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Channel: Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた
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「天よ、露を滴らせよ」 露の四つの理由とは?

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2016年12月22日(木)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2016年12月22日 待降節の平日のミサ
小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2016年12月22日、私たちの主イエズス・キリストの御誕生まであと残すところ48時間となりました。今日この御ミサが終わりましたら、いつものように聖体拝領後の祈りの後に、終課を一緒に歌いましょう。

終課の前には聖ピオ十世会の習慣に従って、一緒に「O Antiphona: O Rex gentium」を一緒に唱える事を提案します。


“Videbit omnis caro salutare Dei. ”

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日この主日と同じミサをしています。このミサの構造を黙想しながら、来たる48時間後の御降誕の準備をする事に致しましょう。

ちょうど先週の土曜日には私たちは、待降節の四季の土曜日のミサを捧げて、そのミサの全体的な構造を見て、ちょうどこの待降節の四季の土曜日のミサは、待降節の要点であって、その頂点であって、その凝縮された形だ、という事を黙想しました。

実はこの前の土曜日に申し上げましたように、土曜日のミサは夜中から始まって、夜明けに終わったので、実はこの主日のミサが特に無かったのです。

しかしこのミサが午前中にするようになってから、「主日のミサをする」という事で、ミサは待降節の四季の斎日のミサの所から取られて作られました。ですからこれを見るとやはり、待降節の凝縮であるという事がわかります。

今日入祭誦では、イザヤの書から読まれました、「天よ、露を滴らせよ。雲よ、義人を降らせよ」という有名なイザヤが最初に出てきます。

この前も申し上げました通り、待降節の時に出てくる3人のどうしても切り離せない人物がいます。

それは預言者イザヤ。このイザヤは特に、「童貞が救い主を生むだろう。これがしるしとなる」と預言した方でした。救い主についての詳しい事を預言した方がイザヤでした。

第2が、救い主の直前に現れた先駆者洗者聖ヨハネ。

救い主を私たちに直接下さるマリア様。

入祭誦ではあたかも、教会の門の外に立ってその玄関の先で、「天よ、露を滴らせよ。雲よ、義人を降らせてほしい」と叫んでいる預言者の姿が出てきます。まさに入祭誦にふさわしい人物です。

Cornelius a Lapideという方によると、「このイザヤが、『露を滴らせよ』と言ったのは意味がある、四つの理由がある」と言います。

「何故かというと、露というのは、その起源がよく分からなくて隠れていて、何か知らないうちに露が生じている。それと同じように御託身も、イエズス・キリスト様が天主が人となって来られるのも、メシアとして来られるのも、その起源が一体どうやって天主は人となったのか、秘密に隠されているから。ちょうど露が結晶したのと同じようだから。」

「第2の理由は、ちょうど露が、きれいな純粋な蒸気が凝縮して水となったように、純粋な童貞女が母となったから、露ととても似ている。」

「第3の理由は、露というのは、非常に甘美で、多くの実りをもたらすものだけれども、ちょうど救い主の御恵みも、甘美で、多くの実りをもたらすもので、露に似ているから。」

「最後に、露というのは、一見するとキラキラ光って宝石のようで、ダイヤモンドのように光っている。ところで救世主というのは、人類に与えられた、天主と人類との契りの指輪を飾るダイヤモンドのようだから。イエズス・キリストは、その天主と人との結合のリング指輪を飾る宝石のようだから。だから『露を滴らせよ』と言うのはまさに相応しい」と言っています。

第2に、イザヤは教会の門で「救世主よ、来てくれ」と言っていましたが、福音では先駆者聖ヨハネが出てきます。書簡書ではその前の、その前日にあった叙階式の事を思い出させるかのように、司祭について、救い主が来たるべき、という事を語りますが、中心はやはり聖福音です。

聖福音で、洗者聖ヨハネが悔悛の洗礼を説教します。ちょうどミサのいけにえが捧げられる前に、奉献の祈りが捧げられる前に、司祭が説教台に立って、「悔悛せよ、罪の償いを果たせ、罪を泣け、祈りをせよ、主の道を準備せよ」と説教するように、洗者聖ヨハネが今回は福音の時に説教台に立って、「いけにえを捧げる前に、さぁ、悔悛の洗礼を受けよ、罪を償え、罪に泣け、罪の償いを果たせ、祈りを果たせ」と私たちに呼びかけています。

次に奉献の祈りが来ますが、奉献の祈りはこのすぐ後歌われるように、「“Ave Maria Gratia Plena”聖寵に充ち満ちた方、挨拶します。あなたは女の中で祝福され、御胎内の御子も祝されております。」マリア様を通してお恵みを受け、私たちはいけにえへと導かれます。

私たちの目の前で、いけにえが捧げられます。イエズス・キリストが人となって、私たちの目の前にパンの姿で、見かけはパンですけれども、真のイエズス・キリストの御体と御血が、私たちの前に現存致します。いけにえが捧げられ、御聖体が配られます。

御聖体拝領を私たちは受けると、イエズス様は私たちと共に在すから、まさに、「天主、我らと共に在す」です。そこでもう一度、教会の前で叫んでいたイザヤの預言が成就した事を思って、教会は御聖体拝領の時にイザヤの預言を取って、「見よ、童貞は身ごもって子供を産む。彼はエンマヌエルと呼ばれる“主、我らと共に在す”。 」

ちょうど私たちも、マリア様と同じようにイエズス様を拝領して、マリア様のように私たちの中にイエズス様を宿して、実に「主は、私たちと共に在す、エンマヌエルである」とマリア様と私たちの姿を重ねて、預言が成就した事を歌って、「さぁ、これからイエズス様の御光来を準備せよ。私たちの心をますますマリア様に倣って清めよ」と教会は私たちに招いています。

あと数時間で、私たちの主イエズス・キリストの御降誕のお恵みを私たちは受けようとします。3人の人物に、イザヤに是非、太祖が求めていたその救世主を求めるその熱望を、祈り求める事に致しましょう。「天よ、露を滴らせよ。雲よ、義人を降らせよ。我が心に救世主を生み出すように助け給え。」

洗者聖ヨハネのお説教にも心を耳を傾ける事に致しましょう。「主の道を真っ直ぐにするように。イエズス・キリストの御旨をのみ、私たちが果たす事ができますように。この世の罪や、この世の楽しみへの愛着をますます取り離す事ができますように。この地上のものをもはや軽蔑して、天のものを愛する事ができますように。」

マリア様に、マリア様を通して、救い主が私たちに与えられますようにお祈り致しましょう。

“Videbit omnis caro salutare Dei. ”
「全ての人は、主の救いを見るだろう。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここに掲載されています。

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