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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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秋田巡礼-お説教-2016年5月5日シュテーリン神父様「主の御昇天」今日、天主イエズス・キリストは天の門を大きく開いて、天主聖父の右に座し給うた。

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2016年5月5日 秋田巡礼 主の御昇天のミサ
シュテーリン神父様御説教
同時通訳:小野田圭志神父


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

40日間の使徒たちへの御出現の後に、私たちの主イエズス・キリストは大きな凱旋を以て天国の国に戻ります。これは私たちの主の偉大な凱旋でした。この凱旋に私たちも、私たちの慰めの為に参与するように望んでいます。

永遠の最初の、その初めのない最も最初から、第2の天主のペルソナは全き幸せの中におりました。永遠のある時に、天主は天と地を創られました。この私たちがこの巨大さに感嘆する大宇宙は、天主様の前ではほんの一粒のゴミに過ぎませんが、それを天主は創りました。

天主がこれを創造されたのは1つの目的の為です。その目的とは、御自分に似た被造物が、つまり天使たちと人間たちが、御自分と同じ幸せに参与する事ができる為でした。これは天主様の巨大な憐れみの御業です。

無である私たちが在らされ、在らしめられて、天主の子供として、永久に永遠に無限の幸せを得る、参与するように望んでおられるのです。

天主様は、流されの身であるこの地上に長い間居る事は望まれませんでした。何故かというと、私たちの存在は2つの部分に分けられるからです。

ちょっとした準備の段階と、その次に本当の命が始まります。少しの旅の後に、本当の私たちの住まいの生活が始まります。ちょっとした仕事と試練の時の後は、永遠の休息が待っています。

しかし人間はその事がよく分かっていませんでした。この地上の無、この世の無にあまりにも重要性を置きすぎています。天主に背を向けて、この地上の事だけに専念しています。これが天主に対する侮辱であり罪です。天主にとって全く問題なく全てはキャンセルして、全くこれを無に帰する事もできました。

そうはなさいませんでした。天主は罪を、更にもっと巨大な憐れみの御業の機会としたのです。

天主の偉大なる三位一体の第2のペルソナが、この小さな無に等しい世界にやって来られました。正確に33年間、私たちの間に住まわれました。

私たちの主イエズス・キリストは、童貞女マリア様からお生まれになられた、真の天主・真の人であります。

30年間、貧しい大工の子として生活されました。それは私たちに模範を与える為です。どうやって生活するべきか、どうやって天主の御旨を果たすべきか、天主の御心に適うべきかという事を示す為でした。

3年間、私たちに真理を説教しました。天主の御国を地上に確立する為です、すなわちカトリック教会です。それは私たちが天主の御国に帰る事ができる為の「道」とその「道具」を準備する為でした。

地上での生活のその最後に、自分御自身の命を捧げられて、十字架の上で亡くなりました。私の為にその御血を全て流されました。私の罪を全て洗い浄めて下さいました。悪魔の支配とその鎖から解き放って下さいました。もう死の病にかかっていたのを今、元気にして下さいました。天主の命を私の心に注ぎ込んで下さいました。昔は単に悪魔の子であったのに、今は天主の子供として下さいました。失われたエヴァの悲しい子供であったにもかかわらず、今では天の御父の子、天の御母の子として下さいました。天主御父の御旨を果たし、この地上に於いて果たさなければならない使命を全て完璧に果たされました。

3日目の後に、死の内から甦り給うたのです。栄光に満ちた復活に於いて、「真にイエズス・キリストは天主である」という事を証明しました。イエズス・キリストは、確かに御自分の宗教だけが本当の真の宗教である、と証明しました。私たち全ての、私たちの人生の究極の目的は、終わりは何か、という事を示しました。それは「復活」です。

使徒たちの間に留まって40日間の間、御自分の復活のその効果を、復活体とはどのようなものか、という事をその目に示しました。それは彼らの信仰を強める為です。将来の教会の指導者としてそのミッションを準備する為でした。

この日がやって来ます。そこからいらした天主聖父のその元に、もはや帰る事ができます。この循環をご覧下さい。天主聖父から出てこの世に来られ、私たちの元に住まわれ、使命を全て果たされて、天主聖父の元に帰って行きます。

第1の運動は愛の発出です。天主聖父を愛し、天主聖父の御旨に適う為、また私たちへの大きな愛の為に、天主聖父を離れて私たちの元に来られて、私たちを愛するが為に全ての苦しみ困難を受けました。

良き牧者が羊を、失われた羊を探して、どこかに井戸に落ちていないか、迷子になっている羊たちを探してかき集めました。天主聖父の元に帰ります。

「天主聖父の元に戻られた」という事は、「皆さんと私の為の道が開かれた」という事です。何故なら原罪以降、天の門は閉ざされていたからです。誰も自分で自分を救う事はできません。

今日、天の門を荘厳にイエズス・キリストは開かれました。今日、天主イエズス・キリストはその門を大きく開いて、天主聖父の右に座し給うたのです。

この瞬間、天に一体どんな事があったか想像できますか?

数万、数億、数兆の天使たちがこのイエズス様を待っていたのです。天主聖子が遂に、地上での使命を果たされて天に戻ってやって来た。それを歓迎して、それを喜び受け入れるその天使たちの姿を。

そうやって天の御国を所有する為に戻って来るのですが、一人ではありませんでした。旧約聖書の多くの義人たちを連れてやって来られました。まず連れて来られたのは聖ヨゼフ。洗者聖ヨハネ。その次に全ての太古の義人と預言者たち。何百年も何千年も待ちに待ち焦がれていた、この命の人生の最終目的に到達したのです。

今すでに道は開かれています。イエズス様は皆さんと私の為に道を開かれました。この道というのは、イエズス・キリスト御自身です。

皆さん分かりますね?この私たちは、この地上の為にここに創造されているのではありません。天国の為に創られました。今まで太祖たちは追放の身でした。それが遂に今日、家に帰る事ができたのです。この太祖たちはこの時、各、各々がそれぞれの冠、それぞれの報い、それぞれの栄光を受けて、それを永久に所有するのです。

イエズス様が何と仰ったか覚えていますね?「私はお前たちの場所を準備しに行く」と。「準備が終わったらお前たちを皆連れて戻って行く。」

愛する信者の皆さん、これこそが今日の喜びです。しばらくの間、私たちの追放の逐謫の身であるこの地上での無を、苦しみを忘れて下さい。天の門が開いているのご覧下さい。このきれいな黄金の門が皆さんの前に大きく開かれていて、その中には皆さんの名前が金の文字で書かれています。

イエズス様がマリア様の為に準備したその栄光、聖ヨゼフ様の為に準備したその栄光、それと同じような栄光を、皆様の為に一人ひとりの為に準備しています。

注意して下さい、まだ到着してはいません。恐れおののかなければなりません。もしかしたらそれを失ってしまうかもしれないからです。

でも絶望してはなりません。何故ならイエズス様は約束されたからです、「もしも私と共に留まるなら、また私の母と一緒にいるなら、必ず天国に到達する。」

これは「希望」と申します。この聖なる希望は、ファチマのマリア様も繰り返して仰いました、「私の汚れなき御心は、あなたたちにとっての避難所です。天国へと導く道となるでしょう」と。

テ・デウムの中でこの聖なる希望について歌われます、「私はあなたに信頼を置いた。私は決して永遠に辱められない」と。

愛する信徒の皆さん、今日この日私たちは、天主様に信頼する大きな心を持たなければなりません。天主は全てができます。何故なら全能だからです。天主様は皆さんの救霊を望んで求めています。イエズス様は皆さんを愛しておられます。

もしも辛い事、悲しい事、苦しい事、困難がこの地上であったら、「あぁ、この地上はあっという間に消えてしまう。消えてなくなる」と思って下さい。10年15年前に苦しんで、苦しんでいたこの事を思い出して下さい。「もしかしたらもうこれで生きられないかもしれない。もう駄目かもしれない」と思ったかもしれません。もう感情が混乱してしまっていたかもしれません。もう「全てが万事休すだ」と思ったかもしれません。でも今日そんな事覚えていないじゃないですか。それと同じように今日の苦しい事も、5年後には同じ事です。

この世は新幹線のようにあっという間に過ぎ去ってしまいます。その後で一体何が起こるでしょうか?

マホメットや仏陀や他の人は何と言うでしょうか?「ニルバナ」とか、「無」とか、或いは下らない話し。

でも私たちの主イエズス・キリストは真の天主であり、この真の天主である事を御自分の身を以て証明されました。この真の天主が約束しています。マホメットさんの約束は私たちは信頼する事ができません。しかしイエズス・キリストの約束は信じる事ができます。

私たちはただ、ただ、ただ、天主様イエズス様に感謝、感謝、感謝のみです。何故ならばイエズス様は私たちの間に在して、私たちの為に天国に行く道を準備したからです。

人々が普通自分の人生の事を考えると恐れています。「あぁ年を取ったし、弱くなっているし、家族にとっては重荷だしもう巨大ゴミのようだ。年を取ると病気になるし、もう最後の死を待つばかりだ。」日々日々、人々はますますがっかりして憂鬱になってしまいます。

本当はその反対であるべきです。「今日はまた1日天国に近くなった!家にもうすぐ近く、帰るのにまた近くなった!」

1日が終わった後で私たちはこう言わなければなりません、「イエズス様、1日のこの仕事が終わりました。私がいつも御身に忠実であるますように助けて下さい。何故なら約束されたからです。」
『私にいつも終わりまで忠実であれ。そうすれば永遠の喜びの冠を受けるだろう。』


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。

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