アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
オッタヴィアーニ・バッチ両枢機卿の、新しい「ミサ司式」の批判的研究の続きをご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
新しい「ミサ司式」の批判的研究(1969年6月5日)
Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
1規範ミサと新しい「式次第」
2ミサの定義
3ミサの目的
4いけにえの本質
5いけにえを実現させる4つの要素
1) キリスト
2) 司祭
3) 教会
4) 信者
6新しい典礼様式が内包する落とし穴、危険、霊的心理的な破壊要素
7宗教統一運動
8結論
6新しい典礼様式が内包する落とし穴、危険、霊的心理的な破壊要素
以上の考察では、新しい司式がカトリック・ミサの神学からきわめてひどく逸脱するところだけに限って話がなされた。そこでの私たちの考察は単に逸脱が典型的であるものに限られている。
新しい典礼様式が内包する(それがたとえ典礼文であれ、説明文であれ、規定文であれ)全ての落とし穴、危険、霊的心理的な破壊要素を完全に評価し尽くすのは広大な事業になるだろう。
私たちはだからここでは新しい3つの「奉献文」にざっと目を通すだけにしよう。なぜなら、その形式もその実体も共に何回も権威ある批判を受けてきたからである。
第二奉献文127はそのあまりの短さに信者達にすぐに躓きを与えた。この第二奉献文に関しては、全実体変化やミサの犠牲の性格のどちらももはや信じていないような司祭が良心の呵責を全く持たずにこれを捧げることが出来ること、また、プロテスタントの牧師が自分の典礼サービスのためにこの奉献文を十分に使い得ることが鋭く指摘されてきた。
新しいミサはローマに「司牧上の仕事の豊かな源」として、「法律的と言うよりもむしろ司牧的な文章」として導入された。そして、各国の司教協議会はそれぞれの状況に合わせて様々な民の「精神」にそれを適応させることが出来るとされた。
「典礼のための新しい聖省」の第一部門はさらに「典礼書の出版と絶え間ない見直し」のための責任者とされた。
この考えは、ドイツ、スイス、オーストリアの典礼研究所の公式出版物の中に最近、反映されてこう書かれた128。
「今ではラテン語が様々な国の言葉に訳されなければならない。「ローマ式」は地方教会のそれぞれの個性に適応されなければならない。かつて時を越えて考えられたものは、絶えず変わる文脈と具体的な状況に合わせ、普遍教会の絶え間ない流動とその無数の会衆に会わせなければならない。」
新しい司式を発布する際の使徒座憲章それ自体でさえ、第二バチカン公会議の明らかな望みに反して「言語の多様相違のうちにも、全ての人によって同じ一つの祈りが[?]、大祭司イエズス・キリストを通して、聖霊のうちに、どの香にもまして芳しい香りとして、父に捧げられることになるからです」という全く曖昧な表現により教会の普遍的な言語であるラテン語に対し最後の一撃を与えている。
これゆえに、ラテン語を失うことは当然だと考えられる。また第二バチカン公会議はグレゴリオ聖歌がローマ典礼のローマ典礼であることを示すものであると認め、「典礼儀式に置いて名誉ある地位が与えられなければならないと」命じたが、新しいミサでは特に入祭文や昇階誦を自由に選んで良くなったために論理的にグレゴリオ聖歌さえも失われてしまうだろう。
従って、その仕組みから、新しい司式は多様で実験的なものであり時と場所によって変わるものだった。礼拝の単一性がこうして一度、そして永久に壊れてしまうなら、いったい信仰の単一性を保つための基礎として何が存在することだろうか。かつては信仰と単一性に礼拝の単一性が結びつき、それが妥協することなく信仰を常に守っていたと私たちは教えられてきた。
新しいミサが、トレント公会議で教えられた信仰を私たちに提示する意向を全くもたないことは明らかである。ところでカトリック信者の良心が永遠に結ばれているのはまさにこの信仰である。従って、新しいミサが発布されると真のカトリック信者は劇的な選択の必要に直面する。
7宗教統一運動
使徒座憲章は、新しい司式が東方教会から借りたことになっている信心と教義の豊かさについて明確に言及している。しかし、結果は東方典礼の精神からあまりにも遥かに離れ、そして実にその精神とは対立することになり、信者をして東方典礼様式からうんざりさせて離れさせるのみである。
この宗教統一運動の為に東方典礼から借りたものはいったいどんなものがあるだろうか。基本的には「奉献文」を導入させるための数多くの文章(これをアナフォラと言う)。しかし、そのうちのどれ一つとして東方典礼のアナフォラの複雑さや美しさに及ばない。また、その他のものとして両形色での聖体拝領と助祭の使用である。
東方典礼に近づくために導入したいくつかの要素に反して、新しい司式はローマ典礼がかつて東方典礼に最も近づいていた要素を、全て故意に取り除いてしまった129。同時に、新しい司式は、紛れもなくローマ的で、またいつ始まったかも分からないほどの古いローマの性格を放棄してしまっている。そうすることによって、霊的にそれ自体で貴重であったもの全てから切り離されてしまった。
この代わりに新しい司式は、プロテスタントの一部の典礼に近くなったが、プロテスタント化したその新しい要素はカトリックの信仰にとって非常に近くにあった要素というわけではない。同時にこれらの新しい要素はローマ典礼を退廃させ東方典礼からもさらに疎外化させた。それは新しい司式の先駆者であるプロテスタント宗教改革で起きたことと全く同じことであった。
新しい典礼はその見返りとして、かつてなかったほどの霊的危機の時代に於いて棄教・背教の境界線をうろつき今や教会の組織に毒を入れ、教会の教義・礼拝・道徳・規律の一致を崩そうとして教会の破壊を企てているものどもを全て喜ばすだろう。
8結論
使徒座憲章も述べているとおり、聖ピオ5世はカトリック信者の間の一致を作るための道具としてローマ・ミサ典書を作った。トレント公会議の命令に従って、その当時プロテスタントの反乱によって脅かされていた典礼的礼拝あるいは信仰それ自体に対しての危険を全て排除するためのミサ典書であった。全く正当化されうる重大事態そしてさらに預言的でさえもあることには、聖ピオ5世は1570年このミサ典書を発布する勅書の最後にこう荘厳な警告を与えた。
「もし誰であれ、このミサ典書を勝手に変更しようとあえてするものがあるとするならば、彼は全能の天主の御怒りと主の聖なる使徒聖ペトロと聖パウロの怒りとを自分の上に呼び起こすものであると言うことを良く知るが良い130。」
「新しい司式」がバチカン報道局に提出されたとき、トリエント公会議が述べていた[ミサを変えるのを禁止する]様々な理由はもはや存在しなくなったと、全く不賢明なことさえ言っていた。トリエント公会議のこれらの勅令は、今日でもまだ適応するばかりでなく、それらの勅令を存在するに至らしめた条件が今日ではさらに非常に悪化して存在している。教会が天主の息吹を受けて、教会の防御としてドグマ上の定義や教義上の声明を出したのは、まさに信仰の純粋な遺産を脅かす、いつの時代にもある罠を追撃するためであった131。これらの教義上の定義や宣言は典礼によって守られると共に教会の典礼に影響を与えた。そして典礼は教会の信仰の最も完璧な記念碑となったのである。この礼拝をキリスト教の古代の実践へと戻し、古代にあった原初の自発性を人工的に再構成しよう、という試みはピオ12世があれほど声を高めて排斥した「不健康な考古学主義132」に身を投じることである。さらに言えばそのような試みは典礼様式の保護のために建てられた神学的防御の壁を全て崩し、過去数世紀の長きに亘って典礼を豊かにしてきた全ての美しさを取り除いてしまうことである133。しかもこれら全てが教会の歴史に於いて最も危機的な時(たとえそれが最高の危機を迎える時でなかったとしても)の一つである今なされるとは!
今日、教会の外だけでなく教会の中に於いてでさえ分裂と離教が公に認められている134。教会の一致はただ単に脅かされているだけではない。教会の一致は既に悲劇的にも蝕まれている135。信仰に反する誤謬はただ単に暗示されているだけではない。謬説は典礼的乱用と逸脱を通して今では公に認められ強制的に押しつけられている。136
過去4世紀に亘って典礼における一致の印と保証として立ち止まった典礼の伝統を打ち捨てることは、そしてこの典礼を別の典礼で取り替えることは、しかも、それが暗に許可する無数の自由のために、分裂の印以外の何にもなり得ない別の典礼、カトリック信仰の完全性に反する暗示や明らかな誤謬を多く含む典礼によって取り替えることは、われわれは良心上はっきりこう言わなければならないが、はかり知ることの出来ない誤りである。
御聖体の祝日に 1969年6月5日
【注はここにあります。】
英語訳はここにあります。
愛する兄弟姉妹の皆様、
オッタヴィアーニ・バッチ両枢機卿の、新しい「ミサ司式」の批判的研究の続きをご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
新しい「ミサ司式」の批判的研究(1969年6月5日)
Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
1規範ミサと新しい「式次第」
2ミサの定義
3ミサの目的
4いけにえの本質
5いけにえを実現させる4つの要素
1) キリスト
2) 司祭
3) 教会
4) 信者
6新しい典礼様式が内包する落とし穴、危険、霊的心理的な破壊要素
7宗教統一運動
8結論
6新しい典礼様式が内包する落とし穴、危険、霊的心理的な破壊要素
以上の考察では、新しい司式がカトリック・ミサの神学からきわめてひどく逸脱するところだけに限って話がなされた。そこでの私たちの考察は単に逸脱が典型的であるものに限られている。
新しい典礼様式が内包する(それがたとえ典礼文であれ、説明文であれ、規定文であれ)全ての落とし穴、危険、霊的心理的な破壊要素を完全に評価し尽くすのは広大な事業になるだろう。
私たちはだからここでは新しい3つの「奉献文」にざっと目を通すだけにしよう。なぜなら、その形式もその実体も共に何回も権威ある批判を受けてきたからである。
第二奉献文127はそのあまりの短さに信者達にすぐに躓きを与えた。この第二奉献文に関しては、全実体変化やミサの犠牲の性格のどちらももはや信じていないような司祭が良心の呵責を全く持たずにこれを捧げることが出来ること、また、プロテスタントの牧師が自分の典礼サービスのためにこの奉献文を十分に使い得ることが鋭く指摘されてきた。
新しいミサはローマに「司牧上の仕事の豊かな源」として、「法律的と言うよりもむしろ司牧的な文章」として導入された。そして、各国の司教協議会はそれぞれの状況に合わせて様々な民の「精神」にそれを適応させることが出来るとされた。
「典礼のための新しい聖省」の第一部門はさらに「典礼書の出版と絶え間ない見直し」のための責任者とされた。
この考えは、ドイツ、スイス、オーストリアの典礼研究所の公式出版物の中に最近、反映されてこう書かれた128。
「今ではラテン語が様々な国の言葉に訳されなければならない。「ローマ式」は地方教会のそれぞれの個性に適応されなければならない。かつて時を越えて考えられたものは、絶えず変わる文脈と具体的な状況に合わせ、普遍教会の絶え間ない流動とその無数の会衆に会わせなければならない。」
新しい司式を発布する際の使徒座憲章それ自体でさえ、第二バチカン公会議の明らかな望みに反して「言語の多様相違のうちにも、全ての人によって同じ一つの祈りが[?]、大祭司イエズス・キリストを通して、聖霊のうちに、どの香にもまして芳しい香りとして、父に捧げられることになるからです」という全く曖昧な表現により教会の普遍的な言語であるラテン語に対し最後の一撃を与えている。
これゆえに、ラテン語を失うことは当然だと考えられる。また第二バチカン公会議はグレゴリオ聖歌がローマ典礼のローマ典礼であることを示すものであると認め、「典礼儀式に置いて名誉ある地位が与えられなければならないと」命じたが、新しいミサでは特に入祭文や昇階誦を自由に選んで良くなったために論理的にグレゴリオ聖歌さえも失われてしまうだろう。
従って、その仕組みから、新しい司式は多様で実験的なものであり時と場所によって変わるものだった。礼拝の単一性がこうして一度、そして永久に壊れてしまうなら、いったい信仰の単一性を保つための基礎として何が存在することだろうか。かつては信仰と単一性に礼拝の単一性が結びつき、それが妥協することなく信仰を常に守っていたと私たちは教えられてきた。
新しいミサが、トレント公会議で教えられた信仰を私たちに提示する意向を全くもたないことは明らかである。ところでカトリック信者の良心が永遠に結ばれているのはまさにこの信仰である。従って、新しいミサが発布されると真のカトリック信者は劇的な選択の必要に直面する。
7宗教統一運動
使徒座憲章は、新しい司式が東方教会から借りたことになっている信心と教義の豊かさについて明確に言及している。しかし、結果は東方典礼の精神からあまりにも遥かに離れ、そして実にその精神とは対立することになり、信者をして東方典礼様式からうんざりさせて離れさせるのみである。
この宗教統一運動の為に東方典礼から借りたものはいったいどんなものがあるだろうか。基本的には「奉献文」を導入させるための数多くの文章(これをアナフォラと言う)。しかし、そのうちのどれ一つとして東方典礼のアナフォラの複雑さや美しさに及ばない。また、その他のものとして両形色での聖体拝領と助祭の使用である。
東方典礼に近づくために導入したいくつかの要素に反して、新しい司式はローマ典礼がかつて東方典礼に最も近づいていた要素を、全て故意に取り除いてしまった129。同時に、新しい司式は、紛れもなくローマ的で、またいつ始まったかも分からないほどの古いローマの性格を放棄してしまっている。そうすることによって、霊的にそれ自体で貴重であったもの全てから切り離されてしまった。
この代わりに新しい司式は、プロテスタントの一部の典礼に近くなったが、プロテスタント化したその新しい要素はカトリックの信仰にとって非常に近くにあった要素というわけではない。同時にこれらの新しい要素はローマ典礼を退廃させ東方典礼からもさらに疎外化させた。それは新しい司式の先駆者であるプロテスタント宗教改革で起きたことと全く同じことであった。
新しい典礼はその見返りとして、かつてなかったほどの霊的危機の時代に於いて棄教・背教の境界線をうろつき今や教会の組織に毒を入れ、教会の教義・礼拝・道徳・規律の一致を崩そうとして教会の破壊を企てているものどもを全て喜ばすだろう。
8結論
使徒座憲章も述べているとおり、聖ピオ5世はカトリック信者の間の一致を作るための道具としてローマ・ミサ典書を作った。トレント公会議の命令に従って、その当時プロテスタントの反乱によって脅かされていた典礼的礼拝あるいは信仰それ自体に対しての危険を全て排除するためのミサ典書であった。全く正当化されうる重大事態そしてさらに預言的でさえもあることには、聖ピオ5世は1570年このミサ典書を発布する勅書の最後にこう荘厳な警告を与えた。
「もし誰であれ、このミサ典書を勝手に変更しようとあえてするものがあるとするならば、彼は全能の天主の御怒りと主の聖なる使徒聖ペトロと聖パウロの怒りとを自分の上に呼び起こすものであると言うことを良く知るが良い130。」
「新しい司式」がバチカン報道局に提出されたとき、トリエント公会議が述べていた[ミサを変えるのを禁止する]様々な理由はもはや存在しなくなったと、全く不賢明なことさえ言っていた。トリエント公会議のこれらの勅令は、今日でもまだ適応するばかりでなく、それらの勅令を存在するに至らしめた条件が今日ではさらに非常に悪化して存在している。教会が天主の息吹を受けて、教会の防御としてドグマ上の定義や教義上の声明を出したのは、まさに信仰の純粋な遺産を脅かす、いつの時代にもある罠を追撃するためであった131。これらの教義上の定義や宣言は典礼によって守られると共に教会の典礼に影響を与えた。そして典礼は教会の信仰の最も完璧な記念碑となったのである。この礼拝をキリスト教の古代の実践へと戻し、古代にあった原初の自発性を人工的に再構成しよう、という試みはピオ12世があれほど声を高めて排斥した「不健康な考古学主義132」に身を投じることである。さらに言えばそのような試みは典礼様式の保護のために建てられた神学的防御の壁を全て崩し、過去数世紀の長きに亘って典礼を豊かにしてきた全ての美しさを取り除いてしまうことである133。しかもこれら全てが教会の歴史に於いて最も危機的な時(たとえそれが最高の危機を迎える時でなかったとしても)の一つである今なされるとは!
今日、教会の外だけでなく教会の中に於いてでさえ分裂と離教が公に認められている134。教会の一致はただ単に脅かされているだけではない。教会の一致は既に悲劇的にも蝕まれている135。信仰に反する誤謬はただ単に暗示されているだけではない。謬説は典礼的乱用と逸脱を通して今では公に認められ強制的に押しつけられている。136
過去4世紀に亘って典礼における一致の印と保証として立ち止まった典礼の伝統を打ち捨てることは、そしてこの典礼を別の典礼で取り替えることは、しかも、それが暗に許可する無数の自由のために、分裂の印以外の何にもなり得ない別の典礼、カトリック信仰の完全性に反する暗示や明らかな誤謬を多く含む典礼によって取り替えることは、われわれは良心上はっきりこう言わなければならないが、はかり知ることの出来ない誤りである。
御聖体の祝日に 1969年6月5日
【注はここにあります。】
英語訳はここにあります。