アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年3月4日、メンツィンゲン(スイス)で、聖ピオ十世会総長のフェレー司教様がインタビューでいくつかの質問に答えています。ここでは、その日本語訳をご紹介いたします。これをすぐに日本語にすばらしく訳して下さった方がおられ、心から感謝します。
ローマやフェレー司教様が、聖ピオ十世会の「正常化」(regularisation)という言葉を使っているこの言葉の意味にご注意下さい。これは「合法化」(legalisation)でも、「正当化」でもありません。
「正常化」とは、いわば、聖ピオ十世会の活動は良いものだけれども、それを証明する紙、公文書が欠如しているので、それを発行して「正常化」する、という意味です。
たとえば、賊に襲われて半死半生となった犠牲者を、本来ならそれをなすべき義務を持っている人々が見て見ぬふりをして通り過ぎたので、良きサマリア人が看病したことは、愛徳にかなった合法的で正当なことだ、サマリア人には「看護許可書」がなかったのに看護したのだから、これからはその許可書を作って、「正常化」する、というようなものです。
フェレー司教様のインタビューを聞くと、次の点が注目に値すると思います。ローマの聖ピオ十世会に対する態度がより好意的になっていること、です。
1) 聖ピオ十世会の司祭たちに通常裁治権を与えたこと。これは、聖ピオ十世会は修道会として存在しているし、聖ピオ十世会の司祭たちはいかなる制裁も受けていない、ということを意味している。
2) ローマから正式に派遣された高位聖職者らが聖ピオ十世会に訪問して、聖ピオ十世会がいつも問題視してきた、第二バチカン公会議の諸問題点は、議論の余地のあるものだと認識し、そう打ち明けてきたこと。つまり、信教の自由、司教団体主義、エキュメニズム、新しいミサや、秘跡の新しい典礼様式などは、信じなければならないドグマではなく、解決されていない問題(オープン・クェスチョン)だ、と言うことを認めていること。
ではお読み下さい。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
原文はこちら
ベルナール・フェレー司教へのインタビュー──2016年3月4日、メンツィンゲン(スイス)
聖ピオ十世会とローマとの関係はどうなっているのか?
数週間に渡って、ローマによる聖ピオ十世会の教会法的承認の可能性に関するさまざまな噂がマスコミ[1]を駆け巡っている。DICI編集部は、この噂を解説するよりも、聖ピオ十世会総長ベルナール・フェレー司教に次の課題の分析をしていただくように求め、インタビューする手段を採ることにした。
1. 聖ピオ十世会とローマとの関係
2. ローマの新たな提案
3. "私たちをあるがままに受け入れてもらうこと"
4. 教皇と聖ピオ十世会
5. 聖ピオ十世会に与えられた裁治権
6. ローマより派遣された高位聖職者らの訪問
7. 教会の現状
8. 私たちは聖母に何を願うべきか?
1-2000年からの聖ピオ十世会とローマとの関係
ローマとの関係は──実際のところ──常にあります、が、これは文字通り正確な言葉ではなく……継続している、決して中断されていないという意味においてです。その頻度や、その強さの程度はいろいろですれども…。西暦2000年以降、ローマとのコンタクトは続けられています。ローマ当局のほうが、聖ピオ十世会をゆくゆくは正常化するという目的でこのコンタクトを求めてきたのです。先ほど言ったように、いくつもの浮き沈みがありましたが、2000年にカストゥリヨン・オヨス枢機卿とともに始まったこのコンタクトは──一時の間──かなり定期的に行われていました。私たちが提示した、皆さんよくご存知の前提条件が設置された後[2]、双方の関係は、そうとは言いたくないのですが、ほぼ... 中断したような時がありました。2005年にもう一度コンタクトがありました。そして2009年以降、つまり撤回──私たちが破門撤回と呼ぶもの、つまり破門宣言の訂正──の時、さらに定期的なコンタクトがありました。特に教義上の話し合いを含んだものでした。これは私たちとローマの両方が要求し、約二年間続けられました。[3] 新局面と言えるものが再び出てきました。今回は二つの要素からなる解決案を含み、それに関係したものでした。すなわち教義上の宣言、そして教会法上の解決、この二つです。この話し合いはほぼ二年に渡って続けられましたが、不首尾に終わりました。
その後、二年間、この関係は細々としたものになり、ポッゾ司教がエクレジア・デイ委員会に復帰したことで──こう言ってよいと思いますが──振り出しに戻ってしまいました。ディノイア司教のもとではコンタクトがありました。これは事実です。が、ポッゾ司教のもとでは新局面があって、それは再び、二つの要素からなるものでした。まず一方では話し合い、教義上の話し合いが、もっと柔軟なやり方でもう一度スタートしました。従って完全に公式というより、むしろ非公式なものとなりました。この司教様たちはローマから派遣されたからです。話し合いは続いています。この話し合いはやる価値があります。同時に、別のレベルで、いくぶん同時進行的でもありますが、去年(2015年)7月に、私たちがこの教会法的正常化に達することがどうやって可能かを見るため、じっくり考えてみようという新しい提案、新しい招きが差し出されました。ここでも話し合いや、考察が前向きに行われています。焦ってはいません。これは確実です。私たちは本当に前進しているのでしょうか? はい。そう思います。しかしゆっくりと進んでいることは間違いありません。
2-聖ピオ十世会上層部によって検討されたローマの新たな提案
ローマの新たな提案について考察するように、私たちは長上の職務にある人々を始めとする多くの同僚たちにこの考察に参加してもらうよう望みました。これは重要なことです。聖ピオ十世会内部に数々の摩擦を引き起こした2012年の問題からいろいろと学びました。その摩擦の理由の一つはコミュニケーション不足だと考えます。この時はいささか困難な時期でした。ですから今回は、多くの考察を必要とするこの問題の数々を伝えるため、もう一つの方向性を選択することにしました。
ローマや教会全体の状況を見てみると、確かに、私たちが何かをしようとする気持ちは薄れてしまいます。ローマの方から招きが私たちに来るのは、良く理解できます。私たちは教会にとって一つの問題を突きつけているからです。エキュメニズムのためになされているあらゆる努力を見る時──どんな一致であるかは、天主のみがご存知です!──、そして同時に、聖ピオ十世会が教会内でどんなふうに扱われているかを見る時、間違いなく私たちは一つの問題【訳者注:他宗教は寛大に友好的な待遇を受けているが、カトリック教会内の聖伝は排斥されているという矛盾した態度という問題のこと】を突きつけているのです。現代エキュメニズムのシステムの中で、私たちは大きな棘でさえあります。これだけを見ても、ローマが歩み寄りしている理由を説明することができるかもしれません。私の考えでは、これだけではないと思います。しかし、いずれにせよ──ローマの真意が何なのかを直接考慮しなくても──、ローマがこの問題を解決しようとの動きがあります。
他方では、教会の中の悲劇的状況を私たちは観察しています。そこでは前進しようと励みとなるものがほとんどありません。ですからよく掘り下げた考察が不可欠であり、私一人でできることではありません。この問題を正しく観察するため、問題の内側と外側について考察するため、各方面からの見解が必要です。このため、この課題に関して全長上の方々の考察を求めることを決定したのです。
3- 曖昧も妥協もなく "私たちをあるがままに受け入れられること"
一切の妥協を避けることは、絶対的に不可欠です。言葉の両方の意味における「妥協」のことです。つまり、私たちとローマのどちらかが、何かを得るために何かを譲歩するという意味の妥協です。最初から私はローマにこのように告げていました。「私は曖昧さを望みません。両者が違ったやり方で理解している文書について同意に達することをあなた方が望むなら、ゴタゴタがすぐに起きます。その混乱を準備するようなものです」と。ですからこれを絶対的に避けなければなりません。同意の始めにおいては、現状において両方の異なる見解を考えると、合意文書は曖昧になりがちという傾向があるだろう、ということはほとんど確かです。しかし、そんな曖昧なものを私たちはまったく望みません。
このため、明らかに、私たちは「頑固」になる、と言えるでしょう、ともかく、かなり頑固になると。これで問題はもっと難しくなりますが、私たちにとっては簡単な解決法はありません。こういうことです。「はい、理論上は、それは真理の解決法です。しかし、その真理は完全で、十全なものでなければなりません」と。
これが、ローマと共有しなければならないと私の考えた最初のアプローチです。すでに最初の文書をローマから受け取った時に私はこう言いました。「これは曖昧です。これではうまくいきません。私たちはこんなものを一切望みません!」と。これは2011年の最初の文書のことでした。今回は前よりはずっと良いもののにように思えます。事実、曖昧ではないということでは、優れた進歩があります。だからといって、一切の曖昧さが取り除かれているという意味ではありません。
さらに、合意文書の明確化に関する課題を除くと、もっと深刻でもっと重要な問題がもう一つあります。つまり「正常化に達した場合、活動の幅はどのくらいになるのか、私たちに与えられる、与えられるかも知れない自由の範囲はどうなるのか?」ということです。この文脈に関して、最初の時点から、私は一つの言い回しを、ルフェーブル大司教の、実際問題に関する要求を採用しました。大司教様はそれをあらゆる合法化のための必須条件だと考えておられました。つまり、私たちがあるがままに受け入れられること、です。
ですから私は(ローマで)それを再確認しました。「あなた方が私たちの受け入れを望むなら、これこそが私たちのあり方です、あなた方は私たちを知らなければなりません、後になって私たちが何かを隠していたと言うことがないように。これが私たちの姿であり、今後もそのままに留まり続けるであろう姿です」と。私たちはあるがままに留まるでしょう。なぜ? これは強情のしるしではありません。私たちこそが最善だと考えているのではありません。そうではなく、教会がこれを教え、教会が決定してきたことだからです。信仰に関することだけではありません。信仰と完全に一致している規律の全てがそうです。これこそが教会の宝となり、過去に多くの聖人たちを生み出したのです。私たちはこれを手放すつもりはありません。ローマとのやりとりで私はたくさんのことを主張しています。「ここに私たちの姿があります。ここに私たちの考えがあります」と、具体的な例を示すこともしながら。もしローマが私たちのこういった考えや態度は改められ、変えられなければならないと思うなら、ローマは今、そのことを私たちに告げなければなりません。同時に、その場合、私たちはこれ以上は進めません、と説明してきました。
4- 教皇と聖ピオ十世会──逆説的な好意
ここで「逆説的」という言葉を使うことが必要でしょう。「第三バチカン公会議」とも言えるもの、この表現にはこの言葉の最悪の意味が含まれていますが、これをさえ求める意志があって、他方では、聖ピオ十世会に対して「あなたたちはここで歓迎されている」と言おうとしています。これはまったく逆説的であり、正反対のものを結びつけようとする試みです。
これはエキュメニズムのせいであるとは思いません。そう考える人々もいるようです。なぜ私はエキュメニズムのせいではないと思うのか? エキュメニズムという課題について司教たちの取る通常の態度を見て下さい──彼らはすべての人々に両手を広げていますが、ただし私たちを除いてです! 私たちがなぜ仲間外れにされるのか、彼らはしょっちゅう私たちに説明してくれます。「聖ピオ十世会が自分はカトリックであると主張するから、他の宗教の人々にするように扱わないのです。この主張で混乱を作り出す【カトリックと言いながらたとえばエキュメニズムに反対しているので信徒たちが混乱する】ので、あなたたちを望みません」と。エキュメニズムを除外するこういった説明を、私たちは何度も耳にしてきました。【訳者注:ローマの聖ピオ十世会への歩み寄りは、エキュメニズムという説明では成り立たない、エキュメニズム説は除外される、と言うこと。】ではどう言うことでしょうか! もしも「すべての人々を家の中に受け入れる」という【エキュメニズムの】言葉が、私たちには当てはまらないのなら、残される説明は何でしょうか?【エキュメニズム以外の理由で、何故ローマは聖ピオ十世会に歩み寄るのでしょうか?】 それは教皇様である、と私は考えます。
まずベネディクト十六世が、次に現在では教皇フランシスコが、たった今言及したばかりのエキュメニズムの視点とは異なった別のやり方で聖ピオ十世会を見ていなかったなら、今の事態はまったく別のものになっていただろうと思います。それどころか、私たちは再び、処罰と排斥と破門、そして離教宣言のもとで、【エキュメニズムに対する】邪魔者を取り除こうとするあらゆる試みのもとにあったかも知れないとさえ思います。
ベネディクト十六世、そして教皇フランシスコは、なぜ今、これほど聖ピオ十世会に対して好意的に見ているのでしょうか? この二人が必ずしも同じ見方をしているとは思いません。ベネディクト十六世の場合は、彼の保守的立場、古い典礼への愛、教会内の昔の規定への尊敬の念のためであると考えます。多くの、繰り返して言いますが非常に多くの司祭たちが、彼らの多くのグループさえも、教会内の近代主義者に関して問題を抱えており、ベネディクト十六世がまだ枢機卿であった時に彼を頼り、彼らは、ベネディクト十六世の中に──始めは枢機卿、のちに教皇として──好意的な見方が、少なくともできる限り彼らを守り、助けようとする願望がある、と気づいていました。
教皇フランシスコの中に、古い典礼や規定の両方への愛着があるとは見えません。それとは相入れない多くの言葉を見ると、まったく正反対であるとさえ言えるかもしれません。これが、教皇の好意を理解することをより困難に、複雑にしています。にも関わらず、いくつかあり得そうな解釈が存在すると思います。しかし、私には、この問題への最終的回答を出すことができません。
解釈の一つは、のけものにされている人々について彼の態度です。教皇が「片隅に追いやられた存在」 « périphéries existentielles » と呼ぶ人々のことです。教皇が明らかに好みを見せている、この「片隅に追いやられた」ものの一つとして私たちを考えているとしても、私は驚きません。この見方から、教皇は、片隅に追いやられた人々とともに「道を歩む」« faire un cheminement » という表現を使って、事態を改善しようと望んでいます。これはすぐに何かを成功させようという確固たる意志ではありません。そうではなく、歩くこと、どこへ行こうともとにかく行こう…、結果がどんなものになるか正確にわからなくても、穏やかで、優しくなろう、ということです。おそらく、これが[教皇の取る態度の]根深い理由の一つです。
もう一つの理由はこうです──私たちは、フランシスコ教皇がエスタブリッシュメントとなった教会をかなり頻繁に批評していることを見ています。英語で言うところの──時々フランス語でも言いますが──エスタブリッシュメント化した教会とは、つまり自己満足に陥っている教会、もはや失われた羊たちを捜し求めようとしていない教会、つまりあらゆる段階で、貧困問題であれ、物質的であれ、問題を抱えている人々に手を差しのばそうとしない教会のことです。教皇が関心を持っているのは、物質的事柄についてだけだとは思いません、たとえ外見上はそう見えているとしても、です。教皇が「貧困」と言う時、彼は霊的貧困を、罪のうちにいる霊魂たちの貧困を、そこから抜け出して、聖主のもとへと連れ戻されるべき霊魂たちの貧困をも含めているのだとよくわかります。たとえ常にそのことが明確に表現されていないとしても、これを示唆するいくつもの表現を見つけられます。そしてこの見方において、教皇は聖ピオ十世会の中に、非常に活動的な団体を──特にエスタブリッシュメントの状況と聖ピオ十世会とを比較する時に──非常に活動的で、つまり霊魂たちを探し求めて行く、霊魂たちの霊的善に心をかけている、そのために腕の袖をまくり上げて働く準備ができている団体を見ているのです。
教皇はルフェーブル大司教のことを知っています。彼はティシェ・ド・マルレ司教が書いた大司教様の伝記を二回読まれました。このため、教皇が関心を持っていることは間違いありません。そして好意を抱いていると私は思います。また、彼がアルゼンチンで私たちの同僚司祭たちと持つことができたコンタクトもあります。教皇は、聖ピオ十世会司祭たちの中に、おおらかさと率直さを見ました。彼らが何も隠そうとはしなかったからです。もちろん彼らはアルゼンチンのために、あることを得ようとしていました。アルゼンチンでは滞在許可証に関して政府との間に問題を抱えていました。が、同僚たちは何も隠さず、問題をはぐらかしたりしようとはしませんでした。このことが教皇の好意を得たのだと思います。これは聖ピオ十世会の人間的側面を表したものかもしれませんが、教皇はとても人間的だと私たちは見ていますし、彼はこのようなことを重要視しています。
これが、教皇の聖ピオ十世会に対する好意を説明できるかもしれません。繰り返しますが、私にはこの問題について決定的な答えはありません。確実なことは、こういったすべてのことの裏にはみ摂理の手が働いているということです。教皇の頭に良い考えを吹き込んでいるのはみ摂理です。教皇様は、多くの点で私たちを大いに警戒させているのですが。私たちだけではありません。多かれ少なかれ教会内の保守的な人々は全員、起こりつつあること、教皇様が言われたことに恐れを抱いています。にも関わらず、み摂理は驚くべきやり方で、私たちをしてこのような岩礁(がんしょう)を通り抜けようとさせているのです。非常に驚くべきことてす。なぜなら教皇フランシスコは、私たちがこのまま生き、生き残るようにしていることが明白だからです。教皇は、質問した人に、聖ピオ十世会をいじめるようなことは絶対にしない、と言いさえしました。聖ピオ十世会はカトリックだ、とも言われました。教皇は聖ピオ十世会を離教者として排斥することを拒否しました。「彼らは離教者ではない、カトリックだ」と言って。たとえその後、やや不可解な表現、つまり「完全な交わり」への途中にあるとおっしゃったとしても。この「完全な交わり」という言い回しのはっきりした定義がいつの日か得られることを希望します。この言い回しは、明確ないかなるものにも対応していないからです。これがフィーリング(感傷)であるからです。これが何か誰にも正確には分からないからです。
ごく最近でさえも、私たちに関するポッゾ司教へのインタビューで、彼は教皇自身に由来するとして繰り返し引用しています──ですから公式の意見としてこれを受け取れます──教皇がエクレジア・デイ委員会に語って確認したことは、聖ピオ十世会は完全な交わりの道のりの途上にあるカトリックだ[4]、ということです。そしてポッゾ司教はどうやってこの完全な交わりが実現するかを説明しています。つまり、教会法上の形式を受け入れることによって、と。これは相当に驚くべきことです。何故なら、教会法上の形式が交わりにまつわるすべての問題を解決するのですから!
同じインタビューの中で、その少し後でポッゾ司教はこう言っています。この完全な交わりは主要なカトリック原則[5]、つまり、教会内の一致の三つの段階、信仰、秘跡、そして統治機構を受け入れることで成り立つ、と。信仰について語りつつ、彼はここで教導職について語っています。ですが私たちはこの三つの要素のどれに対しても決して疑問を投げかけたことはありません。ですから私たちの完全な交わりについて疑問を持ったことは決してありませんし、むしろこの「完全な」という形容詞を省き、ごく単純にこう言います。「教会の中で昔から使われてきた言い回しに従って、私たちは交わりの中にある。私たちはカトリックだ。私たちがカトリックなら、交わりの中にいる。なぜなら交わりの決裂とは、正しく離教だからだ」と。
5-聖ピオ十世会の司祭たちに与えられた裁治権──教会法的結論
教会法を見ると、完全に正常な状況にいる者でなければ、教会内で通常裁治権を持つ主体にはなり得ません。つまり、処罰されていない者、という意味です。ローマは常に、私たちの司祭は聖職停止の罰を受けている、なぜなら彼らは修道会に所属して(incardinare して)いないからだ、と。もちろん、一地方司教が教会法を正しく遵守せずに聖ピオ十世会を不当かつ無効なやり方で廃止してしまったので、聖ピオ十世会司祭は聖ピオ十世会に所属して(incardinare して)いる、と私たちは言っています。しかし、ローマは、【聖ピオ十世会は廃止されているので】私たちの司祭は聖職停止のもとにあると言い続け、今日に至るまでそうしています。聖職停止、これは何を意味するのでしょうか? これは、その正確な意味は、司祭がその職務を執行することを禁じること、ここで言う職務とは、ミサであったり、その他の秘跡だったり、告解もその中に含まれています。しかし【フランシスコ教皇は】通常裁治権を与えると言っています[6]。つまり、例外的ケース、例えば死の危険にある場合のように例外的栽治権ではありません。教会は実際のところ、こういった場合のことを予見しています。ある人が死の危険にある場合、道で死にかけている場合、すべての司祭はその身分に関係なく、たとえその司祭が破門されていたとしても、カトリックではないが有効に叙階された正教の司祭であっても、その時は告解を聞くことができ、有効にだけでなく合法にゆるしを与えることができます。これは例外的なものです。これは「通常栽治権」ではありません。ここで私たちが話しているのは通常栽治権のことです。裁治権の通常行使権を持ち、実行できるためには、繰り返しますが、いかなる制裁も受けていない必要があります。教皇がこの通常行使権を私たちに与えると宣言されたその時、この事実によって制裁は取り消された、廃止された、と教皇は暗示しています。これこそが、教会法による、──教会法の何条とか何それの書簡だけによるのではなく、教会法の精神による──教皇のこの命令を理解するための唯一の方法です。
6-ローマから派遣された高位聖職者らの訪問──教義上のまだ解決されていない問題は?
この訪問はたいへん益あるものでした。確かに、聖ピオ十世会の一部の人々は、やや疑惑の目を彼らに向けていました。「この司教たちは私たちの居場所で何をするつもりか?」と。しかし! これは私の見方ではありませんでした。この招きはローマから来ました。たぶん、私が彼らに提案した考えの結果でしょう。それはこうです。「あなた方は私たちを知りません。私たちはここ、ローマの事務室で話し合っています。私たちのところに見に来て下さい。私たちに見に来ない限り、私たちを本当に知ったことにはならないでしょう」と。宣言文や公式発表は──インターネット上で大反響を呼んだにしろ、そうでないにしろ──私たちのあるがままの姿を知らせることはできません。こういった公式発表ではほとんどの場合、私たちの公的立場を取らねばならず、現在の教会内で出された、しかじかの表現やなにがしの行動を排斥さえしなければならないときがあります。しかし、カトリックとしての私たちの生活は、これだけで要約できるものではありません。本質的なことはそれ以外のところに見いだせるとさえ言えます。本質的なこととは、天主の十戒に従いつつ、私たち自身の聖化に励みつつ、罪を避けながら、教会の全規定に従って生きるため、私たちがカトリック信仰を生き抜くという意志にあります。私たちの経営する学校、神学校、私たち司祭、私たちの司祭としての生活、この全てが、聖ピオ十世会のまことの現実を、私たちの現実の姿の全てを形作っています。
だから私は何度も主張しました。何度もこのように言いました。「ですから、私たちに会いに来て下さい」と。彼らは決してそう望みませんでした。その後、突然、私たちに会うために司教を派遣するという申し出があったのです。ローマが始め、どんな考えを持っていたとしても、私としてはこれは良い考えだと賛成しました。なぜか? この方法で、彼らは私たちをあるがままに見るだろうからです。事実、司教たちが訪問するすべての場所に、私が与えたモットーはこれでした。「何も変えないこと、良く見せようとしないこと、私たちは、あるがままの私たちだ、彼らにこの方法で私たちを見てもらいましょう!」そして、実際に、枢機卿一名、大司教一名、そして司教二名が私たちに会いにやって来て、さまざまな状況下で訪れて来ました。ある方は神学校に、また修道院にも来られました。これら機会の話し合いの最中に、これらの出会いの最中とその後に、出された第一印象やコメントは、とても興味深いものです。私がこのローマの招きを支援したとは正しかったのだと、これらのコメントは確認していると思います。
彼らが私たちに告げた最初のこと、全員が言ったこと、──これはそう言えと命じられた見解なのか、個人的な意見なのか? 私にはわかりませんが、事実です──彼らは皆、こう言いました。「これはカトリック信者同士の間で行われている話し合いだ。これはエキュメニカルな話し合いとは無縁だ。私たちはカトリック信者同士の中にいる」と。こうして最初から私たちは次のような考えを一掃しました。つまり「あなたたちは完全に教会の中にいるのではない、あなたたちは半分だけだ、教会の外にいる──それがどこなのかは天主のみがご存じですが!──離教的だ……!」といった考えは吹き飛んでいました。そうですとも! 私たちはカトリック信者同士で話し合いをしているのです。これが最初のポイントで、とても益あるもの、とても重要なものでした。時としては、現在のローマでさえなお、逆のことが言われているにも関わらず。
第二のポイントは──私はこれをさらに重要だと考えます──この話し合いで取り上げられている問題は、常に躓きの石であり続けている古典的な問題です。信教の自由、司教団体主義、エキュメニズム、新しいミサや、あるいは秘跡の新しい典礼様式についてでした。彼らは皆、この話し合いは、まだ解決されていない問題(オープン・クェスチョン)を議題として行われている、と言いました。この見解は第一級の重要性を持つと考えます。現在まで、彼らは常にこう主張してきました。「あなた方は公会議を受け入れなければならない」と。この言葉が意味する現実的意味を正確に述べることは困難です──「公会議を受け入れよ」これはどういう意味でしょうか?
第二バチカン公会議の諸文書は、均等な価値を持つものではありません。そこで第二バチカン公会議の諸文書の受け入れも、段階的な基準や、いろいろなレベルの拘束力に沿ってなされるものです。この事実があるからです。もしも文書が信仰に関する文書であるなら、ただ単純に受け入れる義務を持っています。ですが、完全に間違った方法で、公会議は不可謬であると主張し、公会議全体への完全な服従を要求するなら、これが「公会議を受け入れること」だとするなら、私たちは公会議を受け入れません、と言います。第二バチカン公会議の不可謬性を否定するからです。公会議のある文章が、教会が以前から不可謬のやり方で述べてきたことを繰り返しているのなら、間違いなくその文章は不可謬であり、不可謬性を維持しています。私たちはそれを受け入れますし、これに関して何の問題もありません。これこそ、誰かが「公会議を受け入れよ」と言う時に、その意味するものをはっきりと区別することが不可欠である理由です。にも関わらず、この区別をもってしても、ローマの側の断固とした主張「あなた方はこれらの論点を受け入れなければならない、これらは教会の教えの一部であり、従って受け入れなければならない」ということに、現在に至るまで私たちは気づいています。ローマでだけでなく、司教たちのほぼ大多数にも、私たちへのこの態度、「あなた方は公会議を受け入れていない」という重大な非難を見ています。
ところが、今、突然、躓きの石であり続けてきたこの論点について、ローマからの使者たちは、解決されていない問題だ、開かれた問題だ、と告げています。開かれた問題とは、議論の余地がある、議論可能な問題です。ある立場に固執しなけばならないという拘束力は、実質上、そしておそらく全体的に、軽減され、あるいは撤回されてさえいます。これは極めて重大なポイントだと私は思います。これが確認されるかどうかは、私たちが第二バチカン公会議について自由に、さらに言えば、率直に、本当に話し合うことが可能なのかどうかは、後で見てみることになるでしょう。ローマ当局に払うべきあらゆる敬意をもって、非常な混乱に陥っている教会の現状をさらに悪化させないように、正確に信仰について、信ずべきことについて、話し合うことができるかを。ここで私たちは明確さを、当局からの明確化を求めているのです。私たちはこれを長いこと要求してきました。「この公会議には曖昧な論点がいくつもあります。これらを明確にするのは私たちではありません。私たちは問題を指摘できますが、これらを明確にするのは、本当はローマの側なのです」と。繰り返しますが、それにも関わらず、これらの司教たちが、公会議には明らかな問題があると言ってきた事実は、私の意見では、極めて重大なことです。
話し合い自体は、私たちの対話者ひとりひとりの人柄に沿って行われました。おおよそ喜ばしいものでした。なぜなら良いやりとりもありましたからです。その中には必ずしも同意できないものもありましたが……。それでも、対話した人々全員は、その評価について満場一致していました。つまり彼らは話し合いに満足していた、ということです。自分たちの訪問にも満足していました。彼らは神学生たちの資質をこう言って褒めていました。「彼らはごく正常だ(よかった! ここから始めなければならないとは……)、偏屈でも鈍感でもないし、それどころか生き生きして、おおらかで、楽しそうで、ひとりひとりは普通の、ごく素朴な人たちだ」と。この言葉は訪問者全員の口から出ました。これは人間的側面であることは否定しようもありませんが、この側面を忘れてしまうべきではありません。
私にとってこの話し合いは、あるいはもっと正確に言えば、話し合いのより簡単な側面は大切です。問題の一つは、不信頼です。確かに、私たちはこの不信頼を抱いています。そしてローマもまた、私たちに対して同じ思いを抱いていると言えると思います。この不信頼が上まわっている限り、自然の傾きは、言われたことを何であれ悪く解釈し、あるいは解決法が提案されてもできる限り最悪のシナリオを想定してしまう、ということです。私たちがこの不信頼の目で物事を見ている限り、ほとんど進歩はないでしょう。こういった「あらかじめそうであると決めつけた非難」を取り除くためには、ある程度、最小限の信頼、平和な環境を持つことが不可欠です。私たちにはまだこの不信の目があることを認めますし、ローマの側もそうです。これは時間のかかることです。互いの人柄とその意向を正確に見極めるために、あらゆる偏見を超えるために。これには時間がかかるだろうと思います。
これはまた、善意を示すこと、私たちを壊す意向ではなく善意を示す行為を要求しています。現在でも、私たちはまだ心の奥底にこのような考えを秘めています。この態度はかなり広まってしまっています。つまり「ローマが私たちを望むなら、それは私たちを窒息させたいからだ。最終的には私たちを破壊し、完全に吸収し、分解してしまいたいからなのだ」と。これは統合ではない、崩壊だ!と。 こういった考えが優っている限り、間違いなく私たちは何も期待することはできません。
7-教会の現状──憂慮と希望
教会内で起きている一連の行為を見て、私には悩みの種がたくさんあります。混乱が大きくなっているのを見ています。まさに矛盾する要素から起きている混乱、教義や道徳、規定の希薄さから来る混乱です。教会が、自分一人一人の勝手なやり方に陥っています。司教たちは、言いたいことを言っています。しかも司教同士、互いに矛盾することを言っています。秩序への、公式の、明確な呼びかけもありません。どのようなものであれ、方針への呼びかけもゼロです。二、三年前にはまだ方針がありました。それは近代主義者の方針でした。例の第二バチカン公会議の精神でした。今日では、これらの問題に関して司教たちの間に、ローマにおいてさえも、深刻な不一致があるのがわかります。どの方針が勝利を得、どの方針が優っているのでしょうか? 今のところ、私には分かりません。
私たちが前進すればするほど近代主義者たちは衰退する、あるいは衰退させられるのは間違いないという、考察、しるしに寄りかかることができます。近代主義者たちには信者たちが減少し、召命も不足しています。衰退している教会です。これは真実です。他方では、大勢の若者たちが──正確に見積もるのは難しいですが、見ることができるほど十分に大きい数であるのがわかります──、全てのレベルで、特に教義レベルにおいて、教会はもっともっと厳粛なものであって欲しいと望んでいます。若者たち、神学生たちは、聖トマスを勉強することを望んでいます。健全な哲学への回帰を、明確で健全な神学を、聖トマスのスコラ神学を求めています。彼らの中には典礼を熱烈に求める者たちもいます……「刷新された」典礼のことではなく、聖伝の典礼へ戻ることを望んでいるのです。この若者たちの数は、目覚ましいものです。どのくらいの人数なのか推し量るのは私たちには難しいのですが、現行の神学校で、これらの若者たちの世話をして働いている司祭たちの声を聞くと、フランス、イギリスで、新しい神学生たちの50%は聖伝のミサを熱望しているのだと教えてくれさえします。多すぎるのではないかと私には思えるのですが、それが本当であることを望みます。
それにも関わらず、こういった傾向ははっきりとわかるのです。グラフの上昇ラインを示していて、何年にも渡ってこの傾向が成長していくのを見ています。ただ一つだけ例を挙げますと、去年からというもの、結婚とカトリック家庭に関するシノドの問題に関して、二つの陣営の間に以前よりもずっとはっきりとした対立があるとわかります。これは保守派が強力になってきたことが原因だと思います。間違いなく、彼らの数、少なくとも彼らの強さが徐々に高まってきていると思います。他方では、今なお多数派が支配しているとしても、力を失ってきていて、強制することができなくなってきている、少なくとも今までそうであったように何もかもを強いることはできなくなっています。
かくして、この二つの路線が存在しています。この状況下での私たちの未来はどんなものでしょうか? 何よりもまず、しっかりと維持することです。大混乱があります。勝利するのは誰か? 誰にもわかりません。これは私たちとローマとの関係をひどく困難なものにしています。なぜなら私たちは、多くの議論を重ねたのち、明日、私たちがようやくのことで同意に達するような文書が、決定的な文書となるのかどうかを知らずに、議論の相手と話し合いをしているからです。2012年には、一つの文書がどのように、干渉によって直され修正されていくのか、そのさまを私たちは目撃してきました。この干渉は、より高位のローマ当局からのものでしたが、それは教皇様ではありませんでした。ここでも、教会を統治しているのは誰なのでしょうか? これは未回答のまま残される非常に意味深い問いだと思います。はっきりと定義できない勢力が存在するのです……。
8-私たちは聖母に何を願うべきか?
ああ! たくさんのことをです! 何よりもまず救霊を。私たちの救霊を、一人一人の救霊を、聖ピオ十世会に、聖ピオ十世会司祭たちに、みずからを委ね、やって来る一人一人の霊魂たちの救霊をです。ですから聖ピオ十世会が忠実であるよう聖母に願いましょう。教会への忠実を。私たちの手にある教会のすべての宝──なぜなのか、どうしてなのかは天主だけがご存知です──教会の宝である非凡な遺産への忠実を。これは私たちのものではありません。私たちの唯一の願望は、教会の中にこの宝のための場所を、正当な場所を取り戻すことだけです。
聖母の凱旋を求めましょう。聖母はこれを告知されました。私がいつも言っていることですが、私たちは待たされ続けていて、少しじれったくさえなります。特にこれと矛盾するように見えるあらゆることが起きているのを見る時に。でも、これは矛盾ではないのです。天主がお許しになる発展段階に過ぎません。恐るべき、身震いする勝負です──すなわち、人間の自由が、天が要求なさることとに答えていないことです、キリスト信徒でさえもそうです。ファチマで宣言された天の意向──つまり、天主の意向──キリスト信者たちの心にマリアのけがれなき御心への信心を導入すること、それがなされるにはあまりにも苦労しています。でも、これはそれほど難しいことではありません。これは非常に素晴らしいこと、非常な慰めなのです! 善き主とサタンとの間のこの主要な戦い、天主が自由であるように計画され、武器によることなく征服することを望まれた霊魂を戦場とするこの戦いを私たちは理解しています。全人類に膝をかがめさせるというやり方で、天主はご自分の意志を威厳をもって課すことがおできになるのです──これは世の終わりに起きることでしょうが、それはずっと後のことでしょう。戦闘は今、行われているのです。
ですから、天主のために霊魂を勝ち取る恩寵を、この事業に協力する恩寵を願いましょう! このようにして私たちは多くのことを天主に願うのです。救霊という使命を成し遂げるためのすべての要素を教会が再発見することができるよう、私たちは天主に願います。一つのこと、教会のためになる第一の、唯一の材料は霊魂の救いです!
インタビュー独特の雰囲気を残しておくため、話し言葉のまま載せてあります。
(Video interview filmed by DICI on March 4, 2016―Transcription and translation DICI dated March 21, 2016)
[1] See, in DICI no. 332 dated March 11, 2016, “Press clippings: Aftermath of Bishop de Galarreta’s conference in Bailly”.
[2] These preconditions were: the Tridentine Mass granted to all priests and lifting the censures against the Society. See DICI no. 74 dated April 12, 2003.
[3] From October 2009 to April 2011.
[4] Here is the answer of Msgr. Guido Pozzo, Secretary of the Ecclesia Dei Commission, in the interview that he granted to Zenit on February 25, 2016. Question: “Your Excellency, in 2009 Pope Benedict XVI lifted the excommunication of the Society of Saint Pius X. Does that mean that now they are once again in communion with Rome?” Answer: “Since Benedict XVI lifted the censure of the excommunication of the bishops of the SSPX (2009), they are no longer subject to that grave ecclesiastical penalty. Even after that step, however, the SSPX is still in an irregular situation, because it has not received canonical recognition by the Holy See. As long as the Society has no canonical status in the Church, its ministers do not exercise in a legitimate way the ministry and the celebration of the sacraments. According to the formula of then-Cardinal Bergoglio in Buenos Aires and confirmed by Pope Francis to the Pontifical Commission Ecclesia Dei, the members of the SSPX are Catholics on the path toward full communion with the Holy See. This full communion will come when there is a canonical recognition of the Society.”
[5] Msgr. Pozzo, ibid.: “What appears crucial is to find a full convergence on what is required to be in full communion with the Apostolic See, namely the integrity of the Catholic Creed, the bond of the sacraments and the acceptance of the Supreme Magisterium of the Church.”
[6] 2015年9月1日、教皇フランシスコが新福音化推進評議会議長のサルバトーレ・フィジケッラ大司教宛に送った書簡:「わたしは、特別な配慮として、いつくしみの特別聖年の間に聖ピオ十世会の司祭からゆるしの秘跡を受けた信者の罪のゆるしを、有効かつ合法なものとすることを認めます。」
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年3月4日、メンツィンゲン(スイス)で、聖ピオ十世会総長のフェレー司教様がインタビューでいくつかの質問に答えています。ここでは、その日本語訳をご紹介いたします。これをすぐに日本語にすばらしく訳して下さった方がおられ、心から感謝します。
ローマやフェレー司教様が、聖ピオ十世会の「正常化」(regularisation)という言葉を使っているこの言葉の意味にご注意下さい。これは「合法化」(legalisation)でも、「正当化」でもありません。
「正常化」とは、いわば、聖ピオ十世会の活動は良いものだけれども、それを証明する紙、公文書が欠如しているので、それを発行して「正常化」する、という意味です。
たとえば、賊に襲われて半死半生となった犠牲者を、本来ならそれをなすべき義務を持っている人々が見て見ぬふりをして通り過ぎたので、良きサマリア人が看病したことは、愛徳にかなった合法的で正当なことだ、サマリア人には「看護許可書」がなかったのに看護したのだから、これからはその許可書を作って、「正常化」する、というようなものです。
フェレー司教様のインタビューを聞くと、次の点が注目に値すると思います。ローマの聖ピオ十世会に対する態度がより好意的になっていること、です。
1) 聖ピオ十世会の司祭たちに通常裁治権を与えたこと。これは、聖ピオ十世会は修道会として存在しているし、聖ピオ十世会の司祭たちはいかなる制裁も受けていない、ということを意味している。
2) ローマから正式に派遣された高位聖職者らが聖ピオ十世会に訪問して、聖ピオ十世会がいつも問題視してきた、第二バチカン公会議の諸問題点は、議論の余地のあるものだと認識し、そう打ち明けてきたこと。つまり、信教の自由、司教団体主義、エキュメニズム、新しいミサや、秘跡の新しい典礼様式などは、信じなければならないドグマではなく、解決されていない問題(オープン・クェスチョン)だ、と言うことを認めていること。
ではお読み下さい。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
原文はこちら
ベルナール・フェレー司教へのインタビュー──2016年3月4日、メンツィンゲン(スイス)
聖ピオ十世会とローマとの関係はどうなっているのか?
数週間に渡って、ローマによる聖ピオ十世会の教会法的承認の可能性に関するさまざまな噂がマスコミ[1]を駆け巡っている。DICI編集部は、この噂を解説するよりも、聖ピオ十世会総長ベルナール・フェレー司教に次の課題の分析をしていただくように求め、インタビューする手段を採ることにした。
1. 聖ピオ十世会とローマとの関係
2. ローマの新たな提案
3. "私たちをあるがままに受け入れてもらうこと"
4. 教皇と聖ピオ十世会
5. 聖ピオ十世会に与えられた裁治権
6. ローマより派遣された高位聖職者らの訪問
7. 教会の現状
8. 私たちは聖母に何を願うべきか?
1-2000年からの聖ピオ十世会とローマとの関係
ローマとの関係は──実際のところ──常にあります、が、これは文字通り正確な言葉ではなく……継続している、決して中断されていないという意味においてです。その頻度や、その強さの程度はいろいろですれども…。西暦2000年以降、ローマとのコンタクトは続けられています。ローマ当局のほうが、聖ピオ十世会をゆくゆくは正常化するという目的でこのコンタクトを求めてきたのです。先ほど言ったように、いくつもの浮き沈みがありましたが、2000年にカストゥリヨン・オヨス枢機卿とともに始まったこのコンタクトは──一時の間──かなり定期的に行われていました。私たちが提示した、皆さんよくご存知の前提条件が設置された後[2]、双方の関係は、そうとは言いたくないのですが、ほぼ... 中断したような時がありました。2005年にもう一度コンタクトがありました。そして2009年以降、つまり撤回──私たちが破門撤回と呼ぶもの、つまり破門宣言の訂正──の時、さらに定期的なコンタクトがありました。特に教義上の話し合いを含んだものでした。これは私たちとローマの両方が要求し、約二年間続けられました。[3] 新局面と言えるものが再び出てきました。今回は二つの要素からなる解決案を含み、それに関係したものでした。すなわち教義上の宣言、そして教会法上の解決、この二つです。この話し合いはほぼ二年に渡って続けられましたが、不首尾に終わりました。
その後、二年間、この関係は細々としたものになり、ポッゾ司教がエクレジア・デイ委員会に復帰したことで──こう言ってよいと思いますが──振り出しに戻ってしまいました。ディノイア司教のもとではコンタクトがありました。これは事実です。が、ポッゾ司教のもとでは新局面があって、それは再び、二つの要素からなるものでした。まず一方では話し合い、教義上の話し合いが、もっと柔軟なやり方でもう一度スタートしました。従って完全に公式というより、むしろ非公式なものとなりました。この司教様たちはローマから派遣されたからです。話し合いは続いています。この話し合いはやる価値があります。同時に、別のレベルで、いくぶん同時進行的でもありますが、去年(2015年)7月に、私たちがこの教会法的正常化に達することがどうやって可能かを見るため、じっくり考えてみようという新しい提案、新しい招きが差し出されました。ここでも話し合いや、考察が前向きに行われています。焦ってはいません。これは確実です。私たちは本当に前進しているのでしょうか? はい。そう思います。しかしゆっくりと進んでいることは間違いありません。
2-聖ピオ十世会上層部によって検討されたローマの新たな提案
ローマの新たな提案について考察するように、私たちは長上の職務にある人々を始めとする多くの同僚たちにこの考察に参加してもらうよう望みました。これは重要なことです。聖ピオ十世会内部に数々の摩擦を引き起こした2012年の問題からいろいろと学びました。その摩擦の理由の一つはコミュニケーション不足だと考えます。この時はいささか困難な時期でした。ですから今回は、多くの考察を必要とするこの問題の数々を伝えるため、もう一つの方向性を選択することにしました。
ローマや教会全体の状況を見てみると、確かに、私たちが何かをしようとする気持ちは薄れてしまいます。ローマの方から招きが私たちに来るのは、良く理解できます。私たちは教会にとって一つの問題を突きつけているからです。エキュメニズムのためになされているあらゆる努力を見る時──どんな一致であるかは、天主のみがご存知です!──、そして同時に、聖ピオ十世会が教会内でどんなふうに扱われているかを見る時、間違いなく私たちは一つの問題【訳者注:他宗教は寛大に友好的な待遇を受けているが、カトリック教会内の聖伝は排斥されているという矛盾した態度という問題のこと】を突きつけているのです。現代エキュメニズムのシステムの中で、私たちは大きな棘でさえあります。これだけを見ても、ローマが歩み寄りしている理由を説明することができるかもしれません。私の考えでは、これだけではないと思います。しかし、いずれにせよ──ローマの真意が何なのかを直接考慮しなくても──、ローマがこの問題を解決しようとの動きがあります。
他方では、教会の中の悲劇的状況を私たちは観察しています。そこでは前進しようと励みとなるものがほとんどありません。ですからよく掘り下げた考察が不可欠であり、私一人でできることではありません。この問題を正しく観察するため、問題の内側と外側について考察するため、各方面からの見解が必要です。このため、この課題に関して全長上の方々の考察を求めることを決定したのです。
3- 曖昧も妥協もなく "私たちをあるがままに受け入れられること"
一切の妥協を避けることは、絶対的に不可欠です。言葉の両方の意味における「妥協」のことです。つまり、私たちとローマのどちらかが、何かを得るために何かを譲歩するという意味の妥協です。最初から私はローマにこのように告げていました。「私は曖昧さを望みません。両者が違ったやり方で理解している文書について同意に達することをあなた方が望むなら、ゴタゴタがすぐに起きます。その混乱を準備するようなものです」と。ですからこれを絶対的に避けなければなりません。同意の始めにおいては、現状において両方の異なる見解を考えると、合意文書は曖昧になりがちという傾向があるだろう、ということはほとんど確かです。しかし、そんな曖昧なものを私たちはまったく望みません。
このため、明らかに、私たちは「頑固」になる、と言えるでしょう、ともかく、かなり頑固になると。これで問題はもっと難しくなりますが、私たちにとっては簡単な解決法はありません。こういうことです。「はい、理論上は、それは真理の解決法です。しかし、その真理は完全で、十全なものでなければなりません」と。
これが、ローマと共有しなければならないと私の考えた最初のアプローチです。すでに最初の文書をローマから受け取った時に私はこう言いました。「これは曖昧です。これではうまくいきません。私たちはこんなものを一切望みません!」と。これは2011年の最初の文書のことでした。今回は前よりはずっと良いもののにように思えます。事実、曖昧ではないということでは、優れた進歩があります。だからといって、一切の曖昧さが取り除かれているという意味ではありません。
さらに、合意文書の明確化に関する課題を除くと、もっと深刻でもっと重要な問題がもう一つあります。つまり「正常化に達した場合、活動の幅はどのくらいになるのか、私たちに与えられる、与えられるかも知れない自由の範囲はどうなるのか?」ということです。この文脈に関して、最初の時点から、私は一つの言い回しを、ルフェーブル大司教の、実際問題に関する要求を採用しました。大司教様はそれをあらゆる合法化のための必須条件だと考えておられました。つまり、私たちがあるがままに受け入れられること、です。
ですから私は(ローマで)それを再確認しました。「あなた方が私たちの受け入れを望むなら、これこそが私たちのあり方です、あなた方は私たちを知らなければなりません、後になって私たちが何かを隠していたと言うことがないように。これが私たちの姿であり、今後もそのままに留まり続けるであろう姿です」と。私たちはあるがままに留まるでしょう。なぜ? これは強情のしるしではありません。私たちこそが最善だと考えているのではありません。そうではなく、教会がこれを教え、教会が決定してきたことだからです。信仰に関することだけではありません。信仰と完全に一致している規律の全てがそうです。これこそが教会の宝となり、過去に多くの聖人たちを生み出したのです。私たちはこれを手放すつもりはありません。ローマとのやりとりで私はたくさんのことを主張しています。「ここに私たちの姿があります。ここに私たちの考えがあります」と、具体的な例を示すこともしながら。もしローマが私たちのこういった考えや態度は改められ、変えられなければならないと思うなら、ローマは今、そのことを私たちに告げなければなりません。同時に、その場合、私たちはこれ以上は進めません、と説明してきました。
4- 教皇と聖ピオ十世会──逆説的な好意
ここで「逆説的」という言葉を使うことが必要でしょう。「第三バチカン公会議」とも言えるもの、この表現にはこの言葉の最悪の意味が含まれていますが、これをさえ求める意志があって、他方では、聖ピオ十世会に対して「あなたたちはここで歓迎されている」と言おうとしています。これはまったく逆説的であり、正反対のものを結びつけようとする試みです。
これはエキュメニズムのせいであるとは思いません。そう考える人々もいるようです。なぜ私はエキュメニズムのせいではないと思うのか? エキュメニズムという課題について司教たちの取る通常の態度を見て下さい──彼らはすべての人々に両手を広げていますが、ただし私たちを除いてです! 私たちがなぜ仲間外れにされるのか、彼らはしょっちゅう私たちに説明してくれます。「聖ピオ十世会が自分はカトリックであると主張するから、他の宗教の人々にするように扱わないのです。この主張で混乱を作り出す【カトリックと言いながらたとえばエキュメニズムに反対しているので信徒たちが混乱する】ので、あなたたちを望みません」と。エキュメニズムを除外するこういった説明を、私たちは何度も耳にしてきました。【訳者注:ローマの聖ピオ十世会への歩み寄りは、エキュメニズムという説明では成り立たない、エキュメニズム説は除外される、と言うこと。】ではどう言うことでしょうか! もしも「すべての人々を家の中に受け入れる」という【エキュメニズムの】言葉が、私たちには当てはまらないのなら、残される説明は何でしょうか?【エキュメニズム以外の理由で、何故ローマは聖ピオ十世会に歩み寄るのでしょうか?】 それは教皇様である、と私は考えます。
まずベネディクト十六世が、次に現在では教皇フランシスコが、たった今言及したばかりのエキュメニズムの視点とは異なった別のやり方で聖ピオ十世会を見ていなかったなら、今の事態はまったく別のものになっていただろうと思います。それどころか、私たちは再び、処罰と排斥と破門、そして離教宣言のもとで、【エキュメニズムに対する】邪魔者を取り除こうとするあらゆる試みのもとにあったかも知れないとさえ思います。
ベネディクト十六世、そして教皇フランシスコは、なぜ今、これほど聖ピオ十世会に対して好意的に見ているのでしょうか? この二人が必ずしも同じ見方をしているとは思いません。ベネディクト十六世の場合は、彼の保守的立場、古い典礼への愛、教会内の昔の規定への尊敬の念のためであると考えます。多くの、繰り返して言いますが非常に多くの司祭たちが、彼らの多くのグループさえも、教会内の近代主義者に関して問題を抱えており、ベネディクト十六世がまだ枢機卿であった時に彼を頼り、彼らは、ベネディクト十六世の中に──始めは枢機卿、のちに教皇として──好意的な見方が、少なくともできる限り彼らを守り、助けようとする願望がある、と気づいていました。
教皇フランシスコの中に、古い典礼や規定の両方への愛着があるとは見えません。それとは相入れない多くの言葉を見ると、まったく正反対であるとさえ言えるかもしれません。これが、教皇の好意を理解することをより困難に、複雑にしています。にも関わらず、いくつかあり得そうな解釈が存在すると思います。しかし、私には、この問題への最終的回答を出すことができません。
解釈の一つは、のけものにされている人々について彼の態度です。教皇が「片隅に追いやられた存在」 « périphéries existentielles » と呼ぶ人々のことです。教皇が明らかに好みを見せている、この「片隅に追いやられた」ものの一つとして私たちを考えているとしても、私は驚きません。この見方から、教皇は、片隅に追いやられた人々とともに「道を歩む」« faire un cheminement » という表現を使って、事態を改善しようと望んでいます。これはすぐに何かを成功させようという確固たる意志ではありません。そうではなく、歩くこと、どこへ行こうともとにかく行こう…、結果がどんなものになるか正確にわからなくても、穏やかで、優しくなろう、ということです。おそらく、これが[教皇の取る態度の]根深い理由の一つです。
もう一つの理由はこうです──私たちは、フランシスコ教皇がエスタブリッシュメントとなった教会をかなり頻繁に批評していることを見ています。英語で言うところの──時々フランス語でも言いますが──エスタブリッシュメント化した教会とは、つまり自己満足に陥っている教会、もはや失われた羊たちを捜し求めようとしていない教会、つまりあらゆる段階で、貧困問題であれ、物質的であれ、問題を抱えている人々に手を差しのばそうとしない教会のことです。教皇が関心を持っているのは、物質的事柄についてだけだとは思いません、たとえ外見上はそう見えているとしても、です。教皇が「貧困」と言う時、彼は霊的貧困を、罪のうちにいる霊魂たちの貧困を、そこから抜け出して、聖主のもとへと連れ戻されるべき霊魂たちの貧困をも含めているのだとよくわかります。たとえ常にそのことが明確に表現されていないとしても、これを示唆するいくつもの表現を見つけられます。そしてこの見方において、教皇は聖ピオ十世会の中に、非常に活動的な団体を──特にエスタブリッシュメントの状況と聖ピオ十世会とを比較する時に──非常に活動的で、つまり霊魂たちを探し求めて行く、霊魂たちの霊的善に心をかけている、そのために腕の袖をまくり上げて働く準備ができている団体を見ているのです。
教皇はルフェーブル大司教のことを知っています。彼はティシェ・ド・マルレ司教が書いた大司教様の伝記を二回読まれました。このため、教皇が関心を持っていることは間違いありません。そして好意を抱いていると私は思います。また、彼がアルゼンチンで私たちの同僚司祭たちと持つことができたコンタクトもあります。教皇は、聖ピオ十世会司祭たちの中に、おおらかさと率直さを見ました。彼らが何も隠そうとはしなかったからです。もちろん彼らはアルゼンチンのために、あることを得ようとしていました。アルゼンチンでは滞在許可証に関して政府との間に問題を抱えていました。が、同僚たちは何も隠さず、問題をはぐらかしたりしようとはしませんでした。このことが教皇の好意を得たのだと思います。これは聖ピオ十世会の人間的側面を表したものかもしれませんが、教皇はとても人間的だと私たちは見ていますし、彼はこのようなことを重要視しています。
これが、教皇の聖ピオ十世会に対する好意を説明できるかもしれません。繰り返しますが、私にはこの問題について決定的な答えはありません。確実なことは、こういったすべてのことの裏にはみ摂理の手が働いているということです。教皇の頭に良い考えを吹き込んでいるのはみ摂理です。教皇様は、多くの点で私たちを大いに警戒させているのですが。私たちだけではありません。多かれ少なかれ教会内の保守的な人々は全員、起こりつつあること、教皇様が言われたことに恐れを抱いています。にも関わらず、み摂理は驚くべきやり方で、私たちをしてこのような岩礁(がんしょう)を通り抜けようとさせているのです。非常に驚くべきことてす。なぜなら教皇フランシスコは、私たちがこのまま生き、生き残るようにしていることが明白だからです。教皇は、質問した人に、聖ピオ十世会をいじめるようなことは絶対にしない、と言いさえしました。聖ピオ十世会はカトリックだ、とも言われました。教皇は聖ピオ十世会を離教者として排斥することを拒否しました。「彼らは離教者ではない、カトリックだ」と言って。たとえその後、やや不可解な表現、つまり「完全な交わり」への途中にあるとおっしゃったとしても。この「完全な交わり」という言い回しのはっきりした定義がいつの日か得られることを希望します。この言い回しは、明確ないかなるものにも対応していないからです。これがフィーリング(感傷)であるからです。これが何か誰にも正確には分からないからです。
ごく最近でさえも、私たちに関するポッゾ司教へのインタビューで、彼は教皇自身に由来するとして繰り返し引用しています──ですから公式の意見としてこれを受け取れます──教皇がエクレジア・デイ委員会に語って確認したことは、聖ピオ十世会は完全な交わりの道のりの途上にあるカトリックだ[4]、ということです。そしてポッゾ司教はどうやってこの完全な交わりが実現するかを説明しています。つまり、教会法上の形式を受け入れることによって、と。これは相当に驚くべきことです。何故なら、教会法上の形式が交わりにまつわるすべての問題を解決するのですから!
同じインタビューの中で、その少し後でポッゾ司教はこう言っています。この完全な交わりは主要なカトリック原則[5]、つまり、教会内の一致の三つの段階、信仰、秘跡、そして統治機構を受け入れることで成り立つ、と。信仰について語りつつ、彼はここで教導職について語っています。ですが私たちはこの三つの要素のどれに対しても決して疑問を投げかけたことはありません。ですから私たちの完全な交わりについて疑問を持ったことは決してありませんし、むしろこの「完全な」という形容詞を省き、ごく単純にこう言います。「教会の中で昔から使われてきた言い回しに従って、私たちは交わりの中にある。私たちはカトリックだ。私たちがカトリックなら、交わりの中にいる。なぜなら交わりの決裂とは、正しく離教だからだ」と。
5-聖ピオ十世会の司祭たちに与えられた裁治権──教会法的結論
教会法を見ると、完全に正常な状況にいる者でなければ、教会内で通常裁治権を持つ主体にはなり得ません。つまり、処罰されていない者、という意味です。ローマは常に、私たちの司祭は聖職停止の罰を受けている、なぜなら彼らは修道会に所属して(incardinare して)いないからだ、と。もちろん、一地方司教が教会法を正しく遵守せずに聖ピオ十世会を不当かつ無効なやり方で廃止してしまったので、聖ピオ十世会司祭は聖ピオ十世会に所属して(incardinare して)いる、と私たちは言っています。しかし、ローマは、【聖ピオ十世会は廃止されているので】私たちの司祭は聖職停止のもとにあると言い続け、今日に至るまでそうしています。聖職停止、これは何を意味するのでしょうか? これは、その正確な意味は、司祭がその職務を執行することを禁じること、ここで言う職務とは、ミサであったり、その他の秘跡だったり、告解もその中に含まれています。しかし【フランシスコ教皇は】通常裁治権を与えると言っています[6]。つまり、例外的ケース、例えば死の危険にある場合のように例外的栽治権ではありません。教会は実際のところ、こういった場合のことを予見しています。ある人が死の危険にある場合、道で死にかけている場合、すべての司祭はその身分に関係なく、たとえその司祭が破門されていたとしても、カトリックではないが有効に叙階された正教の司祭であっても、その時は告解を聞くことができ、有効にだけでなく合法にゆるしを与えることができます。これは例外的なものです。これは「通常栽治権」ではありません。ここで私たちが話しているのは通常栽治権のことです。裁治権の通常行使権を持ち、実行できるためには、繰り返しますが、いかなる制裁も受けていない必要があります。教皇がこの通常行使権を私たちに与えると宣言されたその時、この事実によって制裁は取り消された、廃止された、と教皇は暗示しています。これこそが、教会法による、──教会法の何条とか何それの書簡だけによるのではなく、教会法の精神による──教皇のこの命令を理解するための唯一の方法です。
6-ローマから派遣された高位聖職者らの訪問──教義上のまだ解決されていない問題は?
この訪問はたいへん益あるものでした。確かに、聖ピオ十世会の一部の人々は、やや疑惑の目を彼らに向けていました。「この司教たちは私たちの居場所で何をするつもりか?」と。しかし! これは私の見方ではありませんでした。この招きはローマから来ました。たぶん、私が彼らに提案した考えの結果でしょう。それはこうです。「あなた方は私たちを知りません。私たちはここ、ローマの事務室で話し合っています。私たちのところに見に来て下さい。私たちに見に来ない限り、私たちを本当に知ったことにはならないでしょう」と。宣言文や公式発表は──インターネット上で大反響を呼んだにしろ、そうでないにしろ──私たちのあるがままの姿を知らせることはできません。こういった公式発表ではほとんどの場合、私たちの公的立場を取らねばならず、現在の教会内で出された、しかじかの表現やなにがしの行動を排斥さえしなければならないときがあります。しかし、カトリックとしての私たちの生活は、これだけで要約できるものではありません。本質的なことはそれ以外のところに見いだせるとさえ言えます。本質的なこととは、天主の十戒に従いつつ、私たち自身の聖化に励みつつ、罪を避けながら、教会の全規定に従って生きるため、私たちがカトリック信仰を生き抜くという意志にあります。私たちの経営する学校、神学校、私たち司祭、私たちの司祭としての生活、この全てが、聖ピオ十世会のまことの現実を、私たちの現実の姿の全てを形作っています。
だから私は何度も主張しました。何度もこのように言いました。「ですから、私たちに会いに来て下さい」と。彼らは決してそう望みませんでした。その後、突然、私たちに会うために司教を派遣するという申し出があったのです。ローマが始め、どんな考えを持っていたとしても、私としてはこれは良い考えだと賛成しました。なぜか? この方法で、彼らは私たちをあるがままに見るだろうからです。事実、司教たちが訪問するすべての場所に、私が与えたモットーはこれでした。「何も変えないこと、良く見せようとしないこと、私たちは、あるがままの私たちだ、彼らにこの方法で私たちを見てもらいましょう!」そして、実際に、枢機卿一名、大司教一名、そして司教二名が私たちに会いにやって来て、さまざまな状況下で訪れて来ました。ある方は神学校に、また修道院にも来られました。これら機会の話し合いの最中に、これらの出会いの最中とその後に、出された第一印象やコメントは、とても興味深いものです。私がこのローマの招きを支援したとは正しかったのだと、これらのコメントは確認していると思います。
彼らが私たちに告げた最初のこと、全員が言ったこと、──これはそう言えと命じられた見解なのか、個人的な意見なのか? 私にはわかりませんが、事実です──彼らは皆、こう言いました。「これはカトリック信者同士の間で行われている話し合いだ。これはエキュメニカルな話し合いとは無縁だ。私たちはカトリック信者同士の中にいる」と。こうして最初から私たちは次のような考えを一掃しました。つまり「あなたたちは完全に教会の中にいるのではない、あなたたちは半分だけだ、教会の外にいる──それがどこなのかは天主のみがご存じですが!──離教的だ……!」といった考えは吹き飛んでいました。そうですとも! 私たちはカトリック信者同士で話し合いをしているのです。これが最初のポイントで、とても益あるもの、とても重要なものでした。時としては、現在のローマでさえなお、逆のことが言われているにも関わらず。
第二のポイントは──私はこれをさらに重要だと考えます──この話し合いで取り上げられている問題は、常に躓きの石であり続けている古典的な問題です。信教の自由、司教団体主義、エキュメニズム、新しいミサや、あるいは秘跡の新しい典礼様式についてでした。彼らは皆、この話し合いは、まだ解決されていない問題(オープン・クェスチョン)を議題として行われている、と言いました。この見解は第一級の重要性を持つと考えます。現在まで、彼らは常にこう主張してきました。「あなた方は公会議を受け入れなければならない」と。この言葉が意味する現実的意味を正確に述べることは困難です──「公会議を受け入れよ」これはどういう意味でしょうか?
第二バチカン公会議の諸文書は、均等な価値を持つものではありません。そこで第二バチカン公会議の諸文書の受け入れも、段階的な基準や、いろいろなレベルの拘束力に沿ってなされるものです。この事実があるからです。もしも文書が信仰に関する文書であるなら、ただ単純に受け入れる義務を持っています。ですが、完全に間違った方法で、公会議は不可謬であると主張し、公会議全体への完全な服従を要求するなら、これが「公会議を受け入れること」だとするなら、私たちは公会議を受け入れません、と言います。第二バチカン公会議の不可謬性を否定するからです。公会議のある文章が、教会が以前から不可謬のやり方で述べてきたことを繰り返しているのなら、間違いなくその文章は不可謬であり、不可謬性を維持しています。私たちはそれを受け入れますし、これに関して何の問題もありません。これこそ、誰かが「公会議を受け入れよ」と言う時に、その意味するものをはっきりと区別することが不可欠である理由です。にも関わらず、この区別をもってしても、ローマの側の断固とした主張「あなた方はこれらの論点を受け入れなければならない、これらは教会の教えの一部であり、従って受け入れなければならない」ということに、現在に至るまで私たちは気づいています。ローマでだけでなく、司教たちのほぼ大多数にも、私たちへのこの態度、「あなた方は公会議を受け入れていない」という重大な非難を見ています。
ところが、今、突然、躓きの石であり続けてきたこの論点について、ローマからの使者たちは、解決されていない問題だ、開かれた問題だ、と告げています。開かれた問題とは、議論の余地がある、議論可能な問題です。ある立場に固執しなけばならないという拘束力は、実質上、そしておそらく全体的に、軽減され、あるいは撤回されてさえいます。これは極めて重大なポイントだと私は思います。これが確認されるかどうかは、私たちが第二バチカン公会議について自由に、さらに言えば、率直に、本当に話し合うことが可能なのかどうかは、後で見てみることになるでしょう。ローマ当局に払うべきあらゆる敬意をもって、非常な混乱に陥っている教会の現状をさらに悪化させないように、正確に信仰について、信ずべきことについて、話し合うことができるかを。ここで私たちは明確さを、当局からの明確化を求めているのです。私たちはこれを長いこと要求してきました。「この公会議には曖昧な論点がいくつもあります。これらを明確にするのは私たちではありません。私たちは問題を指摘できますが、これらを明確にするのは、本当はローマの側なのです」と。繰り返しますが、それにも関わらず、これらの司教たちが、公会議には明らかな問題があると言ってきた事実は、私の意見では、極めて重大なことです。
話し合い自体は、私たちの対話者ひとりひとりの人柄に沿って行われました。おおよそ喜ばしいものでした。なぜなら良いやりとりもありましたからです。その中には必ずしも同意できないものもありましたが……。それでも、対話した人々全員は、その評価について満場一致していました。つまり彼らは話し合いに満足していた、ということです。自分たちの訪問にも満足していました。彼らは神学生たちの資質をこう言って褒めていました。「彼らはごく正常だ(よかった! ここから始めなければならないとは……)、偏屈でも鈍感でもないし、それどころか生き生きして、おおらかで、楽しそうで、ひとりひとりは普通の、ごく素朴な人たちだ」と。この言葉は訪問者全員の口から出ました。これは人間的側面であることは否定しようもありませんが、この側面を忘れてしまうべきではありません。
私にとってこの話し合いは、あるいはもっと正確に言えば、話し合いのより簡単な側面は大切です。問題の一つは、不信頼です。確かに、私たちはこの不信頼を抱いています。そしてローマもまた、私たちに対して同じ思いを抱いていると言えると思います。この不信頼が上まわっている限り、自然の傾きは、言われたことを何であれ悪く解釈し、あるいは解決法が提案されてもできる限り最悪のシナリオを想定してしまう、ということです。私たちがこの不信頼の目で物事を見ている限り、ほとんど進歩はないでしょう。こういった「あらかじめそうであると決めつけた非難」を取り除くためには、ある程度、最小限の信頼、平和な環境を持つことが不可欠です。私たちにはまだこの不信の目があることを認めますし、ローマの側もそうです。これは時間のかかることです。互いの人柄とその意向を正確に見極めるために、あらゆる偏見を超えるために。これには時間がかかるだろうと思います。
これはまた、善意を示すこと、私たちを壊す意向ではなく善意を示す行為を要求しています。現在でも、私たちはまだ心の奥底にこのような考えを秘めています。この態度はかなり広まってしまっています。つまり「ローマが私たちを望むなら、それは私たちを窒息させたいからだ。最終的には私たちを破壊し、完全に吸収し、分解してしまいたいからなのだ」と。これは統合ではない、崩壊だ!と。 こういった考えが優っている限り、間違いなく私たちは何も期待することはできません。
7-教会の現状──憂慮と希望
教会内で起きている一連の行為を見て、私には悩みの種がたくさんあります。混乱が大きくなっているのを見ています。まさに矛盾する要素から起きている混乱、教義や道徳、規定の希薄さから来る混乱です。教会が、自分一人一人の勝手なやり方に陥っています。司教たちは、言いたいことを言っています。しかも司教同士、互いに矛盾することを言っています。秩序への、公式の、明確な呼びかけもありません。どのようなものであれ、方針への呼びかけもゼロです。二、三年前にはまだ方針がありました。それは近代主義者の方針でした。例の第二バチカン公会議の精神でした。今日では、これらの問題に関して司教たちの間に、ローマにおいてさえも、深刻な不一致があるのがわかります。どの方針が勝利を得、どの方針が優っているのでしょうか? 今のところ、私には分かりません。
私たちが前進すればするほど近代主義者たちは衰退する、あるいは衰退させられるのは間違いないという、考察、しるしに寄りかかることができます。近代主義者たちには信者たちが減少し、召命も不足しています。衰退している教会です。これは真実です。他方では、大勢の若者たちが──正確に見積もるのは難しいですが、見ることができるほど十分に大きい数であるのがわかります──、全てのレベルで、特に教義レベルにおいて、教会はもっともっと厳粛なものであって欲しいと望んでいます。若者たち、神学生たちは、聖トマスを勉強することを望んでいます。健全な哲学への回帰を、明確で健全な神学を、聖トマスのスコラ神学を求めています。彼らの中には典礼を熱烈に求める者たちもいます……「刷新された」典礼のことではなく、聖伝の典礼へ戻ることを望んでいるのです。この若者たちの数は、目覚ましいものです。どのくらいの人数なのか推し量るのは私たちには難しいのですが、現行の神学校で、これらの若者たちの世話をして働いている司祭たちの声を聞くと、フランス、イギリスで、新しい神学生たちの50%は聖伝のミサを熱望しているのだと教えてくれさえします。多すぎるのではないかと私には思えるのですが、それが本当であることを望みます。
それにも関わらず、こういった傾向ははっきりとわかるのです。グラフの上昇ラインを示していて、何年にも渡ってこの傾向が成長していくのを見ています。ただ一つだけ例を挙げますと、去年からというもの、結婚とカトリック家庭に関するシノドの問題に関して、二つの陣営の間に以前よりもずっとはっきりとした対立があるとわかります。これは保守派が強力になってきたことが原因だと思います。間違いなく、彼らの数、少なくとも彼らの強さが徐々に高まってきていると思います。他方では、今なお多数派が支配しているとしても、力を失ってきていて、強制することができなくなってきている、少なくとも今までそうであったように何もかもを強いることはできなくなっています。
かくして、この二つの路線が存在しています。この状況下での私たちの未来はどんなものでしょうか? 何よりもまず、しっかりと維持することです。大混乱があります。勝利するのは誰か? 誰にもわかりません。これは私たちとローマとの関係をひどく困難なものにしています。なぜなら私たちは、多くの議論を重ねたのち、明日、私たちがようやくのことで同意に達するような文書が、決定的な文書となるのかどうかを知らずに、議論の相手と話し合いをしているからです。2012年には、一つの文書がどのように、干渉によって直され修正されていくのか、そのさまを私たちは目撃してきました。この干渉は、より高位のローマ当局からのものでしたが、それは教皇様ではありませんでした。ここでも、教会を統治しているのは誰なのでしょうか? これは未回答のまま残される非常に意味深い問いだと思います。はっきりと定義できない勢力が存在するのです……。
8-私たちは聖母に何を願うべきか?
ああ! たくさんのことをです! 何よりもまず救霊を。私たちの救霊を、一人一人の救霊を、聖ピオ十世会に、聖ピオ十世会司祭たちに、みずからを委ね、やって来る一人一人の霊魂たちの救霊をです。ですから聖ピオ十世会が忠実であるよう聖母に願いましょう。教会への忠実を。私たちの手にある教会のすべての宝──なぜなのか、どうしてなのかは天主だけがご存知です──教会の宝である非凡な遺産への忠実を。これは私たちのものではありません。私たちの唯一の願望は、教会の中にこの宝のための場所を、正当な場所を取り戻すことだけです。
聖母の凱旋を求めましょう。聖母はこれを告知されました。私がいつも言っていることですが、私たちは待たされ続けていて、少しじれったくさえなります。特にこれと矛盾するように見えるあらゆることが起きているのを見る時に。でも、これは矛盾ではないのです。天主がお許しになる発展段階に過ぎません。恐るべき、身震いする勝負です──すなわち、人間の自由が、天が要求なさることとに答えていないことです、キリスト信徒でさえもそうです。ファチマで宣言された天の意向──つまり、天主の意向──キリスト信者たちの心にマリアのけがれなき御心への信心を導入すること、それがなされるにはあまりにも苦労しています。でも、これはそれほど難しいことではありません。これは非常に素晴らしいこと、非常な慰めなのです! 善き主とサタンとの間のこの主要な戦い、天主が自由であるように計画され、武器によることなく征服することを望まれた霊魂を戦場とするこの戦いを私たちは理解しています。全人類に膝をかがめさせるというやり方で、天主はご自分の意志を威厳をもって課すことがおできになるのです──これは世の終わりに起きることでしょうが、それはずっと後のことでしょう。戦闘は今、行われているのです。
ですから、天主のために霊魂を勝ち取る恩寵を、この事業に協力する恩寵を願いましょう! このようにして私たちは多くのことを天主に願うのです。救霊という使命を成し遂げるためのすべての要素を教会が再発見することができるよう、私たちは天主に願います。一つのこと、教会のためになる第一の、唯一の材料は霊魂の救いです!
インタビュー独特の雰囲気を残しておくため、話し言葉のまま載せてあります。
(Video interview filmed by DICI on March 4, 2016―Transcription and translation DICI dated March 21, 2016)
[1] See, in DICI no. 332 dated March 11, 2016, “Press clippings: Aftermath of Bishop de Galarreta’s conference in Bailly”.
[2] These preconditions were: the Tridentine Mass granted to all priests and lifting the censures against the Society. See DICI no. 74 dated April 12, 2003.
[3] From October 2009 to April 2011.
[4] Here is the answer of Msgr. Guido Pozzo, Secretary of the Ecclesia Dei Commission, in the interview that he granted to Zenit on February 25, 2016. Question: “Your Excellency, in 2009 Pope Benedict XVI lifted the excommunication of the Society of Saint Pius X. Does that mean that now they are once again in communion with Rome?” Answer: “Since Benedict XVI lifted the censure of the excommunication of the bishops of the SSPX (2009), they are no longer subject to that grave ecclesiastical penalty. Even after that step, however, the SSPX is still in an irregular situation, because it has not received canonical recognition by the Holy See. As long as the Society has no canonical status in the Church, its ministers do not exercise in a legitimate way the ministry and the celebration of the sacraments. According to the formula of then-Cardinal Bergoglio in Buenos Aires and confirmed by Pope Francis to the Pontifical Commission Ecclesia Dei, the members of the SSPX are Catholics on the path toward full communion with the Holy See. This full communion will come when there is a canonical recognition of the Society.”
[5] Msgr. Pozzo, ibid.: “What appears crucial is to find a full convergence on what is required to be in full communion with the Apostolic See, namely the integrity of the Catholic Creed, the bond of the sacraments and the acceptance of the Supreme Magisterium of the Church.”
[6] 2015年9月1日、教皇フランシスコが新福音化推進評議会議長のサルバトーレ・フィジケッラ大司教宛に送った書簡:「わたしは、特別な配慮として、いつくしみの特別聖年の間に聖ピオ十世会の司祭からゆるしの秘跡を受けた信者の罪のゆるしを、有効かつ合法なものとすることを認めます。」