盾点・おかしい点を指摘してもらい、それをまとめて行きました。参加者の方々は、頭を使ってあれこれ考え、刺激になってとてもおもしろかったというコメントもいただきました。




 4月3日の主日には東京で聖伝のミサがありました。49名の方々が参加されて大変うれしく思います。ミサの後には、公教要理でやはり同じような内容を皆で考えました。東京では、設備の関係でプロジェクターではなく、ホワイト・ボードを使ってでしたが、15名ほどの方々と一緒に、論点をまとめて行きました。東京では、イエズス・キリストの御復活の歴史的事実をもっとも確実たらしめるため、福音書の史料としての価値についても、話が進みました。

 4月4日には、聖母マリア様の御告げの祝日でした。早朝のミサ聖祭には8名の方々が与り、天主様に感謝します。お告げの神秘を黙想すると、謙遜という徳に包まれています。「天主の力」という意味の名前を持つ、偉大なる大天使ガブリエルが遣わされて、か弱い少女、童貞マリアの前で、深く謙遜に挨拶します。「めでたし! 聖寵満ち満てる方よ!主は御身と共にまします。御身は女のうちより祝せられたもう!」と。
 マリア様はそれに対して「我は主のはしためなり。仰せのごとく我になれかし。」と礼拝と謙遜で答えます。もちろん、童貞マリアには有名なイザヤの預言の成就であることが理解できたに違いありません。天主の御母になること、救い主の母となることが理解できました。全ての被造物の中から選ばれて、創造主の母となるという高みにあげられると言うことを。それへの答えは、Ecce ancilla Domini! 主の奴隷がここにおります!でした。天主様の御前で、私は何でもありません。天主様の御手からどのような取り扱いも受け入れます。
 すると無限の天主は人間となり、胎児として童貞マリアの中に宿られました。あたかも聖母マリア様の「無」を満たすかのように。憐れな無を満たそうとする天主の憐れみ。天主様の御謙遜。天主様は常に御謙遜を愛し、謙遜に行動されます。
 天主が人間となった目的は、私たちの罪のいけにえとして、十字架の上で苦しんで死ぬため。私たちへの愛のためでした。


 以下に、御復活のミサ聖祭でのご報告をいただきましたので、ご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
大阪でのミサの報告をお送りいたします。

4月1日(初金)ご復活の金曜日の御ミサには10名が、
4月2日(初土)白衣の土曜日のにも初めて聖伝のミサに与られた方を含む10名の方が御ミサに与る御恵みを頂きました。デオグラチアス!

土曜日のお説教で、カルワリオとマリア様の御心がいかに似ているかをお話頂いたのが大変興味深かったです。
アブラハムが息子イサクを犠牲にしようとしたモリヤの山が、実はカルワリオの丘であったことには驚きました。
マリア様がイエズス様の御受難の際、イエズス様と同感受難されたことや十字架上でイエズス様が唱えられた同じ祈りをマリア様も唱えていらっしゃったことなどを聞き、マリア様の御心がいかにカルワリオでのイエズス様の御受難と一致されていたかを確認できました。
カルワリオで最後までイエズス様と一緒に苦しまれて、その御死去の後ただお一人ご復活の信仰を失われなかったマリア様がご復活された御子に会われた時のお喜びはいかほどだったでしょうか?この復活節にマリア様と喜び、イエズス様の御復活の神秘にどっぷりと入りたいと思いました。

御ミサ後の公教要理でヨハネによる聖福音の御復活の部分の映画を見、そのあとに「ご復活が本当であったかなかったか」、「弟子が嘘をついていたか」、または「弟子が騙されていたのか」などはどうしてわかるか?という質問に対する答えを皆で出し合いました。
自分ではわかっているようでも、人に説明したり根拠づけて話す事はなかなか難しいと思いました。

大阪で初金曜、初土曜の御ミサに与ることが出来ることに天主様の憐れみに感謝いたします。
少ない信徒のために、今年は月に何度も来日して下さる神父様、ありがとうございます。神父様に申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちがあって複雑なのですが、自分と隣人の救霊のためにこの尊い御ミサにしっかり与って自分の勤めを最大限に果たせるように頑張りたいと思います。
少数ながら大阪の信徒からの精一杯の感謝をマリア様をとおして天主様にお捧げいたします!

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

昨日一昨日と、御復活後の金曜日と土曜日(初金、初土)の御ミサと、御聖体降福式と、イエズス様の御復活についての勉強会など色々ありがとうございました!!(*^∇^*)

これから固定の御聖堂ができるかもしれないという話をお聞きしてとても嬉しく思います!!
このままこの計画が上手くいきますように!
一つ目の祭服が出来上がって、即座に聖ヨゼフ様がお応えして下さったように感じます!
聖ヨゼフ様に、そしてこのために色々準備をして下さった方々に心から感謝致します!
御聖体降福式の時にも、兄弟姉妹の皆様と共に、聖ヨゼフ様への感謝の連祷を唱えることができて幸福でした。

そして、毎週のように日本で御ミサを捧げて下さっている小野田神父様に心から感謝いたしますm(_ _)m

これから固定の御聖堂ができることによって、神父様の常駐が決まりますように。そしてそれによって、日本で聖ピオ十世会の聖伝の御ミサに与る方がますます増えますように。

そしていつも御説教をありがとうございます。マリア様の御心に倣って、私たちの心にもイエズス様の十字架の木を深く植えて立てることができますように!天主様の聖旨を果たすために、いつも自己に死ぬことができますように!

デオ・グラチアス!アレルヤ!

【報告】
大阪の4/2(初土)の御ミサでの感想
アヴェ・マリア、インマクラータ、アレルヤ!

小野田神父様、初金曜日と初土曜日に日本のために、大阪の少ない日本の信徒のために、御ミサと御聖体降福式を捧げてくださり、ほんとうにありがとうございました。
初土曜日のお説教で、マリア様のご生涯全てがイエズス様と一致しておられたことが、とてもよくわかり、感動いたしました。
これからも、もっともっとイエズス様とマリア様をお愛しするように努めたいと思います。
この日、おひとりの方が初めて御ミサに来られました。
真剣にお説教をお聞きになっていらっしゃるご様子でした。
マリア様がどのようなお方でいらっしゃるか、心に感じられたのではないかと思います。
初土曜日にマリア様に御ミサに招かれたこの方が、また御ミサに来られることをイエズス様にお願い申し上げました。
御ミサのたびに、小野田神父様が心に染み入るお説教をしてくださることを、天主様に感謝いたしております。

小野田神父様、どうか御無理をなさいませんように。
天主様、マリア様、ヨゼフ様に、お護りくださいますように委ね、お祈り申し上げております。

聖母の汚れ無き御心よ、われらのために祈りたまえ。


【報告】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 20人(内、子供1人)
女: 29人(内、子供3人)
計: 49人(内、子供4人)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ、アレルヤ!
小野田神父様

今回も日本での御ミサやその他多くのミッションを捧げて下さり、本当にありがとうございました。
白衣の主日と共に、今年は聖金曜日と重なったために移動になった御告げの祝日の御ミサにも与ることができ、とても幸せでした。
日曜の御ミサにはいつもより少し多くの方がいらっしゃったようで、嬉しく思いました。
もっともっと多くの方が御ミサにいらっしゃるお恵みをいただくことができるよう拙いながら、私の苦しみもマリア様を通して天主様に捧げることができるよう頑張ろう、と改めて思いました。

月曜の御告げの祝日の御ミサでは、神父様が御ミサの前に御告げの祝日の3つの黙想のポイントを短くお話しくださいました。
1.聖母マリア様が天使の御告げに対し「仰せの如く、我になれかし!」とお答えになったご謙遜
2.イエズス様が天主でありながら人間になることを望まれたご謙遜
3.イエズス様はこの世に苦しむために、私たちのために苦しむためにいらっしゃった という愛

苦しむことができない、御自身が完全であられる天主様が人性をとり、私達の為に苦しむことを望まれ無原罪である聖母マリア様がご自身を捧げつくされ、その贖いのわざに完全に協力なさったことを思うと全宇宙の創り主である天主ご自身がそうなさったのに・・・
天主の御母となられる程の高貴な身分でいらっしゃるマリア様がそうなさったのに・・・
なぜ、小さな、身分の低い被造物の私が小さな苦しみから逃げまわり、楽をしようとするのか・・・
「天国への道は、すなわち十字架の道」
「何も自分の心に逆らうことをこらえようとしないで、どうしてあなたはキリストの友となることができよう?」(『キリストに倣いて』)
と、毎日お祈りや霊的読書をしているはずなのに・・・
全く心を入れ替えずに過ごす自分を省みると、天主様に対し申し訳が立たず、とても恥ずかしいと思いました。
これからは苦しみが向かってきても逃げずに、マリア様がそうなさったように、すぐに立ち向かい戦う決心を致します。
武器はロザリオです!!

早いもので今月末には、もう巡礼がありますね。長崎~秋田巡礼を心から楽しみにしています。
巡礼を通し多くの方が、多くのお恵みをいただくことができますように、今からお祈りいたします。
小野田神父様とSSPXの神父様方のため、お祈りをしております。

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
小野田神父様

拙いながら感想を述べさせていただきます。
お説教とその後の公教要理が「ご復活について」でしたが、特に公教要理で「復活を否定するいくつかの論」を神父様が述べられ、それに対する反論を信者である私たちが一つ一つ挙げていく、という方法を取られましたが、大変面白いものでした。

お話を聞きながら感じたことは、ご復活を文字通りに信じられない人は、ホスチアの全実体変化も信じられないだろうな、ということ。
この二つのことは、私がカトリックの教えを知り始めた時に、衝撃的ともいえる感動を与えてくれた「事実」です。
「全実体変化」について、文字通り、そのまま「司祭の言葉と意向によって、キリストのおん体とおん血に変わる。そのものに ”成る”」というカトリックの教えはあまりにも素晴らしすぎて、私は当初、それを本当にそのままストレートに受け止めていいのか、逆に戸惑ったのです。
「本当に本当に、そのまま、パンがキリストに変わる? それってそのまま受け取っていいのだろうか? シンポルとか、 信者にとっては神様だけれど、信者でない人にとっては違うとか、そういうものじゃないのだろうか?」
しかし、私の心は「そのままストレートに信じたい」と感じていました。
本当に神は存在するのか? という疑問に、これほど単純に、明らかに、難しい理屈なしに、優しさを持って、喜びをもって答えてくれる、この宗教を信じたいと気持ちが湧き起こってきたのです。
「そうです。天主様はいらっしゃいますよ。天主様はここにいらっしゃいます。ここに、この聖櫃の中、この小さなホスチアのうちに、天主様はいらっしゃるのです」
カトリックの教えはこのように答えてくれました。

ご復活も同じです。「本当に、文字通り、よみがえられた」と。
カトリックの教えは、事実であるということ、夢想でもなく、想像でもなく、作り話でもなく「これは事実だ、これが現実だ!」と私に提示してくれました。

聖変化が事実で、ご復活が事実であると信じられるなら、ご自分の傷口に差し入れるよう,疑うトマの手を取られたイエズス様が、そのおん体を「世の終わりまでお前たちととともにいる」と言って、聖体の秘跡によって残されたのならば、どうして突っ立ったままでいられるでしょうか。「私の主よ、私の天主よ」と言ってトマのようにひれ伏さないでしょうか?
お話を聞きながら、そんなことをつらつら思いました。
乱文お許しください。

【報告】
+Ave Maria! Immaculata! Alleluia!
小野田神父様、
初金曜日と初土曜日の御ミサ、御聖体降福式、御説教、公教要理をありがとうございました。
私たちは、それにふさわしく無いものなのに、このお恵みを心から天主様に感謝いたします。
激務の中、日本に何度もおいでくださる小野田神父様に天主様が報いてくださいますように。
またお身体、どうかご無理なさいませんように。

特に公教要理は、主の御復活について、否定説の矛盾を挙げて、論理的に御復活が真実であることを立証していくことを学びました。
御復活が真実である根拠はどれも「客観的」でなくてはならず、とても難しかったです。

導入の、御復活についての「動画」を見ていて、配役や内容にがっかりした時に、ふと子供のころを思い出しました。
「もしタイムマシンがあって好きな時代に行くことができるとしたら、どの時代のどこに行きたいか」とお友達とおしゃべりしていて、
「2000年前のユダヤに行って、イエズス様とマリア様に会いたい」と答えたことを思い出します。
タイムマシンなどあるはずもないものですが(^_^;)
まことの人となられた天主イエズス様と天主の御母マリア様は、どれほど聖なるお姿で崇高で、愛にあふれて美しくあられたことでしょうか。
またその御受難はどれほど酷いものだったでしょうか。
人間のうちで最も美しく、強く、最高の能力をお持ちだったイエズス様、マリア様を演ずること自体、
御降誕、御受難や御復活、主の御生涯を表現すること自体が不可能なことでしょうが、
その影さえもまとうことはできないことでしょうが、私たちの貧しい黙想の助けにはなるかもしれません。
天主の御あわれみによって、マリア様の御助けによって、この世で天主様の御旨を果たして、
永遠にイエズス様とマリア様にお会いしたい。することができますようにと思いました。

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