聖母小黙想会【その3】 聖母小黙想会 2017年8月11日(金)
小野田神父様霊的講話 [2]
「たくさん祈りなさい。イエズスとマリアの聖心は、あなたたちに対して憐れみのご計画を持っています。主に絶えず、絶え間なく祈りと犠牲を捧げなさい。」
では黙想を続けます。この2回目の黙想は、天使の2回目と3回目の御出現について黙想する事を提案します。
1回目、最初から天使は私たちに、被造物があるべき態度がどのようなものであるかということを教えてくれました。
まず、天使ご自身がどれほどすばらしいものであるか、どれほど被造物の中でも人間をはるかに超えた、最も天主様に近いものとして、純粋の霊であって、光に輝き、クリスタルのキラキラ光るものは、天使の光輝きと比べれば、もうおもちゃのようにしか見えない。このスポットライトが当たるか当たらないかの時で、御聖体顕示台の輝きが違いますけれども、たとえこの地上での御聖体顕示台が黄金の、純粋の黄金で、最高度に磨かれていて、最高のダイヤモンドとクリスタルとサファイアと高価な宝石を付けて、どれほど豪華に飾ったとしても、天使のその美しさと比べれば、全く比べものにもならない、霞んで見える。
それほどの美しい天使が、跪いて、額を地面に擦り付けて額ずいて、「我が天主よ、われ信じ、礼拝し、希望し、御身を愛し奉る。」3回繰り返してこのお祈りを唱えました。
第2回は、ルチアの井戸の陰に、天使がいきなり現れて言いました。夏の一番暑い盛りの、午後のお昼寝の時間でした。「何をしているのか。」いきなり天使が訪問して、「さぁお前たち、何をしているのか。今何をしているのか。お祈りをしなさい、たくさんお祈りしなさい。」
やはり、祈りと礼拝への招きを天使はしました。天使は、「お祈りをしなさい」と言っただけではありませんでした。繰り返して、「たくさんお祈りをしなさい。」「お祈りをしなさい、たくさんお祈りをしなさい。」
子供たちはお昼寝もしていられませんでした、お遊びもしてはいられませんでした。「たくさんお祈りをしなさい、祈りなさい。」「たくさん祈りなさい。イエズスとマリアの聖心は、あなたたちに対して憐れみのご計画を持っています。主に絶えず、絶え間なく祈りと犠牲を捧げなさい。」
「お祈りをしなさい」というのは、もう天使が模範を見せてくれたので、ルチア子供たちはすぐ理解しました、「あぁ、お祈りというのは、跪いて、額ずいて、『天主よ、信じ、礼拝し、希望し、愛し奉る。信じない人々、礼拝しない人々、希望しない人々、愛さない人々の為に、罪の御赦しを乞い願い奉る。』祈りは分かった。」「犠牲というのはどうすればいいのですか?」ルチアは単純に聞きます、「主に絶えず、祈りと犠牲を捧げなさい。その犠牲というのは、祈りはしたい、祈りはします。でも犠牲はどうしたらいいのですか?」
すると天使はとても優しく答えてくれます、「難しくない。全ての事で、犠牲をする事ができます。主に背くたくさんの罪と、罪人の回心の為に、犠牲を捧げなさい。あなたたちの国の上に平和を呼び下すように努めなさい。特に主があなたたちに送られる苦痛を苦しみをお受けして、それを捧げて下さい。」
非常に単純です。「主が私たちに送られるのを良しとされる苦しみ、辱しめ、屈辱、病気、失敗、無理解、全ての苦しみと、涙と、悲しみと、十字架、不正義、不当な取り扱い、辛い思いを受け入れて、それを耐え忍んで、これを主にお捧げすれば良い」と言うのです。
罪の償いの為に、罪人の回心の為に、この子供たちはその文字通りにしました。スペイン風邪、インフルエンザ、病院、手術、別れ、孤独、苦痛、痛み、嫌がらせ、不信、お母さんお父さんから信じてもらえなかった、脅し、逮捕、牢獄、全ての辛い事、苦しみを、罪人の回心の為に捧げました。時にはそれを忘れてしまう小さなジャシンタちゃん、「あ、罪人の回心の為にやらないの?」とフランシスコから言われると、「あぁ、そうだった!やる」と。
私たちは主の被造物、全く無に等しい被造物。主こそ全てであって、主こそ私たちの全てを握っておられる方で、私たちはその主に「はい」と言うしか、それを言う事が私たちにとって最高の善であって、最高の幸せであって、最高の喜びでなければなりません。それこそが私たちにできる最高の使命であって、義務であって、私たちに本当の幸せをもたらすものです。主に対しては、「はい」しかありません。
しかし、「はい」と言わない人、信じない人、礼拝しない人、希望しない人、愛さない人、従わない人、「はい」と言わない人、「嫌だ」と言って主の送られる善を拒む人、その人々に代わって、私たちが主から送られるものを全て、「はい」、「はい」と受け入れる事、そうする事によって、私たちが犠牲を捧げる事ができる、罪人の罪を償い、回心の為にお恵みをもたらす事ができる、平和をもたらす事ができる、祝福をもたらす事ができる、と教えてくれました。
私たちも、私たちは主からどれほど愛されているか、憐れみの計画を持っている、主に絶えず祈りと犠牲を捧げるという事が、私たちにとってどれほどの憐れみと祝福を呼び寄せる事ができるかという事を、平和の天使が教えてくれました、ポルトガルの守護の天使が教えてくれました。日本にも守護の天使がいますし、私たち一人一人にも守護の天使がいます。守護の天使は、私たちが祈りと犠牲を絶え間なく捧げる事を望んでいます。
この子供たちはそこで、1回目になされた天使の祈りを何度も何度も、ぐったりするまで唱えて、そして主から送られた十字架を「はい」、「はい」と言って、捧げてきました。
第3回目の御出現は、第1回目と同じ所で起こりました。カペソという所でした。
ちょうど1回目も2回目も、同じ頃に御出現がありました。お弁当を食べてお昼を食べて、そしていつものようにロザリオを唱えて、終わった頃の出来事でした。
3回目の時に違っていたのは、既に知っていた天使の祈りを唱えていました、「我が天主よ、われ信じ、礼拝し、希望し、御身を愛し奉る。」何度も何度もこの祈りを繰り返していると、すると非常に不思議な、きれいな、超自然の、この世のものとはいえない光が現れてきて、「あぁ、この光は何だ!?」と思って身を起こしてみると、第1回目に現れたあのきれいな天使が立っていました。
今度はこの天使は、カリスと御聖体を手に持って現れたのです。第3回目のメッセージの核心は、「御聖体の神秘」です。天使は、御聖体とカリスを空中に置いて、子供たちのそばに跪いてお祈りをします。御聖体からは御血が滴り出ていました。
考えてもみて下さい。ちょうど私たちが今聖時間で、御聖体顕示台に御聖体を礼拝しましたけれども、ちょうどそのように、司祭が御聖体顕示台を持って皆さんを祝福したように、天使が現れて来て、御聖体顕示台の代わりにカリスと御聖体だけを、そしてそれを御聖体を空中に置いたまま、跪いて、皆さんと一緒に跪いて礼拝するのです。
「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、われ御身を深く礼拝し奉る。世界中の全ての御聖櫃の内に在し給う、イエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂と御神性を、イエズス・キリスト御自身が受け給う侮辱、冒瀆、無関心を償う為に、御身に捧げ奉る。イエズス・キリストの至聖なる聖心と、マリアの汚れなき御心の無限の功徳によりて、憐れな罪人の回心を御身に願い奉る。」
跪いて額ずいて、子供たちの前でこのお祈りをします。3回唱えます。それから子供たちにも繰り返させます。これを見ると、確かに私たちのカトリックの教えを、天使が私たちにもう一度再確認して下さいます。
1つは、御聖体が罪の償いの為に捧げられた秘跡であるという事です。その御聖体には真に、イエズス・キリストの御体、御血、御霊魂、御神性が現存しておられるという事です。
この光輝く超高貴な、私たちと比較すれば私たちが無に等しいようなものすごい御方の天使でさえも、額ずいて礼拝しているのが、この御聖体です。天使たちが何千何万何億といたとしても、全て「ハハーッ!」として平伏して深く、「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊を深く礼拝し奉る。」と叫んで、絶え間なく、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主。いと尊き御血は讃美せられさせ給え!」
全人類の全ての聖人、聖女、天使の大群が讃美して、感謝して、礼拝しているこの御聖体を前に、ポルトガルの守護の天使は子供たちに、この教えを身を以って教えています、「真にイエズス様、天主の御体がここに在す。御聖体の中にも、御体、御血、御霊魂、御神性、イエズス様が全て、御人性と御神性が全て入っておられます。御血においても、御体、御血、御霊魂、御神性が入っておられる。そしてこのそこには無限の功徳がある」という事、そして「私たちもこの御聖体に対して、同じ礼拝と償いを捧げなければならない」と教えています。「イエズス様が受けている侮辱、冒瀆、無関心を償わなければならない。」
イエズス様の聖心はかつてマルガリタ・マリア・アラコックに言いました、「見よ、人類をこれほどまで愛している私の心を。しかしこの愛は愛されていない。無関心と冒瀆と瀆聖をもって、私の愛に仇返しをしている。少なくともお前は、私を慰めなさい。」
これを見ると、カトリックの教えの神髄が分かります。他のキリスト教を名乗る宗教は、イエズス様の御聖体における現存を信じていません。他のキリスト教を名乗る宗教は、「イエズス様が十字架の、聖金曜日に十字架の上でなさったので、私たちは何もする事がない。ただイエズス様を信じて、救い主として受け入れれば良いのだ。私たちは何も全くしなくていい。」
私たちは御聖体を、真にイエズス様の御体の在し給う御聖体を礼拝し、そして罪を償う義務を持っています。そのように招かれています。これがイエズス様の憐れみの御計画です。
これを見ると、私たちがミサの時に、どれほど御聖体に対して崇敬と、礼拝と、償いを果たさなければならないかという事が分かります。もしも私たちをはるかに超える天使でさえも、跪いて額ずいたのならば、私たちは一体どうすれば良いのでしょうか?額ずいても足りないほどです。
天使は、天使にはできない事を子供たちに教えました。額ずいても、天使は額ずく事はできますけれども、その天使にはできない、更に私たちならできる事を教えてくれました。イエズス様を礼拝して、罪を償う為に、額ずいて跪いて礼拝するよりも、更にもっと素晴らしいやり方がある事を教えてくれました。
その後で、この礼拝の後で天使は立ち上がって、ホスチアを取ってルチアに与えます。それからカリスを取って、その中のものを御血を、ジャシンタとフランシスコに与えます。そして3人にそれぞれにこう言います、一人一人に、「忘恩、冒瀆の恩知らずの人々からひどく屈辱を受けている、恐ろしく侮られている、」英語ではですね、“horribly outrage”と、「恐ろしく屈辱を受けている、イエズス・キリストの御体と御血を礼拝しなさい。彼らの罪を償い、主をお慰め申し上げなさい」と言って、償いの聖体拝領をさせるのです。
「忘恩、冒瀆の恩知らずの人々から、恐るべくも屈辱を受け、馬鹿にされ、辱しめを受け、瀆聖を受けているイエズス様の御体、御血を礼拝しなさい。彼らの罪を償いなさい。主をお慰め申し上げなさい」と言って、子供たちに聖体拝領をさせます。
そしてポルトガルの天使は、私たちにも同じ事をするように招待しています、「償いの聖体拝領をしなさい。」
今このカトリック教会、全世界のカトリック教会、日本のカトリック教会を、天使たちの目でご覧下さい。イエズス様の御聖体はどれほど愛されて、礼拝され、うやうやしく拝領されている事でしょうか。イエズス様は、真に御聖体の内に在し給うイエズス様は信じられていませんし、礼拝もされてもいません。あたかも何でもないかのように取り扱われ、足蹴にされ、無視され、冒瀆され、それが世界中でなされている。忘恩、冒瀆の恩知らずの人々から、恐るべくも屈辱を受けている、私たちの主、王の王、全能の最高の主である天主イエズス・キリストの御体と御血。
私たちはそれを、「償いの礼拝と、償いの聖体拝領をしなさい」と招かれています。「彼らの罪を償って下さい。主をお慰め下さい。」
そう言って、また天使は平れ伏して、先の祈りを3度繰り返して、見えなくなります。
子供たちは跪いて、いつまでもずっと跪いたまま、同じ姿勢で、休みなく、同じ祈りを何度も何度も何度も何度も繰り返していました。心を込めて思いを込めて、この霊的な聖体拝領の事から考えを話す事ができませんでした。「天主様の御前にある」という思いは、この子供たちの心を奪ってしまいました。この本によると、「『天主の御前にある』という思いは、全く3人の心を奪い、肉体の感覚の使用を全く失うまでになっていた。」
こうやってお昼お弁当を食べて、ロザリオを唱えて、天使の祈りを始めた頃に現れたそのお祈りはこうやって終わり、その後子供たちはずっと我を忘れて、この祈りを何度も何度も唱えていると、フランシスコはまず、「あれ?今何時だ?」と我に返りました。この地上の現実の世界に戻りました。「あ、あれ?」夕方になっていたそうです。「あぁ、もう17時だ!」とか家に帰る時刻でした。でもあまりにもこの神秘は深いものであったので、この3人はこの天使の御出現の事を誰にも話そうとせずに、全くの沈黙を守っていました。
私たちにも今日、霊的にポルトガルの天使が、あるいは日本の守護の天使が現れて、私たちに礼拝を、御聖体に対してどのような礼拝をしなければならないか、償いの礼拝をしなければならないか、償いの聖体拝領をしなければならないかを教えてくれています。この天使が私たちにこうやって現れて、霊的に聖体拝領をして下さっている、と今思って下さい。天主様の現存の中に深く入って下さい。
今から20分ほど黙想して、それからノベナの第1日目の祈りを皆さんで唱えて、祝福を受けて下さい。そして今日第1日目の黙想を終わる事にします。今から黙想を20分ほどなさって下さい。
小野田神父様霊的講話 [2]
「たくさん祈りなさい。イエズスとマリアの聖心は、あなたたちに対して憐れみのご計画を持っています。主に絶えず、絶え間なく祈りと犠牲を捧げなさい。」
では黙想を続けます。この2回目の黙想は、天使の2回目と3回目の御出現について黙想する事を提案します。
1回目、最初から天使は私たちに、被造物があるべき態度がどのようなものであるかということを教えてくれました。
まず、天使ご自身がどれほどすばらしいものであるか、どれほど被造物の中でも人間をはるかに超えた、最も天主様に近いものとして、純粋の霊であって、光に輝き、クリスタルのキラキラ光るものは、天使の光輝きと比べれば、もうおもちゃのようにしか見えない。このスポットライトが当たるか当たらないかの時で、御聖体顕示台の輝きが違いますけれども、たとえこの地上での御聖体顕示台が黄金の、純粋の黄金で、最高度に磨かれていて、最高のダイヤモンドとクリスタルとサファイアと高価な宝石を付けて、どれほど豪華に飾ったとしても、天使のその美しさと比べれば、全く比べものにもならない、霞んで見える。
それほどの美しい天使が、跪いて、額を地面に擦り付けて額ずいて、「我が天主よ、われ信じ、礼拝し、希望し、御身を愛し奉る。」3回繰り返してこのお祈りを唱えました。
第2回は、ルチアの井戸の陰に、天使がいきなり現れて言いました。夏の一番暑い盛りの、午後のお昼寝の時間でした。「何をしているのか。」いきなり天使が訪問して、「さぁお前たち、何をしているのか。今何をしているのか。お祈りをしなさい、たくさんお祈りしなさい。」
やはり、祈りと礼拝への招きを天使はしました。天使は、「お祈りをしなさい」と言っただけではありませんでした。繰り返して、「たくさんお祈りをしなさい。」「お祈りをしなさい、たくさんお祈りをしなさい。」
子供たちはお昼寝もしていられませんでした、お遊びもしてはいられませんでした。「たくさんお祈りをしなさい、祈りなさい。」「たくさん祈りなさい。イエズスとマリアの聖心は、あなたたちに対して憐れみのご計画を持っています。主に絶えず、絶え間なく祈りと犠牲を捧げなさい。」
「お祈りをしなさい」というのは、もう天使が模範を見せてくれたので、ルチア子供たちはすぐ理解しました、「あぁ、お祈りというのは、跪いて、額ずいて、『天主よ、信じ、礼拝し、希望し、愛し奉る。信じない人々、礼拝しない人々、希望しない人々、愛さない人々の為に、罪の御赦しを乞い願い奉る。』祈りは分かった。」「犠牲というのはどうすればいいのですか?」ルチアは単純に聞きます、「主に絶えず、祈りと犠牲を捧げなさい。その犠牲というのは、祈りはしたい、祈りはします。でも犠牲はどうしたらいいのですか?」
すると天使はとても優しく答えてくれます、「難しくない。全ての事で、犠牲をする事ができます。主に背くたくさんの罪と、罪人の回心の為に、犠牲を捧げなさい。あなたたちの国の上に平和を呼び下すように努めなさい。特に主があなたたちに送られる苦痛を苦しみをお受けして、それを捧げて下さい。」
非常に単純です。「主が私たちに送られるのを良しとされる苦しみ、辱しめ、屈辱、病気、失敗、無理解、全ての苦しみと、涙と、悲しみと、十字架、不正義、不当な取り扱い、辛い思いを受け入れて、それを耐え忍んで、これを主にお捧げすれば良い」と言うのです。
罪の償いの為に、罪人の回心の為に、この子供たちはその文字通りにしました。スペイン風邪、インフルエンザ、病院、手術、別れ、孤独、苦痛、痛み、嫌がらせ、不信、お母さんお父さんから信じてもらえなかった、脅し、逮捕、牢獄、全ての辛い事、苦しみを、罪人の回心の為に捧げました。時にはそれを忘れてしまう小さなジャシンタちゃん、「あ、罪人の回心の為にやらないの?」とフランシスコから言われると、「あぁ、そうだった!やる」と。
私たちは主の被造物、全く無に等しい被造物。主こそ全てであって、主こそ私たちの全てを握っておられる方で、私たちはその主に「はい」と言うしか、それを言う事が私たちにとって最高の善であって、最高の幸せであって、最高の喜びでなければなりません。それこそが私たちにできる最高の使命であって、義務であって、私たちに本当の幸せをもたらすものです。主に対しては、「はい」しかありません。
しかし、「はい」と言わない人、信じない人、礼拝しない人、希望しない人、愛さない人、従わない人、「はい」と言わない人、「嫌だ」と言って主の送られる善を拒む人、その人々に代わって、私たちが主から送られるものを全て、「はい」、「はい」と受け入れる事、そうする事によって、私たちが犠牲を捧げる事ができる、罪人の罪を償い、回心の為にお恵みをもたらす事ができる、平和をもたらす事ができる、祝福をもたらす事ができる、と教えてくれました。
私たちも、私たちは主からどれほど愛されているか、憐れみの計画を持っている、主に絶えず祈りと犠牲を捧げるという事が、私たちにとってどれほどの憐れみと祝福を呼び寄せる事ができるかという事を、平和の天使が教えてくれました、ポルトガルの守護の天使が教えてくれました。日本にも守護の天使がいますし、私たち一人一人にも守護の天使がいます。守護の天使は、私たちが祈りと犠牲を絶え間なく捧げる事を望んでいます。
この子供たちはそこで、1回目になされた天使の祈りを何度も何度も、ぐったりするまで唱えて、そして主から送られた十字架を「はい」、「はい」と言って、捧げてきました。
第3回目の御出現は、第1回目と同じ所で起こりました。カペソという所でした。
ちょうど1回目も2回目も、同じ頃に御出現がありました。お弁当を食べてお昼を食べて、そしていつものようにロザリオを唱えて、終わった頃の出来事でした。
3回目の時に違っていたのは、既に知っていた天使の祈りを唱えていました、「我が天主よ、われ信じ、礼拝し、希望し、御身を愛し奉る。」何度も何度もこの祈りを繰り返していると、すると非常に不思議な、きれいな、超自然の、この世のものとはいえない光が現れてきて、「あぁ、この光は何だ!?」と思って身を起こしてみると、第1回目に現れたあのきれいな天使が立っていました。
今度はこの天使は、カリスと御聖体を手に持って現れたのです。第3回目のメッセージの核心は、「御聖体の神秘」です。天使は、御聖体とカリスを空中に置いて、子供たちのそばに跪いてお祈りをします。御聖体からは御血が滴り出ていました。
考えてもみて下さい。ちょうど私たちが今聖時間で、御聖体顕示台に御聖体を礼拝しましたけれども、ちょうどそのように、司祭が御聖体顕示台を持って皆さんを祝福したように、天使が現れて来て、御聖体顕示台の代わりにカリスと御聖体だけを、そしてそれを御聖体を空中に置いたまま、跪いて、皆さんと一緒に跪いて礼拝するのです。
「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、われ御身を深く礼拝し奉る。世界中の全ての御聖櫃の内に在し給う、イエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂と御神性を、イエズス・キリスト御自身が受け給う侮辱、冒瀆、無関心を償う為に、御身に捧げ奉る。イエズス・キリストの至聖なる聖心と、マリアの汚れなき御心の無限の功徳によりて、憐れな罪人の回心を御身に願い奉る。」
跪いて額ずいて、子供たちの前でこのお祈りをします。3回唱えます。それから子供たちにも繰り返させます。これを見ると、確かに私たちのカトリックの教えを、天使が私たちにもう一度再確認して下さいます。
1つは、御聖体が罪の償いの為に捧げられた秘跡であるという事です。その御聖体には真に、イエズス・キリストの御体、御血、御霊魂、御神性が現存しておられるという事です。
この光輝く超高貴な、私たちと比較すれば私たちが無に等しいようなものすごい御方の天使でさえも、額ずいて礼拝しているのが、この御聖体です。天使たちが何千何万何億といたとしても、全て「ハハーッ!」として平伏して深く、「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊を深く礼拝し奉る。」と叫んで、絶え間なく、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主。いと尊き御血は讃美せられさせ給え!」
全人類の全ての聖人、聖女、天使の大群が讃美して、感謝して、礼拝しているこの御聖体を前に、ポルトガルの守護の天使は子供たちに、この教えを身を以って教えています、「真にイエズス様、天主の御体がここに在す。御聖体の中にも、御体、御血、御霊魂、御神性、イエズス様が全て、御人性と御神性が全て入っておられます。御血においても、御体、御血、御霊魂、御神性が入っておられる。そしてこのそこには無限の功徳がある」という事、そして「私たちもこの御聖体に対して、同じ礼拝と償いを捧げなければならない」と教えています。「イエズス様が受けている侮辱、冒瀆、無関心を償わなければならない。」
イエズス様の聖心はかつてマルガリタ・マリア・アラコックに言いました、「見よ、人類をこれほどまで愛している私の心を。しかしこの愛は愛されていない。無関心と冒瀆と瀆聖をもって、私の愛に仇返しをしている。少なくともお前は、私を慰めなさい。」
これを見ると、カトリックの教えの神髄が分かります。他のキリスト教を名乗る宗教は、イエズス様の御聖体における現存を信じていません。他のキリスト教を名乗る宗教は、「イエズス様が十字架の、聖金曜日に十字架の上でなさったので、私たちは何もする事がない。ただイエズス様を信じて、救い主として受け入れれば良いのだ。私たちは何も全くしなくていい。」
私たちは御聖体を、真にイエズス様の御体の在し給う御聖体を礼拝し、そして罪を償う義務を持っています。そのように招かれています。これがイエズス様の憐れみの御計画です。
これを見ると、私たちがミサの時に、どれほど御聖体に対して崇敬と、礼拝と、償いを果たさなければならないかという事が分かります。もしも私たちをはるかに超える天使でさえも、跪いて額ずいたのならば、私たちは一体どうすれば良いのでしょうか?額ずいても足りないほどです。
天使は、天使にはできない事を子供たちに教えました。額ずいても、天使は額ずく事はできますけれども、その天使にはできない、更に私たちならできる事を教えてくれました。イエズス様を礼拝して、罪を償う為に、額ずいて跪いて礼拝するよりも、更にもっと素晴らしいやり方がある事を教えてくれました。
その後で、この礼拝の後で天使は立ち上がって、ホスチアを取ってルチアに与えます。それからカリスを取って、その中のものを御血を、ジャシンタとフランシスコに与えます。そして3人にそれぞれにこう言います、一人一人に、「忘恩、冒瀆の恩知らずの人々からひどく屈辱を受けている、恐ろしく侮られている、」英語ではですね、“horribly outrage”と、「恐ろしく屈辱を受けている、イエズス・キリストの御体と御血を礼拝しなさい。彼らの罪を償い、主をお慰め申し上げなさい」と言って、償いの聖体拝領をさせるのです。
「忘恩、冒瀆の恩知らずの人々から、恐るべくも屈辱を受け、馬鹿にされ、辱しめを受け、瀆聖を受けているイエズス様の御体、御血を礼拝しなさい。彼らの罪を償いなさい。主をお慰め申し上げなさい」と言って、子供たちに聖体拝領をさせます。
そしてポルトガルの天使は、私たちにも同じ事をするように招待しています、「償いの聖体拝領をしなさい。」
今このカトリック教会、全世界のカトリック教会、日本のカトリック教会を、天使たちの目でご覧下さい。イエズス様の御聖体はどれほど愛されて、礼拝され、うやうやしく拝領されている事でしょうか。イエズス様は、真に御聖体の内に在し給うイエズス様は信じられていませんし、礼拝もされてもいません。あたかも何でもないかのように取り扱われ、足蹴にされ、無視され、冒瀆され、それが世界中でなされている。忘恩、冒瀆の恩知らずの人々から、恐るべくも屈辱を受けている、私たちの主、王の王、全能の最高の主である天主イエズス・キリストの御体と御血。
私たちはそれを、「償いの礼拝と、償いの聖体拝領をしなさい」と招かれています。「彼らの罪を償って下さい。主をお慰め下さい。」
そう言って、また天使は平れ伏して、先の祈りを3度繰り返して、見えなくなります。
子供たちは跪いて、いつまでもずっと跪いたまま、同じ姿勢で、休みなく、同じ祈りを何度も何度も何度も何度も繰り返していました。心を込めて思いを込めて、この霊的な聖体拝領の事から考えを話す事ができませんでした。「天主様の御前にある」という思いは、この子供たちの心を奪ってしまいました。この本によると、「『天主の御前にある』という思いは、全く3人の心を奪い、肉体の感覚の使用を全く失うまでになっていた。」
こうやってお昼お弁当を食べて、ロザリオを唱えて、天使の祈りを始めた頃に現れたそのお祈りはこうやって終わり、その後子供たちはずっと我を忘れて、この祈りを何度も何度も唱えていると、フランシスコはまず、「あれ?今何時だ?」と我に返りました。この地上の現実の世界に戻りました。「あ、あれ?」夕方になっていたそうです。「あぁ、もう17時だ!」とか家に帰る時刻でした。でもあまりにもこの神秘は深いものであったので、この3人はこの天使の御出現の事を誰にも話そうとせずに、全くの沈黙を守っていました。
私たちにも今日、霊的にポルトガルの天使が、あるいは日本の守護の天使が現れて、私たちに礼拝を、御聖体に対してどのような礼拝をしなければならないか、償いの礼拝をしなければならないか、償いの聖体拝領をしなければならないかを教えてくれています。この天使が私たちにこうやって現れて、霊的に聖体拝領をして下さっている、と今思って下さい。天主様の現存の中に深く入って下さい。
今から20分ほど黙想して、それからノベナの第1日目の祈りを皆さんで唱えて、祝福を受けて下さい。そして今日第1日目の黙想を終わる事にします。今から黙想を20分ほどなさって下さい。