アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
4月29日から5月8日まで行った、聖ピオ十世会の長崎・秋田巡礼は多くのお恵みの内に終わりました。
愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、フィリピンからの巡礼者の一部をお連れして、5月9日には一日、東京の巡礼地を巡りました。
ほぼ、提案をいただいた通りに走るべき道のり(curriculum)を進めましたが、しかし、車を出して下さった方がおり、月曜日は美術館がお休みだったこと、フィリピンの巡礼者の要望や、小雨がぱらついてきたこともあり、それに適用させました。
私たちは、そこで、次を巡りました。
●シドッチ神父様ゆかりの地である、切支丹山屋敷跡
●カトリック浅草教会と、そこにある浅草・鳥越きりしたん殉教記念碑
江戸で最初の聖堂は、家康の許可を得て、八丁堀付近に1599年に建てられましたが、その後、幕府は1612年、直轄領に禁教令を敷き、八丁堀の聖堂も取り壊されました。
そのため、ルイス・ソテロ神父様らは、ハンセン病のキリシタンらとこの浅草の地に隠れて活動することとなりました。(1624年には、ルイス・ソテロ神父様らは、長崎の放虎原で生きながら焼かれて殉教します。)
1613年8月、キリシタンたちは一斉に捕えられ、小伝馬町の牢屋敷などに投獄されました。その数は3700名、特に1500名は特別な監視下におかれました。
指導的な立場にあった信徒らや、棄教したものの信仰に立ち返った人ら30名近くが、浅草の鳥越刑場で斬首されました。
浅草は、ヨハネ原主水が身を寄せていた地としても知られています。
(浅草では、日本のお土産を買いたいという要望のために、浅草の仲見世にも行き、近くのおそば屋さんでお昼をいただきました。)
●皇居
●高輪カトリック教会とそこにある江戸の殉教者顕彰碑
高輪カトリック教会に行く途中で、「札の辻」を通りました。札の辻は、東海道から江戸への正面入口で、高札場が設けられており、切支丹禁教令もこの高札場に掲げられ、札の辻は同時に刑場としても用いられておりました。
1623年12月4日、第3代将軍徳川家光は江戸にいる諸大名にキリシタン禁制を徹底させるため、伝馬町牢屋敷にいた50人の首に縄をかけ、手を後ろ手に縛り、日本橋、新橋、田町と人目にさらしながら、札の辻刑場まで引き回し、イエズス会のアンジェリス神父様、フランシスコ会のガルベス神父様、ヨハネ原主水らが火あぶりとなりました。これを元和キリシタン大殉教といいます。アンジェリス神父様は、秋田の方に宣教を担当者でした。
カトリック高輪教会は、江戸の大殉教地である札の辻に近く、殉教者の元后聖母マリアに捧げられています。
特にフィリピンの方々にとって好評だったのは、高輪カトリック教会の殉教の絵(江副隆愛画伯の筆による「江戸大殉教図」)と小さな資料室でした。江戸大殉教図には、イエズス会のアンジェリス神父様、フランシスコ会のガルベス神父様、ヨハネ原主水らの姿がありありと描かれています。
【感想】
今回の巡礼者の皆様のご感想をいくつか拾ってみると、次の様でした。
* 高輪カトリック教会の殉教の絵が良かった。(石碑だけだとイメージがわかない。)
* 日本には殉教者が多いことがよく分かった。
* 皇居が広かったが、天国はもっと広いだろうと想像できた。
* 1597年、秀吉が最初の殉教者を出すと、翌1598年に、秀吉も死んでいる。
* 1599年、家康が江戸に教会を建てることを許可すると、翌1600年家康は関ヶ原の戦いで勝っている。
* 江戸でこんなに殉教者の聖地があったことをあらためて認識した。
* キリシタンたちは、病院を建ててライ病人の面倒を見たり、貧しい人を助けたりしていて、政府に逆らったわけでもないのに、何故迫害されたのか分からない。
* 殉教とは関係ないけれども、良き盗賊ディスマスはマリア様の立っていた側で十字架につけられたので、改心のお恵みを最後にもらったと思った。
私の個人的な感想としては、今回の巡礼では行くことができませんでしたが、「伝馬町牢屋敷」には、1612年のキリシタン禁教令以来、1500名のキリシタンが収容され、拷問を受けたという事実を今回、あらためて認識しました。この牢に、元和の大殉教で殉教したヨハネ原主水が入れられ、ローマまで歩いて行って司祭になったペトロ岐部が穴吊るしにより殉教したのも、ここ伝馬町牢屋敷だったという歴史的事実を知りました。当時のキリシタン弾圧の象徴だったということを知りました。
今回の東京の殉教聖地巡礼は、一日だけでしたが、私にとってとても意義の深いものでした。
長崎巡礼では、いろいろなことを思いました。特に、最初から最後まで、聖母マリアさまがこの巡礼を全て心配りをして下さって、導いて下さっていた、ということです。何故なら、天候やその他のプログラムがあまりにも、うまくいって、聖母マリアでなければこれほどうまくは行かないと確信したからです。
特に、永井博士の亡くなった5月1日の命日に如己堂を訪問したのは、天主の御摂理を感じました。(1951年5月1日 - 2016年5月1日)
[永井隆博士辞世の句]
白ばらの花より香り立つごとく
この身をはなれ昇りゆくらむ
永井博士の作詞した「ルドビコさま」を皆で歌ったのですが、この歌がとても胸に響き、涙なしには歌えませんでした。
「ルドビコさま」
(作詞・永井隆)
ルドビコさまは 十二才
耳をそがれて しばられて
歩む千キロ 雪の道
ちいさい足あと 血がにじむ
ルドビコさまが にっこりと
笑って 槍を受けたとき
西坂丘の 夕映えに
ほろりと散った 梅の花
永井博士の作詞した「白百合乙女」という歌のことも知りました。
はんさいの 炎の中に
歌いつつ白百合乙女
もえにけるかも
はんさいの 炎の中に
歌いつつ白百合乙女
燃にけるかも
それでは巡礼者の方々のご報告を一部ご紹介します。
最後に、この巡礼のために、陰で手伝って下さった多くの方々に心から感謝します。また、東京では一日、フィリピンの巡礼団とつきあって下さって車を出して下った兄弟に、深く感謝します。
そのような方々が、聖母マリア様の御手にてお手伝いして下さったので、聖母マリアの思いの通りに、巡礼がうまく行ったのだと思います。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
Dear Father Thomas!
I thank you so much for inviting me to the pilgrimmage, for great organization and ... for being a great Tool of the Immaculata! And Our Lady is obviously beyond any description..wonderful!
Deo Gratias to you and all the great faithful who have been with us.
Pax!!
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
小野田神父さま長崎秋田巡礼を計画して下さり沢山のお恵みをありがとうございます。
信仰のお友だちも沢山できました。トリエントのお話を沢山しました。皆とっても素敵な厚い信仰を持った方々でした。
秋田のマリアさまに5日間毎日お逢いすることができ、嬉しかったです。こんなお恵みはないと思いました。
そして、シュテーリン神父さまが大好きになりました!彼は聖人のようです。最後のごミサでは感動して涙がでてしまいました。
聖母の騎士になることが私の参加の目的でしたので、入会することができたことを天主さまに感謝致します。
どうぞよろしくお願いいたします。
【お返事】
私も、今回、シュテーリン神父様からのすばらしいお話を伺えて大変感謝しております。
シュテーリン神父様がアジア管区に与えられたことを天主様に感謝します。シュテーリン神父様は、来る8月に大阪で聖母黙想会を指導して下さいます。
どうぞ、できるだけ、ご参加を考えて下さい。
【報告】
アヴェ・マリア.・インマクラータ! 小野田神父様
長崎秋田巡礼に参加させていただきましたこと本当にありがとうございます!
御母マリア様はこの出来損ないの私の霊魂をもこのように面倒をみてくださり この2016年の長崎秋田巡礼を通して必要な御恵みをくださいました。感謝に堪えません。小野田神父様と二人の神父様、ヨゼフ家の皆様のおかげです、特に小野田神父様のお仕事ぶりには頭が下がりただただ感謝しお祈りするばかりです。
秋田では、霊的講話を拝聴して「この世はあっという間に過ぎ去るものであり」、「汚れなき御心のマリア様に倣って、霊魂というカリスをいつも空にする」こと、いつも小野田神父様がおっしゃられていることがようやく深く浸み込んでまいりましたことを感じました。
小野田神父様が東京と大阪の巡回教会に付けられた名称を思い浮かべ感慨深く感じ入りました。他にもいろいろなお話が一人修練をするうえでの次の道しるべとなりました、霊的ご指導に感謝です。
それ以上に今何をどのように祈ればよいかが明らかになり、無原罪聖母の騎士会に入会させていただいたことを感謝いたします。本当に 長崎から秋田までの中で、ずっと汚れなき御心のマリア様に守られ抱かれての巡礼だったように思います。この巡礼は霊的にはまだ続いているのですね。
一人でも多くの方々がこのミサに与れますようにお祈り申し上げるばかりです。遅れば
せながらお伝え申し上げます。
【お返事】
おっしゃるとおり、聖母マリアさまが今回の巡礼を全て導いて下さったと実感しました。
また、これは予告編で、私たちの人生の天国への旅路も、聖母マリアさまが導いて下さっている、ずっと続けて導かれる、と確信しました。
聖母マリアさまが、憐れみの母である、ということを、今回、単語の意味だけではなく、その深い内容が理解できて感謝しております。
聖母マリアよ、我らを憐れみ給え!
【報告】
+アヴェ・マリア・インマクラータ!
小野田神父様、
今年も素晴らしい巡礼をありがとうございました。
小野田神父さまがお疲れになりすぎるのではないかと、大変心配になりました。
神父さまが、お知らせや会計や案内などの雑事から、できるだけ解放されて、御ミサや講話など聖なる働きにのみ専心できるような環境になるようにお祈りしたいと思います。
祈りと感謝のうちに
【お返事】
天主様の御憐れみと聖母マリア様の御助けで、実は、多くの兄弟姉妹の皆様によって助けてもらっております。あたかも存在していないかのように、慎ましく、あまりにも目立たないやり方なので、私が全部やっているような印象を与えてくれています。天主様に感謝!このような方々にいつも感謝でいっぱいです。このような兄弟姉妹には、天主様が何十倍、何百倍もの報いが与えて下さいますように!
愛する兄弟姉妹の皆様、
4月29日から5月8日まで行った、聖ピオ十世会の長崎・秋田巡礼は多くのお恵みの内に終わりました。
愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、フィリピンからの巡礼者の一部をお連れして、5月9日には一日、東京の巡礼地を巡りました。
ほぼ、提案をいただいた通りに走るべき道のり(curriculum)を進めましたが、しかし、車を出して下さった方がおり、月曜日は美術館がお休みだったこと、フィリピンの巡礼者の要望や、小雨がぱらついてきたこともあり、それに適用させました。
私たちは、そこで、次を巡りました。
●シドッチ神父様ゆかりの地である、切支丹山屋敷跡
●カトリック浅草教会と、そこにある浅草・鳥越きりしたん殉教記念碑
江戸で最初の聖堂は、家康の許可を得て、八丁堀付近に1599年に建てられましたが、その後、幕府は1612年、直轄領に禁教令を敷き、八丁堀の聖堂も取り壊されました。
そのため、ルイス・ソテロ神父様らは、ハンセン病のキリシタンらとこの浅草の地に隠れて活動することとなりました。(1624年には、ルイス・ソテロ神父様らは、長崎の放虎原で生きながら焼かれて殉教します。)
1613年8月、キリシタンたちは一斉に捕えられ、小伝馬町の牢屋敷などに投獄されました。その数は3700名、特に1500名は特別な監視下におかれました。
指導的な立場にあった信徒らや、棄教したものの信仰に立ち返った人ら30名近くが、浅草の鳥越刑場で斬首されました。
浅草は、ヨハネ原主水が身を寄せていた地としても知られています。
(浅草では、日本のお土産を買いたいという要望のために、浅草の仲見世にも行き、近くのおそば屋さんでお昼をいただきました。)
●皇居
●高輪カトリック教会とそこにある江戸の殉教者顕彰碑
高輪カトリック教会に行く途中で、「札の辻」を通りました。札の辻は、東海道から江戸への正面入口で、高札場が設けられており、切支丹禁教令もこの高札場に掲げられ、札の辻は同時に刑場としても用いられておりました。
1623年12月4日、第3代将軍徳川家光は江戸にいる諸大名にキリシタン禁制を徹底させるため、伝馬町牢屋敷にいた50人の首に縄をかけ、手を後ろ手に縛り、日本橋、新橋、田町と人目にさらしながら、札の辻刑場まで引き回し、イエズス会のアンジェリス神父様、フランシスコ会のガルベス神父様、ヨハネ原主水らが火あぶりとなりました。これを元和キリシタン大殉教といいます。アンジェリス神父様は、秋田の方に宣教を担当者でした。
カトリック高輪教会は、江戸の大殉教地である札の辻に近く、殉教者の元后聖母マリアに捧げられています。
特にフィリピンの方々にとって好評だったのは、高輪カトリック教会の殉教の絵(江副隆愛画伯の筆による「江戸大殉教図」)と小さな資料室でした。江戸大殉教図には、イエズス会のアンジェリス神父様、フランシスコ会のガルベス神父様、ヨハネ原主水らの姿がありありと描かれています。
【感想】
今回の巡礼者の皆様のご感想をいくつか拾ってみると、次の様でした。
* 高輪カトリック教会の殉教の絵が良かった。(石碑だけだとイメージがわかない。)
* 日本には殉教者が多いことがよく分かった。
* 皇居が広かったが、天国はもっと広いだろうと想像できた。
* 1597年、秀吉が最初の殉教者を出すと、翌1598年に、秀吉も死んでいる。
* 1599年、家康が江戸に教会を建てることを許可すると、翌1600年家康は関ヶ原の戦いで勝っている。
* 江戸でこんなに殉教者の聖地があったことをあらためて認識した。
* キリシタンたちは、病院を建ててライ病人の面倒を見たり、貧しい人を助けたりしていて、政府に逆らったわけでもないのに、何故迫害されたのか分からない。
* 殉教とは関係ないけれども、良き盗賊ディスマスはマリア様の立っていた側で十字架につけられたので、改心のお恵みを最後にもらったと思った。
私の個人的な感想としては、今回の巡礼では行くことができませんでしたが、「伝馬町牢屋敷」には、1612年のキリシタン禁教令以来、1500名のキリシタンが収容され、拷問を受けたという事実を今回、あらためて認識しました。この牢に、元和の大殉教で殉教したヨハネ原主水が入れられ、ローマまで歩いて行って司祭になったペトロ岐部が穴吊るしにより殉教したのも、ここ伝馬町牢屋敷だったという歴史的事実を知りました。当時のキリシタン弾圧の象徴だったということを知りました。
今回の東京の殉教聖地巡礼は、一日だけでしたが、私にとってとても意義の深いものでした。
長崎巡礼では、いろいろなことを思いました。特に、最初から最後まで、聖母マリアさまがこの巡礼を全て心配りをして下さって、導いて下さっていた、ということです。何故なら、天候やその他のプログラムがあまりにも、うまくいって、聖母マリアでなければこれほどうまくは行かないと確信したからです。
特に、永井博士の亡くなった5月1日の命日に如己堂を訪問したのは、天主の御摂理を感じました。(1951年5月1日 - 2016年5月1日)
[永井隆博士辞世の句]
白ばらの花より香り立つごとく
この身をはなれ昇りゆくらむ
永井博士の作詞した「ルドビコさま」を皆で歌ったのですが、この歌がとても胸に響き、涙なしには歌えませんでした。
「ルドビコさま」
(作詞・永井隆)
ルドビコさまは 十二才
耳をそがれて しばられて
歩む千キロ 雪の道
ちいさい足あと 血がにじむ
ルドビコさまが にっこりと
笑って 槍を受けたとき
西坂丘の 夕映えに
ほろりと散った 梅の花
永井博士の作詞した「白百合乙女」という歌のことも知りました。
はんさいの 炎の中に
歌いつつ白百合乙女
もえにけるかも
はんさいの 炎の中に
歌いつつ白百合乙女
燃にけるかも
それでは巡礼者の方々のご報告を一部ご紹介します。
最後に、この巡礼のために、陰で手伝って下さった多くの方々に心から感謝します。また、東京では一日、フィリピンの巡礼団とつきあって下さって車を出して下った兄弟に、深く感謝します。
そのような方々が、聖母マリア様の御手にてお手伝いして下さったので、聖母マリアの思いの通りに、巡礼がうまく行ったのだと思います。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
Dear Father Thomas!
I thank you so much for inviting me to the pilgrimmage, for great organization and ... for being a great Tool of the Immaculata! And Our Lady is obviously beyond any description..wonderful!
Deo Gratias to you and all the great faithful who have been with us.
Pax!!
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
小野田神父さま長崎秋田巡礼を計画して下さり沢山のお恵みをありがとうございます。
信仰のお友だちも沢山できました。トリエントのお話を沢山しました。皆とっても素敵な厚い信仰を持った方々でした。
秋田のマリアさまに5日間毎日お逢いすることができ、嬉しかったです。こんなお恵みはないと思いました。
そして、シュテーリン神父さまが大好きになりました!彼は聖人のようです。最後のごミサでは感動して涙がでてしまいました。
聖母の騎士になることが私の参加の目的でしたので、入会することができたことを天主さまに感謝致します。
どうぞよろしくお願いいたします。
【お返事】
私も、今回、シュテーリン神父様からのすばらしいお話を伺えて大変感謝しております。
シュテーリン神父様がアジア管区に与えられたことを天主様に感謝します。シュテーリン神父様は、来る8月に大阪で聖母黙想会を指導して下さいます。
どうぞ、できるだけ、ご参加を考えて下さい。
【報告】
アヴェ・マリア.・インマクラータ! 小野田神父様
長崎秋田巡礼に参加させていただきましたこと本当にありがとうございます!
御母マリア様はこの出来損ないの私の霊魂をもこのように面倒をみてくださり この2016年の長崎秋田巡礼を通して必要な御恵みをくださいました。感謝に堪えません。小野田神父様と二人の神父様、ヨゼフ家の皆様のおかげです、特に小野田神父様のお仕事ぶりには頭が下がりただただ感謝しお祈りするばかりです。
秋田では、霊的講話を拝聴して「この世はあっという間に過ぎ去るものであり」、「汚れなき御心のマリア様に倣って、霊魂というカリスをいつも空にする」こと、いつも小野田神父様がおっしゃられていることがようやく深く浸み込んでまいりましたことを感じました。
小野田神父様が東京と大阪の巡回教会に付けられた名称を思い浮かべ感慨深く感じ入りました。他にもいろいろなお話が一人修練をするうえでの次の道しるべとなりました、霊的ご指導に感謝です。
それ以上に今何をどのように祈ればよいかが明らかになり、無原罪聖母の騎士会に入会させていただいたことを感謝いたします。本当に 長崎から秋田までの中で、ずっと汚れなき御心のマリア様に守られ抱かれての巡礼だったように思います。この巡礼は霊的にはまだ続いているのですね。
一人でも多くの方々がこのミサに与れますようにお祈り申し上げるばかりです。遅れば
せながらお伝え申し上げます。
【お返事】
おっしゃるとおり、聖母マリアさまが今回の巡礼を全て導いて下さったと実感しました。
また、これは予告編で、私たちの人生の天国への旅路も、聖母マリアさまが導いて下さっている、ずっと続けて導かれる、と確信しました。
聖母マリアさまが、憐れみの母である、ということを、今回、単語の意味だけではなく、その深い内容が理解できて感謝しております。
聖母マリアよ、我らを憐れみ給え!
【報告】
+アヴェ・マリア・インマクラータ!
小野田神父様、
今年も素晴らしい巡礼をありがとうございました。
小野田神父さまがお疲れになりすぎるのではないかと、大変心配になりました。
神父さまが、お知らせや会計や案内などの雑事から、できるだけ解放されて、御ミサや講話など聖なる働きにのみ専心できるような環境になるようにお祈りしたいと思います。
祈りと感謝のうちに
【お返事】
天主様の御憐れみと聖母マリア様の御助けで、実は、多くの兄弟姉妹の皆様によって助けてもらっております。あたかも存在していないかのように、慎ましく、あまりにも目立たないやり方なので、私が全部やっているような印象を与えてくれています。天主様に感謝!このような方々にいつも感謝でいっぱいです。このような兄弟姉妹には、天主様が何十倍、何百倍もの報いが与えて下さいますように!