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アマゾンの特別シノドスの討議要綱に反対する前教理省長官ミュラー枢機卿:キリスト教を、宇宙と生物多様的自然とエコロジーを神聖化することによる救いの学問に変えようとする無駄な試み

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

Working Document for the Synod on the Amazon: In the Critics’ Spotlight (1)の日本語訳の続きをご紹介します。

アマゾン周辺地域のための特別シノドスの討議要綱
様々な批判を受けて(1)続き



アマゾン川がライン川を源泉として流れている

ミュラー枢機卿は、進歩主義的ドイツ人たちが、次のシノドスの討議要綱に書かれた内容に及ぼした影響を忘れませんでした。
「Rete Ecclesiale Panamazzonica (=REPAM)(汎アマゾン教会ネットワーク)という団体、これは討議要綱の準備を課され、まさにその理由のために2014年設立されたものですが、この団体と討議要綱の作者たちは、いわゆるTheologia india[インド神学]のグループに属している人々で、極めて頻繁に自分が書いた言葉を引用しています。」

「このグループは、まったく同じ世界観を持つ人々による閉ざされた組織です。ワシントンとローマで行われたシノドス準備会合にいた名前のリストに簡単に見られるように、不釣り合いなほど大勢のドイツ語圏のヨーロッパ人が含まれています。」

「[この閉ざされた組織には]真剣な反対意見が免除されています。なぜなら[彼らの世界観においては]反対意見は、一枚岩の教理主義と教条主義、あるいは儀式主義(IL 38; 110; 138)に基づくもの、さらに、対話をすることが不可能な聖職者主義(IL 110)や、ファリザイ人の堅苦しい考え方や、律法学士たちの側の理性の傲慢に基づくもの、でしかあり得ない[とされる]からです。そのような人々と議論をしたとしても、時間の無駄、徒労に過ぎないとされるからです。」

このドイツ人枢機卿は続けます。
「彼ら[シノドスを準備した人々]の全てが南米を経験した訳ではありません。彼らは、それ[自分の意見]が公式路線に一致していると思っているという理由で、またドイツ司教協議会とドイツ・カトリック中央委員会の"シノドスの道"において議論のテーマをコントロールしている(司祭独身性の廃止、女性司祭、女性を鍵となる権力のある地位につけて聖職者主義と原理主義に反対する、啓示された性道徳をジェンダー・イデオロギーやまた同性愛の実践に対する評価へ適用する)という理由でのみ、参加しているのです。そしてこのシノドスの道は、今現在、ドイツで行われています。」

前教理省長官は、この文書の根本において、ヨーロッパ的ニューエイジによって現代化されたアニミズム的汎神論を激しく非難しています。
「神話と、母なる"自然"の儀礼的魔術とのある世界観、また、私たちを深く怯えさせ、あるいは偽りの約束で私たちを誘うような、神々や霊へのいけにえのある世界観は、み言葉と聖霊における三位一体の天主が来られたことへの適切なアプローチにはなり得ません。
このアプローチは、道徳的価値と市民社会と宗教的儀礼の安逸な遺物しかキリスト教から受け入れないリベラルなブルジョワジーに固有の科学的・実証的な世界観にまとめられることもありえません。(…)宇宙(コスモス)は、天主として礼拝されてはなりません。創造主御自身だけが礼拝されるべきです。
私たちがひざをかがめるのは、自然の大きな力の前でもなく、『世のすべての国とその栄華』(マテオ4章8節)の前でもなく、天主の御前でのみです。何故なら、『汝の天主なる主を礼拝し、ただ天主にのみに仕えねばならぬ、と書かれている』(マテオ4章10節)からです。イエズスが砂漠で悪魔の誘惑を退けられたのは、このようにしてです。」

ミュラー枢機卿は、締めくくりに当たって、
「人間の完全性が自然生物との一致だけから成るのではなく、天主の子供であること聖なる三位一体との聖寵に満ちた一致において完全となる、さらには、永遠のいのちとは、天主への回心への報酬であり、天主との和解への報いであって、環境や私たちの分かち合う世界との和解ということだけではない、という聖寵の超自然的な性格」を再確認する必要があると言います。

「完全な(integral)発展ということを、単なる物質的な資源の分配に矮小化することはできません。なぜなら、人は、恩寵における完徳の道によってのみ、その新しい完全性を受けるからです。ここで、今、洗礼によって、私たちは天主の新しい被造物、天主の子となることによって、その完全性を受け、そしていつの日か、聖父と聖子と聖霊とのまどいにおいて、また天主の聖人たちとの通効において、至福直観おいてこの完全性を受けるのです(ヨハネ第一1章3節、3章1節以下参照)。」

「漠然とした宗教性を持つあいまいなアプローチを提示する代わりに、また、キリスト教を、宇宙と生物多様的自然とエコロジーを神聖化することによる救いの学問に変えようとする無駄な試みを提示する代わりに、私たちの信仰の中心と起源を見つめることが重要です。

天主の善と知恵において、天主はご自身を啓示し、天主の御旨の隠された目的を私たちに知らせることを選択されました(エフェゾ1章9節参照)。これによって、肉となられたみ言葉であるキリストを通して、人間は聖霊において、聖父へと近づくことが出来、天主の本性を共にすることができるようになるのです。」

(Sources : Tagespost/lifesitenews - FSSPX.Actualités - 12/08/2019)

シュナイダー司教はアマゾン地域のための特別シノドスの討議要綱に反対する:十字架の福音の代わりに、地上の生活の福音、胃袋の福音、自然の礼拝、森の礼拝、水と太陽を礼拝する福音を宣教している

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

Working Document for the Synod on the Amazon: In the Critics’ Spotlight (2)の日本語訳をご紹介します。

Working Document for the Synod on the Amazon: In the Critics' Spotlight (2)
アマゾン周辺地域のための特別シノドスの討議要綱(2)

AUGUST 14, 2019 SOURCE: FSSPX.NEWS

近く行われる予定のアマゾン周辺地域のための特別シノドスの討議要綱(working documents)に関するヴァルター・ブラントミュラー枢機卿による批判がなされたのち、この7月に新たに三つの批判が出されました。

第二の批判は、カザフスタンにあるアスタナの補佐司教であるアタナシウス・シュナイダー司教からのものです。

シュナイダー司教の批判は、2019年7月17日にオーストリアのウェブサイトKath.netにドイツ語による8ページの文書で、翌日にはLifeSiteNewsに英語で発表されました。

アマゾン・カトリックというセクトに向けて

ミュラー枢機卿と同様に、シュナイダー司教は、このシノドスは、自然を崇拝し女性司祭職を持とうとする「アマゾン・カトリック」というセクトをつくろうと望んでいるヨーロッパの聖職者の偽エリートによって準備されていると主張しています。主にヨーロッパ出身であるこれらの改革者たちは、「新しいキリスト教を本当に欲している」と。

シュナイダー司教は、エルヴィン・クロイトラー司教の最近の発言を告発します。エルヴィン・クロイトラー司教は、以前はブラジルのシング司教区の司教であり、来るシノドスの主要な文書作者の一人です。クロイトラー司教は、オーストリアのテレビネットワークORFで、アマゾン地域での司祭不足を理由に、結婚した司祭と「最低でも女性助祭職」を要求しました。
シュナイダー司教は、この同僚司教に反対して、【その人々には】「御聖体への権利」などというものはなく、また「御聖体の秘蹟は、天主からの究極の賜物である」と断言しました。シュナイダー司教は、本当の問題点は、「アマゾン地域では最近何十年もの間、召命を養成する強い司牧的行動が起こされなかった」ことだと宣言しました。

アスタナ司教区の補佐司教であるシュナイダー司教は、この期間[=最近何十年]に「アマゾン地域の宣教師たちの中には、イエズス・キリストの真の精神から離れ、使徒たちの精神から、また聖なる宣教師たちのまことの精神から離れ、代わりに、この世の精神に向かった人々がいる」と強調しました。
また、「クロイトラー司教や彼の同僚の多くの同伴者ら[思想に共鳴して協力をする人々]が要求しているものは、いわば、司祭の猿まね(カリカチュア)であり、援助活動家、NGO職員、社会主義的サンディカリスト、環境保全専門家の形を取っている」と述べます。

シュナイダー司教は、現在アマゾン・シノドスの準備作業に参加している教会関係者を酷評しました。彼は何度も述べます。
「イエズスの名前と聖なる司教職・司祭職を乱用して、宣教師たち、さらに司教たちさえもが、アマゾン地域で地上の生活の福音を、いわば胃袋の福音を宣教し、十字架の福音を宣教したのではなかった。それは、自然の礼拝、森の礼拝、水と太陽を礼拝する福音であり、この非常に短い地上の物質的生活を礼拝する福音だ。」

このシノドスの議長を務める教皇の問題について、シュナイダー司教は、教皇には「司祭の独身性という使徒からの遺産を保存し(…)自分の後継者と次の世代」へ伝達する「天主によって彼に与えられた厳しい義務がある」ことを思い起こさせます。

なぜなら「教皇は、沈黙によっても、あるいは、あいまいな対応によっても、どのようなやり方でも、討議要綱の一部にある明らかにグノーシス主義的かつ自然主義的な内容を支持することが許されないし、司祭の独身性という使徒からの義務を廃止することを支持してはならない」からだ。

しかし、このカザフスタンの司教は、現実的にこう付け加えています。
「もし教皇が来るアマゾン・シノドスでこのような支持を行ったとすれば、彼はペトロの後継者、キリストの代理者として、自分の義務に重大な違反を犯すことになり、教会に霊的な失墜をもたらすことになるだろう。しかし、無敵の真理の太陽であるキリストは、聖にして勇敢で忠実な教皇たちを教会に遣わされて、この短い失墜を消してくださるだろう。なぜなら、地獄の門はペトロの岩に打ち勝つことはできない(マテオ16章18節参照)からだ。」

この心配は、LifeSiteNewsのジャーナリスト、Maike Hicksonによって表明されています。シュナイダー司教の批判をまとめて、最後に、彼女はこう書いています。

「汎アマゾン・シノドスはローマで開催されるが、シノドス参加者の教父らのほとんどはアマゾン地域に由来する教父たちであり、アジア、東ヨーロッパ、アフリカのような地域出身のより保守的な何らかの司教たちは[参加できず]、アマゾンから来る進歩的な思想に対して反対することが出来ないだろう」と。


Photo Credit

(Sources : LifeSiteNews/Dici n° 387 - FSSPX. Actualités)

教皇ヨハネ二十二世は、啓示された「質料的教義」に反する異端説を唱えたが、聖伝の教えを信じる人々が教皇に公に反対して抵抗した。

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛するM君、

教皇ヨハネ二十二世の件についてお話をします。

これをみると、その当時も、聖伝主義者と「聖座忠誠派」(教皇信奉者)と教皇座空位論者が出てきました。

聖伝主義者とは、今までの正統な教えられ続けてきた教義(聖伝)を信じ、もしも教皇がそれを個人的に否定したとしても、聖伝を支持し続ける人々です。しかし、聖伝主義者は、個人の資格によって教皇を教皇ではないとは主張せず、ただ、間違った教えを説く教皇に抵抗する人々です。

「聖座忠誠派」とは、教皇の言うことなら、それが聖伝に反しても何でもその通りだと信じて、それを支持することがカトリックであるという態度の人々です。

教皇座空位論者とは、教皇が聖伝の教えを否定したとき、自分の個人の判断によって、教皇を教皇ではない、と断言する人々のことです。

さて、教皇ヨハネ二十二世(1316-1334)は、アヴィニョンにいた真の教皇でした。

ヨハネ二十二世は、信徒の霊魂は死後すぐに至福直観を得るのではなく、最後の審判の後でようやく至福直観を得る、と公に教えました。

この異端説を、教皇として、枢機卿たちや高位聖職者や神学者たちを前にして、何度も説教しました。この説によると、

*死せる信者の霊魂は、世の終わりの総審判の後にならなければ、善業の報いである至福直感(天主を顔と顔を合わせて完璧に見奉り天主を享受すること)や天国での至福を得られない。
*肉体のよみがえりがあり、肉身と霊魂とがもう一度合体して初めて、完全な至福が人間に与えられる。
*煉獄で浄められた後、霊魂は「祭壇の下 sub altare」(黙示録6:9)におかれ、肉体のよみがえりと最後の審判を待つ。
*この待っている間、霊魂たちはキリストの人生によって慰めを受け、保護されるが、至福直観は受けることが出来ない。

などと教えていました。

ヨハネ二十二世の説教は記録されて、出版されています。たとえば、次が参考になります。

Marc Dykmans, "Les sermons de Jean XXII sur la vision béatifique", Rome, Gregorian University, 1973
Sermon de Toussaint 1er novembre 1331Sermon du 15 décembre 1331

次の二冊は、情報としてあげておきます。

Fr. V. F. O’Daniel, "John XXII And The Beatific Vision", The Catholic University Bulletin. vol. VIII, Washington, D.C.: The Catholic University of America, 1912

Christian Trottmann, "La vision béatifique. Des disputes scolastiques à sa définition par Benoît XII, Ecole Française de Rome", Rome 1995.

ヨハネ二十二世は、この異端説を枢機卿であるときから、すなわち教皇になる前から唱えており、印刷物として出版しました。

教皇として、これを説教し、自説をパリ大学の神学部に強要しました。しかしこの説に反対する神学者たちは、ヨハネ二十二世の説を異端的だと非難しました。

これについては、Pope John XXII in Catholic Encyclopedia (1913)には次のようにあります。すこし引用しますが、詳しくはリンク先を見て下さい。

Before his elevation to the Holy See, he had written a work on this question, in which he stated that the souls of the blessed departed do not see God until after the Last Judgment. After becoming pope, he advanced the same teaching in his sermons. In this he met with strong opposition, many theologians, who adhered to the usual opinion that the blessed departed did see God before the Resurrection of the Body and the Last Judgment, even calling his view heretical. A great commotion was aroused in the University of Paris when the General of the Minorites and a Dominican tried to disseminate there the pope's view.(…)

歴史家のロベルト・デ・マテイ(Roberto de Mattei)は、A POPE WHO FELL INTO HERESY, A CHURCH THAT RESISTED: John XXII and the Beatific Vision という記事の中で次のように書いています。詳しくは、リンク先をお読み下さい。それによると、

*ヨハネ二十二世の異端説は古くからあったが十三世紀に聖トマス・アクィナスが論破していた。【聖トマス・アクィナス De veritate (q. 8, a. 1) や Summa Theologica ( I, q. 12, a. 1)など】

*ヨハネ二十二世がこの誤謬を再提示すると、多くの神学者たちから公に批判を受けた。

*討論に参加して教皇に反対した人々のなかに、モー(Meaux)司教区の司教であった Guillaume Durand de Saint Pourcain (1270-1334)がいたが、彼は、教皇がカタリ派の異端を再提示していると告発した。

*教皇の説に反対した英国ドミニコ会士 Thomas Waleys (1318-1349)は、公に反論した結果、裁判を受けて投獄された。

*教皇に反論したフランシスコ会 Nicola da Lira (1270 -1349) と ジャック・フルニエ枢機卿 Cardinal Jacques Fournier (1280-1342)は、教皇庁の神学者たちであった。(フルニエ枢機卿は後に教皇ベネディクト十二世となる。)

*ヨハネ二十二世が自分の謬説をパリ大学の神学部に強要しようとすると、フランス王フィリップ六世はその教えを禁止し、ソルボンヌ大学の総長ジャン・ジェルソンの記述によると、ヨハネ二十二世がその教えを撤回しない限り、彼を火やぶりにすると脅しさえした(threatening John XXII with the stake)。

*聖アウグスティノ隠遁会の総長であるストラスブルクのトマス(Thomas of Strasburg)によると、ヨハネ二十二世の複数の説教は、全キリスト世界を混乱させた(totus mundum christianum turbaverunt)。

*ヨハネ二十二世の死の直前に、教皇は個人の神学者としてのみ発言して、教導権に結びつけることはしなかった(without any binding to the magisterium he held)と述べた。

*ジョヴァンニ・ヴィラ(Giovanni Villani)の年代史によると、ヨハネ二十二世は、自分の甥であったダル・ポジェット枢機卿(Cardinal Dal Poggetto)とその他の親戚の計らいによって、死ぬ前日(1334年12月3日)に自分の主張を撤回した。

*ヨハネ二十二世の死(1334年12月4日)の後、1334年12月20日、ヨハネ二十二世の異端に反対していた前述のフルニエ枢機卿が教皇に選ばれ、ベネディクト十二世(1335-1342)の名前を取った。

*後継者ベネディクト十二世は、1336年1月29日付けで勅令「ベネディクトゥス・デウス Benedictus Deus」によって、死せる信徒の霊魂は、もし必要なら煉獄で浄められた後、最後の審判の前に、すぐに至福直観を受ける、と不可謬的に定義した。

*この信仰箇条は、1439年7月6日に、フィレンツェ公会議の際に、勅令レテントゥル・チェリ(Laetentur coeli)で言及された。 (Denz-H, n. 1305)

*聖ロベルト・ベラルミンは、ヨハネ二十二世は異端的な説を、真理として信徒らに強制しようという意向を持って、それを支持したが、ドグマとして定義することが出来る前に死亡した、と書いている。従って、教皇の不可謬性の原則は揺るがされなかった。
(St. Robert Bellarmine who dealt amply with this issue in De Romano Pontifice (Opera omnia, Venetiis 1599, Book. IV, chap. 14, coll. 841-844) writes that John XXII supported a heretical thesis, with the intention of imposing it as the truth on the faithful, but died before he could have defined the dogma, without therefore, undermining the principle of pontifical infallibility by his behavior.)
【M君のために聖ベラルミンの書いた本をインターネット上で探しました。リンク先にあります。
http://cdigital.dgb.uanl.mx/la/1080015572_C/1080015573_T2/1080015573_10.pdf
P 117 の "Trigessimus sextus est Joannes XXII, Papa"という文章から始まるところです。

*ヨハネ二十二世の正統ではない教え(heterodox teaching)は、教会の信仰に関する通常の教導権(ordinary magisterium)の執行であったが、定義をするものではなかったので、不可謬ではなかった。



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ベネディクト十二世の勅令のラテン語原文は、次にあります。
BENEDICTUS DEUS (29 Ian. 1336) -- Pontificia definitio dogmatis de visione beatifica Sanctorum ante iudicium universale in caelo fruentium

(…)hac imperpetuum valitura Constitutione, auctoritate apostolica diffinimus, quod secundum communem Dei ordinationem animae sanctorum hominum(…)mox post mortem suam et purgationem praefatam in illis qui purgatione huiusmodi indigebant, etiam ante resumptionem suorum corporum et iudicium generale, post ascensionem Salvatoris nostri domini Iesu Christi in caelum, fuerunt sunt et erunt in caelo, caelorum regno et paradiso caelesti cum Christo, sanctorum Angelorum consortio aggregatae; ac post domini Iesu Christi passionem et mortem viderunt, vident et videbunt divinam essentiam visione intuitiva et etiam faciali, nulla mediante creatura in ratione obiecti visi se habente, sed divina essentia immediate se nude clare et aperte eis ostendente; quodque sic videntes eadem divina essentia perfruuntur nec non quod ex tali visione et fruitione eorum animae qui iam decesserunt sunt vere beatae et habent vitam et requiem aeternam et erunt illorum, qui postea decedent, cum eandem divinam videbunt essentiam ipsaque perfruentur ante iudicium generale; ac quod visio huiusmodi divinae essentiae eiusque fruitio, actus fidei et spei in eis evacuant, prout fides et spes proprie theologicae sunt virtutes; quodque postquam inchoata fuit vel erit talis intuitiva et facialis visio et fruitio in eisdem, eadem visio et fruitio sine aliqua intervisione seu evacuatione praedictae visionis et fruitionis continuata extitit et continuabitur usque ad finale iudicium et extunc usque in sempiternum.(…)

ヨハネ二十二世のケースを見ると、次のことが言えます。

教皇は、信仰に反する誤謬を公に教えることが出来る、ということです。

ヨハネ二十二世の場合、教会による定義の直前だったとはいえ「ドグマの内容(質料的教義)に反する誤謬」を教えていました。

質料的教義(material dogma)とは、啓示の源泉の中に含まれているので、教会が信仰定義をすることができる真理ですが、教会によってまだ定義されていない真理のことを言います。(Ott, Fundamentals of Catholic Dogma, p. 6; Van Noort, The Sources of Revelation, p. 229.)

死せる義人の霊魂が至福直観を享受することについて、不可謬の定義宣言が彼の死の直後にあったとは言え、これは啓示された真理の信仰の遺産の一部でした。だからこそ、教皇の教えは、すぐに、しかも、強烈に反対を受けました。聖伝に反していたからです。

教皇アドリアノ四世はヨハネ二十二世のことを「異端者」であると呼びました。これについてはラテン語原文を引用して既に述べました。
「(…)実に、複数のローマ教皇らは異端者だった。彼らの最後は、教皇ヨハネ二十二世だった。煉獄の霊魂たちは最後の審判の前にはストラを持たない、つまり、明確な天主の顔と顔とを合わせる至福直観を持たないということを、彼は公式に教え、宣言し、すべての人に信じるように(teneri)命じた。」

教皇ベネディクト十二世によれば、ヨハネ二十二世は死の直前まで自分の意見を信仰定義しようとしていましたが、死によってそれが出来なくなりました。
"Cumque idem praedecessor, ad quem praedictorum determinatio pertinebat, ad decisionem concertationum huiusmodi se pararet in suo Consistorio publico, tam Fratribus suis, sacrosanctae Romanae Ecclesiae Cardinalibus, de quorum numero tunc eramus, quam Praelatis et magistris in Theologia, qui multi aderant tunc praesentes, iniungendo districtius et mandando, ut super materia de visione praedicta, quando requirerentur ab eo, deliberate unusquisque diceret quod sentiret, tamen morte praeventus, sicut Domino placuit, perficere id nequivit."[BENEDICTUS XII, BENEDICTUS DEUS]

ヨハネ二十二世が、自分の異端説を唱えつづけた時、ヨハネ二十二世を教皇と認めつつ、しかしその異端説に抵抗した「聖伝のカトリック」がいましたが、その反対に教皇のいうことであるなら、異端説でも何でも、その先棒担ぎとなって広める「聖座忠誠派」(教皇信奉者)もいました。

その先頭がフランシスコ会のジェラール・オルドン(Gerard Ordon)らです。パリのドミニコ会士らも含めて、オルドンらは教皇の異端説を宣伝し、擁護して、パリ大学では大きな問題となりました。

他方で、異端説を唱えるヨハネ二十二世を、教皇ではないと言う者も出てきました。M君のような人です。最初のプロテスタントと呼ばれたオッカムのウィリアム(William of Ockham)です。

イングランド出身のフランシスコ会士であるオッカムのウィリアムは、異端の嫌疑がかけられていましたが、正式に(formally)異端者として排斥されたことはありません。

Franciscan Institute Publications: Philosophy series, No 1. p. 12 にオッカムのウィリアムが1334年にフランシスコ会総長に宛てて書いた手紙の英語訳が載っています。

あるいは、The Tractatus de successivis, William (of Ockham), The Franciscan institute, St. Bonaventure college, 1944, p. 12 にもあります。

オッカムのウィリアムの手紙を引用します。

At the end of his letter to the General Chapter in Assisi in the spring of 1334, he wrote:
"Because of the errors and the heresies mentioned above and countless others, I turned away from the obedience of the false Pope and all who were his friends to the prejudice of the orthodox faith. For men of great learning showed me that because of his errors and heresies the same pseudo-pope is heretical, deprived of his papacy and excommunicated by Canon Law itself, without need of further sentence ... "

"If anyone should like to recall me or anyone else who has turned away from the obedience of the false pope and his friends, let him try to defend his constitutions and sermons, and show that they agree with Holy Scripture, or that a Pope cannot fall into the wickedness of heresy, or let him show by holy authorities or manifest reasons that one who knows the Pope to be a notorious heretic is obliged to obey him."

あるいは、William of Ockham: 'A Letter to the Friars Minor' and Other Writingsにもあります。

つまり、十四世紀に、オッカムのウィリアムは、ヨハネ二十二世の誤謬と異端のために、偽りの教皇への従順を拒む、ヨハネ二十二世の誤謬と異端のために偽教皇は異端者であり、教会法によって判決の必要もなく、教皇職を失い、破門された、と主張しています。

もちろん、カトリック教会は、オッカムのウィリアムのこの主張に決して同意しません。しかし、教皇が公に誤謬を教えたことがあり、そのために教会が大混乱に陥ったという事実があることを教えています。

歴史は、教皇が誤謬や異端を教えるとき、オーバーな反応をする人々がいたことも教えています。教皇座空位論者です。自分の判断で教皇が教皇職を失ったと宣言する人々です。ただしオッカムのウィリアムの名誉のために少し付け加えると、彼は現代の教皇座空位論者らのように、世界中のすべての司教区を持っている司教らが信仰から離れているので司教職を失ったとは主張していませんでした。

【この項は続きます】

新しいミサとルターのした典礼の革新とがどれほど似ているか:

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

ルターのミサから新しいミサへ(ルフェーブル大司教の講話より)

 今晩わたしはルターのミサとルターのした典礼の革新とが、どれほど新しいミサと似通っているかということを話したいと思います。


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 なぜこのことを話す必要があるのでしょうか。なぜなら、典礼の改革を司った委員会の委員長自身が言うところによれば、この改革の根本には教会一致の考えがあり、わたしたちはこの改革について考察せざるを得ないからです。なぜならもし新しいミサと、ルターの典礼とのこの親子関係が本当に存在することが証明できれば、神学上の問題すなわち信仰の問題が、有名な“Lex orandi, lex credendi"(祈りの法は、信仰の法)と言う格言に従って、問題にならざるを得ないからです。

 さて、ルターのした典礼の改革の歴史的書類は現在の改革を照らし出すうえで大変参考になります。

 ルターのした典礼の改革の目的が一体何であったかということを理解するために、今簡単に司祭職とミサ聖祭に関する教会の教えをもう一度見ることにしましょう。

 トレント公会議はその第22総会においてこう私たちに教えています。我々の天主であり主であるイエズスキリストは、その司祭職を終わらせることを望まれず、その死にあたって、最後の晩餐において自分の愛する花嫁である教会に目に見えるいけにえを制定された。これはご自分の贖いの救いの力を我々が毎日犯す罪に適応させるためのものであった。この目的のためにご自分の使徒らを、彼らとその後継者らを、新約の司祭と制定し、新しい契約のこれらの司祭に聖なる消すことのできない印をつける品級の秘跡を制定した。

 この目に見えるいけにえは、現在我々の祭壇のうえでいけにえを捧げる行為によって捧げられている。これにより、我らの主は現実にパンとブドウ酒の形相の下に実在され、ご自分を天主御父にいけにえとして捧げられるのである。そしてこのいけにえを食することにより我々は主の御体と御血と交わり我々も自己を主と一致して捧げるのである。

 したがって教会は次のことを私たちに教えています。

司祭の司祭職は、叙階の秘跡を受けていない平信徒の司祭職と本質的に異なっていること。平信徒は司祭職を絶対的に必要とする教会の一部をなしてはいますが、(秘跡的)司祭職をもっていないのです。そしてこの司祭職には極めて独身がふさわしく、司祭用の服装などによって平信徒と外的に区別することがふさわしいのです。 この司祭職によって行使される礼拝式の本質的行為は、ミサ聖祭です。これは十字架のいけにえが流血のいけにえでありましたが、ミサにおいては無流血のいけにえであるということのみが異なるだけです。司祭は聖変化の言葉によって実現されるいけにえを捧げる行為によってミサを執行するのであって、ご受難のあるいは最後の晩餐の記念を単に朗読することによってミサをたてるのではないのです。

 この崇高で神秘的な行為によって私たちの霊魂と煉獄の霊魂の各々に贖いの功徳が適応されるのです。そしてそのことは奉献文においてすばらしく表明されています。

 したがって、いけにえが現実に存在することは必要であり、この実在はパンとブドウ酒の実体が我らの主の御体と御血に変化することによってなされるのです。したがって御聖体を私たちは礼拝しなければならないのです。そして御聖体に対して非常に大きな尊敬を払うべきです。それゆえにこそ司祭だけが御聖体を取り扱うという聖伝が生まれたのです。「司祭がただ一人だけで捧げるミサ」、そして「司祭一人だけが聖体拝領をするミサ」は、それだけで公の行為であり、ミサ聖祭としての全く同じ価値をもっています。そしてこのミサは司祭にとってもすべての信者らにとっても有益なのです。「司祭一人が立てるミサ」をこうして教会は勧め、望んでいるのです。

 ラテン語のミサの正に中核を構成する祈り、聖歌、典礼儀式(そしてその「宝石」はカノンですが)それらの起源にはこれらの信仰の原理があるのです。私たちはトレント公会議の言うところを読むと感動を覚えずにはいられません。「聖なるものを聖なるものとして取り扱うことはふさわしいことであり、このいけにえはすべての中で最も聖なるものであるのであるから、このいけにえがふさわしくかつ尊敬をもって捧げられ受けられるために、カトリック教会は数世紀以前より、そのうちに成聖を息吹かせ、外的信心を催し、このミサを捧げるものの精神を天主に上げるような、これに反するもののまったくないすべての誤謬から免れた純粋な、聖なるカノンを制定した。このカノンは実に主のみ言葉それ自体、使徒らの聖伝、聖なる教皇らの敬虔な指導からできている。」(第22総会第4章)

 では今から一体どうやってルターがその宗教改革を成し遂げたか、つまり彼自身がそう呼んだその『福音的ミサ』をどう作り上げ、それは一体どんな精神に基づいていたのか見てみましょう。このために1910年にレオン・クリスチアーニの書いた本を見ることにします。この本は現在の典礼改革の影響を受けていないはずですから。この本は「ルター主義からプロテスタンティズムへ Du Luthéranisme au Protestantisme, évolution de Luther de 1517 à 1528 Léon Cristiani」と言う題がついています。この本は典礼改革についてのルター自身の言葉やその弟子らの言葉を引用しているので大変興味深いのです。

 この研究は大変多くを教えてくれます。なぜならルターは自分を動かしていたリベラル(自由放埒)な精神を明かすことを躊躇していないからです。かれはこう書いています。「何よりもまず私は友としてこう懇願する。…神に対する「サービス」に関するこの命令を調べ、それに従いたいと思うものは、自分を束縛する法律のようにこれを読み取ったり、またいかなる良心も捉えられないようにしていただきたい。各々自分の好きなように自分の好きなときにそれを取り入れていただきたい。それがキリスト者の自由というものです。」

 「神に対する称賛としての礼拝式は、今後からは、人を慰め人を照らすために人に対してなされることになります。したがって今までは、いけにえが第1に重要な場所を占めていましたが、今度からは説教がそれに取って変わることでしょう。」

 では、ルターは司祭職についてどのような考えをもっていたのでしょうか。彼の「一人でのミサ」に関する本の中にはカトリック司祭職は悪魔の発明であることを証明しようとやっきになっています。そのためにこそ、彼はそれ以後基本的になるこの原理を持ち出すのです。「聖書にないことはサタンの付け加えたことである」と。さて聖書には目に見える司祭職については書かれていません。聖書には唯一の司祭唯一の大司祭、キリストのことについてしか書かれていません。さらにはキリストと共にわたしたちはすべて司祭である、と。司祭職は唯一であると同時に普遍的である、と。そこでルターは「司祭職を誰かのために独占するのは何という愚かなことか…。キリスト者の間のすべての位階的区別をつけるのは反キリストにふさわしい…。いわゆる『司祭』は災いなことよ。」と言うのです。

 1520年には、彼は「ドイツのキリスト教貴族への宣言」と言う本を書いていますがその中で彼は「ローマ主義者」に戦いを挑み自由公会議を求めています。

 「ローマ主義者が作った最初の高い壁」は聖職者と平信徒との区別である。「教皇、司教、司祭、修道者、が聖職者の身分を構成し、他方で君主、領主、職人、農民が世俗の身分を作り成す、ということに気づいたが、これは全くの作り事でありウソにすぎない。すべてのキリスト者は真実に聖職者の身分に属しており、役割の違いのほかキリスト者の間にいかなる区別もない。…もし教皇あるいは司教が塗油をし、剃髪式、叙階式、聖別式をし、平信徒とは違った服を着るとしたら、見せかけを作り上げ、塗油を受けた偶像を作ることはできるが、キリスト者も聖職者をも作ることができない。洗礼を受けたものはすべてすべて聖別された司祭、司教、教皇ということができる。ただしすべてがこの役割を果たすことがふさわしいとは言えないが。」と言っているのです。

 この教義から、ルターは聖職者の特別の服と独身制とに対し反対するのです。彼自身、また彼の弟子らもその模範を示し彼らは独身をやめ結婚するのです。

 バチカン公会議の改革から出た事実は、ルターの結論とどれ程似ているでしょうか。修道服の廃止、聖座によって認められた数多くの結婚、司祭と平信徒とを区別するすべての印の欠如。この平等主義は、今まで司祭にしか認められていなかった典礼の役職を平信徒にまで認めることによって明らかにされるほどです。

 下級品級の廃止、副助祭の廃止、結婚した助祭、これらは司祭は全く純粋に役職・役目でしか過ぎないという考えを生み、司祭職の秘跡的印を否定するのを促しています。叙階式は共同体へのサービス[奉仕の司祭職]という方向に向けられ、司祭職のカトリック的概念を唯一正当化する『いけにえ』のためではもはやなくなっています。

 労働司祭、組合活動主義者、あるいは国家によって俸給を受ける別の内職を求める司祭など、すべての区別を無くしてしまっています。彼らはルターのやったことよりはるか先を行っています。

 ルターの犯した第2に重大な教義上の誤謬は、この第1の誤謬の続きでありその第1原理に基づいています。すなわち、信仰あるいは信頼が救うのであって、業ではないということ。そしてこれはカトリックミサにおいて最も基本的であるいけにえを捧げる行為を否定することなのです。ルターにとって、ミサは賛美のいけにえ、すなわち賛美、感謝の行為ではありうるけれども、決して償いのためのいけにえ、十字架のいけにえを更新し適応させる贖罪のいけにえなどではないのです。

 修道院内の礼拝式の「退廃」について彼はこう言います。

「彼らの礼拝式の基本的要素、すなわちミサは、不敬虔、忌まわしさのすべて度を過ぎている。彼らはいけにえを捧げ良い業をしているという。これ[=ミサのこと]以外に修道服を脱ぎ捨て、修道院を出、誓願を破る動機はなかったではないか。ミサはそうするのに全く十分である。」

「ミサは『シナックス(集い)』であり交わりである。御聖体は3重のそして嘆かわしい捕虜となってしまった。平信徒の手からカリスを取り上げてしてしまったこと、トミストらが思いついた全実体変化に関する意見をドグマとして押し付けたこと、ミサをいけにえとしてしまったこと、これである。」

 ルターはここで最も重要な点に触れています。しかし彼は少しも躊躇してはいません。「したがって罪のために、罪の償いのために、死者のために、ミサを捧げ・適応するのは明らかなるそして不敬虔な誤謬である。…ミサは神によって人に捧げられたものであり、人によって天主に捧げられたものではない。」と彼は書いています。

 御聖体に関しては、「何よりもまず信仰を駆り立てなければならないものなのであり、俗語で捧げられなければならない。それはすべてが彼らに言われている約束の偉大さをよく理解することができるためである。」

 ルターはこの異端の結論として、いけにえの贖罪とあがないの目的をはっきりと表明している奉献文を廃止するのです。彼はカノンの大部分を廃止し、基本的な所のみを保存するのですがしかしそれもただ最後の晩餐の叙述としてだけです。最後の晩餐において成し遂げられたことに、もっと近づくために彼はパンの聖変化の言葉に「quod pro vobis tradetur(あなたたちのために渡される)」と言う言葉を付け加えるのです。そして「mysterium fidei(信仰の神秘)」という言葉と「pro multis(多くの人のために)」という言葉を廃止するのです。彼は、パンとブドウ酒の聖変化の前の言葉、そしてそれに続く文章を叙述の基本的な言葉として考えるのです。

 彼はミサをまず第1にみ言葉の典礼、第2に聖体拝領(交わり)と考えるのです。

 新しい典礼改革はルターのと全く同じ変化をもたらし、本当に信者たちが手にする現代のテキストにはもはやいけにえについては語られず、ただみ言葉の祭儀、最後の晩餐の叙述、パンあるいは御聖体の分かち合いしか語らない、というのを目前にし驚愕せざるをえません。

 新しいミサを導入する総則の第4項を見ると既にプロテスタントの考え方を表しています。それの発表の後になされた訂正は満足のいくものでは全くありあせん。

 祭壇石の廃止、ただ1枚の祭壇布しか覆われていないテーブルの導入、会衆の方に面する司祭、コルポラーレではなく常にパテナのうえにおかれたままのホスチア、普通のパンを使うことの許可、金銀の貴金属以外のいろいろな材質でできた器、そしてその他数多くの詳細な革新は、基本的にそして非常に重大にカトリックの教えに反したプロテスタントの概念を、新しいミサに与かる人に教え込んでいるのです。

 ミサ聖祭よりもカトリック教会が生き残るために必要なものはありません。ミサを打ち捨てることは教会の基礎それ自体を揺るがすことに等しいのです。キリスト教生活、修道生活、司祭生活はすべて十字架のうえに、祭壇上に新しくされる十字架の聖なるいけにえの上に築かれているのです。

 ルターはそのことからカトリック教会が教えているような全実体変化及びキリストの現存を結論として否定したのです。彼にとって、パンはそのまま残るのです。したがって彼の弟子で、御聖体の礼拝に反して強烈に立ち上がったメランクトンが言うように、「キリストは聖体を自分の受難の記念として制定した。聖体を礼拝することは偶像崇拝である」のです。

 そこから、手による聖体拝領、両形色の聖体拝領が生まれ、それは我らの主の御体、御血の現存をその両形色において否定しているのです。ですから、一つの形色だけによる聖体拝領は不完全だと考えられるのです。

 ここでもさらに現在の典礼改革とルターの典礼改革との奇妙な一致を計ることができます。御聖体の取り扱いに関する新しい許可はますます尊敬を欠かせ、忘れさせ、礼拝をさせないように向いているのです。手による聖体拝領、平信徒が、しかも女性が聖体を配ること、跪く回数を減少させ、数多くの司祭は既に跪くことをしなくなってしまったこと、普通のパンを使ったり、普通の容器をカリス替わりに使ったりすること、これらのすべての改革はカトリック教会が今まで教えてきた御聖体における現存を否定するのに役立っているのです。

 《Lex orandi lex credendi》と言う格言の通り、原理は実践と分かち難く結び付いているので、ルターの典礼改革をミサの典礼において真似ることは、少しづつ、しかし確実に、ルターの考えそのものを受け入れるようにと導いているのです。新しいミサが発表されて後ここ6年の経験はこのことを十分によく証明してくれます。このような、宗教統一的といわれるやり方の結果はまず信仰の領域に於いて壊滅的であり、特に司祭職の腐敗、召命の希少化に於いて特にひどく、全く身近なこの典礼に関する問題についてどこにおいてでもカトリック信者の一致を破壊し、プロテスタントやギリシャ正教会の信者との関係に悪影響を与えています。

 教会の生命活動に欠かすことのできないそして教会にとって基本的であるこの「司祭・いけにえ・御聖体」に関するプロテスタントたちの考えはカトリック教会の信仰と全く完全に反対です。トレント公会議が開かれ、4世紀にも亙って教導職のすべての文章がそれについて語っているのは、おもしろ半分でのことではなく、深い意義があることなのです。

 カトリック信者にとって、まさに自分の信仰の表明であり支えである典礼を、異端者どもが思いついた新しい典礼を受け入れるために放棄することは、しかも自分の信仰を最も大いなる危険にさらすことなしに放棄することは、心理的に、司牧的に、神学的に全く不可能なことです。プロテスタントのしていることをプロテスタントにならずに何でもかんでもまねするというのはできない相談です。

 どれ程多くの信者たちが、どれ程の若い司祭たちが、どれ程の司教様たちがこの典礼改革以降信仰を失ってしまったことか! 自然と信仰に真っ向から反対すればそのしっぺ返しは必ず食うものです。

 最初の「福音的ミサ」の様子をそしてその結末をここで皆さんに読んでみるのは2つの典礼改革がいかに奇妙なほど似通っているかということを納得してもらうために役立つと思います。

 「1521年12月24・25日の夜、群衆は教区の教会に押しかける。…「福音的ミサ」は始まろうとしていた。カールシュタットは説教壇に登り、聖体について説教する。彼は聖体を両形色で拝領する義務があると言い、聖体拝領の前の告解は無意味であるという。信仰だけで十分である、と。カールシュタットは普通の服装で祭壇に立つ。コンフィテオールを唱え聖福音の所までは普通のとおりにミサを始める。奉献の祈り、聖体奉挙などいけにえの概念を呼び起こすものはすべて省かれる。聖変化の後に聖体拝領がくる。参列者の中の多くはほとんど告解をしていなかった。彼らの多くは飲み食いし焼酎を飲んでいたものもあった。彼らも他の人と共に祭壇に近づく。カールシュタットはホスチアを配りカリスを差し出す。聖体拝領する人は手で聖別されたパンを受け取り自分で好きなようにカリスから飲む。ホスチアの一つはスルリと落ちて参列者の服に落ちる。司祭はそれを拾う。もう一つは地面に落ちる。カールシュタットは平信徒にそれを拾うようにと命じる。平信徒が尊敬あるいは迷信のしぐさをしてそれを拒むとカールシュタットは「もし誰もその上を歩かないのなら、それではその落ちたところにそのままあればよい」と言うに過ぎなかった。」

 その同じ日に、その付近のある司祭はおよそ50人ほどの人に両形色で聖体を配った。彼らのうちたった5人だけが告解をしていたに過ぎなかった。その他の人達はミサ中に赦しを受け、罪の償いにもう再び罪に落ちるなと勧められただけであった。

 翌日カールシュタットはアンナ・デ・モハウとの婚約式をした。幾人かの司祭たちはこの模範に従い結婚した。

 この時、ツウィングリは自分の修道院を抜け出しアイレンブルクで説教していた。彼は修道服を脱ぎ捨て髭を生やしていた。平信徒の服装で司祭一人だけのミサに反対していた。新年には両形色で聖体を配る。ホスチアは手から手へと配られていた。自分のポケットに入れてもって帰ったものもいた。ある婦人はホスチアを食しながらそのかけらを地面に落としていた。誰もそのことに注意を払わない。平信徒は自分でカリスを取りなみなみと飲んでいた。

 1522年2月29日、ツウィングリはカタリン・ファルキと結婚した。当時まさに「司祭と修道者の結婚」という伝染病がはやっていた。修道院は空っぽになり始めた。修道院に留まった修道者たちは、1つの例外を除いて、祭壇を打ち壊し、諸聖人の聖画を焼き払い、病者のための聖香油さえ焼き捨てた。

 司祭の間には全くの大きな無秩序が支配していた。誰もが自分の好き勝手にしたい放題のミサを立てていた。協議会は典礼の改革のために秩序を取り戻そうと新しい典礼を決定することを決議した。

 それでどうやってミサを立てるかというやり方を決めた。入祭唱、グロリア、書簡、福音、サンクトゥスは残された。その後に説教。奉献文とカノンは廃止された。司祭はただ単に最後の晩餐の制定を朗読する。聖変化の言葉は大きな声でドイツ語でする。聖体は両形色で配られる。アニュス・デイの歌、聖体拝領の歌、そしてベネディカムス・ドミノの歌でサービスは終わる。

 ルターは新しい聖歌を作るのが心配だった。うまい詩を探すのだがなかなか見つからない。聖人の祝日は姿を消す。ルターは典礼の過渡期をうまく乗り越える。彼は古い儀式をできるだけ残そうとする。彼はその方向づけを(なるべく穏やかに徐々に)変えようとやっきになる。ミサは大部分その外見はそのままを保つ。民衆は教会建築の中に同じ装飾を再び見いだす、民衆の気に入るように仕組まれた同じ儀式。今後は今まで以前よりもずっと民衆に訴えるようになる。礼拝式を重要視することにますます気が付く。民衆は、聖歌や声を出しての祈りなどによりますます積極的に礼拝式に参加する。少しづつ、そして決定的にラテン語はドイツ語に席を譲る。

 聖変化はドイツ語で歌われる。聖変化はこの言葉でなされる。「我らの主は渡される夜パンを取り感謝してそれを割き、弟子らに与えてこう言われた。取って食べなさいこれはあなたがたのために渡されるわたしのからだ。あなたがたがこれを行う度にわたしの記念としてこれを行いなさい。同じく食事の後に杯を取りこう言われた。取って皆これを飲みなさい。これは、あなたたちのために流される罪の許しのための私の血におけるカリス、新しい契約。このカリスを飲むたびごとにこれを私の記念として行いなさい。」

 こうして『quod pro vobis tradetur』『あなたたちのために渡される』と言う言葉が付け加えられ、ブドウ酒の聖変化において『信仰の神秘』『多くの人のために』と言う言葉が省かれるのです。

 この「福音的ミサ」似関する叙述は公会議以後の典礼改革に対して私たちが思っているのと同じことを言ってはいないでしょうか。

 新しいミサにおけるこれらの変化は本当に危険です。何故なら、少しずつ、特にいけにえの観念がもはやなく、聖体における現存や全実態変化の観念のない若い司祭にとってこれらは何の意味ももたず、教会がすることをするという意向を失ってしまうからです。そうするともはや彼らのミサは有効ではないのです。

 確かに、もしも年を取った司祭たちはたとえ新しいミサを捧げるときでも今までの信仰を保っており、また更に彼らは長年の間古いローマミサを捧げて来たし、彼らはその意向を保っている、としたら、彼らのミサは有効だと信じることができます。しかし、彼らのこの意向が無くなるに従って、それがどこかに行ってしまうに従って彼らのミサももはや有効ではなくなってしまうのです。

 彼らはプロテスタントに近づこうとしましたがその結果としてカトリックがプロテスタントになり、プロテスタントがカトリックになったのではないのです。そのことは一目瞭然です。

 5人の枢機卿と15人の司教がテーゼの『青年の公会議』に参加したときのこと、これらの青年達はどうやってカトリシズムとは何か、プロテスタンティズムとは何かと言うことを知り得たでしょうか。あるものはプロテスタントのところで聖体拝領し、あるものはカトリックのところで聖体拝領をしました。

 ウィルブランズ枢機教がジュネーブで開かれた教会統一協議会へ行ったとき、こう宣言しました。「我々はルターの名誉を回復させなければならない。」彼は聖座からの勅使としてこう言うのです!

 告解の秘跡を見てください。合同回心式の為にこの改悛の秘跡は一体どうなってしまったのでしょうか! 信者にこう言うのは司牧的でしょうか。「集団的に許しを与えました。聖体拝領することができます。もし機会があったら、そしてもし大罪を犯していたのなら、今から6カ月かあるいは1年のうちに告解を個別的にしてください。」こんなやり方が司牧的なのでしょうか。大罪について人はどのように考えるようになることでしょうか。

 堅振の秘跡も全く同じ状況にあります。今流行の形相はこれです。「我、汝に十字架の印をする、聖霊を受けよ。」しかし、聖霊がこの秘跡によって自分を私たちに与えるその秘跡の特別の聖寵が何であるかを正確に言わなければなりません。もし、この「Ego te confirmo in nomine Patris...」という言葉を言わないとすれば、秘跡ではないのです。私はそのことを枢機卿たちに言いました。なぜなら彼らは私にこう言ったからです。「あなたは堅振の秘跡を授ける権利の無いところでそれをしている」と。「信者たちが自分の子供達が堅振の聖寵を受け取らないのではないかと恐れているから、今の教会で与えられている堅振の秘跡の有効性に彼らは疑いを抱いているので、私は堅振を授けるのです。少なくともその聖寵を確実に得ようと私に堅振を与えてくれと頼むからです。私にとって私に有効な堅振を頼む人々の願を拒むことはできないので、たとえそれが不合法だとしても私はそれをするのです。なぜなら、教会の人定法が天主の自然法・超自然法の運河である替わりにそれに対立しているとき、天主の自然・超自然の法が教会人定法に勝るからであり、我々は今そのときを生きているからです。」

 私たちは今、教会の異常な危機の時代を生きています。私たちはこれらの改革については行けません。これらの改革のよき実りとはどこにあるのでしょうか。私は本当に自問自答します。典礼改革、神学校の改革、修道会の改革、すべての修道会の最高幹部会の改革。これらのかわいそうな修道院を一体どこにやってしまったのですか! みんな跡形もなく消えてしまいました。もはや修練者もなく、召命もありません。

 シンシナッティーの枢機教大司教は、ローマにおける司教らのシノドゥスでやはりこう認めました。「私たちの国々では ─英語を話す国々を指してのことですが─ 司祭とは一体なんであるか皆がよく知らないのでもはや召命が無くなってしまった。」

 ですから私たちは聖伝に留まらなくてはなりません。聖伝だけが私たちに本当に聖寵を与えてくれます。教会における継続性を与えてくれます。もし私たちが聖伝を打ち捨てるとき、私たちは教会の破壊に貢献するときです。

 私はこれらの枢機卿たちにこう申し上げました。「公会議の中の信教の自由に関する概要は矛盾しているということに気が付きませんか。この概要の第1部には『聖伝は何も変えてはならない』と言われているのに、この概要の内部ではすべてが聖伝の反対を言っています。この概要はグレゴリオ16世やピオ9世そしてレオ13世の言ったことと全く反対です。」と。

 ですから、選ばなくてはなりません。公会議の説く信教の自由に賛成し、これらの教皇様がたの言われ続けて来たことに反対するか、あるいは、これらの教皇様の言われることに賛成して信教の自由に関するこの概要の中で言われていることにもはや賛成しないかのいずれかです。この2つに同時に賛成する・同意することは全く不可能です。そして私はこう付け加えて言いました。「私は聖伝を取ります。私は聖伝を支持します。自由放埒主義と言った革新は支持しません。この1世紀半の間、すべての教皇様が排斥して来たのはまさしくこの自由放埒主義以外の何物でもないのです。この自由放埒主義が公会議を通して教会の中に入って来たのです。自由・平等・博愛の自由放埒主義が。」

 自由、それは信教の自由のことです。平等、それは司教団主義です。博愛、それは宗教統一運動です。そしてこれらが自由放埒主義の3つの原理で、これは17世紀の哲学から来たのです。そしてこの原理がフランス革命を生んだのです。

 そしてこの観念があいまいな言葉によって公会議の中に入ったのです。そして今ではこのために私たちは崩壊に、教会の崩壊へと向かっているのです。何故なら、それらの観念は自然と信仰とに反しているからです。私たちの間に完全な平等はありません。私たちは何から何まで全く等しいわけではありません。教皇レオ13世はその自由に関する回勅の中でそのことをはっきりとすばらしく言い表しました。

 それから博愛(兄弟愛)について、もし一人の父がいないのなら、どこから兄弟愛を見つけるのでしょうか。もし天主様がいないのなら、もし天にまします父がいないのなら、どうして私たちが兄弟でありうるでしょうか。共通の父が無くしてどうして兄弟たり得るでしょうか。不可能です。無理な相談です。教会のすべての敵の言うなりにならねばならないのでしょうか。共産主義者、仏教徒、そして教会に反対するすべての人の思いのままにですか。フリーメーソンとか。 今から一週間前に発表された法令によると、フリーメーソンに入会するカトリック信者にはもはや破門の制裁は無いのだそうです。フリーメーソンはポルトガルを破壊しました。一体誰がチリにアレンデと共にいたのでしょうか。そして今では南ベトナムにいます。彼らはカトリック国家をすべて破壊し尽くさねばならないと言います。第1次世界大戦中のオーストリア、ハンガリー、ポーランドなどなど。フリーメーソンはカトリック国の破壊を望んでいるのです。フリーメーソンの活動はスペイン、イタリアではどうでしょうか。何故教会は教会の敵であるこれらの人に両手を広げるのでしょうか。

 ああ、私たちはどれほど祈り、祈らなければならないでしょうか!私たちは今まで見たことも無かったような悪魔の教会に対する攻撃のときを生きています。私たちは聖母に、至福なる童貞マリア様に、私達の助けに来てくださるように祈らねばなりません。何故なら私たちは本当に明日がどうなるか全く分からないからです。天主様が、ご自分の御稜威、その御光栄に対してなされたこれらすべての冒涜、涜聖、汚聖を受け入れるはずがありません。多くの国々で見られるようになってしまった堕胎の法律、イタリアにおける離婚の許可、これらすべての道徳に関する法律の壊滅、真理の壊滅を思ってみてください。ある日、天主様がそれに対して口を開かず、この世を厳しく罰し給う事なくそのまま済まされるなどとは到底思えません。

 それゆえにこそ、私たちは自分たちのためそして私たちの兄弟たちのために天主様に御憐れみを請い求めねばなりません。しかし私たちは戦い勝ち抜かねばなりません。聖伝を守り抜くために戦い恐れてはなりません。とりわけ私達の聖なるミサの典礼を維持しなければなりません。何故ならこのミサこそ教会の基礎であり、キリスト教文明の基礎だからです。もし教会内に本当のミサが無くなってしまうなら教会は姿を消してしまうでしょう。

 私たちはこの典礼を、このいけにえを守らねばなりません。私たちの教会はすべてこのミサのために建てられました。別のミサのためではないのです。ミサのいけにえのためであって、最後の晩餐、会食、記念、交わりのためではないのです。いいえ、違います。私たちの祭壇上で続けられる我らの主イエズス・キリストのいけにえのためです。そのためにこそ私たちの祖先はこれらの素晴らしい教会を建てたのです。決して会食や記念のためではありません。違います!

 私は神学生のために捧げられる皆さんの祈りに期待しています。わたしの神学生たちが本当の司祭になるように。信仰をもち、かくして本当の秘跡と本当のミサのいけにえを与えることができるように。お願いします。

マルセル・ルフェーブル大司教/1975年2月15日イタリア・フィレンツェにて

《De la Messe evangelique de Luther au Nouvel Ordo Missae》
par Son Excellence Mgr Marcel LEFEBVRE Florence, le 15 fevrier 1975

喜びの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、聖母が御告げを受け給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、謙遜の徳をこい願わん

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喜びの玄義 第1玄義黙想
2019年9月7日(初土)御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 小野田神父様

『喜びの玄義 第1玄義:この一連を捧げて、聖母が御告げを受け給いたるを黙想し、聖母の御取り次ぎによりて、謙遜の徳をこい願わん。』

今日は初土曜日ですので、15分間、ロザリオの15の玄義の1つを黙想致しましょう。今日は、マリア様の御誕生日を前に控えておりますので、大天使聖ガブリエルがマリア様に御告げをなして、天主のメッセージを告げた、「聖寵に充ち満てる方、主は御身と共に在す」と言った、その玄義を黙想致しましょう。



マリア様、マリア様は永遠の昔から、この全宇宙の創造主によって、特別に選ばれて、特別の御恵みを受け続けてきた方です。私たちに救世主を、メシアを、贖い主を与える為に、その母となる為に、お生まれになりました。

マリア様が16歳の時に、大天主聖ガブリエルの御告げを受けて、「救い主の母となるか?」つまり、「救い主と共に、苦しみの道を歩む事ができるか?」という問いに、マリア様は、「はい」と答えられました。

「苦しみは嫌だ!罪を犯していないのに、なぜ苦しむのか!」とお答えになる事もできたのですが、マリア様は、「主の婢女はここにおります。仰せの如く我になれかし。」全てを受け入れる事を宣言されました。

ナザレトでの30年間の貧しいご生活。公生活の3年間、見守る生活。イエズス様の御受難を、母としてご覧になるその苦しみ。

未亡人として一人残され給うマリア様は、全てを、第2のエヴァとして、御捧げ下さいました。

マリア様こそ、イエズス様を最も深くよく知り、最も一致して生活された方です。「代々、人々は私の事を幸せな者と呼ぶでしょう。」

仰った通りです。大天主聖ガブリエルも、聖エリザベトが言う通り、「女のうちにて、特別に祝福された方」です。

救世主の母、天主の母、マリア様。天主の言葉の実現を信じた方。御謙遜、主の御旨のみを望んだ方。

このような救世主の母、天主の御母が、私たちの母として、イエズス様によって十字架の上から与えられた事を感謝します。

マリア様の御謙遜があればこそ、天地の創造主、イエズス・キリストが人となって、そして御聖体となって、私たちと共に、パンの形で、パンの外見で、代々この世の終わりまで、共にいらっしゃる事ができるようになりました。

マリア様の御謙遜な、「はい」という従順に、感謝します。

イエズス様、イエズス様はマリア様を通してのみ、私たちの元に来られる事を御望みになりました、永遠の昔から。その深い知恵に感謝致します。

三位一体の聖父は、聖子をイエズス様を、マリア様を通してのみ、この世に御与えになる事を御望みになりました。選びになりました。その深い知恵を讃美致します。

三位一体の聖霊は、マリア様にのみ、その聖寵の充満を、充ち満てる御恵みを与えようと御望みになりました。「聖寵に充ち満てるマリア、主はマリア様と共に在す。」その特別の御恵みをマリア様に与えたその愛の前に、深い礼拝を表します。

イエズス様は私たちに、その御自分の生涯を真似るように、模範を示されました、「私はお前たちに、模範を示した。」

その最大の模範は、30年間、マリア様の子供として、従順に生きておられた事でした。そのイエズス様の模範に、感謝致します。

これは全て、マリア様の御謙遜な「はい」から可能になった事でした。大天使聖ガブリエルがマリア様に告げたその御言葉は、何と聖なる尊い言葉だったでしょうか。

「聖母よ、主の御旨の前に、いつも『はい』という事ができるように助けて下さい。自分の都合や、自分の事ではなく、主の御旨を選ぶ事ができますように。」

癒やされた十人のライ病患者たち:天主様から受けた御恵みを認識致し、口で、態度で、受けた恵みに対して感謝をし、恩を返すために愛を以て償いを捧げよう

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2019年9月8日(主日)聖霊降臨後第13主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 小野田神父様御説教

日本の聖なる殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2019年9月8日、聖霊降臨後第13主日のミサをしています。

今日は第1主日ですので、このミサの後で、御聖体降福式をお捧げしたいと思います。

特に11月は教皇様が日本に訪問されますので、教皇様の訪問によって、日本の多くの方がカトリックの信仰に導かれますように、特別の御恵みを、その教皇様の訪問の実りが、霊的な実りがありますように、お祈り致しましょう。

明日も朝7時からミサがあります。

次のミサは少しイレギュラーになっておりまして、9月29日に予定されております。
9月29日の大天使聖ミカエルの祝日で、主日です。どうぞお間違えのないようになさって下さい。特にこの日には、フォルティン神父様がいらっしゃる予定です。

いくつかお願いがあります。
フォルティン神父様はマニラで学校を経営しておられます。もしも神父様がいらした時に、第2献金をして、この学校の援助の為に、もしも皆さん寛大な心をお示し下さる事ができれば非常に嬉しく思います。きっとフォルティン神父様も日本に来る事を楽しみにしていらっしゃると思います。どうぞよろしくお願い致します。

次はお祈りのお願いです。
先ほど申しましたように、教皇様が来日されるという事で、この実りが多いこの訪問となりますように、私たちはそれをお祈りしたいと思っています。カトリック信徒として当然と言えば当然ですけれども、皆様から、もしもできましたら、祈りの励みとなる為にも、霊的花束を頂戴したいと思っています。
その11月までたくさんのお祈りを教皇様の為にお願いします。

もう1つの祈りのお願いですけれども、今日、今回休暇で帰っておられる私たちのアグネスさんが、天主様からの御恵みによって、来年フランスで、復活祭の後の白衣の主日に着衣式をなさる予定です。

皆さんからの寛大なたくさんの熱いお祈りをお願いしたいと思っています。良き、聖なる、天主様に奉献された霊魂となりますように、天主様の御旨が果たされますように、皆さんのお祈りを、今日からお願いしたいと思います。


「すると、引き戻して、大きな声で天主を讃美して、顔を地面に平伏して付けて、平伏して、そして感謝した。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日、有名な「10人の癩病」の描写が、「イエズス様に謙遜な祈りをした事によって、癒された」という歴史的な事実を、私たちにミサで思い出させてくれます。

今日その典礼の精神に従って、

⑴この「癩病の10人が癒された」この事について、教父たちは一体何を言っているか?をまず簡単に黙想します。

⑵でも特に、今日私が是非強調したい点は、この最後のサマリア人が、感謝しに帰って来た、「感謝」と、そしてそれに反対する「忘恩」について、一体何なのか?を見て、

⑶そして最後に、私たちもこの典礼の精神に従って、遷善の決心を立てる事に致しましょう。


⑴簡単に今日の、この「10人の癩病の患者が癒された事が、なぜ出てくるのか」、「教父たちは何を言ってるのか」を、簡単におさらいしてみます。
これについては皆さん毎年聞かれた話です。

教会は、私たちの聖母の被昇天を境に、私たちに霊魂の準備を、死の準備を、世の終わりの、裁きの日の準備をしようとしています。そしてそれと同時に、イエズス様の憐れみの業を強調しようとしています。私たちがイエズス様に信頼するように。

先々週は、目の見えない人と口のきけない人が癒された話を見ますが、その時に「エフェタ」という言葉が出た事から、「洗礼」の事が象徴されました。

あるいは良きサマリア人が、傷付けられた半死半生の人に、ブドウ酒を与え、油を捧げて、教会に連れて行って、「治してほしい」と言ったところから、「御聖体」の秘跡の事が暗示されました。

今日は、10人の癩病人が、「司祭に、その病気の事を見せに行きなさい」といった事によって治った、「告解の秘跡」の事を暗示しています。

特に教父たちは、「この『癩病』というのが、『罪』のシンボルであって、恐るべき伝染病であって、不治の、もうどうしても隔離する事しか身を守る事ができない病気であった、その恐るべき体の癩病よりも、更に重い病が、罪である。」

しかし人々は、この罪に対して、天主に対する公然の反乱について、あるいは感覚と霊魂を全てを総動員しての、全面戦争に対して、至高の天主に対する反逆に対して、裏切りに対して、あまりにも無関心であって、霊魂の癩病については、何の注意も払おうとしていない。そして罪は、罪を呼び、悪い模範を呼び、そして多くの人々を汚染して、そして罪が広がっている、という事を教父たちは教えています。

あるいは、この10人の癩病たちが癒されるその為に、イエズス様に謙遜に願った、その「謙遜」、「イエズス様に対する信頼」、その「祈り」を指摘する教父たちもたくさんいます。

あるいは、「イエズス様が治す為に、自分はその場ですぐに瞬間的に治す事ができるのに、『綺麗になれ』と言う事ができたにもかかわらず、あえて『司祭の元に行け。』、そして行っている間に治した、この意味は何か?」「罪の場所から離れるべきだ」とか、あるいは「司祭に見せに行くという事で、『悔悛の秘跡』の前兆である」とか、と言われています。

あるいは、「旧約の司祭たちも、『イエズス様によって治された』という事が認識できるように、『イエズス様こそがメシアである』という事が分かるように、という事を示す為に」と指摘しています。

しかしこの10人の内、きれいに癩病が癒されて、きれいになった事に気付いて、そのおそらく10人は喜んだ、喜びに満ち溢れたに違いません。

しかしその内に、道を引き返して、イエズスの元に帰って来て、大きな声で讃美して、感謝して、そして平伏して、「ありがとう」と言いに来たのは、たった一人のサマリア人でした。

教父たちはこれによって、これを取って、イスラエルの聖なる民族が、天主に対してお礼もしなかった、イエズス様に対してお礼もしなかったけれども、この異教徒は外国人は、イエズス様に感謝した。

そして、徳の進歩を妨げるものは、『忘恩』である。私たちがもしも聖徳に進もうと思うならば思うほど、受けた御恵みを感謝しなければならない、ということも言います。

これが、教父たちがこの10人の癩病たちの癒しについて言っている事ですけれども、特に私たちは、徳に対してますます前進したいと願っています。このサマリア人に倣いたいと思っています。

⑵ですから第2のポイントは、今日是非、このサマリア人のやった事を、もう一度分析してみる事を提案します。

聖トマス・アクィナスによると、「『謝恩』あるいは『感謝』というのには、3つの段階がある」と言います。

「まず最初は、頭の中で。認識で。」
「第2は、口で。あるいは注意で。」
「最後には、行動で現れる」と言います。

まず、聖トマス・アクィナスによれば、「まず、受けた御恵みを認識する事」から始まります。
次に、それを口に出して讃美したり、「あぁ、素晴らしい御恵みだ。」あるいは「感謝します」と、表現する事によって、第2の段階に行きます。
第3の段階は、自分の持っているものを、何かそのお礼を、恩をして下さる方に与えて、返礼をする、お礼をする。
「これが謝恩であり、感謝だ」と言います。

では、この私たちも、もしもサマリア人になろうとするならば、一体どのように恩を返答したら良いでしょうか?

もちろん、「感謝」というのには、相手によって名前が付いています。色々段階があります。
「天主」に対する感謝は、もちろん「宗教」の徳であります。
「親」に対する感謝は、これは「忠孝」の「敬愛」の徳です。
「目上」や、あるいはこの立派な方々に対する感謝は、これは「尊敬」の徳に入ります。
そして「友情」関係の間でも感謝があります。

しかし全ては、まず「受けた恵みを認識する事」から始まります。私たちは特に今日、天主様に対して、天主様から受けた御恵みを認識致しましょう。

洗礼の恵み。罪をきれいに赦された恵み。罪という腐敗の伝染病、癩病を、霊的な癩病から癒された恵み。あるいは御聖体の恵み。イエズス・キリストの流された御血。そのイエズス様が、私たちの霊魂を救う為に命を捨てられた事。私たちに命を与えられた事。十字架で命を私たちに下さった事。その燃え尽きるような、燃え盛る愛。死をも恐れない愛。全てを私たちに与えようというその寛大な愛。

私たちはそれを、何度も何度も認識しようと黙想してきました。

まず「御恵みを知る」事から、そして「それを受けたという事を認める」事から始まります。

次に、口で、あるいは態度で、その受けた恵みに対して感謝をします。

このサマリア人は、大きな声で天主を讃美しました。
そして額突いて、礼拝して、そして態度で表しました。

私たちも、天主から受けた御恵みを、礼拝や、あるいは讃美を行なう事によって、それを認めます。私たちが今日ミサに来たという事も、今日サマリア人の真似をしたと同じです。私たちがイエズス様の前でこうやって、イエズス様の前にやって来て、そして跪いて礼拝する、大きな声で讃美する、感謝する。これはまさしくサマリア人の真似です。

更に、私たちの持っているものを使って、何かできる事を与えます。聖トマス・アクィナスによれば、「対象によって、もちろん私たちの与える物が大切な時もあれば、あるいは私たちの持っている愛情を以てお礼をするのが大切な時もある」と、その場所、機会を区別しています。

私たちは天主に対して、その恩を返し尽くす事ができないので、少なくとも私たちの愛を以て、償いを捧げます、私たちの犠牲を捧げます。

私たちはミサにやって来て、そしてミサの中のカリスの中に、司祭が一滴の水を入れるのは、皆さんの日々の犠牲と、そして祈りと、そのイエズス様の贖いの業への一致のシンボルです。

私たちもただ単に、「ありがとう」感謝するのみならず、一歩進んで、私たちの持てる苦しみや辛い事、あるいは十字架、あるいは暑さ、寒さ、あるいは人に対する許し、人に対する寛大な心、愛徳を以て、イエズス様のカリスの中に、イエズス様の御血に、私たちの一滴を入れて、お礼をします、「私たちの犠牲も、祈りも、使って下さい。」ファチマの子供たちもこれを学びました。

では、もしも私たちがお礼をしない、謝恩しないという事は、何と言われるでしょうか?「忘恩」と言われます。「恩知らず」と言います。

聖トマス・アクィナスによると、「忘恩には2つの方法がある」と言います。「やり方がある。そしてその2つのやり方にも、程度がある。

1つは、『感謝をゼロにして、何もしない』というやり方。
もう1つは、『受けた御恵みを否定する』やり方だ」と言います。

「0のやり方は、まず一番程度の軽いのが、頭では認識したとしても、態度でお礼をしない、行動でお礼をしない。0の態度。」
「次に」聖トマス・アクィナスによれば、「受けた御恵みを讃美しない、賞賛しない、あるいは口に出して感謝しない。0の態度。」
「そして更にその酷いのが、受けた御恵みを忘れる、あるいは認識しない、あるいは認知しない。『そんなもの受けたか?』」

しかし更に悪い態度は、受けた御恵みを否定する事です。
聖トマス・アクィナスによると、「まず行動で、受けた善を、悪で返す。」
「第2の段階は、受けた御恵みを非難する。」
「あるいは第3の一番悪いのが、受けた御恵みを、『害である』と思う。『彼は加害者で、私は被害者だ!』」

天主様に対する忘恩も、あるいはここまで悪魔的になってしまう危険もあります。

私たちは是非、このサマリア人に倣って、感謝の念を持とうと願います。おそらく私の思うには、この10人の癩病者は、受けた御恵みを認識して、喜んだに違いありません。ただおそらく、戻って来るのがあまりにも面倒くさかったり、あるいは冷淡であったのかもしれません。

もしかしたら主日のミサに来ないという方々も、あるいは正当な理由がある、あるいはもしかしたら冷淡な、そしてあるいは御恵みを感謝するのをサボってしまっている霊魂なのかもしれません。私たちは是非、そのような霊魂たちの為にも、代わりに、彼らに代わって、感謝をしたいと思っています。

⑶では今日は、どんな決心を取れば良いでしょうか?

3つ提案したいと思います。

それは、主日のミサが、復活のミサのミニチュア版だという事から、私たちはこの霊的な復活を受けた、御聖体と洗礼の御恵みをこのミサで感謝して、サマリア人のように跪いて礼拝し、そして感謝致しましょう。

そして私たちの御聖体拝領を、また今日のミサの後の御聖体降福式を、イエズス様に感謝しない人々に代わって、感謝致しましょう。

第3に最後に、この10人の癩病者が癒しを受けるようになったその最初は、謙遜に、自分の事を、自分の卑しさを、イエズス様に言う事でした。そのそれによって、この癒しを受けられ、そしてサマリア人は感謝しました。

ところでマリア様は、その自分のご謙遜を、マニフィカトでこう言っています。
「主は、私の卑しさを見られたので、私は主を讃美する。」
マリア様はご自分の卑しさを感謝しています。

ですから最後に、マリア様に、私たちにもその感謝の気持ちをいつも持つ事ができますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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新しいミサは新しい信仰、新しいイデオロギーを表明している。カトリックの宗教とは別の概念を、ある別の宗教を前提としている。新しいミサを捧げるのは、民主主義的な会衆だ。司祭は民の単なる代表となりさがった。

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新しいミサは、近代主義者の信仰のシンボル、表現、イメージだ。


ルフェーブル大司教の説教 1976年6月29日

 愛する兄弟の皆さん、あらゆる国々、四方の彼方から来て下さった兄弟たちよ、私たちは、今、私たちの聖ピオ十世会にとって、又、教会にとって、非常に重要なこのときに、兄弟たちを歓迎することが出来て、又、兄弟たちをこれほど身近に感じることができ、大きな喜びを感じています。

 私は思います。巡礼者の皆さんが非常に遠く離れたところから、この儀式に参加するために、夜昼と無く旅をする犠牲を払ったのは、皆さんに、信念があったからであると。それは、教会の儀式に参加するために、心を喜ばせる儀式に参与するために来た、と言う信念です。なぜなら、皆さんが帰路につくときには、カトリック教会は続いていると安心するであろうからです。

 はい、私はよく知っています。このことをするに困難はたくさんあることを。こんなことをするのはむちゃだと私は言われました。私たちは行き止まりの道を歩んでいるとも、言われました。なぜなら、3ヶ月前から、3月19日の聖ヨゼフの祝日から特に、ローマから懇願や要請、命令、威嚇などがありました。それは、私たちの活動を止めるように、この司祭叙階式を中止するようにとのことでした。これらの要請は、ここ数日、緊迫したものでした。特にここ12日間というもの私たちは絶え間なくローマからのメッセージや使者を受けました。この叙階式を敢えてしないようにと、言われました。

 しかし、全く客観的になって、私たちにこの司祭叙階式をするなと求める人たちを動かす本当の動機は何なのかと言うことを探してみると、その深い動機を探ってみると、それは私たちがこの司祭たちを叙階するのは、彼らが永遠のミサを捧げるためであるから、と言うことがわかります。

 彼らは知っています。これらの新しい司祭たちが教会のミサに、聖伝のミサに、永遠のミサに忠実であることを。だからこそ私たちに叙階するな、と圧力をかけるのです。私にはその証拠があります。6回、ここ3週間というもの6回にわたって私たちは、ローマと通常の関係を結ぶようにと求められました。そして、その証拠として新しい典礼様式を受け入れ、私自身これを捧げるようにと言われました。私が新しい典礼様式で共に共同司式をして、私が喜んでこの新しい典礼を受け入れたと言うことを示せ、そして、それさえすれば、ローマと私たちの関係は平らになると言われました。

 私は、手に新しいミサ典書を手渡され、「ほら、これが、あなたがしなければならないミサです。そして、あなたの全ての修道院で、捧げなければならない新しいミサです。」と言われました。また、今日この6月29日、皆の前で、私たちが新しい典礼様式でミサを捧げれば、ローマと私たちの関係は、何もなかったかのようになる、とも言われました。

 ですから、ミサの問題でエコンとローマとの間のドラマが展開されていることは、明らかではっきりとしています。

 永遠の典礼様式を守ろうと望む私たちは誤っているのでしょうか。確かに、私たちは祈り、相談し、考察し、黙想し、私たちこそが誤りのなかにいるのではないか、あるいは、新しい典礼様式を受け入れない私たちには十分な理由がないのではないかと言うことを知ろうとしました。ところが、まさにそのローマからの使者たちが私たちに典礼様式を変えるようにと要求するその要求の仕方が、私たちをして考えさせました。

 そして、私たちには確信があります。まさに、この新しいミサの典礼様式が新しい信仰を表明していると言うことを。この新しい信仰は私たちの信仰ではないこと、カトリック信仰ではないことを。この新しいミサは、新しい信仰の、近代主義者の信仰のシンボル、表現、イメージです。なぜなら、聖なる公教会が長い歴史のなかで、私たちに下さったこの貴重な宝、すなわち、聖ピオ五世によって聖別されたミサ聖祭の典礼様式を守ろうと望んだのは、きわめて重大な意味があったからです。

 何故かというと、このミサのなかに私たちの信仰が全て含まれているからです。全てのカトリック信仰が、すなわち、聖三位一体への信仰、イエズス・キリストのご神性にたいする信仰、私たちの主イエズス・キリストの贖いへの信仰、私たちの罪の赦しのために流された私たちの主の贖いの御血にたいする信仰、ミサ聖祭、十字架、全ての秘跡から来る超自然の聖寵への信仰が、すべてあるのです。これら全てを私たちは信じています。そして、これが永遠のミサ聖祭を捧げながら信じていることなのです。

 ミサは私たちに信仰を教えるものであり、信仰の源です。ありとあらゆる方面から私たちの信仰が攻撃にあっている現代において、私たちにとって必要不可欠のものです。私たちには、この本当のミサが、この永遠のミサが、私たちの主イエズス・キリストのいけにえが必要なのです。それは、私たちの霊魂を聖霊と私たちの主のおん力によって満たすためです。


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 ところで、次のことは明らかです。新しい典礼様式は、知っているか知らないかに関わらず、カトリックの宗教とは別の概念を、ある別の宗教を前提としています。つまり、ミサ聖祭を捧げるのは、もはや司祭ではありません。それは会衆です。このことのために、全てはプログラムされています。金輪際、教会の権威に取って代わるのは、会衆です。司教たちの個人的な権力に取って代わるのは、司教団です。教区のなかの司教の権力に取って代わるのは、司祭たちが集ってつくる司祭諮問会です。今後、教会を動かすのは、数です。そして、そのことはミサのなかで明らかに表明されています。ミサでは、会衆が司祭の代わりになっているからです。それは、今では多くの司祭が会衆のない時にはもはやミサを捧げようともしないと言うところまでいっています。

 徐々に、聖なる教会のなかに、ミサに関するプロテスタントの考え方が導入されています。そして、このことは現代人の考え方に、近代主義者の考え方にぴったりなのです。全く一致しています。なぜなら、民主主義の理想が、現代人の考え方だからです。つまり、権力は会衆のうちに、権威は人間、民衆のうちにあり、天主にではない、と言うことです。

 これは非常にゆゆしきことです。なぜなら、私たちは、天主は全能で、天主に全ての権威があり、全ての権威が天主から来ること Omnis potestas a Deoを信じているからです。私たちは、権威が人民から、底辺から由来するとは信じません。しかし、これが現代人の考え方なのです。そして、新しいミサは、この考え方を、底辺に権威があり、天主にではないと言うことをはっきりと表明しているのです。このミサは位階制度的なものではなく、民主的です。これは、非常に重大なことです。新しいミサは、新しいイデオロギーのまったき表明なのです。私たちのもっとも神聖な典礼様式によって、私たちをして現代人のイデオロギーのなかに入らせようとしているのです。

 そして、これが現在、教会を全て腐敗させてしまっています。なぜなら、ミサ聖祭において底辺に権力を認めるというこの考えによって、司祭職を崩壊しています。司祭職を崩壊するのです。司祭は何をするのでしょうか。司祭に叙階の秘跡の時に授与される個人的な権力、そしてこの権能を彼らこの将来の司祭らはしばらくすると受け、天主の民の上に立つべく刻印を霊魂に受けるのです。叙階の後、彼らはもはや、自分たちは他の人々と同じだと言うことが出来なくなります。そんなことは出来ません。彼らは、もはや他の人々は全く違う人になるのです。彼らは、天主の人になるのです。彼らは、敢えて言えば、司祭の刻印によって、イエズス・キリストの天主性に参与する人となるのです。なぜなら、イエズス・キリストは、永遠の司祭、メルキセデクの位による大司祭であり、イエズス・キリストは、すなわり天主の本性がお受けになった人間の本性と一致し、いとも聖なる童貞女マリアのご胎内で、人性を受けたその瞬間、イエズスは司祭となったのです。

 これらの若い司祭たちがが参与する聖寵は、成聖の聖寵ではありません。洗礼の聖寵によって、私たちをしてイエズス・キリストに参与させるその成聖の聖寵ではありません。司祭の聖寵は、一致の聖寵です。この一致の聖寵は、イエズス・キリストだけの独自のものです。彼らは、この一致の聖寵に参与するのです。なぜなら、天主の神性、御言葉の天主性に一致することによって、イエズス・キリストは司祭となり、イエズス・キリストは王となり、イエズス・キリストは審判官となったのですから。

 これゆえに、この地上でいかなる被造物も受けたことのない崇高な聖寵である一致の聖寵のために、イエズス・キリストは、全ての人々によって礼拝されなければならないのです。ちょうど聖なる油を受ける者が聖別されるように、この天主性の聖寵自体が、イエズス・キリストの人性の中に油を注がれる如く、天から降り、イエズス・キリストの人性は天主の御言葉の天主性によって浸透され、イエズス・キリストは司祭となった、すなわち、天と人との間に立つ仲介者となったのです。そして、まさしくこの聖寵にこの若い司祭たちは参与するのです。そしてこの聖寵のために、彼らは天主の民の上に立つのです。彼らも天主と天主の民との間に立つ仲介者となるのです。

 彼らは天主の民の単なる代表ではありません。彼らは、天主の民が委任した代理人でもありません。彼らは集会の座長ではありません。彼らは永遠に司祭なのです。永遠に司祭の刻印を押された司祭なのです。彼らを敬わないと言う権利は誰にもありません。たとえ彼ら自身がこの刻印を敬っていなかったとしてもです。彼らは常にこれを持ち続けるからです。これこそが私たちの信じていることです。これが私たちの信仰です。これが、私たちのミサ聖祭を構成するものです。ミサを捧げるのは司祭です。そして信者はこの捧げものに心から霊魂を込めて参与します。ミサを捧げるのは信者ではありません。その証拠に、司祭はたった一人でもミサ聖祭を捧げ、数千人が参与すると同じように同じ価値でミサを捧げるのです。そのミサには無限の価値があります。司祭によって捧げられたイエズス・キリストの犠牲は、無限の価値があるからです。これが私たちの信じていることです。


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 だからこそ、私たちは考えます。私たちにはこの新しい典礼様式を受け入れることが出来ないと。この新しい典礼は、別のイデオロギーの作品だからです。別のイデオロギー、新しいイデオロギーの作品です。この世の考え方を身につけたら、皆を引きつけることが出来ると思ったのです。

信じない人々の考え、現代人の考えを身につけたら、教会に人を、信じない人を、引きつけることが出来ると思ったのです。現代人の考えとは、リベラルで、複数の宗教を受け入れ、そして、イエズス・キリストの社会的王国を受け入れない考えです。

このことは私自身が、聖座から送られた使者の口から2回も聞きました。彼らは私に「イエズス・キリストの社会的王国は現在不可能だ、今後は、絶対的に複数の宗教を受け入れなければならない」と言いました。これが彼らの言ったことです。

 教皇ピオ11世によってイエズス・キリストの社会王国についてこれほど美しく書かれた回勅、「回勅Quas Primasを、今日では、教皇様は書かないだろう」と聖座の公式の使者が私に言いました。

 私たちはこの宗教を受け入れません。私たちはこの新しい宗教を受け入れません。私たちは永遠の宗教を信じるものです。私たちの宗教は、カトリックの宗教です。私たちの宗教は、現在人々の言うところの「普遍宗教」ではありません。こんなのはカトリック宗教ではありません。

私たちの宗教は、このリベラルな近代主義の宗教ではありません。この新しい宗教には、それの礼拝様式、それの司祭、それの信仰、その公教要理、その聖書、エキュメニカルな聖書があります。私たちは、エキュメニカル聖書を受け入れません。エキュメニカル聖書などというものはありません。天主の聖書だけがあります。聖霊の息吹によって書かれた聖霊の聖書、天主の言葉だけがあります。私たちには天主の言葉を人の言葉と混ぜ合わせる権利などありません。エキュメニカル聖書などというものはありえません。唯一の聖霊の言葉だけです。私たちは私たちの信仰宣言をもはや公言しない公教要理を受け入れません。などなど。私たちはこれらのことを受け入れることが出来ないのです。私たちの信仰と矛盾するからです。

 私たちは本当に非常に残念です。量り知ることの出来ないほど大きな悲しみです。私たちにとって大きな悲しみです。私たちの信仰のゆえに、私たちがローマと問題があるなどと考えただけでも、悲しみです。どうしてこんな事が可能なのでしょうか。これは、私たちの想像を遙かに超えたことです。私たちはに考えることもできません。私たちはそんなことがあるなどと信ずることもできませんでした。特に私たちの子供のころ、全ては画一的で、全ての教会で一致を信じ、同じことを信じ、同じ秘跡を行い、同じミサ聖祭を捧げていました。どこでも同じ公教要理を教えていました。そして、突然、分裂のなかにあります。引きちぎられる思いです。

 ローマから来た人たちに私は申しました。教会の中で、教えられ実践されている新しい宗教によるこの分裂によって、キリスト信者は家庭の中で引きちぎられ、子供たちは分断され、心は引き裂かれている、と。司祭たちは心と霊魂のうちに大きな苦痛を感じて若死にしています。彼らは何をしてよいかわからないのです。彼らは誰に従順に従ったらよいのかわからないのです。そして、従順に従うことによって子供のころからの信仰を失い、また、叙階の時に反近代主義宣誓をした約束を反故にするか、あるいは、私たちの聖父でおられ、聖ペトロを代表する教皇様と離れてしまっているような印象を受けるか、どうしたらよいのかと。なんと司祭の心は引き裂かれていることでしょうか。多くの司祭は若くして苦しみのあまり死に至っています。司祭たちは今ではその教会から追放され、迫害を受けています。なぜなら彼らが永遠のミサを捧げているからです。

 私たちは今、本当に劇的な状況にいます。私たちは、選ばなければなりません。敢えて言えば見かけ上の不従順か、あるいは私たちの信仰を捨てるかのどちらかです。ところで、教皇様は私たちに信仰を捨てるようにと命じることは出来ません。それは不可能です。ですから私たちは、信仰を捨てないことを選びます。なぜなら、そうすることによって私たちは間違うことがないからです。なぜなら、教会が2000年間教えてきたのです。教会がその間ずっと誤っていたと言うことはありえません。全くありえません。

 だから、私たちはこの聖伝にしがみつくのです。聖伝は、素晴らしく、決定的に、そうです、教皇聖ピオ五世がうまく言ったように決定的に、ミサ聖祭において表明されているからです。

 もしかしたら、明日、新聞紙上に、私たちを排斥する記事が載ることでしょう。全くあり得る話です。それは今日のこの叙階式のためです。私自身、多分に聖職停止の罰を受けることでしょう。これらの若い司祭たちは、「不規則」の罰を受け、原則的にはミサ聖祭を捧げることが出来ないとされることでしょう。あり得ることです。

 それなら、私は聖ピオ五世に訴えます。聖ピオ五世はその勅書のなかで、永久にいかなる司祭もこのミサを捧げるためにいかなる教会法上の罰を受けることが出来ない、と言っているからです。従って、これらの罰則と破門など、もしそのような話が出たとしても、全く無効です。それらの罰則は、聖ピオ五世がその勅書の中で永久に有効なこととして荘厳に宣言したことと反対だからです。

 この聖なるミサを捧げた、と言うことによりいかなる司祭にも、いかなる場合でも、いつでも、いかなる刑罰も課すことが出来ない、決して出来ない、との言葉に。何故でしょうか?なぜなら、このミサは列聖されたからです。聖ピオ五世は、このミサを決定的に列聖したのです。ところで、教皇様といえども、以前列聖されたものを、聖でないと言うことは出来ません。教皇様は新しい典礼様式を造ることは出来ます、しかし、列聖されたものからその列聖を取り消すことは出来ません。教皇様は、列聖されたミサを禁止することは出来ません。ですから、ある人が列聖された場合、別の教皇様がでてきてこの聖人は聖人ではないと言うことは出来ないのと同様です。そのようなことはありえません。

 この聖なるミサは、聖ピオ五世によって列聖されました。ですから、私たちは全く平安に、安全に、このミサを捧げることが出来るのです。そして、このミサを捧げることによって、私たちの信仰を宣言し、それを維持し、又、信者たちの信仰を維持させることが出来るのだと、私たちは確信しています。これこそが、信仰維持のための最良の方法です。


Photo Cridit

 だからこそ、私たちは今しばらく後に、この叙階を執行するのです。勿論、私たちは出来ることなら、昔のように、聖座から祝福をいただけることを期待していました。昔は、新しく叙階を受ける司祭たちのためにローマからの祝福がありました。私たちは、よき天主様がいらっしゃり、全てをご覧になり、私たちのするこの叙階式を祝福されておられ、将来、確かにお望みになっておられるその実りを得ること、そして、私たちを維持し、教会を維持されることを考えます。

 特に聖母マリア様に、又、今日の聖ペトロとパウロにお願いいたしましょう。

 司祭職の母である聖母マリア様に祈りましょう。これらの若き司祭たちに、真の司祭職の聖寵をお与え下さいますように。聖霊降臨の日にご自分の取り次ぎによって使徒たちに聖霊を与えたように、彼らに聖霊を下さるように。

 聖ペトロのパウロに、私たちにおいて聖ペトロにたいする信仰を維持するように、求めましょう。おお、そうです。私たちには、ペトロにたいする信仰があります。ペトロの後継者に対する信仰が。しかし、教皇ピオ9世が教義憲章の中で、よく言ったように、教皇が聖霊を受けたのは新しい真理を作り出すためではなく、永遠の信仰において私たちを維持するためである、と。これが、第1バチカン公会議の時に教皇ピオ9世によってなされた、教皇様の定義です。

 だからこそ私たちは確信しているのです。この聖伝を維持しながらこそ、私たちは、ペトロの後継者に対する私たちの愛と素直さと従順を表すのであると。

 聖父の聖子と聖霊との聖名によりて、アーメン。

ブックス司教:アマゾン・シノドスは教会を内部から破壊し別の教会をつくろうとする試み。霊魂も、救いも語らない。教会を遺伝子組み換え操作で変更しようとしている。

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

Working Document for the Synod on the Amazon: In the Critics’ Spotlight (3)の日本語訳をご紹介します。

アマゾン周辺地域のための特別シノドスの討議要綱
元教理省顧問であるニコラ・ブックス司教(3)

近く行われる予定のアマゾン周辺地域のための特別シノドスの討議要綱(working documents)に関するヴァルター・ブラントミュラー枢機卿による批判がなされたのち、この7月に新たに三つの批判が出されました。

その第三の批判は、神学者にして元教理省顧問であるニコラ・ブックス司教からのものです。


Monsignor Nicola Bux:Photo Credit

「討議要綱」についてのブックス司教のコメントは、2019年7月17日にLifeSiteNewsに発表されました。彼は、ジャーナリストのDiane Montanga がした質問に次のように答えました。

シュナイダー司教と同じく、ブックス司教は、アマゾン・シノドスは「教会を内部から『破壊する』ことによって別の教会をつくろうとする試みです」と言っています。

「イエズス・キリストは、人間が天国への道を見いだせるように、地上に天主をもたらすために来られました。これが、彼が教会を設立なさった理由です」と、このイタリア人司教は言いました。

「ところが、こんにちの聖職者たちは、まるで地上が、人間の永久の永続する住み処であるかのように、地球の世話をしています。この症状は何でしょうか? 彼らは、霊魂のことを語らず、それゆえに救いのことも語りません。」

彼らは、教会を「一つの社会学的現象として」みなしており、「そのため、経済学やエコロジー、政治学で教会を取り扱わねばならない」と考えている。

討議要綱で絶賛されているインカルチュレーションの問題について、ブックス司教は、こう言います。
「これは、あべこべの方法で提示されています。その意向は、アマゾン地域の教会をアミニズムと心霊主義に戻すことです。福音化を通してアマゾンの教会に告げ知らされたみ言葉からこれを引き離させてです。」

ブラントミュラー枢機卿が7月27日の分析で使った表現「キリスト教の仮面をかぶった自然宗教」を引用しつつ、ブックス司教は続けて言います。「私たちは、教会を遺伝子組み換え操作で変更しようとする試みに直面しています。信仰と信仰を表明しているローマ典礼様式の単一性に疑問を投げ掛けて、です。」

このイタリア人神学者ブックス司教はまた、こう言います。
「彼【ブラントミュラー枢機卿】は、アマゾン地域が『神学的場所』、すなわち啓示の特別な源泉とみなされているということを『信じられない』と考えています。」

ヴァルター・ブラントミュラー枢機卿の批判を支持しつつ、ブックス司教は言います。「天主の啓示に疑問を投げ掛けることによって、討議要綱は『自らをカトリック信仰という真理から引き離し』ている、従って『背教』にまで到達しているのです。」

ちなみに、彼は「討議要綱は、1970年代、教理省によって叱責を受けた元フランシスコ会司祭で解放神学の歴史的な代表者であるレオナルド・ボフの熱狂的な賛成 -- そしておそらくそのアドバイス -- を受けています」と指摘しました。

「キリストへの回心なくして解放はありません。討議要綱は、イエズス・キリストの福音の初めにあるこの回心という単語に一度も言及していません。それどころか、枢機卿たち、司祭たち、そして信者たちがすでに観察しているように、決定的ポイントにおいて、教会の義務である教え、すなわちすべてのカトリック信者が信じることを義務付けられている教えに矛盾することを述べているので、この文書は異端的であると言うことが出来ます。討議要綱は、信仰の根本に対する攻撃であり、カトリックの宗教を純粋な主観主義へと還元しています。あたかもイエズス・キリストこそが、新しいアマゾンの神へと変わらねばならないかのようです。」

(Sources : LifeSiteNews/ Dici n°387 - FSSPX.Actualités)

異端者ホノリウス教皇は、第三コンスタンティノープル公会議によって正式に単意論の異端者として排斥された。この歴史的事実には多くの証拠がある。

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛するM君、
前回は、ヨハネ二十二世のケースを取り上げました。

前回までの要点は、

*教皇が不可謬性の保証を行使することが出来るのは、限られた場合に限る。その内の一つは、教義の決定を全世界に信ずべき信仰箇条として強制することである。

ヨハネ二十二世は「質料的教義」に反する異端を教皇としての公の教えは、全キリスト世界を混乱させた(totus mundum christianum turbaverunt)。異端説を全教会に押しつけようとした。「しかし自分の死により、それを完成させることが出来なかった」(ベネディクト十二世教皇tamen morte praeventus,(…)perficere id nequivit)。

*ヨハネ二十二世は、死ぬ前日(1334年12月3日)に自分の主張を撤回し、後継者ベネディクト十二世は、不可謬的にヨハネ二十二世の教えと反対をカトリック信仰のドグマとして定義した。

聖ロベルト・ベラルミンも、ヨハネ二十二世は異端的な説を、真理として信徒らに強制しようという意向を持って、それを支持したが、ドグマとして定義することが出来る前に死亡した、と書いている。

*ヨハネ二十二世の正統ではない教え(heterodox teaching)は、教会の信仰に関する通常の教導権(ordinary magisterium)の執行であったが、定義をするものではなかったので、不可謬ではなかった。

*教皇アドリアノ四世はヨハネ二十二世のことを「異端者」であると呼んだ。

さて、今回は、教皇オノリオ(ホノリウス)のケースを紹介します。

カトリック教会の習わしでは、教皇や聖人の名前の日本語は、教会ラテン語の読み方に従い、奪格で書き表されます。たとえば、ピオ十二世とかパウロ六世とかベネディクト十六世とかアウグスティノ、アンブロジオなどです。

それに従えば、Honoriusは、オノリオとなりますが、ヨハネ二十三世とかヨハネ・パウロ二世とか、必ずしもHの発音は省略するとは限らないことを考え、また古代の人名では必ずしも奪格が慣習とは限らない(たとえばアリウスなど)ことを考慮して、ここでは教皇ホノリウスと表記します。

教皇ホノリウス (625-638) は、異端に陥ったのみならず、カトリック教会によって公式に異端者であると断罪された教皇です。

教皇ホノリウスは、単意論(Monothelites)という異端を広めました。単意論とは、キリストには一つしか意志がないと主張する異端です。(カトリックの教えによれば、キリストは真の天主かつ真の人間なので、キリストには天主の本性と人間の本性の二つが完全にあり、従って、天主としての意志と人間としての意志の二つがあります。)

既に教皇大聖レオが、449年には、キリストにおいて、天主と人間との二つの本性が一致していることを定義しており、ここからキリストに天主と人間との二つの意志があると言うことが出来ました。また、キリストのペルソナ(ヒポスタティス)において、二つの本性が結合していることが、451年にカルケドン公会議によって再度確認されていました。

しかし、教皇ホノリウスは、コンスタンティノープルの総大司教セルジウス一世(Sergius I)への複数の公式な書簡の中で、単意論を教えました。

教皇の手紙が書かれたその当時、聖ソフロニウス(St Sophronius)は、単意論の異端に反対して公に反対しており、教皇ホノリウスは、エルサレムの司教であった聖ソフォロニウスを断罪しました。(しかし第三コンスタンティノープル公会議は、ホノリウスを断罪し、聖ソフォロニウスの名誉を回復させます。)

セルジウス一世(Sergius I)への書簡の一つにおいて、教皇ホノリウスは次のように書いています。
「教会の定義するドグマについて、キリストにおいて二つの本性があると信仰告白しつつも、我々は天主と人間との仲介者キリストにおいて一つ或いは二つのはたらきがあるかを決定的に語ってはならない。」(Migne, Pope Honorius I, “Epistola ad Sergium,” Patrologia Latina, vol. 80, col. 475.)



つまり、教皇ホノリウスは、単意論の異端説を前にして、真理と誤謬とを同じレベルに取り扱い、真理を擁護せずに、信仰において「兄弟らを固める」という教皇の職務を拒否しました。(真理と誤謬を同列におくことによって、真の宗教であるカトリックと、その他の諸宗教とを同じレベルにおく第二バチカン公会議後の教皇らと同じ態度をとりました。)

これは、とどのつまり、誤謬を認めるということです。何故なら、教皇聖フェリックス(483-492)によれば「誤謬に反対しないことは、それを認めることである、真理を擁護しないことは、真理を廃止することである」からです。

教皇ホノリウス (625-638) が単意論の異端に対して取った行動のために、或いは必要な行動を取らなかったために、カトリック教会の三つの公会議によって異端者として正式に排斥されています。すなわち、
*第三コンスタンティノープル公会議 (680-681)
*第二ニケア公会議(787)
*第四コンスタンティノープル公会議(869-870)
です。
さらに、これらの三つの公会議に加えて、コンスタンティノープルのドーム(Trullo)の地方教会会議(692)においても異端者だと断罪されました。


まず、第三コンスタンティノープル公会議の第十三総会(681年3月28日)での決議文を見てみます。

「コンスタンティノープルのセルジウスが、ファシスのキルスに宛てた、そして教皇ホノリウスに宛てた教義の書簡らを我々が読んだ後、さらに、教皇ホノリウスがセルジウス宛てに書いた書簡を読むと、これらの書簡[ホノリウスからの書簡も含む]は使徒継承の教義にとって極めて遠く離れており、[過去の]聖なる公会議の宣言とも異なっており、著名で認められた教父たちからも離れている。彼らは異端者らの偽りの教えに従っている。従って、我々は彼らを全く拒否し、霊魂に害を与えるものであるとexecrateする。
しかし、これらの人々の名前も、聖なる教会から追放されなければならない。すなわり、セルジウスの名前(…)我々は彼らすべてを排斥する。
彼らと共に、我々の全会一致の教令は、ホノリウス、古いローマの元教皇が教会から追放され、排斥されなければならないとする。何故なら、彼のセルジウス宛ての手紙において見いだしたことは、すべての点において、彼がセルジウスの見解に従い、彼の邪悪な教えに同意したからだ。(…)」

英語訳は次にあります。[Fr. Charles Joseph von Hefele, A History of the Councils of the Church, from the Original Documents, vol. V, pp. 166-167.]

“After we had read the doctrinal letters of Sergius of Constantinople to Cyrus of Phasis and to Pope Honorius, as well as the letter of the latter to Sergius, we find that these documents [including the letter from Honorius] are quite foreign to the apostolic dogmas, also to the declarations of the holy Councils, and to all the accepted Fathers of repute, and [that they] follow the false teachings of the heretics; therefore we entirely reject them, and execrate them as hurtful to the soul. But the names of these men must also be expelled from the holy Church, namely, that of Sergius (…)
We anathematized them all. And along with them, it is our unanimous decree that there shall be expelled from the Church and anathematised, Honorius, formerly Pope of Old Rome, because of what we found in his letter to Sergius that in all respects he followed his view and confirmed his impious doctrines…”

同様の文章は、Philip Schaff の作った資料文章でも読めます。
同じ文章ですが、翻訳の微妙な違いを含めて、転載します。

The holy council said: After we had reconsidered, according to our promise which we had made to your highness, the doctrinal letters of Sergius, at one time patriarch of this royal god-protected city to Cyrus, who was then bishop of Phasis and to Honorius some time Pope of Old Rome, as well as the letter of the latter to the same Sergius, we find that these documents are quite foreign to the apostolic dogmas, to the declarations of the holy Councils, and to all the accepted Fathers, and that they follow the false teachings of the heretics; therefore we entirely reject them,and execrate them as hurtful to the soul. But the names of those men, whose doctrines we execrate, must also be thrust forth from the holy Church of God, namely, that of Sergius some time bishopof this God-preserved royal city who was the first to write on this impious doctrine; also that of Cyrus of Alexandria, of Pyrrhus, Paul, and Peter, who died bishops of this God-preserved city, and were like-minded with them; and that of Theodore sometime bishop of Pharan, all of whom the most holy and thrice blessed Agatho, Pope of Old Rome, in his suggestion to our most pious and God-preserved lord and mighty Emperor, rejected, because they were minded contrary to ourorthodox faith, all of whom we define are to be subjected to anathema.
And with these we define that there shall be expelled from the holy Church of God and anathematized Honorius who was some time Pope of Old Rome, because of what we found written by him to Sergius, that in all respects he followed his view and confirmed his impious doctrines. We have also examined the synodal letter of Sophronius of holy memory, some time Patriarch of the Holy City of Christ our God, Jerusalem, and have found it in accordance with the true faith and with the Apostolic teachings,and with those of the holy approved Fathers.Therefore we have received it as orthodox and as salutary to the holy Catholic and Apostolic Church, and have decreed that it is right that his name be inserted in the diptychs of the Holy Churches.

次に、第三コンスタンティノープル公会議の第十六総会(681年8月9日)の宣言を紹介します。

[公会議教父たちは一斉に唱える]
皇帝万歳!われらの偉大な皇帝コンスタンティノ万歳!(…)
ローマの教皇アガト万歳!コンスタンティノープルの総大司教ジョルジオ万歳!アンティオキアの総大司教テオファノ万歳!(…)
異端者、ファランのテオドロスに排斥あれ!
異端者セルジウスに排斥あれ!
異端者シルスに排斥あれ!
異端者ホノリウスに排斥あれ!
異端者ピルスに排斥あれ!(…)
すべての異端者どもに排斥あれ!
異端者の側にいるすべての者どもに排斥あれ!
願わくはキリスト者らの信仰が増さんことを。正統な世界教会会議万歳!

英語訳はここにあります。Session XVI. (Labbe and Cossart, Concilia, Tom. VI., col. 1010.)

[The Acclamations of the Fathers.]
Many years to the Emperor! Many years to Constantine, our great Emperor! Many years to the Orthodox King! Many years to our Emperor that maketh peace! Many years to Constantine, a second Martian! Many years to Constantine, a new Theodosius! Many years to Constantine, anew Justinian! Many years to the keeper of the orthodox faith! O Lord preserve the foundation of the Churches! O Lord preserve the keeper of the faith!
Many years to Agatho, Pope of Rome! Many years to George, Patriarch of Constantinople! Many years to Theophanus, Patriarch of Antioch! Many years to the orthodox council! Many years to the orthodox Senate!
To Theodore of Pharan, the heretic, anathema!
To Sergius, the heretic, anathema!
To Cyrus,the heretic, anathema!
To Honorius, the heretic, anathema!
To Pyrrhus, the heretic, anathema!
To Paul the heretic, anathema!
To Peter the heretic, anathema!
To Macarius the heretic, anathema!
To Stephen the heretic, anathema!
To Polychronius the heretic, anathema!
To Apergius of Perga the heretic, anathema!
To all heretics, anathema!
To all who side with heretics, anathema!
May the faith of the Christians increase, and long years to the orthodox and Ecumenical Council!

第三コンスタンティノープル公会議の第十八総会(681年9月16日)の決議文を紹介します。

「天主の恩寵により、集められた聖なる偉大な公会議と、最も敬虔で信仰深く力ある皇帝コンスタンティノの宗教勅令とは、この天主により守られた王の都市、新しいローマであるコンスタンティノープルの、トゥルロと呼ばれる皇帝の宮殿の高間(ドーム)において、次のことを定めた。(…)

聖なる公会議はさらに言う。この[上に述べた]、天主の聖寵による、敬虔で正統な信仰宣言は、正統信仰の充分な知識と確証に足りるものだったろう。しかし、原初に蛇の助けを借りて人類の上に死の毒をもたらした悪の作者[悪魔]は、止めることなく、今度は同じように、自分の意志するところを働くために相応しい道具を見つけた。
[この道具として]我々の意図する者どもは、ファランの司教であったテオドルス、セルジウス、ピルス、この王都の大司教らであったパウロとペトロ、更には、古きローマの教皇であったホノリウス(ἔτι δὲ καὶ Ὁνώριον τὸν γενόμενον πάπαν τῆς πρεσβυτέρας Ῥώμης, insuper et Honorium qui fuit papa antiquae Romae)、アレキサンドリアの司教キルス、後にアンティオキアの司教となったマカリウスとその弟子ステファノらである。悪魔は彼らを積極的に使って、全教会にとってつまずきの石を築き上げた。我らの真の天主、聖三位一体の一位である、キリストの二つの本性における一つの意志(one will)、一つのはたらき、という躓きの石(stumbling-blocks)である。(…)」

*英語では次で読めます。
The Definition of Faith.
(Found in the Acts, Session XVIII., L. and C., Concilia, Tom. VI., col. 1019.)

*或いは、次でも(英語とギリシア語で)読めます。
THE THIRD COUNCIL of CONSTANTINOPLE (692) The Sixth Ecumenical Council
*或いは、次でも、英語とラテン語で読めます。
Oecumenicum Concilium VI 680/681 AD, Concilium Constantinopolitanum III, 147 patres

英語を引用します。
The holy, great, and Ecumenical Synod which has been assembled by the grace of God, and the religious decree of the most religious and faithful and mighty Sovereign Constantine, in this God-protected and royal city of Constantinople, New Rome, in the Hall of the imperial Palace, called Trullus, has decreed as follows.(…)

The holy and Ecumenical Synod further says, this pious and orthodox Creed of the Divine grace would be sufficient for the full knowledge and confirmation of the orthodox faith. But as the author of evil, who, in the beginning, availed himself of the aid of the serpent, and by it brought the poison of death upon the human race, has not desisted, but in like manner now, having found suitable instruments for working out his will (we mean Theodorus, who was Bishop of Pharan, Sergius, Pyrrhus, Paul and Peter, who were Archbishops of this royal city, and moreover, Honorius who was Pope of the elder Rome, Cyrus Bishop of Alexandria, Macarius who was lately bishop of Antioch, and Stephen his disciple), has actively employed them in raising up for the whole Church the stumbling-blocks of one will and one operation in the two natures of Christ our true God, one of the Holy Trinity; thus disseminating, in novel terms, amongst the orthodox people, an heresy similar to the mad and wicked doctrine of the impious Apollinaris, Severus, and Themistius, and endeavouring craftily to destroy the perfection of the incarnation of the same our Lord Jesus Christ, our God, by blasphemously representing his flesh endowed with a rational soul as devoid of will or operation.(…)

第三コンスタンティノープル公会議の閉会の前に教皇聖アガト(St. Agatho)が帰天したので、その後継者である教皇聖レオ二世(681-683)がこれを承認しました。

教皇聖レオ二世は、公会議の教令を公式に確認してこう書簡を書きました。

「我々は、新しい誤謬の創始者ども、すなわち、テオドシウス、セルジウス、(…)そしてこの使徒継承の教会を使徒継承の聖伝の教えを持って聖化しようとせず、その代わりに世俗の裏切りによってその純粋性を汚されることを許したホノリウスを、排斥する。」

“We anathematize the inventors of the new error, that is, Theodore, Sergius, ... and also Honorius, who did not attempt to sanctify this Apostolic Church with the teaching of Apostolic tradition, but by profane treachery permitted its purity to be polluted.”
[The Catholic Encyclopedia (1913), vol. VII, p. 452.]

皇帝への大宣言(Prosphoneticus)

「しかし我々は、すべての余分な新奇なことども及びその発明者どもを教会から追放し、正しく排斥した。すなわち、ファランのテオドシウス、セルジウスとパウロ、ピルス、ペトロ(彼らはコンスタンティノープルの大司教であった)さらに、アレキサンドリアの司祭職を受けたキルス、そして彼らと共に、ローマの統治者 (πρόεδρον) であったホノリウスであり、それはホノリウスがこれらのことにおいて彼らにしたがったからである。


The Prosphoneticus to the Emperor.

(…)
but we cast out of the Church and rightly subject to anathema all superfluous novelties as well as their inventors: to wit, Theodore of Pharan, Sergius and Paul, Pyrrhus, and Peter (who were archbishops of Constantinople), moreover Cyrus, who bore the priesthood of Alexandria, and with them Honorius, who was the ruler (πρόεδρον) of Rome, as he followed them in these things. …

ディキンバラと呼ばれたところの近くにあった大教会の第三アトリウムに掲示された皇帝の勅令からの引用

「(…)皇帝が以前の五つの公会議を認めたように、彼はすべての異端者どもを排斥した。魔術師シモンから始まって、特に新しい異端の組織者と保護者どもを。テオドシウスとセルジウス、また、これらの異端者どもの支持者であり保護者であり確信者である古いローマの教皇であったホノリウスをも。(…)」

*英語はここです。The Imperial Edict Posted in the Third Atrium of the Great Church Near What is Called Dicymbala.
*あるいは、ギリシア語とラテン語では次で読めます。1445ページの真ん中ぐらいからはじまります。1457ページに核心的な部分があります。
Edictum piissimi, & Christi amantis Imperatoris Constantini, propositum in tertio atrio sanctissimæ magnae ecclesiae prope aulam, quæ Dicymbala vocatur

"The heresy of Apollinaris, etc., has been renewed by Theodore of Pharan and confirmed by Honorius, sometime Pope of Old Rome, who also contradicted himself. Also Cyrus, Pyrrhus, Paul, Peter; more recently. Macarius, Stephen, and Polychronius had diffused Monothelitism.
He, the Emperor, had therefore convoked this holy and Ecumenical Synod, and published the present edict with the confession of faith, in order to confirm and establish its decrees. (There follows here an extended confession of faith, with proofs for the doctrine of two wills and operations.) As he recognized the five earlier Ecumenical Synods, so he anathematized all heretics from Simon Magus, but especially the originator and patrons of the new heresy, Theodore and Sergius; also Pope Honorius, who was their adherent and patron in everything, and confirmed the heresy (Ad haec et Honorium, qui fuit antiquae Romae Papa, horum haereticos in omnibu factorum, concurforem, atque confirmatorem), further, Cyrus, etc., and ordained that no one henceforth should hold a different faith, or venture to teach one will and one energy. In no other than the orthodox faith could men be saved. Whoever did not obey the imperial edict should, if he were a bishop or cleric be deposed; if an official, punished with confiscation of property and loss of the girdle; if a private person, banished from the residence and all other cities."

第二ニケア公会議も同じ排斥をしています。

「コンスタンティノープルで開催された第六公会議が、セルジウス、ホノリウス、キルス、ピルス、マカリウス、そして敬虔の心のないまた同じことを考えている彼らを排斥しつつ宣言したように、我々はキリストにおいて二つの本性の性質に従って、二つの意志とはたらきとがあることも宣言する。」

Nicaea II

Deinde quoque et duas voluntates et operationes secundum naturarum proprietatem in Christo praedicamus; quemadmodum et Constantinopoli sexta synodus exclamavit, abiiciens Sergium, Honorium, Cyrum, Pyrrhum, Macarium et eos qui sine voluntate sunt pietatis, atque illis similia sentientes.

第四コンスタンティノープル公会議もこう宣言しています。

「われわれは、(…)彼らと共にローマのホノリウスを排斥する。」

Constantinople IV

anathematizamus autem Theodorum qui fuit episcopus Pharan, et Sergium et Pyrrhum et Paulum et Petrum impios praesules Constantinopolitanorum ecclesiae, atque cum eis Honorium Romae, una cum Cyro Alexandriae, necnon et Macarium Antiochiae ac discipulum eius Stephanum, qui malae opinionis Apollinarii et Eutychetis ac Severi impiorum haeresiarcharum dogmata sectantes, sine operatione ac sine voluntate animatam anima rationabili et intellectuali Dei carnem, sensibus laesis et revera sine ratione praedicaverunt;

長くなりました。

この項は続きます。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


カトリック教会は、いちどもホノリウスのことを「異端により自動的に教皇職を失った」とか「反教皇」とか「偽教皇」などと言ったことはない。教皇として常に認められていた

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛するM君、
前回は、教皇ホノリウスのケースを取り上げました。

教皇ホノリウスが、総大司教セルジウス一世から受けた質問に対する、公式の回答を与えた複数の書簡は、確かに教皇としてのローマの回答でしたが、しかし、不可謬権を使って全教会に教えを強要するものではありませんでした。

そしてホノリウスは、そのキリストの意志が一つであるという単意論の異端のために、教会によって異端者として排斥されました。

Philip ShaffのExcursus on the Condemnation of Pope Honoriusには、この歴史的事実が確かである証拠が列挙されています。

1. ホノリウスの排斥は、第三コンスタンティノープル公会議の第十三総会の決議文にある。

2. 同総会によってホノリウスの二つの書簡が焚書されることが命じられた。

3. 第三コンスタンティノープル公会議の第十六総会でその他の異端者に対するのと同じく、異端者ホノリウスに排斥あれ!と司教たちが叫んだ。

4. 同公会議の第十八総会で定められた信仰宣言で「悪の作者[悪魔]は、自分の意志するところを働くために相応しい道具を見つけた。古きローマの教皇であったホノリウスらである。」と宣言した。

5. 公会議の皇帝への大宣言は、「我々は、すべての余分な新奇なことども及びその発明者どもを教会から追放し、正しく排斥した。すなわち、ローマの統治者 (πρόεδρον) であったホノリウスであり(…)」と述べている。

6. 第三コンスタンティノープル公会議の教皇アガトへの書簡で、公会議は「我々は彼らを排斥した、すなわち、(…)ホノリウスを」と述べている。
"we slew them with anathema, as lapsed concerning the faith and as sinners, in the morning outside the camp of the tabernacle of God, that we may express ourselves after the manner of David, in accordance with the sentence already given concerning them in your letter, and their names are these: Theodore, bishop of Pharan, Sergius, Honorius, Cyrus, Paul, Pyrrhus and Peter."

7. 皇帝の勅令もホノリウスの排斥について語っている。「(…)皇帝が以前の五つの公会議を認めたように、彼はすべての異端者どもを排斥した。魔術師シモンから始まって、特に新しい異端の組織者と保護者どもを。テオドシウスとセルジウス、また、これらの異端者どもの支持者であり保護者であり確信者である古いローマの教皇であったホノリウスをも。(…)」

8. 教皇レオ二世も第三コンスタンティノープル公会議の教令を確認して、自分もホノリウスを排斥している。
“Honorius, qui hanc apostolicam sedem non apostolicæ traditionis doctrina lustravit, sed profana proditione immaculatam fidem subvertere conatus est, et omnes, qui in suo errore defuncti sunt.”

9. 第二ニケア公会議によってもホノリウスは排斥されている。

10. 第四コンスタンティノープル公会議も、ホノリウスを排斥した。

11. アナスタシウスが書いたレオ二世の伝記(Vita Leonis II.)によれば、ホノリウスの名前は排斥の教令の写本に見いだされる。

12. しかも、五世紀から十一世紀まで、新教皇が選ばれると教皇職を受けるときの荘厳な教皇宣誓があった。おそらくグレゴリオ二世によって、第三コンスタンティノープル公会議が教皇ホノリウスを排斥したことを認めると誓っている。このことは、その当時の Liber Pontificalis と Liber Diurnus に認めることが出来る。

13. 十六世紀に至るまで、教皇聖レオ二世の祝日の聖務日課では、第三コンスタンティノープル公会議によってホノリウスが排斥され破門された者の一人に挙げられている。

以上から分かることは、
聖なる教皇たちや司教たちが数回の公会議に招集して、全会一致の教令として教皇ホノリウスを排斥し、破門し、教会から追放している事実です。

しかし、カトリック教会は、いちどもホノリウスのことを「異端により自動的に教皇職を失った」とか、「反教皇」とか、「偽教皇」などと、一度も言ったことはありません。ホノリウスは、異端者だったとは言え、教皇として常に認められていました。ただ、異端者としては排斥されています。

この歴史的事実を見ても、教皇が異端に陥ると自動的に教皇職を失うというのが嘘であることが分かります。

異端者ホノリウス教皇を見ると、第一バチカン公会議が宣言した教皇の不可謬性が、とても限られたカリスマ(得能)だという教義が分かります。セルジウス宛てのホノリウスの書簡が公式の教皇書簡であったとしても、教義の決定の書簡ではありませんでした。1913年のCatholic Encyclopedia には、次のようにあります。"the letter cannot be called a private one, for it is an official reply to a formal consultation." Vol. VII, p. 452.

つまり、教皇の不可謬権の行使のための条件がすべてそろっていませんでした。不可謬権の行使のためには、教皇は全教会に教えを信じるように強制しなければならないからです。

従って、「我々は、新しい誤謬の創始者ども、すなわち、テオドシウス、セルジウス、(…)そしてこの使徒継承の教会を使徒継承の聖伝の教えを持って聖化しようとせず、その代わりに世俗の裏切りによってその純粋性を汚されることを許したホノリウスを、排斥する。」(レオ二世)しかし、それでもホノリウスは教皇としての職務を保持しています。聖なる教会は、またいかなる後継者の教皇も、ホノリウスを教皇ではなかったと宣言した事実はありません。

ホノリウスに適応されることが、第二バチカン公会議以後の教皇らに対しても言うことが出来ます。

第二バチカン公会議以後の教皇は、カトリック教会によって、公式に異端者であると宣言されたこともなければ、公式に教皇ではなかったと宣言されたこともありません。

従って、真の教皇たちであると受け入れなければなりません。たとえ、彼らが第二バチカン公会議の新しい教えによって、そしてこの使徒継承の教会を使徒継承の聖伝の教えを持って聖化しようとせず、その代わりに世俗の裏切りによってその純粋性を汚されることを許したとしても、です。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

「クァンタ・クラ」 -現代の誤謬の排斥-ピオ9世による回勅

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『クァンタ・クラ』Quanta Cura -現代の誤謬の排斥-福者ピオ9世による回勅(1864年12月8日発布)



訳者 聖ピオ10世司祭兄弟会Copyright © Society of Saint Pius X, 2001All rights reserved
尊敬する兄弟たち、
聖座の好意を得、一致を保っている
全ての大司教、司教へ

尊敬する兄弟たちに挨拶と使徒的祝福とをおくります。

1.どれほどの注意(Quanta cura)と司牧的な警戒とを払って、私の先任者であるローマ教皇たちは主キリストご自身から使徒たちの頭、いとも栄えあるペトロに託された、羊と子羊とを飼うという義務ならびに職務を果たすべく、倦むことなく熱心に主の群れ全体を、信仰の言葉と健全な教えで養い、かつ毒を含んだ牧草地から守ったかは皆に、とりわけ、尊敬する兄弟のみなさんに周知のことです。そして人々の霊魂の救いを特に気にかけていた、この同じ先任教皇たちは、知恵にあふれた諸々の書簡および教令をとおして、私たちの天主的な信仰およびカトリック教会の教理、道徳の純潔さ、ならびに人々の永遠の救いに対して害悪となり、たびたび激しい動乱を巻き起こし、教会と国家の双方をいたく苦しめ、疲弊させたこれらの異端、誤謬を暴露し排斥することに何にもまして意を注ぎました。この同じ目的のために、私の先任者たちは使徒的な勇敢さをもって、悪辣な者たちの害悪に満ちた企みにたゆまず抵抗しました。実際、己が内に秘めた混乱をはき出す、猛り狂う大洋の波にも似たこれらの者たちは、欺瞞に満ちた言説と、この上なく有害な著作によってカトリック教ならびに市民社会の基盤を打ち壊し、また人々の間からあらゆる美徳と正義を除き去り、かつ一般大衆なかでも特に人生経験のない若者を腐敗させ、誤謬の罠に陥れ、挙げ句の果てはカトリック教会の懐から奪い去るべく努めてきました。

 2.しかるに今、尊敬する兄弟たちには周知のとおり、私がこのペトロの座に挙げられる---これは天主の御摂理の隠れた配慮によるのであり、当然のごとく私自身のいかなる功徳によるものではありません---やいなや、かくも多くの悪辣な言説によってかき立てられた真に恐るべき嵐、また、キリスト教を奉じる民を覆う、かくも多くの誤謬によるきわめて重大な災禍---これについては、嘆いても嘆きすぎることはありません---をこの上なく大きな魂の悲嘆をもって目にした私は、自らの使徒的役務の命じるところにしたがって、また先任教皇らの輝かしい模範にならって声を上げました。このようなわけで、数多くの刊行された回勅、および枢機卿会議における訓話、ならびにその他の使徒的書簡において、私はこのきわめて不幸な時代の主立った誤謬を排斥し、かつあなた方の司教としの職務にふさわしい警戒(心)を喚起し-あなた方はこれに見事に応えてくれました-、そしてカトリック教会のいとも慕わしい全ての子らに、かくも恐るべき悪疫を忌み嫌い、逃れるべきであると再三にわたり諭し、勧告してきました。そして、とりわけ1846

年11月9日付であなた方に宛てて書かれた私の最初の回勅、および枢機卿会議において行なった2つの訓話(1854年12月9日と1862年6月9日)の中で、私は特に現代において流行し、きわめて多くの人々の霊魂を失わせ、また市民社会自体にも損害を与えている忌むべき見解の先駆けとなっていたものを排斥しました。これらの見解はカトリック教会とその健全な教理および尊ぶべき諸権利に対してのみならず、天主によって万人の心に刻みつけられた永遠の自然法ならびに正しい理性に著しく対立するものであり、ここからおよそその他全ての誤謬は源を発しています。

 3.[このように]私はこの種の主立った誤謬を再三禁止し弾劾するのを怠りませんでした。しかし、カトリック教会のために、また天主から私に託されたの霊魂の救いのため、さらには人間社会自体の福祉のために、先に述べたところの誤謬の泉からいわば湧き出てくる、その他の悪質な謬説を根絶するべく、私が再びあなた方の司牧的配慮を喚起することが必要となりました。それらの悪辣で欺瞞に満ちた見解は、とりわけ次に挙げる理由により、ことさら忌避されるべきものです。すなわちこれらの見解は、カトリック教会がその天主的創始者(であるキリスト)の制定および命令により、世界の果てまでも-それも私的個人に対してだけでなく国々、諸民族、ならびにそれらの首長に対して-自由に行使すべき、かの有益な影響が妨げられ、かつ取り除かれること、また、教会と国家との間の相互の協力体制ならびに意志の和合 -かかる状態が宗教および国家の利害にとって常に好ましく有益なものであったことは経験の示すところですが-を取り払うことへとつながるものであるからです。

 尊敬する兄弟たちよ、あなた方がよく承知しているように、昨今、いわゆる「自然主義」の不敬虔かつ不条理な原理を市民社会に適用して、「公民社会の最良の構築ならびに世俗社会の発展のためには、宗教を-あたかもそれが存在していないかのごとく- いささかも考慮に入れず、あるいは少なくとも真の宗教と偽りの宗教との間の一切の区別なしに、人間の社会が運営され、統治されることが必要である」との教説を述べてはばからない者たちが少なからずいます。彼らは聖書と教会、教父らの教えに反して「市民社会にとって最良の状態とは、カトリック宗教を傷つける者たちを、公共の平和がそれを必要とする場合を除き、法制に基づく刑罰によって抑圧するいかなる義務も、世俗権力に対して認められていないことである」と公言してはばかりません。統治に関するこの全く誤った考えから、彼らはカトリック教会および霊魂の救いに及ぼす影響において、至って致命的な見解、先任者グレゴリオ16世が「常軌を逸した考え」と呼んだ見解、すなわち「良心の礼拝の自由は、各人の個人的権利であり、法律のかたちで宣言され、全てのしかるべく構築された社会において、正当なこととして主張されねばならないものである。また、市民には、絶対的自由に対する権利が存し、教会のであれ国家のであれ、いかなる権威によっても、これは抑制されてはならない。かかる自由によって市民は公かつ明け広げに自らの思想を、それがでのようなものであれ、口頭で、あるいは出版物をとおして、またはその他のいかなる手段ででも表明し、宣言することができる」とする見解です。しかし、無思慮にも、このような断定を下す彼らは、自分たちが「滅びへと導く自由」を説いていること、また、「もし人間の議論に、常に自由に議論をなす余地が与えられたならば、真理に抵抗し、人間的知恵に基づくひびきの良い弁説に信を置く者たちに決して欠くことはない」という事実に気づかず、思いもよりません。「しかるに、主イエズス・キリストの教えそのものから、キリスト教的信仰と知恵とは、どれほどの注意をもってこの種のきわめて有害な詭言をさけるべきかを、私たちは承知しています」。

4.宗教が市民社会から取りのぞかれ、天主的啓示による教理、ならびにその権威とが否定され、かつ正義と人間の権利についての正しい概念とがくらまされ、失われ、さらに真の正義と合法的権利が物理的力に取って代わられるところでは、若干の者たちが健全な理性の最も確実な原理を全くなおざりにし、かつ軽視して、次のように公言してはばからないという事実にも納得がゆきます。すなわち、「いわゆる世論、もしくは何か他のかたちで表される人民の意志は、いかなる天主的または人間的抑制にも束縛されることのない至高の法を形成する。また、政治の領域においては、既成事実が、かかる事実が成立する当の状況自体のゆえに、法としての効力を持つ」と。

しかるに、人間の社会が宗教ならびに真の正義の束縛を解かれたなら、富を保有かつ蓄積する以外のいかなる目的も持ち得ず、また、かかる社会はその行動において、自らの快楽と利害を追求する以外のいかなる法にも従わない、という事実を理解し、明らかに見てとらない人がどこにいるでしょうか。それゆえ、このの者たちはキリスト教世界、文明ならびに文学にきわめて大きな貢献を成してきた諸修道会を忌み嫌い、後者はその存在を許される正当な理由をもたないと声を大にして叫びます。

こうして、これらのな者たちは、異端者らがなす中傷に拍手喝采をおくるのです。しかるに、先任者ピオ6世が賢明にも教えたように「修道会の廃止は、福音の勧告を公に宣する身分を傷つけるものであり、また、使徒継承の教えに適合するものとして教会において称揚されている生活様式に対して有害です。さらに、これ(修道会の廃止)は、私たちが祭壇にて崇敬する当の誉れ高い創立者たち[の名誉]をも傷つけます。彼らは、これらの修道会を、ただ天主の霊感にしたがって創立したからです。そして、これら[悪意]の者たちは「キリスト教的愛徳のために、公然と寄付を為す」許可を市民にも、教会にも与えないようにすべきであり、また、「天主の礼拝のために定められた日に肉体労働を禁じる」法律が撤廃されるべきだ、と不敬にも言い立てるのです。彼らは、かかる主張を、当の許可ならびに法律は、社会運営の最良の原理に反するという、この上なく欺瞞に満ちた口実の下に成します。さらに、宗教を社会から取りのぞくだけではあき足らぬ彼らは、これを個人の家庭からものぞき去ろうとします。「社会主義と共産主義という、この上なく有害な誤謬を教え、表明する彼らは、「家政的社会ないし家庭は、その存在の根拠をことごとく、唯国家の法の内にのみ有するのであり、したがって子どもに対する親の一切の権利は、国家の法にのみ由来する」のだと断定します。かかる不敬な言説および秘密裏に進められる策謀によって、これら欺瞞にけた者たちが達成しようとする目的は、カトリック教会の健全な教えと影響が青少年の指導ならびに教育からことごとく取りのぞかれ、そうして青少年の多感で柔軟な心が、ありとあらゆる有害この上ない誤謬と悪徳とによって汚染され、ねじ曲げられるようにする、ということです。実際、神聖なる事柄、および世俗的事柄のいずれをも混乱に陥れ、社会の正しい秩序を覆し、かつ人間の、そして天主の一切の権利を廃止すべく働いてきた者たちは、先に示唆したように、自分たちの全ての悪辣な企図、術策、努力を警戒心に欠く青少年をあざむき、堕落させることに傾注してきました。このために、彼らはありとあらゆる邪悪な手段を用いて、在俗および修道会の聖職者を絶えることなく攻撃するのです。当の聖職者階級は、誰もが認める歴史上の記念碑的業績の数々が明らかに示すとおり、数え切れぬほど多くの利益をキリスト教世界、文明、ならびに文芸にもたらしてきたというのにです。また、これに加えて彼らは、「科学と文明の有益な、真の発展に対して、もっぱら敵対的である聖職者は、青少年の指導、教育の責務と役職から外されなければならない」と公言しています。

5.一方、また別の者たちは、革新家たちの悪辣かつ度々排斥されてきた、作り事に過ぎぬ謬説を蒸し返し、厚顔無恥にも、他ならぬ主キリストから与えられた、教会とこの使徒座に属する至高の権威を国家権力の意志に従属させ、かつ外的な事柄に関する教会と使徒座の一切の権利を否定します。実際、彼らは以下のような主張をなして恥じることがありません。「教会の法は、これが国家権力によって公布されるのでないかぎり良心を拘束せず、また宗教および教会に関するローマ教皇の法令、勅令は国家権力の許可と承認、あるいは少なくともその同意を必要とする。さらに、秘密結社-かかる秘密結社が宣誓を会員に要求するものであるかどうかの区別は、この際問題ではありません-を排斥し、かつこれに参加ないし賛同する者たちに破門の罰を科す教皇令は、この種の結社が国家権力によって容認されている所では効力を持たない。また、トレントの公会議および諸教皇が教会の権利と所有物を攻撃し、する者たちに対して下した破門宣告は、霊的および現世的事柄の混同によるものであり、もっぱら世俗的な利益の追求につきるものである。信徒が自らに属する地上的事物を用いるにあたって、教会は彼らの良心をしばる規定を定めることはできない。また教会は、その法を破る者を物質的刑罰によって抑制する権利を有さない。さらに、教会、修道会およびその他の教会組織の有する財について国家政府が所有権を主張し、これを要求することは神学ならびに市民法の原則に適っている。」これに加え、彼らは数知れぬ倒錯した見解、誤謬の源となってきた、異端者らの主義・原則を明け広げに公言して恥じるところがありません。実際、彼らは「教会の権力は天主の定めによって国家権力から区別され、独立した権力などではなく、もし仮にかかる区別ないし独立がなされるならば、それは教会によって国家権力に本質的に属する権利が侵害され、簒奪される、ということに他ならない」と、ことあるごとに言い立てます。また、私は、健全な教えを受け容れず、「教会の全般的な善益、ならびにその権利および規律に属する事柄を対象とした使徒座の判断および規定は、これが信仰と道徳上の教義に関連するものでないかぎり、同意、恭順を拒むことは罪にも、カトリック信者としての身分を失うことにもならない」と主張する者たちの大胆不敵を見過ごすわけにはゆきません。かかる言説が、教会全体を養い、統治し、かつ導く十全な権能が天主から主キリストご自身をとおしてローマ教皇に与えられた、とするカトリック教義にいかに甚だしく対立するものであるかは、誰の目にも明らかなことです。

6.かくも悪質で倒錯した謬説を前にして、自らの使徒的職務を念頭に置き、また、私たちのこの上なく神聖な宗教、ならびに健全な教理と天主から託された霊魂らの救いをおもんばかり、さらに人間社会自体の福利を心にかけ、私は再び教皇としての声明を発するべきだと判断しました。それゆえ、教皇としての権威により、私はこの教書中、種々のかたちで言及されている全ての悪質な言説ならびに教説を個々に拒絶し、禁止し、排斥し、またそれらがカトリック教会の全ての子らによって拒絶され、禁止され、排斥されたものとして見なされることを望み、かつ命じます。

7.尊敬する兄弟たちよ、これらのことに加えて、昨今、真理と正義を忌み嫌い、かつ私たちの宗教に最も激しく敵対する者たちが、悪意のある嘘によって人々を欺き、世界中で発行される有害な書籍、パンフレット、新聞をとおして、ありとあらゆる謬説をまき散らしていることは、あなた方もすでによく承知していることです。また、現代、サタンの精神によって動かされ、かつかき立てられて、私たちの支配者にして主なるイエズス・キリストを受け容れず、その天主性を頑なに否むまでに不敬をきわめる者たちがいます。しかしこの点に関して、かくも大きな不敬虔に対し司教としての声明を怠らずに発した尊敬する兄弟のみなさんを私は、これにふさわしい大きな称賛をもって讃えずにはいられません。

8.それゆえ、この書簡をとおして私は、私の憂慮を分かち合い、秀でた信仰心と敬虔、あなた方の心を私に結びつける驚嘆すべき愛、忠誠、孝愛のゆえに、重苦しい苦悩のさ中にあってこの上ない慰安、喜び、慰めであるあなた方に、再度心からの愛情を込めて語りかけるのです。実際、こうして私、またこの使徒座に、この上なく恭順で敬愛に満ちた心で結ばれたあなた方は、何にもまして重要な、司教としての聖役を果たすべく熱心に倦むことなく励んでいます。ですから私は、あなた方の抜きんでた司牧的熱意に信頼し、あなた方が天主の言葉である霊の剣を取り、また主イエズス・キリストの聖寵によって強められ、さらなる注意をもって、あなた方に託されている信徒が、『御父が植えたものではないため、イエズス・キリストが育てない有害な駄弁』から遠ざかるよう、日々より一層の配慮を傾けることを期待します。また、その同じ信徒らに、真の至福はことごとく私たちの荘厳な宗教ならびにその教えと実践から、とうとうと流れ出ること、そしてその奉じる天主が彼らの主であるところの民は[真に]幸いであることを教えてやまないようにしてください。また、「諸国はカトリック信仰にその根拠を置く」こと、ならびに以下のような態度ほど致命的で没落へと導き、あらゆる危険を招き入れるものはない、ということを教えてください。すなわち、「人間は自由意志を持って生まれでる、という事実のみで足りるとして、主からそれ以上何も求めないこと。突き詰めて言えば、私たち[人間]の創造主を忘れ、己が自由を誇示するべく、その権能を公然と否認すること」です。さらに、「王としての権力は世を統治するためだけに与えられたのではなく、まず何よりも教会の保護のために与えられた」ということ、また、もう一人のきわめて賢明で勇敢な先任者聖フェリクス教皇がゼノ皇帝に諭したように、「カトリック教会に自らの法を守ることを許し、かつ誰にもその自由を妨げることを許さない」ならば、これほど諸侯ならびに君主らの益かつ栄誉となることはない」という事実を怠ることなく教えてください。「なぜなら、以下のように振る舞うことが彼らに益となることは確実だからです。すなわち、天主に関することが問題である場合、彼らが、天主の定めにしたがって、王としての意志をキリストの司祭らに服従させ、後者の意志に対して優先させることのないようにする」ことです。

9.尊敬する兄弟たちよ、しかるに、教会ならびに市民社会を襲うかくも大きな災悪のただ中、カトリック教会の利益およびこの使徒座に対してのかくも大きな陰謀、さらにこれほど大量の誤謬の渦中にあって、慈悲をかち得、時宜に適った助力としての聖寵をいただくために、恩寵の玉座に信頼をもって近づくことが殊更必要です。それゆえ、私は全ての信徒に、私およびあなた方と心を合わせ、いとも慈悲深い、光とあわれみの父に、この上なく熱心で謙虚な祈りをもって懇願し、また、私たちをその御血によって天主に対し贖ってくださった主イエズス・キリストのもとにいつも深い信仰をもって逃れ、さらに、私たちへの燃えるような愛の犠牲であるそのいとも甘美な聖心に、主がその愛のによって一切のものをご自分へと引き寄せてくださるよう、また、全ての人が主のいとも聖なる愛に燃え立たされて、その聖心にしたがって正しい道を歩み、万事において天主のみ心にかない、種々の善業において実を結ぶよう、真摯に倦むことなく祈り求めるように激励することをよしとしたのです。しかるに、人々の祈りは、それがあらゆる汚れから浄められた心から発するのであるとき、最も天主によみせられるものなので、私は使徒的寛大さをもって、私に託された、教会の天的な宝庫をキリストの信徒らに対して開くことを決意しました。それは、当の信徒らが、より真摯な心をもって真の敬虔に燃え立ち、そして告解の秘跡をとおして、おのが罪の汚れから浄められて、さらなる信頼をもって天主に祈りを捧げ、そのあわれみと恩寵とを受けることができるようにです。

10.この書簡をとおして、私は教皇としての権威により、カトリック教界の全ての信徒一人々々に聖年特別の全免償を来る1865年中、特定の1か月間-これをどの月に指定するかは、司教区ごと、あなた方ならびに他の合法的教区管轄司教の判断に委ねます-、私の教皇職の始めにあなた方司教階級に属する聖職者全てに宛てて教書のかたちで出された教皇勅書『アルカノ・ディヴィネ・プロヴィデンツィエ・コンシリオ』(1846年11月20日)をとおして譲渡したのと全く同じ仕方とかたちで、また、これらの書簡において私が与えたのと全く等しい権能をもって与えます。しかるに私は先述の書簡中で規定された事柄が、明確に指定された例外を除き、もれなく遵守されることを望みます。そして私はかかる免償を、その授与に障害をきたすようなこと一切-その中には一つ々々個別に言及し、授与を手控える動機となるべき事柄をも含まれます-を念頭に置きつつも、あえて与えます。しかるに、この件に関して何らの疑い、困難な点もないように、私は先述の諸書簡の写しがみなさんのもとに送られるよう、指示を出しました。

11.尊敬する兄弟たちよ、心の底から、全霊を傾けて天主の御あわれみを請い求めましょう。なぜなら、主ご自身『私は我があわれみを彼らから取り去ることがない』と仰せになっておられるからです。求めましょう。そうすれば私たちは受けるでしょう。もし、私たちが受ける際に、遅れまたはのろさがあるとすれば、それは私たちが主に対して多くの罪を犯したからです。叩きましょう。叩く者には戸が開かれるからです。すなわち、もし戸が私たちの祈りとうめき、それに涙 -私たちは倦むことなくこれを辛抱強く続けねばなりません- によって叩かれ、そしてかかる祈りが一致したものであるならです。各々、唯自分自身のために祈るのではなく、主が私たちにそのように祈るようお教えになったとおり、全ての兄弟のために祈るように。」しかるに、天主が私自身、あなた方、そして全ての信徒の祈りと願いとを、よりく聞き容れてくださるように、天主の御母にして、原罪の汚れなくいと聖き童貞マリアに、主に取り成してくださるよう全き信頼を込めて願うことにしましょう。聖母は、あまねく世界で一切の異端をことごとく打ち散らし、私たちみなの愛深き母として「この上なく甘美で…あわれみに満ち…全ての者に対し、ご自分がよく願いに耳を傾けてくださる、きわめてあわれみ深い方であることを示されます。また(聖母は)、全ての者の必要・困窮にきわめて深い情愛をもって同情されます。」さらに聖母はその聖なる独り子、金色に輝く衣をまとい、天使・聖人にかこまれ、私たちの主イエズス・キリストの右に立つ女王として、御子から望む全てを得ることがおできになります。また、使徒の首長であるいと祝されしペトロ、および彼と共に働いた使徒パウロ、ならびに天国の全ての聖人の取り次ぎを願うことにしましょう。彼らは今や天主の朋友として天の御国に至ったのであり、椰子の葉の冠を戴き、自ら自身の永遠の境遇について思いわずらうことのないため、もっぱら私たちの救霊を気にかけています。

12.最後に、心からあなた方のため、天主にありとあらゆる天的な賜を願いつつ、私は大きな愛を込めて心の底からの使徒的祝福を私のあなた方への特別の愛情の印として、尊敬する兄弟であるあなた方自身、また全ての聖職者ならびにあなた方の監督・配慮に委ねられた信徒に与えます。

天主の御母なる童貞マリアの原罪の汚れなき御宿りの教義定義から数えて

10年目の1864年12月8日
ローマ、聖ペトロ大聖堂にて
教皇在位第9年に

愛するM君、セデヴァカンティズムの誤りの核心は、個人の考えで教皇を教皇でないと判断することにあります

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛するM君、

 君が、数年前、セデヴァカンティズムのウェブ・サイトの長編論文を読んでいたとき私は直接、君と会って、或いは電話で、なぜセデヴァカンティズムが誤っているかを説明しました。

 セデヴァカンティズムの誤りの核心は、個人の考えで教皇を教皇でないと判断することにあります。

 君は、その時、セデヴァカンティズムの説明は長いが、私の説明は短いという理由で信じようとしませんでした。今度は「長々と且つ空しくセデヴァカンティズムの長編論駁」と言っています。

 君は、教皇が誤りを教えたことがないと間違って主張しました。そこで、証拠を出して、引用し、しかも猜疑心の強い君のためにインターネットのリンクも探しだして、君の間違いをしてきました。

 カトリック教会には、かつて異端を教えた教皇らがいましたが、彼らは教皇不可謬権を行使せずに誤りを教えました。

 第一バチカン公会議の教皇不可謬性の教義決定の時、これらが大きな問題になり、カトリック教会は教皇不可謬権の意味を正確に議論しています。

 これ対する、君の答えは、全く知性的でも誠実でもありませんでした。根拠もなく「無意識に虚偽に基づいた主張を組み立てている」という断言だけです。

 つまり、反論になっていません。自分の主張を繰り返すだけです。そして根拠もなく他人を誠実でないと取り扱っているだけです。

 聖母よ、M君を憐れみ給え!彼はその成すところを知らざるが故に!

1896年9月13日:教皇レオ13世の使徒書簡アポストリチェ・クーレ(Apostolicae Curae)英国教会の叙階について

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1896年9月13日:教皇レオ13世の使徒書簡アポストリチェ・クーレ(Apostolicae Curae)英国教会の叙階について

Litterae Apostolicae
APOSTOLICAE CURAE
De Ordinationibus Anglicanis
LEO EPISCOPVS
Servus Servorum Dei


photo credit

永遠の記念に

 使徒的な気遣いと愛徳とを(Apostolicae Curae et Caritatis)、私は高貴なイギリスの国の福祉のために、少なからず捧げてきた。この気遣いと愛徳とを持って私は「羊の偉大なる牧者」である私達の主イエズス・キリストの任務を果たし、主の足跡に従おうと必死になっている。昨年、信仰の一致におけるキリストの王国を求めて私が英国の人々に送った手紙は、英国に対する私の善意の特別の証人である。その手紙の中で私は英国民の母なる公教会との古き一致の記憶を思い起こした。そして私は天主へ熱心な祈りを捧げることによって人々の心を揺り動かし、幸せな和解の日を急がせるようにと努力した。またもう一度つい最近、一般的な書簡の中で公教会の一致をもっと詳しく取り扱うのがよいと私に思われたとき、英国は私の心に於いて決して最後の位置を占めていたのではなかった。それは私の教えがカトリック信者を強めそれと同時に私達から離れていった人々に救いの光をもたらすことを望んでのことだった。私が熱心に、また口調を率直に言ったその寛大なやり方は、単なる人間的な動機付けによってなされたのではないのであり、そのやり方が英国民の評価を受けたことを認めるのが出来たとは、喜ばしいことである。このことは彼らの礼儀正しい態度と同時に彼らの永遠の救いのための多くの心配とを証明している。

 これと同じ心と意向を持って私は非常に重要なことを今回考察しようと決意した。このことは同じ事柄と私の望みとに緊密に結びついている。

 既に、教会の一度ならずの行動とその常なる実践とによって確認された有力な意見は、こう主張する。すなわち、イギリスがキリスト教の一致の中心から外れた少し後に聖なる叙階の秘蹟を授与する新しい典礼様式がエドワード6世のもとに公式に導入されたが、その時、キリストが制定したがままの本当の叙階の秘蹟は消滅し、それと共に教会位階秩序の継承も途絶えた、と。

 しかし、ある時、また特に近年エドワード式叙階式に従って授与された聖なる叙位が、秘蹟としての本性と効果を持っているのではないかという議論がわき上がった。

 その叙階の秘蹟が絶対的に有効である、或いは疑わしいが有効であるということに賛成する者たちが英国聖公会の著作者たちのみならず、主に英国人ではないカトリックにも少数だがいる。その様な英国聖公会の著者は、キリスト教の司祭職の素晴らしさを考察したために、彼らがかつてそうだったように、自国民たちはキリストの御体に対する2重の権能を欠如するべきではないと望んでいた。またカトリックの作家がそう言うのは、聖公会が聖なる一致に戻るようにと道を平らにすることを望んでいたからだった。実に、最近の研究の水準にまで引き上げられた学問の成果の見地と、忘れられた文書を新しく発掘した見地から、私の権威を持ってこの問題を再検討するのは相応しいことだろう。

 私は以上のような望みと意見とを無視することなく、特に使徒職上の愛徳の命じるままに、霊魂の損害となることを遠ざけ、霊魂の有利になることを供給しようと尽くさなかった方法は何も残っていないほど、あらゆる方法を尽くした。

 従ってこの新しい検討に於いて極度の注意を払い、将来にわたって如何なる疑いも、疑いの陰でさえすらも残らないように全て取り除かれるように、私はこの問題を再検討し直すことを喜んで寛大に許したのである。

 教皇ユリウス3世とパウロ4世との権威を私は引用したが、それは3世紀以上も「エドワード式典礼様式に基づく叙階式は全く無効である」ということを継続的に実践し続けてきたことの起源を明らかに示している。

 この実践はローマでさえも、数多くの再叙階式が[条件付きではなく]絶対的に数多くなされたことによって証明される。

 聖公会の叙階の有効性を支持するために、その有効性の助けとして、同じ叙階式用儀式書の別の祈りから最近求められたが、無駄であった。このことが聖公階の典礼様式に於いて有効性のために不十分なことは、いろいろな理由があるがそれらを別にしても、次のことが全てを決定するのに十分である。

 それらの祈りからかつてカトリック典礼様式にある司祭職の尊厳と役務に言及するものは全て故意的に取り除かれていた。この「形相」は従って、その秘蹟が本質的に意味するところのものを欠き、そのためその秘蹟を有効に授与するには相応しいか十分であると考えることは出来ない。

 同じことは司教聖別についても言える。・・・

 この内在的な「形相」の欠陥と共に、それを等しく重要な「意向」の欠陥がつながっている。教会は心と意向に関して、それがその本性上内的なものである限りに於いて、裁かない。しかし、それが外的に現れる限りに於いて教会はそれに関して裁かねばならない。

 ある人が正確にそして真面目に必要な質料と形相とを使って、秘蹟を執行し授けようとしたなら、そのこと自体からして、彼は教会がしていることをしようとしていた(intendisse)と前提して良い。この原理の上に教会の次の教えが成り立っている。すなわち、異端者或いは洗礼を受けていない者が施したものでもカトリックの典礼様式を使っているなら、秘蹟は本当に授けられている、という教えである。

 他方で、もし教会によって認可を受けていない別の典礼様式を導入し、教会のしていることを、そしてキリストの御制定によってそもそも秘蹟の本性に属していることを打ち捨てる、という明らかな意向を持って典礼様式が変えるなら、秘蹟に必要な意向が欠けているだけでなく、その意向がその秘蹟に対立し、秘蹟を破壊するものであることは明らかである。

 従って、このことに関し、私の前任者である過去の教皇たちの教令を厳密に支持し、また、それらに全く一致し、そして私の権威によってそれらの教令をいわば更新し、私は自発的に確実な知識を持ってこう発表し宣言する。すなわち、英国聖公会の典礼様式に従ってなされた叙階は、かつて絶対的に無効であり、全く無意味であったし、今でも絶対的に無効であり、全く無意味である。

[Itaque omnibus Pontificum Decessorum in hac ipsa causa decretis usquequaque assentientes, eaque plenissime confirmantes ac veluti renovantes auctoritate Nostra, motu proprio certa scientia, pronunciamus et declaramus, ordinationes ritu anglicano actas, irritas prorsus fuisse et esse, omninoque nullas.]

(…)
 私はそれらの手紙、そしてこれが含む全ての内容が、私の意向の深層やその他の考えがどのようなものであれ、追加、廃止、欠陥や欠落があるために攻撃や反対を受けることが出来ないことを勅令する。また、私はこれらの手紙が現在また将来にわたって常に有効で執行力を持つことを、さらに裁治権上またはその他[教義上]の両者にわたってどのような教会位階のものであれ、どのような高貴な位のものであれ全ての人々によって、不可侵に守られるべきことを勅令する。このことに関し、その反対のことが故意に或いは無意識のうちに、企てられたとしても、それが誰であれ、どのような権威を持つものであれ、如何なる口実のものでも、これに反対するものがあってはならない。

 私は、この手紙の写しに、それが印刷されたものであったとしても、公証人の署名と教会の高位聖職者の印鑑とが打たれ、私の意志がこれらのものを見せることによって明らかに示されることを望む。

 ローマ、聖ペトロの傍らで我らの主の御托身1896年9月13日、私の教皇在位第9年目に。

教皇レオ13世

ティシエ・ド・マルレ司教様、フィリピンのイロイロにある聖ベルナルド修練院にて

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アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
ティシエ・ド・マルレ司教様のフィリピン(イロイロ)での写真をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!トマス小野田神父











2019年の大天使聖ミカエルの祝日の説教(東京、大阪) : ピーター・フォルティン神父様 9月29日(主)

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2019年の大天使聖ミカエルの祝日の説教(東京、大阪)
2019年9月29日(主)
聖ピオ十世会司祭 ピーター・フォルティン神父様

愛する信者の皆さん、
聖書と聖伝から、天主が喜んで仲介者をお使いになることを私たちは知っています。人間と天使のどちらも、天主からのメッセージや祝福、保護をもたらすために使われます。天主はしばしば、霊魂や家族、集団、国々の世話をするために、この世における御摂理の一部として聖なる天使たちをお使いになります。聖なる天使は純粋な霊であり、死ぬことはありません。天使は、場所から場所へと思いのままに移動する力を持っています。天使には、最高の知性と非常に強い力があります。聖なる大天使たちの中で、聖ミカエル、聖ガブリエル、聖ラファエルは、聖書の中で特に有名です。聖ミカエルは、その名前が「たれか天主にしくものあらん[誰か天主に比べられる者があろうか、あるはずがない]」という意味です。聖ミカエルは、ルチフェルとその仲間たちが天主に対して反乱を起こした際に、彼らに反対した忠実な天使たちの総帥です。悪魔は、天主の教会の不倶戴天の敵なのですから、聖ミカエルは天主によって、時の終わりまで悪魔の攻撃に対抗する特別な保護者として教会に与えられました。聖ミカエルは義人と悪人を分けるために、正義のつるぎをふるうことになるのです(黙示録12章7節以下参照)。

教会のこの特別な守護者にして保護者である聖ミカエルについて、反キリストによる最後の迫害の期間に教会を力強く守るであろう、と言われています。「そのとき、ミカエルが立ち上がる。なんじの民の子らを守る偉大な君主である」(ダニエル12章1節)。

初期の教父たちは、天使と大天使の重要性、特に聖ミカエルの重要性を認識していました。キュロスのテオドレトス(393-466年)は、そのダニエル書の解釈において、「われわれを守護し保護するために、またわれわれを悪魔のわなから救うために、われわれ一人一人は個々の天使の世話に託されている、とわれわれは教えられている。聖モーゼが教えたように、大天使は諸民族を守護する任務を委託されている。また聖ダニエルは、この説明に同意している。なぜなら、彼自らが『ペルシャ人の王国の君主』のことを語り、また少しのちには『ギリシャ人の君主』のことを語っており、その一方で彼はミカエルをイスラエルの君主と呼んでいるからである」。聖ミカエルは天主の民である旧約のユダヤ人たちを保護する役目を与えられていたのです。教父たちはまた、聖ミカエルこそが、アダムとエバが追放されたあと楽園の門で見張っていた天使であったこと、彼を通じて天主が十戒を公表なさったその天使であったこと、バラアムの通り道を妨げたその天使であったこと(民数記22章20節以下)、そしてセンナケリブの軍隊を全滅させたその天使であったこと(歴代誌下32章21節)、を断定するのです。

聖バジリウスと他のギリシャ教父たちは、聖ミカエルをすべての天使の総帥と位置づけました。中世のスコラ時代には、「天使の九階級」という説明がなされ、聖ミカエルはその第一の階級である熾天使(セラフィム)たちの総帥であると言う人々もいました。聖トマス・アクィナスは、聖ミカエルを最後の階級である天使たちの総帥としました。この力ある天使のさまざまな出現は、聖ミカエルが教会を保護していることを証明しています。ここでは三つの出現、ガルガーノ、ローマ、モン・サン・ミシェルについてお話ししましょう。

イタリアの南部にあるガルガーノで492年、ガルガーノという名前の男が田舎で大きな家畜の群れを放牧していました。ある日、一頭の牡牛が山に逃げ、行方がわからなくなりました。牡牛はある洞窟の中へ走って行ったのです。ガルガーノはその洞窟に向かって矢を射かけましたが、その矢は戻って来てガルガーノを傷つけました。これは非常に奇妙な出来事だったため、心配した人たちは地域の司教に相談することに決めました。司教は3日間の断食と祈りを命じました。3日後に、大天使聖ミカエルが司教に現れて、牡牛が避難所とした洞窟は聖ミカエルの保護のもとにあり、また天主は、聖ミカエルの名のもとに、また全ての聖なる天使に敬意を表すためにこの洞窟が奉献されることをお望みである、と宣言しました。司教は聖職者や人々とともに洞窟に行きましたが、洞窟の構造がすでに部分的に教会の形であるのに気付きました。聖なるミサがそこで捧げられ、その同じ場所に壮大な聖堂が建てられ、多くの大いなる奇蹟が起こりました。そして、聖なる大天使の保護をお与えになった天主の善に感謝するために、この大天使聖ミカエルに敬意を表す特別な祝日が教会によって制定されました。

590年、大規模なペストがローマを襲いました。大教皇聖グレゴリオは、悔悛のわざとして行列を率いて街路を巡り、罪の赦しと償いを求めました。すると、ハドリアヌスの墓(現在は聖ペトロ大聖堂の近くのサンタンジェロ城)のところに、聖ミカエルが現れてつるぎを鞘におさめ、ペストの終わりを示しました。教皇は、のちにこの墓の上に聖堂を建て、そこには今日まで聖ミカエルの大きな像が残っています。

フランスのノルマンディーでは708年、聖ミカエルがアブランシュの司教聖オーベールに夢の中に現れました。大天使は司教に対して、自分の名によって島の上に聖所を建てるように命じました。オーベールはただの夢に過ぎないと信じて、この命令を無視しました。次の夜、大天使ミカエルが再び現れて、自分に敬意を表してモン・トンブ[トンブ山]の上に聖所を建てるようにとの命令を繰り返しました。またもや、オーベールはこれを信じませんでした。いずれにせよ、海に囲まれて孤立した山の上の草の生い茂った岩だらけの地形のところに教会を建てるとすれば、とてつもなく大変な仕事になってしまうことでしょう。そこで司教は再び、この繰り返す夢を無視しました。オーベールが次の夜に眠っていると、大天使ミカエルが指をオーベールのひたいに押し当てて、同じ命令を繰り返しました。翌朝オーベールが起きてみると、自分のひたいにくぼみがあるのに気が付きました。オーベールは709年の年末に、教会を建てて大天使ミカエルに奉献するよう命じました。聖オーベールの頭蓋骨にはくぼみがあり、このことが真実であることを証明しています。

私たちのカトリックの聖伝においては、聖ミカエルには四つの任務があるとされます。(1)サタンと他の堕天使たちに対する戦いを遂行し続けること。(2)信者たちの霊魂を、特に臨終のときに、サタンの力から救い出すこと。(3)天主の民、すなわち旧約のユダヤ人たちと新約のキリスト教徒たちを守護すること。(4)最後に、この世のいのちから離れた霊魂たちを導いて、彼らを私審判のために私たちの主に差し出し、また時の終わりには公審判のために差し出すこと、です。このため、キリスト教美術では聖ミカエルが、武具をまとってつるぎまたは槍を持った戦う騎士として描かれたり、また、ヘビあるいは他の悪魔を象徴するものの上に勝ち誇って立っている戦う騎士として描かれたりします。時には、共に最後の審判の象徴である正義の秤あるいはいのちの書を持っている姿で描かれます。



カトリック信者として、私たちは、サタンと悪の力に対抗して私たちを守る聖ミカエルの重要な役割を典礼の中において記念してきました。死者のためのミサにおける古い奉献誦は、これらの任務を証明しています。「栄光の王、主イエズス・キリストよ、死せる信者すべての霊魂を、地獄の苦しみと底なき深淵とから救い出したまえ。彼らが冥府(よみ)の世界に飲み込まれ、暗闇に落ちぬよう、獅子の口から解き放ち給え。旗手聖ミカエルが彼らを聖い光明に導かんことを。主がその昔、アブラハムとその子孫とに約束し給うたその光に。主よ、いけにえと祈りとをわれらは主に捧げ奉る。本日記念する霊魂たちのために、これを受け入れ給え。主よ、彼らを死から生命へと移し給え。主がその昔、アブラハムとその子孫とに約束し給うたその生命へ」。

1200年代以来、聖なるミサにおいては、聖ミカエルは、コンフィテオールの祈りの中で、童貞聖マリアや洗者聖ヨハネ、聖ペトロと聖パウロとともに祈願の対象とされています。これらの聖人たちに祈願することは、信者が聖性へと呼ばれていること、そして天国の勝利の教会には罪が存在しないことを信者に思い起こさせます。

20世紀のかなりの間、信者たちはミサの終わりに聖ミカエルへの祈りを唱えました。教皇レオ十三世(1903年帰天)は、悲しみと戦争という来たる世紀についての預言的な幻視を見ました。ミサを捧げたあと、教皇は枢機卿たちと協議していました。突然、彼は床に倒れました。枢機卿たちは急いで医者を呼びました。脈はなく、教皇は死んだのではと皆恐れました。するとまた突然、教皇レオは意識を取り戻し、「私は何という恐ろしい情景を見るのを許されたことだろう!」と言いました。この幻視の中で、天主はサタンに対して、サタンが教会にその最悪のわざを行うための一世紀を選ぶ権利をお与えになりました。悪魔は20世紀を選びました。教皇はこの幻視に非常に心を動かされたため、次の大天使聖ミカエルへの祈りを作りました。「大天使聖ミカエル、戦いにおいてわれらを護り、悪魔の凶悪なる謀計に勝たしめ給え・・・」。

教皇レオは、1886年に、この祈りをミサの終わりに唱えるように命じました。(教皇パウロ六世が1968年にノブスオルドミサを発表したとき、ミサの終わりにあった、この聖ミカエルのへの祈りと「最後の福音」の朗読は廃止されました。)

最後に、聖ミカエルは、悪魔祓い(エクソシズム)の儀式において重要な役割を果たす存在です。特に、悪魔の攻撃を受けた場所の場合がそうです。ここでは、司祭はこう祈ります。「いとも栄光ある天軍の総帥、大天使聖ミカエルよ、この世の闇の君主たち、権力者たち、支配者たちとの戦いにおいて、これら元天使らの霊的な悪に対する戦いにおいて、われらを護り給え。天主がその似姿としてつくり給い、サタンの暴政から大いなる代価もて買い戻し給うた人間を助けに来り給え。教会はその守護者にして保護者として御身を敬い奉る。主は、これら贖われた霊魂らすべてを、御身の世話に委ね給うた。そは、御身が彼らを天国の幸いへと導かれんがためなり。われらの足元にサタンを踏み砕き給うよう、平和の天主に祈り給え。そは、サタンがもはや人間を捕らえ、教会を傷つけること能わざらんがためなり。われらの祈りを、いと高き天主に捧げたまえ。そは、天主の御あわれみが、早くわれらに与えられんがためなり。敵にして悪しき霊なるかの獣、かのいにしえのヘビを捕らえ。彼を永遠に無なるものとなし給え、そは、彼がもはや諸民族を誘惑せざらんがためなり」。

1994年の春、教皇ヨハネ・パウロ二世は、大天使聖ミカエルへの祈りを捧げるよう信者たちに求めました。教皇はまた、この祈りをミサで唱えることがもう一度制定されるように強く示唆しました。[しかし]教皇はミサでこの祈りを唱えるよう命じることはありませんでした。この教皇が、教会と世界に存在する重い罪、つまり信仰の喪失、冒涜、涜聖、宗教的無関心、また妊娠中絶や安楽死、虐殺、同性愛運動という罪に対応していたのは、明らかです。サタンと他の堕天使たちは、霊魂たちを地獄に導くよう全力を尽くしています。私たちには、こんにち、特に力強い聖ミカエルが必要です。この理由のため、私たちは聖ミカエルに対してミサの最後に祈りを捧げ、また聖なるロザリオとファチマの天使の祈りを捧げるのです。

聖ミカエルは教会の保護者であるのみならず、すべての信者の霊魂の保護者です。けんそんによって、彼は悪魔を打ち負かしました。同じ戦いに参加している私たちは、彼の武器を自分のものにしなければなりません。それは、けんそんと、天主への愛です。この大天使を天主のもとでの私たちの指導者とみなし、この私たちの保護者の有名な叫び「たれか天主にしくものあらん」をもって、悪魔のあらゆる攻撃に勇敢に立ち向かいましょう。私たちを助け、保護してくださるよう、特に、天使の軍団の元后である聖母に祈りましょう。



【英語原文】

St. Michael 2019 Tokyo/Osaka
Fr Peter Fortin, SSPX

Dear Faithful,
From Holy Scripture and tradition, we know that God is pleased to use intermediaries. Both men and angels are used to convey the messages and blessings and protection from God. He often makes use of the Holy Angels as part of His Divine providence in this world for the care of souls, families, congregations and countries. The Holy Angels are pure spirits and are immortal. They have the power of moving at will from place to place. They are of supreme intelligence and very powerful. Among the Holy Archangels, Saints Michael, Gabriel and Raphael are particularly distinguished in the Scriptures. Saint Michael, whose name means Who is like unto God? St. Michael is the prince of the faithful Angels who opposed Lucifer and his followers in their revolt against God. Since the devil is the sworn enemy of God's holy Church, Saint Michael is given to it by God as its special protector against the assaults of the devil until the end of time. He will wield the sword of justice to separate the righteous from the evil (cf. Revelation 12:7ff).

It is said of this special guardian and protector of the Church that, during the final persecution of Antichrist, he will powerfully defend it: At that time shall Michael rise up, the great prince who protects the children of thy people. (Dan. 12:1)

The early Church Fathers recognized the importance of the angels and archangels, particularly St. Michael. Theodoret of Cyrus (393-466) in his interpretation of Daniel wrote, “We are taught that each one of us is entrusted to the care of an individual angel to guard and protect us, and to deliver us from the snares of evil demons. Archangels are entrusted with the tasks of guarding nations, as the Blessed Moses taught, and with those remarks the Blessed Daniel is in accord; for he himself speaks of ‘the chief of the Kingdom of the Persians,’ and a little later of ‘the chief of the Greeks,’ while he calls Michael the chief of Israel.'” He was to protect the People of God, the Jews of the Old Covenant. The Church Fathers would also posit that St. Michael stood guard at the gate of paradise after Adam and Eve had been banished, and he was the angel through whom God published the Ten Commandments, who blocked the passage of Balaam (Number 22:20ff), and who destroyed the army of Sennacherib (2 Chronicles 32:21).

St. Basil and other Greek Fathers ranked St. Michael as the Prince of all the Angels. During the scholastic period of the middle ages and the exposition of the “nine choirs of angels,” some said St. Michael was the prince of the Seraphim, the first of the choirs. St. Thomas Aquinas assigned St. Michael as the prince of the last choir, the angels. Various apparitions of this powerful Angel prove the protection of Saint Michael over the Church. I will mention three apparitions. Gargano, Rome and Mont Saint Michel.

In Gargano, the southern part of Italy, in the year 492 a man named Gargan was pasturing his large herds in the countryside. One day a bull fled to the mountain, where at first it could not be found. The bull ran into a cave. Gargan shot an arrow into the cave, but the arrow returned to wound himself. It was very strange so the persons concerned decided to consult the bishop of the region. The bishop ordered three days of fasting and prayers. After three days, the Archangel Saint Michael appeared to the bishop and declared that the cave where the bull had taken refuge was under his protection, and that God wanted it to be consecrated under his name and in honor of all the Holy Angels. Accompanied by his clergy and people, the pontiff went to that cavern, which he found that the structure was already a partial form of a church. The Holy Mass was offered there, and there arose in this same place a magnificent temple where many great miracles were worked. To give thanks God's goodness for the protection of the holy Archangel, a special feast day was instituted by the Church in his honor.

In Rome, in year 590, a great plague struck Rome. Pope St. Gregory the Great led a procession through the streets as an act of penance, seeking the forgiveness of and atoning for sin. At the tomb of Hadrian (now Castle Sant’ Angelo near St. Peter’s Basilica), St. Michael appeared and sheathed his sword, indicating the end of the plague. The Holy Father later built a chapel at the top of the tomb and to this day a large statue of St. Michael rests there.

In Normandy, France in the year 708, the St. Michael appeared to St. Aubert, the bishop of Avranches, in a dream. The archangel ordered the bishop to build a sanctuary in his name at the top of the island. Aubert ignored this order as he believed it only a dream. The next night, the Archangel Michael appeared again and repeated his order to build a sanctuary at the top of Mont Tombe in his honor. Again, Aubert was unconvinced - and in any case, building a church on overgrown and rocky terrain on an isolated mount surrounded by the sea would be an immense task. The bishop ignored again this recurring dream. As Aubert slept the following night, the Archangel Michael pressed his finger into Aubert’s forehead and repeated his command. Aubert awoke the next morning to find that there was a hole in his head. He ordered in late 709, a church was built and devoted to Archangel Michael. The skull of St. Aubert testifies to the veracity of this as there is a hole in the skull.

In our Catholic tradition, St. Michael has four duties: (1) To continue to wage battle against Satan and the other fallen angels; (2) to save the souls of the faithful from the power of Satan especially at the hour of death; (3) to protect the People of God, both the Jews of the Old Covenant and the Christians of the New Covenant; and (4) finally to lead the souls of the departed from this life and present them to our Lord for the particular judgment, and at the end of time, for the final judgment. For these reasons, Christian art depicts St. Michael as a knight-warrior, wearing battle armor, and holding a sword or spear, while standing triumphantly on a serpent or other representation of Satan. Sometimes he is depicted holding the scales of justice or the Book of Life, both symbols of the last judgment.

As Catholics, we have remembered in the liturgy the important role of St. Michael in defending us against Satan and the powers of evil. An ancient offertory chant in the Mass for the Dead attested to these duties: “Lord, Jesus Christ, King of Glory, deliver the souls of all the faithful departed from the pains of Hell and from the deep pit; deliver them from the mouth of the lion that Hell may not swallow them up and that they may not fall into darkness, but may the standard-bearer Michael conduct them into the holy light, which thou didst promise of old to Abraham and his seed. We offer to thee, Lord, sacrifices and prayers; do thou receive them in behalf of those souls whom we commemorate this day. Grant them, Lord, to pass from death to that life which thou didst promise of old to Abraham and to his seed.”

In the Tridentine Mass since the 1200s, St. Michael was invoked in the Confiteor, along with the Blessed Virgin Mary, St. John the Baptizer, and Saints Peter and Paul; the invocation of these saints inspired the faithful to remember the call to holiness and the sinlessness of the Church Triumphant in Heaven.

For the greater part of the twentieth century, the faithful recited the prayer to St. Michael at the end of the Mass. Pope Leo XIII (d. 1903) had a prophetic vision of the coming century of sorrow and war. After celebrating Mass, the Holy Father was conferring with his cardinals. Suddenly, he fell to the floor. The cardinals immediately called for a doctor. No pulse was detected, and the Holy Father was feared dead. Just as suddenly, Pope Leo awoke and said, “What a horrible picture I was permitted to see!” In this vision, God gave Satan the choice of one century in which to do his worst work against the Church. The devil chose the twentieth century. So moved was the Holy Father from this vision that he composed the prayer to St. Michael the Archangel: “St. Michael the Archangel, defend us in battle! Be our protection against the wickedness and snares of the devil…etc.”

Pope Leo ordered this prayer said at the conclusion of Mass in 1886. (When Pope Paul VI issued the Novus Ordo of the Mass in 1968, the prayer to St. Michael and the reading of the “last gospel” at the end of the Mass were suppressed.)


Finally, St. Michael figures prominently in the Rite of Exorcism, particularly in the case of diabolical infestation of places. Here the priest prays: “Most glorious Prince of the heavenly Army, Holy Michael the Archangel, defend us in battle against the princes and powers and rulers of darkness in this world, against the spiritual iniquities of those former angels. Come to the help of man whom God made in his own image and whom he bought from the tyranny of Satan at a great price. The Church venerates you as her custodian and patron. The Lord confided to your care all the souls of those redeemed, so that you would lead them to happiness in Heaven. Pray to the God of peace that he crush Satan under our feet; so that Satan no longer be able to hold men captive and thus injure the Church. Offer our prayers to the Most High God, so that His mercies be given us soon. Make captive that Animal, that Ancient serpent, which is enemy and Evil Spirit, and reduce it to everlasting nothingness, so that it no longer seduce the nations.”

In the Spring of 1994, Pope John Paul II, urged the faithful to offer the prayer to St. Michael the Archangel. He also made the strong suggestion that the recitation of the prayer be instituted at Mass once again. The Holy Father did not mandate the recitation of the prayer at Mass. Clearly, the Pope was responding to the grave sins present in the church and in the world, the loss of faith, blasphemy, sacrilege, religious indifference, the sins of abortion, euthanasia, genocide, and the homosexual movements. Satan and the other fallen angels are doing their best to lead souls to Hell. We need especially the powerful St. Michael today. For this reason, we offer the prayer in his honor at the conclusion of Mass and Holy Rosary and prayer of the Angel of Fatima.

Saint Michael is not only the protector of the Church, but of every faithful soul. By humility he defeated the devil; we who are enlisted in the same warfare must adopt his weapons — humility and a great love of God. Regarding this Archangel as our leader under God, let us courageously resist the devil in all his assaults with our protector's famous exclamation: Who is like unto God? We pray especially to Our Lady, the Queen of the Legions of Angels to assist and protect us.

9月29日大天使聖ミカエルの祝日、日本での聖伝のミサ報告 聖ピオ十世会 Traditional Latin Mass SSPX JAPAN

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

こんにちは!今日は守護の天使の祝日ですね!守護の天使たちは、目に見えませんが、私たちを守ってくれています。

さて9月29日は大天使聖ミカエルの祝日で、フォルティン神父様が日本でミサを捧げてくださいました。ご報告を頂いたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


Photo Credit

【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

先月に続いて今月もマニラからピーター・フォルティン神父が来て、大天使聖ミカエルの大祝日のミサを挙げてくださいました。

御説教では、今日祝日を祝っている大天使聖ミカエルについて、聖書の中で登場する場面、初期の教父たちの見解、聖トマス・アクィナスの意見などについて教えて頂いた後、実際に聖ミカエルの出現があった、イタリアのガルガーノ、ローマ、そしてフランスのモン・サン・ミシェルの出来事についてお話しをして頂きました。そして19世紀の末に教皇レオ13世が幻視の後、私たちがいつも唱えている大天使聖ミカエルへの祈りを作られたこと、しかしその祈りがノブス・オルドのミサの公布と共に廃止されてしまったこと、そしてそれにもかかわらず現代においてこの祈りがいかに必要であるかを詳しく説明して頂きました。

また、今日のミサ中の第2献金としてマニラの聖ピオ十世会の学校への献金をお願いしたところ、74,151円が集まりましたので、フォルティン神父にお渡ししました。


今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

男: 29人(内、子供5人)
女: 25人(内、子供5人)
計: 54人(内、子供10人)


【報告】【東京】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

日本の保護の天使でいらっしゃいます大天使聖ミカエルの大祝日に、東京にも大阪にもこのミサの御恵みをくださいました天主様に感謝申し上げます。

フォルティン神父様は、慣れない東京の残暑の厳しさの中、大変だったと思います。今回も素晴らしいごミサをお捧げいただきまして、まことにありがとうございました。

私は前日から大天使聖ミカエル様へ祈りながら、マリア様もその御足で蛇を踏みつけられていらっしゃいますこと、大天使聖ミカエル様も御絵の中で槍を突き刺しながら悪魔をその足に踏みつけておられることを思い、このお二方に守られている日本のカトリック教会の今の惨状は、今は大変な苦しみの中にあるけれど必ず信仰の勝利がおさめられるに違いないと思いました。でも、たくさん祈らなければならないと思いました。

ミサに与りながら、日本のカトリック教会、特に日本の聖ピオ十世会の教会が守られますよう、聖母マリア様と大天使聖ミカエル様にそのお取次ぎをお願い致しました。

お説教では、大天使聖ミカエルのことを多方面から話していただきました。聖書において登場する場面や、イタリア・ローマ・フランスでのご出現の様子、その受け持つ四つの任務、典礼の中における大天使聖ミカエルの役割と意味、レオ十三世教皇の幻視の中で伝えられた(長文の)大天使聖ミカエルの祈りの意味、悪魔祓いの祈り、霊魂の保護者であることなど…。

レオ十三世教皇が視たという幻視の中で語られていたことは、現在実際に教会が悪魔からの攻撃を受けていることを思えば、まさに切実。いまのカトリック信者は、眠らされているか、必死で真理を求めて起きようとするか、目覚めて戦っているか、悪魔の餌食になってその道具となっているか、その四つのうちのどこかにいるのかもしれないと思いました。

実際、悪魔は、すでにカトリック教会に入りこんでいることを、誰もが本当はわかっているのではないでしょうか。悪魔の働きが教会の中に入りこんでしまったことがわからないふりをするのにも限界がきているように思います。反対に悪魔の働きを見破ったと自称する者を逆に罠にかけて教会から離れたものとさせるのも悪魔のやりかたなのでしょう。

ミサの後にある友人は、『この聖ピオ十世会の聖徳溢れるごミサに与ることをゆるされているカトリック信徒は、それだけ罪深く地獄に陥りやすいほどのものだからだとも思うことがある。そのことを忘れて、自分の知性や神学的知識を誇るあまりに、自分の考えが周りの誰よりも正しく思えてしまうように傲慢の罠にまんまと陥るようになる者がいるかもしれないのだから、僕たちはよほど気をつけなくてはいけないと思う。』と話してくださいました。

細く狭い道である使徒伝承の信仰を知り守り抜くことの険しさをあらためて思います。けれど逆に言うと、その細い道こそが最初からずっと続いてきている道であり、その狭い門こそが、天国の門かなと思います。

信仰を求めて歩む中で、この聖伝のミサに出会わせていただいたことを思うと、天主様のお導きに感謝申し上げます。そしてこれまでどれほど大天使聖ミカエル様によってお守りいただいてきていることかと思い、より一層のとりつぎと御保護をお祈りしました。

昔から教父たちがどうやって狡猾な悪魔から逃れたかたくさんの言い伝えや説教があるようです。
フォルティン神父様がお説教の最後に言われた言葉、「謙遜と天主への愛徳とを武器に悪魔と勇敢に戦わなければならない」を心に留めました。

聖母マリア様と大天使聖ミカエル様のその御保護のもと、日本のカトリック教会と日本の聖ピオ十世会が守られますように。

至聖なるイエズスの聖心、われらを憐れみ給え。
聖母の汚れなき御心、われらのために祈り給え。
大天使聖ミカエル、われらのために祈り給え。

【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

ミサの報告をお送りいたします。

9月29日(主)大天使聖ミカエルのミサには28人、
9月30日(月)聖ヒエロニモのミサには7人が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!

大天使聖ミカエルは、日本の守護者とされていますので、日本でこのミサが挙げられたことは大きなお恵みでした。

フォルティン神父様のお説教の中で、聖ミカエルの四つの任務をお聞きしました。
1、天主に逆らった堕天 使たちに対する戦いを続けていること、
2、私達の霊魂を臨終のときにサタンから救う事、
3、ユダヤ人と新約のキリスト教徒を守護すること、
4、私審判、公審判で私達の霊魂導いて天主に差し出す事
だそうです。

天主に逆らった堕天使を「誰か天主に如くものあらん」と先頭に立ってサタンと戦ったのは、その時だけではなく、ずっと戦い続けているという事に驚きました。
また、レオ13世の幻視の中で、天主がサタンに最悪の業を行う一世紀を選ぶ権利を与えられ、サタンは20世紀を選んだという話も大変興味深いと思いました。
真っ先に、20世紀には後にカトリック教会に大き なダメージ、躓きを与える第二バチカン公会議が開催された事を思い出さずにはいられませんでした。

憐み深い天主様は、一番謙遜で、一番強天使をカトリック教会の守護者として世の終わりまでお与え下さった事に感激します。
大天使聖ミカエル様が、日本と、全世界をサタンの狡猾な罠より、恐ろしい攻撃からお守りくださいますように、レオ13世教皇様の祈りを心から唱えたいと思います。

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え

初水曜日「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」について黙想することをご提案します。

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愛する兄弟姉妹の皆様、

今日、2019年10月2日は、10月の初水曜日(月の初めての水曜日)であります。
初水曜日に「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」について黙想することをご提案します。


なぜなら、聖ヨゼフはこの世で天主イエズス様と浄配なる聖母マリア様を最も良く知り、愛された御方であり、その隠れた徳ゆえに偉大なる御方、イエズス様とマリア様の最大の命の恩人であられました。

また、聖ヨゼフは、この世では、全てを天主の栄光のために、隠れてその生涯をささげられたが故に、天にて聖母の次に最大の栄光をあたえられていらっしゃいます。

聖伝では、水曜日は聖ヨゼフに捧げられた曜日であり、月の最初の水曜日を聖ヨゼフに捧げることで、聖ヨゼフを讃え、その御取次に信頼し、その御徳に倣って、聖ヨゼフを通して、天主イエズス様とマリア様をお愛しすることができますように。

初土曜日の「聖母の汚れ無き御心」への信心にならって、この「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」のどれかを「15分間黙想」することにいたしましょう。

聖ヨゼフの帯の信心については、下記リンクをごらんください。
聖ヨゼフの帯 cingulum Sancti Joseph

聖ヨゼフの御取次ぎにより、聖母の汚れ無き御心とイエズスの至聖なる聖心ヘの愛をますます与えてくださいますように!
聖ヨゼフの御取次ぎにより豊かな祝福がありますように!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖ヨゼフの7つの苦しみと喜び

1 ああいと潔き御母マリアの浄配、栄えある聖ヨゼフよ、御身のいと清き妻を失ならんと心に思い煩いし時の苦しみはいと大いなるものなりき。
されど天使が御託身の玄義を御身に伝えられし時の喜びは、またひとしお大いなりき。この苦しみ、この喜びにより、今も臨終の時も我らの心を潔さ良心の喜びと、イエズス、マリアのうちに自我を滅する尊き御身の心を示し、我らを慰め給え。



2 ああいと幸いなる保護者聖ヨゼフよ、御身は人となり給いし御言葉の潔き養父の位にあげられたれども、御身は幼きイエズスがいと貧しき中に生まれ給うを見て大いに悲しみ給いしが、
天使らのたえなる歌声を聴き、その輝ける夜の栄えを見給うや、その悲しみは天的の喜びと変じたり。御身のこの悲しみ、この喜びによりて、我らもまたこの世の歩みを終えたる後、天使らの賛美の歌声を聴き、天的光栄の輝きを受け得んことを願い奉る。



3 ああ御摂理にいと従順なしもべなる、栄えある聖ヨゼフよ、幼きイエズスが割礼にて流されたる尊き御血は御身の心を苦痛もて貫きたれども、
イエズスと命名されるや御身の心は喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らをこの世の悪徳より離れしめ、イエズスのいと尊き御名を心から唱えつつ心満たされてこの世を去るを得しめ給え。



4 ああいと忠誠なる聖ヨゼフよ、御身は救世の玄義の成就に身をもって大いなる役を果たされしが、シメオンの預言によりイエズスとマリアが受け給うべき苦難を予知せられ苦しみ給いたれど、
数限りなき人々の霊魂がこれによって救わるるとの預言によりて、天的喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らがイエズスの功徳と聖母マリアの御取次ぎにより、終わりなき栄えを得てよみがえる人々のうちに数えられる御恵みをとりなし給わんことを願い奉る。



5 ああ人となり給いし天主の御子のいとも注意深き保護者なる栄えある聖ヨゼフよ、御身はいと高きものの御子を養い給い、これに仕えるために多くの辛酸をなめられたり。わけてもそのエジプトへの逃避はいと苦しきものなりしが、
御身が常に天主御自身と共におられし喜び、またエジプト人らの諸々の偶像が地に落とされしを目の当たりに見られし時の安心はいと大いなりき。この御身の辛酸と喜びとによりて、我らが地獄的暴君より免れて、わけても危険なる機会より逃避する事を得しめ、我らの心のうちに地上的執着が落とされ、ひたすらイエズスとマリアに仕え奉りつつ日々の生活を送り、この世を幸いに終わる事を得しめ給え。



6 ああこの地上の天使なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の心を天の王に全く捧げられたり。御身がエジプトより戻られる喜びは、アルケラウスに対する憂慮にて不安の闇となりしが、
天使は再び御身にイエズスとマリアと共にナザレトにて楽しく住み給う事を約束せられたり。御身のこの苦しみ、この喜びによりて、我らの心を深い恐怖より免れしめ、潔き良心の平和を楽しみ、イエズスとマリアと共につつがなく世を送り、臨終においてはイエズスとマリアの御手に我らの霊魂を捧ぐる事を得しめ給え。



7 ああ全ての徳の鑑なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の誤りにあらずして幼きイエズスを見失い、三日の間苦しみもて捜し求められたり。
されど神殿の中に博士らに取り巻かれたるイエズスを見出されし時の喜びはいかに大いなりや。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らが大罪を犯しイエズスを失いたりせば、たゆまず彼を捜し求め、遂に再び巡り会えるよう、わけても臨終の時に彼と共にありて天国に至り、御身と共に天主の終わりなき御恵みを賛美し奉るようとりなし給わんことを心から願い奉る。



交唱 イエズスが教えをはじめたりしは三十歳ごろなり、人々、イエズスをヨゼフの子なりと思いたり。(ルカ3:23)

V 聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え。
R キリストの御約束に我らをかなわしめ給え。

祈願 天主、御身のかしこき御摂理のうちに祝せられたヨゼフを至聖なるマリアの浄配に選び給いたれば、願わくはこの世の我らの保護者として崇め奉る彼が、我らの天のとりなし手となり給わんことを。 アーメン。

 

参考リンク
サンタフェ~奇跡の階段 コラレス通り1丁目 この記事に昔の階段の様子の写真があります。

聖ヨゼフの階段(アメリカのニューメキシコ、サンタ・フェにあるロレット・チャペル)



英語ではこちら。
THE SEVEN DOLOURS AND SEVEN JOYS.

i. St. Joseph, pure spouse of most holy Mary, the trouble and anguish of thy heart were great, when, being in sore perplexity, thou wast minded to put away thy stainless spouse: but this joy was inexpressible when the archangel revealed to thee the high mystery of the Incarnation.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee comfort our souls now and in their last pains with the consolation of a well-spent life, and a holy death like unto thine own, with Jesus and Mary at our side.
Pater, Ave, and Gloria.

ii. St. Joseph, Blessed Patriarch, chosen to the office of Father of the Word made Man, the pain was keen that thou didst feel when thou didst see the Infant Jesus born in abject poverty; but thy pain was changed into heavenly joy when thou didst hear the harmony of angel-choirs, and behold the glory of that night when Jesus was born.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee obtain for us, that, when the journey of our life is ended, we too may pass to that blessed land where we shall hear the angel-chants, and rejoice in the bright light of heavenly glory.
Pater, Ave, and Gloria.

iii. St. Joseph, who wast ever most obedient in executing the law of God, thy heart was pierced with pain when the Precious Blood of the Infant Saviour was shed at His Circumcision; but with the Name of Jesus new life and heavenly joy returned to thee.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, being freed in our life from every vice, we too may cheerfully die, with the sweet Name of Jesus in our hearts and on our lips.
Pater, Ave, and Gloria.

iv. St. Joseph, faithful Saint, who wast admitted to take part in the redemption of man; the prophecy of Simeon foretelling the sufferings of Jesus and Mary caused thee a pang like that of death; but at the same time his prediction of the salvation and glorious resurrection of innumerable souls filled thee with a blessed joy.
By this thy sorrow and thy joy, help us with thy prayers to be of the number of those who, by the merits of Jesus and his Virgin Mother, shall be partakers of the resurrection to glory.
Pater, Ave, and Gloria.

v. St. Joseph, watchful Guardian, friend of the Incarnate Son of God, truly thou didst greatly toil to nurture and to serve the Son of the Most High, especially in the flight thou madest with Him unto Egypt; yet didst thou rejoice to have God Himself always with thee, and to see the overthrow of the idols of Egypt.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us grace to keep far out of the reach of the enemy of our souls, by quitting all dangerous occasions, that so no idol of earthly affection may any longer occupy a place in our hearts, but that, being entirely devoted to the service of Jesus and Mary, we may live and die for them alone.
Pater, Ave, and Gloria.

vi. St. Joseph, angel on earth, who didst so wonder to see the King of heaven obedient to thy bidding, the consolation thou hadst at His return was disturbed by the fear of Archelaus, but nevertheless, being reassured by the angel, thou didst go back and dwell happily at Nazareth, in the company of Jesus and of Mary.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, having our hearts freed from idle fears, we may enjoy the peace of a tranquil conscience, dwelling safely with Jesus and Mary, and dying at last between them.
Pater, Ave, and Gloria.

vii. St. Joseph, example of all holy living, when, though without blame, thou didst lose Jesus, the Holy Child, thou didst search for Him for three long days in great sorrow, until with joy unspeakable thou didst find him, who was as thy life to thee, amidst the doctors in this Temple.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee with our whole heart so to interpose always in our behalf, that we may never lose Jesus by mortal sin; and if (which God avert) we are at any time so wretched as to do so, that we pray thee to aid us to seek Him with such ceaseless sorrow until we find Him, particularly in the hour of our death, that we may pass from this life to enjoy Him for ever in heaven, there to sing with thee His divine mercies without end.
Pater, Ave, and Gloria.

Ant. Jesus Himself was about thirty years old, being, as was supposed, the son of Joseph.

V. Pray for us, holy Joseph.
R. That we may be made worthy of the promises of Christ.

Let us pray.
O God, who in Thine ineffable providence didst vouchsafe to choose blessed Joseph to be the husband of Thy most holy Mother; grant, we beseech Thee, that we may have him for our intercessor in heaven, whom on earth we venerate as our holy protector. Who livest and reignest world without end. Amen.

フィリピンのダバオでのオブレート修道女の着衣式

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アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は、幼きイエズスの聖テレジアの祝日ですね。9月15日には、フィリピンのダバオにある修練院にて、聖ピオ十世会のオブレート修道女の着衣式がありました。写真をご紹介いたします。天主様の祝福が豊かにありますように!






































聖ピオ十世会 2019年10月聖伝のミサの報告 Traditional Latin Mass SSPX JAPAN

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日はロザリオの聖母の祝日ですね!

10月の初金と初土曜日に大阪でミサをすることができ、また10月6日と7日には東京で聖伝のミサを捧げることができて幸福です。

大阪では、多くの新しい方々との出会いがあり、嬉しく思いました。土曜日には先月亡くなったローザさんの追悼ミサが行われました。

東京では主日に85名が、月曜日にはミサの時間が六時半と早かったにもかかわらず10名が参列されました!

ご報告を頂いたので愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

また、10月13日(主日)、14日(体育の日)には大阪でミサがあります。
10月14日については、休日なので、午前10時にミサを行います。
天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

私たちの大切な小野田神父様こんにちは。
10月の初金、初土の御ミサの報告をお送り致します。

10月4日(初金)の至聖なるイエズスの聖心のミサには14人、
10月5日(初土)のミサには26人の方々が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!

両日共に、ミサの後に御聖体降福式がありました。
特に、11月に来日される教皇様の為にこのご聖体降福式をお捧げいたしました。教皇様の来日が日本のカトリックに益あるものとなります様にイエズス様の憐れみを希います。

初金曜日のお説教では、イエズス様の聖心が私達にお望みになる事は何かを黙想致しました。
全能、永遠の天主イエズス様が惨めな私達にお望みになっておられることは、イエズス様が、どれ程私達を愛しているか、それを理解してその愛に、愛をもって全てを尽くして愛をお返しする事です。
最大の掟、「全てを尽くして汝の天主を愛せよ」これだけをイエズス様は求めておられるにも関わらず、私達はどれほど冷淡で居続けるのでしょうか?
全ての愛と栄光と賛美を受けるに相応しいイエズス様の聖心は、私達を必要とされないにも関わらず、まるで乞食のように謙遜に、愛と憐みと善から私達が主を愛する事を望んで下さっているのです。 幼きイエズスの聖テレジアが言った「私達は人生の終わりに愛によって裁かれる」という事がよく理解できました。
ロザリオの聖母マリア様のお助けをもって、沢山の愛をマリア様と一緒に、マリア様を通してお捧げしようと遷善(せんぜん)の決心をたてました。

土曜日は、追悼ミサで、その中でロザリオについてのお説教をいただきました。
故ローザさんが毎日、毎日欠かさず唱えていらっしゃったロザリオの力と、現代におけるロザリオの祈りの必要性を黙想しました。
ローザさんが跪いてひと言ひと言、ゆっくりと美しくロザリオを唱えていらっしゃのを思い出しながら、ローザさんの永遠の安息と、日々の意向のためにロザリオを心を込めて唱えることができるよう、 お恵みを希いました。

土曜日の公教要理では、プロテスタント(マルチン・ルター)の第一原理と、カトリックの違いを勉強しました。
Justification をプロテスタントでは「義認」、カトリックでは「義化」と訳すように、ここに明らかな違いがありました。

「義認」とは、人間は罪から解放されることなく、罪の汚れは持ち続けるが、ただ天主が人を名前だけは「義」とされる、つまり内的ではなく、外的に「義ラベル」を張り替える」という意味です。実際は重病人だけれども、お医者さんはただ「健康体ですよ」と言って下さっている、と考えると簡単でした。
それに対して、カトリックの「義化」は、イエズス・キリストの贖いと聖血の功徳によって私達の罪は赦され、本当に真っ白に癒される、「義」とされるとします。
現在の結果としての弱さは残るものの、天主の聖寵、お恵みによって内的に赦し、清められるという意味です。

このルターの第一原理は4つの結果を生むこととなります。
①人は信仰のみ(Sola Fide)でいいので、仲介者は不要、基本的に全ての信仰者は司祭である。
②人は罪に汚れきっていて腐りきっていいるので、善行をしても意味がないし、善行などできない。ただ信じた印として善行をおこなう。(悲観主義)
③道徳律は不可能である。人は掟を守る事などできない
④教会は見えないもので、義人のあつまり。不明瞭。

これの四つの結果に対してカトリックは、
①叙階という秘跡を用いて司祭をつくり、位階制を昔からもっている。
②天主からのお恵みによって、惨めながらも善行をすることは出来、それは功徳となって天主の心に叶うものとなれる。
③掟を守らねば、(大罪を犯すと)義人ではなくなり、地獄にいかなければならない
④使徒信教にあるように、「一」「聖」「公」「使徒継承」のはっきりとした四つの印をもっている。

また、聖書以外に権威はない「聖書のみ」が権威を持つと、プロテスタントは主張するが、その聖書には「聖書のみ」とは書かれていない。
カトリックでは、啓示の2つの源泉「聖書と聖伝」がある。

以上のようなお話でした。
たった一つの考えの間違いから多くの過ちに繋がっていく恐ろしさを感じました。
何が正しくて、何が間違っているのかを、全ての人が理解し、永遠が決まってしまう審判のときではなく、生きているうちに理解する事が 出来るお恵みをマリア様を通して多くの人に与えられますように!

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

大阪の御ミサの後、プロテスタントとカトリックの違いについて教えていただきありがとうございました。
私自身がプロテスタントからの改宗者なので、以前の教会で理解できなかった点がルターの教えから来ているものだと、よく理解できました。
「義認」について、罪人であることを隠す(なかったことにする)という表現もとても合致し、それだからプロテスタントの方々は「罪」に対しての意識が薄いのだなと思いました。プロテスタントの教えでは個人的に悔い改めることはできても、償いをすることができません。自分の犯した罪を自覚すると同時に償いの気持ちが芽生えるのは自然なことだと思うのですが、それを不要としてしまっては、人間は罪を重ねるだけになってしまいます。
プロテスタント教会はそれでも、「信仰のみで」の教えなので、現世では「善人は現世でも恵まれながら、天国へ行ける」「悪人は現世では恵まれないが、天国では恵まれる」と教えています。しかし、その教えでは現世の秩序は乱れたままです。果たして、そのような世の中を天主様はお望みでしょうか…?と、問いたい気持ちになると同時に、まだ聖伝の教会に出会うことのできていないすべての人々のために祈らねばと思いました。

今こうしてマリア様にも出会い、告解の秘跡を受けていることが、どんなに素晴らしいお恵みか!まだまだ信仰も祈りも犠牲も足りないしもめですが、仲介者であるマリア様の御取次によって、より多くの人々が信仰に導かれるよう願います。

(補足)
ひとつ思い出したのですが、プロテスタント信者にとって「教会は信仰を強める場所」という教えだったと記憶しています。「万民祭司」の教理からくる発想でしょうか?「教会での礼拝を通し、聖霊の導きによって信仰を強めることができる」というものでした。今思うと、信仰宣言をしたすべての人々がペトロの継承者⁈⁈⁈と思うと驚きですね。
次回の公教要理も楽しみにしています!
デオ・グラチアス!

【お返事】
コメントをありがとうございます。
今回のお話しでは、なるべくルターの考えが何か、ということを出来るだけ正確に捉えようとしてみました。
その根本思想が「義認」です。

ルターによると、人間は罪人のままのこり、いかなる善も行うことが出来ないほど腐り病んでいます。ルターによると、救いは、全く純粋に天主の業であり、人間は何もすることがない、とされます。
信者はどのような意味においても救いの業に参与しないし、協力もしない、とされます。何故なら、人間は善をすることができないほど腐敗しきっているからです。
ルターによれば、人間は善を行って、功徳を積むこともないし、罪を償うこともできない、とされます。善行は、救われたものであることの印にすぎない、と。
ルターによると、秘蹟の執行(洗礼と晩餐)や説教、礼拝、などは、善行の一部ですが、信者の確信・信仰を促進させるという目的しかありません。
これらの行為が信者らを聖化するのではないし、功徳があるのでもないのです。
ルターによると、天主は、全く恣意的に望むがままに自分の義を人間に帰すだけです。
ですから、ルターに従うと、プロテスタント信者にとって、教会での礼拝を通し、聖霊の導きによって、信仰を強めてもらうように願うとされます。
ルターによると、すべては天主次第なのだけれども、自分が救われているという印として、礼拝などを行うとされています。

【報告】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

男: 41人(内、子供8人)
女: 44人(内、子供5人)
計: 85人(内、子供13人)

【報告】

小野田神父様

今日は とてもしみじみしたお説教でした。
ちょうど一年前の十五玄義図の発見時の朝日新聞の関連記事をおくらせていただきます。

16世紀のキリシタン信仰画が澤田美喜記念館で見つかりました。



ご聖体の連祷と黙想の図(十五玄義図)

今回調査を行ったところ、絵が日本風でこれまで発見されている他の十五玄義図とは趣が違っており、年代測定(放射性炭素年代調査)をしたところ、1556年から1633年に作られた紙であると確定されました。

聖ピオ十世会 聖伝のミサの報告2019年10月 SSPX JAPAN Traditional Latin Mass

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アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

台風19号で多くの被害が出たとニュースで拝見しました。被害に遭われた方々には、こころよりお見舞いを申し上げます。

愛する兄弟姉妹の皆様のしもべは、10月7日(月)から、フィリピンのイロイロにある聖ベルナルド修練院で毎年恒例の司祭黙想会に参加しておりました。この機会が与えられていることに天主に感謝します。アジア管区司祭のうち、9名の司祭が参加しました。黙想会の間になさって下さった、愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りに感謝します。

お伝えしたいことや、書きたいことは色々ありますが、別の機会に改めてさせていただくことにいたします。

11月には教皇様が来日されます。その霊的な実りのために多くのロザリオをお願いいたします。

10月13日(主日)と14日(月)には、大阪で聖伝のミサを捧げることができました。そのことにも感謝します。
特に10月13日は、ファチマの最後の御出現の日で、マリアは「私はロザリオの元后です」と言われました。


さらに同じ10月13日には、秋田でもマリア様が、カトリック教会の危機についてお話になりました。

「・・・もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのときおん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。
悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。 ・・・ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう 」
この日に、特にカトリック教会の為に、日本と世界の平和の為に、御ミサとロザリオを御捧げすることができて、感謝します。

月曜日は祝日でしたので、ミサの時間を10時にしました。その後御聖体降福式も行うことが出来、日本のために、教皇様のために、御捧げすることができました。御聖体のうちに真にましまし給うイエズスの聖心の前で、跪き、礼拝し、御憐れみを乞い願いつつ、教皇レオ十三世の教えに従い、ロザリオの聖月なので御聖体の前で聖母の連祷を捧げました。

レポートを頂いたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

この度は特に苛酷なスケジュールにも関わらずミッションに来てくださってありがとうございました。
ミサの報告をお送り致します。

10月13日(聖霊降臨後第18主日)には、19人
10月14日聖カリスト教皇のミサには、17人が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオ・グラチアス!

主日のお説教は、イエズス様が中風者の罪を許され、病を治された聖福音についての黙想でした。
イエズス様が、罪を赦されるという事、それはつまり霊魂を義化するするという現実的な、実際的なもので、最高の奇跡であるという事実。
この義化のお恵みのもたらす3つの変化は、
①この恵み(成聖の恩寵)は常駐するものであり、天主が私達の霊魂に住まわれる。(私達は天主の神殿となる)
②私達が天主の命に参与するが故に私達を天主の高みまで高めてくださり、無限の差のある天主と私達の間に友の関係を持つことができる。
③天主の命に与る事によって、私達は功徳を積むことができる。

成聖の恩寵を受けることによって、天主三位一体が私と共にいて下さるという事実を改めてはっきりと認識できました。
天主様と友になる、という意味については、自分のような罪人ではなく、マリア様や聖人方だけが天主の友となる事ができるのかと今まで感じていました。
が、イエズス様の十字架での生贄、贖いの功徳はイエズス様を信じ、愛そうとする私達にどこまでもとんでもない素晴らしい特典を与えて下さり、与え続けて下さっていることに感嘆してしまいます。
成聖の恩寵によって、私達はすでに涙の谷で、天国を味わう事を許されているという事はなんという大きな慰めでしょうか。
一人でも多くの人々がこのお恵みに与る事ができるようロザリオを通して願いたいと思います。

14日は、教皇聖カリスト一世の生涯を垣間見て、教皇の務めとは何かを黙想いたしました。
四季の斎日を定めた事や大聖堂を建てたり、墓地を建設したりしただけでなく、ローマの重鎮やエリートを回心に導き、その為にロ ーマの怒りをかって井戸に捨てられて殉教されました。
ペトロがイエズス様から、「使徒たちの信仰を固めよ」と命ぜられたとおりに、使徒達から伝えられた信仰を受け継ぎ、そのまま後世に伝える事こそが、聖カリスト教皇様が教皇としてされた事でした。たとえ殺されても全世界にイエズス・キリストの教えを伝える。これが聖なる教皇様が務めとされた事でした。
来月訪日予定のフランシスコ教皇様も、聖なる教皇様方に倣って、環境問題や人権問題、平和問題だけを世界に伝えるのではなく、天主の権威、信・望・愛、愛の掟、十戒など、イエズス様が使徒たちに、特にペトロに命ぜられた任務を遂行して下さる事を願います。
ファチマや秋田でマリア様の「教皇様のためにたくさん祈ってく ださい」というお言葉どおり、多くの祈りを教皇様のためにお捧げする必要があると思いました。

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え

【報告】【10月7日:東京】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

聖霊降臨後第17主日のミサとご聖体降福式をありがとうございました。

10月はロザリオの月、典礼暦は以前、10月の第一主日がロザリオの祝日だったのですね。その翌日の7日はロザリオの聖母の祝日でした。二度ロザリオの聖母のミサに与れた思いです。今年はロザリオの聖母を讃えることができましたこと感謝申し上げます。(7日の朝ミサはいつもより早く始まりましたが、なんとかミサに与ることができ、うれしく思いました。ありがとうございました。)

この日の聖福音の言葉に「あなたは、すべての心、すべての霊、すべての知恵をあげて、主なる天主を愛せよ」がありました。

この地上に生まれたのは儚いこの世の楽しみのためではなく天主様を愛するために生まれたのですとお聴きしまして、そのような目的に至ることのできるのは、本当にカトリック信仰だけであることを思いました。この日ミサに臨席くださいました多くの未信者の方の霊魂もこの神秘に触れる機会をいただいていることを感謝して、お祈りしました。

そして、天主様をお愛し、天主様に感謝申し上げる最も良い方法がこのロザリオを唱えることと教えていただきました。“最近、横浜でキリシタンの遺物が見つかり、ロザリオを祈っていた日本人がいたことが残されている”とお話しいただきました。私もそのニュースを新聞で読んだことを思い出しました。日本で迫害を受けながらもロザリオを祈り続けようとしていた当時のカトリック信者の信仰の強さを思いました。

本当にロザリオとカトリック信仰は、強く結ばれているように思います。フルトン・シーン司教様の著作からの、カトリック信者でなかった人がロザリオを祈っていたことにより命を救われたという神秘的な経験、切迫した戦争の中でおこった神秘的な出来事をご紹介いただきました。そのユダヤ人はこの世の命も救われたが、霊的な命も救われて、洗礼の恵みをうけて信者になったという実例は、ロザリオを祈っているならその人は滅びないということを示しているように思いました。マリア様が御守りくださるのでしょう。

教皇様を日本にお迎えするための準備の祈りとしての意向も含めて、ロザリオを祈っていきたいと思います。戦争が起こらないようにとの思いも込めて、毎日ロザリオを祈ろうと思います。

御聖体降福式では、御聖体顕示台に掲げられていますイエズス様の御前でお祈りできますことを、とてもうれしく思いました。そのお姿は目には見えないけれどイエズス様の御威光が私達を照らしてくださり、みじめな虫のようなものであるのにこうして私どもに聖寵をあふれるように注いでくださいますことを感謝申し上げました。

この日は、兄弟姉妹の若いご夫妻の三番目の赤ちゃんが誕生されたあとのお母さんの祝福式も行われました。フランスから赤ちゃんのグランパたちとグランマたちもお祝いに来てくださっていて、また、赤ちゃんの両親の御友人もたくさん来てくださり、ミサも御聖体降福式も祝福式もおごそかに盛大でありました。パーティには私たち信徒をもご招待していただき、楽しい時間を過ごすことができました、ありがとうございました。

ロザリオの聖母、われらのために祈り給え。

【参考資料:朝日新聞2018年11月18日】

16世紀のキリシタン信仰画

神奈川県大磯町の「澤田美喜記念館」で所蔵されていた出所不明のキリシタン信仰画が、16世紀末の安土桃山期の作品である可能性が高いことがわかった。当時の信仰画は残っているものがごくわずかで、国内に信者が増えた時期の信仰の姿を伝える貴重な資料とみられる。

記念館などによると、和紙に墨で描かれた巻物で、縦22センチ、横約320センチ。「受胎告知」や「受難」「聖母の戴冠」など15の場面がある。ラテン語の祈りの言葉も仮名で書かれている。「御出生以来千五百九十二年 はうろ」とも記されており、「パウロ」という洗礼名の信者が西暦1592年に作ったとみることができるという。

記念館と共同調査した横浜市歴史博物館によると、文字の書体や描かれた風俗には、江戸時代より前の特徴がある。記念館が外部の研究機関に放射性炭素を用いた年代測定を依頼したところ、1556年から1633年に作られた紙との結果が出たという。

信仰画には、場面ごとにイエズス会のマークが記されている。キリシタン史が専門の大橋幸泰・早稲田大学教授は「イエズス会は日本の習慣を重視し、布教に信仰画を用いたことが知られていたが、宣教師の報告ぐらいしか手がかりがなく、実態はわからなかった。当時の姿が浮かんでくる貴重な資料だ」と評価する。

キリスト教は日本に1549年に伝来し、豊臣秀吉は1587年にバテレン追放令出した。
キリシタンの信仰画では、戦前に大阪で2点見つかった「マリア十五玄義図」が知られている。着色された西洋画風で、神学校で技法を学んだ日本人による江戸期の作と考えられている。一方、今回の作品は、作風や描かれた風俗が日本風だ。「復活」の場面では、人物の腰にある刀が日本刀のように見える。上智大学の川村信三教授(キリシタン史)は「相当に日本的。日本人が描いたのだろうが、このようなものは見たことがない」と話す。
調査では、作品に書かれた仮名文字も読み解いた。カトリック中央協議会が調べたところ「さんちいしもさくらめんとのらたにやす」と書かれており、先唱者に続いて信者が短く唱える「連禱」の言葉だと判明した。ほかにもラテン語の祈りの言葉が50行ほど記されている。京都大学の岩崎奈緒子教授は「ラテン語の原音に近いのが特徴。ラテン語がわかる人が、唱えるのを忠実に書きとめたのでは」とみる。

調査した横浜市歴史博物館の井上攻・副館長は「使われているのは高級ではない庶民の紙。1592年に作られたものを模写した可能性はあるが、文字の特徴などから描かれたのは江戸時代の早い時期までと考えていいだろう。輸入された版画などを目にした日本人信者が見よう見まねで描き、耳にした祈りの言葉を書きとめたといったことが考えられるのではないか」と話している。

注:「さんちいしもさくらめんとのらたにやす」は、Litaniae de Sanctissimo Sacramento に由来しており「御聖体の連禱」という意味。日本人の信仰の祖先が、御聖体に対する深い信心をもっていたことが偲ばれる。御聖体の連祷は、四百年以上の歴史があり、モーツァルトの "Litaniae de venerabili altaris sacramento" 「崇敬すべき祭壇の秘蹟の連祷」も存在している。



Panis vive, qui de caelo descendisti!
Deus absconditus et Salvator!
Miserere nobis!
天から降り給うた生けるパンよ!
隠れたる天主にして救い主よ!
我らを憐れみ給え!




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