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2016年9月2-6日の聖伝のミサの報告:聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

9月は大阪で初金のミサと、初土曜日には聖ピオ十世会の守護の聖人である聖ピオ十世教皇様のミサ聖祭を捧げることが出来て、大変うれしく思います。

ティシエ・ド・マルレ司教様の来日に合わせて、ルフェーブル大司教様の伝記の日本語訳の出版を、と願っていたのですが、今回は残念ながら間に合いませんでした。実は、3年ほど前に日本語に訳し終わったときにすぐに出版するつもりで、全てプリントアウトし読み直して校正をし始めていたのですが、その他の様々な仕事によってこの作業がいつも脇に置かれてしまい、出版には至りませんでした。
今回のティシエ・ド・マルレ司教様の来日は、この仕事にもう一度取りかかる大変良い機会で、そのため極めて多くの時間を作ったのですが、印刷された本として完成させて私たちの手元に届くまでには間に合いませんでした。愛する兄弟姉妹の皆様の御忍耐とご理解を感謝します。

それではミサ聖祭のご報告をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

こんばんは(^O^)/

昨日一昨日と、初金のイエズス様の聖心と聖ピオ十世教皇様の御ミサ、御聖体降福式、公教要理など色々ありがとうございました!

今年は日本は本当に御恵みで、クリスマス、御復活祭、御昇天、聖霊降臨、至聖なるイエズスの聖心の大祝日、マリア様の被昇天、マリア様の汚れ無き御心の大祝日、聖ヨゼフ様の祝日(両方とも!)、聖ピオ十世教皇様の祝日の御ミサまで、主要な祝日の御ミサは全て捧げられています!!

マリア様の汚れなき御心に捧げられた日本が、ファチマ100周年を良く準備することができるように、マリア様が特別に御計らい下さっているような気が致します!日本の聖なる殉教者の方々、小野田神父様のおかげです!ありがとうございますm(_ _)m

また来週はティシェ・ド・マルレ司教様も初めて日本にお越し下さり、堅振も授けて下さり、本当に溢れるばかりの御恵みです!

公教要理のレポート
分かったつもりでいるのですが、もし違っている部分がありましたら修正をお願いいたします(/ω\)

[分かったところ]

・今更ですが、「堅振」の語源が、「堅く振る舞う」という事だと初めて知りました!(^^;ゞ

【洗礼と堅振の違い】
・洗礼(Baptisumus)…天主の養子、義子となる。しかし赤ちゃんのようなもので、弱く、うまく歩くことができない。
・堅振(Confirmatio)…大人、キリストの兵士となる。

【秘跡が有効であるために必要な条件】
1.質料(materia)
 ・洗礼→水(ポカリ、ジュース、唾液などでは無効。額に流すのが難しければ、皮膚であればどこでも有効。)
 ・堅振→オリーブ油から出来た聖香油(インドでオリーブ油が無くヤシの油で行ったとき、バチカンから『やり直すように』と命令があったくらい、オリーブ油以外では無効と考えられている。)

2.形相(forma)
 ・洗礼→「何某…我、聖父と聖子と聖霊との御名によって汝を洗う」(水を垂らしながら言う。水を垂らし終わってから言ったり、言ってから垂らすなど行動が分かれると無効。)
 ・堅振→「我は十字架のしるしをもって汝にしるしをし、聖父と聖子と聖霊との御名によりて、救いの聖香油をもって汝を強める。」
3.意向(intentio)
 ・受ける人(受けたい!)
 ・授ける人(教会のやること(秘跡)を行うんだ! 従って「演劇をする」「記念をする」という意向ではダメ。)

しかし、堅振の秘跡は、今のノブスオルドの教会で使われている新しい儀式書によって、1.質料が「オリーブ油でなくてもどの植物油でも良い」というのが広まってしまい、また2.形相の言葉も、「たまものである聖霊のしるしを受けなさい」などと色々変えられてしまっているので、堅振の有効性に疑いがある。なので、「条件付き」という形で、聖ピオ十世会では聖伝の堅振を授けている。

[分からなかったところ]
何故、堅振の秘跡では「オリーブ油」なのか理由を知りたいと思いました。洗礼の秘蹟の「水」は混じり気の無いもので洗い浄めるという意味かな、と何となく分かるのですが…
また、その聖伝の質料とか形相は、昔の教皇様が決められたものでなのでしょうか?
教皇様であれば、秘跡の質料とか形相は変更することが可能なのでしょうか?
今のノブスオルドの新しい儀式書は、誰によって変更されたか明らかでないから有効性に疑いがあるのでしょうか?
そのあたりがよく分かりませんでしたm(__)m


【お返事】
秘蹟の質料や形相は、イエズス・キリストが定めたものです。ですから、教皇様といえども変えることが出来ません。

今のノブスオルドの新しい儀式書は、誰によって変更されたか明らかではありません。たしかにパウロ六世教皇様の認可を持って出版されたのでしょうが、しかし、それだからと言って、パウロ六世が同意したからと言って、秘蹟の質料や形相を変えることは出来ません。

何故オリーブ油から出来た聖香油かと言うと、
「水」は「洗い浄める」という意味があるように、オリーブ油には「成人に達した霊的強さを持つために、聖霊の充満が与えられる」という意味が込められています。

聖トマス・アクィナスは、このような特性はどのような植物油にもあるのではなく、オリーブ油に見いだされること、オリーブの木が常緑であることが聖霊が私たちを回復させ、憐れみ深いはたらきをすることを意味すること、オリーブ油こそが、oleum という名前で呼ばれていること(例えばワインというとブドウからできたお酒であるように、オレウムというとオリーブ油のこと)、と指摘しています(神学大全第3部72問2項)。



【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 19人(内、子供3人)
女: 29人(内、子供3人)
計: 48人(内、子供6人)


【報告】【東京】
Bonjour, Mon Père

東京でのミッション、本当にありがとうございました。日曜の御ミサと公教要理のクラスにはいつもより多くの方が参加なさっているようで嬉しかったです。

御ミサと公共要理のレポートをお送り致します。

これだ! と分かったこと

・お説教
今日の聖福音の後半部分、
招かれた者達が上席をえらぶのを見て、譬(たとえ)をいい給うた、「婚宴に招かれるとき、あなたは上席につくな。おそらく、あなたよりも貴い人が招かれてくるならば、あなたと彼とを招いた人が来て、〝この人に席をゆずって下さい" というであろう。そうすると、あなたは恥じて、末席につくことになるであろう。むしろ、招かれたとき、行って末席につけ。すると、招いた人が来て〝友よ、上(かみ)にすすんで下さい" というであろう。そのとき、あなたは、列席者の前に面目をほどこすことになる。すべて高ぶる者は下げられ、みずから卑(へりくだ)る者は上(あ)げられるのである。」
この部分が、天国での席のことをたとえている、ということが分かりました。

私たちも謙遜によって天主の御母、天地の元后に上げられたマリア様に倣い
また、貧しい家にお生まれになり、叙階されても謙遜から慎ましくご生活なさり
そして教皇職も謙遜からお受けになられた聖ピオ十世教皇様に従い、深く謙り
自ら末席に着くべき者であることを自覚し納得し、常に末席に着くことができますように。

・公教要理
今回理解できたことは2つあります。
1.天主イエズス様が制定した7つの秘跡のうち、消すことのできない霊的刻印を刻みつけられる秘跡は3つだけだ ということ
 それは、叙階・洗礼・堅振・である ということがわかりました。 この刻印は天国へ行っても地獄へ行っても消えない、ということもわかりました。

2.神父様が私たちの質問に答えて、前回の復習として聖霊の7つの賜物の「上智」について説明してくださった際、
「上智」とは「全てを究極の原因に遡って判断する」ことであり、これは「全てを天主を頂点として秩序づける」ことである・
ここから「平和」が生まれ、そのために至福八端の「平和のために励む人は幸い、彼らは神の子と呼ばれる」に対応している、
ということが良く理解できました。

前回のクラスでも同じことを説明していただいて分かったつもりになっていたのですが、
「全てを天主を頂点として秩序づける」=「平和」というようにしっかりとイコールで結ばれておりませんでした。
1人で勉強していると気付かないところ・疑問を持たないところも皆さんと一緒に勉強し、他の参加者の方が質問してして下さると
「あ!」と気付かされることがあり、理解を深められる良い機会になります。感謝いたします。

第二バチカン公会議による教会の危機の只中にあって、
司祭職への攻撃が行なわれている・司祭職を守ることが最優先課題だ! と見抜いた
ルフェーブル大司教様は本当に上智の方だった、と思いました。

そして、司祭職を守るために実際に行われた様々な非凡な行動によって、賢慮によって
知識によって、剛毅によって、そして天主様への畏れと深い愛のために、まさに聖霊とともにおられた方だったと思います。

聖ピオ十世教皇様も「敵は神学校にいる」と回勅の中でおっしゃっていますが
ルフェーブル大司教様と同じく、司祭職の重要性と、来るべき危機を上智によって
見抜いていらっしゃったのだと分かりました。

分からなかったこと
消すことのできない3つの霊的刻印が地獄へ行っても消えない、というのは
これらの刻印を受けていながらも審判によって地獄へ行くと決まってしまった場合
地獄のさらに深い所へ行く、という意味でしょうか。恐ろしいことですが。
これらの刻印を受けて天国へ行くと、天の高い場所に上げられるということなので
もし地獄へ行った場合は反対のことが起きるのでは、と思いました。

いつも感想を書き出すと長々と書いてしまいます。すみません。
ブログに載せられる際は不要だと思われるところをどうぞカットなさってください。

司教様がいらした時、堅振を受けられる方々のためお祈りしております。
私自身も聖霊のお恵みをより一層豊かにいただくことができるよう祈ります。
聖霊の浄配なる聖母マリア様に御取次をお願いいたします。

デオグラチアス!

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