アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2017年2月17日(金)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2017年2月17日(金)七旬節の平日のミサ
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2017年2月17日、平日で主日のと同じミサをしております。今日の御ミサの後に、一緒に終課を唱える事に致しましょう。
シュテーリン神父様と会って直接お話をする機会がフィリピンでありました。神父様によると、フルーガー神父様は第一補佐として総長様の名前で日本を回って、そして日本での私たちの活動に非常に良い印象を受けられた。「日本の為に何かをするべきではないのか」とシュテーリン神父様に仰って、そしてこのとてもご満足であった、と嬉しい報告を頂きました。
皆さんの一生懸命のお祈りと、日頃のいつものご様子を神父様はご覧になって、「一生懸命やっている。イエズス様とマリア様の心をお喜ばせしようとしている」という事がよく分かったのだと思っています。このお恵みをマリア様に特に感謝致します。そして皆様にも感謝致します。
どうぞますますこの教会が発展しますように、マリア様の御心を愛し、そしてお慰めする霊魂たちがますます増えますように。お友達や、知っている方や、この同僚の方や職場の方や、隣人お住まいの近くの方や、色々な方法でどうぞ聖伝のカトリックのミサに来るように誘って下さい。多くの霊魂にマリア様の事が知らされるように。日本で修道院ができますように。それの準備の為にも、どうぞたくさんのお友達をお誘い下さい。
またこの教会は、一生懸命私たちの善意と寛大な心で、こんなにますます綺麗になっています。この綺麗になる計画はまだまだ続いております。そこでもしも、この教会で今度は実はきれいな燭台とか、きれいなミサ典書を立てる書見台とか、或いはその他色々な物をますます荘厳に相応しい物にしたいと思っておりますので、もしもそれにお手伝いしたいという寛大な方がいらしましたら、ぜひ心からお願い致します、感謝致します。
3月1日は灰の水曜日です。カトリック教会によると掟によって、私たちは大小斎を守らなければならないので、ですから既に3月1日の事を皆さんに申し上げておきます。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は七旬節のミサを行っています。そこで七旬節、実は新しいミサではこの七旬節・六旬節・五旬節が無くなってしまっているのです。しかし教会は母の心をもって、私たちが四旬節に心の準備を持って、ちゃんと入る事ができるように、四旬節ほどの厳格さはなかったとしても、少なくとも霊的に四旬節へと準備するようにウォーミングアップするように、私たちに既に、「さぁ四旬節が始まる、だからそれの良い準備をしなさい」と呼び掛けています。
特に今日、四旬節の準備の為に教会は、2つの朗読を私たちに提案しています。
1つは聖パウロの書簡でコリント人への手紙で、「私たちの人生には目的がある。その目的は王冠を得る事だ」という事を言っています。
第2の福音でもやはり同じ事を主は言います、「さぁ、お前も行って私のブドウ畑で働け。そしてブドウ畑で働けば給料をあげよう。1日の終わりに報いを与えるから、さぁ行け、働け。」
「私たちの今の人生は、この働きには報いが与えられる。給料日が来る、必ず来る」という事を思い出させています。「私たちは給料を取る為に働いているんだ」と。
では私たちの得るべきその最後の俸給とは何なのか?これを教会は思い出させています。
私たちが最後に受けるべき、最後に私たちの人生の最後にあるのは、死と、裁判と審判と、そしてそれの私たちの人生の報いです。或いは天国、或いは地獄。これが必ず私たちに起こるという事を教えています。
ですから私たちは、「この給料日が来る、裁判の日が来る、この終わりが来る」という事をいつも念頭に置かなければなりません。
「ブドウ畑で働く」という、この『ブドウ』というのは、私たちの『霊魂』の事なのです。私たちの霊魂を私たちが世話をして、そして主に奉献する事ができるようにする、という事です。
でも残念ながら、この「給料日がない、終わりがない、私たちが何をやっても、私たちがどんなに働いているかを誰も見ていない」と思っている人は、本当ならばブドウ畑で霊魂をきれいに世話をしなければならないところを、ブドウ畑で働かなければならないところを、別の事をしています。ブドウの世話以外の事を、霊魂の世話以外の事をして、そして主から言われたものを守らないでいます。
聖パウロは今日言います、「お前たちは知らないのか。競技場で走る人々は王冠を得る為に走っているのだ、金メダルの為に走っているのだ、王冠の為に走っているのだ、名誉の為に走っているのだ。だからお前たちも、天国の栄光の為に走れ」と。「はい。」
この頃は受験の季節ですから、高校入試や大学の入試の為に、学生さんたちは一生懸命「あぁ」試験準備をしたり、或いは公務員試験をしたり、或いはピアノを練習してピアノで卒業できるように準備をしたり、或いはもちろんオリンピックの為に準備をする人がいたり、スキーやスケートの為にいつも準備をしたり、水泳の為に金メダルの為に1日に10時間泳ぐとか、そういう人たちが色々います。
そればかりではりません。この世の商品を売る為に、このマーケットで一番になる為に、裁判に行ってこの敵の会社に負けないように行ったり、或いはちょっとしたこう地位を得る為に一生懸命夜も寝ずに働いたり、競争や色々な競争をして激しいダイエットをしたりとか、或いはトレーニングをしたり、夜も寝ずに夜中まで働いて残業して残業して、朝早く起きて、それから国際電話で夜中に起こされて、それで飛行機で回って、というのはこの世の利益を、この世の地位を、この世で一番を取る為に、この世で製品を売る為に、一生懸命やっています。
ところが聖パウロは言っています、「私たちが今一生懸命生きているのは、そのような朽ちる為の、儚い名誉の為のものではなくて、私たちは永遠の朽ちない、永遠の命の為に働いているのだ。だからその為に行って働け。その為に走れ。その為に鍛えろ。その為に一所懸命準備しよ。私たちの救霊という、最も一番大切な事業の為に心を砕け。もしもこれさえ成功すれば、他のものはどんなに失敗しても大した事はない。でも命を失ってしまったら、永遠の命を失ってしまったら、救霊を失敗してしまったら、天国に行き損ねてしまったならば、この世でいくら面白おかしく過ごしたとしても、この世で一番だとしても、この世で金メダルを取ったとしても、この世で何であったとしても、ある一国の王様であったとしても、何の、何の利益もない。」
つい最近、ある私たちの日本の近くにある国の独裁者の子供が、どこかで暗殺されたという話を聞きました。何かその兄弟のその権力闘争の争いで、政治の敵だったので邪魔者だったらしく、そしていきなり暗殺された。そのたとえスイスと中国を行ったり来たり、或いは美味しいワインを飲んで、ディズニーランドで遊んで、或いは世界中を面白おかしくやって、或いはお酒と肉体の喜びに耽っていたとしても、でも本当の平和と喜びはありませんでした。「いつ殺されるか、いつ政権が襲われるか、」不安で不安で、更に悪事を進めているのではないでしょうか。
私たちはそのような事よりももっと大切なものを、永遠のものを勝ち取らなければなりません。永遠の救霊です。
つい最近高山右近の人生を黙想しましたし、高山右近は、「この永遠の命の為に全てを失っても、これだけは引き換える事はできない」とされました。
では私たちはそれに引き換え、どうでありましょうか?私たちは一体どのように救霊の為に働いているでしょうか?
お祈りをする、「あイタタ、ちょっと頭が痛いし、あぁ熱が出てるし、あぁゴホンゴホン、咳は出てるし、あぁ今日は、今日はちょっとお祈りは、…」
でもテレビを見ると、「あっ、いやぁテレビはOK、テレビは大丈夫だ!インターネットも大丈夫!うん、YouTubeも大丈夫!」「お祈り?お、お祈りはちょっと…」
霊的読書、「霊的読書はちょっと頭が痛いし、目もちょっと、あぁ…」
でもどこかの歌手が何かこうした、或いはどこかの何かニュースが、ニュースはトランプがこうだ、「あぁそれは、それはもちろん読まなきゃ!」
イエズス様に関して十字架の黙想をする、「あぁ…、めまいがする。」
私たちの良心の究明をする、「あぁ…、別の用事がある。」
それの為には腰は重いし、頭は痛いし、熱は出るし、しかしその他以外の事であればもう喜んで、寒い冬もミニスカートで行く事もできるし、どんな辛い事でもやる事ができる。
私たちは今日教会によって、「さぁ、私たちが走っているのは、私たちが今生きているのは、報いの為だ。報いの日が必ずやって来る。その時には必ず私たちに朽ちない王冠が与えられる。だからそれを目指して走りなさい」と私たちにモーニングコールを、私たちにもう一度その事を確認するように、「四旬節がすぐやって来るから、四旬節を良く過ごすように」と教会は私たちに招いています。
では、どのような遷善の決心をしたら良いでしょうか?
教会の招きに従って、どうぞ七旬節の中に深く入って下さい。四旬節の準備をなさって下さい。「私たちの究極の目的は、永遠の命である」という事をもう一度確認する事に致しましょう。この世の苦しみは短いという事、そしてこの世の苦しみは永遠の命の為にある、という事を確認する事に致しましょう。
それでは最後に、マリア様の汚れなき御心にお祈りする事に致しましょう。マリア様は約束されました、「私の汚れなき御心は罪人たちの避難所であって、天国に行く道である」と。「私は天から来ました。」
マリア様は子供たちに地獄を見せました。多くの霊魂を救う事を訴えました。祈りと犠牲を捧げる事をお願いしました。まさにマリア様は私たちに、「良く四旬節を過ごしなさい」と仰っているかのようです。マリア様の御取り次ぎで、良い四旬節を迎えるその準備をする事に致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
2017年2月17日(金)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2017年2月17日(金)七旬節の平日のミサ
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2017年2月17日、平日で主日のと同じミサをしております。今日の御ミサの後に、一緒に終課を唱える事に致しましょう。
シュテーリン神父様と会って直接お話をする機会がフィリピンでありました。神父様によると、フルーガー神父様は第一補佐として総長様の名前で日本を回って、そして日本での私たちの活動に非常に良い印象を受けられた。「日本の為に何かをするべきではないのか」とシュテーリン神父様に仰って、そしてこのとてもご満足であった、と嬉しい報告を頂きました。
皆さんの一生懸命のお祈りと、日頃のいつものご様子を神父様はご覧になって、「一生懸命やっている。イエズス様とマリア様の心をお喜ばせしようとしている」という事がよく分かったのだと思っています。このお恵みをマリア様に特に感謝致します。そして皆様にも感謝致します。
どうぞますますこの教会が発展しますように、マリア様の御心を愛し、そしてお慰めする霊魂たちがますます増えますように。お友達や、知っている方や、この同僚の方や職場の方や、隣人お住まいの近くの方や、色々な方法でどうぞ聖伝のカトリックのミサに来るように誘って下さい。多くの霊魂にマリア様の事が知らされるように。日本で修道院ができますように。それの準備の為にも、どうぞたくさんのお友達をお誘い下さい。
またこの教会は、一生懸命私たちの善意と寛大な心で、こんなにますます綺麗になっています。この綺麗になる計画はまだまだ続いております。そこでもしも、この教会で今度は実はきれいな燭台とか、きれいなミサ典書を立てる書見台とか、或いはその他色々な物をますます荘厳に相応しい物にしたいと思っておりますので、もしもそれにお手伝いしたいという寛大な方がいらしましたら、ぜひ心からお願い致します、感謝致します。
3月1日は灰の水曜日です。カトリック教会によると掟によって、私たちは大小斎を守らなければならないので、ですから既に3月1日の事を皆さんに申し上げておきます。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日は七旬節のミサを行っています。そこで七旬節、実は新しいミサではこの七旬節・六旬節・五旬節が無くなってしまっているのです。しかし教会は母の心をもって、私たちが四旬節に心の準備を持って、ちゃんと入る事ができるように、四旬節ほどの厳格さはなかったとしても、少なくとも霊的に四旬節へと準備するようにウォーミングアップするように、私たちに既に、「さぁ四旬節が始まる、だからそれの良い準備をしなさい」と呼び掛けています。
特に今日、四旬節の準備の為に教会は、2つの朗読を私たちに提案しています。
1つは聖パウロの書簡でコリント人への手紙で、「私たちの人生には目的がある。その目的は王冠を得る事だ」という事を言っています。
第2の福音でもやはり同じ事を主は言います、「さぁ、お前も行って私のブドウ畑で働け。そしてブドウ畑で働けば給料をあげよう。1日の終わりに報いを与えるから、さぁ行け、働け。」
「私たちの今の人生は、この働きには報いが与えられる。給料日が来る、必ず来る」という事を思い出させています。「私たちは給料を取る為に働いているんだ」と。
では私たちの得るべきその最後の俸給とは何なのか?これを教会は思い出させています。
私たちが最後に受けるべき、最後に私たちの人生の最後にあるのは、死と、裁判と審判と、そしてそれの私たちの人生の報いです。或いは天国、或いは地獄。これが必ず私たちに起こるという事を教えています。
ですから私たちは、「この給料日が来る、裁判の日が来る、この終わりが来る」という事をいつも念頭に置かなければなりません。
「ブドウ畑で働く」という、この『ブドウ』というのは、私たちの『霊魂』の事なのです。私たちの霊魂を私たちが世話をして、そして主に奉献する事ができるようにする、という事です。
でも残念ながら、この「給料日がない、終わりがない、私たちが何をやっても、私たちがどんなに働いているかを誰も見ていない」と思っている人は、本当ならばブドウ畑で霊魂をきれいに世話をしなければならないところを、ブドウ畑で働かなければならないところを、別の事をしています。ブドウの世話以外の事を、霊魂の世話以外の事をして、そして主から言われたものを守らないでいます。
聖パウロは今日言います、「お前たちは知らないのか。競技場で走る人々は王冠を得る為に走っているのだ、金メダルの為に走っているのだ、王冠の為に走っているのだ、名誉の為に走っているのだ。だからお前たちも、天国の栄光の為に走れ」と。「はい。」
この頃は受験の季節ですから、高校入試や大学の入試の為に、学生さんたちは一生懸命「あぁ」試験準備をしたり、或いは公務員試験をしたり、或いはピアノを練習してピアノで卒業できるように準備をしたり、或いはもちろんオリンピックの為に準備をする人がいたり、スキーやスケートの為にいつも準備をしたり、水泳の為に金メダルの為に1日に10時間泳ぐとか、そういう人たちが色々います。
そればかりではりません。この世の商品を売る為に、このマーケットで一番になる為に、裁判に行ってこの敵の会社に負けないように行ったり、或いはちょっとしたこう地位を得る為に一生懸命夜も寝ずに働いたり、競争や色々な競争をして激しいダイエットをしたりとか、或いはトレーニングをしたり、夜も寝ずに夜中まで働いて残業して残業して、朝早く起きて、それから国際電話で夜中に起こされて、それで飛行機で回って、というのはこの世の利益を、この世の地位を、この世で一番を取る為に、この世で製品を売る為に、一生懸命やっています。
ところが聖パウロは言っています、「私たちが今一生懸命生きているのは、そのような朽ちる為の、儚い名誉の為のものではなくて、私たちは永遠の朽ちない、永遠の命の為に働いているのだ。だからその為に行って働け。その為に走れ。その為に鍛えろ。その為に一所懸命準備しよ。私たちの救霊という、最も一番大切な事業の為に心を砕け。もしもこれさえ成功すれば、他のものはどんなに失敗しても大した事はない。でも命を失ってしまったら、永遠の命を失ってしまったら、救霊を失敗してしまったら、天国に行き損ねてしまったならば、この世でいくら面白おかしく過ごしたとしても、この世で一番だとしても、この世で金メダルを取ったとしても、この世で何であったとしても、ある一国の王様であったとしても、何の、何の利益もない。」
つい最近、ある私たちの日本の近くにある国の独裁者の子供が、どこかで暗殺されたという話を聞きました。何かその兄弟のその権力闘争の争いで、政治の敵だったので邪魔者だったらしく、そしていきなり暗殺された。そのたとえスイスと中国を行ったり来たり、或いは美味しいワインを飲んで、ディズニーランドで遊んで、或いは世界中を面白おかしくやって、或いはお酒と肉体の喜びに耽っていたとしても、でも本当の平和と喜びはありませんでした。「いつ殺されるか、いつ政権が襲われるか、」不安で不安で、更に悪事を進めているのではないでしょうか。
私たちはそのような事よりももっと大切なものを、永遠のものを勝ち取らなければなりません。永遠の救霊です。
つい最近高山右近の人生を黙想しましたし、高山右近は、「この永遠の命の為に全てを失っても、これだけは引き換える事はできない」とされました。
では私たちはそれに引き換え、どうでありましょうか?私たちは一体どのように救霊の為に働いているでしょうか?
お祈りをする、「あイタタ、ちょっと頭が痛いし、あぁ熱が出てるし、あぁゴホンゴホン、咳は出てるし、あぁ今日は、今日はちょっとお祈りは、…」
でもテレビを見ると、「あっ、いやぁテレビはOK、テレビは大丈夫だ!インターネットも大丈夫!うん、YouTubeも大丈夫!」「お祈り?お、お祈りはちょっと…」
霊的読書、「霊的読書はちょっと頭が痛いし、目もちょっと、あぁ…」
でもどこかの歌手が何かこうした、或いはどこかの何かニュースが、ニュースはトランプがこうだ、「あぁそれは、それはもちろん読まなきゃ!」
イエズス様に関して十字架の黙想をする、「あぁ…、めまいがする。」
私たちの良心の究明をする、「あぁ…、別の用事がある。」
それの為には腰は重いし、頭は痛いし、熱は出るし、しかしその他以外の事であればもう喜んで、寒い冬もミニスカートで行く事もできるし、どんな辛い事でもやる事ができる。
私たちは今日教会によって、「さぁ、私たちが走っているのは、私たちが今生きているのは、報いの為だ。報いの日が必ずやって来る。その時には必ず私たちに朽ちない王冠が与えられる。だからそれを目指して走りなさい」と私たちにモーニングコールを、私たちにもう一度その事を確認するように、「四旬節がすぐやって来るから、四旬節を良く過ごすように」と教会は私たちに招いています。
では、どのような遷善の決心をしたら良いでしょうか?
教会の招きに従って、どうぞ七旬節の中に深く入って下さい。四旬節の準備をなさって下さい。「私たちの究極の目的は、永遠の命である」という事をもう一度確認する事に致しましょう。この世の苦しみは短いという事、そしてこの世の苦しみは永遠の命の為にある、という事を確認する事に致しましょう。
それでは最後に、マリア様の汚れなき御心にお祈りする事に致しましょう。マリア様は約束されました、「私の汚れなき御心は罪人たちの避難所であって、天国に行く道である」と。「私は天から来ました。」
マリア様は子供たちに地獄を見せました。多くの霊魂を救う事を訴えました。祈りと犠牲を捧げる事をお願いしました。まさにマリア様は私たちに、「良く四旬節を過ごしなさい」と仰っているかのようです。マリア様の御取り次ぎで、良い四旬節を迎えるその準備をする事に致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。