アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
6月11日の聖霊降臨の大祝日には、レネー神父様が大阪で主日のミサを捧げて下さいました。天主様に感謝!
今日は、ファチマで歴史上初めて、聖母の汚れなき御心が啓示されて100周年です。また、トゥイでの三位一体と聖母の汚れなき御心との関係が啓示されて88周年です!
「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、我、御身を深く礼拝し奉る。世界中のすべての御聖櫃のうちにましまし給うイエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂と御神性を、イエズス・キリスト御自身が受け給う侮辱、冒涜、無関心を償うために、御身に捧げ奉る。イエズスの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心の無限の功徳によりて、あわれな罪人の回心を御身に願い奉る。」
来る6月16日、17日には大阪で、聖伝のミサが、
6月18日の主日と19日には東京で、いつものように聖伝のミサが行われます。
いくつかの報告を頂きましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
6月の主日のミサの報告をお送りいたします。
6月11日(主) 聖三位一体(1級祝日)白 の御ミサには16名が、
6月12日(月) 証聖者聖ファクンドの聖ヨハネ(3級祝日)白 の早朝ミサには7名の方々が御ミサに与るお恵みを頂きました。
デオ・グラチアス!
主日のお説教は、聖三位一体についてでした。
冒頭の「皆さんは、なぜ教会に来るのですか?」という神父様からの問いかけに、ハッとしました。
「ミサの予定があって、ミサがあるから与っている」という惰性的な、どこか習慣的な行動になっていないだろうか?という疑問が同時に頭に浮かびました。
私たちは天主をお愛しするために生きているのだからその愛の対象である方を知りたいと思うのは当然の事でだと思います。しかし、神父様がお説教の途中で仰ったように、天主の事は天主ご自身でしか説明することができない。だから、私たちは天主であるイエズス様を通して天主が「光」であり、「愛」である事を知ろうとし、天主を探し、求め、見出したい、教えて欲しいという理由で教会に来ているのだという事を再認識しました。
三位一体の奥義を人が完全に理解することは不可能だし、勉強不足の自分には到底難しい事だと思いましたが、今日はご聖体に在すイエズス様と一緒に、聖三位一体が居られることを感じながら御聖体拝領をするお恵みを頂けたように思います。
聖トマス・アクイナスが言った「天主のみ言葉は冷たい、知性的な言葉ではなく、その反対に『愛を呼吸するみことば』である」という言葉がとても印象的でした。
イエズス様の聖心の愛の鼓動が感じられる言葉でした。
公教要理では、「聖霊」について黙想しました。
聖霊が、一つの位格をもつ天主である事の証明と、聖霊の役割を聖書をたくさん引用されながら説明してくださいました。
三位一体、聖霊、は自分の中でも黙想するにも難しいことだったので、今日のお話をもとに朝の黙想をしてみたいと思います。
昨日の主日の御ミサでマキシミリアノ・コルベ君が侍者デビューしました。
レネー神父様に初めての侍者だったとお伝えすると、とてもびっくりされていたほど、落ち着いていて、神父様も、『非常に敬虔で、行儀のよい、良いミサ答え』だったと御社っていました。よく練習して準備されていたのだろうと思います。侍者の方が増えたこともマリア様に感謝、天主様に感謝します。
至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
遅ればせながら6月4日の聖霊降臨の大祝日の御ミサの報告をさせていただきます。
御ミサでは、聖霊降臨の大祝日の意義と、そこで何が起こったのかということと、それから第二の聖霊降臨の豊かな賜物を良く受けるためにはいったいどうすればよいか、ということをお話しいただきました。
いちばん印象深かったのは「マリア様は聖霊の充満を受けた方です、一度も拒まれたことはないのです、そしてマリア様か聖霊かわからないほどマリア様は(聖霊と)瓜二つです」、というお話を伺ったことです。
何かアッと思いました。「マリア様と聖霊は瓜二つ!」-御父と御子とそして聖霊と、ああそれでマリア様はいつもその三位一体の御絵の中に永遠の乙女として描かれているのだというような、いえ何かもっとそれ以上の神秘的なことが感じられました。そして、「自分の心とマリア様の汚れなき御心と交換してもらう、マリアの汚れなき御心の信心はここにあるのです」、というお話は記憶にはっきり残りました。マリア様のこの汚れなき御心の中に自分の哀れな汚らしい心を沈めてしまいますよう無くしてしまえますようにと、お祈りいたしました。(少しずつでも努力していきます。)
マリア様は聖霊の浄配でいらっしゃいます、そしてマリア様は聖霊の充満を受けておられます、そのことを良く黙想してマリア様の汚れなき御心のうちにすべてのことをすることができますようにそしてマリア様の汚れなき御心の信心をよくいただけますように祈り務めそれは聖霊の恵みを受けることでもあると教えられたように思います。
いつも天主の方へ目を向けたいという思いも、自分の力ではそれはできず、ただマリア様の汚れなき御心だけがそのようにできるとあらためて思いました。(コルベ神父様も無原罪の聖マリアをいつも思っておられたのだと思いました。)
トゥイで受けたルチアのビジョンでも、マリア様は御父と聖霊とイエズス様のもと一緒におられます。どうか祖国へ還る巡礼者であるわれらを浄めて力づけてくださいますように!
マリア様を通して恩寵を受けることができますように心から願い、毎日罪の償い・罪人の回心を祈らねばと思いを新たにしました。神父様ありがとうございました。
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
午後の公教要理の報告です。
公教要理では、聖書の背景となっている地理的場所のお話をしてくださいました。聖書の地図は時々目にしていたつもりですが、山や谷・川や湖の起伏に富んだ地形を立体的な表示するスライドを使って説明していただきとても興味深く聴き入りました。たくさんの写真や絵などで、イエズス様の宣教された土地の地理的特徴がよくわかりました。ナザレからベトレヘムまでの旅は山と谷の道沿いの道90マイルおよそ140Km近くの道のりをずっと歩かねばならず、身重のマリア様がどれほど険しい山道を人口調査のために旅しなければならなかったかなど黙想しました。
次に(ちょっとした丘の上に建っていたとされる)エルサレム神殿の構造について詳しくお話を伺いました。エルサレム神殿はもともとダビデ王の子供のソロモン王が建て、破壊され、その後B.C.20年ヘロデ王が再建したそうです。神父様のお話しですが、そのエルサレムを再築している中、マリア様が15歳~16歳の頃に御胎内にイエズス様をお宿らせになられたので、ヘロデの造る神殿より本当の神殿が出来つつあったのです・・・というお話しをサラリとおっしゃってくださり、心に残りました。
当時のエルサレム神殿は女性の庭・イスラエルの庭・ソロモンの門・司祭たちの庭・周りは異邦人の庭などがあり、ホロコーストの祭壇があり、聖所と、そして一番奥が至聖所となっていることを図や航空写真で詳しく説明いただきました。そしてそこには今はイスラム教のモスクがあるとのことでした。
ところで6月6日に朝日新聞でエルサレムの特集記事が掲載されていました。ちょうど公教要理のご講話のこの箇所とその記事は非常に関連していました。現在のエルサレムにおいてですが“約1キロ四方の壁に囲まれた旧市街地にはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が集中している”との新聞記事を読んで、まさにその旧市街地の中の様子を詳しくお話しいただいたのだとわかりました。新聞記事が急に身近なものに感じられました。
聖墳墓教会がある地域は現在キリスト地区となっており、エルサレム神殿はイスラム地区とユダヤ地区の方の「神殿の丘」の中のどこかにあったとのこと。その「神殿の丘」と呼ばれる聖地を現在はイスラム教の「岩のドーム」やモスクが覆っていて2000年前の地下深くに埋没しているところの状況を調査できないために、ユダヤ教徒にとって決して足を踏み入れてはいけないエルサレム神殿の「至聖所」がどこにあったかを確定できない。その理由で、今もユダヤ人は神殿の丘では礼拝が出来ず、丘の西側にある「嘆きの壁」で祈りを捧げることしかできない、ということを教えていただいた後だったので、難解な新聞の記事も読むことができました。
現実には「東エルサレムを占領したイスラエルは、聖地の現状を変えないと約束した」という現在の政治的背景があるとのことで、今も昔もエルサレムの土地は切迫した動きの激しいところなのだと感じられます。聖地エルサレムはなんと複雑な所なのでしょう。
その他「わかったこと」を、以下に挙げます。
・イエズス様の十字架はユダヤ教徒の迫害を免れてキリスト教徒によって隠されていて、それが三つに分けられた。その一つを聖ヘレナがローマに持ち帰った。(現在は聖十字架教会にある。)
・本物のイエズス様の十字架かどうかは、奇跡によって判明された。癩病の患者にその木片をあてさせ本物の十字架の木に触らせるとすぐに病が治った。
・イエズス様の十字架はアダムのお墓があったところちょうどその上に立てられていたようだ。(「第2のアダムとして十字架の木によって死に打ち勝った」ことがあらわされている。)
・イエズス様のお墓とcalvary(ゴルゴダの丘)全体を覆うように現在はそこに聖墳墓教会が建てられている。
・ヘロデ王の造ったエルサレム神殿はA.D.70年に破壊され、A.D.135年ユピテルの神殿(ローマ神話のジュピターの神殿)となる。それからイスラム教が入って来て途中でモスクに替えられてしまっている。
・ユダヤ人にとってエルサレム神殿の中の最も大切な至聖所がどこにあったかということがとても大切でどうしても知りたいことだ。なぜならとても聖なる場所で足を踏み入れてはいけないところだから。しかし、現在モスクがその上に立っているのではっきりと調査することができない。・・・
その後で、聖ベルナルド修練院の教会の聖別式・献堂式の動画を見せていただきました。とても美しい教会をフェレー司教様が祝福される様子、小野田神父様がご一緒に付き添われていてその光景は少し天上の世界に似通っているようで、見ているだけでとても幸せな気分になりました。
教会の真っ正面のバチカン旗の隣になびく日本の国旗にご注目下さい
この修道院の祭壇はトゥイで御出現された汚れなき御心のマリア様の光景と同じでとても驚きました。このような祭壇は世界で初めてとのこと、デオグラシアス!ファチマ御出現百年にこうして捧げられたことに感動しました。日本でもこのような素晴らしい献堂式が行われる日が来ることを心からお祈りいたします。ありがとうございました。
修練院の教会の祭壇とその内陣
愛する兄弟姉妹の皆様、
6月11日の聖霊降臨の大祝日には、レネー神父様が大阪で主日のミサを捧げて下さいました。天主様に感謝!
今日は、ファチマで歴史上初めて、聖母の汚れなき御心が啓示されて100周年です。また、トゥイでの三位一体と聖母の汚れなき御心との関係が啓示されて88周年です!
「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、我、御身を深く礼拝し奉る。世界中のすべての御聖櫃のうちにましまし給うイエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂と御神性を、イエズス・キリスト御自身が受け給う侮辱、冒涜、無関心を償うために、御身に捧げ奉る。イエズスの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心の無限の功徳によりて、あわれな罪人の回心を御身に願い奉る。」
来る6月16日、17日には大阪で、聖伝のミサが、
6月18日の主日と19日には東京で、いつものように聖伝のミサが行われます。
いくつかの報告を頂きましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
6月の主日のミサの報告をお送りいたします。
6月11日(主) 聖三位一体(1級祝日)白 の御ミサには16名が、
6月12日(月) 証聖者聖ファクンドの聖ヨハネ(3級祝日)白 の早朝ミサには7名の方々が御ミサに与るお恵みを頂きました。
デオ・グラチアス!
主日のお説教は、聖三位一体についてでした。
冒頭の「皆さんは、なぜ教会に来るのですか?」という神父様からの問いかけに、ハッとしました。
「ミサの予定があって、ミサがあるから与っている」という惰性的な、どこか習慣的な行動になっていないだろうか?という疑問が同時に頭に浮かびました。
私たちは天主をお愛しするために生きているのだからその愛の対象である方を知りたいと思うのは当然の事でだと思います。しかし、神父様がお説教の途中で仰ったように、天主の事は天主ご自身でしか説明することができない。だから、私たちは天主であるイエズス様を通して天主が「光」であり、「愛」である事を知ろうとし、天主を探し、求め、見出したい、教えて欲しいという理由で教会に来ているのだという事を再認識しました。
三位一体の奥義を人が完全に理解することは不可能だし、勉強不足の自分には到底難しい事だと思いましたが、今日はご聖体に在すイエズス様と一緒に、聖三位一体が居られることを感じながら御聖体拝領をするお恵みを頂けたように思います。
聖トマス・アクイナスが言った「天主のみ言葉は冷たい、知性的な言葉ではなく、その反対に『愛を呼吸するみことば』である」という言葉がとても印象的でした。
イエズス様の聖心の愛の鼓動が感じられる言葉でした。
公教要理では、「聖霊」について黙想しました。
聖霊が、一つの位格をもつ天主である事の証明と、聖霊の役割を聖書をたくさん引用されながら説明してくださいました。
三位一体、聖霊、は自分の中でも黙想するにも難しいことだったので、今日のお話をもとに朝の黙想をしてみたいと思います。
昨日の主日の御ミサでマキシミリアノ・コルベ君が侍者デビューしました。
レネー神父様に初めての侍者だったとお伝えすると、とてもびっくりされていたほど、落ち着いていて、神父様も、『非常に敬虔で、行儀のよい、良いミサ答え』だったと御社っていました。よく練習して準備されていたのだろうと思います。侍者の方が増えたこともマリア様に感謝、天主様に感謝します。
至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
遅ればせながら6月4日の聖霊降臨の大祝日の御ミサの報告をさせていただきます。
御ミサでは、聖霊降臨の大祝日の意義と、そこで何が起こったのかということと、それから第二の聖霊降臨の豊かな賜物を良く受けるためにはいったいどうすればよいか、ということをお話しいただきました。
いちばん印象深かったのは「マリア様は聖霊の充満を受けた方です、一度も拒まれたことはないのです、そしてマリア様か聖霊かわからないほどマリア様は(聖霊と)瓜二つです」、というお話を伺ったことです。
何かアッと思いました。「マリア様と聖霊は瓜二つ!」-御父と御子とそして聖霊と、ああそれでマリア様はいつもその三位一体の御絵の中に永遠の乙女として描かれているのだというような、いえ何かもっとそれ以上の神秘的なことが感じられました。そして、「自分の心とマリア様の汚れなき御心と交換してもらう、マリアの汚れなき御心の信心はここにあるのです」、というお話は記憶にはっきり残りました。マリア様のこの汚れなき御心の中に自分の哀れな汚らしい心を沈めてしまいますよう無くしてしまえますようにと、お祈りいたしました。(少しずつでも努力していきます。)
マリア様は聖霊の浄配でいらっしゃいます、そしてマリア様は聖霊の充満を受けておられます、そのことを良く黙想してマリア様の汚れなき御心のうちにすべてのことをすることができますようにそしてマリア様の汚れなき御心の信心をよくいただけますように祈り務めそれは聖霊の恵みを受けることでもあると教えられたように思います。
いつも天主の方へ目を向けたいという思いも、自分の力ではそれはできず、ただマリア様の汚れなき御心だけがそのようにできるとあらためて思いました。(コルベ神父様も無原罪の聖マリアをいつも思っておられたのだと思いました。)
トゥイで受けたルチアのビジョンでも、マリア様は御父と聖霊とイエズス様のもと一緒におられます。どうか祖国へ還る巡礼者であるわれらを浄めて力づけてくださいますように!
マリア様を通して恩寵を受けることができますように心から願い、毎日罪の償い・罪人の回心を祈らねばと思いを新たにしました。神父様ありがとうございました。
【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
午後の公教要理の報告です。
公教要理では、聖書の背景となっている地理的場所のお話をしてくださいました。聖書の地図は時々目にしていたつもりですが、山や谷・川や湖の起伏に富んだ地形を立体的な表示するスライドを使って説明していただきとても興味深く聴き入りました。たくさんの写真や絵などで、イエズス様の宣教された土地の地理的特徴がよくわかりました。ナザレからベトレヘムまでの旅は山と谷の道沿いの道90マイルおよそ140Km近くの道のりをずっと歩かねばならず、身重のマリア様がどれほど険しい山道を人口調査のために旅しなければならなかったかなど黙想しました。
次に(ちょっとした丘の上に建っていたとされる)エルサレム神殿の構造について詳しくお話を伺いました。エルサレム神殿はもともとダビデ王の子供のソロモン王が建て、破壊され、その後B.C.20年ヘロデ王が再建したそうです。神父様のお話しですが、そのエルサレムを再築している中、マリア様が15歳~16歳の頃に御胎内にイエズス様をお宿らせになられたので、ヘロデの造る神殿より本当の神殿が出来つつあったのです・・・というお話しをサラリとおっしゃってくださり、心に残りました。
当時のエルサレム神殿は女性の庭・イスラエルの庭・ソロモンの門・司祭たちの庭・周りは異邦人の庭などがあり、ホロコーストの祭壇があり、聖所と、そして一番奥が至聖所となっていることを図や航空写真で詳しく説明いただきました。そしてそこには今はイスラム教のモスクがあるとのことでした。
ところで6月6日に朝日新聞でエルサレムの特集記事が掲載されていました。ちょうど公教要理のご講話のこの箇所とその記事は非常に関連していました。現在のエルサレムにおいてですが“約1キロ四方の壁に囲まれた旧市街地にはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が集中している”との新聞記事を読んで、まさにその旧市街地の中の様子を詳しくお話しいただいたのだとわかりました。新聞記事が急に身近なものに感じられました。
聖墳墓教会がある地域は現在キリスト地区となっており、エルサレム神殿はイスラム地区とユダヤ地区の方の「神殿の丘」の中のどこかにあったとのこと。その「神殿の丘」と呼ばれる聖地を現在はイスラム教の「岩のドーム」やモスクが覆っていて2000年前の地下深くに埋没しているところの状況を調査できないために、ユダヤ教徒にとって決して足を踏み入れてはいけないエルサレム神殿の「至聖所」がどこにあったかを確定できない。その理由で、今もユダヤ人は神殿の丘では礼拝が出来ず、丘の西側にある「嘆きの壁」で祈りを捧げることしかできない、ということを教えていただいた後だったので、難解な新聞の記事も読むことができました。
現実には「東エルサレムを占領したイスラエルは、聖地の現状を変えないと約束した」という現在の政治的背景があるとのことで、今も昔もエルサレムの土地は切迫した動きの激しいところなのだと感じられます。聖地エルサレムはなんと複雑な所なのでしょう。
その他「わかったこと」を、以下に挙げます。
・イエズス様の十字架はユダヤ教徒の迫害を免れてキリスト教徒によって隠されていて、それが三つに分けられた。その一つを聖ヘレナがローマに持ち帰った。(現在は聖十字架教会にある。)
・本物のイエズス様の十字架かどうかは、奇跡によって判明された。癩病の患者にその木片をあてさせ本物の十字架の木に触らせるとすぐに病が治った。
・イエズス様の十字架はアダムのお墓があったところちょうどその上に立てられていたようだ。(「第2のアダムとして十字架の木によって死に打ち勝った」ことがあらわされている。)
・イエズス様のお墓とcalvary(ゴルゴダの丘)全体を覆うように現在はそこに聖墳墓教会が建てられている。
・ヘロデ王の造ったエルサレム神殿はA.D.70年に破壊され、A.D.135年ユピテルの神殿(ローマ神話のジュピターの神殿)となる。それからイスラム教が入って来て途中でモスクに替えられてしまっている。
・ユダヤ人にとってエルサレム神殿の中の最も大切な至聖所がどこにあったかということがとても大切でどうしても知りたいことだ。なぜならとても聖なる場所で足を踏み入れてはいけないところだから。しかし、現在モスクがその上に立っているのではっきりと調査することができない。・・・
その後で、聖ベルナルド修練院の教会の聖別式・献堂式の動画を見せていただきました。とても美しい教会をフェレー司教様が祝福される様子、小野田神父様がご一緒に付き添われていてその光景は少し天上の世界に似通っているようで、見ているだけでとても幸せな気分になりました。
教会の真っ正面のバチカン旗の隣になびく日本の国旗にご注目下さい
この修道院の祭壇はトゥイで御出現された汚れなき御心のマリア様の光景と同じでとても驚きました。このような祭壇は世界で初めてとのこと、デオグラシアス!ファチマ御出現百年にこうして捧げられたことに感動しました。日本でもこのような素晴らしい献堂式が行われる日が来ることを心からお祈りいたします。ありがとうございました。
修練院の教会の祭壇とその内陣