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2016年12月2-4日の聖伝のミサの報告:聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

12月2日と3日には、大阪で聖伝のミサを捧げることが出来ました。
2日には、初金曜日の聖時間を聖体降福式で過ごしました。
3日には広島から初めて来られた方いらして大変うれしく思いました。
大阪では、香部屋としてつかっていたお部屋を半分にして、その分御聖堂を拡張し、その工事が大変うまく出来、見違えるようになりました。

12月4日には東京で聖伝のミサを捧げました。
12月にも東京では3回の主日にミサがあり、そのお恵みを感謝します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

12月の初金、初土の御ミサの報告をお送りいたします。

12月2日(初金) 至聖なるイエズスの聖心の随意ミサには12人が、
12月3日(初土) 聖フランシスコ・ザビエル の祝日のミサには18人の方々が御ミサに与る御恵みを頂きました。デオグラチアス!

金曜日のお説教では待降節について黙想いたしました。 
入祭誦で歌われた「イエズス様の聖心の想い」とは、私達のもとにやって来たい、天国から地上に、私達を救うために下りたい、という「愛の想い」であること、
イエズス様の御到来には①ベツレヘムでの ご降誕、②最後の審判、③御聖体としての、三つがある事などを黙想しました。
茨の冠を安置するために聖ルイ9世が建てたサン・ド・シャペルという全面ステンドグラスに囲まれた素晴らしい教会は、とんでもない建設費を投じて建てられたそうですが、
聖ルイ王が茨の冠をコンスタンチノープルから買い取った値段は、サン・ド・シャペルが2個半建てられるほどの値段だったそうです。
茨の冠がそれほど価値があるものであるのに、私たちはミサの中でイエズス様ご自身をお迎えし、また聖時間でイエズス様に直接お話させて頂けるとは、イエズス様の愛と謙遜は全く無限であると感ぜずにはいられませんでした。

待降節になると、もうすぐクリスマスだと、気持ちが浮かれ、今までどれだけ良い準備ができていただろうかと考えさせられました。
良い待降節を過ごすためには「イエズス様の愛の想い」を感じて、真剣な準備が必要だとお説教を聞きながら思いました。
誰よりもよく準備してイエズス様をお迎えになったマリア様にお助けを賜って,残りの待降節をイエズス様の無限の愛の神秘に深くはいりたいと思います。

12月4日は、聖フランシスコ・ザビエルの大祝日で、お説教では聖人の生涯を黙想いたしました。

御ミサの後では新約聖書の成立についての序章部分を勉強しました。

今年のクリスマスには日本では大阪でも、東京でもクリスマスの御ミサがあるという大きな御恵み天主様に感謝します。
マリア様が私達にどれほど良くして下さっているか考えると、ファチマのマリア様のお望みをもっともっと頑張って果たさねばと思います!!!
小野田神父様がお持ちくださった巡回用のファチマのマリア様の御像はとても美しく、優しく、うっとりしてしまいました。日本に沢山の御恵みをお与え下さる事を感謝します。


【報告】
+Ave Maria! Immaculata!

このたびも、大阪での初金、初土、東京での主日のミッションをありがとうございました!
所感をご報告申し上げます。

初金に「日本のファチマのマリア様像」が、大阪の聖堂にいらっしゃいました。
大阪の聖堂は拡張工事が終わって、こじんまりとはしていますが、
広く美しい聖堂となって、ファチマのマリア様をお迎えすることができました。

正面祭壇右の、いつもは「汚れ無き御心」の額がある幕屋に、ファチマのマリア様がいらっしゃるのを見て
気がつきました。「あ!聖堂を広げて美しくしてくださったのは、ファチマのマリア様であられたんだ!」と。
これから日本の信徒のお家を回って、たくさんの祝福と恩恵をお与えくださる、その最初に
広く美しい聖堂を私たちにお与えくださったのではないでしょうか?
ちょうど、お客様がお土産をお持ちくださるように。
マリア様の私たちへの大きな愛、寛大な御心を感じ、心から感謝いたします。

この「日本のファチマのマリア様像」を、私たち信徒は、心から喜んでお迎えし、大切にします。
たくさんの愛と祈りと犠牲をお捧げしようと思います!
この御像を日本のためにプレゼントしてくださった、フォルティン神父様にも心から感謝申し上げます。
「ファチマの聖母マリア像がいらっしゃった時の祈り」と「離れられる時の祈り」は、
マリア様への「子ども」としての愛があふれるとても美しいお祈りですね。大好きです!

12/3の初土は日本の大恩人の聖フランシスコ・ザベリオの祝日でした。(宣教地なので一級大祝日)
聖フランシスコ・ザベリオの歌ミサに与ることができました。
小野田神父様のお説教で、「イエズス様に気に入られること、喜ばれること。それだけが私たちの最大の目的です。」
とのお言葉が心に残りました。
どれほど私はイエズス様以外のことに心悩み、かき乱され、苦しんでいることか!と思います。
願わくは、マリア様にお助けいただいて、究極の目的、天主イエズス様のことだけを考えることができますように。

この日、広島からおひとり、求道者の方が御ミサに与られました。
初土曜日でマリア様の汚れ無き御心の特別のお恵みと、
広島と縁の深い、聖フランシスコ・ザベリオ様の特別のお恵みに導かれていらっしゃったのだなあと思い、
その求道者の方のために御ミサでもお祈りいたしました。

聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
ファチマの聖母、ロザリオの聖母よ、我らのために祈りたまえ。


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

こんばんは!☆(o^▽^o)

昨日一昨日と、初金のイエズス様の聖心の御ミサ、御聖体降福式、フランシスコ・ザヴェリオ様の祝日の御ミサ、公教要理など本当に色々ありがとうございました!

そしてファチマのマリア様の御像を日本にお持ち下さってありがとうございます!!結構大きな御像なのでフィリピンからお持ち頂くのは大変だったと思いますが、本当に私たち日本信者の為にありがとうございますm(_ _)m
この御像を日本に寄贈して下さったフォルティン神父様にも心から感謝致します。
フィリピンではファチマの聖母像の御訪問を受けた所では、既に非常な御恵みが現れているそうですごいですね!!
そしてこの日本のファチマの聖母像は昨日から、私たちが住んでいる家を訪問して下さっています。
このマリア様の御像の前で、家族で、聖母マリア様がいらっしゃる時のお祈りと、聖母の汚れなき御心に身を捧げる祈りと、聖母の汚れなき御心に日本を献ぐる祈りとロザリオを唱えました。マリア様が私たち家族を祝福しに来て下さり、とても幸せに思います。
多くの方がこの御恵みを頂くことができますように!



【報告】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 21人(内、子供1人)
女: 24人(内、子供2人)
計: 45人(内、子供3人)



【報告】
+アヴェ・マリア・インマクラータ!

小野田神父様、こんにちは!
今回も日本で御ミサを捧げてくださったことを心から感謝いたします。

御ミサのレポートをお送りいたします。
今日(待降節第二主日)の御ミサは一言でまとめると「主がエルサレムにやってくる」ということだ、と典礼学者たちは言っているということで、エルサレムとは何か、ということについて説明していただきました。

・今回の御ミサで、これだ!とわかったこと
典礼学者たちは、エルサレムは四つの層からなっていて、最上層の第四層は私たちの霊魂である。
一番下の層は、ユダヤのエルサレム 次の二番目の層は、新しいキリスト教徒のエルサレム(イエズス様のご誕生) 三つ目の層は、天上のエルサレム(天国) 一番上の四層目は私たちの霊魂である。まるで、都市が敵の手によって破壊されてその上に新しい都市が生まれるように、新しいエルサレムが誕生する。
なぜ、第四層目が一番高い最高のものが霊魂かというと、天上のエルサレムの王、王の王である天主イエズス様は私たちを光栄で飾るため私たちの元にいらっしゃることを望んでおられるほど霊魂を愛しておられるからだ。
ということが分かりました!
第四層がある、と聞いた時、第四層は何だろう・・・? と考えて全く浮かばなかったのですが「霊魂」と聞いて納得いたしました。イエズス様は私たちの霊魂の元にいらっしゃって、私たちを光栄で飾って永遠の幸福の中にご自身と共にいることを望まれたために、十字架においてご自身を犠牲としてお捧げになり、私たちに御ミサの生贄を残され、それを与えられるほど、霊魂を愛されたことを思い直すことができました。そして前回の御ミサのお説教で神父様がお話しになった「この世の創造の目的は霊魂の救いであること」も思い出されました。霊魂という一番高い第四層のために、旧約の義人や太祖たちがイエズス様の御誕生を準備し、イエズス様がお生まれになり新しいキリスト教徒のエルサレムが生まれ異邦人にも救いがもたらされ、そして天国への扉がイエズス様の犠牲によって開かれ、そこに凱旋することのできる霊魂、そしてまた、天主を迎え入れることのできる霊魂は本当に尊いということを考えることができました。
そして、天のエルサレムに行くには、聖福音で話されているように、洗者聖ヨハネのなさったように準備すること、十字架が必要だということを改めて認識いたしました。日に三度のお告げの祈りでも、「その御苦難と十字架とによりて」と祈っているのに、十字架を厭うことの多さを反省いたしました。天主様から与えられる尊い自分の十字架を、しっかりと担って、カルワリオの丘をマリア様と共に歩くことができますように、とお祈りいたしました。

余談なのですが、神父様がお説教でお話しくださったサント・シャペルについてネット検索して写真を見ました。本当に素晴らしいステンドグラスですね…! 写真を見ただけでも、とても美しいことが分かりました。ただ、今は観光施設となりコンサート会場に用いられているそうで残念です・・・聖ルイ王が御聖堂を建てられた当時のようにサント・シャペルでも毎日、聖伝の御ミサが捧げられますように! とお祈りせずにはいられませんでした。


午後の講話では、茨木晃神父様(イエズス会のスペイン人の神父様で、日本に帰化なさった)が書かれた『新約聖書の成立について』という著書を元に聖書の正統性について、聖書を偽りだとか作り話だとか疑う人たちもいるが、歴史的事実との一致や、他の歴史書との一致、登場人物たちのあまりにも生き生きとした描写などから事実に基づいて書かれた物であることは疑うことができない、という事をお話しいただきました。
今回は特に聖パウロが実在の人物であるということについて、具体的には
・ローマの歴史家エストニウスの記録の中に、「ローマ皇帝クラウディウスは、ローマにいるユダヤ人たちがキリストについて論争して迷惑している」と書かれており、ローマからユダヤ人が追放された。この時追放されたアキラ・プリスキラ夫妻がパウロと会い、カトリックに改心している。
・コリントにて、ローマ皇帝ユニウス・ガイオの裁判にかけられる
 ユニウス・ガイオはセネカの兄弟でローマ皇帝だったが、ローマにおいての正式な記録がなく、疑わしいとされていた。しかし、1905年フランス人のブルゲ(M.E.Bourget)がギリシア旅行の写真集に発表した1枚の写真に、ユニウス・ガイオが皇帝であったことが書かれた石碑が写り込んだ。それが、聖書学者の目に止まり、聖書の記述が事実に基づいていることが確認された。
などの事実から、これを疑うことはできないということを教えていただきました。
特に驚いたのは、1905年にフランス人のブルゲという方の写真にたまたま写り込んだ石碑で皇帝の実在が確認されたということでした。天主様は時に本当に驚くような、時に意外な方法で私たちに必要なことを教えてくださるのだな、と思いました。

月曜の朝の御ミサ後の軽食の時間には、イエズス様の聖骸布についてや、鞭打ちの苦しみの話を皆さんとすることができ、とても良い時間を過ごすことができました。イエズス様が口では表現できないほど、全身傷でないところがないほど傷を受け血を流し尽くされたこと、茨の冠は頭蓋骨を貫通していたこと、その状態でカルワリオの丘を登られ十字架に釘付けにされたことを考え、それに私たちもついていけるのかについて黙想なさったことなど、皆さんからお話しを伺って考えることができたからです。やはり信仰を共にする方とお話しできることは素晴らしいと思いました、デオグラチアス! 

もう早いもので待降節第二主日を過ぎました。天主イエズス様の御来臨を迎えるにふさわしい準備を、日々の祈りを犠牲をもって進めて行くことができますように、聖母マリア様の汚れなき御心に依り頼みお祈りいたします。また、8日は無原罪の御宿りの祝日なので、良い祝日を迎えることができますように!!これも、お祈りいたします。

神父様もどうぞお身体に気をつけて、マリア様が神父様をいつも導いてくださいますように。お祈りしております。

+In Mary Immaculate,



【報告】
十アヴェ・マリア・インマクラータ!

小野田神父様 今回もごミサをありがとうございます!
待降節第二主日の御ミサのお説教は御降誕の大祝日に向けてどのように準備をしたらよいかをご教示くださいましたように受け止めました。
私も 「主よ私たちの心を目覚めさせ道を準備させてください」と 毎日願わなければと思いました。そのことを詳しくお話しくださいまして ありがとうございます。
”主が来られるエルサレム”という言葉には 幾通りもの意味が含まれているとのこと、その最も高みにあり かつ 深淵なることは霊魂のうちに主が来られることを顕していると伺い 平伏すような感慨をおぼえます。
単に2000年前ユダヤの地エルサレムにイエズス様が御生まれになったということだけでなく、エルサレムという言葉には この地上のキリスト教徒の教会というエルサレムや 世の終りの後に私たちに与えてくれる天上の教会・天の花嫁というエルサレムをも指し示していることを  パリ のサント・チャペルの教会を例に挙げられてお話しくださいました。そして ”私達の霊魂こそイエズス様が御生まれになられるエルサレムなのだと識りそのための準備を整えること”が、この待降節に私たちがしなければならないことだと お話しくださいました。サント・チャペルの二階の祭壇の上にある宝物置きが それ(霊魂のうちに建てられます聖堂)を象徴しているのかもしれないとのことで、小野田神父様により イエズス様が「私たちの霊魂のなかだ、その中にこそ入りたい!」と仰られるとき、この上ない勿体なさとそのようなお言葉に相応しくないための戦きの思いを持ちました。御ミサの中でいかに相応しく準備をして主を迎え入れるかのお話を聴き祈ることができてとても幸せに思いました。
神父様はこの日の祈りの言葉を注解してくださりながら、お恵みを持って入りたいという主をイエズス様を受け入れなさい、そのような天上の富を心から願い求めなさい、そして心の中の天のエルサレムに行くためには心の浄めと十字架が必要で、そこに行こうとすれば十字架に出会うが、十字架に出会うことを怖れずに 却ってそれによって受ける苦しみを抱いて 十字架を愛して日々の務め 日々の嫌なことも十字架として捧げてくださいと 道を示してくださいました。ありがとうございます。

午後の公教要理は 新約聖書についてのお話でした。「新約聖書の成立について」茨木晃S.J.著をもとに、特に「聖パウロが確かに実在した人物であった」ということにテーマを置き パウロの生涯を詳しくお話しくださいました。それは「なぜ新約聖書が疑いのない事実か」と言う問いに対して 聖パウロだけは実在していることを説明できるからということでした。

ところで私がこれまで持っていた聖パウロのイメージとは、12使徒とは全く異なるタイプの方、キリスト者を迫害までしたというのに突如回心した方、 実際にイエズス様と共に過ごしたことがないのに信仰の重要で大切なことを書簡に書き残してくだり教会にとって重要な聖典を書いてくださった方 異邦人への宣教を使命とされていた方だということでした。テント作りで生計を立てていることを述べて、あなたたちも自分で働いて食べるようにしなさいという言葉があるので、あれっあんまりお金持ちでないのかも?と思っていました。

お話を伺って、ユダヤ人でありながらトルコのタルソで生まれ ギリシャ語に堪能でヘブライ語を学び、親がお金でローマ市民権を買ったローマ市民だったとは 初めて知ることでした。社会的地位のあるお金持ちの息子で非常に教養もあり自由に国々を移動できる人物であった聖パウロは、(ユダヤ人からすると)外国に住む熱心なユダヤ教徒で エルサレムに留学し あの”ガマリエル”のもとでしっかりと熱心にユダヤの律法を学んでいた一方で、ギリシャ文化についても精通し旧約聖書をギリシア語で理解することもできていて、ある意味国際的感覚の持ち主であった、ということもわかりました。聖パウロがどのような人物であったか教えていただき、彼が異邦人への宣教のための選びの器の条件が良く整っていたということがよくわかりました。

他にも、聖パウロがキリスト教を宣べ伝えながらユダヤ人からも迫害を受けてあちこち旅をして回り最後にはローマの地で殉教されることになったことには歴史の裏付けがハッキリあることなどお話しいただきましたが、印象に残ったのは、新約聖書に出てくる人物の実在を証明するものが発見された出来事のお話です。それは 使徒行録18章12節の「ガリオがアカヤの地方総督だった時」の、ガリオという人物に関することで、1905年 M.E.Bourguet ブルゲという人がギリシャ旅行の写真集を発表したとき、ブルゲ本人がまったく意図したことでなかったにもかかわらず、本人の記念写真の本人の写っている背後に石板(記念碑)も偶然に写っていて、そこに《ローマ総督 ユニウス・ガリオの功績を称える A.C.51-52年》と明記されていることが読み取れたのだそうです。それまで、ユニウス・ガリオという人物はセネカの兄弟であるということはわかっていたけれども、そのユニウス・ガリオたる人物が実在する証拠が残っていなかったので、使徒行録に書かれていることも作り話ではないかという扱いも受けることもあったそうです。ところが はっきりと写真に写っていたことにより、その論争に終止符が打たれたとのこと、その偶然のような廻り合わせにより新約聖書の中の登場人物が実在する人物だということの証明されるものが発見されたというお話が興味深かったです。

「聖パウロはあまりにもユニークなキャラクターであまりにも聖パウロの話や人生がよく出来すぎていて 歴史家でさえ知らなかったことも書かれているためにすべて作り話であるかのようにも思われるけれども、聖パウロを実在する人物としなければ21世紀の現在にはもう辻褄が合わないと言わざるを得ないようなことが 歴史を知れば知るほど出てきてしまい、パウロの人生、登場人物、なぜパウロがローマに来ることになったのかなど、それらがピタリピタリとパズルが合う如く あまりにもよく証明されるために、後代の人の作り話などではなく、確かに聖パウロという人物が実在する人物だったと言えます。」という言葉で、ご講話を締めくくってくださいました。聖書は特別な書であるということしか頭にありませんでしたが、疑いのない事実が書かれている書であるということもしっかりと心に留めておきます。ご講話をありがとうございました。



【お便り】
Maria! Immaculata!

無原罪の御宿りの大祝日、おめでとうございます!
御受胎の最初の瞬間から、悪魔の頭を踏み砕き給えりという言葉が、心にずーっとこだましています。ノベナをしたからですが^_^;
悪魔は、たった一度さえ、マリア様に勝つことができず、存在の最初の瞬間に、赤ちゃんにもならない、小さなマリア様に頭を踏み砕かれたのですね。
インマクラータをお与えくださった天主様に感謝いたします!
天主様の偉大な御憐れみに感謝いたします!

インマクラータ、我らのために祈りたまえ。



【お便り】
トマス小野田神父様

ブログ拝読いたしました
小野田神父様は同じことしか言わないなどという方がおられるのですか
驚きました

私も真理を探す人が、様々な言葉に惑わされている様子をみるたびに、御言葉はひとつ、信仰はひとつ、主の牧場はひとつ、カトリックはひとつしかないと言っています(・・・)

カトリックの司祭は、どなたに御教えを訊ねても同じ答えが返ってきました
それこそが聖なる普遍の教会の体現ではなかったでしょうか
今は司祭ごとに、答えが違っています
むしろ信徒ごとに答えが違っていて当然で、あなたの感じ方を大切にしなさいという感じで、余計にイエズス様から遠ざかってしまっています

同じことしか言わないという方は、耳に心地よい言葉を、生ぬるいものを求めておられるのでしょうか
天主は、マリア様も生ぬるいものは決して受け取りません
熱いか冷たいかです

トマス小野田神父様
人々の顔色よりも、これからもイエズス様、マリア様の顔色を気にしてください

罪人と天主を和解させられるのは司祭のみですから
御聖体を触れるその手が決して汚されることがありませんように



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