アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年9月8日(木)にティシエ・ド・マルレ司教様が大阪で聖伝のミサを捧げてくださいました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2016年9月8日(木)童貞聖マリアの御誕生のミサ
ティシエ・ド・マルレ司教様御説教
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
親愛なる信徒の皆さん、私はこの日本に最初にやって来まして、そしてこの皆さんの小教区の教会に来てとても嬉しく光栄に思います。
このマリア様の御降誕の祝日において私たちは、聖ヨアキムと聖アンナ様の喜びを分かち合っています。ヨアキムとアンナ様は年を老いて子供がないままでしたけれども、遂にこの贈り物の中の贈り物、つまり天主の将来の母となる方を、赤ちゃんとして受けたのでした。そしてこの生まれた赤ちゃんは赤子は、「無原罪の御宿り」でした。罪の原罪の汚れ無く宿った御方で、これは無原罪の御宿りの深い玄義です。
聖ピオ十世教皇様はマリア様に関する回勅を、ご自分自身の手によって全部書きましたけれども、その素晴らしい回勅の中で3つの事を指摘しています。
まず第1に、「マリア様の無原罪の御宿りというのは、『超自然の秩序がある』という事を示している」という事です。「『無原罪の御宿り』という事はつまり、『原罪が存在している』という事を証明し、そして原罪が存在しているという事は、私たちには成聖の状態がある、『成聖の恩寵の状態がある』という事を証明している」と指摘しています。
アダムとエヴァは創造されたその瞬間には無原罪でした。罪の汚れの無く、全く清い成聖の恩寵において創られました、が、罪を犯す事によってそれを失ってしまいました。私たちもそれを失ったまま生まれてきました。そしてマリア様の無原罪の御宿りは、私たちのその「罪の状態で生まれてくる」という事を教えています。従って私たちには必ず、「贖い主が必要である」、「贖いの御業が必要だ」という事を証明しています。贖い主なしには、私たちは誰1人として天国に行く事ができません。贖い主なしには、天主が私たちに与えようと思っていたその栄光に誰も入る事ができません。
つまりこの小さな赤ちゃん、聖アンナ様が抱いておられるこの小さな今日生まれた赤子は、キリスト教の神秘の、全ての神秘を、この中に保っていて含んでいました。この赤子は人類の救いの究極の希望でした。
聖ピオ十世教皇様の回勅の中で、マリア様に関して言われた第2の点は、「マリア様の共贖」という御業の事です。
つまり、マリア様とイエズス様が共に贖いの共贖の、マリア様が共に贖いの業をしたという事です。イエズス様の御生涯とその苦しみを共にした、という事によって、マリア様は贖いの宝庫の功徳をイエズス様と一緒に勝ち取った、という事を教えています。マリア様が十字架のふもとに立ち留まってその全ての苦しみをイエズス様と共に捧げた時に、イエズス様が私たちの贖いの為に勝ち取った全ての事を、マリア様も勝ち取りました。
同じ功徳を勝ち取りましたが、その一つだけの違いがありました。それは、イエズス・キリストが天主の御子であったので、完全な正義によって、完全な統合の価値によってその全ての功徳を勝ち取りました。しかしマリア様の場合には同じ功徳を、その相応しさによって、イエズス・キリストに対して持っていたその愛の愛徳によって、マリア様がイエズス・キリストの御母であるという事によって、その相応しさによって、同じ功徳を勝ち取りました。
これはカトリック教会の教えであって、「イエズス・キリスト様とマリア様の功徳の根源というのは、その愛徳にあった」という事です。イエズス様の至聖なる聖心にあった愛徳と、マリア様の汚れ無き御心の高い愛徳のその功徳によって、このそのレベルによってその功徳を獲得しました。
全てのキリスト教信者はやはり同じように招かれています。「私たち自身の苦しみを、イエズス・キリスト様への愛徳、天主を愛する愛において共に捧げる」という事です。そうする事によって私たちは、イエズス様と共に功徳を積む事になりますし、そしてイエズス様と共に罪に相応しい負債を払う事ができる事になります。その源は愛徳です。
プロテスタントの教えによると、「イエズス・キリスト様は全て自分御一人で十字架で贖いの業をしたので、私たちは何もする事がない、私たちは無関係だ、私たちはもうする必要はない」と言いますけれども、それは間違っています。何故かというと、聖母マリア様は十字架のふもとで、ご自分の苦しみをイエズス様と共に分かち合って、特に愛徳によって功徳を受けました、それはマリア様の愛徳によるものでした。それと同じように私たちもマリア様を真似して真似て、マリア様のように愛徳によってイエズス・キリストの功徳を、イエズス様に苦しみを共にする事によって功徳を共に勝ち取って、そして贖いの業に入らなければなりません。実践的に言うと、祈りと犠牲によって、私たちは多くの霊魂を救う事ができます。
聖ピオ十世教皇様が回勅の中で言った第3の点は、「マリア様が全ての聖寵の御恵みの仲介者である」という事です。
マリア様はイエズス・キリストと共に贖いの業の功徳を勝ち取りました、そしてその功徳の宝を勝ち取りました。ちょうどもしも誰かが土の中に宝を発見したとしたら、そのそしたらその発見者は、誰であろうと自分の好きな人に自分の発見したものを与える事ができますし、それを分け与える事ができます。それと同じようにマリア様も、自分がイエズス様と共に勝ち取った贖いの宝の宝庫から、自分の好きな人に、自分の好きなように、好きな時に、自由に配る権利と、その使用の権利がある」という事を聖ピオ十世教皇様は教えました。
聖グリニョン・ド・モンフォールによると、「マリア様の御意志は、その愛徳によって、イエズス様の御意志と全くピッタリと一致していたので、マリア様の意思の御心、御旨と、イエズス様の御旨は1つです。ですから、マリア様が望む事はイエズス様は必ずなさる」と教えています。この意味で、マリア様は全ての御恵みの仲介者です。どのような事であれ、マリア様が私たちの為に執りなして下さると、イエズス様は必ずその祈りを聞き入れて下さって、その御恵みを下さいます。
そこで今日、このマリア様の祝日において私たちは、マリア様の最も大切な3つの玄義、神秘について深く信仰を持つ事にしましょう。
1つは「無原罪の御宿り」の神秘です。
第2は、「共贖、イエズス様と共に贖った」という神秘です。
第3は、「全ての御恵みの仲介者であって、それを分配する御方である」という神秘です。
そしてマリア様のこの3つの特権を守る為に、私たちは血を流す覚悟を致しましょう。この3つの特権に於いてマリア様の名誉を守る為に、私たちは一生懸命力を尽くす事に、働く事に致しましょう。そしてこのマリア様の特権を私たちがただこう言うだけ、口先だけではなく、それを実践する使徒となる事に致しましょう。
特にマリア様が全てのお恵みを分配して下さるという事について、その分配をして下さる事が出来るように、私たちがその使徒となるように致しましょう。マリア様を通して、使徒となりましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここにも掲載されています。
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年9月8日(木)にティシエ・ド・マルレ司教様が大阪で聖伝のミサを捧げてくださいました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2016年9月8日(木)童貞聖マリアの御誕生のミサ
ティシエ・ド・マルレ司教様御説教
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
親愛なる信徒の皆さん、私はこの日本に最初にやって来まして、そしてこの皆さんの小教区の教会に来てとても嬉しく光栄に思います。
このマリア様の御降誕の祝日において私たちは、聖ヨアキムと聖アンナ様の喜びを分かち合っています。ヨアキムとアンナ様は年を老いて子供がないままでしたけれども、遂にこの贈り物の中の贈り物、つまり天主の将来の母となる方を、赤ちゃんとして受けたのでした。そしてこの生まれた赤ちゃんは赤子は、「無原罪の御宿り」でした。罪の原罪の汚れ無く宿った御方で、これは無原罪の御宿りの深い玄義です。
聖ピオ十世教皇様はマリア様に関する回勅を、ご自分自身の手によって全部書きましたけれども、その素晴らしい回勅の中で3つの事を指摘しています。
まず第1に、「マリア様の無原罪の御宿りというのは、『超自然の秩序がある』という事を示している」という事です。「『無原罪の御宿り』という事はつまり、『原罪が存在している』という事を証明し、そして原罪が存在しているという事は、私たちには成聖の状態がある、『成聖の恩寵の状態がある』という事を証明している」と指摘しています。
アダムとエヴァは創造されたその瞬間には無原罪でした。罪の汚れの無く、全く清い成聖の恩寵において創られました、が、罪を犯す事によってそれを失ってしまいました。私たちもそれを失ったまま生まれてきました。そしてマリア様の無原罪の御宿りは、私たちのその「罪の状態で生まれてくる」という事を教えています。従って私たちには必ず、「贖い主が必要である」、「贖いの御業が必要だ」という事を証明しています。贖い主なしには、私たちは誰1人として天国に行く事ができません。贖い主なしには、天主が私たちに与えようと思っていたその栄光に誰も入る事ができません。
つまりこの小さな赤ちゃん、聖アンナ様が抱いておられるこの小さな今日生まれた赤子は、キリスト教の神秘の、全ての神秘を、この中に保っていて含んでいました。この赤子は人類の救いの究極の希望でした。
聖ピオ十世教皇様の回勅の中で、マリア様に関して言われた第2の点は、「マリア様の共贖」という御業の事です。
つまり、マリア様とイエズス様が共に贖いの共贖の、マリア様が共に贖いの業をしたという事です。イエズス様の御生涯とその苦しみを共にした、という事によって、マリア様は贖いの宝庫の功徳をイエズス様と一緒に勝ち取った、という事を教えています。マリア様が十字架のふもとに立ち留まってその全ての苦しみをイエズス様と共に捧げた時に、イエズス様が私たちの贖いの為に勝ち取った全ての事を、マリア様も勝ち取りました。
同じ功徳を勝ち取りましたが、その一つだけの違いがありました。それは、イエズス・キリストが天主の御子であったので、完全な正義によって、完全な統合の価値によってその全ての功徳を勝ち取りました。しかしマリア様の場合には同じ功徳を、その相応しさによって、イエズス・キリストに対して持っていたその愛の愛徳によって、マリア様がイエズス・キリストの御母であるという事によって、その相応しさによって、同じ功徳を勝ち取りました。
これはカトリック教会の教えであって、「イエズス・キリスト様とマリア様の功徳の根源というのは、その愛徳にあった」という事です。イエズス様の至聖なる聖心にあった愛徳と、マリア様の汚れ無き御心の高い愛徳のその功徳によって、このそのレベルによってその功徳を獲得しました。
全てのキリスト教信者はやはり同じように招かれています。「私たち自身の苦しみを、イエズス・キリスト様への愛徳、天主を愛する愛において共に捧げる」という事です。そうする事によって私たちは、イエズス様と共に功徳を積む事になりますし、そしてイエズス様と共に罪に相応しい負債を払う事ができる事になります。その源は愛徳です。
プロテスタントの教えによると、「イエズス・キリスト様は全て自分御一人で十字架で贖いの業をしたので、私たちは何もする事がない、私たちは無関係だ、私たちはもうする必要はない」と言いますけれども、それは間違っています。何故かというと、聖母マリア様は十字架のふもとで、ご自分の苦しみをイエズス様と共に分かち合って、特に愛徳によって功徳を受けました、それはマリア様の愛徳によるものでした。それと同じように私たちもマリア様を真似して真似て、マリア様のように愛徳によってイエズス・キリストの功徳を、イエズス様に苦しみを共にする事によって功徳を共に勝ち取って、そして贖いの業に入らなければなりません。実践的に言うと、祈りと犠牲によって、私たちは多くの霊魂を救う事ができます。
聖ピオ十世教皇様が回勅の中で言った第3の点は、「マリア様が全ての聖寵の御恵みの仲介者である」という事です。
マリア様はイエズス・キリストと共に贖いの業の功徳を勝ち取りました、そしてその功徳の宝を勝ち取りました。ちょうどもしも誰かが土の中に宝を発見したとしたら、そのそしたらその発見者は、誰であろうと自分の好きな人に自分の発見したものを与える事ができますし、それを分け与える事ができます。それと同じようにマリア様も、自分がイエズス様と共に勝ち取った贖いの宝の宝庫から、自分の好きな人に、自分の好きなように、好きな時に、自由に配る権利と、その使用の権利がある」という事を聖ピオ十世教皇様は教えました。
聖グリニョン・ド・モンフォールによると、「マリア様の御意志は、その愛徳によって、イエズス様の御意志と全くピッタリと一致していたので、マリア様の意思の御心、御旨と、イエズス様の御旨は1つです。ですから、マリア様が望む事はイエズス様は必ずなさる」と教えています。この意味で、マリア様は全ての御恵みの仲介者です。どのような事であれ、マリア様が私たちの為に執りなして下さると、イエズス様は必ずその祈りを聞き入れて下さって、その御恵みを下さいます。
そこで今日、このマリア様の祝日において私たちは、マリア様の最も大切な3つの玄義、神秘について深く信仰を持つ事にしましょう。
1つは「無原罪の御宿り」の神秘です。
第2は、「共贖、イエズス様と共に贖った」という神秘です。
第3は、「全ての御恵みの仲介者であって、それを分配する御方である」という神秘です。
そしてマリア様のこの3つの特権を守る為に、私たちは血を流す覚悟を致しましょう。この3つの特権に於いてマリア様の名誉を守る為に、私たちは一生懸命力を尽くす事に、働く事に致しましょう。そしてこのマリア様の特権を私たちがただこう言うだけ、口先だけではなく、それを実践する使徒となる事に致しましょう。
特にマリア様が全てのお恵みを分配して下さるという事について、その分配をして下さる事が出来るように、私たちがその使徒となるように致しましょう。マリア様を通して、使徒となりましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここにも掲載されています。