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聖ペトロ大聖堂と聖パウロ大聖堂 この二つの献堂式の記念には、どんな意味があるのか?

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2016年11月18日(金)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


2016年11月18日(金)聖ペトロ大聖堂と聖パウロ大聖堂の奉献のミサ 
小野田神父説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。今日は2016年11月18日、聖ペトロ大聖堂と聖パウロ大聖堂の奉献の献堂の祝日です。

今日この聖堂の奉献の祝日で私たちは、この聖堂の歴史的な事実は何だったのか?

これは神秘的に一体何のどんな事を意味しているのか?という事を黙想して、

最後に私たちの遷善の決心を立てる事に致しましょう。

既に2世紀から、聖ペトロまた聖パウロの亡くなった所に出来たお墓はローマで有名でした。異端の人(例えば異端の司祭カイウス)であってさえもその事は話題になっていて、「もしも嘘だと思うなら行ってみろ。聖パウロはオスティアの街道の所に墓があるし、聖ペトロはバチカンの丘の墓場にある。そこには競技場があって、その競技場の隣にペトロの墓がある。」

ところでコンスタンティノ大帝が、お母さんのお祈りと影響によって遂に洗礼のお恵みを受けた後、その8日の後、涙ながらにバチカンにある聖ペトロのお墓に行って、そしてそこに「聖ペトロを記念する大聖堂を建てたい」と望みました。そこでそこに行って跪いて平伏して、自分の着けていたローマ皇帝の王冠をそこに置いて、自分の手で鋤を持って鍬を持って、袋をザルに12個分土を掘って、「ここに私は聖ペトロの大聖堂を建てる」と言って、12の使徒の頭である聖ペトロを記念して、12の分の土を別に乗せて、「ここだ」と行って場所を示して、大きな場所を示して、実はローマの掟によって昔からの掟によって、お墓には誰も手をつけてはいけなかったのですが、唯一の例外として、ローマがやった唯一の例外で、聖ペトロの為に、そこにあったお墓を潰して、坂だった所を全部ならして、そして大きな非常に荘厳な教会を建てる事、「自分のお金で建てる」と望みました。

それと同時に聖パウロの墓地にも行って、「そこにも建てる」としました。聖パウロのお墓はローマの城の門の外にあったのですが、そこに建てる事を決定しました。

聖シルヴェストロ教皇様は、聖ペトロの教会を11月18日に聖別して奉献しました。私たちローマの典礼によれば 、11月9日にラテラノ大聖堂、至聖なる救世主イエズス・キリストの大聖堂の献堂を祝いますけれども、そのやはり約10日後、18日にこの大聖堂が聖ペトロ大聖堂が祝別されました。

そして巡礼者が昔からそのお墓詣出をする事ができたように、「聖ペトロの告白」という場所がありました。これは「聖ペトロが信仰告白をした」という意味で、教皇様の立てるミサの特別の祭壇がありますけれども、そのすぐその祭壇はその聖ペトロの告白、そのお墓のすぐ真上に建てられました。しかもその聖ペトロのお墓の所まで下りていく事ができるような階段も付けてあります。この今までは聖ペトロが使っていたという木の祭壇があったのですけれども、それは別のブロンズのものの中に収められて、そして石で祭壇ができました。聖シルヴェストロは、「金輪際、祭壇は石で作られる」と命令して、それを設定しました。ですから今でも私たちの祭壇の中には、「祭壇石」と言われる石を乗せなければなりません。

ところがこの荘厳な祭壇、この大聖堂も長い約1000年以上にわたる使用によって、それも傷んだりしてきました。そこで新しく1626年に、新しい今の私たちが見る事ができる、ミケランジェロによる設計の大聖堂が教皇ウルバノ八世によって、やはり11月18日に奉献され、そして特別の儀式を以って聖別されました。

聖パウロの御聖堂も、実はコンスタンティノ大帝によって建てられて、聖別されるのですけれども、残念ながら19世紀になると1823年に火事で焼かれてしまいました。火事でほとんどが全焼してしまって、その次の後の4代の教皇様の特別の努力によって、それが更に、それよりも今まであったよりも更に荘厳に、あたかも仕返しをするかのように立派に建てられます。そしてやはりその御聖堂の献堂を祝う事になりました。

ただし、11月18日に聖別式をする特別の献堂式をする代わりに、当時の教皇様ピオ9世はとても良い事を考えました。何故かというと、時は1854年で、献堂式を行うことができる準備が出来たからです。同じ年の12月8日に、「マリア様の無原罪の御宿りの特別のドグマを発表する」と決定しました。その時全世界から、もうこれ以上集まる事ができないだろうというほどの多くの枢機卿様、司教様が喜んでやって来ていて、そしてそのドグマの宣言を祝う為にやって来ていました。そこでその2日の後に12月10日に、ローマのこの聖パウロの大聖堂に行って、ここで荘厳な奉献式をしました。ただし献堂の祝日は、同じ11月18日であると決定しました。

ではこの二つの献堂式の記念には、どんな意味があるのでしょうか?

この2つの献堂式が私たちに、「確かに聖ペトロと聖パウロはローマにやって来た。そしてそこで殉教したという歴史的な事実がある。もう目に見える動かす事のできない証拠がある」という事だけではありません。それだけでも大した、もうお金では買う事のできない歴史の事実であって、2000年の事実がそこに現れています。

それと同時に、ちょうどこのミサの時に黙示録を私たちは読みました。11月1日には諸聖人の祝日を祝い、私たちの目を天に上げました。諸聖人のものすごい栄光、その喜び、天のエルサレムの市民、イエズス・キリストとその花嫁である公教会の神秘的な結婚、イエズス・キリストの私たちは生ける神殿となった、そのそれが完成させられた、その姿を黙想しましたが、ちょうどそれを象るかのようにその11月9日には、至聖救世主のラテラノ大聖堂の献堂式があり、またそのやはり約10日後の18日には、聖ペトロ・聖パウロの献堂式があるという事は、「私たちの心が、天のエルサレムにますます上がるように」という教会の特別な計らいでした。歴史的なその状況がちょうどこの11月に、この献堂式が3回も、3つの教会の献堂式を私たちが全世界で祝うという事を望んだのでした。

ラテラノ大聖堂は、最も重要な「全ての教会の母」と言われる教会であって、これは教皇様がローマの最高の司教として、ローマの教区の為の教会ですが、聖ペトロ大聖堂は聖ペトロが殉教した場所であって、世界的な意味を持つ、全世界の教皇様としての役割を果たす為の教会という性格を持っています。もしもラテラノ大聖堂が「ローマ教区の人々が集まる教会」であれば、聖ペトロ大聖堂は「巡礼者が聖ペトロを巡礼する為に、その聖地に巡礼する為に集まった教会」でした、世界的な普遍的な意味を持つ教会でした。

ですから聖ペトロ大聖堂では、非常に重要なミサ祝日には、指定巡礼大聖堂としていつも聖ペトロ大聖堂が指定されています。こうする事によって教会は、「私たちの心をますます天国に、私たちの祖国に、究極の目的である天の栄光へと目を向けさせよう、向けさせよう。特に11月にその事を黙想させよう」と思ったのでした。

では私たちはどのような決心を取れば良いでしょうか?

それは今日、ちょうどこの福音の中に表れています。ザケオは税吏で、ユダヤの人々からは「罪人である」と考えられていました。しかし、「イエズス様を見たい。イエズス様にお会いしたい。イエズス様という方がどういう方かを知りたい」と思うと、イエズス様は、「今日、私はお前の所に行く。お前のもとに留まる、お前の家に行く。」そして、ザケオの家をいわば教会にしてしまったのです、大聖堂にしてしまったのです。

イエズス様はそれによって批判を受けます、「何でこんな罪人の家に遊びに行くのか。」しかしイエズス様の決心はその断固として変わりません、「私は罪人の為にやって来た、救いの為にやって来た」と。

イエズス様がいらっしゃる所は、そこは全て聖堂となります。もしも石で出来た聖堂が、このように大きな荘厳な儀式を以って聖別されるならば、本当にイエズス・キリスト様を受ける私たちの霊魂、私たちの体はどれほど大切に扱わなければならないでしょうか。天国のエルサレムの生きる石となって、その天国の神殿を形作る一部となる私たちはどれほど、イエズス様の目にとって貴重なものでしょうか。

イエズス様は私たちへも、「今日今晩、お前の所に行く」と、「御聖体拝領を以って行く」と仰っています。「行きたい。」

私たちは一体その時に何と言わなければならないのでしょうか?ザケオのように、「イエズス様、もしも私に悪いところがあったら、全てそれを放棄します。もしも償いをしなければならないのだったら、2倍で償います。そして私の罪の為だけはなく、主を信じない人の為にも、礼拝しない人の為にも、希望しない人の為にも、愛さない人の為にも、私は主を信じ、礼拝し、希望し、愛します。」

もしもアメリカの国民が、新しい大統領に「アメリカ、ファースト!」と言う方を選んだとしたら、もしもそうしたら、それはきっとアメリカの人たちにきっと心に気に入ったからに違いありません。

イエズス様も私たちに、「イエズス、第一!」或いは、「イエズス様が私たちの全てだ。イエズス様こそ私たちが最も必要とする方だ」と言うように御望みではないでしょうか。

イエズス様が私たちのところに来て下さるのを迎えて、私たちもイエズス様に、心からの信仰と、礼拝と、希望と、愛を捧げ、「イエズス様だけに生きる」という、「イエズス様の為に生きる」という決心を立てる事に致しましょう。その為に、弱い私たちを助けて下さるマリア様に是非お願い致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。

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