アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
聖霊降臨後第23主日の固有の聖歌は、聖霊降臨後最終主日まで同じものとなります。
入祭唱は、Dicit Dóminus で始まります。
カトリック教会は「時の終わり」について黙想します。主の来臨について考えます。
その時、信仰は冷え、偽りの預言者たちが立ち上がり、愛徳は弱るだろうと言われています。
そこで主に対して苦悩の呼びかけをします。先週の聖霊降臨後第22主日の入祭唱がそうでした。深い淵から私は叫んだ De profundis(詩篇129)!と。同じ、詩篇は聖霊降臨後第23主日でも、アレルヤ唱で繰り返されます。
ところで、聖霊降臨後第22主日の入祭唱に答えるかのように、聖霊降臨後第23主日の入祭唱では、平和と希望に満ちた主の言葉が返ってきます。
私たちは恐れる必要はない、何故なら、主の考えは平和の考えであるから。もしも私たちが主に忠実であるなら、私たちが主に信頼するなら、何も怖がる必要はない、と。
天主はエレミアの口を通して私たちに語りかけます。その当時エレミアはエルサレムにいました。といっても大部分のユダヤ人たちはバビロンに流刑として流されていました。彼らは絶望し、嘆き、悲しみ、預言者たちは不幸を預言していました。その中でエレミアは彼らを励まし、天主に信頼するように促します。主は彼らを解放してくださるだろう、と。
Dicit Dominus : ego cogito cogitationes pacis, et non afflictionis : invocabitis me, et ego exaudiam vos : et reducam captivitatem vestram de cunctis locis.
「主は言い給う。私は、平和の考えを考えるのであり、苦しみの考えではない。あなたたちは私を呼ぶだろう、そうすれば私はあなたたちの祈りを聞き入れよう。そして私はあなたたちの捕囚を全ての場所から元に連れ戻そう。」
エレミアは、彼らが祖国に戻ることができるようになるだろう、と予告します。
現代も、試練と不安の時を私たちが生きています。しかし主は私たちに呼びかけ、主を信頼するようにと招いています。主は、私たちを捕囚して閉じ込めている罪という異国の場所から私たちを解放してくださるのですから。
そこで、グレゴリオ聖歌もメロディーがとても落ち着いていて平和に満ちています。
天主がお話になっている、という荘厳さがあります。
「平和の」pacis という言葉に跳躍があります。「あなたたちは私を呼ぶだろう」invocabitis me という招きには力強さが感じられます。「私はあなたたちの祈りを聞き入れよう」exaudiam vos には、優しさが感じられます。
これに詩篇84が伴います。イスラエルは、エレミアを通して伝えられた帰国の予告に感謝します。
Benedixisti Domine terram tuam : avertisti captivitatem Jacob.
「主よ、御身は、御身の地(主の民)を祝福し給うた。御身はヤコブから捕囚を避けさせ給うた。」
Introït Dicit Dominus
Schola Bellarmina – L’année liturgique en chant grégorien – Volume 7 / CD 14
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
愛する兄弟姉妹の皆様、
聖霊降臨後第23主日の固有の聖歌は、聖霊降臨後最終主日まで同じものとなります。
入祭唱は、Dicit Dóminus で始まります。
カトリック教会は「時の終わり」について黙想します。主の来臨について考えます。
その時、信仰は冷え、偽りの預言者たちが立ち上がり、愛徳は弱るだろうと言われています。
そこで主に対して苦悩の呼びかけをします。先週の聖霊降臨後第22主日の入祭唱がそうでした。深い淵から私は叫んだ De profundis(詩篇129)!と。同じ、詩篇は聖霊降臨後第23主日でも、アレルヤ唱で繰り返されます。
ところで、聖霊降臨後第22主日の入祭唱に答えるかのように、聖霊降臨後第23主日の入祭唱では、平和と希望に満ちた主の言葉が返ってきます。
私たちは恐れる必要はない、何故なら、主の考えは平和の考えであるから。もしも私たちが主に忠実であるなら、私たちが主に信頼するなら、何も怖がる必要はない、と。
天主はエレミアの口を通して私たちに語りかけます。その当時エレミアはエルサレムにいました。といっても大部分のユダヤ人たちはバビロンに流刑として流されていました。彼らは絶望し、嘆き、悲しみ、預言者たちは不幸を預言していました。その中でエレミアは彼らを励まし、天主に信頼するように促します。主は彼らを解放してくださるだろう、と。
Dicit Dominus : ego cogito cogitationes pacis, et non afflictionis : invocabitis me, et ego exaudiam vos : et reducam captivitatem vestram de cunctis locis.
「主は言い給う。私は、平和の考えを考えるのであり、苦しみの考えではない。あなたたちは私を呼ぶだろう、そうすれば私はあなたたちの祈りを聞き入れよう。そして私はあなたたちの捕囚を全ての場所から元に連れ戻そう。」
エレミアは、彼らが祖国に戻ることができるようになるだろう、と予告します。
現代も、試練と不安の時を私たちが生きています。しかし主は私たちに呼びかけ、主を信頼するようにと招いています。主は、私たちを捕囚して閉じ込めている罪という異国の場所から私たちを解放してくださるのですから。
そこで、グレゴリオ聖歌もメロディーがとても落ち着いていて平和に満ちています。
天主がお話になっている、という荘厳さがあります。
「平和の」pacis という言葉に跳躍があります。「あなたたちは私を呼ぶだろう」invocabitis me という招きには力強さが感じられます。「私はあなたたちの祈りを聞き入れよう」exaudiam vos には、優しさが感じられます。
これに詩篇84が伴います。イスラエルは、エレミアを通して伝えられた帰国の予告に感謝します。
Benedixisti Domine terram tuam : avertisti captivitatem Jacob.
「主よ、御身は、御身の地(主の民)を祝福し給うた。御身はヤコブから捕囚を避けさせ給うた。」
Introït Dicit Dominus
Schola Bellarmina – L’année liturgique en chant grégorien – Volume 7 / CD 14
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)