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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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「天主から選ばれた者として、聖なる者として、愛された者として、憐れみの腸を着よ」

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2016年11月6日(主日)に東京で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2016年11月6日 聖霊降臨後第25主日のミサ
小野田神父説教

聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。今日は2016年11月6日、聖霊降臨後第25主日のミサをしております。

今日この御ミサ後にいつもの通り14時30分から公教要理があります。前回は聖書について話しをしましたが、今回は黙示録について少しお話しをしようと思っています。16時から晩課があります。明日の朝も7時からミサがあります。

11月は来週の主日と再来週の主日にも続けてミサがあります、いらして下さい。

2017年のカレンダーが、アジア管区のカレンダーがあります。これはなんと300円です。お友達の為にもプレゼント用にもたくさん買って、ここに在庫がないようにご協力下さい。それからアメリカのAngels Pressのカレンダーもあります。これは2000円です。

ファチマの巡礼に、来年8月17日から26日の主日の朝に空港に帰って来るようにするのですけれども、飛行機代とホテル代全て含めて、ファチマとローマの巡礼の観光バスとか含めて、28万円から30万円で10日間で予定しています。

締め切りが11月30日までなので、申し込みの方は早めにお願いします。この申し込みの為に日本のお金で約4万円ほど申込金をお願いしなければなりません。世界中から多くの方がいらっしゃると思いますので、是非この100年に1度の機会に、皆さん是非いらっしゃるようになさって下さい。



“Induite vos sicut electi Dei, sancti et dilecti, visera misericordiae.”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は聖パウロが書簡書の中で、「天主から選ばれた者として、聖なる者として、愛された者として、憐れみの腸を着よ」と言っています。その後にも、「謙遜も、慎みも、忍耐も着よ」と言葉を続けていますけれども、今日はこの聖パウロの言葉を、死者の月に合わせて、今日このミサを黙想する事を提案しています。

聖パウロは、「天主から選ばれた者として、聖なる者として、愛された者として、憐れみの心を、憐れみの腸を着よ」と言っています。

そこで、ここで私の思うにはこのキーワードは、「天主から選ばれた者として、聖なる者として、愛された者として、特別の御恵みを受けた者として」という事です。私たちの特別の使命があります。その使命は何かというと、ちょうど昇階誦で言われているかのようです、「私たちの家族を、聖なる天主の家族を、あなたの家族を守って下さい。」

ちょうど私たちは、この地上にいる戦闘の教会ですけれども、そればかりではありません。私たちの家族は、天国にもそして凱旋の教会にも、煉獄の浄めの教会にも広がっています。「そして1つの家族として守って下さい」と集祷文で言っていますが、私たちは実はその3つの天と地と煉獄を合わせる、選ばれた、天主から選ばれた者たち、聖なる者たち、愛された者たちである、という事を今日聖パウロは思い出させてくれています。

ちょうど11月1日は諸聖人の祝日でした。ちょうど数日前でした。諸聖人の祝日には私たちは、聖ピオ十世会の創立を祝うのみならず、それよりももっと、天国にいる全ての天使、聖人たちの栄光に満ちた、その喜びと、歓喜と、幸せの様子を黙想しました。

天国にいる何千、何万、何百万、何億という多くの選ばれた人たちが、きれいな服を着飾って、真っ白なドレスで、そして宝石と素晴らしい飾り物に満ちて、そして手には勝利の棕櫚を持って、頭には冠を被って、そして素晴らしい、もうその美しさにはもううっとりとするほどの光景を、多くの大群の聖人たちが、童貞者たちが、博士たちが、主の前に讃美と感謝を捧げて与っている、永遠の幸せの晩餐に与っている、その光景を黙想しました。

天使たちが喜びに満ち溢れて、その天の大群が、讃美と感謝と憐れみの歌を天主に捧げている。その天主の御稜威は、それは太陽と比べたら、太陽が本当にろうそくのように見えるほどものすごい眩い、しかし目は全然痛くならない輝きと、美しさと、栄光に満ちて、その御稜威に満たされた、天主三位一体がその玉座に座し給うて、天主聖父、聖子、聖霊、そしてその隣に、私たちの母であり元后であるマリア様のものすごい素晴らしいお姿を黙想しました。

私たちはその天主の選ばれた者として、聖なる者たちとして、愛された者として、そこの一族に、私たちはその席に連なる者として、私たちはここに今生きています。

聖パウロは言います、「特に愛徳を持て」と。「天主を愛し、そしてこの私たちの家族である諸聖人を愛するように。憐みの腸を持て。謙遜と忍耐を纏(まと)え」と言っています。

ファチマのマリア様も仰いました。ルチアはマリア様のものすごい美しいお姿をご覧になってファチマで、「恐れないで下さい。私はあなたに何も悪い事をしませんよ」と言うと、「あぁ、あなた様はどこから来られたのですか?どちらの方ですか?」と聞くと、「私は、天からの者です」と仰いました。マリア様もすぐに私たちの心を天に上げられているかのようです。

ところで私たちは一体、どれほど多く天国の事を考えたでしょうか?「11月は死者の月だ、諸聖人の御祝いだ。」しかし私たちはどれほど愛する天国と、天主様と、イエズス・キリスト、諸聖人、私たちの為にこれほどお祈りして下さって、私たちの為に命さえ御血さえ流された天主イエズス様を、天国の事を、その為に私たちが創られて、今この地上に生きている天国の事を考える事でしょうか?

もしかしたら私たちは、天国の事を全然考えずに、この地上の事だけを考えて生きていたかもしれません。「私の友達がこんなに私に悪さをした。」「私の姑はこんなに悪い。」「私の妻はこうだ。」或いは「私の嫁は、」「私の先生は、」「主任司祭は、」或いは「安倍首相は、」或いは「プーチンは、」或いは「オバマは、」或いは…、そして私たちの関心はこの地上の事だけで、特に私の、自分の事だけばかりを考えていたかもしれません。考えるとしたら、人から受けた嫌がらせ、嫌な事だけを考えて、「何でこんな悪があるのか。」「何でこんな悪が私に許されたのか」と。

そうやって反省すると、それに答えるかのように今日の福音はこう言っています、「おっと、ちょっと待った待った、おっとどっこい。この世には実は敵が毒麦を撒いたのだ。だから本当は、天主の種だけ、天主の福音の種だけ撒かれたはずのこの世界に於いても、実は教会の中に於いても、敵が毒麦を撒いたので、異端や、罪や、或いはつまずき等がどうしても起こってしまったのだ。しかし、天主はそれをそのままにする事をお望みになった。何故かというとそれは、もしも今毒麦を全部取ってしまうと、良い麦さえも傷付いてしまうからだ。だから、この地上に悪が、毒麦が、つまずきが、嫌がらせがあるのは、天主の計画の中の一部なのだから、私たちはそれを知らなければならない。しかし最後にそれは、毒麦は毒麦として分けられて、束ねられて燃やされる。そして良い麦だけは特別に選ばれて、倉庫に入る、そこで保管される。だから今はその忍耐と試練の時である。憐れみの腸を身に付ける時である」と言っているかのようです。

ちょうどこれは11月2日、霊魂の、死せる信者の記念の日には、多くの煉獄の霊魂のために、私たちは死せる信者の為にお祈りしました。この世がこの地上での生活が終わったら、私たちは束ねられて焼かれるか、或いは天国にいるか、もしも焼かれたとしても煉獄に行くとしたら、それはお祈りを以って助けられるから、私たちは彼らの事も考えなければならない」と教会は教えているからです。ですから11月2日があります。

更にイエズス様は、「最後の最後には、最終の分離がある」という事を暗示しています。もしも悪を行った者たちは、私たちが罰するのではなくて、天主が永遠に罰し給うのです。永遠の地獄の火にくべられなければなりません。イエズス様はこの事を何度も暗示されました。

マリア様も同じでした。ファチマのマリア様は子供に教えるのです。子供は聞きました、「あぁ、マリア様は天国からいらしたのですか?じゃあ私も天国に行けますか?」「はい、行けます。」「じゃあ、ジャシンタは?」「“Também.” 彼女も行きます。」「フランシスコは?」「“Também.” はい、フランシスコも行けますけれども、フランシスコはたくさんロザリオを唱えなければなりません。」「じゃあ、マリア・ダス・ネヴェスはもう死んじゃったけれども、今天国にいますか?」「はい、います。」「アメリアは?」「アメリア、彼女はあの子は、この世の終わりまで煉獄にいます。」18歳か20歳だったそうです。100年前に亡くなった女の子ですが、「煉獄に、世の終わりまでいる」とマリア様ははっきり仰いました。

日本語のある本の中には、この「煉獄にいる」とだけしか書かれていないので、あれ?おかしいなぁ、と思って、ルチアのポルトガル語の手記を読んだら、ちゃんとポルトガル語の中には、「世の終わりまで」というマリア様の言葉がありました。

するとそれだけではありません。マリア様は7月13日に子供たちに地獄のビジョンを見せました。あまりにも恐ろしいもので、この床がパッと開いて地面がパッと開いて、大きな火の大海原が見えました。多くの霊魂たちがそこに雪のように、吹雪の雪のように落ちていました。形相の酷い形相をした、おどろおどろしい獣のような悪魔たちが霊魂たちを虐めていました。一瞬間、ほんの一瞬でしたけれどももう子供たちは、「もしも天国に行くという約束がなければ、死んでしまった」と言っています。

マリア様は、そしてイエズス様も、そしてカトリック教会も私たちに、「さぁお前!罪を犯すな!犯すと地獄落ちだ!」と脅そうとはしません。そうではなくて、「多くの霊魂たちが落ちているので、何とかこれを救わなければならない。この彼らの事を憐れんで、彼らの為に祈らなければならない」と言っています。

ではこの福音、「選ばれた者として、聖なる者として、天主から愛された者として」一体私たちは今日この主日にどんな遷善の決心を立てなければならないでしょうか?

私は3つの事を提案したいと思います。

1つは、天主から選ばれた者として私たちは、天の国に行くべき者、その為に選ばれた者、その為に聖なる者として、天主から愛された者として、天国の事を深く愛さなければなりません。天主、天国の事をよく思い出さなければなりません。皆さんの中で愛する子供、或いは愛する娘の事を思っていつも、「この子はどうしているだろうか」と思うではないでしょうか。私たちも天国の事を思い出さなければなりません。それが愛の証拠です。

そればかりではありません。「私が天国に行くかどうか」例えばルチアがそう思ったように、それのみならず、私たちの隣人も聖なる家族の一部として天国に行けるように、「ジャシンタやフランシスコはどうか?」と聞いたルチアに倣って私たちも、「あぁ、私のお友達は天国に行けるだろうか?その為にたくさんお祈りしよう」と思う事に致しましょう。私たちが皆天国に行けますように。

第2に提案したい事は、煉獄にいる、或いは地獄に落ちるかもしれない、私たちの祈りを最も必要とする霊魂たちの事です。マリア様は最初に現れた時に子供たちに聞かれました、「アメリアが世の終わりまで煉獄にいる」という事を聞いた時に、「あなたは天主様があなたたちに送る全ての苦しみを、罪の償いとして、そして罪人の回心の為の懇願の祈りとして、お捧げしますか?その事を望みますか?」と聞きました。ルチアは、「はい、望みます」と答えましたが、聖パウロも今日それを言っています、「憐れみの心を持て。特に愛徳を持て。とりわけ愛徳を持て。」煉獄の霊魂や、地獄に落ちようとする霊魂たちの事を思う事に致しましょう。私たちになされる悪を思うのではなく、私たちへの罪の償いの機会としてそれを利用する事に致しましょう。

これはもう有名な話なので皆さんご存知ですが、ルチアはお母さんから信じてもらえませんでした。ファチマの子供のルチアはお母さんに話しても、それを信じてくれませんでした。「嘘つきめ、嘘をついちゃいけないよ。そんな子は地獄に落ちるから。」主任神父様も、ファチマのマリア様の事を言っても信じてもらえませんでした。その為に叩かれたり、殴られたり、かといってルチアは、「嘘だ」と言う事はできませんでした。本当だったので。お父さんとお母さんの言う事を聞かなければなりませんでしたが、しかし本当の事を嘘だと言う事はできませんでした。信じてもらえずに叱られました。そういう話しをジャシンタにすると、ジャシンタのお母さんは信じてくれました。そしてジャシンタのお父さんはジャシンタを守ろうとしました。そういう話しをジャシンタにするとジャシンタは、「あぁよかった、私のお母さんは信じてくれて良かった」と思わずに、「あぁ、ルチアちゃん良いなぁ!私もそうやって罪の償いを捧げたかった」と反応したそうです。

私たちも聖パウロに倣って、私たちが受ける全ての、天主が送る全ての苦しみを、罪の償いとして捧げる事に致しましょう。天主を愛し、そして罪の償いの為に、私たちの受ける苦しみを捧げる、煉獄の霊魂や罪人の回心の為に犠牲を捧げる、というこの2つは、第3の決心にと続きます。

それはロザリオの十字軍で、多くのロザリオと犠牲を、ロザリオの十字軍の為に皆さんどうぞこの機会に参加するようになさって下さい。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。

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