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2016年6月の聖伝のミサの報告(その1):聖ピオ十世会 SSPX JAPAN

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 天主様に感謝! 6月は、私にとって、大阪の新しい聖堂での初ミサをすることができました!美しい聖堂が与えられたことを天主様に感謝します。またこれができるために多くの愛する兄弟姉妹の皆様から受けた協力を感謝します!


 大阪と東京での公教要理には、「一粒の白米が地に落ちて死ぬなら --- 福者中浦ジュリアン」という題で、日本の地に落ちた「一つの白米」である百八十八福殉教者の一人である中浦ジュリアンに焦点を絞って、お話をしました。
何故、「一粒の麦」ではなく「一つの白米」なのか? 
福者中浦ジュリアンは、ヨーロッパに行ってどんなことを思っただろうか?
私が福者中浦ジュリアンだったら、何を思い、何をしただろか?
殉教者の心を理解することを求めました。


 ハーバード大学のリチャード・ライト(Richard Light)教授によると、効果的な学習のために「一分間ペーパー(one-minute paper)」を最後に実施することを提案しています。これは、授業の最後に、一枚の白紙に、名前を書かずに、二つの質問を学生に書いてもらうことです。

最初の質問は、今日の授業であなたが学んだ重大な観念、これだ!と分かった核心的なアイデアは何でしたか?今日の授業であなたが学んだ一番重要なことは何ですか? What was the big idea you learned in class today? What was the most important thing you learned during this session?」です。

第2の質問は、今日の授業でよく分からない点、明確ではなかったところは何ですか?回答を得なかった疑問は何ですか? What is the unclear point in class today? What important question remains unanswered?」

教室を出るときにこの紙を指定の段ボール箱に入れていきます。

学生は、この二つの質問に答えるために、授業を一生懸命に聞きますし、何を理解したか、何が理解できなかったのかを頭を使って考えます。

教授は、この回答を五分以内に全て読むことができ、この授業の「でき」のフィードバックを得ることができます。次の授業は、この回答を基礎にして始めることができます。

そこで、私も公教要理や聖伝のミサに与った方々に、もしもよろしかったら、より効果的な黙想や、信仰の知識が私たちの実際の生活へより良く転移するために、ハーバード大学式にこの小さな「報告」をメールに書いて下さることを提案しています。更にこの報告を、このブログで分かち合うことによって、報告をより有益なものに書こうと努力して下さることが期待できます。

これは、ミサ聖祭に与ることが単なる受け身のことではなく、あるいはカトリック信仰の知識が断片的な情報としてとどまるだけではなく、21世紀に生きる私たちの生活を照らす光とするための一つの手段です。ライト(Light)教授の提案が、私たちの信仰生活を照らす助けの一つとなると思うからです。

「カトリック信仰について学ぶ」ことと、「カトリック信者となることを学ぶ」と言うことには違いがあるからです。頭の中だけの公教要理の知識だけではなく、公教要理の知識を使って生活することを狙っているからです。

是非、今まで報告を書いたことがなかった方々も、次の聖伝のミサに与って、「ああ、そうか! これか!! と分かったこと、これだ!と思った核心的な内容は何だったか、そうだったのか!と感じた一番重要なこと、などを教えて下されば幸いです。それを書こうと努力すること、それだけでミサ聖祭に能動的に集中するようになります。

また、よく分からない点、明確ではなかったところ、回答を得なかった疑問は何だったのか、またまだ未解決に残っている点について、も書こうとすることによって、自分はいったい何を理解しているのかが分かってきます。

ロヨラの聖イグナチオも、黙想の終わりに似たようなことをさせています。

多くの愛する兄弟姉妹の皆様が、聖伝のミサに与ってますます多くの霊的な実りを得ることを祈っております。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

6月の初金、初土の大阪での御ミサの報告をお送りいたします。

6月3日(初金) 至聖なるイエズスの聖心の祝日 には14名が、
6月4日(初土) 聖母の汚れなき御心の随意ミサ には15名が御ミサに与るお恵みを頂きました。 デオグラチアス!

大阪に新聖堂が出来て初めての小野田神父様の御ミサが、イエズス様の聖心の大祝日のミサである事に、天主様の御摂理を感じます。
小さな聖堂ではありますが、ここから多くの御恵みが発信されることを予期せずにはいられませんでした。

金曜日のお説教をうかがって、イエズス様がどれ程私達を愛したい、また私達に愛してもらいたいと思っていらっしゃるかを強く感じました。
「美門」というエッセイを書いたイスラム教徒の青年の回心の話をしていただきました。全く私自身も足なえで、そのうえライ病にかかっていたのに、イエズス様の御恵みで聖伝の御ミサと、ほんとうのカトリックの信仰を知る事が出来たことがどれ程大きな御恵みであったかと思うと涙が出てきました。
そのあまりにも大きな愛ゆえに聖心は破裂して憐みと御恵みを流れださせる傷を作ったに違いないというお話にはイエズス様の深い大きすぎる愛に感動という言葉では物足らない何か、心に火が付くというか、ほんとうに何かが燃えているかのような感じがしました。
この日の御聖体拝領、ミサの後の御聖体降福式と聖時間までその火が続きました。

初土曜日のお説教ではイエズス様の聖心を知り、お愛しするためには全く同じ御心を持たれるマリア様に依り頼むことを確信させてくださいました。
自分がどれ程今までイエズス様とマリア様の御心を悲しませたかを考えて、今後は全身全霊でその御心をお慰めしなければならないとおもいました。

公教要理の時間の福者中浦ジュリアンについてのお話の中で「一粒の『米』が落ちて百倍もの多くの実を結ぶ」とのお話に、日本のカトリックの将来への大きな希望をもちました。
「一粒の米」として、天主様への愛のために、日本のためにご自分を殺して働いて下さる小野田神父様に天主様の大きな御恵みとお助けと、マリア様の特別の御保護がありますように!!!

昼食後、聖堂で聖歌練習がありました。この日は「Christus Vincit」を4声で練習しました。 感動して涙する方もいらっしゃったくらい うまくいったので次の御ミサの入堂の聖歌で歌う事になりました。
ちゃんとそれまで各パートを覚えていられるかどうかちょっと不安ではありますが・・・・。 

【お返事】
よい黙想ができて大変うれしく思います。

昼食後、聖堂で聖歌練習をして下さってうれしく思います。
是非、私も「Christus Vincit」を聞いてみたいと思います。
この頃、年を取ったせいか涙腺が弱くなっているので、私の時には退場の聖歌として歌って下さいね。ミサができなくなってしまうと困りますから。(^^;)

日本の開国後の最初の教会が、横浜の山手の「イエズスの聖心教会」でした。
日本で、聖ピオ十世会の名義による最初の聖堂で、私が6月の初金にイエズスの聖心の大祝日のミサを捧げることができたという御摂理を深い意味があることだと私も思いました。この日に聖伝のミサと、御聖体降福式による聖時間とを捧げることができて、ただただ天主の憐れみに感謝するばかりでした。

福者中浦ジュリアンを含む百八十八の福殉教者たちは、百倍もの多くの実を結ぶべく日本の地に落ちた「一粒の白米」、「一白米」だとこの列福の話を聞いたときにピーンと思いました。
これは東京では、スライドショーとホワイトボードがあってうまく説明できたのですが、何故なら、百八十八の福殉教者は、






なので、





だからです。(^_^)v


【ご報告】大阪の御復活の御ミサでの感想
+Ave Maria! Immculata!

私たちの大切な小野田神父様、大阪のミッションをありがとうございました。
終わることのないミッションで、どんなにかお疲れでしょうか。
神父様は、どんどんお痩せになっておられるように思います。

御聖体を安置くださり、その隣りの部屋でお目覚めになった朝に、どんなにか神父様がお喜びになられたかをお聞きして、天主様に、大阪の御聖堂をお与えくださったことを、改めて感謝いたしました。

小野田神父様が大阪の新御御堂で、初めてお捧げくださった御ミサが、至聖なるイエズス様の聖心の大祝日であったことに、天主様の特別な御摂理を感じ、感謝いたしました。
お説教では、イエズス様がどれほど、私たち人類を愛しておられ、無でしかない私たちからの愛を渇望されていらっしゃるかを、ひしひしと感じ、心に染み入りました。私は初金曜日の信心を初めて、来月で9回目となります。初金、初土の御ミサの恩恵を感謝しきれません。

初土曜日のお説教では、マリア様が天主に帰した栄光は、諸天使、諸聖人、全人類を合わせても、大海と一滴の水よりもかけ離れている。というお言葉が心に残りました。
また、飛行機の中でご覧になったニュースの話(ゴミ処理場であさっている子供たち、ゴミを奪いあって争っている姿に、韓国の大統領や女優さんが涙していた。)から、神父様は、その悲惨な状況は「罪の中にいる人類」であると連想されました。滅びの場所にいて、自分に害としかならない、滅ぶものに執着し、争っている状況だと。そしてその続きには永遠の滅びがあると。

お説教の後も、その話が心から離れませんでした。普通の人である韓国の女優さんでさえ涙するのなら、私たちでさえ、お風呂にいれてあげたい、清潔な服を着せて、栄養のある食べ物、飲みものをたくさん与えたい。そこから救ってあげたい。どうにかしてあげたい。と思うのならば、憐れみの御母は、どのように思われるか?何をなさろうとされるだろか?と黙想しました。そしてマリア様は憐れみの業を行い続けてくださっていることを痛感いたしました。

インマクラータを通してお与えくださる天主の恩恵、永遠の幸福を拒んだり、少しだけで良いです、と限定することの愚かさを、今ではとても良くわかります。願わくは、私の心が、清潔で、余計なものが入っていない、天主の恩恵をたっぷり受け止めることができる「器」となりますように。

初土曜日は、小野田神父様のご希望のとおり、神父様が出発された後、お昼ご飯のあとに聖堂に戻って、信徒で初土曜日の15分間の黙想をお捧げし、聖歌練習をいたしました。”Christus Vincit”を4声で歌う練習をいたしました。練習の最後には、心をこめて「祈り」として”Christus Vincit”を歌い、天主イエズス様の君臨を讃え、また地上で全ての人に讃えられますように、と願いました。

神父様、くれぐれもご無理なさいませんように。

至聖なるイエズス様の聖心よ、我らをあわれみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
いとも尊き聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ。

【お返事】
大阪では、お説教の時に韓国で見た高速バスでちらりと見た映像の話を、黙想に提案しました。

本当にその通りですね。韓国の方々が「国民の妹」と呼ぶ人気女優さんでさえ涙するのなら、私たちの憐れみの御母は、どれほど私たちのことを思って涙されていることでしょうか!私たちを悲惨な状態から救いたいと願っていることでしょうか!


【報告】
​アヴェ・マリア・インマクラータ!

6月3日の至聖なるイエズスの聖心の大祝日の御ミサ、そして御聖体降伏式、そして初土の御ミサなど色々ありがとうございました!!

日本で最初の聖ピオ十世会の常設の御聖堂ができて、主任司祭である小野田神父様が立てられる最初の御ミサが、この至聖なるイエズスの聖心の大祝日の御ミサになったということで、本当にマリア様のお取りはからいに感激致しました!!

その後の御聖体降福式でも、与った方々と一緒にイエズス様の聖心への奉献のお祈りができてとても嬉しかったです。

そして初土の御ミサのために御聖体がそのまま御聖櫃に安置されて、小野田神父様が司祭室にお泊まりになられて、その夜、御聖体と神父様が今大阪の御聖堂にいらっしゃる、という事を思うと幸せな気持ちになりました(*^^*)

日本に神父様の常駐の御恵みが与えられますように、M・Iの祈りの十字軍の意向の1つにさせて頂こうと思います!p(^^)q

初土の御ミサが終わって、皆さん昼食が終わった後に、小野田神父様が仰ってくださいましたので、数人で聖歌の練習をしました!♪長崎秋田巡礼でよく歌った「Christus Vincit」をポリフォニーで歌えるように練習しました!マリアさんがオルガンを弾いて下さり、会長様がBassを歌って下さり、とても良い感じになりましたので、来週の主日のレネー神父様の御ミサの入堂で歌う予定だそうです!(*^▽^*)とても楽しい一時でした♪
このように、御ミサの後に信者の方皆で聖歌の練習ができるというのも、常設の御聖堂ができたからこその御恵みで、そのように仰って下さった小野田神父様に感謝致します!

デオ・グラチアス!

【お返事】
新しい常設の御聖堂が新大阪の新御堂にできたことを、天主様に感謝します!
願わくは、天にあるごとく、極東にも御国の来たらんことを!
Christus Vincit! Christus Regnat! Christus Imperat!

【報告】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 15人(内、子供0人)
女: 26人(内、子供1人)
計: 41人(内、子供1人)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

トマス小野田神父様

ミサ聖祭後の小野田神父様による福者中浦ジュリアンの講話に関する報告
以下のとおり報告させていただきます。

1.これだ!と分かった点
「天正遣欧使節」なる歴史上の存在意義が、学生時代には、ピンとこなかったのですが、実にカトリック教皇様に最初にお会いできた日本人たちであり、教皇様に直接お会いすることの困難さを知る今からすると、その歴史的な意義は、単に東洋文化と西洋文化の出会いというにとどまらず、摂理的に大きな意味を有す るものであったということが理解できました。
ある意味で、摂理という点では、聖フランシスコ・ザビエルの来日と同じような意味を有する重要なイベントであったというようにも言えると思います。

2.今回そうだったのかと分かった一番重要な点
「天正遣欧使節」が4名おられたということは知っておりましたが、その行く末が(当然ながら)それぞれ違っており、殉教された方が福者中浦ジュリアンのみであり、中には、千々石ミゲルのように棄教するものもいたということは驚きました。

3.今回でもよくわからない点
殉教された福者中浦ジュリアンと棄教した千々石ミゲルの 行く末を分からしめたもの(こと)は一体、何だったのかという点がよくわかりません。
ともに天主様に選ばれて、同じ道を歩んでいたはずですが、天国と地獄(あるいは煉獄)とその歩みには大きな隔たりが生まれました。
その点、もう少し、知りたいと思いました。

以上、甚だ簡単ではありますが、ご報告とさせていただきます。

デオ・グラシアス!

【お返事】
ご報告をありがとうございます。
天正遣欧使節の副使節であった福者中浦ジュリアンと天正遣欧使節の正使節の千々石ミゲル、この二人はほぼ同じ出身であり、同じ選びを受けたにもかかわらず、その終わりは違っていました。
イエズス・キリストから選ばれた十二使徒たちも、同じ選びを受けたのですが、その末は違っています。
堅忍のためには、人間的な才能や能力ではなく、主の特別の憐れみが必要だと言うことを思い知らされます。
聖母マリアさまに、この御恵みをひたすらに乞い求めましょう。


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
トマス小野田神父様

御ミサのレポートをお送りいたします。

今回の御ミサを通して、お説教を拝聴して理解したことは
天主様がイエズス様が、どれほど私たちを愛し、霊魂を救い天国へ導きたいとお考えか、ということです。
この私たちの霊魂に対する深い愛、イエズス様の御心の愛熱、今現在この瞬間も
私たちへのその愛のために深く燃え続け、燃え尽きることなくるイエズス様の御心の愛への理解を深めることができました。
地獄の炎が霊魂達の罪を燃料に燃え続けて、硫黄の匂いと罵声と悲鳴を生み続けるのとは全く対象的に
イエズス様の聖心は私たちを助けたい、天主御父の御旨を果たしたい、という純粋な愛のために燃え続け
香しい聖徳の香りと多くの清い霊魂達の喜びと讃美の歌声を生んでいるのだ、と思いました。
全く対象的で私たちが死後行くべき道は、どちらか2つに1つであることを思うと
どちらを選ばねばならいか、またどちらを選ぶことが人間自然の判断か、といことは一目瞭然だと思いました。
また、そのお考え・ご計画に忠実であるということが私たちの義務であるということ
そのお考えを実行なさるために天主様はどれほど多くの助けを私たちにくださったのか、ということ
そして、その助けをいただくために私たちは自らを無であると認め、謙遜にならねばならないこと理解致しました。

優しい羊飼いが、1匹の羊を探すために夜の暗い森の中に入っていって、暗いので足を怪我したり
手を傷付けてしまって血を流しながら、獰猛な動物もいる中を大きな声で羊を呼んで夜通し歩き
声も枯れ果て、夜も明けてくる頃にやっと羊を見つけると、羊は木の枝に体が挟まって動けなくなっていて
白い毛はひどく汚れて怪我もしています。羊飼いは羊よりもっと大きな怪我をして、夜通し歩いているので疲れ果てているのに
羊を連れ帰るために手を更に傷つけて枝を折って、毛に枝や泥を付けて重く汚くなった羊を抱き抱えて、
でも羊が助かったのだから良かった!と言って森を出て行く姿を想像しました。
そんな姿を想像したら涙が出てきました。
しかし、これよりもっともっと大きな十字架の苦しみとその他にも数え切れない多くの無数の鞭打ちや嘲りや断食や、もっと多くの多くの犠牲を払ってイエズス様が私たちを愛し、探し求めて、罪から解放し、天国へ連れて行こうと思っていらっしゃるのだ・・・それがこの世に起こっている現実なのだ、と思うと涙が出てきました。

そして、いつもイエズス様が迎えにきて下さっているにも関わらず
それに対し、冷淡を持って応じる自分自身を深く反省致しました。
イエズス様の呼びかけと、送ってくださる様々な助けを借りることで、大きな慰めを受けることができるにも関わらず、
この世に死に切っておらず、この世の慰めを受けたがる惨めな罪人の私ですが
イエズス様!マリア様!憐れな罪人の私はここにおります、憐れんでください、
このイエズス様の聖心からあふれる憐れみと、その御血と、マリア様の汚れなき御心によって、マリア様のご謙遜に倣って罪から清めて、また聖寵を蒙らせてください!!とお願いすることができますように。

疑問に思った点は、①なぜ御心に対する信心はイエズス様とマリア様だけに限定されているか、②その私達のために美しい優しい愛熱に燃える御心とは何なのだろうか、ということです。
天主や天主なる聖霊や、他の聖人の方々も愛に燃える御心をお持ちだと思います。
天主と聖霊は完全なる霊でいらっしゃるので、御心をもたないのでしょうか...?
しかし、持たないという事はないので
霊=御心となるのでしょうか...?
とすると、イエズス様とマリア様お二人の御心に対する信心が特に私達に示され勧められているのは、イエズス様とマリア様が特別に際立って私達の救霊のために御心=霊魂を砕いて尽くしてくださったからなのでしょうか?

レポートではないのですが、
聖福音の例の中で、よい羊飼いがイエズス様ならば
ドラクマ銀貨を探す女性はマリア様のことではないかと思いました。
マリア様に依り頼めば、声も出せない小さな命を持たない銀貨でも
高い確率で見つけてくださるのではないかと思いました。

19日の御ミサにも与ることができる予定です。!!!
多くのお恵みを与えてくださる天主様に感謝致します。
マリア様をますます深く愛することができますように!

【お返事】
レポートをありがとうございます。
御ミサに与りながら、福音を黙想して私たちの実際の状況に当てはめて考え、それを生活に生かそうとしていることを見て、とてもうれしく思います。

疑問に思った点を教えて下さって感謝します。
以前も、別の方からですが、いったい何故聖ヨゼフはマリア様のようにイエズス・キリストの受難を共にしなかったのか?という質問を受けました。無原罪の聖母と聖ヨゼフ、イエズス・キリストが、いわば地上の三位一体として共に苦しむこともあり得たのに、何故そうならなかったのか? そうしたら聖ヨゼフの功徳はますます高まったのではないか?という疑問を教えていただきました。そのように黙想しておられることを知り大変うれしく思います。

次は、私の理解で、それについて教父たちはすでにこう言っていますよということをご指摘はできずに、ただ私の思うのはこうだと言うだけですが、黙想の助けになれば幸いです。

ご指摘の通り、天主御父と聖霊とは、完全なる霊でいらっしゃるので、肉の御心をもちません。ですから御父と聖霊の「聖心」の信心は、特別にありません。だからといって、御父と聖霊とは愛を持たないと言うことではありません。
天主三位一体が私たちに対して持つ愛の結果としてそのシンボルが、イエズス・キリストの聖心であるということです。天主三位一体が、被造物に働きかけるとき、その働きには三位一体の全てのペルソナが関わっているからです。

たとえば、天主が被造物を創造し給うのは三位一体の聖父と聖子と聖霊との全ての御業です。聖ピオ十世の公教要理にも、

【問】世界は「御父」だけの創造になるものですか。
【答】世界は三位一体の三つのペルソナによって造られました。三位一体の一つのペルソナが被造物に対してお働きかけになるときは、他の二つのペルソナもひとしく同じ働きをなさるのです。
【問】しかし、なぜ天地の創造が特に「御父」に帰せられるのですか。
【答】天主の三つのペルソナはいずれも全能、全知、全善ですが、全能は御父の、全知は御子の、そして全善は聖霊の特性とされていますから、天主の全能の顕われである創造は特に「御父」に帰せられています。

とあります。また、御托身も三位一体の聖父と聖子と聖霊との全ての御業です。聖ピオ十世の公教要理にも、

【問】御父と御子もイエズス・キリストの御体の形成と御霊魂の創造に参与されましたか。
【答】イエズス・キリストの御体の形成と御霊魂の創造には、天主の三つのペルソナが一緒に参与されました。
【問】なぜ「聖霊によりて宿り」とだけ言いますか。
【答】天主の御子の御託身は、善性と愛の働きの結果ですが、これは聖霊に帰せられますから、「聖霊によりて」とだけ言うのです。

とあります。

そこで、イエズス・キリストの至聖なる聖心、つまりイエズス様の御心臓の形成には、三位一体の全てのペルソナが参与されました。つまり、天主の愛の結晶が、イエズスの聖心というです。

イエズス・キリストが成した救いの玄義は、三位一体の全てのペルソナが関わっています。御托身も、御降誕も、御受難も、御復活も、御昇天も、聖霊降臨も、実はそうです。そこで、カトリック教会の典礼では、たとえば御降誕を祝いつつ、これは三位一体の全てのペルソナの御業を祝います。ですから、カトリック典礼には、「御父の祝日」というように、ただ一つのペルソナだけの祝日というのはあり得ません。たとえ「聖霊降臨」であっても、聖霊の一つのペルソナだけの祝日ではないのです。

第二に、イエズスの聖心と聖母マリア様の汚れなき御心だけに限定されているのは、マリア様の御心が、他の聖人の方々の燃える御心を遙かに超える「汚れなき御心」、協贖者としての御心だからです。



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