聖母小黙想会【その9】 2017年8月13日(主)
小野田神父 霊的講話 [6]
「多く祈り、犠牲を捧げることによって、多くの霊魂を永遠の命へと導く事ができる」
では、8月19日の主日に起こった出来事を黙想致しましょう。そしてこの黙想の後で、しばらくの間主の前で黙想して、それから最後にノベナの第3日目を唱えて、祝福を受けて下さい。そして今日の、聖母の小黙想会の今日の分は終わります。
ところで1957年に、ファチマの御出現から40年後、今から60年前、フエンテス神父様という方がシスタールチアにインタビューした事があります。するとシスタールチアは非常に青ざめて、やつれて、こう言いました、「神父様、良い人も悪い人も、誰も聖母のメッセージを重大視しないので、聖母は悲しんでおられます。善人は自分の道を歩き続けていますが、しかし聖母のメッセージには何の注意も払っていません。悪人は自分の上に実際降りかかってくる天主の罰を考えずに、メッセージについては何の注意も払っていません、罪の生活を続けています。しかし神父様、私を信じて下さい、天主は世界を罰しようとしています。この罰は恐るべき仕方でなされるでしょう。天からの罰は間近に迫ってきています。」
「神父様、1960年が来る前にどれだけの時間があるでしょうか。もしも前もって世界が祈りと償いをしないならば、それは全ての人にとって悲しい事でしょう。一人も喜ぶ人はいないでしょう。私は更に詳しい事は言う事はできません。なぜならば、まだそれは秘密だからです。でもマリア様の御旨によれば、教皇様とファチマの司教様だけが、秘密を知る事ができます。しかし彼らは影響を受けないように、それを知らない事を選びました。」
「神父様、マリア様は私のいとこであるフランシスコとジャシンタ、そして私に、『多くの国々が地の表から消えてしまう、消えて無くなるだろう』と告げたという事を皆に伝えて下さい。もしも私たちが前もってロシアの回心を勝ち取らないなら、この憐れな国はロシアは、世界を罰する為に天によって選ばれた罰の道具となるでしょう』と言われました。」
「神父様、悪魔はマリア様に対して決定的な戦いを挑もうとしています。悪魔は天主を最も侮辱する事が何であるか、また誰も短期間にどうやったら多くの霊魂を地獄に落とすかを知っています。だから天主様に捧げられた霊魂たち、聖職者たちを勝ち取ろうと全ての事をしています。なぜなら、こうする事によって悪魔は、指導者によって捨てられた信者たちの霊魂が取り残されて、いとも簡単に彼らを餌食にする事ができるからです。」
「全世界で今、ファチマのマリア様のメッセージを真剣に黙想しようとする人たちがどれほどいるでしょうか。悪魔は、聖職者たちが平信徒の霊魂たちを眠りこませる子守歌を歌い、彼らが最終的に罪を痛悔しないように導く事を望んでいます。悪魔は修道生活へ入る事を遅らせる暗示を与えるところまで行きさえして、あらゆる計略を採用します。この事から結果する事は、内的生活の不毛であり、平信徒の間では、諸々の快楽の断念や、天主への全面的奉献という事に関する冷淡さが生じます。」
「神父様、皆に伝えて下さい。私のいとこのフランシスコとジャシンタは、マリア様の全ての御出現において、常に、マリア様が非常に悲しんでおられるのを見たが故に、自己犠牲を行いました。聖母は私たちに決して微笑まれませんでした。私たちが聖母のうちに認めたこの悲しみ、この苦悩は、私たちの霊魂を貫きました。このマリア様の悲しみは、天主に対する諸々の背きと、罪人たちを脅かす罰によって引き起こされています。私たち子供は祈り、犠牲する様々の方法を発明する以外に、何を考えるべきか知りませんでした。」
「私の使命は、この世界が祈らないで犠牲を果たさなかったら必ず受けるであろう物質的な天罰についてこの世に警告する事ではありません。違います、いいえ違います。私の使命は、全ての人々に、『もしも私たちがこのまま罪に頑になって留るなら、永遠に私たちの霊魂を失ってしまう』という、その身に迫る危険を指し示す事にあるのです。」
「神父様、ローマから教皇様から、全世界の為に悔悛への呼びかけが来ると期待しないで下さい。その呼びかけが司教区の司教様から、あるいは修道会から来ると期待しないで下さい。今、私たち一人一人が、自分で自分の霊的改革を始めなければなりません。一人一人は、自分の霊魂を救わなければなりません。そればかりか、その道に天主様が置かれた全ての霊魂たちをも救わなければなりません。悪魔は私たちの気を散らせて、私たちから祈りに対する愛を取り去る為に、力の及ぶ限りあらゆる事をします。私たちは一緒に救われるか、それとも一緒に地獄に落とされるかでしょう。」
「神父様、マリア様は『私たちが世界の終わりにいる』とは告げられませんでしたが、しかしマリア様はこの事を、『世の終わりにいる』という事を、3つの理由で理解させてくれました。第1の理由は、マリア様が、『悪魔が聖母に対する決定的な戦いをしようとしている』と私に告げられたからです。決定的な戦いというのは、一方が勝ち、他方が敗北を喫するという最終的な戦いです。今は、今からは、私たちはどちらかの側を選ばなければなりません。天主に付くか、あるいは悪魔に付くか、そのどちらかです。その他のいかなる可能性もありません。」
「第2の理由は、マリア様がいとこたちに、また私に、『天主が世界に、2つの最後の救いの策をお与えになっている』と言われたからです。これのこれらの2つの救済策とは、『聖なるロザリオ』と『マリアの汚れなき御心に対する信心』です。この他の救済策はない、という事を意味する最後の2つの救済策です。私たちには2つの救命ボートが出されています。1つは救命胴衣、もう1つは浮き輪です。浮き輪はロザリオで、救命胴衣が聖母の御心です。」
「第3の理由は、天の御摂理の御計画において、天主は世界を罰しようとされる前に、常に全ての救済策を使い尽くしてから、そうされるからです。天主が『世界は何であれ、いかなる注意も払わない』という事をご覧になると、その時私たちが不完全な話し方で言うように、天主様はある恐れと共に、私たちの救いの最後の手段を提供されています。つまり、それは御自分のいとも聖なる御母です。それは『ある恐れと共に』です。なぜなら、もしも私たちがこの最後の手段を軽蔑して退けるならば、私たちはもはや天から赦しを得る事はないからです。なぜなら私たちは、福音書が『聖霊に反する罪』と呼ぶ、1つの罪を犯した事になるからです。この罪とは、『完全な知識と同意をもって、天主が提供される救いを、公然と拒絶する事』です。イエズス・キリスト様が非常に善なる御方で、いとも聖なる御母に背き、御母を軽蔑する事をお許しにならないという事を思い出して下さい。私たちは教会史の多くの世紀を通じて、歴史を通じて、私たちの主イエズス・キリストが、御自分の御母の栄誉をどのように常に守られたかを、聖母の栄誉を攻撃した人に対して、どのように恐るべき罰が下されてきたかを、教会の歴史は証明しています。」
「神父様、この世を救う手段は2つあります。祈りと犠牲です。聖なるロザリオに関して、神父様ご覧下さい、私たちの生きているこの最後の時にあたって、マリア様はロザリオを唱える事に新しい効果を与えて下さいました。たとえそれがどんなに難しくても、この世的な、あるいは霊的な問題であっても、私たち一人一人の個人的な生活上の問題であっても、家族の問題であっても、この世の全ての家族の問題、修道会の問題、民族の問題、国家の問題であったとしても、私たちがこの聖なるロザリオによって解決できない問題などあり得ません。」
「もう一度言います。それがどれほど困難であろうとも、私たちが聖なるロザリオの祈りによって解決し得ない問題はありません。ロザリオを唱える事によって、私たちは自分を救い、聖化し、私たちの主を慰め、多くの霊魂を勝ち取るのです。ですから、私たちのいとも聖なる御母マリア様の汚れなき御心への信心を持たなければなりません。マリア様を仁慈、善良さ、赦しの座であると考え、天国の確かな門であると考えなければなりません。私たちのいとも聖なる御母マリア様の汚れなき御心に対する信心は、聖母を仁慈、善良さ、そして赦しの座として、そしてまたそれによって私たちが天国へと入る確実な道として、扉として考える事に存します。」
何でシスタールチアはこれほどの事を言ったのでしょうか?
8月19日主日、ミサの後でお弁当を食べて、アルジュストレルとカベソの中間あたりにあるヴァリニョスという所に、羊に草を食べさせる為に行きました。ちょうど午後の事でした。フランシスコはお兄さんのジョアンと一緒に行きました。ルチアとフランシスコとジョアンの3人でした。ここで全く予想も考えても、夢にも思ってなかった事が起きました。それはマリア様が御出現されるという事でした。
もちろんマリア様は月の13日、コヴァ・ダ・イリアのトキワガシの上でのみ現れるという法則があるわけではありません。もちろんそこで「来なさい」と約束はしましたけれども、マリア様は御憐れみの御母であって、恵みの御母であって、必要とあればどこにでもお現われになって、私たちを慰めて、力づけようとします。津和野であっても、あるいは長崎の西坂の丘の穴吊りの所であっても、大阪の東三国の聖母の御心の聖堂であっても、マリア様はご自由に訪れて、お恵みをたくさんばらまかれる事ができます。
特に子供たちのその寛大な忠実さ、子供たちのびくともしなかった、そのマリア様の為なら死の覚悟も喜んで受けようとするその寛大さ、あるいはマリア様の仰ったように、「さぁ、天国に行くんだ!」とその喜んだ、「マリア様の元に行く!」というその喜んだ寛大さを見て、マリア様は褒美を、あるいは報いを与えたいと思われたのかもしれません。
そしてマリア様は時と場所と時間とを選んで、子供たちに突然現れました。天主様のお恵みは全く無償であって、憐れみによるものですから、無限の善さ、優しさしかその理由はあり得ません。最も子供たちが辛い思いをして、ひどい体験をして、投獄、拷問、尋問などをされた後、約束が果たせなかった、落胆していたかもしれません。そんな時にマリア様は現われました。
ルチアは、「マリア様がいらっしゃる」という事を直感で気が付きます。するとフランシスコのお兄さんのジョアンに、「あぁ、早くジャシンタを呼んできて!」でもそのジョアンは、マリア様がいらっしゃるという事を直感して、「ここに残りたい」と言うのです。そこでルチアは、何とかジャシンタを連れたいと思いました。なぜかというと、もしもマリア様が、ジャシンタがいないのにマリア様が来られたという事をジャシンタが聞いたら、きっと悲しむだろうと思ったからです。
すると、この地上の全ての物を使ってジャシンタを連れて来させる為に、その時ルチアはコインを2つ持っていたそうです。「お小遣いをあげる。もしもジャシンタを呼びに行ったら1枚あげる、ジャシンタを連れて来たらもう1枚あげるから。さぁ。」するとジョアンは現金なもので、その1枚のコインを硬貨をもらって、バッとジャシンタを呼びに行きます。大急ぎで走って、ジャシンタを連れて来ました。そしてジャシンタがちょうど来る時に、この雷のような光がビカビカビカッとしました。そして一本のやはりトキワガシの上に、マリア様が雲の光の中で現れました。マリア様は非常に悲しそうなお顔持ちでした。
ルチアは毎回そうですが、今回もそう尋ねます、「あなた様は私に何をお望みですか?」
するとマリア様は、「13日に、コヴァ・ダ・イリアに続けて行く事を望みます。毎日ロザリオを唱える事を望みます。最後の月には、全ての人が信じるように、1つの奇跡を行います。あぁ、もしもあなたたちが町へ連れて行かれる事がなかったら、その奇跡はもっと大きなものになるはずでした。でも聖ヨゼフが、世界に平和を与える為に幼子イエズスを連れていらっしゃるでしょう。私たちの主も人々を祝福される為に来られます。ロザリオの聖母と悲しみの聖母も来られます。」
実際10月には、聖家族、それから悲しみの聖母、そしてカルメル山の聖母のビジョンを人々は見ます。そしてマリア様はご自分の事を、「私はロザリオの聖母です」と教えてくれます。10月、ロザリオの聖母。
するとルチアは、人々がお金をコヴァ・ダ・イリアに残しているので、これをどうしたら良いか、「何をする事をお望みですか?」と聞くと、
「籠を作って、それで聖母の、ロザリオの聖母の祝日の為に使いなさい。残りは御聖堂の建設の為に使いなさい。」
「病気の人を治してほしいのですけれども。」
「今年中の内に何人かは治します。」
それからマリア様はこう言います、ますます悲しそうに憂いて言われます、「祈りなさい。たくさん祈りなさい。そして罪人たちの為に犠牲を捧げなさい。多くの霊魂が、多くの霊魂が、彼らの為に犠牲を捧げたり祈ったりしてくれる人がいないから、多くの霊魂が地獄に落ちています。多くの霊魂が地獄に落ちています。なぜなら、彼らの為に犠牲を捧げたり祈ったりしてくれる人がいないからです。」
マリア様の関心はやはりここでした、「多くの霊魂が地獄に落ちている。」「え、何で?何で?」「なぜかというと、誰も祈っていないから。」そこでマリア様は言います、「祈りなさい。たくさん祈りなさい。」
マリア様は、祈りと犠牲を罪人の回心の為にお願いしに、ファチマにやって来られました。残念ながら多くの人々は、そのマリア様のメッセージを無視しています。あるいは知りません、その重要さを知りません。
ちょうどこの8月に、マリア様は別のインスピレーションをマキシミリアノ・コルベに、聖マキシミリアノ・コルベにもしました、「マリア様の栄光の為に、マリア様の道具となりたい。その為に何かをするべきではないか。」
この8月にローマで、霊的指導者にその事を話しています、「聖母の騎士会を創りたい。無原罪の聖母の騎士を創る。」10月にそれは会憲としてできますけれども、その発想は8月にもう既にありました。マキシミリアノ・コルベ神父様も言っていました、「祈りと犠牲。多くの霊魂が地獄に落ちている。なぜならば、彼らの為に祈り、犠牲をする人々がいないから。」
この5月のシュテーリン神父様の話を思い出します。もしも私たちが天才的な発明で薬を発見して、不治の病の人を治す事ができるようにした。このどんなに難しい病気も、もうこの現代の医療ではもう治す事が難しいと言われた病気も、この薬を使えば治る。癌であろうが、筋肉が溶けてしまって無くなってしまうような不思議な病気であろうが、このこれさえ飲めば治る。もしもそうやったら、その薬を飲んで長生きできる。命が、あと数ヶ月だった命が、何十年もまだ生きる事ができる、という事になったら、どれほど多くの人が感謝する事でしょうか。
もしも交通事故で誰かが、「あ!危ない!」という時に、私たちが何かしたので、その事故で亡くなる方が助かった、命が助かった。どれほど感謝される事でしょうか、「あぁ、本当におかげ様で助かりました。」
「危ない!電車が来る、危ない!」線路に行って助け出した。どれほど感謝される事でしょうか。
しかし、もしも私たちが永遠の火から、永遠の滅びから、永遠の呪いから、永遠の悲しみと苦しみから、私たちがその霊魂を救い出して、永遠の命に導く事ができたら、どれほどの偉大な業をした事になるでしょうか。
マリア様は私たちに、その事をするようにお願いしに来ました。「多くの霊魂が地獄に行っているけれども、救う方法がある。祈りと犠牲をすれば、彼らは救われる。彼らは地獄に落ちないのみならず、この地上に平和が起こる、平和がやって来る。この地上で戦争を防止して、世界平和が起こる。平和を確立する為には、唯一手段は1つしかない。マリア様に頼む事だ。」
マリア様は仰いました、「その方しか助ける事ができない」と。「ロザリオの元后の聖母しか、私たちを助ける事ができない」と。「その他の外交、軍事、国家的手段は、本当の平和を確立する事ができない。私たちがその霊魂を救って、世界の平和を求める最高の手段、最高の事は何か。祈りと犠牲である。」
すると私たちは、非常に価値のある、私たちの人生には非常に価値のある事を達成する事ができると分かります、「多くの霊魂を永遠の命へと導く事ができる」と。
8月19日には、マリア様は特別の憐れみと特別なやり方で、その事を教えに来ました、「祈りなさい。たくさん祈りなさい。罪人たちの為にたくさん犠牲を捧げなさい。多くの霊魂は地獄に落ちています。なぜなら、彼らの為に犠牲を捧げ、祈る人がいないからです。」
10分ほど黙想して、それから最後にこのファチマのノベナを唱えて、祝福を受けて下さい。そして今日は終わりましょう。
小野田神父 霊的講話 [6]
「多く祈り、犠牲を捧げることによって、多くの霊魂を永遠の命へと導く事ができる」
では、8月19日の主日に起こった出来事を黙想致しましょう。そしてこの黙想の後で、しばらくの間主の前で黙想して、それから最後にノベナの第3日目を唱えて、祝福を受けて下さい。そして今日の、聖母の小黙想会の今日の分は終わります。
ところで1957年に、ファチマの御出現から40年後、今から60年前、フエンテス神父様という方がシスタールチアにインタビューした事があります。するとシスタールチアは非常に青ざめて、やつれて、こう言いました、「神父様、良い人も悪い人も、誰も聖母のメッセージを重大視しないので、聖母は悲しんでおられます。善人は自分の道を歩き続けていますが、しかし聖母のメッセージには何の注意も払っていません。悪人は自分の上に実際降りかかってくる天主の罰を考えずに、メッセージについては何の注意も払っていません、罪の生活を続けています。しかし神父様、私を信じて下さい、天主は世界を罰しようとしています。この罰は恐るべき仕方でなされるでしょう。天からの罰は間近に迫ってきています。」
「神父様、1960年が来る前にどれだけの時間があるでしょうか。もしも前もって世界が祈りと償いをしないならば、それは全ての人にとって悲しい事でしょう。一人も喜ぶ人はいないでしょう。私は更に詳しい事は言う事はできません。なぜならば、まだそれは秘密だからです。でもマリア様の御旨によれば、教皇様とファチマの司教様だけが、秘密を知る事ができます。しかし彼らは影響を受けないように、それを知らない事を選びました。」
「神父様、マリア様は私のいとこであるフランシスコとジャシンタ、そして私に、『多くの国々が地の表から消えてしまう、消えて無くなるだろう』と告げたという事を皆に伝えて下さい。もしも私たちが前もってロシアの回心を勝ち取らないなら、この憐れな国はロシアは、世界を罰する為に天によって選ばれた罰の道具となるでしょう』と言われました。」
「神父様、悪魔はマリア様に対して決定的な戦いを挑もうとしています。悪魔は天主を最も侮辱する事が何であるか、また誰も短期間にどうやったら多くの霊魂を地獄に落とすかを知っています。だから天主様に捧げられた霊魂たち、聖職者たちを勝ち取ろうと全ての事をしています。なぜなら、こうする事によって悪魔は、指導者によって捨てられた信者たちの霊魂が取り残されて、いとも簡単に彼らを餌食にする事ができるからです。」
「全世界で今、ファチマのマリア様のメッセージを真剣に黙想しようとする人たちがどれほどいるでしょうか。悪魔は、聖職者たちが平信徒の霊魂たちを眠りこませる子守歌を歌い、彼らが最終的に罪を痛悔しないように導く事を望んでいます。悪魔は修道生活へ入る事を遅らせる暗示を与えるところまで行きさえして、あらゆる計略を採用します。この事から結果する事は、内的生活の不毛であり、平信徒の間では、諸々の快楽の断念や、天主への全面的奉献という事に関する冷淡さが生じます。」
「神父様、皆に伝えて下さい。私のいとこのフランシスコとジャシンタは、マリア様の全ての御出現において、常に、マリア様が非常に悲しんでおられるのを見たが故に、自己犠牲を行いました。聖母は私たちに決して微笑まれませんでした。私たちが聖母のうちに認めたこの悲しみ、この苦悩は、私たちの霊魂を貫きました。このマリア様の悲しみは、天主に対する諸々の背きと、罪人たちを脅かす罰によって引き起こされています。私たち子供は祈り、犠牲する様々の方法を発明する以外に、何を考えるべきか知りませんでした。」
「私の使命は、この世界が祈らないで犠牲を果たさなかったら必ず受けるであろう物質的な天罰についてこの世に警告する事ではありません。違います、いいえ違います。私の使命は、全ての人々に、『もしも私たちがこのまま罪に頑になって留るなら、永遠に私たちの霊魂を失ってしまう』という、その身に迫る危険を指し示す事にあるのです。」
「神父様、ローマから教皇様から、全世界の為に悔悛への呼びかけが来ると期待しないで下さい。その呼びかけが司教区の司教様から、あるいは修道会から来ると期待しないで下さい。今、私たち一人一人が、自分で自分の霊的改革を始めなければなりません。一人一人は、自分の霊魂を救わなければなりません。そればかりか、その道に天主様が置かれた全ての霊魂たちをも救わなければなりません。悪魔は私たちの気を散らせて、私たちから祈りに対する愛を取り去る為に、力の及ぶ限りあらゆる事をします。私たちは一緒に救われるか、それとも一緒に地獄に落とされるかでしょう。」
「神父様、マリア様は『私たちが世界の終わりにいる』とは告げられませんでしたが、しかしマリア様はこの事を、『世の終わりにいる』という事を、3つの理由で理解させてくれました。第1の理由は、マリア様が、『悪魔が聖母に対する決定的な戦いをしようとしている』と私に告げられたからです。決定的な戦いというのは、一方が勝ち、他方が敗北を喫するという最終的な戦いです。今は、今からは、私たちはどちらかの側を選ばなければなりません。天主に付くか、あるいは悪魔に付くか、そのどちらかです。その他のいかなる可能性もありません。」
「第2の理由は、マリア様がいとこたちに、また私に、『天主が世界に、2つの最後の救いの策をお与えになっている』と言われたからです。これのこれらの2つの救済策とは、『聖なるロザリオ』と『マリアの汚れなき御心に対する信心』です。この他の救済策はない、という事を意味する最後の2つの救済策です。私たちには2つの救命ボートが出されています。1つは救命胴衣、もう1つは浮き輪です。浮き輪はロザリオで、救命胴衣が聖母の御心です。」
「第3の理由は、天の御摂理の御計画において、天主は世界を罰しようとされる前に、常に全ての救済策を使い尽くしてから、そうされるからです。天主が『世界は何であれ、いかなる注意も払わない』という事をご覧になると、その時私たちが不完全な話し方で言うように、天主様はある恐れと共に、私たちの救いの最後の手段を提供されています。つまり、それは御自分のいとも聖なる御母です。それは『ある恐れと共に』です。なぜなら、もしも私たちがこの最後の手段を軽蔑して退けるならば、私たちはもはや天から赦しを得る事はないからです。なぜなら私たちは、福音書が『聖霊に反する罪』と呼ぶ、1つの罪を犯した事になるからです。この罪とは、『完全な知識と同意をもって、天主が提供される救いを、公然と拒絶する事』です。イエズス・キリスト様が非常に善なる御方で、いとも聖なる御母に背き、御母を軽蔑する事をお許しにならないという事を思い出して下さい。私たちは教会史の多くの世紀を通じて、歴史を通じて、私たちの主イエズス・キリストが、御自分の御母の栄誉をどのように常に守られたかを、聖母の栄誉を攻撃した人に対して、どのように恐るべき罰が下されてきたかを、教会の歴史は証明しています。」
「神父様、この世を救う手段は2つあります。祈りと犠牲です。聖なるロザリオに関して、神父様ご覧下さい、私たちの生きているこの最後の時にあたって、マリア様はロザリオを唱える事に新しい効果を与えて下さいました。たとえそれがどんなに難しくても、この世的な、あるいは霊的な問題であっても、私たち一人一人の個人的な生活上の問題であっても、家族の問題であっても、この世の全ての家族の問題、修道会の問題、民族の問題、国家の問題であったとしても、私たちがこの聖なるロザリオによって解決できない問題などあり得ません。」
「もう一度言います。それがどれほど困難であろうとも、私たちが聖なるロザリオの祈りによって解決し得ない問題はありません。ロザリオを唱える事によって、私たちは自分を救い、聖化し、私たちの主を慰め、多くの霊魂を勝ち取るのです。ですから、私たちのいとも聖なる御母マリア様の汚れなき御心への信心を持たなければなりません。マリア様を仁慈、善良さ、赦しの座であると考え、天国の確かな門であると考えなければなりません。私たちのいとも聖なる御母マリア様の汚れなき御心に対する信心は、聖母を仁慈、善良さ、そして赦しの座として、そしてまたそれによって私たちが天国へと入る確実な道として、扉として考える事に存します。」
何でシスタールチアはこれほどの事を言ったのでしょうか?
8月19日主日、ミサの後でお弁当を食べて、アルジュストレルとカベソの中間あたりにあるヴァリニョスという所に、羊に草を食べさせる為に行きました。ちょうど午後の事でした。フランシスコはお兄さんのジョアンと一緒に行きました。ルチアとフランシスコとジョアンの3人でした。ここで全く予想も考えても、夢にも思ってなかった事が起きました。それはマリア様が御出現されるという事でした。
もちろんマリア様は月の13日、コヴァ・ダ・イリアのトキワガシの上でのみ現れるという法則があるわけではありません。もちろんそこで「来なさい」と約束はしましたけれども、マリア様は御憐れみの御母であって、恵みの御母であって、必要とあればどこにでもお現われになって、私たちを慰めて、力づけようとします。津和野であっても、あるいは長崎の西坂の丘の穴吊りの所であっても、大阪の東三国の聖母の御心の聖堂であっても、マリア様はご自由に訪れて、お恵みをたくさんばらまかれる事ができます。
特に子供たちのその寛大な忠実さ、子供たちのびくともしなかった、そのマリア様の為なら死の覚悟も喜んで受けようとするその寛大さ、あるいはマリア様の仰ったように、「さぁ、天国に行くんだ!」とその喜んだ、「マリア様の元に行く!」というその喜んだ寛大さを見て、マリア様は褒美を、あるいは報いを与えたいと思われたのかもしれません。
そしてマリア様は時と場所と時間とを選んで、子供たちに突然現れました。天主様のお恵みは全く無償であって、憐れみによるものですから、無限の善さ、優しさしかその理由はあり得ません。最も子供たちが辛い思いをして、ひどい体験をして、投獄、拷問、尋問などをされた後、約束が果たせなかった、落胆していたかもしれません。そんな時にマリア様は現われました。
ルチアは、「マリア様がいらっしゃる」という事を直感で気が付きます。するとフランシスコのお兄さんのジョアンに、「あぁ、早くジャシンタを呼んできて!」でもそのジョアンは、マリア様がいらっしゃるという事を直感して、「ここに残りたい」と言うのです。そこでルチアは、何とかジャシンタを連れたいと思いました。なぜかというと、もしもマリア様が、ジャシンタがいないのにマリア様が来られたという事をジャシンタが聞いたら、きっと悲しむだろうと思ったからです。
すると、この地上の全ての物を使ってジャシンタを連れて来させる為に、その時ルチアはコインを2つ持っていたそうです。「お小遣いをあげる。もしもジャシンタを呼びに行ったら1枚あげる、ジャシンタを連れて来たらもう1枚あげるから。さぁ。」するとジョアンは現金なもので、その1枚のコインを硬貨をもらって、バッとジャシンタを呼びに行きます。大急ぎで走って、ジャシンタを連れて来ました。そしてジャシンタがちょうど来る時に、この雷のような光がビカビカビカッとしました。そして一本のやはりトキワガシの上に、マリア様が雲の光の中で現れました。マリア様は非常に悲しそうなお顔持ちでした。
ルチアは毎回そうですが、今回もそう尋ねます、「あなた様は私に何をお望みですか?」
するとマリア様は、「13日に、コヴァ・ダ・イリアに続けて行く事を望みます。毎日ロザリオを唱える事を望みます。最後の月には、全ての人が信じるように、1つの奇跡を行います。あぁ、もしもあなたたちが町へ連れて行かれる事がなかったら、その奇跡はもっと大きなものになるはずでした。でも聖ヨゼフが、世界に平和を与える為に幼子イエズスを連れていらっしゃるでしょう。私たちの主も人々を祝福される為に来られます。ロザリオの聖母と悲しみの聖母も来られます。」
実際10月には、聖家族、それから悲しみの聖母、そしてカルメル山の聖母のビジョンを人々は見ます。そしてマリア様はご自分の事を、「私はロザリオの聖母です」と教えてくれます。10月、ロザリオの聖母。
するとルチアは、人々がお金をコヴァ・ダ・イリアに残しているので、これをどうしたら良いか、「何をする事をお望みですか?」と聞くと、
「籠を作って、それで聖母の、ロザリオの聖母の祝日の為に使いなさい。残りは御聖堂の建設の為に使いなさい。」
「病気の人を治してほしいのですけれども。」
「今年中の内に何人かは治します。」
それからマリア様はこう言います、ますます悲しそうに憂いて言われます、「祈りなさい。たくさん祈りなさい。そして罪人たちの為に犠牲を捧げなさい。多くの霊魂が、多くの霊魂が、彼らの為に犠牲を捧げたり祈ったりしてくれる人がいないから、多くの霊魂が地獄に落ちています。多くの霊魂が地獄に落ちています。なぜなら、彼らの為に犠牲を捧げたり祈ったりしてくれる人がいないからです。」
マリア様の関心はやはりここでした、「多くの霊魂が地獄に落ちている。」「え、何で?何で?」「なぜかというと、誰も祈っていないから。」そこでマリア様は言います、「祈りなさい。たくさん祈りなさい。」
マリア様は、祈りと犠牲を罪人の回心の為にお願いしに、ファチマにやって来られました。残念ながら多くの人々は、そのマリア様のメッセージを無視しています。あるいは知りません、その重要さを知りません。
ちょうどこの8月に、マリア様は別のインスピレーションをマキシミリアノ・コルベに、聖マキシミリアノ・コルベにもしました、「マリア様の栄光の為に、マリア様の道具となりたい。その為に何かをするべきではないか。」
この8月にローマで、霊的指導者にその事を話しています、「聖母の騎士会を創りたい。無原罪の聖母の騎士を創る。」10月にそれは会憲としてできますけれども、その発想は8月にもう既にありました。マキシミリアノ・コルベ神父様も言っていました、「祈りと犠牲。多くの霊魂が地獄に落ちている。なぜならば、彼らの為に祈り、犠牲をする人々がいないから。」
この5月のシュテーリン神父様の話を思い出します。もしも私たちが天才的な発明で薬を発見して、不治の病の人を治す事ができるようにした。このどんなに難しい病気も、もうこの現代の医療ではもう治す事が難しいと言われた病気も、この薬を使えば治る。癌であろうが、筋肉が溶けてしまって無くなってしまうような不思議な病気であろうが、このこれさえ飲めば治る。もしもそうやったら、その薬を飲んで長生きできる。命が、あと数ヶ月だった命が、何十年もまだ生きる事ができる、という事になったら、どれほど多くの人が感謝する事でしょうか。
もしも交通事故で誰かが、「あ!危ない!」という時に、私たちが何かしたので、その事故で亡くなる方が助かった、命が助かった。どれほど感謝される事でしょうか、「あぁ、本当におかげ様で助かりました。」
「危ない!電車が来る、危ない!」線路に行って助け出した。どれほど感謝される事でしょうか。
しかし、もしも私たちが永遠の火から、永遠の滅びから、永遠の呪いから、永遠の悲しみと苦しみから、私たちがその霊魂を救い出して、永遠の命に導く事ができたら、どれほどの偉大な業をした事になるでしょうか。
マリア様は私たちに、その事をするようにお願いしに来ました。「多くの霊魂が地獄に行っているけれども、救う方法がある。祈りと犠牲をすれば、彼らは救われる。彼らは地獄に落ちないのみならず、この地上に平和が起こる、平和がやって来る。この地上で戦争を防止して、世界平和が起こる。平和を確立する為には、唯一手段は1つしかない。マリア様に頼む事だ。」
マリア様は仰いました、「その方しか助ける事ができない」と。「ロザリオの元后の聖母しか、私たちを助ける事ができない」と。「その他の外交、軍事、国家的手段は、本当の平和を確立する事ができない。私たちがその霊魂を救って、世界の平和を求める最高の手段、最高の事は何か。祈りと犠牲である。」
すると私たちは、非常に価値のある、私たちの人生には非常に価値のある事を達成する事ができると分かります、「多くの霊魂を永遠の命へと導く事ができる」と。
8月19日には、マリア様は特別の憐れみと特別なやり方で、その事を教えに来ました、「祈りなさい。たくさん祈りなさい。罪人たちの為にたくさん犠牲を捧げなさい。多くの霊魂は地獄に落ちています。なぜなら、彼らの為に犠牲を捧げ、祈る人がいないからです。」
10分ほど黙想して、それから最後にこのファチマのノベナを唱えて、祝福を受けて下さい。そして今日は終わりましょう。