アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2017年1月21日(土)に東京で、フルーガー神父様が聖伝のミサを捧げてくださいました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2017年1月21日(土)殉教者童貞聖アグネスのミサ
フルーガー神父様 御説教
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
親愛なる兄弟の皆さん、今日聖アグネスの祝日において、少しだけお言葉を申し上げます。
聖アグネスは、3世紀に初代の教会において最も有名な殉教者の一人でした。聖アグネスの話はもう皆さんご存知かもしれませんけれども、聖アグネスは当時13歳の若い少女で、ローマの市長の息子が彼女に結婚を申し込むのですけれども、それを拒まれ、そして殉教のきっかけとなります。なぜ拒んだかというと、それは既に彼女はイエズス・キリストと婚約を、許嫁となっていたから拒んだのでした。
この聖アグネスのイエズス・キリストを望む心、そして愛、そして忠実さこそ私たちが求めなければならない徳です。典礼では特に聖福音が、イエズス様が御受難に行く直前の例え話、つまり「10人の乙女たち。賢い5人と愚かな5人」についての例えから取られています。
10名の乙女たちはちょうど私たちのシンボルで、イエズス・キリスト、私たちの花婿であるイエズス・キリストを待っている乙女たちです。ここには2つのグループがあります。1つは5名の愚かな乙女たち、そしてもう1つのグループは5名の賢い乙女たちで、2つのキリスト教信者のグループを表しています。
このここで与えられているメッセージは重要で、ただ「待っているだけ」では足りません、私たちは「何か」をしなければなりません。この乙女たちはどれだけ長く待たされなければならないかを知りませんでしたし、いつまで居なければならないかも知りませんでした。しかし10人は皆、「主と会いたい」というその願いに於いては同じでした。
5名は、ランプと灯と同時に「油」も持っていました。何故かというと、花婿がいつやって来るか分からないので、いつまでも待つための準備をしていたからです。
しかし5名の愚かな乙女たちは、自分の主と共に居る為にランプは持ちましたけれども、しかしそれがどれほど待たなければならないか、という事は考慮しなかったので、ランプにいるべき「油」を準備していませんでした。
これは私たちの状況と全く同じです。私たちも待たなければなりません。信仰において待っていなければなりません。しかしそれがどれほど長く待たなければならないかという事を私たちは知りません。この今の危機がどれほど、教会の危機がどれほど長くなるかという事も私たちは知りません。私たちの先祖たちも司祭を待って、長く待っていました。
しかしこの「待つ」という事に、私たちの信仰があって、その待った、信仰を持って待ったその報いがあります。その報いを与える為に主は必ず来られます。
これがルフェーブル大司教様の教えでした。特に1970年代の時は、「私たちはこのランプをこの灯を、信仰の灯を持ち続けなければならない。信仰を守り、そして忠実に、堅固に守り続けなければならない。そして待たなければならない。永遠の命に入る為に、聖伝のミサを守り、秘蹟を守り続けなければならない」と教えて下さいました。
ちょうど灯が油を必要としているように、その油が燃え尽きてしまわないように、そのいつも燃料をたくさん加える事ができるように、続ける事ができるようにしなければなりません。そこで信仰にも、私たちは何かをしなければなりません、何かが必要です。この「油」というのは「愛徳」であって、信仰の結果であると同時に、信仰を常に保たせるものです。
この愛徳という神秘は、旧約の時代からもう既に明らかにされていました。つまり、「天主を全てにおいて愛し、隣人を我が身のように愛す」という事です。ところが新約では新しい掟が与えられました。それはイエズス・キリスト様が、「互いに愛しなさい。私がお前たちを愛したように、愛し合いなさい」という掟です。ではどのようにイエズス様は私たちを愛して下さったでしょうか?
それは、御自分の命を私たちに与えて下さるほどの愛でした。イエズス様の仰るには、「友人の為に自分の命を与えるほどの大きな愛はない。」そしてこのイエズス様の私たちに与えて下さった愛が、贖いの愛です。
これが私たちの主の教えであって、殉教者たちのメッセージであって、ファチマのメッセージです。つまり、「信仰を持って私たち自身を愛するのみならず、私たちの命を隣人の為に与える事によって、隣人を救う」という事です。私たちは隣人を助けなければなりません。隣人の救霊の為に祈らなければなりません。隣人の霊魂の救いの為に祈らなければなりません。そして私たちの霊魂を救うのみならず、全世界の霊魂を救うという事を考えなければなりません。
ですから私たちは全ての聖人たちにお願い致しましょう。マリア様にお祈り致しましょう。聖アグネスにお祈り致しましょう。全ての殉教者にお祈り致しましょう。私たちを助けて下さって、私たちがこの油をいつも持っていますように、愛徳の油を持っていますように、そして信仰の灯を持っていますように、そして愛徳の油をもって霊魂を救う事ができますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
2017年1月21日(土)に東京で、フルーガー神父様が聖伝のミサを捧げてくださいました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2017年1月21日(土)殉教者童貞聖アグネスのミサ
フルーガー神父様 御説教
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
親愛なる兄弟の皆さん、今日聖アグネスの祝日において、少しだけお言葉を申し上げます。
聖アグネスは、3世紀に初代の教会において最も有名な殉教者の一人でした。聖アグネスの話はもう皆さんご存知かもしれませんけれども、聖アグネスは当時13歳の若い少女で、ローマの市長の息子が彼女に結婚を申し込むのですけれども、それを拒まれ、そして殉教のきっかけとなります。なぜ拒んだかというと、それは既に彼女はイエズス・キリストと婚約を、許嫁となっていたから拒んだのでした。
この聖アグネスのイエズス・キリストを望む心、そして愛、そして忠実さこそ私たちが求めなければならない徳です。典礼では特に聖福音が、イエズス様が御受難に行く直前の例え話、つまり「10人の乙女たち。賢い5人と愚かな5人」についての例えから取られています。
10名の乙女たちはちょうど私たちのシンボルで、イエズス・キリスト、私たちの花婿であるイエズス・キリストを待っている乙女たちです。ここには2つのグループがあります。1つは5名の愚かな乙女たち、そしてもう1つのグループは5名の賢い乙女たちで、2つのキリスト教信者のグループを表しています。
このここで与えられているメッセージは重要で、ただ「待っているだけ」では足りません、私たちは「何か」をしなければなりません。この乙女たちはどれだけ長く待たされなければならないかを知りませんでしたし、いつまで居なければならないかも知りませんでした。しかし10人は皆、「主と会いたい」というその願いに於いては同じでした。
5名は、ランプと灯と同時に「油」も持っていました。何故かというと、花婿がいつやって来るか分からないので、いつまでも待つための準備をしていたからです。
しかし5名の愚かな乙女たちは、自分の主と共に居る為にランプは持ちましたけれども、しかしそれがどれほど待たなければならないか、という事は考慮しなかったので、ランプにいるべき「油」を準備していませんでした。
これは私たちの状況と全く同じです。私たちも待たなければなりません。信仰において待っていなければなりません。しかしそれがどれほど長く待たなければならないかという事を私たちは知りません。この今の危機がどれほど、教会の危機がどれほど長くなるかという事も私たちは知りません。私たちの先祖たちも司祭を待って、長く待っていました。
しかしこの「待つ」という事に、私たちの信仰があって、その待った、信仰を持って待ったその報いがあります。その報いを与える為に主は必ず来られます。
これがルフェーブル大司教様の教えでした。特に1970年代の時は、「私たちはこのランプをこの灯を、信仰の灯を持ち続けなければならない。信仰を守り、そして忠実に、堅固に守り続けなければならない。そして待たなければならない。永遠の命に入る為に、聖伝のミサを守り、秘蹟を守り続けなければならない」と教えて下さいました。
ちょうど灯が油を必要としているように、その油が燃え尽きてしまわないように、そのいつも燃料をたくさん加える事ができるように、続ける事ができるようにしなければなりません。そこで信仰にも、私たちは何かをしなければなりません、何かが必要です。この「油」というのは「愛徳」であって、信仰の結果であると同時に、信仰を常に保たせるものです。
この愛徳という神秘は、旧約の時代からもう既に明らかにされていました。つまり、「天主を全てにおいて愛し、隣人を我が身のように愛す」という事です。ところが新約では新しい掟が与えられました。それはイエズス・キリスト様が、「互いに愛しなさい。私がお前たちを愛したように、愛し合いなさい」という掟です。ではどのようにイエズス様は私たちを愛して下さったでしょうか?
それは、御自分の命を私たちに与えて下さるほどの愛でした。イエズス様の仰るには、「友人の為に自分の命を与えるほどの大きな愛はない。」そしてこのイエズス様の私たちに与えて下さった愛が、贖いの愛です。
これが私たちの主の教えであって、殉教者たちのメッセージであって、ファチマのメッセージです。つまり、「信仰を持って私たち自身を愛するのみならず、私たちの命を隣人の為に与える事によって、隣人を救う」という事です。私たちは隣人を助けなければなりません。隣人の救霊の為に祈らなければなりません。隣人の霊魂の救いの為に祈らなければなりません。そして私たちの霊魂を救うのみならず、全世界の霊魂を救うという事を考えなければなりません。
ですから私たちは全ての聖人たちにお願い致しましょう。マリア様にお祈り致しましょう。聖アグネスにお祈り致しましょう。全ての殉教者にお祈り致しましょう。私たちを助けて下さって、私たちがこの油をいつも持っていますように、愛徳の油を持っていますように、そして信仰の灯を持っていますように、そして愛徳の油をもって霊魂を救う事ができますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。