Quantcast
Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4247

長崎巡礼-霊的講話-2016年5月2日 シュテーリン神父様「長崎のルルドの聖母の御前にて」

$
0
0
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2016年5月2日 長崎巡礼での長崎のルルドの聖母の御前でのシュテーリン神父様の講話をご紹介いたします。

【無原罪の聖母の騎士誌】
無原罪の聖母の騎士誌 第1号

無原罪の聖母の騎士誌 第2号

【ニュース】
アジア管区のニュースレター「アポストル」第44号ができました。ここです。どうぞご覧下さい。Apostle No 44

【2017年ファチマ・ローマ巡礼】
「ファティマとローマへの聖ピオ十世会国際巡礼 2017」についてのご案内は、こちらをご覧下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)




2016年5月2日 長崎巡礼 長崎のルルドの聖母の御前にて
シュテーリン神父様霊的講話
同時通訳:小野田圭志神父

この巡礼の第1部を終えようとする今この瞬間、私たちの心の中には深い理解と、確信がなければなりません。

まず理解の1つは、「どのように偉大な大聖人であったとしても、その最初は全く無に等しい、何でもない存在であった」という事です。どれほど偉大な大聖人となった方であっても、その最初は惨めな、もう役に立たない、どうでもいいような罪人であったという事です。

そこで今から、この巡礼の第1部を終えようとする今、マリア様の前で、「インマクラータに奉献する祈り」を唱えようとしますけれども、最初に私(某)に霊名を入れて名前を入れて、罪人である、役に立たない罪人、無に等しい罪人である、という事をまず認識して下さい。

第2の確信は、「マリア様は天地の元后でありながら、私の母となった」という事です。私のあまりにも惨めさ、或いは空しさにもかかわらず、マリア様は私たちを私を、その愛する子供として選んで下さったという事です。マリア様は、マリア様だけは、この何もない、もうろくでなしのような無に等しい罪人である私たちをして、大聖人にする事ができる、という確信です。、マリア様はこの事が必ずできるという事は、私たちの目で、耳で、この数日間見て聞いた事です。私たちはこの数日間、私たちの目で見て、黙想し、そのような事があったという事を知らなかった事を知りました。

ですから皆さん、目をカッと開いて下さい。信仰の目を開いて下さい。私たちの周りには何百万という日本の殉教者たちがいます。私たちの周りには何百万という無原罪の聖母の騎士たちがいます。私たちの周りには隠れキリシタンたちが、何世代もの間もう不可能な状況の中において信仰を保った方々がいます。その全ての殉教者、隠れキリシタン、聖母の騎士たちは皆、マリア様の方をご覧になっています。

そこで私たちもそれに合わせて跪き、声を合わせて、大きな声を出し、また涙を流し、歌を歌い、讃美をしつつ、「おお、インマクラータよ、天地の元后よ、」と祈りましょう。「罪人、私たちはそうであったその罪人の避難所よ、」と申し上げましょう。「私たちを愛して下さる、とても愛して下さる御母よ」と言いましょう。

これが私たちの第3の確信で、「私たちを愛して下さる母親が、天に在す」という事です。日に夜に、私たちを許そう、許したいと思って下さる母です。私たちが罪の暗闇と誤りの中に留まっている時に、「早く光の中に引き寄せたい」と思って下さる母です。私たちの人生のどの瞬間においても、私たちが天主様の最も近い所に行く事ができるように、お恵みを与えようとして下さる母です。

私たちはもう一度マリア様の方に、目を閉じマリア様の方を向くと、マリア様は私たちにどうやってお祈りをするかを教えて下さいます。マリア様は私たちの方に優しく手をのべて、「さあ、あなたの手を私に下さい。あなたの持っているものを私に下さい。あなたの全てを私に捧げなさい」と。私たちがもしも「霊魂を救おう」或いは「聖人になろう」と思うならば、これが唯一のチャンスです。これが、この有名な奉献の祈りの本質であり中核です。つまり「お母さま、私はいつも御身の子としていつも留まり、いつも御身の手に私の手をいつも捧げていたい。いつも御身の元を離れたくない」という祈りです。「御身なしに1日を始めたくありません。御身なしにどのような事業も、どのような仕事もしたいとは思いません。御身がお望みになる事を私も望みます。」

ここで、この場所で、マリア様は私たちに答えを下さいます、「私はあなたを幸せにすると約束します。でもこの世ではなくて来世に。」この同じ言葉を、聖ベルナデッタにマリア様はルルドで仰りました。マリア様は皆さんに幸せを約束して下さいます。でもこの地上での短い、馬鹿馬鹿しい儚い人生においてでは期待しないで下さい。マリア様は言葉を続けてこうお願いします、「どうぞ私を助けて下さい。私は皆さんをここに連れてきました。それはあなたが、たくさんの多くのお恵みを頂く為です。私を助けて他の多くの人もここに連れて来て下さい。多くの人が救われ、霊魂を救う事ができるように助けて下さい。私はたくさんの事を要求しません。『良い事を行いたい』という心と、『あなたの周りにいる人々を私に連れて来たい』という事で良いのです。」

もしもマリア様が皆さんをそれほどにまでお愛しになって下さるのであれば、マリア様の事も少しお愛し下さい。どうぞマリア様の言う事、願いに、「はい、お母様。はい、それを私も望みます」と答えて下さい。「私をして、あなたの憐れみ深い御手における道具として使って下さい」と仰って下さい。「御身の為に奉仕し、多くの人が御身を知り、愛する事ができるように。そうする事によって御身の子、イエズス・キリストの王国がこの地上において広がりますように。」

では、今からこの奉献の祈りを4回繰り返します。今から4回繰り返しますが、その4回毎、その唱えている司祭に合わせて霊的にこれを奉献して下さい。小野田神父が日本語で言います。シュテーリン神父様は同じ言葉をポーランド語で言います。フォルティン神父様が英語で言います。それから3人の司祭がラテン語でも言います。


【インマクラータ(無原罪聖母)への奉献の祈り】
聖マキシミリアノ・マリア・コルベ(1917年10月16日)

ああ、インマクラータ(無原罪聖母)よ、天と地の元后、罪人の拠り所、我らの愛深き母よ、天主は、あわれみの全秩序を御身に委ねることを望み給えり。
不肖なる罪人、我(名前)は、御足のもとにひれ伏し、御身にひれ伏してこいねがい奉る。
我がすべてを全く、御身のもの、御身の所有物として受け入れ給え。また、我とともに、我が霊と肉の全ての能力、我が全生涯、死、永遠を、御身の最も望み給うように成し給え。
御身について「かの女は、おまえの頭を踏みくだくべし」また「御身は、ひとりで全世界の異端をことごとく滅ぼし給えり」と申されし事を成就すべく、もしも御心にかなうならば、我と我が持てるもの全てを残り無く使い給え。
我をして、御身の汚れ無き且つ憐れみ深い御手のうちに、ふさわしい道具としてなし給え。そは、かくも多くの道を迷った無関心の霊魂たちに、御身のみ栄えを知らせ、最高度にいや増し、かくしてイエズスの至聖なる聖心の至福の御国を、能う限り拡張するためなり。
御身が介入し給うところはどこであれ、御身は回心と成聖の聖寵を与え給う。全ての聖寵は、御身の御手を通してのみ、イエズスの至聖なる聖心から、我らに来たり給うなればなり。

R.聖なる童貞女よ、我をして御身を讃えしめ給え。
V.御身の敵に立ち向かう力を我に与え給え。


聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 4247

Trending Articles