2017年5月4日 秋田巡礼 聖母の汚れなき御心の随意ミサ
シュテーリン神父様御説教
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
ファチマのその中心にある玄義は、今日のこのミサの玄義です。つまり汚れなき御心、マリア様の汚れなき御心です。
汚れなき御心に対する信心は、16・17世紀から始まりました。特に聖ヨハネ・ユードは、マリア様の汚れなき御心の役割とその神秘について、深い理解を示しました。「誰かの心の事を考える、考察するというと、誰かの心というのは、愛の座であって、最も親密で、最も深いものを表している」と書かれています。
マリア様の栄光、マリア様の特別な性質など、素晴らしい点を1つ1つたくさん黙想する事ができます。マリア様の信仰、マリア様の希望の徳、或いは忍耐の徳、或いはご謙遜、或いは清さ、色々な聖徳について考察する事が、黙想する事ができます。
マリア様のお持ちになっていた特権についても黙想する事ができます。マリア様の無原罪の御宿り、マリア様の御誕生、マリア様の童貞性、マリア様の被昇天などです。
マリア様がお持ちになっていた、人類の救いの為の働きについても深く黙想する事ができます。「天主の御母である」という事。そして「人間の母となられた」事。またマリア様が共贖者、「イエズス・キリストと共に贖いをされた」という事、また「第2のエヴァとなった」という事です。
マリア様の特権、その徳、その機能役割などについて、色々な神秘があるので、次から次へと黙想しても黙想しきれません。終わりの果てしのない黙想が続きます。それらの色々な特権や徳や特質など、全てはたった1つの源から湧き出ています。
その最も緊密な、最も奥深い源というのは一体何なのでしょうか?その全ての最も緊密で、親密で、深い所にある唯一の源のそのシンボルは、象徴は、マリア様の汚れなき御心です。マリア様にとって、そのご自分の御心が多くの人によって崇敬されているのを見るのは、どれほどの喜びでしょうか。
18世紀や19世紀には、色々な修道会が自分の宣教活動をマリア様の汚れなき御心に委ねていました。もしもその宣教会が大きな成功を得た、勝ち得た、多くの霊魂が回心したとすると、その修道会は皆、「マリア様の特別の介入のおかげだ」と言っています。
しかしマリア様がご自分の汚れなき御心を全人類に表したのは、1917年6月13日の事でした。この偉大な日に、マリア様はまずご自分の御心についてお話をして、次にそれをお見せになりました。
マリア様は2つの文章を、非常に深い、意味のある文章をお話しになりました。この2つの言葉を是非皆さん覚えて下さい。
「イエズスはあなたを使って、私が知られ愛されるようになるのを望んでいます。イエズスはこの世に、私の汚れなき御心に対する信心を確立する事を望んでいます。この信心を実践する人は誰であれ、私はこの人に救いを約束します。これらの霊魂は、天主にとってとても大切なものであり、それはちょうど私によって、天主様の祭壇、天主様の玉座を飾る為に置かれた花のようです。」
第2の言葉は、「私の汚れなき御心は、あなたたちを天国に導く道であって、そしてあなたたちの避難所であります。」
この言葉をお話しになった後に、子供たちにご自分の御心をお見せになりました。この御心には茨の冠りが被せられていて、この茨は御心を貫いていました。
ルチアが言うには、「私たちは、この御心がマリア様の汚れなき御心だと理解しました。そして人類の罪によって傷付いている、傷付き、そしてその償いを求めている御心だと理解しました。」
これ、この言葉の深い意味を完全に理解する事はできません。天主が全てのカトリック信者に、全世界に於いて、この汚れなき御心を実践するという事を望んでおられる、決定している、という事を私たちは知らなければなりません。
イエズス様はかつてこう言われました、「全世界に行って、私の福音を述べ、彼らにこれを教えよ。」
イエズス様は今同じ事を仰います、「全世界に行って、マリア様の汚れなき御心に対する信心を述べ伝えよ。」
イエズス様ははっきり言っています、「この汚れなき御心こそが、特に終末の私たちの時代に於いて、人々を天国へと導く道であり、最後の道であり、唯一の道である」と。
この小さな信心に、マリア様はどれほど大きな約束をしているかという事は驚くべき事です。
まず永遠の約束をします。「誰であれ、この信心を実践する人には私は救いを、永遠の救いを約束します。」「もしも、」この同じ、子供たちに地獄の火を、永遠の地獄の火を見せたそのマリア様が仰るのです、「もしもこの信心を実践するならば、誰であれ救いを約束します。」
マリア様は単にそう言うだけでなく、天主様に対する力も持っているという事を示しています。つまり私たちが置かれている非常に、永遠の命を永遠の危険に侵されている私たちを救う事ができる、救うと約束する事ができるほどの力を持っています。
「救い」という事の意味の深さを考えて下さい。すると、これを約束するという事がどれほど大切な事かが分かります。「救い」という事こそが、イエズス様がこの地上に来られて、十字架の上で亡くなられたその理由です。全世界の人々に、この地上に生きている全ての人にとって、たった1つの事だけが大切です。救われるか、滅びるか。天国に行くか、地獄に行くかです。
現代の世界は罪を愛し、罪を犯すように法律ができています。ですから地獄に行くのは大きな道を突っ走るようなものです、イエズス様が仰ったように。現代世界は最も霊魂を失うに適している、最も失いやすい、危険に満ちた世界に生きています。この全世界のマスメディア、全世界のメンタリティーは皆、「天主を忘れて、罪を犯すように、犯すように」と誘っています。
マリア様は今、私たちがどれほど危険で、どれほど難しい時期に生きているか、という事をよくご存知なので、非常に簡単な事をする事によって、救いを約束しようとされています。「救い」というのは、決定的な、絶対的な永久の大勝利です。サタンと地獄と死に打ち勝つという大勝利の事が「救い」です。
マリア様が約束したのは、ただ救われる、大勝利を受ける、という事だけではありません。そればかりか、「この信心を実践する霊魂たちは、天主にとって非常に大切である。」
「救い」という、「救いを得る」というと、「天国に私たちが行く。天国で報いを得る。それから浄めを受けて喜ぶ」という事を考えます。これは私たちの事だけを考えている事ですけれども、もっと高い次元の事も考えなければなりません。
「救われる」という事は、「天主様がそれを喜ぶ」という事です。ではどうすると、天主にとって私たちがそれほど大切なもの、貴重なものとなるでしょうか?天主の聖なる聖心を、至聖なる聖心を非常に感動させて、その心を動かすものは一体何なのでしょうか?
それは、私たちが持つマリア様に対する、イエズス様の御母に対する信心であって、愛であります。イエズス様はもしもマリア様が愛され、そして多くの人がマリア様に従うならば、非常に喜びます。
それだけではありません。更に約束は進みます。この祭壇のきれいな花を見て下さい。この祭壇をきれいに飾られています。何の為に、祭壇にこんなにきれいな花を置いて飾るのでしょうか?これはその飾られている、この花が周囲に置かれているその中心にあるものが、どれほど大切であるか、という事を示す為です。
イエズス様とその御聖櫃に一番近く置かれてるのは、この花です。あたかもイエズス様の御血に触れているかのようです。
過去教会の教父たちが、天国、或いは救われた霊魂たちについて記述をする時に、多くの場合、美しいきれいな、きれいに咲き誇っている花々に例えています。天国というのは、聖なる聖人たちや聖女たちの群衆と、そして天使たちの大きな大群の事です。その聖人、聖女の大群衆、天使たちの大群衆の中で、一番誰が天主様に近い存在であるでしょうか?
それは、御聖櫃に置かれた花の存在です。天主様の最も近くに置かれた霊魂となるという事は、他の霊魂には無い、ものすごい喜びを持つ事です。もしもこの汚れなき御心に対する信心を実践するならば、そうなります。
マリア様は、天国に行くという将来の事を約束するだけではありません。今現在、今ここでの事も約束します。
まず第1にマリア様は、「私は決して、あなたを見放しません。」
皆さん、もしも皆さんが他の人々から捨てられて、馬鹿にされて、もうどうでもよいと言われて、一人ぼっちで孤独を感じた時に、マリア様の事を思い出して下さい。「私はあなたを決して見放しません。」
もしも皆さんが罪を犯してしまった。しかしマリア様は、「決して私はあなたを見放しません。私はあなたが罪から立ち戻るように必ず助けます。」
皆さんはもしかしたら誘惑、或いは暗黒、暗闇のような中を通らなければならない、或いはガッカリしたり、失望したり、落胆したり、もう力を落としてしまって、「もうどうしようもない。もうお先真っ暗だ」というような事を感じるかもしれません。マリア様は言います、「私は決してあなたを見放しません。」
皆さんが死の床に就いて、たった一人で、孤独で苦しみもがいて、「もうこれからどうなるか」という時に、マリア様は仰います、「私は決してあなたを見放しません。私の汚れなき御心は、あなたの避難所となります。」
山に登って、登山である時は突然雷が、突然火山が、突然何か気象異常が起こったという時に、山小屋があって避難所の小屋がありますが、そういう時にそこに入ると私たちは助かります。私たちは信仰生活を送る中で、ある時はこう疲れてしまい、或いはもうどうして良いか分からなくなってしまった事があるかもしれませんが、マリア様の汚れなき御心は避難所として私たちに力を与えて、いつでもどこでもどんな時でも、私たちが道をまた行くように助けてくれます。
今朝のお話で、では一体汚れなき御心に対する信心とは一体何なのか。このミサでは、この小さな信心にマリア様がどれほど大きな約束をしたか、その約束の偉大さをよく味わって下さい。マリア様がこれほどの大きなお恵みを私たちに与えようとしている事を感謝して下さい。そしてお恵みを求めて下さい。私たちがかつてなかったほどこの信心を実践する事ができるお恵みを求めて下さい。そして決心を立てて下さい。あらゆる手段を使って、この汚れなき御心に対する信心をよく知り、これを本当に実践する事ができるという決心を立てて下さい。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
シュテーリン神父様御説教
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
ファチマのその中心にある玄義は、今日のこのミサの玄義です。つまり汚れなき御心、マリア様の汚れなき御心です。
汚れなき御心に対する信心は、16・17世紀から始まりました。特に聖ヨハネ・ユードは、マリア様の汚れなき御心の役割とその神秘について、深い理解を示しました。「誰かの心の事を考える、考察するというと、誰かの心というのは、愛の座であって、最も親密で、最も深いものを表している」と書かれています。
マリア様の栄光、マリア様の特別な性質など、素晴らしい点を1つ1つたくさん黙想する事ができます。マリア様の信仰、マリア様の希望の徳、或いは忍耐の徳、或いはご謙遜、或いは清さ、色々な聖徳について考察する事が、黙想する事ができます。
マリア様のお持ちになっていた特権についても黙想する事ができます。マリア様の無原罪の御宿り、マリア様の御誕生、マリア様の童貞性、マリア様の被昇天などです。
マリア様がお持ちになっていた、人類の救いの為の働きについても深く黙想する事ができます。「天主の御母である」という事。そして「人間の母となられた」事。またマリア様が共贖者、「イエズス・キリストと共に贖いをされた」という事、また「第2のエヴァとなった」という事です。
マリア様の特権、その徳、その機能役割などについて、色々な神秘があるので、次から次へと黙想しても黙想しきれません。終わりの果てしのない黙想が続きます。それらの色々な特権や徳や特質など、全てはたった1つの源から湧き出ています。
その最も緊密な、最も奥深い源というのは一体何なのでしょうか?その全ての最も緊密で、親密で、深い所にある唯一の源のそのシンボルは、象徴は、マリア様の汚れなき御心です。マリア様にとって、そのご自分の御心が多くの人によって崇敬されているのを見るのは、どれほどの喜びでしょうか。
18世紀や19世紀には、色々な修道会が自分の宣教活動をマリア様の汚れなき御心に委ねていました。もしもその宣教会が大きな成功を得た、勝ち得た、多くの霊魂が回心したとすると、その修道会は皆、「マリア様の特別の介入のおかげだ」と言っています。
しかしマリア様がご自分の汚れなき御心を全人類に表したのは、1917年6月13日の事でした。この偉大な日に、マリア様はまずご自分の御心についてお話をして、次にそれをお見せになりました。
マリア様は2つの文章を、非常に深い、意味のある文章をお話しになりました。この2つの言葉を是非皆さん覚えて下さい。
「イエズスはあなたを使って、私が知られ愛されるようになるのを望んでいます。イエズスはこの世に、私の汚れなき御心に対する信心を確立する事を望んでいます。この信心を実践する人は誰であれ、私はこの人に救いを約束します。これらの霊魂は、天主にとってとても大切なものであり、それはちょうど私によって、天主様の祭壇、天主様の玉座を飾る為に置かれた花のようです。」
第2の言葉は、「私の汚れなき御心は、あなたたちを天国に導く道であって、そしてあなたたちの避難所であります。」
この言葉をお話しになった後に、子供たちにご自分の御心をお見せになりました。この御心には茨の冠りが被せられていて、この茨は御心を貫いていました。
ルチアが言うには、「私たちは、この御心がマリア様の汚れなき御心だと理解しました。そして人類の罪によって傷付いている、傷付き、そしてその償いを求めている御心だと理解しました。」
これ、この言葉の深い意味を完全に理解する事はできません。天主が全てのカトリック信者に、全世界に於いて、この汚れなき御心を実践するという事を望んでおられる、決定している、という事を私たちは知らなければなりません。
イエズス様はかつてこう言われました、「全世界に行って、私の福音を述べ、彼らにこれを教えよ。」
イエズス様は今同じ事を仰います、「全世界に行って、マリア様の汚れなき御心に対する信心を述べ伝えよ。」
イエズス様ははっきり言っています、「この汚れなき御心こそが、特に終末の私たちの時代に於いて、人々を天国へと導く道であり、最後の道であり、唯一の道である」と。
この小さな信心に、マリア様はどれほど大きな約束をしているかという事は驚くべき事です。
まず永遠の約束をします。「誰であれ、この信心を実践する人には私は救いを、永遠の救いを約束します。」「もしも、」この同じ、子供たちに地獄の火を、永遠の地獄の火を見せたそのマリア様が仰るのです、「もしもこの信心を実践するならば、誰であれ救いを約束します。」
マリア様は単にそう言うだけでなく、天主様に対する力も持っているという事を示しています。つまり私たちが置かれている非常に、永遠の命を永遠の危険に侵されている私たちを救う事ができる、救うと約束する事ができるほどの力を持っています。
「救い」という事の意味の深さを考えて下さい。すると、これを約束するという事がどれほど大切な事かが分かります。「救い」という事こそが、イエズス様がこの地上に来られて、十字架の上で亡くなられたその理由です。全世界の人々に、この地上に生きている全ての人にとって、たった1つの事だけが大切です。救われるか、滅びるか。天国に行くか、地獄に行くかです。
現代の世界は罪を愛し、罪を犯すように法律ができています。ですから地獄に行くのは大きな道を突っ走るようなものです、イエズス様が仰ったように。現代世界は最も霊魂を失うに適している、最も失いやすい、危険に満ちた世界に生きています。この全世界のマスメディア、全世界のメンタリティーは皆、「天主を忘れて、罪を犯すように、犯すように」と誘っています。
マリア様は今、私たちがどれほど危険で、どれほど難しい時期に生きているか、という事をよくご存知なので、非常に簡単な事をする事によって、救いを約束しようとされています。「救い」というのは、決定的な、絶対的な永久の大勝利です。サタンと地獄と死に打ち勝つという大勝利の事が「救い」です。
マリア様が約束したのは、ただ救われる、大勝利を受ける、という事だけではありません。そればかりか、「この信心を実践する霊魂たちは、天主にとって非常に大切である。」
「救い」という、「救いを得る」というと、「天国に私たちが行く。天国で報いを得る。それから浄めを受けて喜ぶ」という事を考えます。これは私たちの事だけを考えている事ですけれども、もっと高い次元の事も考えなければなりません。
「救われる」という事は、「天主様がそれを喜ぶ」という事です。ではどうすると、天主にとって私たちがそれほど大切なもの、貴重なものとなるでしょうか?天主の聖なる聖心を、至聖なる聖心を非常に感動させて、その心を動かすものは一体何なのでしょうか?
それは、私たちが持つマリア様に対する、イエズス様の御母に対する信心であって、愛であります。イエズス様はもしもマリア様が愛され、そして多くの人がマリア様に従うならば、非常に喜びます。
それだけではありません。更に約束は進みます。この祭壇のきれいな花を見て下さい。この祭壇をきれいに飾られています。何の為に、祭壇にこんなにきれいな花を置いて飾るのでしょうか?これはその飾られている、この花が周囲に置かれているその中心にあるものが、どれほど大切であるか、という事を示す為です。
イエズス様とその御聖櫃に一番近く置かれてるのは、この花です。あたかもイエズス様の御血に触れているかのようです。
過去教会の教父たちが、天国、或いは救われた霊魂たちについて記述をする時に、多くの場合、美しいきれいな、きれいに咲き誇っている花々に例えています。天国というのは、聖なる聖人たちや聖女たちの群衆と、そして天使たちの大きな大群の事です。その聖人、聖女の大群衆、天使たちの大群衆の中で、一番誰が天主様に近い存在であるでしょうか?
それは、御聖櫃に置かれた花の存在です。天主様の最も近くに置かれた霊魂となるという事は、他の霊魂には無い、ものすごい喜びを持つ事です。もしもこの汚れなき御心に対する信心を実践するならば、そうなります。
マリア様は、天国に行くという将来の事を約束するだけではありません。今現在、今ここでの事も約束します。
まず第1にマリア様は、「私は決して、あなたを見放しません。」
皆さん、もしも皆さんが他の人々から捨てられて、馬鹿にされて、もうどうでもよいと言われて、一人ぼっちで孤独を感じた時に、マリア様の事を思い出して下さい。「私はあなたを決して見放しません。」
もしも皆さんが罪を犯してしまった。しかしマリア様は、「決して私はあなたを見放しません。私はあなたが罪から立ち戻るように必ず助けます。」
皆さんはもしかしたら誘惑、或いは暗黒、暗闇のような中を通らなければならない、或いはガッカリしたり、失望したり、落胆したり、もう力を落としてしまって、「もうどうしようもない。もうお先真っ暗だ」というような事を感じるかもしれません。マリア様は言います、「私は決してあなたを見放しません。」
皆さんが死の床に就いて、たった一人で、孤独で苦しみもがいて、「もうこれからどうなるか」という時に、マリア様は仰います、「私は決してあなたを見放しません。私の汚れなき御心は、あなたの避難所となります。」
山に登って、登山である時は突然雷が、突然火山が、突然何か気象異常が起こったという時に、山小屋があって避難所の小屋がありますが、そういう時にそこに入ると私たちは助かります。私たちは信仰生活を送る中で、ある時はこう疲れてしまい、或いはもうどうして良いか分からなくなってしまった事があるかもしれませんが、マリア様の汚れなき御心は避難所として私たちに力を与えて、いつでもどこでもどんな時でも、私たちが道をまた行くように助けてくれます。
今朝のお話で、では一体汚れなき御心に対する信心とは一体何なのか。このミサでは、この小さな信心にマリア様がどれほど大きな約束をしたか、その約束の偉大さをよく味わって下さい。マリア様がこれほどの大きなお恵みを私たちに与えようとしている事を感謝して下さい。そしてお恵みを求めて下さい。私たちがかつてなかったほどこの信心を実践する事ができるお恵みを求めて下さい。そして決心を立てて下さい。あらゆる手段を使って、この汚れなき御心に対する信心をよく知り、これを本当に実践する事ができるという決心を立てて下さい。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。